やさしい現代語訳

源氏物語「野分」(のわき)第28帖

(光源氏36歳、紫上28歳、秋好中宮27歳、玉鬘22歳、夕霧15歳の頃)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む


 秋好中宮は、あらゆる種類の秋の花々を集め尽くして、その御庭に植えさせなさいましたので、例年よりもずっと見所も多く美しくなりました。風情のある黒木や赤木の籬垣を結い混ぜて、花の枝振りやその姿が、朝夕の露の光に珠のように輝いておりました。広々としたこの秋の御庭の景色を見ますと、春の山の美しさも忘れるほど爽やかで趣きがあり、心も浮き立つようでした。

 昔から、春秋の優劣を決める争いの折に、秋に心を寄せる人は数多くいましたが、評判の高い春の町(紫の上の御殿)の御庭の花園に心寄せた人々が、又、心変わりして、秋の御庭に心移す様子は、世のご時勢に流される世情に似ているようでございました。

 中宮がこの御庭をご覧になりたいと、里家においでになる間に、管弦の遊びなどを催したいと思われましたけれど、八月は故前坊(中宮の父君)の御忌月なのでそれも叶わず、心許なく思いながらお過ごしでございました。

その頃、この花の色がますます美しくなっていく景色をご覧になっておられますと、空の色も急に変わって、野分(台風)が激しく吹き出しました。花々が萎れる様子には何とも思わない人でさえ「あぁ、困ったこと……」と騒がずにいられませんのに、中宮はまして、草むらに降りている露の玉が乱れることに、大層御心を痛めておいでになりました。空を覆うほどの袖は、秋の空にこそ欲しいように思われました。日が暮れゆくままに、物も見えないほど風が吹き荒れて恐ろしく、御格子を閉めてしまいましたので、中宮は花の様子が大層気がかりになられ、嘆いておられました。

 春の御殿(紫上の御殿)でも、御庭の手入れをさせなさいました折も折、野分が強く吹き出しました。根元のまばらになった小萩が風を待っていたとするならば、これは体裁悪いほどの激しい風の吹き様でございました。枝は折れ返り、露も留まれないほどに吹き散らしますのを、紫上は端近の所でご覧になっていました。

 源氏の大殿が明石の姫君のところに行っておられ留守の間に、中将(夕霧)がおいでになりました。東側の渡殿の小障子(衝立)の上から妻戸の開いた隙間を何気なく覗きなさいますと、女房が大勢見えますので、立ち止まってそっと見ておられました。風が強いため、御屏風も押し畳んで隅に寄せてありますので、中の方まで見通せます。

 廂の御座所に一人の女性が座っておられました。それは他の人に見間違えるはずもなく、気高く清らかで、ぱっと美しい感じがして……あたかも春の曙の霞の間から、雅やかな樺桜が咲き乱れているのを見る心地がしました。不礼にも隙間から拝見している中将の顔にも、移りくるような柔らかい美しい雰囲気が溢れて、又となく美しい御姿でした。吹き上げられる御簾を女房たちが抑えていますのを、どうしたのでしょうか、紫上がにっこりなさっておられるそのご様子が、大層素晴らしく見えます。ご覧になっていた御庭の花々を心配して、花を見捨てて奥に入ることがおできになりません。お仕えする女房たちも、様々に美しげな姿なのですが、中将の目に映るはずもありませんでした。

 「父大臣(源氏の君)が、大層気遣って、男を遠ざけて近づけないようになさるのは、このように紫上を見る人が平静にいることができないほどに美しいご容貌だから……万一、紫上に心奪われることがあったら困る……と、用心深いご性格からご懸念なさっていたのだ」と今、気付きなさいますと、父君が恐ろしいような気持がして、そこを立ち去ろうとなさいました。

