やさしい現代語訳

源氏物語「花宴」(はなのえん)第8帖


光源氏20歳、藤壷25歳、紫上12歳の頃の物語

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む


 春二月二十日過ぎに南殿(紫宸殿)の桜の宴が催されました。后 (きさき・藤壷の中宮)と春宮 (とうぐう)の御座所(ござしょ)が、帝 の玉座(ぎょくざ)の左右に設けられ、お二人が参上なさいました。弘徽殿(こきでん)の女御は(にょうご)、藤壷の中宮が自分より上座におられますのを、何かの折節ごとに不愉快にお思いでしたけれど、物見の行事には見過ごすこともできずに参上なさいました。

 日よく晴れて、空の様子や鳥の声も心地よい日でございました。親王(みこ)たちや上達部(かんだちめ・公卿)をはじめとして、詩文に優れた人々は皆、帝から韻字をいただいて、漢詩をお作りになりました。宰相 (さいしょう)の中将(源氏の君)が「春という文字を賜りました」と仰る声さえ、他の人より格別でございました。 次に頭中将 (とうのちゅうじょう) は、周りの人が源氏の君と比較するので、平静でいられないと感じながらも、大層、堂々として立派でありました。その他の人々は、皆、気後れがして、興冷めする人が多いようでした。帝や皇太子の御学識がひときわ優れておられます上に、この方面に優れた高貴な人が多く列席されていますので、地下の人(地位の低い文人)は、広々と晴れがましい帝の御庭に立ち出る時には、気後れがして何とも辛そうに見えました。年老いた学者達は、粗末な身なりをしていても、しきたりに慣れ、大層落ち着いていますのも、しみじみ心ひかれ、帝はこのような様子をご覧になるにつけても、興味深くお思いでございました。

 帝に漢詩を披露する時にも、源氏の君の御詩作は素晴らしく、講師(読み上げる役)も、作品があまりに優れているのでさらりと読むことができず、一句を吟誦するごとに、お誉めて申し上げて騒ぐのでした。学者たちも心から立派な作品と思っておりました。このような時にも、まず源氏の君を光(中心)と扱っておられますので、帝も源氏の君を疎かにお思いになる事は決してありませんでした。

 舞楽など言うまでもなく、充分にご準備をなさいました。だんだんと夕日が落ちる頃、「春の鴬 (うぐいす) が囀 (さえず)る」という舞が舞われました。昨秋、源氏の君が紅葉賀の折に舞われた時のことが思い出され、春宮は桜の一枝を折って、かんざしに下され、源氏の君にもう一度舞うようにと、強くお求めになりましたので、源氏の君はお断りできずに座を立って、ゆっくりと袖をひるがえすところだけ、ひとさし舞われました。そのお姿は、比類なく美しく見えました。左大臣(ひだりのおとど) は、葵の上に対する源氏の君の薄情なことへの恨めしさも忘れ、感涙を落とされました。帝は、
 「頭中将はどこか。遅い……」と仰せになりましたので、頭中将は「柳花苑」(りゅうかえん)という舞を、源氏の君よりも念入りに舞われました。こんな仰せもあろうかと準備をしていたのでしょう。誠に美しい舞姿でしたので、帝から御衣を賜りました事を、人々は(実に珍しいこと……)と思いました。上達部は皆、舞い乱れて、夜になるとけじめも見えない程でした。

 藤壷の中宮は、源氏の君にお目が留まるにつけても、春宮の女御(弘徽殿)が、むやみに源氏の君をお憎みになるのが不思議に思われ、また自分がこのように源氏の君をお慕い申し上げるのも辛いことと、大層自重なさるのでございました。

    おほかたに 花の姿を見ましかば 露も心のおかれまじやは

      (訳) もしも世間なみに、この美しい花の姿(源氏の君)を見たならば、露ほども
          心がこだわる事はないのに……(実は、すっかり心がとらわれています)

