やさしい現代語訳

源氏物語「松風」(まつかぜ)第18帖


光源氏31歳、紫上23歳、明石の君22歳、明石の姫君3歳の頃の物語

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む



 源氏の君は二条院に東院 をお建てになり、花散里といわれていた女君をお移しになりました。
源氏の君の夫人の住居として支障のないように、西の対から渡殿にかけて、政所 や家司の詰所などを設置させなさいました。東の対は明石の君のためにと源氏の君は御心に決めておられました。更に、北の対は特に広く造らせなさいまして、今までかりそめにも愛情深くお感じになり、将来の契りをかわした姫君達を集めて住まわせることが出来るようにと、幾つにも仕切りを造らせましたので、実に心地よく、細やかに心遣いの行き届いた建物になりました。寝殿は塞いでしまわずに、時折源氏の君がお渡りになった時にくつろぐお部屋として、調度等を置かせなさいました。

 明石に宛てたお手紙などは、途絶えることはありませんでした。源氏の君は「御子ができた今は、やはり京に上るように……」と仰せになるのですが、明石の君はご自分が受領の娘であることを惨めにお思いになり( 高貴な女御たちでさえ、源氏の君のお通いが途絶え御心が離れても、なお諦めずにお通いを待ち続けるという噂を聞くにつけても、まして受領の娘などに源氏の君がどれほどの愛情を注いで下さるのでしょうか。このまま都に出て、宮中の女御たちに交じり暮らして、一体どうなるのでしょう。この若君(明石の姫君)の不名誉になるような母親の惨めな身分が露見するだけですし、源氏の君のお渡りをただ待ち暮らす日々は、どれほど悲しく惨めなことでしょう。)と思い乱れなさいました。けれども幼い姫君がこのような寂しい海辺で成長して、源氏の御子として数にも入れられずにいるのは一層可哀想ですので、ただ源氏の君を恨み逆らうことなど、できようはずもありません。父・入道や母君も同じ思いで、大層思い嘆いておりました。

入道は大堰の御邸を……
 昔、母君の御祖父・中務 の宮という方がお持ちだった御邸が大堰川のほとりにありました。宮亡き後、跡を継ぐ人もないまま、長い間すっかり荒れ果てていましたのを、父・入道が思い出して、その当時からずっと宿守(管理人)をしていた男を明石に呼び寄せました。
 入道は「出家をして、この俗世に住むことを思い棄て、明石のような田舎住まいに身を沈めて暮らし始めたけれど、末の世に娘が源氏の君と契り、御子が生まれるという思いがけないことが起こって、再び都に住処を求めることになりました。急に眩いばかりの人々の中に入るには体裁が悪く、田舎じみてしまった自分たちの心も、穏やかにはいられないので、静かな大堰の邸を訪ねてみようと思い当たったのです。修理などに必要なものは全て渡しますので、荒れ果てた邸を修理して、とにかく人が住めるようにしてほしい。」と申しました。宿守は「長い間、持ち主がいなかったので、見苦しい藪になってしまいました。私は今、下人の小屋を手入れして住んでいますが、この春ごろから源氏の内大臣が造らせなさっている御堂の近くなので、あたりは大層騒がしくなっております。壮大な御堂を建てるため、多くの人々が工事にかかっていますので、静かな所というご希望は、違えられてしまいましょう。」「いやいや、それも源氏の君の御保護のもとに、今こうして修理することになったのです。細かい家の設備などは、追ってこちらからさせますが、まずは急いで大体の改築をやりなさい。」と申しました。「私はこの邸の所有者ではないけれど、別に領有する者もいなかったので、長い間隠れ暮らしておりました。荘園の畑などもいたずらに荒れ果てていましたので、故民部の大輔の君にお願いして土地をいただき、収穫物などをきちんと納めながら作物を作って暮らしておりました。」と、宿守はその蓄えを取り上げられてしまうのではないかと不安になって、ひげ面の無愛想な顔で、鼻を赤くし口をとがらせて不平を言いますので、入道は「私の方は田畑のことはどうでもいいから、今までどおりに使ってかまわない。今、耕作しているものについても、相応に善処してあげよう。」と答えました。言葉の端々に源氏の内大臣の気配をほのめかすので、宿守は煩わしくなって、建築資材などを多く受け取り、急いで修理に取り掛かりました。
 源氏の君はこのように入道が大堰の御邸を修理していることも知らずに( 明石の君が上京を嫌がる理由が分からない )とお思いになり、幼い姫君がどのように寂しい思いをして田舎にいらっしゃるかを思いやって(姫君が成長した後、世間の人が外聞の悪い話として言い伝え、姫の傷になるのだろうか )と心配しておられたのでございます。

