やさしい現代語訳

源氏物語「紅葉賀」(もみじのが)第7帖

(源氏の君18歳、藤壷23歳、葵上22歳、紫上10歳の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む


 朱雀院(すざくいん)への行幸は、十月十日過ぎに催されます。通常と違って大層興味深い催しなので、女御(にょうご)や更衣(こうい)たちは皆、この雅楽をご覧になれないことを大変残念がっておられました。帝 も藤壷の宮がご覧にならないのを、物足りなくお思いになって、この舞楽の予行演奏を、清涼殿 (せいりょうでん)の前庭で行うことになさいました。源氏の君は「青海波(せいがいは)」を舞われました。その舞の相手として、左大臣家の頭中将 (とうのちゅうじょう) が舞われましたが、この中将は容貌や心配りなど、大層優れておられますが、源氏の君と立ち並んでは、美しい花の側 (かたわら) の深山の木のようでございました。
 西に傾く夕日の光が鮮やかに差し込む中で、楽の音が一段と高まり、趣もこみ上げてくる頃、源氏の君の足拍子・お顔だちの美しさは、この世に類の無いほどで、泳吟なさるお声は、極楽浄土に住む頻伽迦陵(かりょうびんが・美しい鳥)の声だろうかと聞こえました。誠に素晴らしく趣き深いので、帝は感涙をお拭いになり、上達部(かんだちめ)や親王(みこ)たちも皆感涙を流されました。泳吟が終わって源氏の君が舞の袖を直しておられます間、楽の音が一層賑やかになり、源氏の君のお姿が一層映えて美しく光る君と輝いて見えました。
 春宮の母・弘徽殿(こきでん)の女御(にょうご)は、源氏の君がこのように素晴らしいにつけても、心穏やかでないと妬ましくお思いになって、
「神などが空で、源氏の君に惹かれてしまうほどのご容貌です。おぉ嫌だ。気味が悪い」と仰るので、若い女房などは、その嫉妬心を情けないことと聞き咎めておりました。

 藤壷の宮は、源氏の君への身のほど知らずの恋心さえなかったら、そのお姿が素晴らしく見えたのにとお思いになり、なほ忍んで心から愛しく夢心地におなりでございました。
 試楽も終わり、藤壷の宮には、今宵、帝の御宿直(とのい)でございました。
 「今日の試楽は「青海波」の素晴らしさに尽きましたね。貴女はどうご覧になりましたか」と帝がお尋ねになりますと、藤壷の宮は、きまりが悪くてお答えをし難く、
 「格別でございました」とだけ申し上げました。
 「相手役(頭中将)も悪くはないと見えましたね。舞の仕方や手使いが、さすがに名門の子は違うものです。この世に評判の高い舞人たちも素晴らしいけれど、あのように優雅な美しさを表すことはできないようだ。予行の日にこのように実力を出し尽くしてしまったので、本番の日、紅葉の木陰で行う舞楽は物足りないと思われるが、貴女にお見せしたい一心で用意させたのですよ」と帝は仰せられ、藤壷の宮を心から愛しくお思いでございました。
 源氏の君から藤壷の宮にお手紙がありました。
 「どうご覧になったでしょうか。今までにないほど乱れた想いのまま舞いましたが……」

   物思うに 立ち舞ふべくもあらぬ身の 袖打ち振りし心知りきや

     (訳) 貴女を想うために舞うこともできない我が身が、一心に袖を振って舞いました。
         私の想いを知って下さったでしょうか。 

 見るも眩しい源氏の君のお姿やご容貌を、藤壷の宮も忍ばれずご覧になったようでした。

    唐人の袖振ることは遠けれど、立ち居につけて哀れとは見き

     (訳) 唐の人が袖を振って舞ったという故事は遠い昔のことですが、
         貴方の舞の立ち居につけて、しみじみ感じ入りました。        

お返事にそうありますのを、源氏の君はこの上もなく愛しくお感じになって、(藤壷の宮はこのような方面さえよく心得ておられ、お詠みになった歌は、すでに皇后様に相応しい品格がある)と微笑まれて、このお手紙を大切に持経のように広げて見入っておられました。

 行幸の当日には、皇太子もおいでになり、宮中をあげて親王など残らずお仕え申しました。いつものように、楽を奏する船などが池を漕ぎ巡り、唐楽や高麓楽などを揃え尽くした舞楽を奏する管弦や鼓の音が、この世を鳴り響かすようでした。
 先日、夕日に映えた源氏の君のお姿が、あまりにも素晴らしかったので、帝は(鬼神に魅入られ早死しないか)と不安にお思いになって、御誦経などをおさせになりましたので、それを聞いた人々は尤もなことと案じ申しましたのに、春宮の女御(弘徽殿)は、それは異常なこととお恨みになっておられました。
 
 垣代(かいしろ・青海波の舞楽の楽人)には、殿上人や地下人から、特に優れていると評判の名人だけを選んで、お集めになりました。舞の師匠なども、特に優れた者を招き、各々家に篭って、練習したのでございます。宰相 (さいしょう) である左衛門の督(かみ)と右衛門の督の二人が左楽と右楽を行いました。紅葉の木陰で四十人の垣代は、言葉に表せないほど素晴らしく、また楽の音に併せて吹く松風の音は、本当の深山おろしと聞こえる程に吹き乱れ、色とりどりに散り交じる木の葉の中の「青海波」の美しさは、実に恐ろしいまでに見えました。源氏の君の頭飾りの紅葉が散ってしまい、お顔の美しさに圧倒された感じもするので、左大臣が御前の菊を手折って頭飾りを差し替えなさいました。日の暮れかかる頃に少々時雨が降って、空の様子さえ感涙を流している様でした。菊の花の包が色変わりした美しい頭飾りを挿した源氏の君のお姿に、手を尽くして舞われた入綾の趣は、ぞっと寒気がするほど美しく、この世の事とも思えない程でございました。知識のない下々の者や、木の下や岩陰の葉に埋まって見る者どもでさえ、皆、感涙を流しました。
 承香殿 (しょうきょうでん) の女御のお生みになった第四皇子は、まだ童(元服前)ですのに、秋風楽 (しょうふうらく)を見事に舞われましたのが、青海波の次の見物(みもの)でした。これら二つの舞楽に興味が尽くされてしまったので、他の事には目も留まらず、かえって興を冷ますことになったようでございました。
 その夜、源氏の中将は正三位になられ、頭中将は正四位に御昇格なさいました。上達部(かんだちめ)は皆相応の昇進をされましたが、これも源氏の君の昇進にひかれた事ですので、舞で人の目を楽しませ、昇進で人を喜ばせる、この源氏の君の前世の御徳を知りたいものでございます。

