能 「浮 舟 ーうきふね
詞章と現代語訳


能楽 : 「浮 舟」           

作者 : 世阿弥(作詞:横尾元久)        

素材 : 「源氏物語」 宇治十帖より 「浮舟」の巻  

場所 : 前場 山城の国宇治の里。宇治川のほとり。

    後場 山城の国小野の里。

登場人物  

  前シテ…………里の女(化身)  水衣女出建つ(紅入又は紅無)

  後シテ…………浮舟の君(霊)  唐織り脱下女出立(紅入)

  ワ キ…………旅の僧      着流僧出立

  ア イ…………里の男      長上下出立


あらすじ

初瀬の観世音にて修行をしていた僧が、修行が明けて都に戻る途中、宇治の里に立ち寄ると、ひとりの里女に出会う。女は「ここは昔、浮舟が住んでいた土地である」と語る。浮舟とは源氏物語の宇治十帖に登場する女性の名。興味を持った僧は詳しい話をしてくれるように所望すると、女は話しを始めた。

 浮舟というのは、光源氏の息子である薫大将が一時的にこの地に住まわせた女性であった。大層美しく、人懐こい優しい性格で、おおらかに日々を過ごしていたが、ある時、光源氏の兄・朱雀院の息子で、色好みの匂兵部卿宮が浮舟のもとにやってくる。

 そして闇の中、薫大将の訪問と勘違いした浮舟は、匂兵部卿宮と契りを結んでしまう。途絶えがちになる薫大将の来訪とは対照的に、匂宮の情熱的な求愛に、罪深さを感じながらも心惹かれていく。だが浮舟が心から頼りにするのは、やはり薫大将。そのため二人の板ばさみになり、どちらに頼るべきかを決め兼ねて苦しむ浮舟は、悩み抜いた末、死ぬ決意をし、行方知れずになってしまった。

 僧は、里女の話す物語が余りに詳しいので不審に思い、女の素性を聞く。すると女は、自分は小野という所に住む者であると答え「今も物の怪に悩む身であり、法力に頼りたいので、都に戻るついでに小野の家へ寄って欲しい」と伝えて消えてしまう。

 里女が消えた後、宇治の里に住む者が現れ、里女と同様、浮舟についての物語を始める。そして、その女はまだこの世に心を残す浮舟の霊だから、小野へ行って、その魂を弔ってくれるよう進言する。僧は宇治を出発し、小野へ向う。

 小野へ着き、横川の近くで、浮舟の霊を慰めるため、回向を始める。

 そこに浮舟の霊が現れる。浮舟の霊は、生前二人の男への愛に苦しみ、世をはかなんで自殺しようとした事。死のうとした時、物の怪に憑かれてたこと。そこに初瀬からやって来た横川の僧都に助けられた事などを告白する。

