要約
ー源氏物語 (6)宇治十帖


匂宮~夢浮橋(第42帖~第54帖)

(源氏の君亡き後の匂宮と薫の物語)
 
        
匂 宮ー第42帖

 源氏の君が亡くなりました後、あの輝きを継ぐ方はおられないようでしたが、世間では、今上帝と中宮(明石姫君)の間にお生まれになりました三宮(匂宮)と、女三宮の若君(薫)がそれぞれに美しいと評判でございました。

 亡き紫上が格別に可愛がりなさいました匂宮は、今も二条院にお住まいになり、帝や后が大切にお世話をなさいました。元服なさってからは、兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)となられました。

 その後、六条院におられた御夫人方は、泣きながら各々の御邸にお移りになりました。
花散里は二条東の院に、入道宮(にゅうどうのみや)(女三宮)は三条宮にお移りになり、今后(明石中宮)は内裏にばかりおられますので、六条院は人少なになり大層寂しくなりました。
 右大臣(夕霧)は、
「父君が丹精こめて造られた六条院が、世間から忘れられてしまうのは辛いこと。せめて自分が生きている限りは荒廃させないようにしよう」とお考えになって、丑寅の町にあの一条宮(故柏木の妻)をお移しになり、雲居雁のいる三条殿とを一晩おきに、お通いになったのでございます。

 磨き上げられた二条院も、玉の御殿と評判の六条院の春の御殿も、すべてただお一人の将来のためであったように思われ、明石の御方はご後見をなさりながら、大勢の宮たちのお世話をしておられました。大殿(夕霧)は、源氏の君のご意向通りに、どの御方々にもお仕えなさいまして、
「もし紫上が生きておられたら、どんなにか心尽くしてお世話申し上げたであろう……。私が好意を寄せている事さえお分かりになる折もないまま、お亡くなりになった……」と、尽きせず悲しくお思いになりました。世の人々は、源氏の君を大層慕い申し上げておりましたので、世の中はまるで火が消えたようになってしまいました。

 冷泉院の帝は薫を格別に大切になさいました。十四歳になられ、院の御所で元服の儀式をおさせになり、眩しいほどご立派にお世話なさいました。けれども薫は子供心にも、ご自分の出生について「母宮(女三宮)は盛りの頃に、どうして出家されたのか……」とお悩みになりましたが、尋ねるべき人もいないので思い沈んでおられました。
 その母宮は、今はただ毎日勤行を静かになさいまして、薫が御邸に出入りなさいますのを、頼もしくお思いでございました。

 薫のご容貌は特に美しいのではなく、大層気品があり心深い感じがしますが、源氏の君には少しも似ていないようでした。少し身動ぎなさいますと、その周囲は素晴らしい香りに包まれますので、お忍びで女君のところに立ち寄ろうとしても、はっきりこの君と判るほどですので、面倒に思ってほとんど香をおつけになりません。
 不思議なまでに素晴らしい香りを放っている薫に対し、匂宮は大層競争心をお持ちで、薫に負けないようにと、特に優れた香をいつも焚き合わせておられました。 
 春には梅の花を眺め、秋には、世間が愛する女郎花(おみなえし)や萩の露には心惹かれず、菊や藤袴等 ことさら香りの高い花を好まれますので、人々は風流に心が傾いている……と見ていました。
管弦の遊びの折に、お二人は競いあうように笛を吹き、よきライバルとしてお互いに好意をお持ちでございました。
 世間では「匂 兵部卿」「薫 中将」と、呼んで噂をたてておりました。

 匂 兵部卿は、冷泉院の女一宮を妻に迎えたいと望んでおられました。母女御がとても奥ゆかしい方ですので、その姫宮のご様子も素晴らしく、大層慕わしくお思いでした。
 けれども薫中将は、世の中を空しいものと思いなして、女性に執着して物思いをすることは遠慮される……と諦めておられました。十九歳で三位の宰相(さいしょう)になられました。
 栄華な日々を送りながらも、心の中ではご自分の出生を悲しくお思いで、浮いた好色事はお避けになり、万事に控えめに振る舞っておられました。

 正月賭弓(のりゆみ)が催され、宮中には親王方が大勢参上なさいました。どの方々も気高く美しい中で、匂兵部卿は特に素晴らしく見えました。賭弓の後、六条院で饗宴が催され、寝殿の南の廂の間にて盃がまわされ、やがて座が華やかになるとともに舞などが舞われました。庭先の梅が盛りの頃、中将の素晴らしい香りに更に引き立てられて、この上なく優雅な宴となりました。                                    
                                      
                                     ( 終 )
 
 紅 梅ー第43帖

 その頃、按察大納言(あぜちだいなごん)(柏木の弟)は、帝からのご信望も厚く、理想的な暮らしぶりをなさっておられました。北の方は二人おいでになりましたが、最初の方は亡くなられ、真木柱の君(黒鬚大将の娘)を妻として迎えなさいました。お子様は四人おいでになり、どの御子をも分け隔てなく可愛がっておられました。
 三人の姫君は同じ年頃で、次々と御裳着(成人式)をなさいました。大切にお育てになっているという評判が立ち、多くの男性が求婚なさいました。
 帝や春宮からも入内のご内意があり、一姫(大君(おおいきみ))の入内をお決めになりました。 
 大納言は次の中君(なかのきみ)を、匂兵部卿宮に嫁がせようと考えていましたが、匂宮ご自身は、
三番目の姫君(真木柱の連れ子)に想いを寄せておられました。この姫君は雰囲気は明るく大層愛嬌がありましたが、世間の男性が時のご権勢に追従して、本妻の姫君たちにのみ熱心に求婚なさいますので、ご自身はひっそりと引き篭っておられました。
 そこで匂宮はその弟をお呼びになって、こっそりと三番目の姫君にお手紙など差し上げなさいました。けれどもちょっとしたお返事さえもありませんでした。

 ある日、大納言は紅梅が美しく咲き匂っているのをご覧になって、
「兵部卿宮に一枝差し上げよう。昔、源氏の大将がおられた頃、親しくお仕えしたことが思い出れます。身近な人に先立たれ、お辛いでしょうから……」と若君に持たせなさいました。
 匂宮にその紅梅をお手渡し申し上げますと、大層微笑まれて、
「とても見事だ。色も香りも揃って美しく咲いている……」と、ご賞美なさいました。けれども北の方は、
「娘婿としては、匂宮のお人柄に何の不足がありましょう。将来も有望な方ですのに……」と思いながらも、匂宮が大層好色でお通いになる女性も大勢あり、帝の八宮の姫君にも繁くお通いになっていると評判ですので、娘     を嫁がせることを躊躇(ためら)っておられました。                                                                 

                                     ( 終 )
 
        
竹 河ー第44帖


 これは関白太政大臣(もと鬚黒大将)の家の物語。 源氏の君が亡くなられた後は、世の有様がすっかり変わってしまいました。六条院では、尚侍(ないしのかみ)(玉鬘)のご相続につ
いても、源氏の君の娘分としてお扱いになりましたので、今は大層優雅にお暮らしでございました。玉鬘のお生みになった御子は男三人、女二人。大切にお育てになっておられますうちに、鬚黒の大将はあっけなく亡くなられました。


 男君たちは元服なさり、自然と出世していくようですが、姫君たちをどのようにお世話申し上げようかと、玉鬘は心を悩ませておられました。
 今上帝は姫君に入内の申し入れをなさいましたが、すでに明石の中宮がお側におられますので、末席に入内しても気苦労であろうと入内を躊躇(ためら)っておられました。
 冷泉院も、昔、玉鬘がご意向を無視して鬚黒大将に嫁がれました事を恨めしく思い出され、入内を強く申し入れなさいましたが、やはり決心しかねておられました。

 二人の姫君は大層美しいと評判で、大勢の男達が想いを寄せておりました。中でも右の大殿(夕霧)のご子息・蔵人少将(くろうどのしょうしょう)はとても熱心に求婚しておりました。
 薫君はその頃十四、五才で、四位侍従になられ、人より優れた将来性がはっきり見えますので、玉鬘は娘の婿としてお世話申し上げたいと思っておいでになりました。
 玉鬘の御邸は三条宮の近くにありますので、他の公達と一緒に時々お見えになりました。親しみやすく控えめで、好色なところが少しもなく、優美なお姿ではこれに勝る方はありませんでした。