 ちょうどその時、西の御方(明石の姫君)のお部屋から、源氏の君がお戻りになりました。

 「大層ひどい突風だ。御格子を下ろしなさい。男達がいるだろうに……。中が丸見えになっているだろう……」と仰る声が聞こえますので、夕霧が小障子の所に寄って中を伺いますと、大臣も何か仰り微笑みながら、紫上を見ておられました。わが父親とは思えないほど、若々しく美しく雅で、美しい盛りの御姿でした。紫上は大人になられ、女盛りの美しさを備え、見事なお二人のご様子を見ますと、身に染みるほどの思いでした。その時、この渡殿の格子が風で吹き放って、立っている所が丸見えになりましたので、夕霧は怖くなって立ち退きました。今来たように、小声で咳払いをして、縁側の方に歩み出られますと、

 「それご覧なさい。中が丸見えだったのでしょう……」と仰いました。紫上は、今、妻戸が開いていたことにお気づきになりました。夕霧は、
 「長い年月、このように紫上にお逢いすることが全くなかったものを……風は岩をも吹き上げるに違いない。あれほどの用心深い御心を、風が騒がして……誠に珍しく嬉しい目を見たものだ……」と、お思いになりました。

 ますます酷い風が吹くようになり、家司の人達が参上してきました。
 「北東の方から吹いていますので、この春の御庭は静かですが、馬場の御殿や南の釣殿などは危うい様でございます」などと、あれこれ作業をしながら大騒ぎをしています。源氏の君は、
 「中将はどこからきたのか……」とお尋ねになりました。

 「三条の宮にいたのですが、風が激しくなるに違いない……と人々が申しましたので、こちらが心配で参上いたしました。三条ではここより心細く、大宮が昔に返って幼児のように、風の音をも怖がっていらっしゃいますので、お気の毒で……、又、すぐに行かせていただきます」と申し上げますと、
 「本当に、早く行ってあげなさい。年をとれば、また若くなるはずもないけれど、誠に幼く心細くなってしまわれるものだ」と哀れがりなさいまして、
 『このように風が騒がしいので、この朝臣が側におりましたらご安心かと思いまして、彼に任せました』と、伝言を託しなさいました。

 三条宮への道すがら、風は激しく入り揉みしていました。中将は心行き届いた方ですので、三条宮と六条院とに参上し、お見舞いをなさいました。宮中の御物忌などで、やむなく宿直しなければならない日以外は、忙しい公事や節会などで時間がかかり、用事が重なって多忙になっても、時間を調整しては、まず六条院に参上し、その後三条宮から宮中に出仕なさいます。まして今日のような空模様の時には、強く風の吹く前に、あちらこちら動き廻りなさいますのは、しみじみ優しいご性格にみえました。大宮も大層嬉しくお思いになり、頼もしい……とお出でを待ち受けなさいまして、
 「ここまで長生きして……、今までこれほど物騒がせな野分には、遭ったことがない……」と、ただ震えておられました。

 「大きな枝などが折れる音も恐ろしく、御殿の瓦さえ、残らず吹き飛ばされているのに、よくおいでくださいました」と震えながら仰いました。かつて左大臣ご存命のころには、身動きできないほどのご勢力も、今は鎮まり、この夕霧を頼りにしておられるのも、誠に無情の世の中でございます。今も、大方の人望が薄らいだということはないのですが、内大臣(大宮の息子)の御態度が少々疎遠のようでございました。

 中将は一晩中、荒々しい風の音を聞きながら、何となく物侘びしい気持がしておられました。心にかけて恋しいと想う人(雲居の雁)のことはさしおいて、先程、逢った紫上の御面影が忘れられないので、
 「わが心は一体何を想っているのか……。あってはならない恋心も添うならば、大層恐ろしいことだ……」と、自分から思いを紛らわして、他の事に思いを移そうとなさいましたが、やはり面影が何度も浮かんできて……過去も将来も、またとない美しいお姿でいらっしゃると思われました。

 このように素晴らしい御方がありながら、源氏の君は東の御方(花散里)をも、御夫人の一人として並べておられますが、あの方は紫上とは比べものにならないではないか……。何ともお気の毒なこと……」と、父大臣の優しい御心を、他にはないこととお判りになりました。夕霧は人柄が真面目な方なので、紫上に想いを寄せることなど、思いもよらないこととしながらも、
 「同じことなら、あのような美しい人をこそ妻として、日々暮らしたいものだ……。限りある命も必ずや、今少し延びることだろう……」と思い続けられました。