 そして、死してもなお物の怪に苦しめられていたので、初瀬から来た僧に弔ってもらいたいと思っていたところ、願い通りこの川辺で念願の弔いを受けたため、都卒

(極楽)に生まれ変わる事ができた……と言い、喜びながら消えていく。

 白々と明け始めた横川では、ただ風にゆれる杉の木が残るだけであった。



謡 曲「 浮 舟 」詞 章


現代語訳

ワキ詞「これは諸国一見の僧にて候


我 此程は初瀬に候ひしが 


これより都に上らばやと思ひ候


道行「初瀬山 夕越え暮れし宿もはや/\


檜原の外に三輪の山 しるしの杉も


立ち別れ 嵐とともにならの葉の


暫し休らふ程もなく 狛の渡や足早み


宇治の里にも着きにけり /\


詞「急ぎ候ふ程に これは早宇治の


里に着きて候 暫く休らひ名所


をも眺めばやと思ひ候


シテサシ一セイ「柴積船の寄る波も


なほたづきなき 憂き身かな


二ノ句「憂きは心の科ぞとて たが世を


かこつ方もなし 住みはてぬ住家は


僧「私は都の方から出て来た僧です。


ちょうど初瀬にある長谷観世音での修行が終わったので、


これから都に戻るところです。


道行 「初瀬山を夕方越え、宿を出発すれば、


桧原の向こうの三輪山の杉の目印とも


別れを告げ、嵐の中、奈良に着くが、


暫く休むこともなく、狛の渡しを過ぎ足を速めるうちに


宇治の里に着いた。


急ぎ旅をしたので、ここは早くも宇治の


里に着きました。暫く休息をとり、名所旧跡


でも眺めようかと思います。


シテ「宇治川の柴積み舟のように年を重ねても、


頼る人もなく辛い身であることよ。


サシコエ「死ぬこともできず


このまま宇治に住み続けることは、


宇治の橋ばしら 起居苦しき思ひ草


葉末の露を憂き身にて 老い行く末も


白真弓 もとの心を歎くなり


下歌「とにかくに定なき世の影たのむ


上歌「月日も受けよ行末の /\


神に祈のかなひなば 頼みをかけて


御注連縄。長くや世をも祈らまし 


長くや世をも祈らまし


ワキ詞「いかにこれなる女性に尋ね


申すべき事の候


シテ「此方の事にて候ふか何事


にて候ふぞ


ワキ「此宇治の里に於て 古いかなる


人の住み給ひて候ふぞ


委しく御物語り候へ


シテ「処には住み候へども 賎しき身にて

何とつらいことか。


はかない命を授けられ、老い先も分からないのに(薫の大将か匂宮か)どちらの男を頼るべきか決めかねた


昔の心(優柔不断さ)を嘆くだけである


下歌 「いつ命が尽きるか分からぬ運命だから、せめて何か頼りとなるものを見いだそう


上歌 「せめて月や太陽に自分の行く末を頼るとしよう


神に祈りが届くのなら、自分の行く末をお願いして、


これからの長い人生の頼みにしよう。


ワキ「もうしそこの柴舟に乗った女の方に


お尋ねしたい事があります。


シテ「私の事でしょうか。どのような


ご用件でしょう。


ワキ「この宇治の里には、昔、どんな


人がお住まいになっていたのでしょうか。


詳しくお話しくださいませんか


シテ「この土地に住んではおりますが、賤しき身の上ですので


候へば 委しき事をも知らず候さり


ながら 古この処には 浮舟とやらん


の住み給ひしとなり 同じ女の身


なれども 数にもあらぬ憂き身なれば 


いかでかさまでは知り候ふべき


ワキ詞「実にげに光源氏の物語。なほ世に


絶えぬ言の葉の それさへ添へて


聞かまほしきに 心に残し給ふなよ


シテ詞「むつかしの事を問ひ給ふや


里の名を聞かじといひし人も


こそあれ。さのみは何と問ひ給ふぞ


地歌「さなきだに古の /\


恋しかるべき橘の小島が崎を見渡せば


川より遠の夕煙立つ川風に行く雲の


あとより雪の色添へて 山は鏡を


かけまくも 畏き世々にありながら 

詳しいことは存じあげませんが、


ただこの宇治の里には、昔、浮舟とかいう人が


住んでおられました。私と同じ女の身で


ありましたが、儚い身の上でございますから、(その方が)


どのようなご様子かまでは存じません。


ワキ「確かに浮舟は、光源氏の物語にでています。


今なお、この世に伝えられる物語を添えて

伺いたいので、包み隠さずお話し下さい。


シテ「なんとも面倒なご要望ですこと。


里の名を聞くのも辛いと言った人も


あるのに、何をお尋ねになるのでしょう。


「そうでなくてさえ、昔の、(人を恋する事は苦しいのに)