 正月朔日、玉鬘邸には若い男達が大勢年賀に訪れました。中でも薫君は際立って素晴らしく、女房達は「この方こそ姫君のお側に……」と願っておりました。

 ある日あまりにも生真面目なご性格を、女房がからかいますと、薫君は奥ゆかしくお戯れなさいました。庭先の梅が頼りない蕾をつけていますので、


   よそにては もぎ木なりとや定むらん 下に匂える梅の初花

 (訳)傍目には枯木と見えましょうが、心の中は咲き匂っている梅の初花ですよ

  梅の花盛りの頃に、薫君は再び玉鬘邸を訪れました。
中門の所に蔵人少将が立っていました。寝殿の西面から琵琶や琴の音がするので、心ときめかして来たようです。
 連れだって中に入り、西の渡殿の紅梅の辺りで「梅枝」を口ずさみますと、花よりも美しい香りが辺りに薫りました。御簾の内から和琴が差し出されましたので、侍従の謡う「竹河」に合わせて、薫君がお弾きになりますと、その音は美しく響き渡り、玉鬘には昔が偲ばれて、思わず涙を落されました
。御簾の内から盃をお勧めしますと、
「酔うと、心に秘めた想いを隠しておくことができません……」と、逃げてしまわれました。

 翌朝になって薫君からお手紙がありました。仮名がちに大層美しく、
 
  竹河の橋うちいでし一節に 深き心の底は知りきや

   (訳)「竹河」の歌詞の一節から、私の心の内を知って頂けましたか……
 それからというもの、度々おいでになり、姫君への想いをお伝えになりました。

  三月桜の盛りの頃になり、玉鬘邸では姫君たちがのんびりとお過ごしでした。
十八、九才ほどになられ、ご器量も気立てもそれぞれに素晴らしく、大君(おおいきみ)は桜の細長に山吹襲(やまぶきがさね)をお召しになり愛嬌が溢れるようで、中君(なかのきみ)は薄紅梅に桜色を重ねてすらっと優美で奥ゆかしい感じでした。そこに兄君たちもおいでになりました。

 この立派に成人された御子たちの母親として、玉鬘はまだ大層若く美しいので、冷泉院は今も心惹かれ、昔を恋しく思い出しなさいました。これを口実に玉鬘に逢えれば……とお考えになり、姫君のご入内を申し込みなさいましたが、
「もう御威勢の過ぎた院に娘を宮仕えさせるのは栄なきこと……。源氏の君がおられたら、将来の幸せを取り計らって下さったでしょうに……」と悲しく思われました。

 姫君たちは、御庭の桜を賭けて、
「勝った方にこの花を譲りましょう……」と、ふざけながら碁を打っていらっしゃいました。
 その時、蔵人少将がおいでになりました。廊の戸が開いていましたので、そっと中を覗き込みますと、夕暮れの霞に隠れて大君の桜のお召物が、一層美しく見えました。院に嫁がれますことをしみじみ寂しく思われるのでした。

 四月九日、大君は院に入られました。尚侍(玉鬘)はまず女御の御方にご挨拶なさいまして、夜が更けてから院の御座所に上がられました。后や女御などは皆、長く院にお仕えして年配になっておられますので、姫君はとても愛らしく、華やかにご寵愛を受けなさいました。院は、玉鬘もそのまま院に伺候なさるように、お心遣いなさいましたのに、早くに忍んで退出してしまわれましたので、残念に情けなくお思いになりました。


 院のこの上ないご寵愛が月日とともに深まって、七月にはご懐妊なさいました。大君がとても苦しそうになさいますので、院は毎日のように管弦の御遊びをなさっては、お慰めなさいました。薫君や蔵人少将をお呼びになり、和琴等を弾かせなさいますので、少将にとっては誠に辛いことでございました。

 その年が改まり正月、男踏歌(おとことうか)がおこなわれました。月が明るい夜、踏歌の行列は御前を出発して、冷泉院に参りました。院の女御方も皆、ご覧になりました。薫侍従は右の歌頭を勤められ、蔵人少将も楽人の中におりました。
少将は、
「大君もご覧になっておられるだろうか……」と心落ち着きません。「竹河」を謡いますと、過ぎ去った日のことが思い出され、遂には涙ぐんでしまいました。

 四月になり、大君には女宮がお生まれになりました。院には、すでに女一宮がいらっしゃるのですが、実に久しぶりのことで大層お喜びになり、ずっとご一緒にお過ごしになりました。女御方の女房達はこれを不満に思って、意地悪をする者もありましたので、母・玉鬘は
「宮仕えなど考えるべきではなかった……」とお嘆きになりました。

 その後、中君を帝に入内させることをお決めになり、玉鬘は尚侍の位をお譲りになりました。宮中に参内なさる時もありましたが、今も院の厄介な恋心が続いているようですので、御前には参上なさいません。院のお気持はますます募るのでございました。

 左大臣がなくなられましたので、順に官位が繰り上がり、薫中将は中納言に、三位中将(蔵人)は宰相(さいしょう)になられました。

 院の女御(大君)が里家にお帰りと聞いて、宰相中将(蔵人)がお訪ねになりました。
「昇進の喜びなど何とも思いませんが、私の思いが叶わない嘆きが、年月と共に重なって……」と話しなさる中将は、男盛りで誠に華やかなご容貌でございました。

 玉鬘は、ご自分の息子たちの官位について、年齢から言えば不十分ではないけれど、人に遅れをとった……と嘆いておいでになりました。
                                ( 終 )

    「宇治十帖 」ここからは、宇治を舞台に語られる薫の恋物語です。


 橋 娘ー第45帖

 その頃、世間から忘れられた古宮がおられました。特別の地位につくべき方でしたが、御威勢も衰えて、政界から退かれ、孤立してしまわれました。北の方も高貴な姫君でしたが、世の中悲しい事が多くなり、深い夫婦仲を慰めにひっそり暮らしておられました。

 やがて可愛い女の御子がお生まれになり、続いてまた女の子を出産なさいましたが、大層衰弱なさいまして、遂に亡くなられました。
宮は悲しまれ出家をお考えになりましたが、幼い姫君たちを残していくことを躊躇い、思い留まりなさいました。

 年月が経つにつれ、姫君は大層美しく気品があり、誠に愛らしくなられました。父宮は大切にお育てになりましたが、年月とともに宮邸も段々と寂しくなり、仕えていた女房たちも 姫君を見捨てて去って行きました。

 御庭の優雅な池や築山などが、ひどく荒れてゆくのを眺めながら、宮はますます心細くなられ、頼りにする人もないままに、明け暮れただ勤行をお勤めになりました。世の中から離れて、心だけは聖になられ、御念誦の合間には、姫君たちに琴や琵琶などをお教えになりました。幼い姫君は大層才気があり、誠に愛らしく成長なさいました。

 この古宮は、源氏の君の弟(桐壺院の八宮(はちのみや))でおられましたが、朱雀院の大后の企てによる騒動があり、総てから遠ざけられてしまいました。その後宮邸が焼失して、山々を隔てた宇治にある侘びしい山荘にお移りになりました。それからというもの、世の中を捨てて山奥に籠もってしまわれたのでございます。


 この宇治山に世間でも評判の聖めいた阿闍梨(あじゃり)が住んでいました。八宮が宇治にお住まいと知って、その山荘をお訪ねになり、仏典を説き、親しくお話などなさいました。
 この阿闍梨は冷泉院にも伺候しておられました。院の御前にて
「八宮が教典に深く通じておられ、お考えが悟り澄ましておられます……」とお話し申し上げますと、宰相中将(さいしょうのちゅうじょう)(薫)も そこにおられまして、お互いに手紙などを交わすようになられました。


 ある日、宰相中将が宇治をお訪ねになりました。なるほど八宮の山荘は誠に粗末で、荒々しく水音が響き、風が激しく吹きつけておりました。薫中将は山籠もり修行をする意義や仏典などをお聞きになり、有意義な時間を過ごされました。それからは度々、山荘においでになり、やがて三年程が経ちました。

 秋の末頃、八宮は阿闍梨の御堂に籠もられ、七日程勤行をなさいました。中将は有明の月が差し出した頃に、宇治に出立なさいました。山深く入るにつれて霧が深くなり、生い茂った木々を踏み分けて、宮の山荘の近くまで来られますと、琵琶の清らかな音色が、箏の琴に掻き合わせて、しみじみ聞こえてきました。