(藤壷の宮は宿下がりをなさり……)
 藤壷の宮は、その頃体調が優れませんので、宮中をご退出になっておられました。いつもの通り源氏の君は愛しい藤壷の宮にお逢いできる機会もあろうかと、様子を伺って歩き回っておられますので、左大臣(義父)は大層ご心配なさっておられました。その上、幼い若草の君(若紫)をお引き取りになったことを、
 「二条院に女性をお迎えになりました」と誰かが伝えましたので、ご正室・葵の上は大層不愉快にお思いでした。内々の事情をご存知ないので、そうお思いになるのは当然なのですが、葵の上が心素直に恨み事をおっしゃれば、源氏の君も全てをご説明して誤解を説き、お慰め申し上げようものを、思いもよらぬ解釈ばかりなさるので、不快にお思いになりました。それ故、遂あってはならない浮気というお振る舞いもでてしまう様です。葵の上へのお気持ちには、特に不満に思うような欠点もございません。まして他の誰よりも先に、お互いを夫婦として考え始めましたので、源氏の君は大切に愛らしく想っていますのに、葵の上にはその心をお分かり頂けないようでございます。ただ、葵の上の穏やかで思慮深いご気性からして、自然にそのうちには思い直して下さるだろうと信頼するご様子は、やはり他の女性に対する心とは、全く異なっておりました。

 一方、二条院の幼い姫君は、大層優れたご性質・ご容貌で、慣れるにつれて、ごく自然に懐ついて源氏の君にまとわりつきなさいました。暫くの間、源氏の君は(殿内の人にさえも、姫が誰とは知らせまい)とお思いになって、対屋にこの上なく調度を整えさせて、ご自分も明け暮れこちらにおいでになりました。そして姫君に様々な事をお教え申し上げようと、お手本をお書きになり、字を習わせ等しながら、まるで今までよそに預けていた自分の娘を、お引き取りになったかのように、愛しくお思いになっておられました。家政を管理する政所(まんどころ) や家司(けいし)なども、特に姫君のためにお決めになって、不安もなく仕えさせなさいました。家来の惟光(これみつ)やそれ以外の人々は、理由も分からず不審に思っていました。あの父宮(兵部卿宮・ひょうぶきょうのみや)にさえも、姫君の事は全くお知らせなさいませんでした。
 姫君はやはり時折、昔の事を思い出され、亡き尼君を恋い慕いなさいました。源氏の君がおいでの時には、気を紛らわしていらしゃいますが、日が暮れて、源氏の君がここかしこの女性の訪問に忙しくお出かけになりますのを、姫君が後を追いなさいますので、それを大層可愛らしいとお感じでございました。源氏の君が二、三日宮中にお出かけになり、更にご正室(葵の上)のおられる左大臣邸にもおいでになる時は、姫君は大層ひどくふさぎ込んでしまうので、可哀想で、まるで母なき子を持ったような気がして、女性の所へ忍んでお出かけになることも難かしいようにお思いになりました。
 僧都は姫君がこのようにしている事をお聞きになって、あり得ない事と驚きながらも、大層嬉しくお思いになりました。あの尼君のご法事などなさる時にも、源氏の君は大層立派にお弔 なさいました。  

 藤壷の宮がご退出なさっている三条の宮邸に、源氏の君が宮のご様子も慕わしく参上なさいますと、王命婦(おおのみょうぶ) 、中納言の君、中務 (なかつかさ)などという女房たちがご対面なさいました。(直接に藤壷の宮とお逢いしたいのに……)と心の中は穏やかではないのですが、心を落ち着けて大方の話など申し上げているうちに、兵部卿の宮(藤壷の兄)が参上なさいました。源氏の君がこちらにおられると聞いて、おいでになったのでした。。兵部卿の宮が大層奥ゆかしいご様子で、艶やかでなよやかでおられますのをご覧になって、源氏の君は(この方を女にしたら素晴らしいに違いない……)と、心密かにお見立て申し上げながら、いろいろ親しくお思いになって、心をこめてお話しなどなさいました。兵部卿の宮も源氏の君のご様子が、いつになく心親しく打ち解けなさいますので、実に素晴らしいとお見立てなさって(この方を女にして逢ってみたいものだ……)と、好色な気持ちでお思いになっておられました。娘(若紫)の婿になどとは、全く思いつきもなさらないようでした。

 日が暮れますと、兵部卿の宮が、妹・藤壷の宮の御簾の中にお入りになりますので、源氏の君は、羨ましくお思いになり、昔は父帝のお計らいで、間近で直接にお話しできたのに、今は藤壷の宮がこの上なくお避けになりますのを、とても辛い事とお思いになっておられました。
 「度々お伺いすべきですが、大事なご用がない時には足も遠のいております。しかるべき御用事があります折には、ご命令もございましたなら、嬉しいことでございます」などと堅苦しく仰って、宮邸をご退出になりました。
 王命婦も手を尽くし、お二人をお逢わせしようとするのですが、その方法もありません。藤壷の宮のご様子も、昔よりは一層辛そうで、源氏の君に対して心解けぬご様子でいらしゃいますので、王命婦自ら気がひけて、お二人がお労 しいまま、なんの甲斐もなく時は過ぎていきました。儚い縁だったのかと思い乱れることが尽きないお二人でございました。