 やがて御邸の修理が終わり、明石から「大堰に御邸のあったことを思い出しました。そこを住処として上京するつもりです。」と知らせが来ましたので、源氏の君は「明石の君が東院で女御たちに交わることを苦しく悩んでいらしたので、東院でなく、大堰の御邸に住もうと考えていたのか。期待通りの素晴らしい心遣いだなぁ……。」と納得なさいました。そして源氏の君の恋路には、いつもお仕えしている惟光の朝臣を大堰の御邸に遣わして、明石の君がお住まいになるのに相応しい様子に、ご準備などさせなさいました。惟光が「御邸の周囲は誠に素晴らしい光景で、まるで海辺に来たようでございました。」とご報告しましたので、源氏の君は(きっと風情のある御邸に違いない )とお思いになりました。今、源氏の君がお造りの御堂は、大覚寺の南にあたるところで、滝殿の風情も大覚寺に劣らず見事なものでした。明石の君の御邸は川のほとりにあり、言い様もなく美しい松陰に、素朴に造作もなく建てられた寝殿は、山荘の趣を見せていました。源氏の君は邸内の調度などまで、心を尽くして造らせなさいました。

 大層内密にして、源氏の君は親しい家来を明石へ下らせなさいました。明石の君は(もう逃れようもなく、今は京に上るしかない…… )とお思いになりました。けれども長い間親しんだ明石の浦を離れることを思うとしみじみ寂しくなられ、さらに父・入道を一人で明石に残すことに思い乱れて、今は全ての事に悲しくなられました。( どうして私はこれほど辛い思いをすることになってしまったのか )とむしろ源氏の君の愛情のかからない他の女性達を、羨ましくさえ思いました。
 入道はこのような立派なお迎えを受けて京に上る幸福を( ずっと長い間、寝ても覚めても願い続けていた志が実現したようだ )と大層嬉しく思いましたけれど、今後、姫君に会うこともなく過ごす日々は、耐え難く悲しいことですので、昼夜ただぼっとして「これからは若君と会えずに暮らすことになるのか…….」と繰り返すほかありませんでした。母君も大層悲しくおられました。「出家しているので、今まででさえ夫・入道と同じ庵に住むことなく離れ暮らしていたのに、まして娘と共に都に上ってしまえば、入道は誰を頼りにこの明石に留まることになるのか……。まして入道のようなひねくれ者と、明石の地こそは一生を終わるはずの住処と心に決め、この命のある限り二人で共に……と契り暮らしてきましたのに、このように突然別れることになろうとは……」と誠に心細い様子でございました。
 都から来て明石の君に仕えていた女房たちは、今までの田舎暮らしを大層辛く思い沈んでいましたので、京に帰れることを嬉しく思いましたが、美しい明石の浜辺の風景を眺め、(二度とここに帰ることはないだろう )と思うと、打ち寄せる波に添えて、涙で袖が濡れてしまうのでした。

