やさしい現代語訳

源氏物語「夕顔」(ゆうがお)第4帖

(源氏の君17歳、六条御息所24歳、夕顔19歳の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む



 源氏の君が六条御息所 (ろくじょうのみやすどころ・亡兄東宮の妻)の御邸に忍んでお通いの頃のことでございます。内裏(だいり)からお出ましなさる中ほどのところに、大弐(だいに)の乳母(めのと)が大層重い病気にかかり尼になっておられましたので、源氏の君はお見舞なさろうと、五条にある家を訪ねておいでになりました。

 御車の入るべき門が閉ざされていましたので、惟光(これみつ)を呼ばせてお待ちになっていらっしゃる間に、むさ苦しい大路の様子をご覧になりますと、この家の隣に、垣根を新しくして半蔀(はじとみ)を四、五間ほど吊り上げ、御簾なども白く涼しげにしている家がありました。そこから美しい額つきの女の姿が、こちらをのぞいている様子でした。源氏の君は立ち姿から下を想像しながら、一体どんな方がお住まいなのかとお思いになっておられました。御車も目立たぬようにしていますので、誰が乗っているかも悟られずにいるようなので、すっかり気を許し、しばらくその家を覗いておられました。門は半蔀で押し上げているので中が覗けます。あまり広くなく、頼りない住まいをながめ(どこを指して自分の家というのか。こんなはかない家も、玉の御殿も同じで、心安らげる所ではないか)と、しみじみ思っておいでになりました。

 板塀に青青とした美しいかずら(つる科の植物)が這いかかり、その白い花が大変美しく咲いておりました。
「遠方の人にもの申す」(そこに咲く美しい白い花は何か?)
と、独り言をおっしゃるのに対して、随身(護衛の人)は、「その白く咲く花は、夕顔と申します。このように美しい名の花が、こんな粗末な垣根に咲いております」と答えました。
 辺りはむさ苦しく、今にも傾きかかった家の軒先に、つるが這いまつわるのを源氏の君はご覧になって「私が心惹かれた美しい花が、こんなに粗末なところに咲いているのも、花の宿命なのか。一房折ってまいれ」とお命じになりました。家来はこの門に入り一房折りました。
 大層風情のある引き戸のところに、黄色い生絹(すずし)の単袴 (ひとえばかま) を着た美しい女童が出てきました。家来をうち招き、大層香を焚きしめた白い扇をさしだし「ここにのせて差し上げてください。枝も頼りない風情の花を……」と申しますので、それを源氏の君に差し上げました。
 その時、ようやく惟光が出てきました。「鍵をどこかに置いてしまい大変けしからん事だ。むさ苦しい大路に長い間お待たせいたしました」と、畏まって申しました。


(乳母をお見舞いなさり……)

 牛車を大弐の乳母の家の門に引き入れて、源氏の君は車からお降りになりました。惟光の兄の阿闍梨(あざり)、婿の三河守(みかわのかみ)、娘など集まっている時に、このように源氏の君もおいでになりました喜びを、皆、二度とない程に恐縮しておりました。
 尼君も身体を起こし「年老いた身ではありますけれど、この世を捨てがたく思っておりました。尼になっては、このように尊い方にお会い出来なくなると、心残りに思い、出家をためらっていましたが、こうしてお出くださいましたので、今は阿弥陀仏の来迎も心清らかに待つ事が出来ましょう」などと申しながら、弱々しく泣きました。
 「日頃、容態がはかばかしくないと聞き、私も心落ち着かず、ずっと心配をしておりました。残念なことです。もう少し長生きして、私がもっと高い位に出世するのを見届けて下さい。そして極楽でも上の位にお生まれなさいませ。この世に少しでも心残りがあるのは、良くないと聞きます」
 源氏の君も涙ぐんでお答えになりました。 母のようにいとおしむべき人は、不出来な子でさえ不思議と良い子に思います。まして源氏の君のように高貴な方をお育てしたことを、この乳母は大層光栄に思い、親しくお仕えしたわが身をもったいなく思われるので、そぞろ涙がちになるようです。出家した世を去り難いとか、自ら泣き面をするところをお目にかけては、大変見苦しいと思い、子供たちはお互いにつつきあい、目配せをしておりました。
 源氏の君は、大層痛ましくとお思いになって「幼い頃、母が自分を見捨ててあの世に行ってしまわれました。その後お世話をしてくれる人は沢山あったけれども、本当に親しくなつく人は、貴女より他にないと思っていました。成人してからは、制約があって、朝夕お会い出来ないので、心のままに訪問することは出来なかったけれど、やはり心細く思っていました。避けることの出来ない別れは、無くてほしいと思う……」など、細やかにお話しになりました。
 涙をお拭いになる袖に焚きしめた香の薫りも、狭い辺りいっぱいに満ち溢れていました。全くこれぞ人の世の因縁だと思い、尼君を非難すべきと考えていた子供たちも、皆すっかり涙ぐんでしまいました。加持祈祷をまた始めるようにと指示なさって、乳母の家をお出になりました。  

(夕顔の花をのせた扇には……)
 源氏の君は御車にもどり、惟光に灯りを持たせて、先程の白い扇をご覧になりました。普段持っている人の移り香が深く染み着いていて心惹かれるその扇には、流し書きがしてありました。
  
   心あてに それかとぞ見る白露の 光添えたる夕顔の花

     (訳)それとなく、あの方かしらとお見受けしました。白露のような(高貴な方の)          
        美しさをさらに添えてくださった 夕顔の花に(私に)……

 何気なく思わせ振りに書かれ、気品があって訳ありげに見えますので、源氏の君は思いのほかに興味深くお感じになりました。「この西にある家には、誰が住んでいるのか」とお尋ねになりますと、惟光は(いつもの源氏の君の面倒な御心)と思いましたが、そうは申し上げられず「この五、六日 ここにおりますが、病人を心配しておりましたので、隣のことは聞いておりません」と、そっけなく申しました。
 源氏の君は「面倒と思っているのか……。でもこの扇には、調べてみなければならない事情があるようだから、更に知っている者を捜して尋ねなさい」と仰せになりました。
 惟光は自分の家に入って、その家の宿守の男を呼び、尋ねてました。「揚名の介という人の家でございます。男は田舎に出かけています。女房が派手好みで、兄弟は宮仕えに通っているようでございますが、詳しいことは、下人では知ることが出来ないようです」と申し上げました。
 (それではその宮仕えの者のしわざなのだろう。訳ありて、なれなれしく歌を詠んだものだ)とお思いになりましたが、がっかりするような低い身分であっても、源氏の君を指して歌をよみかけてきた心が憎めずに、見過ごしがたく思われました。しかしこの女にも、いつものように軽いお気持ちのようでございました。
 御畳紙に源氏の君と悟られないように、それらしくない様子に書き換えて
    