 幼い姫君に付き添って、二条院に移り住むようになった少納言は(思いがけず素晴らしい思いがする毎日ですが、これも故尼君が姫君の将来をご案じになって、勤行にと大層お祈りをなさいましたので、御仏の御利益(ごりやく)なのでしょう。しかし左大臣の姫君(葵の上)は、大層尊いご身分の方でいらしゃいますし、源氏の君があちこちに多数の女性に関わり合いなさいますのを考えますと、幼い姫が本当に大人になられます頃には、面倒な事になろうか……)と不安に思われました。けれども源氏の君の格別に強いご寵愛は、幼い姫君にとって、大層頼もしいほどでございました。
 服喪は母方の場合三ヶ月ですので、十二月には姫君の喪服をお脱がせする習慣ですが、特に親もなくお育ちなさいましたので、今もなお、眩い色目ではなくて、紅や紫、山吹色などの紋のない無地の織物の御小袿(こうちぎ)などを着ていらしゃる姫君のご様子は、今風で、かえって愛らしげでございました。
 
 源氏の君は、元旦の朝拝に参内なさる前に、姫君の部屋をお覗きになりました。
 「今日からは大人っぽくお成りでしょうか」と微笑まれるお姿は、実に麗しく魅力溢れるご様子でございました。
 姫君は新年早々、雛 (ひいな・人形)を立ち並べて、遊んでいらっしゃいました。三尺の御厨子(みずし・置棚)にいろいろな道具を飾り並べて、更に源氏の君が作り集めて差し上げた、幾つもの小さな家などを、所狭しと広げて、散らかしてお遊びになっていらっしゃいました。
 「鬼払いをすると言って、犬君(いぬき)がこれを壊してしまいましたので、繕いましたの……」と、いかにも大事になさっておられる様子です。源氏の君は、
 「本当に心なき人の仕業ですね。今すぐに直させましょう。今日はおめでたい元旦ですから、お泣きになってはいけませんよ」と仰って、宮中にお出かけになるお姿は誠に素晴らしく、女房たちが端に出てお見送りしますので、姫君も立ち出てお見送りなさいました。それから人形の源氏の君を着飾って、内裏に参内させて遊んでいらっしゃいました。
 少納言は「せめて今年からは少し大人におなりなさいませ。十歳をすぎた人はもう雛遊びはしませんのに……。このように、男君にお世話になっているのですから、奥様らしく、しとやかに、お振る舞いなさいませ。今でも髪をとかすことを嫌がりなさいますとは……」など申し上げました。姫君が「遊びにばかり熱中なさるのは、恥ずかしい事」とお教えしようと、そう申し上げましたのに、姫君は心の中で(それでは、私は夫を持ったのだわ。周りの女房たちの夫は見苦しい人なのに、私はこんなに若く美しい源氏の君を夫に持ったのだわ……)と、今やっと初めてお気付きになったのでございました。そうお気付きになったのもお年を召された証拠のようでございます。このように幼いご様子が何かにつけて目立ちますので、二条院の内部の人々も妙だとは思っていても、まさかこんなに幼い姫が添い寝のお相手とは、誰も思ってもいないようでございました。

(源氏の君は左大臣邸においでになり……)
 源氏の君は、内裏をご退出なさって、左大臣邸においでになりましたのに、葵の上はいつものようにきちんと取りすまして、打ち解けないご様子で愛らしい素振りもなさいません。源氏の君は気詰まりにお感じになり、
 「せめて今年からでも、少し世間並みの夫婦らしくなさるように、お改めになるお気持ちが見えたならばどれほど嬉しい事でしょう」などと仰せになりましたが、葵の上は、源氏の君が二条院に女性をお迎えになって、ご寵愛なさっているとお聞きになってからは(その女性をご正室にお決めになるのだろう……)と、ことさら、こだわりをお持ちになって、なほ一層疎ましく気詰まりにお思いのようでした。けれど強いて素知らぬ振りをなさっても、源氏の君が打ち解けたご様子で話しかけられますと、強情ではいられずに、穏やかにご返事などをなさる様子は、やはり格別に優れたお人柄のようでございました。源氏の君より四歳年上ですので、年上の風格があり、いかにも女盛りでこの上なく美しくお見受けいたします。(何かひとつでもこの姫に欠点があるのだろうか、自分自身の浮気心のせいで、このようにお恨みになるのか……)と、源氏の君は今お気づきになりました。葵の上は、大臣の中でもまた格別である左大臣の宮腹(皇女から生まれた子)にただ一人生まれ、大切にお育ちなさったために、気位も高く、疎かに扱われる事を大層不快にお思いになりますのに、源氏の君は(幼い姫のことを、どうしてそんなにお腹立ちなさるのか……)と理解できないご様子で、それがお二人のお心の隔たりとなっているのでしょう。

 左大臣は、源氏の君のこのように不誠実な御振る舞いを腹立たしいとお思いになっても、お逢いする時には、その恨みも忘れて、大切にお世話なさいました。その翌朝、左大臣が部屋をお覗きになりますと、源氏の君がおでましなさろうと御装束をお召しになっているところでした。そこで左大臣は、有名な御帯(石帯)をご自分で持っておいでになって、源氏の君の装束の後ろをお直しするお気遣いを見ますと、その親心が大層お気の毒に感じられるほどでございました。源氏の君は、
 「これは、内宴(正月二十日すぎに行われる天皇の私宴)の時に使わせていただきましょう」と申し上げますと、左大臣は、
 「その時には、もっと良いものがございます。これはただ目新しいだけですので……」と、強いてその石帯をお着付けなさいました。何やかやと婿君のお世話をして、その美しい容貌をご覧になることを、生き甲斐に感じておられるようで、(たとえ希な御通いでも、このようにご立派な源氏の君を自分の家に送り迎えできる喜びは他にない)と思っておられました。

 年賀のご挨拶まわりと言っても、源氏の君はあまり多くの所をお歩きになりません。内裏(父帝)・春宮(とうぐう・兄)・一院 (いちのいん・上皇)くらいで、他は藤壷の宮のおられる三条院におでかけになりました。「源氏の君が今日はまた格別にお美しくみえます。成長なさるにつれ不吉なまでに美しく、ご立派になられるようです」と人々がお褒めするのを、藤壷の宮は御几帳の隙間からかすかにご覧になるにつけても、あれこれ思い患う事も多く、複雑なお気持でいらっしゃいました。