(宴は果てて……)
 夜が大層更けて、桜の宴は終わりました。 上達部は各々退散し、后(藤壷の中宮)や春宮もお帰りになりましたので、辺りは静かになってしまいました。清涼殿の宿直の人々も、もう寝てしまったようです。月が大層明るく差し込んで月明かりが素晴らしいので、源氏の君はほろ酔い心地で、この様子を見過ごし難くお思いになり、(このように思いがけない時にこそ、もしや愛しい方に逢える機会もあろうか……)と、藤壷の御殿のあたりを大層忍んで伺い歩きましたけれど、取り次ぎを頼むべき戸口も閉じているので、残念にお思いになりました。でも、そのまま帰る気になれずに、弘徽殿の細殿にお立ち寄りになりますと、なんと三の戸口が開いておりました。弘徽殿の女御は、宴の後そのまま上の御局(みつぼね・帝の居間近くの部屋)にお仕えなさっていましたので、ここは人が少ない様子でした。さらに奥の枢戸(くるるど)も開いていて、人のいる気配もありません。(このような時に、男女の過ちは起こるものだ)と思いながら、そっと細殿に上がって中をお覗きになりましたが、ただ真っ暗で、女房たちは皆、眠っているに違いありません。
 するとその時、大層若く美しい声で、「朧月夜(おぼろづきよ)に、似るものぞなき……」(朧月夜の美しさに比べられるものはありません)と古歌を詠って、誰かがこちらに向って来るではありませんか……。
源氏の君は嬉しくなり、ふと女の袖を押さえてしまいました。女は怖いと思った様子で
 「まぁ怖い。誰か……」と仰いましたが、源氏の君は「どうして、怖いことなどありません」

   深き夜のあはれを知るも入る月の おぼろげならぬ契りとぞ思ふ
   
    (訳) 深き夜の情感を知る貴方と私は、入る月のおぼろげではない
        強い前世からのご縁でしょう

そっと抱き下ろして、戸を閉めてしまいました。思いがけない振る舞いに怯えたような女の様子に、源氏の君は大層心惹かれました。女はおろおろ震えながら、
 「ここに人が……」と仰いましたが、源氏の君は、
 「私は何をしても許される身なので、人をお呼びになっても何ともありません。ただこっそりと二人で隠れていましょう」と仰る声に、女は(これは光君に違いない……)と聞き定めて、少し心が和むようでございました。女は辛いとは思ったものの、源氏の君に(自分が情のわからぬ堅物のように見られたくない)と思っていました。
 源氏の君は、酔い心地が普通でなかったのでしょう。女の手を離すのは残念にお思いになり、(女も若くしなやかで、強く拒む気持ちも解らないのであろう)と、女を愛しいと想っているうちに、まもなく空も明けてきてしまいました。源氏の君は、
 「それにしても、お名前を聞かせてください。どのようにお手紙を差し上げたらよいのでしょう。貴女もこのまま別れてしまうとは、思っておられないでしょう」と仰せになりますと、女は、

  うき身世にやがて消えなば尋ねても 草の原をば問はじとや思う

   (訳) 私の辛いこの身が このまま死んでしまったなら、私を捜し求めてでも、
       草の原(私の墓)を訪れようとお思いにならないのでしょうか

と言う様子が、優雅で大層美しうございました。源氏の君は、
 「その通りです。お名前を聞くなどとは、私の間違えでございました」

   いづれぞと露のやどりを分かむまに 小笹が原に風もこそ吹け

    (訳) 露のように儚い貴女の家はどちらかと捜している間に、
        小笹の原に風が吹くように、周りの者が騒いだらどうしよう。

 やがて女房たちが起き騒ぎ、上の御局に行き交う様子が盛んになり混雑しているようなので、どうしようもなく、この夜のしるしにとお互いの扇を取り替えて、源氏の君は細殿をお出になりました。

 桐壺(源氏の君の御宿直所)には、女房たちが多くお帰りをお待ちしていました。中には目を覚ましている者もあり、今頃お帰りになりましたのを、
 「それにしても、お休みなしのお忍び歩きですこと」と、お互いにつつき合って寝た振りをしておりました。
 源氏の君はお部屋にお入りになって、横になられましたが、寝入ることが出来ません。 (大層美しい方だったなぁ、弘徽殿の女御の御妹たちの中の誰かでありましょう。まだ男女のやりとりに慣れていないのは、五の君か六の君なのでしょう。師宮(そちのみや) の北の方や、頭中将の気に入らない四の君(妻)などは、美しい人と聞いたけれど、もしもそのどちらかならば、もう少し風情があったろうに……。六の君は、父の右大臣が春宮(皇太子)に差し上げようと願っておられますので、もしその姫ならば、可哀想なことをしたようだ。右大臣の姫では面倒で、尋ね出そうにも見当がつかない……。二人の仲が終わるなどとは、思ってもいない様子だったのに、どうして手紙を通わす方法を教えもしないで……)などと思い巡らすのも、その姫に強く心惹かれたからでありましょう。