 明け方に風が少し穏やかになり、雨が群雨のように時々急に激しく降り出しました。人々が、
 「六条院では、離れの建物などが倒れました……」などと言い合っておりました。風が吹き荒れるうちは、広々と棟の高い感じのする六条院には、特に源氏の君のおられる御殿辺りに、家司など大勢仕えておりますけれど、花散里のおられる東の町などは、人少なで心細く思われるだろう…とお気づきになって、夕霧はまだ夜明け前のほのぼのとする頃に、参上なさいました。

 途中、横なぐりの冷たい雨が、御車に降り込んできました。空の景色も恐ろしいのに、不思議に、わが心が離れたような気持になって、
 「何事か、又、わが心に物思いが加わったことよ……紫上への恋心など、誠に不都合なことである。あぁ、気違いじみている……」等とあれこれ思いながら、東の御方にまず参上なさいました。花散里は怯えきっておいでになりましたので、何とかお慰めして、人を呼んで修理すべきことなどを命じなさいました。

 その後、南の御殿に再び参上なさいますと、まだ御格子も上げていません。夕霧が御殿の高欄(手すり)にもたれて御庭を見渡しますと、築山の木々を風が吹き倒し、木の枝も全て折れ伏していました。草むらは言うまでもなく、檜皮や瓦、所々の立蔀、透垣などが辺りに乱れ散らばっていました。野分の合間、朝日がわずかにさし出してきますと、野分に心配そうな顔をしていた庭の露がきらきらとしておりました。空には大層濃い霧がかかっていますので、夕霧は、何という理由もなく涙が落ちるのを袖で拭い隠して、小さく咳払いをなさいました。
 「中将が来ているようだ。夜はまだ深いだろうに……」と、起きあがりなさった気配がしました。
 「何事でしょうか……」紫上のお声はしないのですが、大臣が少しお笑いになって、
 「昔から、この暁の別れを、貴女は分からせずにきてしまったのですね。今になって経験なさるのもお辛いことでしょう……」と、しばらくお二人で話をなさっているご様子は、大層優雅でございました。紫上のお返事は聞こえませんが、かすかに言葉の感じが分かり、ゆるぎないご夫婦仲だなぁ……と、お聞きになっておいでになりました。

 源氏の君が御格子をご自分で引き上げなさいましたので、夕霧はあまりにも間近にいたことがきまり悪く思えて、退いて控えなさいました。
 「昨夜はどうだったか。大宮はお前をお待ちになって、お喜びなさいましたか」
 「はい。些細な事にも涙もろくなられ、大層困ったことでございます」と申しなさいますと、
源氏の君はお笑いになって、

 「この先、あまり長くはないでしょうから、誠実にお仕えしてお世話なさい。内大臣は心細やかに優しくはないようだ……」と、辛く思っておいでのようでした。人柄は不思議とご立派ですが、男性的に片寄っているので、親などに対する孝行といったことにも、大袈裟な見た目だけを重んじて、世間にそれを気付かせようとする心があるため、心にしみて情け深いところはない方でおられました。
 「それはともかくも、思慮ふかく大層賢明な方です。末世のこの世には過ぎたほど学才も並ぶ者もなく、扱い難いところがあるものの、人間としてこのように難点のない事は有り難いことだ……」等と仰いました。

 「大層ひどい風だったが、秋好中宮には、しっかりした宮司などお仕えしていただろうか……」とご心配なさって、この夕霧を使者として、お見舞いに伺わせなさいました。
「昨夜の風の音をどうお聞きになりましたでしょうか。吹き乱れていましたが、私は風邪をひいて大層耐え難くおりまして、休んでいたところでございました……」と伝言を託しなさいました。中将は御前を下りて、中の廊の戸を通って、中宮のもとに参上なさいました。朝日の中に、中将の御姿は大層素晴らしく美しくございました。