(藤壷のご出産)
 藤壷の宮のご出産が十二月を過ぎてしまいましたので、皆が心配をしておりました。この正月には間違えなくご出産と三条院の人々もお待ち申し上げ、内裏でもそのような準備をなさっておられましたけれど、この月も何事もなく過ぎ去ってしまいました。物の怪の仕業であろうかと内裏の人が騒ぐのを聞くにつけても、藤壷の宮は大層辛くお思いになり(もしかして、この出産で命を終えることになるのではないか)とお嘆きになり、大層ご気分も苦しく悩んでおられました。
 源氏の中将は、お生まれになるのは間違えなくわが御子と思い当たられ、密かに寺々でご祈祷をおさせになりました。世の中が無情であるにつけても、(このように儚いままで二人の間は終わってしまうのか……)とお嘆きになりましたが、二月(きさらぎ)の十日過ぎに、男の御子がお生まれになりましたので、ご心配はすっかり消えて、内裏の人も三条院の人も皆、お喜び申し上げました。藤壷の宮はこの皇子のためにも、命長くと願うのは辛い思いがしますが、弘徽殿の女御などが呪わしげに陰口をおしゃるのを聞いたので、(もし、このまま私が死んだら物笑いになるのか……)と、気を強くお持ちになって、ようやく少しずつ快方に向かわれました。

 帝が早く皇子にお逢いになりたいと待っておられますお気持は、この上もなく強いものでございました。更に人知れず思い悩んでおられる源氏の君の御心にも、皇子のご様子は大層気がかりで、大層忍んで、藤壷のいらっしゃる三条院にお出かけになりました。
 「帝がご心配になっておられますので、私がまず拝見して、詳しく帝にご報告いたしましょう」と申しましたが、
 「生まれたばかりで、まだ見苦しい頃なので……」とお見せなさらないのも当然でございました。というのは、誠にあきれるほどに、源氏の君に生き写しでいらしゃる顔だちを、源氏の御子と見間違うはずもなく、藤壷の宮には、御心の鬼(良心の呵責)に攻められ、大層お苦しみでございました。(あの日の過ちを、人々が気付いて咎めないはずがありましょうか。どんな些細な事でさえ、あら捜しをせずにはおかぬ世の中で、どのような悪い評判が流れてしまうのだろうか)と、我が身がつくづく情けなく思われるのでございました。

 源氏の君は、その後も王命婦に時々お逢いになって、辛い言葉のあれこれを尽くして、何とかして逢わせてほしいと訴えなさいましたが、何の甲斐もあるはずもないのです。若宮のご様子をむやみにご心配なさるので、王命婦は、
 「どうしてこれほど、無理を仰せになるのでしょう。今に自然にお逢いになれましょう」と申しながらも、心の内で悩む様子は、源氏の君と同様、穏やかならぬものがございました。源氏の君は、周囲の者にも気がひけることながら(いつになったら、直接に藤壷の宮とお話し申し上げることができるのだろうか……)と密かにお泣きになるご様子は、お労 しいことでございました。

    いかさまに 昔結べる契りにて この世にかかる中の隔てぞ 

  (訳) 前世でどのように結んだ契りのために、この世でこのような隔てが、
        貴女と私の間にあるのでしょうか。納得がいきません。

王命婦も、藤壷の宮が思い悩んでいらしゃるご様子を見るにつけても、そっけなく放っておくこともできません。

    見ても思ふ 見ぬはたいかに嘆くらむ こや世の人の惑ふてふ闇

      (訳) 皇子を見ても藤壷の宮は思い悩んでいらっしゃいます。皇子をご覧にならない源氏の君は、
          またどれほどお嘆きでしょうか。これが、世の人の子を思う親心の闇でございましょう。

王命婦は「お心の休まる暇もないほど、傷ましい事でございます」と、源氏の君に申し上げました。

 源氏の君はこのように、藤壷の宮に想いを伝える術もなくお帰りになりました。藤壷の宮は「人の噂もうるさいし、迷惑なことです……」と仰りながらも、昔、頼りにしていらしたほどに、王命婦に打ち解けて親しくはなさいません。人目に立たないように、穏やかに装っていらっしゃるものの、気に入らない時もあるようで、王命婦はそんな時、大層侘びしい感じがするのでございました。

 四月(うづき)になり、藤壷の宮は内裏へお上がりになりました。皇子は生後二ヶ月にしては、大きくご成長なさって、そろそろ寝返りなどをなさいます。驚くほど見間違いようもないほど、源氏の君にそっくりのお顔つきを、帝は忍びの逢瀬があったなどとは思いもよらぬことですので、(比べようもないほどよく似ている……)とだけお思いになり、この皇子を本当に限りなく大切になさいました。昔、帝は源氏の君を限りなく大切に思いながらも、母が身分の低い更衣であったために、世間が許さないだろうと、皇太子にも据えることなく終わってしまった事を、今でも残念にお思いになり、ただ人でありながら、畏れ多いようなご立派に成長しておられる源氏の君をご覧になるにつけても、心苦しくおられました。けれどもこの度は、このように高貴なご身分の方を御母として、源氏の君と同じように、光輝くほどの美しさでお生まれになったこの皇子を、傷なき玉とお思いになり、大切になさいますので、藤壷の宮は何事につけても御心の安まる暇もなく、物思いに沈んでおられました。

 いつものように、源氏の中将がおいでになって、管弦の遊びなどをしておられますと、帝が皇子を抱いて、おでましなさいました。
 「御子たちは大勢いるけれど、そなただけを幼い頃から朝に晩に側に置いて育てたものだ。だから思い出されるのだろうか。この皇子は本当にそなたによく似ている……。小さい頃は、皆このように可愛いものだろうか」と、心から愛しく思っておいででございました。
 源氏の中将は、帝のお言葉に顔の色が変わる思いがして恐ろしく、父宮には畏れ多く思われましたが、一方わが子には嬉しくも愛しくも感じられ、あれこれ移り変わる気持に、思わず涙が落ちてしまいそうでした。

御皇子が声をだして微笑みなさいます様子が、不吉なまでに可愛いので、源氏の君は、わが身が皇子に似ているからこそ、大層可愛がりたいとお思いになるのは、あまりにも身勝手でしょうか。藤壷の宮はどうしようもなく辛いと悩まれ、ぐしょり汗を流しておられました。源氏の君は(かえって逢わない方がよかった……)と心乱れる思いで、宮中をご退出なさいました。二条院にお帰りになり横になられまして、胸の苦しさをようやく鎮めなさいました。