 透垣の戸を少し押し開けてそっとご覧になりますと、美しい月を眺めながら、姫君たちが座っておりました。琵琶を弾いている姫君が見えました。雲に隠れていた月が急に明るく差し出し、大層可愛らしく艶々したお顔が見えました。琴の前にいるもう一人の姫君は、少し落ち着いて優雅な感じがしました。
薫中将は「何と美しい……宇治の橋姫のようだ。こんな山奥に、人の心を打つような隠れたことがあるのか」と心惹かれておられました。

 曙の頃に、ようやく山荘に着かれました。薫中将の狩衣姿は大層露に濡れてしまいましたのに、不思議なまでに素晴らしい薫りに満ちあふれておりました。御簾の前に歩み寄ってお座りになりますと、年老いた女房がでてきました。この女房は大層涙もろく、しみじみと昔話などを申し上げました。
「昔、故権大納言(柏木)の乳母だった人が、最期に遺言したことがありますが……」と言い止めた時、遠くで微かに寺の鐘の音が聞こえました。霧が更に深く立ちこめてきましたので、薫中将は仕方なく帰路につかれましたが、あの姫君たちのことが大層心残りに思われ、更に老女房の話が大層心にかかっておられました。


 十月になり、再び宇治へ行かれました。八宮は大層お喜びになり、山里に相応しい趣きあるお持てなしをなさいました。明け方近くになった頃、薫中将は、
「以前霧の深い夜明けに、大層美しい楽の音を聞きました。今一度聞きたく存じます」と申されますと、八宮は、奥の姫君に琴を弾くように促しなさいました。けれども
「まだ未熟で……」と引き篭もってしまわれましたので、誠に残念に思われました。

 八宮が払暁の勤行をなさる間に、先日の老女房(弁の君)にお逢いになりました。
「故大納言の君(柏木)が、遂にご臨終になられました折、わずかにご遺言がございました。……実はご覧に入れたい物がございます」と、微かに香のある袋に縫い込まれた古い手紙を差し出しました。中将はさりげなくこれを受取り、退出なさいました。京に戻られ、袋の中ををご覧になりますと、女君と通わした手紙のようで……まさしくあの方(柏木)の筆跡でございました。
「臨終近くになり、何としても姫宮にお逢いしたい。ご懐妊という御子は、我が子と見ましょう。生き永らえるならば、その岩根に残した松の成長ぶりを ……」等と書かれていました。
「まさか……このようなことがあったとは……」胸も潰れる思いがなさいました。
 薫中将が母宮(女三宮)の御前に参上されますと、母宮はまったく無心に若々しい様子で、読経しておいでになりました。「わが出生の秘密を知ってしまったことを、どうして気付かせ申そうか……           
       
                                  ( 終 )
 

椎 本ー第46帖

 如月の頃、匂兵部卿のご一行は、初瀬観音に参詣に行かれました。その帰りに、宇治にある右大殿(夕霧)の別荘にお立ち寄りなさいました。宮は馴れない遠出に少しお疲れになりましたので、管弦の遊びなどなさりながら ゆっくりお過ごしになりました。

 山里では美しい楽の音も一層澄み渡り、対岸のあの山荘にも聞こえてきました。
八宮には昔が思い出されて、
「美しい笛の音……誰だろう。六条院は大層風情があり、愛嬌のある音をお吹きになりましたけれど、これは澄み上がって気品がある……致仕の大臣の御一族の笛に似ているようだ……」などと独り言を仰いました。

 匂宮は、以前に薫中将から宇治の美しい姫君の話を聞いていましたのでこのような機会にこそお逢いしたい……と、美しい花の枝を折らせて、八宮の山荘に届けさせなさいました。姫君は当惑して、

   かざし折る 花の便りに山がつの 垣根を過ぎる春の旅人

   (訳)貴方は花を手折るついでに、山里をただ通り過ぎてしまう春の旅人

と大層美しくお書きになりました。
 それからも度々、匂宮からのお手紙はありましたが「色好みの親王のお戯れなのでしょう……」とあまり関心のないご様子でした。

 今年、姉君は二十五歳に、中君は二十三歳になられました。
 父宮はいつもより心深く勤行をなさっては、死出の旅立ちの準備ばかりをお考えになりました。そして長い年月、姫君たちを山里に留めたままにしていることを憂いて、「もし後見を申出る人がいたら、その方にお譲りしよう」とお思いでした。
 

 その秋、宰相中将(薫)は中納言になられました。ますますご立派になられるにつけても、痛ましく亡くなられた父君(柏木)のことが思いやられ、再び宇治を訪問なさいました。八宮にお会いしますと、
「私が亡くなりました後も、この二人の姫君をご後見頂きたく……」
「決して疎かになど……頼り甲斐のない身ではございますが、生きている限り心尽くして……」とお応えなさいました。

 音羽山はすっかり秋の気配で、しみじみと趣き深く感じられました。入方の月が差込んで透き影が美しい頃、姫君たちは奥の部屋にいらっしゃいました。父宮がこれほど望まれる結婚ですのに、薫中納言には特に急ぐ気持はないようで……しかしながら大層心惹かれる姫君ですので、
やはり「ご自分のもの……」とお考えでした。


 秋が深まるにつれ、八宮はますます弱々しくなられました。勤行に励もうと山深く入られましたが、急にご気分が悪くなられ、遂にはお亡くなりになりました。二人の姫君は「この世に生きていられない……」と泣き悲しんでおられましたが、寿命の定まった死出の旅路は、どうすることも出来ませんでした。

 忌中が終わりました頃、薫中納言は心を込めて弔問なさいました。東の廂の所に立たれますと、鈍色の喪服姿ですのに、眩いばかりの美しさでございました。
「お気持ちを少しでも晴らし申したく、お伺い申しました」と慰めなさいますと、姫君たちの悲しみも鎮まってきた頃で、亡き父宮への厚志からも、遠い野辺にまで来られた誠意などが少しお分かりになったようで、親わしくお逢いになりました。
黒い御几帳を通した透影が大層痛々しげなので、
   
   色変わる浅茅を見ても墨染めに やつるる袖を思ひこそやれ (薫 君)

   色変わる袖をば露の宿りにて わが身ぞさらに置き所なき  (大 君)

 雪や霰が降る頃に山里はますます心細くなり、雪が深くなるにつれて、人の往き来も絶え果ててしまいました。
 薫中納言がこの雪深い中をお見舞いに訪れました。その御心遣いを浅からず思い知らされ、姫君たちは嬉しくお迎えなさいました。大君のご様子が大層奥ゆかしいので、この方とはやがて恋心に変わる仲なのか……とお思いになりました。

   雪深き山のかけはし君ならで また踏みかよふ跡を見ぬかな (大 君)

      (訳)雪深い山里には、貴方の他に踏み分けて訪れる人などありません

   氷柱(つらら)閉じ 駒踏みしだく山河を 導しがてらまづや渡らむ    (薫 君)
      
      (訳)氷に閉ざされ馬が踏み砕く山河を、宮の案内がてらに
      まづはこの私が貴女のもとに渡りたいものです……

 故八宮が生前お使いになっていた部屋をご覧になりますと、塵が積もって、仏像の飾りだけが以前のように置いてあり、勤行なさっていた床はすっかり片づけてありました。

   立ち寄らん 陰と頼みし椎本(しいがもと) 空しき床になりにけるかな

     (訳)立ち寄るべき陰と頼りにしていた椎の本は、空しい床になりました

 年が変わり、姫君たちが汀の氷が解けるのを眺めておられますと、聖の僧坊から雪の間に摘んだ沢の芹や蕨などが届けられました。
「父宮が摘んで下さった峰の蕨でしたら、これが春の証と知らされましょうに……」などと仰り、今も悲しくお暮らしでございました。
 
 その年三条宮が焼けて、入道宮も六条院にお移りになりました。薫中納言は忙しさに紛れて、宇治へも久しくお訪ねになりませんでした。                                                

                                     ( 終 )

 

総 角ー第47帖

 山里では耳馴れた川風も、この秋は特に悲しく聞こえます。薫中納言は阿闍梨と共に、八宮の一周忌法要のご準備をなさいました。

 薫中納言が山荘をお見舞いなさいますと、御簾の隙間から名香の糸を結んだ糸繰台が見え、
「涙を玉にして、糸を通して……」と、誰かが口ずさんでいるのが聞こえました。
興味深くお思いになり、御願文に供養の心づもりをお書きになった横に