恋しかった橘の小島が崎を見渡すと


川向こうには夕煙が立ち、川風に吹かれて、雲が流れ


雪を頂いた山が鏡を


かけたように陽光を反射させている。
(昔の宇治の景色を目にすると)聖代の世にいきながら


なほ身を宇治と思はめや


なほ身を宇治と思はめや


ワキ詞「なほ/\ 浮舟の御事委しく


御物語り候へ


地クリ「そも/\ この物語と申すに


其品々も妙にして 事の心広ければ 


拾ひて云はん 言の葉の


シテサシ「玉の数にもあらぬ身の 


そむきし世をやあらはすべき


「まづ此里に古は 人々あまた住み


給ひける類ながら 取り分き此浮舟は


薫中将のかりそめに すゑ給ひし名なり


クセ「人がらもなつかしく 心ざまよし


有りておほとかに過し給ひしを 物いひ


さがなき世の人の ほのめかし聞えしを


色深き心にて 兵部卿の宮なん忍びて

なお辛い身と思わずにいられない。


なお辛い身と思わずにいられない


ワキ「浮舟の事について、もっと詳しい


話をお聞かせ下さい。


地謡(クリ)「そもそも源氏物語というのは、


各 巻にも趣きがあり、恋愛の話が多いので、


かいつまんで話すしかないのだが、


シテ(サシコエ) その中で時めいていたわけでもなく


世を背いた女性の事など話すに値するのだろうか。


地謡「もともとこの里は昔、人々が多くお住まいに


なっていたが、中でもこの浮舟は、


薫大将が一時、宇治に住まわせた女性です。


クセ 「この浮舟は、性格は人懐こく、心優しくて、


おおらかに日々を過ごしていたが、


世間があれこれ噂するのを、それとなくお聞きになった


色好みの匂兵部卿の宮が、人目をしのんで


尋ねおはせしに 織り縫ふ業のいとま


なき宵の人目も悲しくて 垣間見しつゝ


おはせしも いと不便なりし業なれや


其夜にさても山住の めづらかなりし


有様の心にしみて有明の 


月澄み昇る程なるに


シテ「水の面もくもりなく


「舟さしとめし行方とて 汀の氷踏み


分けて 道は迷はずとありしも浅からぬ


御契なり 一方は長閑にて訪はぬ程経る


思さへ 晴れぬながめとありしにも 


涙の雨や増りけん とにかくに思ひ


わび 此世になくもならばやと 歎きし


末ははかなくて終に跡なくなりにけり


終に跡なくなりにけり


ワキ詞「浮舟の御事は委しく承りぬ

お訪ねになりました。浮舟宅では、裁縫して忙しく、


宵を迎えたのに悲しくも、垣間見しながら


隠れておいでになり、大層不憫なことである。


その夜、美しい浮舟が宇治の山里に住むのが珍しくも思われた匂宮は、

有明の月が澄み昇る頃(彼女を対岸にお渡しになり)


シテ「水面も澄み渡り


地謡「舟をお留めになり「峯の雪 汀の氷踏み


分けて 君にぞ惑ふ 道はまどはず」と詠まれ、


深い契りを結ばれました。 一方、薫大将はのんびりなさった方で、彼女のもとへお通いにならぬまま時が経ち

「水まさるをちの里人いかならん 晴れぬ眺めにかきくらす頃」と歌をお送りになる。

(そのため浮舟は、薫大将か匂兵部卿宮のいずれとも心決めかねて、)