    寄りてこそ それかとも見め黄昏に ほのぼの見ゆる花の夕顔

     (訳)もっと近ずいてその方かどうか確かめたらどうですか
        ぼんやりとしか見えなかった夕顔の花を……

と歌を書いて、髄身(ずいじん)に持っていかせました。
 まだお逢いしたことがないけれど、源氏の君とはっきりわかる横顔を見逃さずに、歌を差し上げました女君 の方は、時がたっても返歌がないので、体裁が悪い思いでおりましたところへ、このように、わざとらしい返歌が届き、いい気になって「どんな風に答えようか……」と言い合っている様子でしたので、髄身は呆れて帰ってきてしまいました。
 御車の前の松明(たいまつ)をほのかに灯し、御車は門を出ました。その家の半蔀(はじとみ)は下ろしてありましたが、板目の間から漏れる灯りは、蛍より一層ほのかに、しみじみ胸を打つようでごさいました。

 目指していた六条の御邸にお着きになりますと、木立や庭の植え込みなど、大層ゆったりと奥ゆかしく、御息所はお住まいでございました。気品のあるご様子など風情が格別で、さきほどの夕顔の垣根など思い出しようもない程でございました。
 翌朝、源氏の君は少し寝過ごして、朝日が昇る頃に御寝所から出ていらっしゃいました。寝起きのお姿さえも、人が褒めるのも無理ない程に美しいご様子でした。
 その後も度々、夕顔の家の前をお通りになりました。今まで何度も通られたところですけれど、今はただ儚 い歌の一節が源氏の君の御心にとまって(どんな人の住み家なのか……)と、行くたびに気になって仕方がありませんでした。

 数日経って惟光が内裏に参上しました。「患っている母は、なほ弱々しくございますが、あれこれ面倒を看ておりました」などと申し上げ、源氏の君のお傍近くにさらに寄って申し上げました。
「調べるようにとご命令を受けて後、隣の事を知っている人を呼んで質問しましたが、はっきりとわかりません。大層お忍びで、この五月頃より住んでいる人らしいけれど、誰であるのか、その家の内にいる人にさえ全く知らせずにおります。時々、垣根の間から覗き見ると、若い女性たちの姿が見えます。昨日、夕日が家いっぱいに差し込んでいる中に、大層容貌の美しい女君が手紙を書こうと座っていらっしゃいました。もの思いに沈んでいるようで、周りの人々も忍び泣く様子がはっきり見えました。」
 源氏の君はにっこりなさって、もっとよく知りたいとお思いになりました。身分の重い君ではありますが、女の慕ってくる様子などを思うと、(男が、女の人に惚れっぽくないのは情けなくつまらないことですし、相手にしないような身分の低い人でさえ、やはり話題になるような人を好きになることは当り前の事)と思っておりました。
 「もっと解ることもございましょうかと、ちょっとした用事を作ってはその消息など遣わしましたところ、書き慣れた筆跡ですぐに返事などよこしました。大変良い女がおりますようです」と申し上げれば、「なほ一層言い寄ってみるがよい。もっと調べないと物足りない」と仰せになりました。身分が低いと言う理由から、見捨ててしまった人の住まいだけれど、その中に意外にも素晴しい女性を見つけたならば、どんなに面白い事でしょうか。

 秋になりました。源氏の君には心苦しく思い乱れる事があって、左大臣邸へすっかり足が遠のき、御正室・葵の上は大層恨めしくお思いでございました。
 六条の御邸にも、打ち解けにくかったご様子を無理やり遂げてしまった後、打って変わって、お通いにならなくなってしまったのは、御息所にはお気の毒なことでございます。されど他人だったころの御心の苦悩のように、源氏の君が一途になることがなくなりましたのは、一体どうしたことでしょうか。六条の御息所は、ものを深すぎる程に思いつめるご性格に加え、源氏の君より七歳も年上で、年齢が釣り合わないこともあり、(二人の関係を他人が聞いたらどう思うだろう……)と、大層辛い思いをなさり、源氏の君の訪れのない夜、寝ざめの度にお嘆きになることも多いのでございました。

 その後も夕顔の家の覗き見は続けられ、惟光はよく内情を調べて、源氏の君に報告いたしました。
 「お住まいの方が、どこの誰とは解りません。大層隠れ忍んでいる様に見えます。退屈なままに、南の方の半蔀のある長屋に渡って来る御車の音がしますと、若い女たちが覗きなどしているようですが、主人と思われる女君も背を屈めて、覗いておいでになることもあるようです。容貌ははっきり見えませんが、大層愛らしげでございます。」 
 ある日、前駆の家来をつけて御車がまいりました。女の子が急いで「右近の君様、まずご覧ください。頭中将 (とうのちゅうじょう) 殿がここにお通いになります」と言えば、かなりな年格好の女房が「まぁ、騒々しいこと」と手をかけて制しながら、「どうして中将と分かりますのか。私がこの目で見てみましょう」と、身をかがめて出て来ました。長屋へ行くには、板を橋のように渡したところを通ります。急いで渡る者は、衣の裾を引っかけて、よろめき倒れ、橋から落ちそうになり「葛城の神(伝説ー山から山へ橋を渡した神様)よ、出ておいで……危ないじゃないか」と文句など言いますので、好奇心もさめてしまうようでした。
 「『頭の中将様は、御直衣(のうし)のお姿でおいででございました。ご髄身たちもおりました。他にあの人やこの人も……』と数えたのは、頭の中将の髄身の小舎人童(こどねりのわらわ)でしたから、間違えありません」と申し上げると、源氏の君は「私もその車を見たかったものだ」と仰せになり、もしそうなら夕顔は、あの哀れに忘れられた女(雨夜の品定めー帚木第二帖で、頭の中将が語った姫君)に違いないと思いつかれました。もっと知りたそうなご様子なので惟光は、「私も身分を隠して、あの家の女房に上手に言い寄って、家の様子まどを見ておりまして、若い女房などにも私が仲間だと思い込ませ、気のおけぬ話などして歩き回っております。女君のことを大層隠していますが、小さい子供もおりまして、うっかり口をすべらす時は、強いて言い紛らしています」と言って笑いました。
 源氏の君は「尼君のお見舞に行くついでに、私にも覗き見をさせてほしい」と仰せになりました。(今の所が仮の住まいでも、あの住居から察すると、これこそ雨夜の品定めで、馬頭がさげすんだ
「下の品」に違いない。その中に意外な良い品があれば良いのだが……)とお思いになるのでした。