 秋も深まり、しみじみと感慨深いことが重なるようでごさいました。別れの日、夜明けに涼しい秋風が吹き渡り、虫の音を聞くゆとりもないほど悲しい折に、明石の君が海を眺めておりますと、入道は後夜(明け方)よりも早く起きて、涙で鼻をすすりながら仏前の勤めをしておりました。おめでたい門出に不吉な涙は避けようと思いながらも、旅立つ者は誰もが皆、涙を堪えきれずにおりました。ただ小さな姫君はそれはそれは愛らしげでいらっしゃいました。入道は夜光の珠のように大切に可愛がっておりましたので、姫君は大層馴れてまつわりつきました。不吉なまでに愛らしいこのご様子を見て、「世間と違える僧のわが身を、はばかるべきと忌々しく思うけれど、姫君にお逢いせずに今後どのように暮らしたらいいのか。」と涙を隠すこともできずに、

   行く先を 遙かに祈る別れ路に たへぬは老の涙なりけり

     (訳)これからの姫君の将来を、遠く離れて祈りながらも、
        別れ路に際して耐えられずに流れるのは、この老いの涙です。

「涙を流すなど、何と縁起の悪いことか……」と言いながら、落ちる涙を袖で拭い隠しました。

   もろともに 都はいできこの旅や ひとり野中の路にまどはむ

     (訳)昔一緒に都を出てきたこの旅ですのに、
        この度は貴方と別れて野中の路に迷うのでしょうか。

と、尼君がお泣きになるのは誠にもっともなことでございます。二人で過ごした長い年月を思えば、源氏の君の不安な愛情を頼りに、かつて捨てた都にまた帰るとは、本当に心細いことでございました。

 明石の君も

   生きてまた 相見む事をいつとてか 限りも知らぬ世をば頼まむ   送りだに

   (訳)京に行けば、生きて再び父上にお会いできるのはいつの日かと
      どれほど生きられるかも分からない世を、何を頼りに過ごすのでしょうか。

せめて京都まで送りにだけでも……」と心を込めて頼みましたけれど、入道はあれこれ理由をつけて送れないとしながらも、さすがに京都までの道の程が気がかりな様子でした。

 入道は「都の生活を捨て、明石の国に下向してきたのも、すべて娘の御為を思ってのこと。明け暮れのお世話も充分心に叶うようにと出家を思い立ったけれど、明石の地方官という身分の低さを思い知らされることが多々ありました。改めて京に戻っても、昔せいぜい受領くらいしかやったことのない落ちぶれ者で、蓬葎 (雑草)などの生い茂る貧しい家を元通りにすることも出来ない等と、公私に「愚か者」という評判だけを広めることになりました。更に大臣まで務めた亡き父親を辱めるだけだと悲しく出家したものの、「京を出たのが、世の中を捨てる道への出発だった」と、世間に知られてしまいました。貴女が美しく成人をなさるにつれて、どうしてこのように素晴らしい娘を惨めな田舎に隠すようなことをしてしまったのかと、嘆き続けておりました。この父のつたない縁にひきずられて、貴方までもが山賤の庵に一緒に暮らすことにならないようにと神仏に願っておりましたが、思いがけず源氏の君と契りを結ぶという喜ばしいことになり、かえって身分の違いを悲しく嘆くことになりました。幼い姫君がお生まれになるという運命の頼もしさに、侘びしい明石の渚にて月日をお過ごしになるのも大層かたじけなく思われますので、今後会うことの出来ない辛さは鎮めようもありませんが、今日私は長いお別れを申し上げましょう。私が命尽きたと都でお聞きになっても、死後を祈る仏事などはしなさるな。避けられない親子の死別に御心を乱すことのないように……」と言い放ったものの、更に「私が煙になる夕べまで、姫君の将来の幸せを願って、六時の勤行に未練がましく混ぜてお祈りしてしまいそうです。」と顔をしかめて泣きました。

 明石の君の御車が数多く連なって京に上るには、道中、路幅が狭いことですし、一部ごとに分けて行くのも面倒です。京都からのお迎えの供人たちも、ひたすら目立たないように気遣いをしますので、結局、舟で密かに京に上ることになりました。
 一行は朝八時頃に船出いたしました。昔の人が「しみじみと心に染みる……」と詠んだ美しい明石の浦の朝霞の中に出ていく舟を、入道は大層悲しく、もの思いに沈んで眺めておりました。また尼君も、長い年月を明石に住みつき、今更、京に帰るには思いも尽きせず、大層お泣きになり