 お庭の植え込みが青々と美しい中に、撫子(なでしこ)の花が華やかに咲き出しているのを手折らせて、王命婦のところへ、手紙に添えてお送りになりました。

   よそへつつ 見るに心は慰まで 露けさまさる撫子の花

     (訳)皇子になぞらえて見ても心は慰まないで、花の露にもまして、
涙の露が多く落ちる撫子の花よ

 ちょうど良い機会があったのでしょうか、王命婦は藤壷の宮にこの歌をご覧に入れて、
 「この撫子の花びらによせて、ほんの塵ほどでもかすかなお返事を……」と申し上げますと、藤壷の宮は、ご自分の御心にも大層もの悲しく感じておられたのでしょう……

   袖ぬるる露がゆかりと思ふにも なほ疎まれぬ大和撫子

     (訳) 貴方のお袖を濡らす涙の理由と思いますと、なお疎ましく思ってしまいます。
         この撫子の花(若宮)よ

 かすかに少し書いておやめになったような歌を詠まれましたので、王命婦は喜んで源氏の君にお届けしました。源氏の君はいつものようにお返事はないだろうと、気がめいって臥しておられましたところに、この手紙が届きましたので、胸が騒いで大層嬉しく思われ、つい涙がこぼれてしまいました。

(西の対屋では……)
 源氏の君はしんみりと物思いに沈んで臥しておられましたが、どうすることもできずに、いつものように気晴らしに、西の対屋にお渡りになりました。取り繕いもなさらず、乱れてふくらんだ髪のままで、打ち解けた袿(うちぎ) 姿で横笛を心魅かれるほど吹きながら、姫君の部屋をお覗きになりますと、先ほどの撫子が露に濡れたように、姫君が物に寄り臥していらっしゃるお姿は、とても愛らしいものでした。愛嬌がこぼれるようで、源氏の君が帰られたのに、すぐにお渡りにならなかったのが、何となく恨めしかったので、すねて脊を向けていらっしゃるようです。源氏の君が端近い所に座って、
 「こちらにいらっしゃい」と仰いましたが、知らん素振りをしていらっしゃいます。「潮のみちに磯の……」と口ずさみながら、袖で口元をおおっている仕草は大層気がきいていて、可愛らしくみえました。
 「憎いことよ。いつの間にこんな事を覚えてしまわれましたね。あまり良くないことですよ」と仰せになって、人をお呼びになり、御琴を取り寄せなさいました。
 「箒の琴は真中の細緒の切れやすいのが困ります」と、弾きやすい平調に下げて調弦をなさいました。調子を合わせるための短い曲を弾いて、琴を姫君の方へ押しやりなさいますと、姫君はそういつまでもすねてもいられずに、大層可愛らしくお弾きになりました。お体が小さいので手を伸ばして弦をゆらす手つきがとても可愛いので、源氏の君は愛しくお思いになって、一緒に笛を吹き合わせて、お教えになりました。大層理解が早く、難しい調子なども、ただの一回で、習い覚えておしまいになりました。万事に優れている姫君のご性質を、源氏の君は(これこそ望んだとおりの姫だ)とお思いになりました。保曽呂倶世利(ほそろぐせり)という曲は名前は難しいけれど、源氏の君が面白くお吹きになりますと、姫君は琴をお弾き合わせになりました。まだ未熟だけれど、拍子を間違えずに、大層上手にお弾きになりました。
 
 夜になり、大殿油(おおとなぶら・灯火)を灯して、一緒に絵などをご覧になっていますと、その夜は源氏の君がお出かけになることになっていましたので、人々が取りつくろい「雨が降りそうです」等と申しますので、姫君はいつものように心細くなって、気が滅入ってしまわれました。絵を見るのをやめて、すねていらっしゃいますので、源氏の君は大層いとおしく思われ、御黒髪の大層美しくこぼれかかっているのを撫でて、
 「私が他に行っているときは、恋しいですか」とお尋ねになりますと、姫君は愛らしくうなずいていらっしゃいます。
 「私も一日でもお逢いしないのはとても辛いけれど、まだ幼くいらっしゃる間は心安く思っています。まず、ひねくれて恨んでいる女(ひと)の心を損なわないようにと、今こうして出かけていくのです。
姫君が大人になられたら、他へ行くことはありません。女から恨みを負うまいとするのも、これから長生きして、姫君と心ゆくまで逢いたいと思うからですよ」と細々お話し申し上げるので、姫君はさすがに、すねた自分が恥ずかしくなられたのか返事もなさいません。やがて源氏の君のお膝に寄り掛かって、寝入ってしまわれましたので、源氏の君は誠にいじらしくお思いになって、
 「今宵は出かけません」と仰せになりました。
お供の人々は皆気遣いして、お膳などをこちらにお持ちいたしました。源氏の君は姫君をお起こしになって、
 「外へ出かけないことにしましたよ」と申し上げますと、姫君はご機嫌よくお起きになり、ご一緒にお食事など召し上がりました。姫君は少し箸をつけて、
 「それならば、もうお寝 (やすみ)なさいませ」と、まだ少し不安そうにおっしゃいますので、(こんな可愛い人を見捨てては、たとえ恐ろしい死後の旅であっても、とても一人では行けそうにない)とお思いになりました。
 このように姫君がお引き止めなさることも多いようで、この様子を漏れ聞いた人が左大臣にお話し申し上げました。
 「その女性は誰だろうか。本当に気にくわないことです。今まで誰にもその名も知られず、そのように源氏の君をつきまとわせ、戯れなどするのは、優雅で奥ゆかしい人とは思えません。多分、内裏あたりで、ちょっと目に止まったような女を、さも立派な人のようにお扱いになって、人に咎められないように、お隠しになっているのでしょう。分別もない幼稚な人と聞いております」などと、お仕えする人など皆で話し合っておりました。