(やがて夕顔の宿にお通いになり……)
 惟光は、ほんの少しでも源氏の君の御心に逆らうことのないようにと心を尽くし、やがて源氏の君は、夕顔の宿にお通いになるようになりました。
 女君(夕顔の姫君)は、はっきり誰と名前をお尋ねにならず、源氏の君も名のりをなさらずに、大層お忍びでお通いになりました。(今までになく、徒歩でお通いになるのは疎かな扱い)と思い、惟光は自分の馬を源氏の君に差し上げて、自分はお供として歩き回りました。「恋人のところへ歩いてくるとは情けない。他人に見られたら辛い事だろう……」とグチをこぼしながら行くのですが、人に知られないように、あの夕顔の恋の取りつぎをした随身の他には、顔さえ全く知られていない女の子を一人だけ連れておいでになりました。もしや源氏の君と気付く気配があってはいけないと、隣の大弐の乳母の家にもお立ち寄りもなさいません。
 女君も大層不信で納得のいかない気がするので、後朝の御使い(朝帰りのあと返歌を持ってくる使いの人)に人をつけて早朝お帰りになる道を探らせ、住まいの存りかを調べさせようとしましたが、どこともなく、行方が解らないようにしてしまいます。
 とはいえ源氏の君には、愛しくて逢わずにはいられないので、この身分の低い女が、源氏の君の御心にかかっているのは不都合で軽々しいことと反省しながらも、なほ一層度々お通いになりました。
 色恋ざたでは、身の固い人でも乱れてしまうことがあります。いつもは見苦しいこともなく、人からとがめられるような振る舞いはなさらないのですが、今度にかぎり、朝はあやしきまで、昼は離れていて心細いと思い悩まれ、さらに狂おしいまでに心惹かれるので、ただ一心に御心をお鎮めになりました。
 女君の様子は、驚くほど心柔らかく大らかで、思慮深い面ではおくれているように思われますが、一見して幼いけれど、色恋の道を知らないという程でもないようです。身分が尊いということもなく、源氏の君が(どこにこんなに心惹かれてしまったのか……)と、不思議にお思いになりました。
 源氏の君は、大げさに思えるほど粗末な狩の御装束をお召しになり、様子を変えて、顔を少しもお見せにならず、夜も更けて人の寝静まる頃に、その家を出入りなさいますので、女君は、昔あったという妖怪(三輪山伝説ーー蛇が男に姿を変えて姫と愛しあう)のようで気味が悪いと思いますけれど、源氏の君は暗闇の中の手さぐりでも、美しいとはっきり解るお姿なので、(一体誰なのでしょう、やはり好色者のすることなのでしょうか)と思っておいでになりました。 推光は、強いてつれなく知らん顔をして、思いもよらぬ様子で軽くふざけあったりして歩き回るので、女たちも風変わりな者だと思っておりました。
 今の住まいが仮の隠れ家と見えるので、引っ越してしまう日を知らせずに、ひたすら油断させておいて、女君がどこかへ行ってしまったら、どこを目当てに尋ねたらよいのかと、源氏の君は大層ご心配なさいました。(行方知れずの時には、諦められるほどならば、ただ今だけの慰め事と過ごすべきものを、まったく諦めることなど出来やしない)とお思いでした。人の目を気遣って逢わずにいる夜などは、とても耐え難く、苦おしいとまで恋焦がれておられますので、誰ともなく(女君を二条院にお迎えしようか。たとえ評判が広がって不都合なことになっても、やはりお迎えすべきでは……)等と考えておりました。源氏の君もわが心ながら、これほどまでに恋に溺れることはなかったものを、一体どういう縁なのだろう)としみじみお思いになりました。
 「どこかもっと心休まる所へ行って、ゆっくり話し合いましょう」
 「そうは仰せられても、まだ不思議なことでございます。世に無いほどの御心遣いが恐ろしくございます」と、女君は大層幼いご様子で申しました。源氏の君はにっこりなさって、
 「本当はどちらか狐なのかもしれない。ただ騙されなさい……」と仰せになりますと、女君はそうかもしれないと思いました。源氏の君はこの世に例の無い程おかしい事にさえ、一途に従う女の素直な気持ちを、大層可愛らしい人だとお思いになりました。やはり、頭の中将の女ではないかとお疑いになり、雨夜の品定めで語られた女の性格をまず思い出されましたが、身を隠す理由があるのかと強いて問い詰めるようなことはなさいませんでした。(機嫌をそこねて姿を隠してしまうことなどはないだろうが、いつの日か逢瀬がとだえるような時、そのようなこともあるでしょう。わが心が少し飽きることもあるかもしれないが、これもまた良いのかもしれない)とさえお思いになりました。

 八月十五夜、欠けることの無い月影、すき間の多い板屋根から月の光りが漏れてきていました。見慣れない住まいの様子も珍しく、明け方近くになると隣の家々から聞こえる卑しい男たちの言い交す声に目を覚ましました。「今朝は凄く寒い」「今年は商も頼りなく、行商も思いがけず大変心細い。北の隣人よ、聞いていますか」等、言い交す声が聞こえてきます。
 大層情けない各人の営みに、起きだしてすぐ近くでざわざわ騒ぐ事を、普通、女の人は恥ずかしいと思うでしょう。また体裁をつくろい見栄を張る人は、消え入りそうな粗末な家をも恥ずかしいと思います。ところが、この女君はのんびりしていて、辛さや憂鬱さもなく、そばにいて恥ずかしい様子もなく、大層上品に源氏の君をもてなしておいででした。乱雑で騒がしい隣の心遣いのなさを訳の解らぬ事と聞いているようでもなく、恥ずかしがって赤くなるよりもむしろ、罪がなく思えました。
 ゴトゴトと雷よりもうるさく踏み轟く唐臼(玄米を轢く臼)の音も、すぐ枕元に聞こえますが、うるさいとお思いになっても何の音かとはお尋ねにもならず、大層興ざめな音とお聞きになりました。この家にはあれこれと厄介な事が多いものです。白桍の衣をうつ砧の音も、かすかに遠いあちこちから聞こえ、空を飛ぶ雁の声などとり集めて、本当に耐え難いことが多いところでございました。

 引き戸を開け、お二人はご一緒に外をご覧になりました。ささやかな庭には、しゃれた呉竹が美しく、庭に植えてある秋の花の露が二条院と同じようにきらめいていました。虫の声はうるさく乱れ、壁の中のこおろぎさえ、聞き慣れた耳にさし当たるように乱れ鳴くのを、源氏の君はいつもと違ってかえって風情があるとお感じになるのは、女への想いがとても深いので、あらゆる欠点が許されるためのようでございました。 女君は、白い袴に薄紫色の柔らかい衣を重ねて、華やかでないお姿が、大層愛らしげでいじらしい心地がしました。これといって取り立てて優れた点もないけれど、ほっそりと弱々しく、何かを言う気配は、大層愛らしく見えました。

 源氏の君は、自己主張するような性格を、少し添えたら良いとお感じになりながら、一層打ち解けて逢いたいとお思いになりましたので、「この近くに某 の別邸があります。そこへ行って、心安らかに夜を明かしましょう。ここは大層騒がしいところです」と仰せになりますと、
「どうしましょう。あまりにも急なお申し出を……」と、おっとりお答えになりました。
 そこで右近をお呼びになり、家来も呼んで御車を引き入れさせました。ここに仕える人々は、源氏の君が本気であることを知って、少し不安ではありましたが、仰せのとおりにいたしました。

(近くの某の別荘に移り……)
 なかなか沈まない月に、急に家を出て浮かれ歩くことを、女君はためらいますので、あれこれ説得なさるうちに、急に月が雲に隠れて、明けゆく空が大変美しくなりました。明るくなり人目に立つ前に急いで出発なさろうと、源氏の君は軽々と女君を抱き上げて、御車にお乗せになりました。右近も乗りました。
 やがて近くの某の邸に到着しました。留守の番人が出てくる間に辺りを見ますと、荒れ果てた門には、忍ぶ草(しだ)が茂っていて、見上げると木立が真っ暗で、例えようもなく気味の悪い様子でした。霧も深く露が降りているところに、御車の簾を上げていましたので、御袖がすっかり濡れてしまいました。
 「このようなことに慣れていませんので気苦労なことです。昔も早朝の道をこのように人がさまよい歩いたのだろうか。貴女は慣れていらっしゃいますか」とお尋ねになりました。女君は、恥ずかしそうに、
 