 東の対の南の角に立って、中宮の寝殿の方をご覧になりますと、御格子を二間ほど上げて、まだ朝ぼらけの仄かな朝日の中に、御簾を巻き上げて女房たちが座っておりました。手すりによりかかっている若い女房が大勢見えます。皆が気を許しているこの様子はどうしたことだろう。はっきり見えない明け方の頃、色とりどりの衣裳がいずれも美しく見えました。童女を御庭に下ろさせなさいまして、虫籠などに露を与えさせておられました。
 紫苑や撫子の紫色の濃い色や薄い色の袖の上に、女郎花の汗衫(上着)など、季節によく合った衣裳を着た四、五人が、色彩りのよい籠を持って草むらを歩き回っては、風に吹き散らされた撫子の花枝などを折りとって、中宮のもとへ持って行く姿が、霧に見え隠れするのは、大層雅に見えました。今も吹き来る追風は、紫苑の花までが匂っているのではないかと思われるような香りがしました。中宮が袖にお触れになったためであろうかと思われるのも素晴らしいので、御前に進みにくく思われましたけれど、夕霧がしのびやかに挨拶をして歩み出でなさいますと、女房達は驚いた様子ではなく、皆そっと奥に入ってしまいました。

 中宮が入内なさった頃には、夕霧はまだ童(元服前)でしたので、御簾の出入りは馴れていましたから、女房などもあまりよそよそしくはいたしません。お見舞いの言葉を申し上げ、宰相の君や内侍などに小声で話しかけなどなさいました。この御殿では、そうは言っても、中宮が気高く住んでいらっしゃるご様子を見るにつけても、様々なことが思い出されるのでございました。

 南の御殿では御格子を全部上げて、源氏の君と紫上が、昨夜見捨て難かった花々が、見る影もなく萎れ臥しているのをご覧になっておられました。中将が御階(階段)にお座りになって、中宮からのお返事をお伝え申し上げました。
 「荒々しく吹く風をも防いでくださるでしょうと、子供のように心細く思っておりましたが、今は気持ちが落ち着きました」とお伝え申しますと、
 「不思議なほど弱々しくいらっしゃる宮だなぁ。しかし女だけでは恐ろしかったに違いない。本当に気遣いが足りないと、お思いであっただろう……」と仰って、すぐ中宮のもとにお渡りになりました。御直衣をお召しになろうとして、御簾を引き上げて中にお入りになる時、低い御几帳が側にひきよせてありますので、美しい袖口がわずかに見えました。きっと……確かにあの方(紫上)であるに違いない……と思うと、中将は胸がドキドキと高鳴る気がしますので辛く思われ、他の方へ視線をそらせなさいました。

 源氏の君は御鏡をご覧になりながら、そっと小声で、
 「中将の朝方の姿も美しいな……まだ子供の年頃のはずなのに、一人前の男と見えるのも、親の欲目であろうか……」と仰って、ご自分の顔は老い難く美しい……とご覧のようでした。大層心を引き締めなさって、
 「中宮にお目にかかるのは、気後れすることです。特に由緒ありげなところも見えない方ですが、とてもおっとりして女らしいものの、高貴な様子が身についておられ……」とお出ましなさいました。
 中将が思いに耽っていて、お出かけに気付かない様子で座っておられますので、察しの早い源氏の君にはどのように見えたのでしょう。引き返して、紫上に、
 「昨日の風の吹く時に紛れて、中将が貴女のお姿をご覧なさったのではないでしょうか。あの戸が開いていたから……」と仰いました。紫上は、
 「どうしてそんなはずありましょうか。渡殿の方に人の気配などしませんでしたのに……」
 「いや、やはり怪しい……」と独り言を仰って、中宮のところへお渡りになりました。

 源氏の君が中宮の御簾の中にお入りになりましたので、中将は渡殿の戸口のところに立ち寄って、女房たちに何かと気軽に冗談などを仰いましたが、思い悩むことがいろいろおありのようで、いつもよりも沈みがちで座っておられました。