   かの岸に 心よりにしあま舟の 背きしかたに 漕ぎ帰るかな (尼 君)

     (訳)尼となり明石の浦に向かった尼舟のように、今捨てた俗世に漕ぎ帰るのですね

   いく返り 行きかふ秋を過ぐしつつ 浮木に乗りて 我帰るらむ (明石の君)

     (訳)秋が幾度も繰り返し過ぎていきました。また頼りない舟に乗って、私は都に帰るのでしょうか

 追い風に乗って、明石の君は予定通り都にお入りになりました。人に見咎められまいと、御車に乗り移ってからも、人目を引かぬよう気遣いをなさいました。大堰の御邸の辺りは趣深く、明石で眺めた海辺に似ているように思え、ただ明石のことが思い出されて悲しくなられました。増築した廊などは大層風雅な造りで、庭のやり水の流れも見事でございました。まだ細部に行き届いているものではありませんが、ここに住み着いたならば、ずっと心地よくいられるに違いないと思われました。

 源氏の君は親しい家司に命じて、明石の一行が無事到着された祝宴をおさせになりましたが、ご自身でおいでになることもないまま、ただ空しく日が過ぎてしまいました。明石の君は都に上ってきたものの、源氏の君のお渡りがないので、かえって物思いを深くなさいまして、捨ててきた明石の家も恋しくお思いになり、しみじみ寂しくなられまして、源氏の君がお別れにと置いていかれた形見の御琴をかき鳴らしました。秋風の大層悲しい頃でしたので、人気のない部屋でしばし弾いておりますと、松風が荒々しく琴の音に合わせて吹いてきました。傍の母・尼君は悲しげに臥せておられましたが、起き上がり、

  身をかへて ひとりかへれる山里に 聞きしに似たる松風ぞ吹く (尼 君)

     (訳)尼の姿となって一人で帰ってきた大堰の山里に、
        明石で聞いたような松風が吹いています。

   ふるさとに見し世の友を恋ひわびて さへづることを誰か分くらん (明石の君)

     (訳)故郷の大堰で昔の友を恋しがって、もの悲しい音を立てる琴の音を、
        誰が、私が弾く音だと聞き分けてくれるでしょう

 こうして心淋しく暮らしておられます頃、二条院では源氏の君が一途に明石の君に逢いたいと心乱れ、ついに人目もはばからずに大堰の御邸にお渡りになりました。紫上には、明石の君が上京されたことは知らせておりませんので、いつものように他から耳に入っては困るとお思いになって、「桂に指示すべきことがあるのですが、どうしたものか不本意にも時が経ってしまいました。訪ねると約束していた人が、その近くに来て待っているようなので行かねばなりません。嵯峨野の御堂のまだ装飾の整っていない仏像の所にも立ち寄りますので、2・3日はかかることになりましょう。」と申されました。紫上は(桂の院を急いで造らせなさったと聞いて、そこに明石の人を住まわせるのでは……)と思いますと、決して嬉しいはずもなく、「故事にあるように、斧の柄が朽ちるほどの長い時間でしょうか。待ち遠しいこと……」と、お気に召さぬご様子でした。源氏の君は「いつものように心苦しいご様子ですね。私はもう昔の私ではないと世間の人も言うではありませんか……。」等と紫上のご機嫌を取りなさいますうちに、すっかり陽も高くなりました。