  「山の端の 心もしらでゆく月は、うはのそらにて 影や絶えなむ  心細く……」
 
    (訳)山の端(源氏の君)の心も知らないで、ゆく月(私)は、
       いつか空の途中で影が消えてしまうのでしょうか 心細いものです。

 と、恐ろしそうに寂しげになさいましたので、源氏の君はあの夕顔の家に賑やかに住んでいたせいだろうと、いとおしくお思いになりました。
 御車を入れさせて西の邸にお住まいになれる準備をさせている間、御車を高欄にかけて止め、お待ちになっておられました。右近はうっとりした心地で、昔の方(頭の中将)のことなどを密かに思い出していました。家来のものが大層世話をして歩き回る様子に、これは源氏の君様に違いないと思いました。ほのぼの夜が明け、周囲が見える程に明るくなった頃に御車からお降りになりました。間に合わせですけれど、きちんとお支度ができていました。
 「供人が誰もおりません。不便なことです」と、左大臣家に仕える使用人が近くに寄ってきて、「あの方をお呼びしましょうか」と申し上げますと 源氏の君は「わざわざ人が来ないような隠れ家を求めたのだ。決して他の人に漏らさぬように……」と口封じなさいました。
 朝食にお粥をお薦めしましたけれどお給仕をする者もおりません。初めてのお二人だけの外泊に息長川(息長く一緒に命ながらえましょう)とそればかりお約束なさいました。

 陽が高くなる頃にお起きになり、格子をご自分でお開けになりました。庭は大変荒れていて人の気配もありません。ただ遙々と見渡せて、古い木立は大層気味悪く茂っていました。荒れ果てた秋の草は見所もなく、池も水草に埋もれ大層不気味な様子です。別棟に人が住んでいるようですけれど、ここからずっと離れたところにありました。
 「ここは随分荒れ果ててしまったものだ。それにしても、もしこの庭に鬼(芥川の鬼〜不気味な所に出て人を食い殺す)が住んでいるとしたら、鬼も私を見逃してくれるだろう」と仰いました。
 顔はやはり隠しておいでですが、女君がそれを恨んでいるようなので、もうこんなに親しくなりながら、心に隔たりがあるのは良くないとお思いになって、
     
    夕露に紐とく花は玉ぼこの たよりに見えし 光にこそありけれ、 露の光やいかに

     (訳)夕暮の露に濡れて花が開くように下紐を解くあなたは、
        私の出かける道すがら見た花…そんな行きずりの縁でしたね。
        

私の美しさはいかがでしょうか」 美しい流し目で女君をご覧になりますと、女君は
     
     光ありと見し 夕顔の上露は たそがれ時の空目なりけり  (返歌)

      (訳)美しいと思って私が見た夕顔の露のような貴方は夕暮れの見間違いです。

と、ほのかにすねてみせました。源氏の君は本当に愛らしいとお思いになりました。心から打ち解けるご様子は世にたぐいなく、こういう場所がらまして不吉なまでに愛らしいとご覧になりました。
「いつまでも心に隔たりをなさるのが辛いので、私も顔を現わすまいと思っていたのですが、せめてお名前をなのってください。嫌な気がします」と、源氏の君はおっしゃいましたけれど、
 「漁師の子ですから、家も定めず……」とそれでも打ち解けないご様子は、大層あまえているようにもみえました。「仕方がありません。これも私のせいでしょう」と恨みながらも、また睦まじく語らい、ご一緒にお過ごしになりました。

 惟光が訪ねて来て、果物などお勧めしました。右近が訴える事を聞くと、さすがに気の毒に思い、源氏の君のお側近くにも寄りません。源氏の君がこれほどまでに心奪われるのを興味深く思い、女君が大層美しいせいだろうかと推量しながらも、(この惟光がもっと言い寄ればよかったものを、源氏の君にお譲りした私は、なんと心の広い家来か)等と呆れたことを思っておりました。
 例えようもなく静かな夕べの空を、お二人は眺めておいででしたが、邸の奥の方は暗く気味が悪いと女君が怯えているので、端の御簾を上げて、源氏の君は添い臥していらっしゃいました。夕映えの中でお互いの顔をみかわして、女君もこのようなありさまを、思いのほか不思議な気持がしながらも、いろいろな嘆きを忘れて、次第に打ち解けていく様子が、源氏の君には大層いとおしく思えました。
 君が添い暮しておりますのに、女君は大層怯える様子でした。その素振りが幼くいじらしいので、源氏の君は格子を早く下ろして灯りをつけさせ、「残すところなく打ち解けた仲になったのに、なほ心の隔てを残していらっしゃるのは辛いことです」と恨みがましく仰せになりました。
 今頃、内裏では、皆がどんなに私を捜しておられることだろうと、お思いになる一方で(私は何という了見の持ち主だろう。六条御息所 にはどれほど思い乱れなさっておられることだろう。恨まれるもの辛いけれども無理もない……)等と、御息所のことを思い出しておいでになりました。

 けれども無邪気に向かい合っている女君をいとおしいとお想いになるままに、御息所のあまりにも思慮深く、相手が息苦しくなる程のご性格を少し取り捨てたいものだと、思い比べておいでになるのでした。


(美しい女の生霊が……)

 夜深く過ぎる頃、少しうとうとなさいますと、源氏の君の夢の枕元に、大層美しい女が座っておりました。
 「私が、この源氏の君を大層素晴しいとお慕いしていますのに、その御方は訪ねておいでにならずに、何の見所も無いようなつまらない女をご寵愛 なさるのは、耐え難いことでございます」と、源氏の君の傍に添い寝している女君(夕顔)を揺り起こそうとしました。
 源氏の君は、物の怪に襲われる思いがして目をお覚ましになりますと、灯は消えて辺りは真っ暗でした。ぞっとした寒気をお感じになりましたので、魔よけに太刀を引き抜いてお置きになり、右近をお起こしになりました。右近も怯えている様子で這って近くに参りました。
 「渡殿(宿直の部屋)の人を起こして、紙燭(手灯り)を持って来るように言いなさい」と源氏の君が仰せになりますと、右近は「どうして行けましょうか。この暗闇の中を……」と答えました。
 「なんと子供っぽい……」と源氏の君はお笑いになり、従者をお呼びになろうと手を叩かれますと、その音が山彦のように響き渡り、大層不気味でした。人が聞きつけて来ないので、どうして良いのか分からず、女君は大層怯えて、汗をびっしょりかき、訳も解らず取り乱しておりました。
「むやみに物おじをなさって、どんなに怖がっておいででしょう」と右近が申しました。
 大層弱々しく、昼の間もずっと空を見ていらっしゃいましたので、いとおしくお思いになって、
 「私が人を起こして来ましょう。手を叩いても不気味に響くばかりだ。女君のもっと近くに寄ってずっと傍にいてあげてください」と、右近を引き寄せなさいました。
 