 中宮の町からそのまま北の町においでになりますと、しっかりした家司なども見えず、馴れた下仕えの者が、草の中を歩き回っておりました。童女などが、美しい袙姿でくつろいで、明石の君が特に気を配ってお植えになった竜胆や朝顔の這いまつわる籬垣もみな散り乱れていますので、立ち起こして、元のようにしているようでありました。

 明石の君はしみじみと哀れにお思いになるままに、箏の琴を爪弾きながら、廂の間の端近くに座っておられました。その時、御前駆の声が源氏の君のおいでを告げましたので、気楽にくつろいだ糊のきかない柔らかい着物の上に、衣桁から引き落とした小袿をお召しになり、きちんとけじめをお見せになりましたのは、大層素晴らしいことでございました。
 源氏の君は端の方にちょっとお座りになって、風の騒ぎのお見舞いだけをなさって、つれなくお帰りになりましたので、明石の君には、何とも物足りないことでございます。

   おほかたに 荻の葉過ぐる風の音も 浮き身ひとつにしむ心地して

     (訳)ただ普通に、荻の葉を通り過ぎる風の音さえも、辛いわが身には染み入る心地がいたします。 

と、独り言を仰るのでした。

 西の対では、玉鬘が一晩中恐ろしいと思いながら、夜を明かしなさったせいで、今朝はすっかり寝過ごして、今頃になって鏡などをご覧になっておいでになりました。大袈裟な先払いを制しなさいまして、源氏の君は特別に声もかけずにお部屋にお入りになりました。屏風なども皆、畳んで隅に寄せ、何となく取り散らかしている頃、朝日が華やかに差し出してきました中に、玉鬘はすっきりと美しいお姿で座っていらっしゃいました。 
 その近くにお座りになり、風のお見舞いにかこつけて、いつもと同じように、色めいた戯れ事をうるさく仰るので、玉鬘は堪らなく嫌なことだとお思いになって、
 「このように辛い事をなさるならば、夕べの風と共に、どこかに迷って行ってしまいたかったものを……」とご機嫌を悪くなさいました。源氏の君は大層お笑いになって、
 「風についてどこかに行きたいとは軽々しいことです。それとも頼りにする男があるのでしょうか。私から離れるというお気持ちが出てきたのですね。無理もないことです……」と仰いました。玉鬘は、ただ心に思いついたままに申し上げてしまった……と、ご自身も微笑んでいらっしゃいますのが、大層美しい表情に見えました。酸漿のように、ふっくらして黒髪の乱れかかる隙間からみえるお顔つきが愛らしく思われました。目元のにこやかさがあまり上品に見えないのですが、その他は少しも欠点がありません。

 夕霧は、源氏の君が心から親しげにしておられるご様子に、以前から何とかしてこの玉鬘の御姿を見たいと思い続けていました。隅の間の御簾や御几帳等が少し乱れているのをそっと引き上げますと、風のため遮る物なども全て取り除かれていますので、中がよく見えます。

 源氏の君が戯れ事をなさる様子に
 「妙なことだなぁ……親子と言いながらも、このように懐に抱かれるほど身近にいてよいものか」と思わず目が留まりました。父君が自分を見つけなさるのは恐ろしいけれど、二人の様子が変なので、心が動揺してなおも見ていますと、玉鬘が柱に隠れるようにして少し横を向いているのを、源氏の君が引き寄せなさいました。髪が靡いてはらはらと零れかかった時に、女君は嫌がる様子ながら、それでもとてもなごやかなに、源氏の君によりかかっていらっしゃるので、
 「すっかり馴れ馴れしい間柄であるようだ……。いや、これは何と見苦しいことか。一体どういうことなのだろう。父君は女性のことになると手落ちがないので、生まれた時からずっと見馴れて、手元でお育てなさった姫君ではないので、特に強くこのような思いが加わるのだろう。もっともな事とは言え、不愉快な事だ……」と思う夕霧の心もまた、恥ずかしいことでありました。