遂に明石の君にお逢いになり……

 前駆には親しい供人だけを選び、人目を引かぬように大層心遣いをして、源氏の君は大堰にお渡りになり、黄昏時に到着なさいました。明石にいた頃でさえ、いつも狩の御衣をお召しになり、やつれておられたものの、大層美しかった源氏の君でしたが、今、まして恋しい明石の君に逢えるという御心を胸に身繕いなさいました御直衣姿は、この世に無いほど眩く美しく、明石の君の涙にむせんだ心の闇もすっかり晴れるようでございました。ようやくお逢いになりました明石の君は誠に美しく、ますます恋しくお想いになりました。更に幼い姫君は大層可愛らしく、今まで離れて暮らした年月を悔しいとさえ思われました。大殿 (元左大臣)家で生まれた若君(夕霧)を、世間の人々が可愛らしいと褒めそやすのは、時世(権勢)により人をみなしているためですが、この姫君こそは、誠に優れた御子と思われ、無邪気な笑顔が愛嬌づいて可愛らしいので、大層愛しく大切にお思いになりました。この姫君の乳母には、都を離れ明石へ下ってきた頃の衰えた顔は今はなく、すっかり美しい女になっておりました。その乳母が今までの姫君のご様子を遠慮なく話すのをお聞きになって、心から労いなさいました。そして明石の君に、
 「ここでさえも京から遠く離れていて、訪れることも難しいので、やはり私が準備した東院にお移りなさい。」と仰せになりましたが、「まだ都に慣れずにおりますので、時期が過ぎてから……」と答えますのも、無理のないことでございましょう。夜は一晩中、明石の君に末長い愛情をお約束なさいまして、睦まじく語り明かされました。

 源氏の君が桂の院へお渡りになると知らせがありましたので、近くの御庄(荘園)の人々が集まって参りましたが、皆、そこから大堰の御邸の方へ参上いたしました。源氏の君は庭の前栽などを手入れするようお命じになりましたが、「庭園の立石などを、風情ありげに修理するのは意味のあることだろうか。修理してもここで過ごせる日が終わり、発つ時には、かえって心が残って苦しいことになるだろう。」などと、明石にいた頃を思い出しながら、泣いたり笑ったりして心から打ち解けなさいました。そのお姿は一層美しいご様子でした。

 母尼君は御几帳ごしにこれを覗いてご覧になり、老いを忘れ、物思いも晴れるような心地がして、思わず微笑まれました。東の渡殿の下から流れる水の流れを修理なさるというので、源氏の君が優美な袿姿 でくつろぐお姿を、尼君が大層素晴らしく嬉しいことと見ておりますと、源氏の君は閼伽の具(仏にお供えする水を入れる道具)が縁に置かれているのをご覧になって、尼君のことを思い出し、「母君はこちらにおいでになりましたか。これは誠に無造作な気楽な姿をしておりました。失礼を……」と直衣に着替えて、尼君のいる御几帳の前にお寄りになりました。「幼い姫君が健やかにお育ちくださったのは、尼君の勤行の結果と有難く思っております。俗を離れ、清く澄み切った明石を捨て、都にお帰りになりました志を、浅からず感謝いたしております。また明石には入道殿がひとりでお残りになって、どんなにこちらのことを心配しておられるのかと、様々に申し訳なく思っております。」などと大層慕わしい様子でお話しになりました。
 尼君は「いったん捨て去りました世に、今更立ち返りましたこの苦しい心をお察しくださいましたので、命長きことも嬉しく思われます。荒磯かげに隠れて心苦しく存じました二葉の松も今は頼もしい未来が見えますものの、御生母が卑しい素性ゆえ、将来に障りになるでは心痛めております。」などとお泣きになりますので、源氏の君は、心深く尼君をお慰めなさいました。美しく整えられた流水の音は、この話に泣き出すかのように、前より高い音を立てておりました。

   住み馴れし 人はかへりてたどれども 清水はやどの主 がほなる (尼 君)

     (訳)仏門に住み慣れた私が、この都に帰って途方にくれていますのに、
        清水はこの宿の主のように流れています。

   いさら井は はやくのことも忘れじを もとの主や面変わりせる あはれ

     (訳)僅かな湧き水は、昔のことを忘れないだろうが、やり水が主顔 をするのは、
        元の主人が出家して面変わりしているからではないか。 悲しいものですね……。