 そして西の妻戸に出て、戸を押し上げますと風がヒュッと吹き込み、渡殿の灯りも消えてしまいました。辺りは真っ暗闇で、人影も無く、皆寝ているようでした。 この院の番人の男と、雑用の少年と例の随身だけがおりましたが、源氏の君がお呼びになったので、皆、ようやく起き上がりました。
 「紙燭を持って参れ。人離れた所で油断して寝ている人がいるか」とお叱りになり、随身に魔除けに弦を鳴らし、大声を出すように命じなさいました。
 「惟光がさっき来たはずだが、どうしたのか」とお尋ねになりました。
 「お仕えしていましたけれど、何のご用事もないので、夜明けにお迎えに参りますと申して、退室いたしました」と答えました。滝口という随身は、弓弦をビンビン鳴らし「火の用心」と言いながら、番人の方へ行くようです。まだそれほど、夜は更けていないようでございました。

 源氏の君は急いで御寝所に戻り、暗闇で手探りなさいますと、女君はそのまま死んだように臥しており、右近もその傍らに臥しておりました。「どうしたのだ。気違いじみた怯え方だなぁ。こんな荒れた場所には、狐など妖の物が人を脅かそうとするので、恐ろしく思うのだろう。私がついていますから、そんな物には脅かされはしません」と、女君を起こしました。
 右近が「何と気味が悪い。姫君はすっかり動転して気分が悪いので、うつ臥しているのでしょう。きっとどうしようもなく、怖がっていらっしゃるのです」と申しますと、源氏の君は「そのとおりだ。どうしたというのです」と、真っ暗闇の中を手探りで抱き寄せますと、何と女君は息をしていません。引き動かしてみても、なよなよとして、気を失っている様子です。大層子供っぽい人なので、物の怪に正気を奪われてしまったらしいと、途方にくれた心地がなさいました。

 従者が紙燭を持って参りました。源氏の君は、女君の姿を他人に見られまいと、自ら近くの御几帳を引き寄せて「もっと近くへ、灯りを持って参れ」とお命じになりました。従者が御寝所にまで呼び入れられるなど、今までないことですので、その従者は近寄ることもできません。
 「もっと近くに持ってきなさい。遠慮も、時と場合による……」

 ようやく灯りを近ずけてご覧になりますと、その枕元にさっき夢で見た女の姿が幻に現われ、ふと消え失せました。 昔の物語にあるとはいえ、現実には大変珍しく、恐ろしいことでございます。
 源氏の君は、まず女君がどうなったかと、胸騒ぎがなさいました。物の怪に憑かれた人の近くにいると、その人も危ういと聞きますのに、ご自分の御身もお忘れになって、女君の横に添い臥して、目を覚まさせようとなさいました。けれど女君の体はだんだん冷たくなってきて、息も耐え果ててしまいました。
 手のほどこしようもない……。ここには誰と言って相談すべき頼りになる人もない。法師など、加持祈祷して病魔を退散させる人もいない。源氏の君はあれほど強がっていても、まだ若い御心ですので、女君が亡くなられたのをご覧になって、どうしようもなく、ただじっと抱いたまま「愛しい人よ、生き返って下さい。こんなに辛い目に遇わせないでください」と仰いましたが、女君はすっかり冷たくなり、様子が異様になっていきました。右近はただ怖いという気持が今はすっかり覚めて、ただ泣き崩れるばかりでございました。

 
 源氏の君は、南殿の鬼が藤原忠平を脅かした話(大鏡)を思い出して、「私は驚かないぞ。心を強く持ていれば、このまま死んでしまうことはないだろう。皆が泣き騒ぐ声は大袈裟でやかましい」とお諌めになりましたが、大層あわただしい成り行きに、途方にくれた気持がなさいました。

 番人の子をお呼びになり「不思議なことに、ここに物の怪に襲われた女君が苦しんでいますので、すぐに惟光の家に行き、急いで来るよう命じなさい。惟光の兄の阿闍梨がそこにいたら、一緒ここに来るようにこっそり言いなさい。母の尼君に聞かれないように、大袈裟に言わないように、こういう事を許さない人ですから……」など仰せになりましたが、胸がいっぱいで、女君を死なせてしまいそうな事が、大層悲しく思えました。
 さらに、周囲の景色の不気味さは、例えようもありません。風が荒々しく吹いているから、きっと夜中を過ぎてしまったのでしょう。まして風の音が、うっそうと繁った松の木に響き、梟 のうつろな声も、異様で気味悪く聞こえます。いろいろ考えていると、あちこち何か不気味で、どうしてこんな不用心な所に宿をとったのかと、今になって後悔してもどうしようもないことでございました。
 右近は放心状態で、源氏の君にぴったり添って、今にも死にそうでした。源氏の君はこれまたうわの空にて、じっと右近をつかまえていました。自分だけが冷静でいるのですが、でもどうしたらよいか分かりませんでした。
 灯りがほのかにまたたいて、ご寝所の端に立ててある屏風の上の辺りに、影が沢山あるように見え、物の怪の足音がひしひしと踏み鳴らしながら、後ろから近寄って来るような気がしました。(惟光よ、早く来て欲しい)とお思いになりながらも、夜どこにいるのか分からない男をあちこち尋ねあぐんでいる間、夜が明けるまでの長さは、千夜を過ごす気持さえなさいました。
 ようやく夜が明け、にわとりの声が遠くに聞こえる頃になりました。(命をかけた如何なる縁でこんな目に遇うのだろう。わが心ながら、女性関係に不注意な罪の報いとして、過去将来に前例となるような事件を起こしてしまったようだ。いくら隠しても、世間によくある事と漏れて、帝の耳に入るであろう。人々の評判になり、悪い子供達の噂になるに違いない。あげくの果て、馬鹿げた評判を取るだろう……)などと、思い巡らせておいででした。

 ようやく惟光がやってきました。一日中、源氏の君の御意に従うべき者が、たまたま今夜に限って居合わせないで、さらに呼ばれても来るのが遅いし、源氏の君は惟光を憎いと思っておられましたが、とにかく急いでご寝所に呼び入れました。けれども説明しようにも、どう言って良いか分からずに、急に何も言わなくなってしまわれました。 
 右近は惟光が来た気配を聞いて、この恐ろしい出来事を思い出して、泣き伏してしまいました。
源氏の君はご自分では気がはっていて、女君をしっかり抱いておられましたが、惟光にほっと一安心なさって、やっと悲しいことを思い出され、しばらくの間、止めどもなくお泣きになりました。やや気持を抑えて、
 「ここに、驚いたと言うにはあまりの出来事。こんな急な時には、誦経させ、願など立てさせようと、阿闍梨(あじゃり)を呼んだのに、どうしたのだ」
 「昨日、比叡山に御参りに行きました。誠に大変なことでございます。女君には、普段と違って、気分がすぐれぬご容態でも見えたのでしょうか」
 「そんな様子はありませんでした」と、お泣きになる源氏の君のご様子は、大層美しくございました。これを見た惟光も大層悲しくて、自分もよよと声を上げて泣きました。とは言っても、年をとって世の中の様々なことに慣れている人ならば、何かあった時には頼もしいけれど、ここにいるのは、いずれも若い者ばかりでどうしようもありません。
 「番人に相談することは、まずいだろう。番人だけなら、源氏の君と親しくあるだろうが、うっかり言い漏らしそうな親族もいることだろう。 まず源氏の君は、この院をご退出ください……」と惟光が申し上げますと、
 「さて、ここより人の少ない所がどこにあるだろう」と仰せになりました。
 「ごもっともでございます。女君の住まいは、女房などが悲しみに耐え切れず、泣き惑うことになりましょう。隣と接近しているので、聞きとがめる住人も多くいるでしょうから、自然に評判になってしまいます。山寺こそ、こうした弔い事がいくつもあって、紛れてしまいましょう」と惟光は考えて、
 「昔会った父の乳母が、すっかり年老いて尼になり、東山の山寺に住んでおります。辺りは人がいるようですが、篭に囲まれたように、ひっそり孤立しています。ひとまずそこへ、女君の亡骸をお移ししましょう」と申しました。
 