(内裏で、桐壺帝は……)
 一方内裏でも、源氏の君にこのような女性がいることを、帝がお聞きになって、
 「気の毒に、左大臣が嘆き悲しんでいるのも、当然なことだ。源氏の君がまだ分別もつかない幼い時分から、出来る限り心を配り、世話をしてくれた左大臣の気持を解らぬ年でもないはずなのに、
なぜ心ない振る舞いをなさるのですか」と仰せになりましたが、源氏の君は、ただ畏まった様子でお答えもなさいません。帝は(葵の上が気に入らないのか……と、源氏の君をいとおしくお思いになりました。 
 「それでも、好色めいて乱れたり、この内裏に仕える女房やあちこちの女性などと並でない間柄になっているという噂も全く聞こえてこないのに、一体どんな人目につかない所を隠れ歩いて、このように、人に恨まれることをするのだろうか」と仰せになりました。
 帝は年をとっておられますのに、こういう女性の面ではお見過ごしになることは出来ません。采女(うねべ)や女蔵人にょくろうど) などで、容貌や気立ての良い者を特に取り立てて、目をかけておられますので、内裏には、教養ある宮仕人 が大勢揃ってお仕えしておりました。源氏の君がちょっとした冗談などの言葉をおかけになりましても、そっけなく拒む女もまずないので、源氏の君はそんな女性を見慣れているためでありましょうか。本当に不思議なことに好色めいた気持ちがないようで、試しに女性の方から戯れ言を申し上げたりする時も、薄情でない程度にお答えになって、まったくお乱れになりませんので、「生真面目で物足りない……」と申し上げる女性もありました。

(典侍とのお戯れ……)
 年老いた典侍 (ないしのすけ・五十七歳位)は、家柄も気立ても良く、世間の評価は高くありながら、そ好色な方面で大変に浮ついて軽々しく見える女性でございました。源氏の君は(このように年を取るまで、どうして乱れるのだろう)と不思議にお思いになったので、戯れに言い寄ってご覧になると、老いた典侍 は、自分が若く美しい源氏の君に不似合いとは思っていないようでした。源氏の君はあさましいとお思いになりながらも、それでも、このような老女の相手も、変わっていて面白く、男女の情を通わせる事などもありました。けれど(相手が年をとり過ぎているので、誰かがこれを漏れ聞いたら笑いものになるだろう……)と、そっけなく扱いなさいますので、女はそれを大層辛い事と恨んでおりました。
 この典侍が帝の髪を櫛削りに内裏にあがりました。それが終わって、帝はお召し変えの女をお呼びになり、部屋をお出ましになりましたので、後には人もいなくなりました。典侍はいつもより清げにして、身なりや髪もなまめかしく、なやかに色気たっぷりに見えますので、源氏の君はあんなに若作りをしているのを、見苦しいとご覧になりながらも、一体、本人はどう考えているのかとお思いになり、さすがに素通りし難いく、裳(も)の裾(すそ)を引いて脅かしなさいました。すると典侍は、見事に描かれた扇で顔を隠して振り返りました。目は大層流し目をしているけれど、瞼が黒く落ち込んでいて、髪は大層ほつれて乱れておりました。源氏の君は、年に似つかわしくない派手な扇を、ご自分の扇と取り替えてご覧になりますと、照り映えるほどの色深い赤で、木高い森の形を塗り隠してありました。その片側に年寄りじみて優れているわけでもない筆跡で、「森の下草老いぬれば……」と古歌が書き散らしてありますので、(他に言う事もあろうに……)と微笑まれながら、「森こそ夏の、身ゆめる」などと仰せになりました。お二人は全くお似合いの仲ではなく、他の人が見つけたらと、源氏の君は辛く思っておられましたが、女性は全くそうは思っておりません。
   
   君し来ば手慣れの駒に刈り飼はむ さかり過ぎたる下葉(したば)なりとも

     (訳) 源氏の君がおいでなら、手慣れた馬に刈って食べさせましょう。
       さかりの過ぎた森の下草ですが……

と言う様子が、この上なく艶っぽく見えました。

   笹分けば人の咎めむいつとなく 駒なつくめる森の木かくれ わづらわはしさに

     (訳) 笹を踏み分けて行ったら、人が咎めるでしょう。
       いつということなく多くの馬が馴れ親しむ森の木陰に……それが わずらわしいのです。

 源氏の君が立ち去ろうとなさいますと、典侍は引き止めて、
 「今までに、このように辛い思いをしたことがありません。今更捨てられるのは、この身の恥にございます」と泣く様子は、大層見苦しいものでした。源氏の君が、
 「じきお便り申しましょう。心に思いながら、なかなかできないのですが……」と振り切って、出かけようとなさいましたが、さらに追いすがって、
 「想いながら仲が絶えてしまうのでしょうか」などと、恨み事を言い交わしておりました。ちょうどお召し替えが終った帝が、この二人の様子を障子よりお覗きになっておられまして、(何んと不似合いな二人だろう……)と大層可笑しくお思いになって、
 「源氏の君には浮気心がないと皆が心配していたけれど、この典侍を見過ごす事はしなかったのか」とお笑いになりましたので、典侍は照れくさいと思いましたけれど、「憎からず想う人のためには、たとえ濡れ衣でも着たがる人もある」と言うように、源氏の君をひどく言うことはしませんでした。

 人々が「これは誠に意外な事……」と噂しているのを、頭中将 (とうのちゅうじょう) が聞きつけて、すべての女性に興味を示す男でも、この老女(典侍)には思いも寄らなかったと思い、典侍の幾つになっても尽きない色好みの心を自分も試してみたくなったので、言い寄ってしまいました。この頭中将も、他の公達に比べると大層素晴らしい方なのですが、典侍は(あのつれない源氏の君の代わりの気慰めにとお受けしたけれど、やはり実際にお逢いしたいのは、源氏の君お一人だけ)と心から思っているのでした。大層困った色好みでございます。
 典侍は、頭中将との事を大層隠しておりますので、源氏の君はまったく気付いておられません。
典侍は、宮中で源氏の君のお姿を見つけては、恨み事を申し上げますので、源氏の君は(女性が年をとることを痛ましいことと慰めてやろう)とお思いになるのですが、つい気が進まぬままに、長いこと逢わずにおられました。