と清水を眺めながら仰せになる源氏の君は、匂うほど美しく、この世にないほど雅やかなお姿でございました。

 源氏の君は嵯峨野の御寺にお渡りになりました。月毎の十四、五日と、三十日に行われる普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏三昧に加えて、法会のことなどを僧に命じなさいました。さらに御堂の飾りや、仏の御具なども、あれこれと仰せつけなさいまして、やがて月明かりの路をまた山荘にお戻りになりました。

 明石のお別れの夜、御琴をお弾きになったことを思い出されまして、明石の君はあの形見に残された御琴を差し出しました。そこはかとなく悲しい折ですので、源氏の君は忍ぶこともできずに、御琴をかき鳴らしなさいました。まだ弦の音が変わっていませんでしたので、あの夜のことが今のように思われました。

   契りしに かはらぬ琴のしらべにて 絶えぬ心の程は知りきや  (源氏の君)

     (訳)約束した通りに、今も変わらぬこの琴の調子により、
        私の絶えない愛情をお分かりになりましたか

   変はらじと 契りしことを頼みにて 松の響に音を添へしかな (明石の君)

     (訳)御心は変わるまいとお約束なさったことを頼りに、
        松風を聞きつつ琴を弾き、音を添えてお待ちしておりました

 と歌を交わされましたが、お二人が不似合いに感じられないのは、明石の君にとって身に余ることでございました。明石の頃よりさらに大人びて美しくなられたお姿に、源氏の君は(とても見捨てられるはずがない )とお思いになりました。若君はじっと目が離せないほど愛らしく、(この姫をどうすればよかろう。日陰者のようにして生まれたことが心苦しく残念なので、一日も早く二条院に引き取って、心ゆく限り傅 いてやれば、これからの肩身の狭さも救われることであろう )と思うのですが、引き離される明石の君の御気持を思うと、可哀想になられまして、口に出すこともできずに涙ぐんで、ただ姫君を見つめておられました。姫君は幼い心にも、初めは少し恥ずかしがっていましたが、今は打ち解けて、何か言っては笑ったりなどして懐いていらっしゃるので、また一層可愛らしいご様子でした。源氏の君に抱かれているこの御子は、「この上なく幸運に恵まれた人」と見えました。

 次の日には京にお帰りになる予定でしたが、源氏の君は朝少し寝過ごしてしまわれました。大堰の邸からお発ちになるはずでしたが、近くの桂の院に供人たちが多く集まっていて、この大堰の山荘にも殿上人が大勢迎えに参りました。源氏の君は装束をお召しになって、「大層きまりの悪いことになったものだ。人々にこのように訪ねられてよい邸ではないのに……」と当惑なさり、騒がしさに紛れて出ようとなさいました。
 しかし明石の君を想って心苦しくなられ、他人には悟られないように戸口のところで立ち止まりなさいますと、そこに乳母が若君を抱いて出てきました。源氏の君は幼い姫君の顔を優しく撫で、「しばらく逢えないのは大層苦しい……。どうしたらいいのだろう。なんとも京から遠いことか……」と仰せになれば、乳母は「遙かに明石にて源氏の君の想いが絶えてしまったかと悲しんだ長い年月よりも、今後の姫君に対する御取りなしが心細くなります事の方が、辛いことでございます。」と申し上げました。

若君は手を伸ばして、立っている源氏の君の後を追いかけますので、源氏の君はついに膝をかがめて、「物思いが絶える日のない私なのだね。しばらくの間でも離れているのは苦しいものだ。母君はなぜ一緒にここに来て、別れを惜しんで下さらないのか。そうすればこそ、少し慰められもするだろうに……」と仰せになりました。明石の君は悲しみに臥せていましたので、すぐに動くことができませんでしたが、側の女房たちからも、見送りに出るように勧められ、しぶしぶ膝をついて出てゆき、御几帳に少し隠れるようになさいました。その様子が誠に美しく、柔らかい気品のある気配が、内親王と言われてもよいほどに気高く見えました。源氏の君は、御几帳の帷子(垂れ絹)を引いて、愛情を込めて語りかけなさいました。