(夕顔の亡骸を……)
 明け方の薄暗がりに紛れて御車をお寄せました。源氏の君は、女君を抱き上げることが出来ないようなので、上敷に押し包んで惟光がお車にお乗せしました。亡骸は大層小さく、気味悪いこともなく、愛らしげでございました。源氏の君は黒髪がこぼれおちるのをご覧になって、涙で見えなくなるほど悲しいと思われ、せめて最期を見届けようとなさいましたけれど、惟光はこれをさえぎり、
 「急いで二条院へお帰りください。人が騒がしくならぬ前に……」と、源氏の君に馬を差し上げて、お帰りを促しました。
 惟光は右近を女君のお車に乗せると、袴の裾を紐で引き上げ身支度いたしました。みっともなく思いがけない野辺送りではございますが、源氏の君の悲しむ様子を見ると、自分はなりふりかまわず、徒歩で東山に向かうことにいたしました。
 源氏の君は茫然として、自分か他人かもわからぬ様子で、二条院にお着きになりました。
 
 二条院の人々は「いずこよりお帰りになりました。随分お辛そうにお見受けしますが……」と申しましたが、源氏の君は寝室の御帳の中にお入りになったきり出てきません。胸を押さえて女君のことを思い出されますと、大層悲しくなられて(どうして亡骸に乗り添って、寺について行ってやらなかったのか、もし生き返った時に、女君はどんな気持がするだろう。見捨てて別れて行ったと、うらめしく思うだろう)と、途方にくれた中で思うと、胸が締め付けられる心地がなさいました。頭が痛く、身体が熱く気分が悪くなられましたので、このように病みついて、自分も死んでしまうようだとお苦しみになりました。
 日が高くなっても、お起きになりませんので、人々が心配して、お粥などお勧めしました。けれども光君はただ苦しくて、大層心細く思っておられました。そんな時に内裏よりお使いがありました。帝は、昨日源氏の君をお捜しになりましたけれど、見つけることができなかったので、大層ご心配なさいました。左大臣家の君達も参りましたが、頭の中将だけに、御簾の内から仰せになりました。 「この五月頃から、重く患い尼になっている乳母が、一時は回復しましたのに、この頃また弱くなりましたので、今一度見舞ってほしいと頼まれました。幼い時から慣れ親しんでいましたので、死ぬ時に薄情と恨むだろうと考え、お見舞いに出かけましたが、その家の使用人が急に病気になり、邸を出ることができないうちに亡くなりました。私に遠慮して、日が暮れてから亡骸を取り出しましたので、九月で神事の多い時期に、宮中に迷惑をかけてはいけないと、参上することを控えておりました。更にこの明け方から咳が出て、頭が痛く、大変ご無礼を申し上げました」 
 「そうなら、帝にそう申し上げましょう。夕べ雅楽の会で、源氏の君を捜させたのですが見つからず、ご機嫌が悪くおいでです」と、中将は申し上げて、さらに、
 「いかなる汚れにお触れになったのでしょうか。ご説明が言い訳に聞こえて、本当とは思えませんが……」 源氏の君は胸つぶれる思いがして「そんなに細かに言わないで、ただ思わぬ汚れに触れたと申しなさい。全部説明する必要などありません」とつれなく申しましたが、心の中では悲しい事を思い出して、お気持も悩ましく、人と目も合わせずにおられました。宮中の蔵人の弁をお呼びになり、細やかに事の次第を帝にご報告させなさいました。左大臣などにも参上できない旨、消息をご報告なさいました。

 日暮れて惟光が帰ってきました。二条院には汚れ事があると言っておいたので、訪れる人も皆ちょっとしてすぐ帰りますので、人々も多くおりません。源氏の君は惟光をお呼びになり、
 「姫君はどうなったのか、最期をみとったか」と問いながらも、袖に顔を押しあてお泣きになりました。惟光も泣きながら、
 「今は、もう生き返りそうもないように見えました」。長々と側に篭もるのも不都合と思い、明日こそ御葬儀に適当な日なので、知り合いの尊き老僧に、あれこれ相談してまいりました」と答えました。
 「右近は、どうしたのか」とお尋ねになりますと、「右近は、これ以上生きて行けそうもなく見えました。自分も遅れじと、今朝は谷に自ら飛び込んでしまいそうでした。彼女が、夕顔の家の人に連絡を取りたいと申しましたが、しばらく気を静めて、事の様子を思い巡らしてからになさいと宥めておきました」と申し上げると、源氏の君は大層悲しくなられて、
 「私もとても辛くて生きていけないと思う……」と仰せになりました。
 「今さら、何を思い悩んでいらっしゃいますか。こうなるように万事があったのです。これが夕顔の運命だったのです。他人に漏らすまいと思えばこそ惟光が自分で万事手配したのです」
 「そうだなぁ、自分もそう思うようにしているのだが、そうとは言え、私の浮ついた心の戯れのために、人を死なせてしまったことで、他人から非難を受けるのが、大層辛いのです。惟光の妹に話してはなりません。特に乳母の尼君には、このような事にはやかましいので、知られたらどんなに心恥ずかしいことだろう」と口固めをなさいました。
 「その他の法師たちにも、本当のことは申しておりません」これをお聞きになって源氏の君は、
惟光を心から信頼なさいました。
 二人が話しているのを立ち聞きしていた女房が、汚れのこともあって宮中にも参上せず、ひそひそ話しながらお嘆きになるのを、一体、何事があったのかと怪しんでおりました。
 「万事、手落ちのないように……」と葬儀の作法などを指示なさいましたが「何をそんなに尽 くしなくても良いでしょう」と惟光が立ち上がりますと、源氏の君は大層悲しく思われて、
「不都合な事と思うだろうが、今一度、かの亡骸を見ないのでは大層心残りなので、馬で行ってみようと思う」と仰せられました。惟光はもってのほかと思いましたが「そうお思いになっては、いたしかたありません。すぐお出かけになって、夜更け前にお帰りください」と申し上げました。


(夕顔に最後の別れを……)

 源氏の君は、お忍び用に誂えた狩の装束に着変えてお支度なさいましたが、ご気分が大層悪く耐え難くお思いになりました。その上、こういう不気味な道に立ち出でても、危いことには懲りていらっしゃるので、行くのをやめようか等とお迷いになりましたが、なほ悲しみのやり場がなく、ただ夕顔の亡骸を見ないでは、またいつの世に、在りし日の愛しい姿を見ることができようかと、辛さを我慢して、いつもの髄身を従えてお出かけになりました。