  総角(あげまき)に長き契りを結びこめ  同じ所に縒(よ)りも合わなむ

      (訳)飾り糸の総角に末長い契りを 結び込み、同じ所に睦みたい……

と書き添えました。大君は疎ましくお思いのようでした。

 
中納言は恨めしそうに物思いに耽り、弁の君(老女房)にご相談なさいました。
「故宮が心細い晩年に、姫君をお世話下さいと頼みなさったのに、姫君が私を疎みなさるのは納得できません。儚い露の世に生きている限り、心惹かれる方(大君)には、想いを遂げたい気持でおります。是非お取り計らい下さるように……」と、今夜はお泊まりになるつもりでおいでになりました。
 大君はすげないお扱いもできずに、ご対面なさいました。仏間の戸を開けて、御燈明の光をいつもより明るく照らさせ、簾に屏風を添えてありました。大君が気をお許しになるはずもないものの、優しく愛嬌のあるご様子に胸が切なくなるようでした。中納言は熱い御心の内をお話しなさいましたが、奥に入ってしまわれるご様子なので、
「遠い山路を踏み分けて来た私こそ苦しいのです。ご一緒にいることで慰められ……」と、静かに屏風を押し開けて中にお入りになりました。奥ゆかしいほどの火影で、姫君のご様子は大層美しくいらっしゃいました。

 姫君はとても辛くお思いになって、お泣きになりました。無理に迫るのも気の毒に思えて、優しくお慰めなさいました。喪があけたら姫君のお気持も穏やかになろうかと思い直し、心を静めなさいました。
 いつの間にか夜も明けてしまいました。美しい空の様子を眺めながら、
「こうして月や花を愛で、儚い世を二人で過ごしたいものですね」と申されますと、
「心の隔てなどありません。私も辛いのです……朝の別れを知りませんので……」とお応えなさいました。
遠くで鶏の鳴く声がしました。大君は、
 「やはり私は独り身で暮らすことにしよう。美しい中君(妹)を人並みに結婚させて、私は心の及ぶ限りそのお世話をしよう……」と心に決めておられたのでございました。


 九月になり薫中納言が再びお渡りになりましたが、大君は何かと言い逃れをしてお逢いになりません。
「なぜ疎ましくお思いなのか……。聖めいた八宮の側にいて世の無常を悟りなさったのか。今夜こそ大君のご寝所に……」と仰いますので、弁の君はその手筈を整えました。

 宵を少し過ぎた頃、風が荒々しく吹き、頼りない御邸の蔀(しとみ)がきしんでいます。弁の君はこっそり中納言をご寝室に導き入れました。ちょうど目覚めていた大君は、その足音に気付き、素早く物陰に隠れてしまいました。
 燈火がほのかに明るい中、几帳の帷子を引き上げて、中に入られた中納言は、姫君が一人臥していらっしゃるので、心ときめかしなさいました……が、違う人と判り、隠れてしまった方の冷たさを、情けなく悔しく思われました。
 ようやく気持ちを静めなさいますと、美しく愛らしい妹君のお姿に、
「この方をも、他人のものにはしたくない……」とお思いになりました。優しくお話などをなさりながら、何事もないまま夜を明かしなさいました。

 三条宮邸が焼けた後、匂宮は六条院に移っておられましたので、中納言はいつもおいでになり、高欄(手摺)に寄り掛かって、宇治の姫君の話をなさいました。匂宮は大層興味を持たれ、彼岸の終わりの日に、忍んで宇治にお連れすることになりました。


 その日「薫中納言殿がおいでになりました……」という前駆の声も、姫君たちは疎ましくお聞きになりました。中納言は、
「お伝えしたい事がありますので、夜が更けてから、今一度、大君に逢わせて下さい」とお頼みになり、心には密かにお考えのことがあるようでした。
 大君は、廂の間の障子にしっかり施錠してお逢いになりました。けれども、障子の間から姫君のお袖を捉えて引き寄せ、熱い想いを心深く訴えなさいました。


 一方、匂宮は、打ち合わせの通り、戸口に立って扇を鳴らして合図なさいますと、弁の君が中君の寝室にご案内申し上げました。中君は事情をまったくご存知なく、大層驚かれましたが………そのまま……

 薫中納言は、お袖を捉えたまま、
「運命は思うようにはいかぬものでございます。お詫びは何度でも申し上げましょう。ただ匂宮のご執心は、妹君にございましたので……」と申しなさいますと、大君は、
「運命のことは分かりません。今夜はどのようになさるおつもりか……このように企みなさった御心のほどを推察しかねております。……どうぞお袖をお放しください」
「貴女のお気持に添わぬことなどいたしません」と袖を放しなさいました。夜半の嵐を聞きながら、こちらは今夜も何事もないままお帰りになりました。


 匂宮は早々と、後朝(きぬぎぬ)の手紙(契りの後の御文)をお書きになりました。
 山里では大君も中君も、現実のような気がせずに、思い乱れておられました。
「いろいろ企んでいらしたのか……」と中君は、姉君をもお恨みになり、姉君も、
「怒るのも当然のこと……お可哀想に……」と思っておりました。

 ご結婚二日目の夜、中君は、
「……願わない結婚といっても、いいかげんにはできない……」と、お部屋なども山里らしく風流に整えて、匂宮のお渡りをお待ち申し上げました。中君が美しく身繕いなさいますと、そのお姿は誠に愛らしく、ただ涙が溢れますので、お世話をする姉君もふとお泣きになりました。匂宮の愛情も更に深まり、心尽くして将来をお約束なさいました。

 三日目に当たる夜にも、匂宮はお渡りになりまして、お餅を召し上がり、お二人の結婚の御祝をなさいました。ただ内裏の多忙な日々を思うと胸も塞がって、
「愛していながら、訪れの途絶えることもあろうが、決して案じる事はありません。然るべき準備を整えて、必ず京にお移し申しましょう……」とお約束なさいました。
 妻戸を押し開けて、明けゆく空をお二人でご覧になりますと、霧の立ちこめた情景が誠に素晴らしく思われました。お供の者たちがお帰りを促しますので、匂宮は幾度も振り返っては、躊躇いながら京にお帰りになりました。


 十月上旬、匂宮は紅葉狩りを催して、宇治にお出かけになりました。この機会にこそ、紛れて山荘にお渡りになろうと大層忍んでおられましたのに、ご威勢のためその計画が広まって、上達部や殿上人など大勢が参加なさいました。

 紅葉を葺いた錦の舟で川を上り下りしながら、笛などを合奏なさいました。その美しい音色は対岸の姫君の山荘にも聞こえてきました。匂宮は、宴が静まってからお出かけになろうとお待ちのところに、急に内裏からの仰せ言があり、誠に残念ながら、今日は諦めて帰ることになりました。山荘では、
「……やはり月草のように移り気な方なのか……」と、姫君は思い知りなさいました。
 

匂宮は一時も姫君をお忘れになることはありませんでしたが、お訪ねになることもないまま、月日が空しく過ぎてゆきました。


 一方、内裏では「山里へのお忍び通いは軽々しい」と噂がたち、匂宮を内裏にずっと伺候させるために、左の大殿(夕霧)の六君(ろくのきみ)を無理にも差し上げようと、縁組みが取り決められてしまいました。

 その頃、大君がご病気になられまして、薫中納言は早速お見舞いなさいました。臥せておられる部屋の御簾の前にお通し申しますと、大君は、紅葉狩りの日に、匂宮が素通りなさったことをお話しになり、妹が可哀想で……とお泣きになりました。
 夜になり一層苦しそうになさいますので、御修法などをさせて看病なさいました。
「捨ててしまいたいわが身なのに、生き長らえよ……とお世話くださる中納言の御心は本当にありがたく……」と、初めて慕わしくお思いになりました。
 けれども匂宮と六君(ろくのきみ)との結婚の噂がお耳に入り、
「やはり一時の慰みに、この山里にお通いだったのか。……もうお終い。亡き父宮のところに私をお迎えください」と思い込んでしまわれました。