(後宴が催され……)
 その日は後宴が催され、忙しく心紛れてお過ごしになりました。源氏の君は筝の琴をお弾きになりました。昨日の宴よりも雅で趣がありました。藤壷の中宮は、夜の明けぬうちに帝のお側に上がりなさいました。源氏の君は(あの有明に逢った姫が、もう宮中を退出なさっただろうか)と、心もうわの空で、良く気がつく家来の良清や惟光をつけて、様子を伺わせなさいました。「たった今、北の詰め所から、御車が幾つか退出いたしました。女御、更衣たちの御里方(実家)の人たちがおります中に、四位少将 (しいのしょうしょう)や右中弁(うちゅうべん)などが急いで出てきて見送りましたので、きっと弘徽殿の女御のご一族だろうとお見受けいたしました。御車は三台ほどあり、その様子は大層優雅でございました」と、家来はご報告申し上げました。(どうしたら、あの有明の姫君がどの姫か知ることができよう。父の右大臣が聞きつけて、大袈裟に騒がれるのもまずいし、そうかと言って、姫がどなたか解らないままでいるのは、心残りで仕方がない。一体どうしたらいいだろう)と思い乱れ、源氏の君は、一日中ぼんやり物思いにふけって臥しておられました。
 (さて若紫はどんなに退屈でいるのだろう。長い間逢わなかったので、気が滅入っているのだろうか……)などと、いじらしくお思いになることもありました。

 あの夜、二人が逢った証しの扇は、桜の三重がさねで色の濃い方に霞んだ月が水に映った様子が美しく描かれ、見慣れた絵柄ですけれど、持つ人の趣味の良さがうかがわれ、使い馴らした様子が慕わしく感じられました。源氏の君は、姫が「草の原をば……」と言った時の様子が心にかかっておりますので、扇に歌をお書きになりました。

   世に知らぬ心地こそすれ 有明の月の行方を空にまがへて

     (訳)こんなに寂しい気持ちになったのは初めてです。
        有明の月の夜に逢った姫の行方を空に見失ってしまいました。

 葵の上(妻)にも久しく逢っていないとお思いになりましたが、若紫も気になるので、まず二条院においでになりました。見る度ごとに可愛らしく成長なさり、愛くるしく気品のある様子は、大層、格別でございました。何一つ欠点もなく、自分の心のままに育てたいという思いに叶っているようですが、ただ男手での躾 なので、少し男馴れしていることが身につきはしないかと、それがご心配でございました。日頃のお話などをなさったり、お琴などをお教えになって、一日中ご一緒にお過ごしになりました。源氏の君が女性のところへおでかけになるのを、若紫は(またいつものことか……)と残念にお思いになっても、今ではすっかり慣れさせられて、むやみに慕いまつわり付くことはなさいません。

 左大臣邸の葵の上は、いつものように、すぐにはお逢いになりません。源氏の君は退屈で、もの寂しくなられ、あれこれ思い巡らせ、箒の琴をつま弾きながら、「やはらかに寝る夜はなくて……」と催馬楽をお歌いになりました。そこへ左大臣がおいでになり、先日の花宴の興味深かったことなどをお話しになりました。
 「私も多くの年齢を重ねて、天皇の御代(みよ)を四代に渡りお仕えして世を見てまいりましたが、この度の様に、詩文も特に優れ、舞楽や管弦も申し分なく整っていて、寿命が延びる思いをしたことはありませんでした。各々の道の名人が大勢いるこの時代に、細かく指示をなせれ、見事に準備されたようですので、この老人ももう少しで踊りだしそうな心地がしました」と申し上げますと、源氏の君は、 「特別に整えることはしませんでした。ただ公の儀式として、優秀な師たちをあちこち捜したのです。様々なことよりは、頭中将の「桃花苑」の舞の素晴らしさが、後代の規範にきっとなるに違いないとお見受けしました。まして帝が栄え行く御代の春に、左大臣が立ち居出て、舞を舞われましたならば、まさに名誉でございましたでしょうに……」と申し上げました。そこへ頭中将などが参りまして、高欄(てすり)に脊をもたれかけて、いろいろな楽の音を奏しなさいました。その音色は大層趣深いものでした。

 かの有明の姫君は、儚かった夢のような一夜を思い出して、大層嘆かわしく物思いにふけっておられました。父右大臣が、四月頃に春宮に入内(じゅだい)とお決めになっていましたので、むやみに思い乱れておいででした。しかし源氏の君も、お捜しになれば全く解らない訳ではないのに、弘徽殿のどの姫君であるのか解らないまま、(特に打ち解けることのない弘徽殿と関わり合うのも煩わしい)と思い患っておられたのでございました。

(右大臣邸の藤の花見の宴で……)
 三月の二十日過ぎに、右大臣邸で、上達部や親王たちを大勢お招きになって、弓の射会が開かれ、その後、藤の花見の宴が催されました。桜の花盛りは過ぎていましたが、「他の花が散った後で、咲くのがよい」という(古歌)に教えられたのでありましょうか、遅咲きの二本の桜が大層美しく趣きがございました。内親王たちの御裳着(おんもぎ)の日(女子の成人式)のために、新しくお建てになりました御殿を輝くほどに準備なさいましたように、何事にも派手にお整えになりますのが、右大臣家の家風のようでございました。
 ある日内裏で、右大臣は源氏の君とご対面なさいました折に、弓の射会にお招きになりましたのに、源氏の君がおいでにならないので誠に残念にお思いになり、せっかくの宴が見栄えがしないと、御子の四位少将をお迎えに差しむけなさいました。