 いよいよ退出なさるとき、源氏の君が振り返ってご覧になりますと、明石の君は、今まであれほど冷静を装って心を鎮めておられましたが、さすがに抑えきれず、御几帳から顔を出して、源氏の君をお見送り申し上げました。言葉に表すことのできないほど、今を盛りと美しい源氏の君のお姿は、指貫の裾までなまめかしく、愛嬌のこぼれるようでございました。

 先払いが声を高く上げました。源氏の君は頭中将や兵衛の督と御車にお乗りになり「お忍び通いの隠れ家を発見されたことは、どうにも残念だ。」と大層つらがっておられました。供人が「ゆうべの月は美しかったですから、お供に出遅れたことが残念に思えましたので、今朝は朝霧の中をやって参りました。嵐山の紅葉はまだ早いようでしたが、野辺の秋草が盛りでございました。某の朝民は鷹狩りをしていて立ち後れましたが、どういたしますか。」等と申しましたので、源氏の君は「今はなお、桂の院で過ごすことにしよう。」とそちらにおいでになりました。桂の院では、にわかに宴の仕度を始めて、鵜飼いなどもお呼びになりました。大堰の野に残った公達も、証 だけの小鳥を萩の枝などにつけて後を追って来ました。酒杯が幾度も巡ったあとで、皆が酔ったのを口実に、源氏の君はここ桂の院で遊びなさいました。月が華やかに差し出る頃には音楽の合奏が始まり、大層風雅でございました。弦楽器、琵琶、和琴などに加えて、笛の名手が秋に合う曲を吹くほどに、川風も心地よく吹いてきました。月は高く差し昇り、万事のものが皆澄んでいると思える夜更けに、帝にお仕えしていた殿上人が四、五人参りました。帝が「今日は六日の物忌みの明ける日なので、必ず源氏の君が参上なさるはずなのに、どうしたのか。」と仰せられましたので、桂の院にお泊まりなさっていることを申し上げますと、蔵人の弁をお遣わしになったのでした。

   月の澄む 河の遠なる里なれば 桂の影はのどけかるらむ   うらやましう

     (訳)月の澄む美しい河の辺りにある里ならば、桂の影はのどかなことでしょう。
        羨ましいことです。

 源氏の君は参内しないことをお詫び申し上げました。清涼殿で催される帝のお遊びよりも、ここ桂の院の趣の加わった管弦の音は素晴しく、さらに酔いが加わるようでした。

   ひさかたの光に近き名のみして あさゆふ霧も晴れぬやまざと (源氏の君)

     (訳)月の光に近いと言いますが、それは名前だけで、
        ここは朝夕に霧も晴れない山里でございます

 帝の行幸(外出)をお待ちする意があったのでしょうか。源氏の君が「中に生ひたる……」と古歌を口ずさみなさいますと、昔、淡路島が見える明石の浦で歌を詠んだ時のことを思い出しました。躬恒が『淡路にて あはとはるかに見し月の近き今宵は ところがらかも』という歌の話をしますと、皆、源氏の君が悲しく沈んでいた日々を思い出し、中には酔い泣きする者もあるようでした。

   廻りきて 手にとるばかりさやけきや 淡路の島のあはと見し月

     (訳)季節もめぐり、私も京に帰ってきて、今、手に取るばかりに美しいこの月は、
        昔、淡路島を前に眺めたあの月であろうか。

   浮き雲に しばし紛ひし月影の すみはつるよぞ のどけかるべき (頭中将)