 夕暮の空が時雨模様で、何かぞっと寒気を感じるような気がしました。
 内裏では忙しい日が続き、幾月もお見舞いがありませんでしたが、薫中納言は急に胸騒ぎがなさって、大切な御公務を放り出して宇治においでになりました。
 老女房は「もともと弱い方で、匂宮のご結婚の噂を聞いてから一層思い悩まれ、衰弱してしまわれました」と泣きました。
 中納言が大君の手を取って声をおかけになりますと、
「幾月も来て下さらないので、お目にかかれないまま、こと切れてしまうのかと……」と大層弱々しく、苦しそうになさいました。けれども……やがてものが隠れてゆくように、大君はお亡くなりになりました。 独り残された中君には、何とも痛々しく悲しいことでございました。
「大君が望まれたように、あの夜、中君と契りを交わしていれば、これからもずっとお世話申し上げられたのに……」と後悔なさいました。それからは京にもお帰りにならず、そのまま山荘に籠もってしまわれました。

 
月日が過ぎてゆきました。激しく雪が降った後、十二月の月が差し込んできました。
 夜明け前、匂宮が深い雪に濡れながら、山荘の戸を叩きなさいました。今頃訪れても、全てがもとに戻るわけでもないので、姫君は思い沈んだまま、ただご無沙汰のお詫びの言葉を聞いておられました。匂宮は、姫君が嘆き悲しんでおられるご様子に胸が痛み、二人の将来を繰り返しお約束申し上げましたのに、中君は、
「過ぎ去った日々さえ心細かったのに、どうして将来が頼りになりましょうか……」と、かすかに仰いまして、奥にお入りになりました。匂宮は大層嘆きながら夜を明かし、
「何としても京にお連れしよう……」とお決めになりました。中納言はそれを聞いて、
「匂宮の代わりに、この私こそが、姫君をお世話しようと考えていたのだが……」と、
中君を手放すことを、悔しくお思いでございました。
                                 

                                     ( 終 )
 

早 蕨ー第48帖

 宇治の山里にも春がやってきましたが、中君は悲しみに暮れておられました。花や鳥の声につけても、この世の悲しさを大君と語り合ってこそ慰められることもありましたが、聞き知る人もいない今は、ただ心細く、総てが真っ暗闇に感じられました。阿闍梨のもとから、蕨(わらび)や土筆(つくし)などが入った籠が届きました。

  この春は誰にか見せむ亡き人の  形見に摘める嶺の早蕨(さわらび)

 新しい年が明けました。何かと忙しい時期も過ぎた頃、薫中納言が二条院に参上なさいますと、匂宮は物思いに耽って、端近くで箏の琴を掻き鳴らしながら、梅の香りを楽しんでおられました。山里のことなどをお尋ねになりますので、今も亡くなられた大君が忘れられず、深い愛情を思い知らされた事などを、しみじみお話しなさいました。

 匂宮が中君を京にお移しすることを相談なさいますと、中納言は、
「誠に喜ばしいことです。後見として、どのようにもお世話すべき方と存じます」と申しなさいましたが、内心は、
「大君の形見の姫君を、この私こそが、お世話申し上げるべきなのに……」と、悔しさが募るようでした。
 服喪の明ける二月の上旬にお引っ越しということで、その準備を始めなさいました。


 姫君がお移りになるその前日、中納言が宇治を訪れました。
「少しでも悲しみをお晴らし申そうとお伺い致しました……」と申しますと、中君は、
「……ただ心乱れて……」と涙を流しておいでになりました。襖障子の口でお逢いになりますと、そのお姿はこちらが恥ずかしくなるほど優美で愛らしくいらっしゃいました。中納言は亡き大君の面影が重なり、胸が痛くなられました。
「大切な人の形見を、他人の妻にしてしまった……」と誠に残念に思われました。


 弁の君は出家をしておりました。大層年をとってはいますが、その態度や心遣いは大層優雅で、嗜みのある女房であったことが窺えます。中納言は、
「尼姿になられ、この山荘にお残りになるのは、まことに有り難く嬉しいことです」と涙ぐみなさいました。
中君は、
「心細くお残りになると思いますと、ここを離れる気がいたしません。時々逢いにきてください……」と優しくお話しなさり、子供が親を慕って泣くようにお泣きになりました。若い女房たちが京に上れることを喜んでいますので、
「亡き姉君を思えば、人は薄情なもの……」と、悲しくご覧になりました。

 月が明るく昇りました。道中、御車は遠く険しい山道を通りました。
「匂宮のお通いが途絶えたのも、仕方のないこと……」と、今になってお判りになりましたが、なお一層これからのことが不安に思われました。

 宵が少し過ぎた頃、二条院にお着きになりました。光輝く寝殿造りの邸内に御車を引き入れますと、匂宮は早くから到着をお待ちになっておられまして、ご自身で御車に近寄って、姫君を抱いて下ろしなさいました。お部屋の調度品なども、心尽くして理想的に整えられており、世間の人々は並々ならぬご寵愛に驚いておりました。

 薫中納言も近くの三条宮邸に移られました。差し向けた供人から、匂宮が中君を大切にしておられると聞きますと、大層嬉しくは思われましたが、やはり取り返したい……と思っておられました。

  右の大殿(夕霧)は、娘・六君を匂宮に嫁がせようと決めておられましたが、宮が
意外な姫君を宇治よりお迎えになりましたので、大層不愉快にお思いでした。


 六君の御裳着(成人式)が盛大に行われ、
「同じ一族で変わり映えしないが、薫中納言を婿にしようか……」と、人を介して窺わせました。けれど中納言は、
「世の無常を目の前に見ましたので、この身こそが不吉に思われまして、その気になれません」とお答えなさいました。大殿はこれ以上無理にお勧めにはなりませんでした。

 桜の盛りの頃、中納言は二条院に参上なさいました。中君は山里の頃とはうって変わって、御簾の内で優雅に暮らしておいでになりました。
「いつでもお訪ねできそうな近い所におりますが、馴れ馴れしいと非難を受けようかと遠慮しておりました。今は山里が思い出され、胸が一杯になり……」と申されますと、
「本当に……。姉君が生きていらしたら、花の色や鳥の声にも心をかけて過ごすことができましたのに……」と、しみじみと悲しみが募るようでした。

 そこへ匂宮が大層美しく身繕いなさっておいでになりました。
「どうして中納言を遠ざけて、御簾の外に座らせなさるのですか。貴女をお世話下さった方ですよ。もっと近くで、昔話などをなさい」と申されました。
「そうは言っても、あまり気を許さぬように……下心があるのかもしれないから」と心安からぬことを仰いますので、中君は大層辛くお思いになりました。
                                
                                 ( 終 )

 

宿 木ー第49帖

 その頃、藤壺にお住まいの女御(にょうご)は、まだ帝が東宮の時に誰よりも先に入内(じゅだい)されましたので、帝のご寵愛は格別でございました。明石中宮に大勢の御子がお生まれになりましたのに、この女御にはただ一人の女宮しかおられません。けれども帝はこの女二宮(おんなにのみや)をとても大切になさいますので、華やかに趣き深くお暮らしでございました。

 女二宮が十四歳になられ、御裳着(成人式)の準備をしておりました時、その女御は物怪に憑かれ、誠にあっけなくお亡くなりになりました。

 四十九日の忌が過ぎましたのに、帝の悲しみは尽ることがありません。この女二宮を参内させ、女御の形見として大切にご養育なさいました。いずれこの姫宮を薫中納言に差し上げようとお考えでございました。

 服喪があけ、帝は御婚儀の日取りをお決めになりました。御内意を承りましたのに、中納言ご自身は、今も亡き大君を忘れられずにおられました。

 右の大殿(夕霧)は、娘・六君(ろくのきみ)こそ薫中納言に嫁がせたいと思っておられましたが、帝のご内意をお聞きになって、やはり匂宮との縁組みをお考えになりました。
 匂宮にとっては嫌な話ではないのですが、ただ格式張った御邸に閉じ込められることが何よりも辛く、その上、好色な癖がおありのようで、今も、あの按察大納言(あぜちだいなごん)の紅梅の姫君を思い捨てなさらずに、花や紅葉によせて御文を交わしておられました。 
 どちらの方にもご関心がおありのようでございます。

 その年の五月頃から、中君はお食事を召し上がらずに、伏せてばかりいらっしゃいました。匂宮はご懐妊とお気づきになり、大層嬉しくお思いでした。 

 右の大殿が、匂宮の結婚をお急ぎになると聞いて、中君は、
「浮気な方と聞いていましたが、やはり本当に……」と大層思い悩まれ、
「私のような数にも入らぬ身は、宇治の山里へ帰った方がよいのでしょう……」と山荘を離れた軽率さを後悔しておられました。
薫中納言は、
「匂宮が、今は中君を愛しくお想いでも、女二宮とご結婚なされば、きっと新しい姫宮にお心移りしてしまわれるだろう。匂宮のお渡りを待ちながら、独りの夜をお過ごしになるのは、何ともお痛わしいことだ……」と思うにつけても、この中君を取り戻したいと願う御心が、月日と共に募っていくようでございました。