 ある日、夕立のあと涼しく風が吹いてくる夕闇に紛れて、源氏の君が温明殿(うんめいでん)の辺りを伺い歩いておられますと、この典侍が琵琶を大層上手に弾いておりました、帝の御前などでも、男性たちの管弦の演奏に交じるほどの大層優れた名手ですのに、恋も叶わず、もの恨めしいと感じられる時でしたので、その音色は大層しみじみと哀しく聞こえました。
 「いっそ瓜作りになってしまおうか、貴方に捨てられるなら……」と催馬楽(さいばら・流行歌)を大層美しい声で歌うのが、源氏の君には少し嫌な気がなさいました。白楽天の詩に詠まれた鄂州 にいたという昔の人も、このように美しい声だったのだろうかと、耳を止めてお聞きになりますと、典侍は琵琶を弾くのを止めて、大層思い悩んでいる様子でした。そこで源氏の君は催馬楽の「東屋」(あずまや)を小さな声でお歌いになって、典侍の近くにお寄りになりますと、典侍は、
 「東戸を押し開いてお入り下さい……」と続けて歌いますのも、普通の女性より知的に優れた感じがいたしました。
 
立ち濡るる人しもあらじ東屋に うたてもかかる雨そそぎかな

    (訳)雨に濡れてまで、この東屋に立ち寄って下さる人もいないのでしょうか、
        雨だれがかかるのも、嫌なことですから

 典侍が嘆きますのを、源氏の君は(なぜこれほど私に想いを寄せるのか。嫌なことだ……)とお思いになり、

   人妻はあなわづらはし東屋の 真屋のあまりもなれじとぞ思ふ

    (訳) 人妻はなんと面倒だ。東屋の真やの軒先に立ち馴れぬように、
        貴女にはあまり馴れ馴れしく立ち寄るまい

と仰って、そのまま通り過ぎてしまいたいと思われましたが、それではあまりにも無愛想であると思い直して、こんな老女なら遠慮もいるまいと、少し軽率な戯れ事など言い交わしなさいました。こんな戯れも、時には興味深い気がなさいました。

(頭中将がこれを聞きつけ……)
 この噂を耳にした頭中将は、源氏の君が真面目過ぎるうえに、いつも自分をたしなめるのが気に入らず、更に素知らぬ振りをして忍んで通う女性が多いらしいので、何とかこれを見つけ出して、やりこめたいとずっと思っておりました。そして今これを見つけ出した気がして嬉しく、こうした折りにこそ少し脅かして、源氏の君の御心を乱れさせて、
 「これで、懲りたか……」と言うつもりで、実は機会を狙っておりました。

 風がひんやりと吹いて、やや夜が更けてゆく頃に、源氏の君と典侍が少しうとうと眠ったらしい様子なので、頭中将がそっとその部屋に入りますと、源氏の君は気楽に寝てもいられずに、目を覚ましておられました。その時ふと足音を聞きつけて、でも頭中将の足音とは思いもよらず、)これはきっと典侍を今でも忘れ難く想っている修理大夫(すりのかみ)に違いない。年配の大夫にこのような不均り合いな恋の戯れを見られては恥ずかしい)とお思いになり、
 「面倒になりそうなので帰ってしまおう。恋人の訪れを知らせるという蜘蛛の占いで、今夜、大夫が来ることを貴女は解っていたはずなのに、お騙しになったのですね……」と直衣だけを手に取って、屏風の後ろに隠れてしまわれました。頭中将は可笑しさを堪えて、広げてあるその屏風のそばに近寄って、大袈裟に騒がしくバタバタと屏風をたたんでしまいました。
 典侍は年寄りながら、色事の多い女性なので、今までにもこのような同じことがあった様子で、大層慌てながらも、源氏の君をどういう目にお遭わせするのかと、心細さに震えながら、ぐっとすがりついておりました。源氏の君は(自分が誰かとは知られずにここを出たい)と思っておいででしたが、このようにだらしない姿で、冠も曲がってかぶったまま逃げ出す自分の後ろ姿を想像して、逃げるのを躊躇っておいでになりました。
 頭中将もまた、何とか自分と気付かれないようにと、何も言わずに大層怒った素振りをして、太刀を引き抜けば、典侍は、
 「貴方、貴方、お願いです」と頭中将に向かって、手を合わせて拝みますので、頭中将はあやうく笑いそうになりました。色っぽく若々しく取り繕っているうわべの事はそれはそれでいいとして、二人の美しい若者の間で、五十七、八の老女が感情をむき出しにして、慌て騒いでいる様子は、何ともみっともない光景でございました。
 頭中将が、このように恐ろしげな素振りをして見せましたのに、源氏の君にはかえってはっきりと、中将とお判りになって、(典侍の相手が私と知って、わざわざこんな悪戯をするのか……)と馬鹿々々しくなってしまわれました。そして太刀を抜いた腕 をとらえて、大層強くおつねりになりますと、頭中将は、憎き者と思いながらも、堪えきれずに笑ってしまいました。源氏の君が、
 「本当に正気でしたことなのか。冗談とは思えない。さぁ、まずこの直衣を着ましょう」と仰せられましたが、頭中将は直衣をぐっと掴んで、一向に力をゆるめようとなさいません。
 「それなら、貴方も同じ姿にしよう……」と、中将の帯を引き解いて脱がせなさいますと、中将は脱がされまいと抵抗するので、お互いに引っ張り合いになり、そのうち源氏の君の袖が綻びほろほろと切れてしまいました。 

   つつむめる名や漏り出でむ引きかはし かくほころぶる中の衣に

     (訳) 貴方がつつみ隠そうとしている名が世間に漏れ出ることでしょう。
         互いに引っ張って、このように二人の仲を包んでいた中の衣が綻びたのですから……

これを上に着たら、二人の仲がはっきり解ってしまいましょう」と頭中将は申しました。

   かくれなきものと知る知る夏衣 きたるをうすき心とぞ見る

     (訳) 薄い夏衣では隠しきれないと知りながら、ここに来た軽薄な貴方の心が
         よく解りました。

 そう詠み交わして、お二人とも、恨みっこなしのだらしないお姿にさせられて、部屋を出ていってしまいました。
 源氏の君は二条院に帰り(見つけられてしまったとは、誠に残念なことだ)と臥せておられました。典侍は呆れて、後に残っていた御指貫(さしぬき)や帯などを、夜明けに源氏の君のところへお届けいたしました。