 道のりが遠く思えました。十七日の月が出ている中、鴨川の河原をお通りになりましたが、松明の灯りもほのかに、火葬場の鳥辺野の方を見ても、とくに不気味ともお思いになりません。乱れた気分のまま、やがて寺にお着きになりました。
 辺りも気味悪く、板屋の傍らに堂を建てた尼の住まいは、大層もの寂しい様子でした。板のすき間から御灯明(仏前の灯火)の影がちらちら見えました。その板屋には、右近が一人泣く声のみして、外の方には、二、三人の法師が、小声で念仏を唱えていました。夜も八時頃になり、各寺の勤行はすっかり終り、ひっそりしておりました。唯、清水の方だけが光が多く見えて、人の気配が賑やかに見えました。ここの尼君の息子である大徳が尊い声で読経していますので、源氏の君は涙を残りなくと思える程にお泣きになりました。
 板屋の中に入れば、灯りが亡骸から背けて置いてあり、右近が屏風を隔てて、辛そうに臥していました。亡骸はそんなに恐ろしげでもなく、大層愛らしい顔つきをして、まだ生きているようにさえ見えます。源氏の君は、その手を握って「私にいま一度声を聞かせてください。いかなる前世からの縁でしょうか。少しの間心を尽くし愛しく思えたのに、私を捨てて死んでしまわれるとは、心悩ませるなんと悲しいことでしょう」と声を惜しまずお泣きになりました。大徳たちもどなただろうと怪しみながらも、皆、涙を落しました。
 右近に「さぁ、二条院へ帰りましょう」と仰いましたが、「長の年月、幼い頃からお仕えし、片時も離れず慣れ親しんだ人と急にお別れして、どこに帰れましょう。姫君がどうなったと人に話したら良いのでしょう。こんなに悲しいことを人に言い騒がれるのは辛いことです」と言って泣き「煙と一緒に私も消えてゆきとうございます」と申しました。
 「世の中にはこんな事もあります。別れというものは悲しいものです。先に死ぬも後に死ぬも命に限りはあるものです。私を頼りに思い、二条院においでなさい。そうは言っても、このわが身こそ
生きとまる心地がする」と頼りないことを仰せになりました。
 「夜が明けてまいりました。早く帰りましょう」と惟光が促しますので、胸もふさがる思いで、寺をお出になりました。

 道は大層露が降り、朝霧が深く立ちこめて、いずこにか迷い込んだ気持がなさいました。夕顔がまるで生きているように臥せている亡骸の様子や、一緒にかけておやすみになったご自分の紅の御衣が、そのまま夕顔に着せかけてあったのを思い出されて、いかなる縁だったのかと道すがらお思いになられました。馬にしっかりお乗りになれない様子なので、惟光が添い助けておりますのに、川の堤の辺りで、馬から滑り落ちてしまわれました。大層心も乱れて、
 「こうした道の途中でさすらい死んでしまうのだろうか。とても自分の家に行き着くことができないような気がします」と仰るので、惟光も気持が混乱して(私がしっかりしていなければ……。源氏の君がどう仰せになろうとも、こんな道にお連れすべきではなかった)と思いました。動揺する心を静めようと、川の水で手を洗い、清水の観世音をお祈り申しましたが、どうしようもなく、ただ途方にくれておりました。源氏の君も強いてわが御心を励まされ、心の中に仏を念じながら、どうにか助けられて、二条院へお帰りになりました。

(源氏の君は病床につかれ……)
 それから源氏の君は病床につかれて、大層苦しまれ、二、三日うちにすっかり衰弱なさいました。内裏でも、それを聞いて限りなくご心配になり、御平愈の御祈祷がしきりと催されました。祭、被、修法など、言い尽くすすべもありません。世に類 なく、怪しいまでにお美しいご様子なので、ご短命なのではないかと、人々が皆心配しておりました。源氏の君は苦しいお心持の間にも、右近をお呼びになり、局などを近くにお召しになりました。惟光は動揺してうろたえながらも、強いて心落ち着け、右近が頼りない様子なのを励ましながら、ここで奉公するように仕向けました。
 源氏の君は、暇がある時には右近をお呼びつけになって、御用を申し付けなさいますので、ほどなく、右近は皆に混じって、住み着くようになりました。大層黒く染めた喪服を着て、顔だちなど美しい人ではないけれど、特に見苦しくない女房でございました。
 源氏の君は「不思議なほど短かった御契りに引き裂かれて、私も生きていられそうになく思われるのです。長年、頼みに仕えていた主人を亡くし、心細く思う貴女の慰めとして、私がもし永らえれば、いろいろ面倒を見てあげようと思っていたのだが、ほどなく私も後を追って逝きそうなのは、残念なことです」と、忍びやかに仰せになって、弱々しくお泣きになりますので、右近はもう返らぬ人はさておき、源氏の君の御身の上を大層もったいなく思うのでした。
 
 内裏からの御遣いは、雨脚よりもしきりにございました。帝がご心配なさっていることをお聞きになって、源氏の君は強いて気を取り直しなさいました。大殿も毎日お見舞においでになりさまざまに御気遣いなさった甲斐があったのでしょうか。二十余日の日数がたつと、大層重く患っておられましたのに、格別の余病も引き起こすことなく、快方に向かわれるようでございました。
 汚れを忌んでおられた日数(三十日)の満つる夜に、源氏の君は病気も治られましたので、内裏の宿直所に参上なさいました。大殿はご自分の御車でお迎えなさり、御物忌みのことを何かとやかましくお潔めになりました。源氏の君には悪夢の去った心地がなさり、しばらくの間、新しい世に生まれ変わったようにお思いになりました。
 九月三十日の頃には、すっかり御回復なさいまして、ひどく面やつれなさいましたものの、かえって美しく物思いに沈みがちで、声に出して泣いてばかりでございました。そのご様子を見咎める人もあり、「もしや物の怪がついたのではないか」などと言う者もあるほどでした。

 のどかな夕暮に、源氏の君は右近をお呼びになって、世間話などなさいました。
 「まだ私には不思議に思えるのです。なぜあの夕顔は、身分を隠していたのでしょう。本当に海人の子だったとしても、こちらの気持を知らないで、心隔てをお置きになったのは辛いことでした」と仰せられれば、
「何でお隠しになることがありましょう。格別の理由もありません。お名前を明かす暇もなかったのでございます。はじめからこの契りは、うつつのように思われるとおっしゃって、源氏の君がご自分の名を隠しておられたことを、尊いご身分から当然なことと思いながらも、この逢瀬を真剣にお考えでないためであろうと、辛く思っていらっしゃったのです」と答えました。
 「お互いつまらぬ意地の張り合いをしたものだ。私は隔てる心はなかったのだが……。内裏の慣習や、はばかるべき事の多い身の上では、人に戯れ事を言っただけでも、すぐ大袈裟になり、批判を受けることになるのです。けれど夕顔に出会ったあの夕べから、不思議に面影が心にかかって、こうなる縁だったと思うと何とも哀れで、また思い出して辛く思われます。こんなに短い契りだったのに、どうしてあんなに心にしみて愛らしい方だったかのと感じられるのです。もっと詳しくあの方の事を話してください。七日七日に仏を書かせて、あの方の為に心の中で祈っています」