 霧の立ちこめた朝、薫中納言は御庭に下りて、心細く咲いている朝顔の花を引き寄せますと、大層朝露が散り降りました。一輪手折って二条院にお持ちになりました。
 やはり中君は辛そうに、思い沈んでおられました。
 中納言は朝顔の花を扇の上に置いて眺めておられましたが、次第に紅く変色していく様子が大層趣き深く見えますので、そっと御簾の下から差し入れて、

   よそへてぞ見るべかりける白露の 契りかおきし朝顔の花  (薫中納言)

      (訳)貴女を姉君と思って、私のものにしておくべきでした。白露(大君)が約束しておいた朝顔の花ですから

   消えぬ間に枯れぬる花の儚さに 遅るる露はなほぞまされる (中 君)

      (訳)露の消えぬ間に枯れる花の儚さよりも、後に残る露はもっと儚いのです

 何を頼りに生きていけばよいのでしょう……」とお詠みになったご様子が、亡き大君の面影を想わせ、とても愛おしく思われました。
 中君が、
「今は静かな所で過ごしたいと存じます。この二十日の御命日には、どうか人目を忍んで私を宇治に連れて行って下さい」とお願いなさいますので、薫中納言は、
「故宮のご命日は阿闍梨に万事頼んでおきました。山里にお帰りになり、ご出家などと迷いが生じても困りますから、やはりここでゆったりと……」とお慰めなさいました。


 遂に、匂宮と六君の婚儀が執り行われました。右の大殿の御邸では、六条院の東の御殿を磨き上げ、万事整えて匂宮をお待ち申し上げました。十六夜の月が高く昇りましたのに、匂宮はお見えになりません。大殿は大層心配なさいまして、ご子息の頭中将をお迎えに遣わせました。
 匂宮は、この愛しい中君を見捨てて出かける気にもなれず、ご一緒に月を眺めておられましたが、お迎えの御車が来ましたので仕方なく、大殿邸にお渡りになりました。
 後ろ姿を見送る中君も、枕が浮いてしまうほどに涙が溢れました。
 夜が更けて行くにつれて、その御心は乱れ、今夜は懐かしい山荘の椎の葉音が恋しく思われました。

 匂宮が結婚された後は、二条院に度々お渡りになることもできなくなり、中君にとっては、待ち遠しい日が空しく過ぎていきました。
「こうなると分かっていたのに……」と繰り返し悲しくお思いになり、やはり帰りたい……と、中納言に手紙を差し上げなさいました。

 次の日の夕方、中納言がお渡りになりました。中君は山里に帰ることを熱心にお願いなさいましたが
「私の一存では……やはり匂宮にご相談なさいまして……」と申されました。けれど、内心はこの姫君を我がものに……という気持ちを抑えきれずに、御簾の下からそっと手を伸ばして、お袖を押さえてしまわれました。中君が奥に逃れようとなさいますと、物慣れた態度で御簾の中にお入りになりました。「呆れたことを、女房たちがどう思いましょう……」
「昔を思い出して下さい。亡き姉君のお許しもあったのですから……」苦しいまでの想いが募って、思わず涙ぐみなさいました。
 中納言の気持はとても鎮めがたいほどでしたが、中君の腰に巻かれたご懐妊の帯を見て、大層いとおしくなられ、ようやく思い留まりなさいました。


 翌日、匂宮が突然お渡りになりました。長いご無沙汰を恨めしく思いながらも、姫君がとても可愛らしく振る舞っていらっしゃいますので、匂宮はますます愛しくお思いになりました。お腹がふっくらして腹帯が結ばれているお姿に、なぜか薫中納言の移り香が深く染みついていますので、不審にお思いになって、お尋ねになりました。けれども、中君にはお返事のしようもなく、大層困ってしまわれました。
「こんなに香るのは、何もかも許したのであろう」とまで仰いますので、誠に情けなく、
「信頼していた夫婦の仲も、この程度の香りで切れてしまうのでしょうか……」とお泣きになりました。その様子があまりにも可愛らしいので、匂宮は恨むこともおできになりませんでした。

 ある夕暮れ、薫中納言は二条院をお訪ねになりました。物思いに耽って外を眺めておられますと、だんだんと暗くなって虫の声だけが聞こえてきます。今も故大君への想いを断ち切ることの出来ないご様子をお気の毒に思えて、中君は、
「そういえば……とても不思議なことがありました。今年の夏頃、遠方から女が訪ねてきたのですが、亡き姉君のご様子に大層似ていたので、しみじみ心打たれました……」と申し上げました。
薫君には、
「故八宮が密かに情をおかけになった女が、子を産んだのであろう」と思われました。


 九月二十日過ぎの頃、薫中納言は宇治にお出かけになりました。風が激しく吹き、荒々しい水音に悲しいことばかりが思い出されました。阿闍梨をお呼びになり、
「ここに来る度に、いつも悲しいことが思い出されますので、あの山寺の側にお堂を建てようかと思うのだが……」
「まことにご立派な功徳でございます……」と阿闍梨は申されました。
 いつの間にかすっかり日が暮れましたので、その夜はお泊まりになりました。

 弁の尼をお呼びになりますと、襖障子の口に青鈍色の御几帳を立てて、
「とりとめもなく過ぎ去ってゆく年月でございます……」と涙を浮かべて出て参りました。大層労しく思えて、近くに寝かせて昔話などおさせになりました。そして何かの折に、故八宮の御子の事を尋ねますと、
「北の方が亡くなられて間近かった頃、お仕えしていた中将の君(女房)に大層ひっそりと情けをお交わしになりました。その後女の子が生まれましたのに、故宮は厄介な事とお思いになり、二度とお逢いになりませんでした。女は宮仕えを辞めて、陸奥守の妻となりましたが、先年上京して、その姫がご無事でいらっしゃることが分かりました。姫君は二十歳ほどになられ、とても美しくお育ちで……最近、何とか父宮のお墓参りだけでも……と望んでおいでになります」と申しました。それを聞いて薫君は、
「誠の事であったのか……その姫君に是非逢ってみたいものだ」とお思いになりました。

 夜が明けました。山里には木枯らしが吹き抜け、紅葉もすっかり散り落ちていました。大層風情ある深山木に絡みついて蔦の色がまだ残っていました。

  宿木(やどりぎ)と思ひ出ずば木のもとの  旅寝もいかに寂しからまし (薫 君)

      (訳)宿木の絡む家を昔泊まった所と 思い出さなかったら 木の下の旅寝もどんなに寂しかったことでしょう……


 正月朔日、ご出産が近くなり中君が大層お苦しみになりますので、匂宮は御修法などおさせになりました。薫君は、女二宮の御裳着が近づきましたのに気が進まず、中君のご出産の事ばかりが気にかかって、忍んでご祈祷などおさせになりました。

 早朝、無事に男御子(おとこみこ)がお生まれになりました。


 一月、薫中納言は権大納言に昇進され、右大将を兼任なさいました。

 二十日過ぎ、女二宮の御裳着の儀式が行われ、その翌日、薫大将が参上されご結婚なさいました。大層大切に傅(かしず)かれた姫宮ですのに、臣下と結婚なさいますのは、やはり物足りなくお気の毒に見えました。

 結婚されて後も、薫大将は心の中では亡き大君の事ばかりが想われ、昼はご自邸で物思いをして過ごされ、日が暮れると、気の進まぬままに姫宮のもとにお通いになりました。大層億劫で辛いとお思いになり、
「姫宮を三条宮邸にお引き取り申し上げよう……」とお考えになりました。


 お引っ越しの前日、藤の花の宴を催しなさいました。上達部や殿上人が大勢おいでになりました。荒涼殿の東に楽人をお呼びになって、箏の琴、琵琶、和琴など風雅に合奏させなさいました。薫大将は、
「この美を尽くした宴の他に、再びいつ名誉な事があろうか……」とお考えになって、あの故柏木(実の父)の形見の笛をお吹きになりました。その音色はまたとなく美しく澄み渡っておりました。
 帝の婿君になられた薫大将は大層ご立派に見えました。庭に下りて拝舞なさるお姿は誠に素晴らしく、帝のご信任が並々ならぬことが分かるのですが、ご身分が低いために下の席にお座りになりますのは、お気の毒でございました。