   うらみても言うかひぞなきたちかさね 引きてかへりし波のなごりに 底もあらはに

      (訳) 今更恨んでも甲斐のない事です。二人が相次いでおいでになり、
          波が引くように帰ってしまわれました。後の私は涙が尽きて底が出てしまいました。

 源氏の君は何とも恥ずかしい事とお思いになるにつけても(典侍が憎いけれどもどうしようもない)とお思いになり、

   荒立ちし波に心は騒がねど 寄せけむ磯をいかがうらみぬ

      (訳) 荒立った波(中将)に驚きはしないけれど、
          それを引き寄せた磯(典侍)を恨んでいます。

とだけ、お返事なさいました。
 典侍が届けた帯は頭中将のものでございました。源氏の君はご自分の直衣をよくご覧になりますと、直衣の端袖が破れておりました。(見苦しいことだ。色事にだらしなく取り乱す人は、こんなみっともない事が多いことであろう。もう二度とするまい……)と大層自重なさいました。
 頭中将が、宮中から「これをまず縫いつけなさい」と、端袖を包んで送ってきましたので、(どうして取ってしまったのか……)と大層不快にお思いでした。源氏の君は(もし、中将のこの帯を手に入れていなかったら大変だった。「これでお互い様」と口止めができる……)とつくづくお思いでした。 その帯と同じ色の紙に包んで、

   仲絶えばかごとや負ふと危うさに はなだの帯を取りてだに見ず

      (訳) 頭中将と典侍の二人の仲が絶えたならば、私が恨み言を言われることになるだろう。
          それが心配で藍色の帯を取り上げてさえ見ません。(典侍に手も付けていません)

と書いてお遣わしになりました。これに返して、頭中将からは、
  
   君にかく引き取られぬる帯なれば 絶えぬる仲とかこたむ え逃れさせたまはじ

      (訳) 貴方に取られた帯(典侍)なので、絶えてしまった仲を嘆く私の恨みから
          逃れる事はできません

 日が高くなって、お二人は内裏に参上なさいました。 源氏の君は、大層もの静かに何事も無かったようにしておられますので、頭中将も可笑しく思いましたけれど、この日は、政事をが多く、帝の命令なども多い大層忙しい日でしたので、誠に麗しく生真面目にお勤めなさる様子を見るにつけても、お互いに自然に微笑みが浮かんできました。人目の無いときに、中将が源氏の君の側に寄って、
 「隠し事はもう懲りたでしょう」と腹立たしげに流し目をなさいました。源氏の君は、
 「どうしてそんなことがあるものか。それよりも、女のところに来てすぐに帰ってしまった中将のほうが可哀想だ。本当に男女の間はつらいものよ」と言い合って、お互いに口止めをなさいました。
 その後は、ともすれば何かあるごとに言い争いの種になるので(これもつまりは、あの老女のせいで面倒なことになったものだ)と、源氏の君は後悔なさっておいででした。典侍はなお大層なまめかしく恨み事を言って来るので、源氏の君は内裏を逃げ回りなさいました。頭中将は、妹君の葵の上にさえも、このことを申し上げず、ただ何かあった時に源氏の君へ脅しの種にしようと考えておりました。
 ご身分の高い方を母とする親王たちでさえ、帝のご寵愛この上ない源氏の君を憚ってご遠慮なさいましたが、頭中将だけは決して源氏の君にひけ劣るまいと、些細な事につけても競争心を募らせておられました。源氏の君は、帝の御子というだけのことですが、中将は、帝の信頼の厚い左大臣の御子で、内親王を母とする子息として大切に育てられ、さらに人柄なども公達として必要な条件は全て理想的に整っていますので(どれほど源氏の君に劣るべきどころがあるか)とお思いのようでした。この二人の間の競争心は、何とも異常でございました。しかしながら、これ以上のことはくどくなるので、省略いたしましょう。

(藤壷の宮が中宮になられ……)
 七月に、藤壷の宮が后 の位にお就きになるようでございました。源氏の君は宰相(さいしょう) になられました。桐壺帝は御譲位なさる御心遣いが近くなって、若宮(藤壷の御子)を皇太子にしようとお考えになるのですが、御後見をなさるべき方がおられませんし、御母方がみな内親王たちで、源姓の皇族の方々が政治を行う筋合いではないので、せめて藤壷の宮だけでも后の位につけて、若宮の力添えにしようとお考えになっておられました。
 ところが、弘徽殿(こきでん)の女御 が、ますます心動揺なさいますのも、無理のないことでございました。
そこで帝は、
 「皇太子(弘徽殿の御子)が即位される日が近くなったのですから、貴女は疑いもない皇太后の位につけるのです。お気をお鎮めなさいませ……」と仰せになりました。世間の人々は、
 「皇太子の御母として二十余年になるのですから、この弘徽殿の女御をさしおいて、たとえ藤壷の宮でも后の位におつけ申し難い事でございます」と、いつものように口うるさいくお噂しておりました。

 藤壷の宮が中宮として参内なさる夜のお供を、宰相の源氏の君がお勤めなさいました。同じ后の宮と呼ばれる中でも、この藤壷は先帝の皇后を御母としてお生まれになった皇女で、玉のように光輝いておられ、他と比べようのないほど帝のご寵愛を受けていらっしゃいますので、宮中の人々は格別に思い、大層大切にお仕えしておりました。まして源氏の君のやりきれぬ御心には、御輿の中にいる中宮のことが想いやられて、いよいよ手の届かない遠い方のように思われ、耐えられない気持がなさいました。

   尽きもせぬ心の闇にくるるかな 雲居に人を見るにつけても

    (訳) 私は尽きることのない恋心の闇に心乱れています。雲の上の人になられた
        人(藤壷)を見るにつけても

そうひとり口ずさまれて、しみじみとした寂しい気持におなりでした。

 若宮は成長なさるにつれて、見分けがつかないくらい源氏の君によく似ていらっしゃいますのを、藤壷の中宮は大層苦しいとお思いになるのですが、その真実に気付く人はないようでございました。
本当に、どのようにしたら、源氏の君に劣らない美しい方が、この世にお生まれになるのでしょうか。「月と日の光が一緒に空に輝いているようなものだ……」と、世間の人も思っているようでございました。

( 終 )


源氏物語「紅葉賀」(第七帖)
平成十年盛夏 WAKOGENJI(訳・絵)

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