 「美しい玉鬘のご様子に、姉弟といっても少し遠い関係……腹違いなのだと考えるならば、どうして心得違いをしないだろうか」と思われました。

 昨日拝見した方のご様子にはどことなく劣って見えますが、ひと目見ると思わず微笑むほど美しい紫上と立ち並ぶほどに美しく見えました。八重山吹の花が咲き乱れる盛りに霧がかかり、それが夕映えの中のようだ……とふと思い出されました。季節には合わない比喩ではあるけれど、やはりこれが感じたままでございました。花の美しさには限りがあり、萎れた蘂なども混じるものであるが、玉鬘のお姿の美しさは例えようもありませんでした。

 玉鬘の御前には女房達も出てきませんので、お二人は大層親しげに小声で語り合っておいでになりましたが、どうしたのでしょうか、源氏の君が急に真面目な顔つきで、立ち上がりなさいました。

   吹き乱る風の景色に女郎花 しほれしぬへき心地こそすれ

     (訳)吹き乱す風のせいで、女郎花は萎れてしまいそうな心地がします……

 それ以上は聞こえてこきませんが、源氏の君が歌を誦じなさるのをかすかに聞きますと、不愉快な心地がしました。女君の様子があまりに美しいので、もっと見ていたいと思われましたけれど、源氏の君に、近くに居る事を悟られまいと、そこを立ち去りなさいました。ご返歌は、

   した露になひかましかは女郎花 荒き風にはしほれさらまし

     (訳)下葉の露になびいたならば、女郎花は荒い風には萎れないでしょうに……

なよ竹をご覧なさい……」などと仰いました。聞き間違いでありましょうか。父娘の歌としては、あまり聞きよい歌ではありませんでした。

 源氏の君は東の御方へ、ここ西の対からお渡りになりました。野分の翌朝の寒さで、気を許したのでしょうか。裁縫などをする老女房たちが御前に大勢おりました。細櫃(箱)のような物に棉を引っかけて、冬物に綿入れをしている若女房たちもおりました。大層美しい朽葉色の羅(薄物)に今風の色で見事に艶だししたものなどを辺りに散らかしておりました。

 「中将の下襲か、御前で催される壺前栽の宴も中止になってしまっただろう。このように風が吹き散らしたのでは、何の催し事ができようか。淋しい秋になるだろう……」等と仰いました。何の着物にお仕立てになるのか、様々な衣装の色合いがとても美しいので、
 「このような染色の方面では、この花散里は南の上(紫上)にも負けない……」とお思いになりました。

源氏の君の御直衣や花文綾を、最近摘んだ花で薄く染め出しなさいましたのは、大層素晴らしい色をしていました。
 「中将にこそ、このような色合いのものをお着せなさい。若い人の直衣として見た目も感じがよいでしょう」というようなことを申しなさって、紫上のところにお渡りになりました。

 中将は、源氏の君が気疲れする方々をお見舞いなさるのをお伴して歩きましたので、何か気持ちが晴れません。書きたいと思っているお見舞いの手紙などそのままに、日が高くなってしまったのを気にしながら、明石の姫君のところに参られました。

 「まだあちら(紫上の所)においででございます。野分の風を怖がりなさいまして、今朝はお起きになることができませんでした」と、御乳母が申し上げました。夕霧は、
 「騒がしい風であったから、こちらに宿直しようと思いましたが、大宮が大層怖がっておられましたので……。お雛様の御殿(明石の姫君)はいかがでございましたか……」とお尋ねになりますと、女房たちは笑って、
 「扇の風でさえ吹けば大変な事とお思いになっていらっしゃいますので、危うく吹きまくられてしまうところでした。この姫君のお世話には困り果てております」などと打ち明けました。

 中将が、
 「大袈裟でない紙はありませんか。お局の硯を……」とご所望になりましたので、御厨子(戸棚)の紙一巻を硯の蓋に載せて差し上げますと、
 「いや、これは畏れ多く……」と仰いましたが、北の殿(生母・明石の上)への敬意を思えば、すこしも気を使うほどでない気がして、御文をお書きになりました。
 墨は心を込めて押し擦り、筆の先を見ながら、紫色の薄地の紙に細やかに書きながら、筆を休めておられる様子は大層素晴らしいものでした。けれども妙に型にはまって、嫌な詠み癖が出るようで、