 その夜、姫宮を三条宮邸に退出させなさいました。姫宮は小柄で愛らしく、上品で欠点もなくおられますのに、薫大将には、亡き大君が今も恋しく思い出されますので、
「仏の悟りを得てこそ、諦められるのか……」と、寺の建造に心を注がれました。

 賀茂の祭が過ぎましたので、宇治へお出かけになりました。今造らせている御堂をご覧になり、その後、弁の尼をお訪ねになりますと、女車が一台、山荘に入るのが見えました。供人も皆、狩衣姿で高貴な感じがします。
「誰の御車か……」とお尋ねなさいますと、
「常陸前司殿の姫君が初瀬に参詣し、ここにお泊まりになるようです」と答えました。

 寝殿の様子がこちらからよく見通せます。御車から降りた姫君は気分が悪そうにしておられましたが、気品があり穏やかで、その目元や髪のあたりが大君にとてもよく似ていますので、薫大将は思わず涙を落とされました。
「何という懐かしい人か……この方は紛れもなく故宮のご息女。この姫君とは前世からのご縁があったからこそ、巡り逢うことができたのだろう。今は何としても、この姫君を、わがものにしたい……」とお思いになり、弁の尼を通じて、姫君の母(中将の君)にご意向をお伝えになりました。


                                    ( 終 )

 
  東 屋ー第50帖

 常陸介(ひたちのすけ)には、亡くなられた北の方との間に子供が大勢おりました。今の母腹にも数人おりましたが、この常陸介は連れ子を思い隔てる心がありますので、母君(中将の君)は恨みに思いながら子供達を育てておりました。その中でも姫君(浮舟)は大層気品があり美しくいらっしゃいました。桐壺院の八宮(はちのみや)が娘と認めて下さらなかったために、父のない子として世間から冷たく扱われましたので、
「この姫君の将来こそお幸せに……」と強く願っておりました。

 常陸介は上達部(かんだちめ)の血筋を引いて財力などがありましたので、身分相応に気位も高く、御邸も輝くほど立派でした。その御威勢にまかせて、自分の娘を素晴らしいかのように言い繕(つくろ)っていましたので、大勢の男達が熱心に言い寄ってきました。その中に二十二、三歳で、左近少将(さこんのしょうしょう)という落ち着いて学問があると評判の男がおりました。
母君は、
「この男なら無難で分別もありそうだ。適当な折にわが姫君の婿に迎えよう」と決め、仲人を呼んで話を進めさせました。この仲人が、
「常陸介には若い娘が大勢いますが、その姫君は連れ子のため将来が不安で……」と申しましたので、急に少将のご機嫌が悪くなり、
「実の娘でないのか……。父親のない娘を迎えれば、世間の物笑いになることだろう。何とかあの家との縁組みを願っているだけで……」と申しました。
「では妹にあたる娘がよいでしょう。常陸介も大切に可愛がっておられますので……」

 これを聞いて、母君は驚き呆れて、しばらく思い沈んでしまいました。傍らの乳母(めのと)に、
「嫌なものは人の心でございます。命に代えてもこの縁談を……と思っていましたのに、まだ成人してもいない妹に乗り換えるとは……」と泣きながら申しました。乳母も、
「こうなれば大切な姫君は、思慮深く道理の分かる方に差し上げることにいたしましょう。先日内裏で、薫大将殿をちらっと拝見しましたが、本当に寿命が延びるような素晴らしい方でした。ご運勢にまかせて、弁の尼君の仰るように、大将殿に差し上げることを決めなさいませ……」と申しました。


 常陸介が実娘の結婚の準備をしている間に、母君は、匂宮の北の方(宇治の中君(なかのきみ))にお手紙を書きました。
「慎まねばならない事がございまして、人目につかない所に住み家を変えさせたいと存じます」と涙ながらに訴えました。
中君は、
「亡き父君(八宮)がお認めにならなかった姫君が、世の中に落ちぶれているのもおいたわしいこと。ここの西の対に人目につかない部屋を用意しますので、暫くそこでお過ごしになってはいかがでしょう」とお返事なさいました。

 こうしてその姫君は美しい二条院の西の対にお移りになりました。
 

 ある日、薫大将が二条院においでになりました。いつものように御几帳を整えて、中君はお逢いになり、とても親しくお話しなさいました。今も亡き大君が忘れられず、世の中がますます辛いと訴えなさいますので、
「今、父宮が残されたもうひとりの姫君が、人目を忍んでこちらにおります……」と、それとなく申し上げました。薫大将は大層興味がおありのようでしたけれども、心移りするご様子はありませんでした。

 その母君が物陰から薫大将殿のお姿を見ておりました。
「まぁ、何とご立派で美しい方でしょう。例え年に一度の逢瀬でも、この方にお通いいただけるのなら、それは素晴らしいこと。今後は理想を高く持つことにしよう……」と、姫君の将来をなお思い続けておりました。
 その後、内裏の侍所に控えている供人の中に、左近少将の姿を見ましたが、この少将を無難と思えたことでさえも、今は馬鹿らしく思えました。母君は、
「薫大将殿のお姿を拝見いたしました。たとえ下仕えの身分であっても、この方の身近にお仕えできますことは、生き甲斐のあることでございましょう。『何とか姫君を探し出して逢いたい……』という薫大将殿のお気持を弁の尼君から伺いまして、今はしみじみと有り難く存じます。この姫君をひたすらお任せしますので、お見捨てにならずに、お世話くださいますように……」と言い置いて、自邸に帰っていきました

 夕方、匂宮がこちらにお渡りになりましたが、中君は洗髪をしておられました。御前には女房達も少なく、宮は手持ち無沙汰で、ぶらぶらと西の対においでになりますと、いつもと違った童女が見えました。
「新入りか……」と、襖障子が細めに開いている所からお覗きになりますと、紫苑色の華やかな袿に、女郎花(おみなえし)の表着を重ねた美しい姫君の姿が見えました。
「新参者か……かなりの身分のようだが……」と障子を静かに押し開け、そっと歩み寄りなさいました。あたりは人少なで……誰も気付きません。

 渡廊の壺前栽が美しく咲き乱れ、遣水の石の辺りに大層風情がありますので、姫君は端近くに伏せて眺めておいでになりました。
 まさか匂宮が来られたとは思いもよらず、起きあがった姫君は誠に美しくいらっしゃいました。匂宮は例の好色な御癖を抑えきれずに、姫君の衣の裾を捉えて襖を閉め添い臥しなさいました。香ばしい薫りが周囲に広がり「もしや、薫大将か……」と恥ずかしそうになさるご様子は、とても愛らしく魅力的でした。

 乳母はいつもと違う気配に気付いて、屏風を押し開け、その部屋に入ってきました。
それでも匂宮は「お名前を伺わないうちは、お放ししません」と馴れ馴れしく傍らに臥せなさいますので、乳母は「まさか匂宮が言い寄るとは……」と驚きました。けれどやんごとない方のお戯れには、どうすることもできませんでした。

 その時、内裏から使者が参上し「大宮が大層重態におなりでございます。直ぐに戻られますように……」と申しました。匂宮は仕方もなく、内裏にお帰りになりました。


 中君はこれを聞いて、姫君をお慰めしようと、絵などを取り出させて、右近に詞書きなどを読ませなさいました。熱心にお聞きになっているお姿が、亡き大君かと思われますので「父宮によく似て……」と涙ぐまれました。故父宮のお話などをなさり、姉心のように世話をやかれまして、暁方近く、横に寝かせてお寝すみになりました。

 この出来事を耳にした母君が、驚き慌てて参上されました。方違えの場所として、三条に小さな家を準備していましたので、そちらに姫君をお移しすることになりました。
 その侘び住まいはまだ未完成で、庭の草も鬱陶しく、前栽に花も咲いていません。
「もし不都合なことが起きたら、物笑いになりましょうから、粗末な家だけれどそちらに身を隠しておいでなさい。そのうち何とかいたしましょう……」と慰めました。
 姫君は大層お泣きになり、とてもお気の毒でございました。