 「今日は何のお話をしましょうか。ご本人が忍び暮らしていらっしゃいましたのを、お亡くなりになってから後にしゃべるのは、口さがなく思われます。親達を早く亡くされ、お父君は三位中将と言う方でございました。大層可愛がっておいでになりましたが、ご自分の御運の心許ないのをお思いになるうちに、命さえ亡くしてしまわれました。
 ふとした機会から頭の中将がまだ小将でおられました頃に、姫君をお見初めになりまして、三年ばかり志篤く通っていらっしゃいましたが、去年の秋頃、あの右大臣殿から大層恐ろしいことを申しこされました。むやみに物おじなさるご性格ですので、どうにも怖くなられて、西の京に乳母が住んでいましたので、そこに這い隠れてしまわれました。
 そこはあまりにも見苦しく、山里へ移ろうとお思いになりましたが、今年から方角が悪く、方違えのために、あのむさ苦しい夕顔の咲く宿に住んでおられたのでございます。そこを源氏の君がお見つけになりまして、姫君は大層お嘆きになっておられました。世の人に似ず、とても慎み深く、人に恋をなさっても、悟られるのを恥ずかしいと思われ、つれなく振る舞っていらっしゃいました」と話しますので、いよいよ哀れさも勝りました。
 「子供を行方知れずにしたと、頭の中将が悲しんでいましたが、そういう子がいたのですか。」
 「たしかに一昨年の春、お産みになりました。女の子で大層愛らしい子でございました。」
 「さて、その子は今どこにいるのか。人にはそれと知らせないで、私に預からせてくれないか。
儚く亡くなってしまわれた方の形見として、引き取ることができたら、どんなに嬉しいであろう」と仰せになり、さらに「あの中将にも伝えたいけれど、つまらぬ恨みと受け取るかもしれない。何にもまして、育てて罪がある訳はなし、その乳母などに巧く口実をつけて連れてきてほしい……」とお話しになりました。
 「そうならば嬉しいことでございます。あの西の京にて幼い子がお育ちになるのはお気の毒です。あれこれとお世話をする人がいませんので、あそこに預けたのでございます」と申し上げました。

 夕暮の静かな時に、空の景色もあわれ深く、お庭の前栽の枯れた中に虫の声も鳴き枯れて、紅葉が次第に色づく様子が絵に書いたように風情がありました。秋の趣き深い庭を見渡して、右近は心から(結構な宮仕えをするようになった……)と思い、あの夕顔の宿りを思い出して恥ずかしく感じるのでした。
 源氏の君は、かの院で竹薮の中の家鳩が鳴くのを気味悪がった女君の、愛らしかった面影を思い出して「年はお幾つになっておられたのか。普通の人に似ず弱々しく見えたのも、長生きの出来ない方だったのか……」と仰せになりました。
 「十九になられましたでしょうか。私は亡き乳母が捨ておいた子供で、三位の中将が可愛がって下さり、傍を離さず育てて下さいました。その恩を思えば、どうして生き残っていられましょう。頼りなさそうにしていました姫君のお傍で長い年月暮らしてきたのですから……」とお答え申しました。
 「はかなく頼りなさそうなのが、女は愛らしいものだ。女はただ柔和で、人に騙されそうで、さすがに慎ましく夫に従うのが可愛いものだ。そういう人を自分の思うように教え直したら仲よく暮らせると思う」と仰せになりますと、
 「その好みによく当てはまった方と存じますにつけても、口惜しいことでございます」と言って泣きました。

 空がいつの間にか曇って、風が冷たくなってきました。源氏の君はあたりの景色を大層しみじみ眺めなさいまして、

   見し人の煙を雲とながむれば、夕べの空もむつましきかな

と独りごとを仰せになり、亡き夕顔が今ここにいらしたら良いのにと、胸がふさがったように、苦しくお思いになりました。夕顔の宿で、あの晩耳やかましかった砧の音を思い出して恋しく思われ、『正長夜』をうち誦してお寝みになりました。
 
 夕顔の四十九日を人目を忍んで、比叡山の法華堂で、諸事を省くことなく行なわれました。装束をはじめ総てに手落ちなく、誦経や佛の飾りなども疎かにすることなくおさせになりました。惟光の兄の阿闍梨は大層尊い人なので、すべてつつがなくお勤めになりました。源氏の君は学問の師で親しくしている文学博士をお呼びになって、願文を作らせなさいました。誰とは書かず、「亡くなった愛しい人を阿弥陀仏の手にお任せします」という文を哀れげに書いてお見せしますと、
 「このままで、つけ加えることはありますまい」と仰せられ、源氏の君が人目を忍んで涙をこぼされて、ひどく悲しそうにしておられますので「一体どなたが亡くなられたのでしょう。こうまで源氏の君をお泣かせするのは、何と宿世の運の優れた方なのか……」と博士は心打たれておられました。
 源氏の君は、密かに調ぜさせた装束の袴をおとり寄せなさいまして、

     泣くなくも今日はわが結う下紐を いづれの世にかとけて見るべき
         
     (訳)  今日は泣く泣く供養をし、来世の契りを結ぶにつけても、いつの日か
          再び打ち解けて逢うことが出来るのだろうか。
 
 この頃まで魂が空に漂っていますので、(どちらの道へ行くことに定まるであろうか)と思いをはせながら、源氏の君は心をこめて念誦をなさいました。
 頭の中将をご覧になるたびに、訳もなく胸騒ぎがなさって、幼い姫君が生い育っていることを知らせたいと思うのですが、恨まれるのが恐ろしくて、言い出すことはなさいません。
 あの夕顔の宿の人々は、姫君がどこへお出ましになったのかと案じながら、捜しあてることも出来ません。右近さえ訪れることもないので、あれこれ心配をしています。連れ去ったのは、源氏の君ではないかと噂しあったこともありましたが、惟光を責めてみても、まるで関係ない素振りで、そんな気配もなく、言いはぐらかしてしまいますので、もしや色好みの受領の男が、頭の中将を憚って、そのまま田舎に連れて行ったのではないかとも考えてみたりしました。
 この家の主は西の京の乳母の娘でした。子供は三人あり、右近は人の子でしたから、分け隔てしてご様子を知らせないのだと、泣いて恋しがっておりました。右近の方は、皆から騒がれるのを恐れていましたし、源氏の君も今さら事が漏れないように隠していらっしゃいましたので、若君(夕顔の遺児の姫君)の身の上を聞くこともできません。ただ行方の解らないまま、時が過ぎていきました。
 
 源氏の君は夕顔の面影を夢にでも見たいと思っていましたが、この法事を済ませたあくる夜、あのいつぞやの院の光景もそのままに、枕元に女の姿があの時と同じに現われました。(さては荒れ果てた所に住んでいた魔物が、自分に魅入ったついでに、あんなことを引き起こしたのか……)と薄気味悪くお思いになりました。

 今日はもう立冬の日になり、うち時雨る空の景色も哀れです。源氏の君は、終日物思いにふけってお暮らしになりました。

      過ぎにしも けふ別るるもふた道に 行く方知らぬ秋の暮れかな

      (訳) 亡くなった夕顔も、今日別れる空蝉も、二人それぞれの道をどことも知らず
          行ってしまった。自分は取り残され途方にくれている。この秋の暮に……

  源氏の君はこういう人目を忍ぶ恋は苦しいものだと、しみじみお解りになったことでしょう。

                                     
( 終 )

源氏物語「夕顔」(第四帖)
平成九年晩秋 WAKOGENJI(訳・絵)  

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