   風騒ぎ むら雲まよふ夕べにも 忘るる間なく忘られぬ君

     (訳)風が吹き騒いで、むら雲が乱れる夕べにも、片時も忘れられない貴女です

と書いて、吹き乱れた萱に結び付けなさいましたので、女房たちは、
 「交野の少将は紙の色に合わせた枝に結びつけたようですが……」と申し上げました。

 「その程度の色も思い浮かばなかったなぁ。どこの野辺の花が、この気持ちを分かってくれるのか……」と、このような女房たちにも言葉少なに応対して、しかし気を許すことなく、とても生真面目に気高くおられました。もう一通お書きになりまして、お供の馬助にお渡しになりました。可愛らしい童や、大層慣れた随身(家来)にささやいて渡しますのを、若い女房たちは誰に宛てたか知りたがっておりました。

 明石の姫君がこちらにお戻りになるというので、女房たちはざわめいて、御几帳を直したりしています。夕霧は覗き見た花のように美しい顔と比べたく思いましたので、いつもは見たがりもしないご性格なのに、無理に妻戸の御簾を引き被るようにして、几帳の隙間からご覧になりますと、姫君が物陰からちょうど今お通りになるお姿が目に入りました。女房たちが頻繁に往き来するので、誰なのかよく分からないほどで大層不満に思えました。姫君は薄紫色のお着物で、まだ背丈には届かない髪は裾が扇を広げたようで、とてもほっそりとした小柄な体つきが可愛らしくいじらしくみえました。

 「一昨年頃、偶然にちらっとお姿を拝見しましたが、また一段と御成長なさったようでございます。まして盛りになられたら、どんなに美しいだろう……」と思われました。
 前に覗き見たあの方々(紫上と玉鬘)を桜と山吹に例えるならば、この明石の姫君は藤の花と言うべきでしょうか。小高い木から咲きかかって、風になびいている美しさは、そのような感じだ」と、比べなさいました。このように美しい方々に、心のむくままに明け暮れお逢いしたいものだ。そのようにあるべき身内の間柄なのに、父源氏の君が少しも近づけないように厳しく隔てをなさることは、大層辛いことだ……」などと思いますと、真面目な御心も何となく落ち着かない心地がしました。

 祖母大宮のもとに参上なさいますと、大宮は静かに仏道のお勤めをなさっておられました。気の利いた女房などは、ここにも伺候しているのですが、物腰や応対の様子、着ている装束などが、栄華を誇る六条院とは比較にもなりません。容貌の美しい尼君たちの、墨染の法衣を着た簡素な姿こそが、かえってこのような三条邸ではしみじみと風情の感じられるものでございました。

 内大臣もちょうど参上なさいましたので、御殿油(燈火)などを灯して、物静かにお話など申し上げなさいました。
 「姫君(雲居雁)に久しくお逢いしていないのを、あまりのことと情けなく……」と、中将はただ大層お泣きになりました。
 「すぐにも姫君を参らせましょう。ひとり物思いをしておりまして、惜しいことにすっかり窶れてしまっているようです。女の子というものは、はっきり言えば、大層気がかりになるので、持つべきものではないですね。何かにつけて気苦労ばかりさせられました……」と、わだかまりを持ったご様子で仰いましたので、大宮は心滅入って、すぐにも逢いたいとは申し上げなさいませんでした。その話のついでに、
 「とても不調法な娘をもてあましております……」と、愚痴などを仰って苦笑なさいました。

大宮は、
 「まぁ、可笑しな話ですね。貴方の娘というからには、性質の良くないこと等ありましょうか」と仰いますと、
 「実はそれが体裁の悪いことになるのです。何とか母君にご覧にいれたいものです」と申し上げなさったとか……。

( 終 )

 源氏物語ー野分(第二十八帖)
 平成十七年初冬 WAKOGENJI(文・絵)

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