涙の時をを過ごして、思い悩み、


いっそこの世からいなくなれば…と、嘆き


悲しんだ末、行方知れずになってしまった。


ワキ「浮舟のお話は承りました。


さてさて御身は何処に住む人ぞ


シテ「これは此の処にかりに通ひものする


なり 妾が住家は小野の者


都のつてに訪ひ給へ


ワキ「あら不思議や 何とやらん事


たがひたるやうに候 さて小野にては


誰とか尋ね申すべき


シテ「隠れはあらじ大比叡の杉のしるしは


なけれども 横川の水の住む方を 


比叡坂と尋ね給ふべし


地歌「なほ物怪の身に添ひて 悩む


事なんある身なり法力を頼み給ひつゝ


あれにて待ち申さんと 浮き立つ雲の


跡もなく 行く方知らずなりにけり


行く方知らずなりにけり

     
       中 入 間


さて貴女はどこにお住まいの方ですか。


シテ「私は宇治の里に所要で通いくる者


です。住まいは小野にありますから、


都へ向かわれる途中にお立ち寄り下さい。


ワキ「不思議な事を仰る。どこか通常とは


違うように思われます。ところで小野では


どちらをお尋ねすればよいのでしょう。


シテ「隠すのではないが、大比叡の杉の目印こそ


ありませんが、横川の流れる方に


比叡坂をお尋ね下さい。


地謡「なお物の怪が憑いていて、悩ん


でいる身である。仏法の力をお頼みしながら、


あちらの地でお待ちしている…と言い、浮き雲のように


跡もなく、その姿は消えてしまった。


消えてしまいました。


     中 入 間


ワキ詞「かくて小野には来れども 


いづくを宿と定むべき


歌「処の名さへ小野なれば /\


草の枕は理や 今宵はこゝに経を読み


かの御跡を 弔ふとかや


かの御跡を 弔ふとかや


後シテ一声「亡き影の絶えぬも同じ涙川


よるべ定めぬ浮舟の法の力を頼むなり


あさましや元より我は浮舟の 寄る方


わかでたゞよふ世に 憂き名洩れんと


思ひわび 此世になくもならばやと


明暮思ひ煩ひて 人皆寝たりしに


妻戸を放ち出でたれば 風烈しう


河波荒う聞こえしに 知らぬ男の


寄り来つゝ 誘ひ行くと思ひしより


心も空になりはてゝ


ワキ「こうして 小野に来たけれど、


どこを宿と決めようか。


歌「この地の名さえ小野ならば、


草の枕は当然のこと。今宵はここで経を読み、


あの浮舟の霊を慰めるために、菩提を弔おう。


あの霊を慰めるために、菩提を弔おう


シテ「死んでなお、絶えない悲しみの涙にくれ、


何を頼ればいいか分からぬ身なので、仏法の力におすがりしよう。

何と浅ましい。もともと私は浮き舟のように、頼りもなく、


世間の波にもまれ、匂宮との噂が洩れはしないかと


思い悩み、この世からいなくなりたいと、


明け暮れ思い詰めたのです。人が皆、寝静まった跡、


妻戸を開け放ち、外に出たところ、風は激しく、


荒れ狂う川波の音が聞こえ、見知らぬ男が


近づいてきて、私を誘っていると思った途端、


意識をなくしてしまい


カケリ「あふさきるさの事もなく


地「我かの気色もあさましや


シテ「あさましや あさましやな橘の


「小島の色は変らじを


シテ「此浮舟ぞ よるべ知られぬ


「大慈大悲の理は /\


世に広けれど殊に我が 心一つに


怠らず 明けては出づる日の影を


絶えぬ光と仰ぎつゝ 暮れては闇に


迷ふべき後の世かけて頼みしに


シテ「頼みしまゝの 観音の慈悲


地「頼みしまゝの 観音の慈悲


初瀬の便に横川の僧都に 見付け


られつゝ 小野に伴ひ 祈り加持して


物怪のけしも 夢の世になほ苦しみは


大比叡や 横川の杉の古き事ども

地謡「どうする暇もなく、


地「正気を失ない、何とも浅ましい。


シテ「浅ましい浅ましい。橘の、


地謡「小島は色も変らじを 


シテ「この浮舟で行方知られぬ


地「御仏の慈悲は、御仏の慈悲は、


世に広く行き渡っているが、殊に私は一心に


拝み申し上げた。夜が明ければ昇る日の光を


御仏の後光と仰ぎ、日が暮れては、暗闇に


死後に迷う無明世界を見る。
(死後、無明世界に転生しないよう祈った)

シテ「観音のお慈悲は心に念じた通り、


地謡「観音のお慈悲は心に念じた通り、


初瀬から戻る横川の僧都に見つけられ、


小野に連れてこられて、加持祈祷をして、


物の怪は退散し、夢の世にもなお、苦しみは多く、


横川の古い事が思い出され、様々な方々が、


夢に現れ 見え給ひ 今此聖も同じ便に


弔ひ受けんと 思ひしに 思のまゝに


執心晴れて 都卒に生まるゝ うれしきと


いふかと思へば明け立つ横川


いふかと思へば明け立つ横川の


杉の嵐や残るらん 杉の嵐もや残るらん

夢に登場なさる。今、横川の聖と同じように


弔いを受けようと思っていたところ、願いが叶って、


執心は晴れ、都率天に転生するのは嬉しいことである


そう言ったかと思うと、夜は明けて、


(浮舟の姿は見えなくなり) ただ横川の


杉に、風が吹き付けるだけだった。 

参考資料: 「半魚文庫」・「謡曲大観」・他

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