   わが宿の花しなべての色ならば 何かはさらに君を待たまし

     (訳) 私の家の藤の花が並の美しさならば、どうして貴方をお待ちしましょうか。
         (格別に美しいからこそ、お招きしたのです)

 源氏の君はちょうど内裏におられましたので、これを帝に申し上げましたところ、帝は「得意顔の歌だなぁ……」とお笑いになって、さらに、「わざわざ 迎えがあったようなので、行ってやりなさい。姫君たちの暮らしておられるところなので、きっと見事な宴にちがいない」と仰せになりました。
 源氏の君は御装束などお整えになって、すっかり日の暮れた頃、先方が待ち遠しいと思われる時分になってからお渡りになりました。他の人は皆、正装の袍衣 (うえのきぬ)ですのに、源氏の君のは、綾織(あやおり)の薄地の唐織物を桜襲 (さくらがさね) にした直衣のうし)の下に、葡萄染 (えびぞめ・赤紫色)の下襲(したがさね) を大層長く引いた皇子らしい優雅な
お姿で、大切にかしずかれて邸にお入りになるご様子は、大層格別でございました。源氏の君の美しさに、花の色香も圧倒されたようで、かえって興ざめするようでした。
 管弦の遊びなどを興味深く催しなさって、夜少し更けゆく頃に、源氏の君は、大層酔って気分悪そうな振りをして、夕闇にまぎれて座をおたちになり、女一の宮や女三の宮がおいでになる寝殿の東側の戸口のところに寄り掛かってお座りになりました。藤の花はこの正殿の角に面した所にありますので、これを眺めるために、格子を上げなどして、女房たちが出てきて座っておりました。袖口などをわざわざ派手に御簾の下から出しているのをご覧になって、源氏の君は(内宴には相応しくないほど派手だ……)とお思いになり、藤壷の中宮の奥ゆかしさを、大層愛しく思い出しておいでになりました。
 「気分の良くないところに、大層御酒を強いられて困っております。畏れ多いことですが、この御前で陰に隠れさせて下さい」と開き戸の御簾をかぶるように、上半身を部屋の中にお入れになりますと、そこにおりました女は、
 「まぁ困りますわ。身分の低い人ならば、高貴な方の縁をたよって、口実を作って来ることもありましょうが……」と申しますその様子は、普通の女房たちではなく、上品で魅力的な様子がはっきり分かりました。空薫物(そらだきもの・室内のお香)は大層煙たいほどにくすぶり、衣擦(きぬず)れの音は際だって聞こえ、奥ゆかしい気配など全くなく、まさしく派手好みの家風でございました。 

高貴な姫君たちが藤の花を見物なさるために、この戸口の辺りを占領していらっしゃるようでした。このような所では、浮気めいたことはさし控えるべきでありますが、源氏の君は、やはりつい興味をそそられて、あの有明の姫君はどの方だろうかと、胸がときめいておられました。催馬楽(さいばら)の「高麗人(こまうど)に帯を取られて……」という歌を作り替えて、「扇を取られて、ひどい目に遭う……」と、くつろいだ声でお歌いになりながら、物に寄り掛かって座っておいでになりますと、「変な高麗人ですこと……」と答えるのは事情を知らない者なのでしょう。 
 傍らに歌に返事もしないで、ただ時々、溜息をもらす様子の女君がおりました。源氏の君はその女君の方に寄りかかって、几帳(きちょう)越しにその手をつかまえて、
   
   梓弓いるさの山に惑うかな ほの見し月の影を見ゆると

      (訳) 月の入る山に迷って捜しております。あの時ちらりと見た月影(女君)が
          また、見られるのかと……

 あの姫君に違いないとお歌いになりますと、女君も黙っていることができないのでしょう。

   心いる方ならませば弓張りの 月なき空に迷はましやは

      (訳) 真心のある方ならば、月のない空でも迷うことがあるでしょうか
          迷わずに私のところに来るはずでしょうに

という声が、まさに、あの夜の姫君の声でございました。
 源氏の君は、本当に嬉しいのでございますが……

     ( この逢瀬が、のちに源氏の君の運命を大きく変える事になるのでございます )  

( 終 )

源氏物語「花宴」(第八帖)
平成十年初秋 WAKOGENJI(訳・絵)

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