     (訳)雲にしばし隠れた月の光が、またも澄み切った今宵のように
        源氏の君も今は京に住み、栄えるこの世は何とのどかなことでしょう。

 故桐壺院にも睦まじくお仕えした年老いた左大弁も詠いました。

   雲の上のすみかをすててよはの月 いづれの谷に影隠しけむ

     (訳)雲の上(宮中)を捨て、夜半の月(桐壺院)はどの谷に影を隠したのでしょう

 酒に少し乱れて、心深くしみじみと故桐壺院の昔話などしていたいと思いましたが、二条院を出て、斧の柄も朽ちるほどに長い外出になりましたので、源氏の君は「今日こそは京都へ戻らねば……」と急いでお帰りになりました。供人にいろいろな品々を担がせて、朝霧の絶え間を行く列は、植え込みの秋草の花に見間違えるほどに美しうございました。大騒ぎして桂の院を帰る物音を、大堰の御邸で遙かに聞いて、明石の君は名残り惜しくしみじみと物思いに沈んでおいでになりました。

二条院に帰られ…… 
 源氏の君は(後朝の御文さえないままに……)と御心にかかっておられましたが、二条院に着かれますと、しばらく休息をなさり、山里のお話などを紫上にお聞かせなさいました。「帰る約束の日が過ぎてしまい、大層心苦しかったのですが、風流男どもが訪ね来て、引き止めるものだから帰れなかったのです。今朝はとても疲れてしまった……」と御寝所に入られました。紫上がいつもの気難しい様子になられたのに、気付かぬ振りをして、源氏の君は「比べるほどもない人と競争するかのように思うのもよくないことです。貴女は(自分は自分である)と思っていればいいのですよ。」と教えなさいました。

 日の暮れかかる頃に、源氏の君は参内なさいました。その折に人目に隠すように脇を向いて、御文をお書きになりました。細々と書かれたその御文は、大堰へ送るもののようです。供人に小声でささやいて手渡すお姿を、紫上の女房たちは憎いと見ておりました。その夜、源氏の君は内裏に宿直のはずでしたが、紫上のご機嫌が直っていなかったことを思って、夜は更けていましたが、二条院にお帰りになりました。
 ちょうどそこに大堰からのお返事を遣者が持って来ていましたので、隠すこともできずにご覧になりました。特に紫上を不愉快にするようなことも書いてなかったので、
「貴女がこれを破って捨ててください。このようなものが散らばっているのは、今は似合わない年齢になったのだから……」と、御脇息(肘置き)に寄りかかりながら、心の内では大堰の姫君を恋しく思いやられ、じっと灯を眺めておいでになりました。御文は広がったままで、紫上がご覧にならないようなので、「見ない素振りをなさる貴女の眼差しがやっかいな……」と、こぼれるような愛嬌で微笑みなさいました。そして紫上のそばに近寄って「本当は可愛い姫に逢ってきたのです。前世の契りが深いと思えるのだが、公に私の御子として扱うのもはばかられ、思い煩 っています。どうか貴女も同じ悩みに思い巡らして、いかがすべきか、御心をお決めください。ここ二条院でご養育いただけませんか。もう三歳になり無邪気な愛らしい姫なので、どうしても見捨てておけません。幼いうちに貴女の御子にしてもらえれば、きちんと将来を見てやることが出来るのです。呆れたこととお思いにならず、どうぞ貴女の手で袴着(成人式)をしてやってください。」と仰せになりました。紫上は、
「思いがけず、私を意地悪な女のようにお扱いになるので、こちらも強いて知らぬ素振りをしておりました。そう振る舞う必要など、どうしてありましょう。姫君はきっと私をお気に召すでしょう。どんなに可愛い盛りでいらっしゃるのでしょう。」と微笑まれました。紫上は子供をとても可愛らしく思うご性格なので(その姫を私が引き取って、この手に抱いて大切に育てたい…… )とお思いになりました。

 「どうしようか。ここへ迎えるには……」と、源氏の君は思い乱れなさいました。大堰にお渡りになるのも大層難しいことです。嵯峨野の御堂の念仏の日を待っても、月に二度しか逢いに行くことはできません。それでも七夕よりはましでしょうけれど……。しかし幼い姫君を手放す明石の君にとっては、なお辛いことでございましょう。 

( 終 )
                   
源氏物語―松風(第十八帖)
平成十四年夏 WAKOGENJI(訳・絵)

背景 : 有識文様素材「綺陽堂」

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