 秋が深まる頃、御堂が完成しましたので、薫大将は宇治へお出かけになりました。
 久し振りに弁の尼君の所にお立ち寄りなさいますと、几帳に隠れて、尼君はただお泣きになりました。
「先日、母君からお手紙がきました。故八宮のもうひとりの姫君は、方違えをすると言って、粗末な小屋に隠れているようです……」とお話し申し上げますと、
「どれほどの前世からの宿縁か……しみじみお気の毒なことです……」と涙ぐまれ、
「明後日、御車を差し向けますので、その仮住まいを訪ねてください」と仰いました。
 
 当日、早朝に弁の尼は御車に乗りました。三条の隠れ家に着きますと、そこは人の出入りもなく、ただひっそりとしていました。
「薫大将殿が不思議なまでにお頼みになりますので、こうしてお訪ねいたしました」と申し上げ、「お姿をお目かけして後は、思い出さない時もなく……」と仰る薫大将の言葉もお伝えしました。姫君も乳母も、大層嬉しく聞いておりました。
 宵を少し過ぎた頃、門を叩く音がしましたので、弁の尼が開けさせますと、雨が降り注ぎ、風が冷たく吹き込んできますのに、何ともいえない薫りが漂ってきました。
「大将殿がお越しになったようです……」と皆が心をときめかせました。
 雨にすっかり濡れておられますのに、そのお姿は大層素晴らしく見えました。
簀の子の端の方にお座りになって、空
を眺めながら、

  さしとむる葎(むぐら)やしげき東屋の  あまりほど降る雨そそぎかな

      (訳)戸口を閉ざすほど葎が茂る東屋で、長く待たされ雨に濡れているよ……

「思いがけず姫君のお姿を覗き見してから、とても恋しく思っておりました。こうなる運命にあったのかと、不思議なまでにお慕いしております……」
 姫君はおっとりして見劣りもせず、大層優美に愛らしくいらっしゃいました。


 夜が明ける頃に、薫大将は供人を呼んで御車を妻戸に寄せさせ、姫君を抱き上げてお乗せになりました。誰もが慌てて「どうなさいますのか……」と嘆きましたが、
「薫大将殿にお考えのことがあるのでしょう。不安に思うことはありません……」と、尼君がお慰め申しました。
 御車は宇治へ向かうようでした。加茂の河原を過ぎ、法性寺の付近をお通りになる頃には、すっかり夜が明けてしまいました。姫君は何も考えられずうつ伏していらっしゃいますので、薫大将はしっかり抱いておられました。けれども山深く入るにつれて、薫君の心中は亡き大君への恋しさが募っていくようでした。

 やがて宇治にお着きになりました。姫君は心細くおられましたが、薫大将が愛情深くお話しになりますので、大層慰められて御車を降りました。周囲の山々の景色も寂しく、道中は草が生い茂っていましたけれど、その建物の造りは晴れ晴れとして、日頃の憂さも慰められるほどに素晴らしくございました。
薫大将は、
「この姫君を、どのように扱ったらよいのだろう。今すぐに自邸に迎え入れるのも、外聞が良くないだろうから、しばらくはここに隠しておこうか……」と思い巡らし、逢えない日は寂しかろう……と、この日は一晩中お相手をなさいました。
 和琴や箏の琴を取り出し、優しく弄(もてあそ)びながら思いに耽っておられましすと、やがて
美しい月がでてきました。
「昔、八宮はとても美しい音色でお弾きになりました。皆が生きておられた時に、貴女もここで大きくなられたら、一層感慨深かったでしょう……」としみじみ仰いました。
 白い扇を持って、姫君はとても愛らしく添い伏していらっしゃいました。
 それなのに……薫大将の御心は、亡き大君を思い出しておられたのでございます。  
 
                                ( 終 )

 

 浮 舟ー第51帖

 匂宮は、あの夕暮、西の対で出逢った姫君を忘れられませんでした。もともと浮気なご性格ですから「誠に残念なところで終わってしまった……」と悔やまれ、中君をお恨みなさいました。
中君は、
「ありのままに申し上げてしまおうか……。でもあの母君が心尽くして隠しておられますのに、軽々しく話そうものなら、そのままお聞き流しなさる匂宮でもなし……」と、大層思い悩み、ただ黙り通すことを心に決めておられました。

 一方、そんなことは全くご存知なく、薫大将はのんびりとお考えで、
「いずれはあの姫君を心を込めて扱ってやることにしよう。暫くは誰にも知らせずに、このまま山里に……」とお思いになり、姫君をお移しする住まいを、京に内密に造らせておいでになりました


 正月の上旬が過ぎた頃、匂宮が二条院にお越しになりました。とても愛らしくなられた若君のお相手をしておられますと、幼い童女が無邪気に走って来て、小松に結びつけられた御文を中君に差し上げました。匂宮が、
「どこからですか」とお尋ねになりますと、中君は落ち着かないご様子です。それにはとても若々しい女性の筆跡で、もの悲しい様子が細々と書かれていました。宮は、
「一体、誰からの手紙か……」と再度お尋ねになりますので、中君は仕方もなく、
「昔、宇治で父宮に仕えていた女房がおりまして、その娘が、最近あちらに来ていると聞きました……」と申し上げました。
「それは……もしや、あの夕暮れに逢った女では……」
 匂宮は心がときめきました。ご自分のお部屋にお帰りになって、
「何ということ……。薫大将がこっそり宇治にお通いになり、夜はお泊まりになる時もあると聞いていたが、実は女を隠しておられたのか……」と思い当たられました。
「何とかして、それがあの夕暮れに逢った女か、確かめてみたいものだ……」とお思いでございました。


 それからは、ただこの女のことばかりを考えておられました。大内記をお呼びになり、ある日、こっそり宇治へお出かけになり、宵を過ぎた頃にお着きになりました。

 寝殿の南面に燈火がちらちらと見えて、さやさやと衣擦れの音がしました。格子の隙間からお覗きになりますと、燈火を照らして、女房たちが縫い物をしています。とっさの見間違いかと思われましたが、あの夕暮れに見た童女や右近までもおります。そしてあの姫君はゆったり燈火を眺めていらっしゃいました。その目元や黒髪の様子が、大層上品で優美に見えました。匂宮は、
「何としても、この女をわがものにしたい……」とお思いになりました。

 夜が更けて、匂宮がこっそりと格子を叩きなさいますと、それを右近が聞きつけて、
「どなたですか。夜は大層更けましたものを……」と出てきました。 
 匂宮は 薫大将の声をうまく真似て「ここを開けなさい。道中酷い目に遭ったので、みっともない姿をしています。燈火を暗くなさい……」と申されました。

別人とは思いもよらず、戸を開け、慌てて燈火を消しましたので、辺りは暗くなりました。
 すると匂宮はお召物を脱ぎ、素早く姫君に近寄って 隣にお伏せになりました。
「あの日からずっと恋しく想っておりました」などと訴えなさいますので、 姫君はすぐ薫大将でないとお気付きになり、「この方は匂宮……」とお分かりになりました。
夢のような気がして……どうすることも出来ずに、ただお泣きになりました。宮もようやく逢えたことが嬉しく、思わず涙ぐみなさいました。

 夜が明けて退出する頃になりましたが、お互いに心から愛しく思われ、一時でも離れることができません。姫君は普段ゆったりと穏やかな人(薫)を見馴れていましたので、
「少しの間でも逢わずにいたら死んでしまう……」と恋い焦がれる匂宮に、すっかり心惹かれてしまいました。

 匂宮は「こんなによい女を、他に知らない……」と狂おしいまでにお想いになり、
「薫大将にこの秘密が知れた時には、どんなであろう。貴女が恨まれなさるのか……」とご心配なさり、一層愛おしくお想いになりました。

 やがて供人がさかんに帰京を促しますので、霜の深い明け方、馬にお乗りになりましたが、大層辛く……魂の抜けた思いで帰路につかれました。


 月が変わり如月(きさらぎ)になりました。少しのんびりした頃、薫大将は大層忍んで、宇治へお出かけになりました。姫君は、激しく一途であった匂宮のご様子が思い出され、薫大将にどうしてお逢いできようかと、胸が潰れる思いでした。大将の直衣姿は大層美しく、ご様子が格別でしみじみと暖かい感じがしました。将来末長く信頼できる方として、やはりこの上なく勝っている……とお思いになりました。
「今造らせている御邸は、ここよりも優しく川が流れ、美しい花々も咲いております。そこにお移りになれば、いつでもお逢いできますから、ご不安も消えましょう。春頃にお連れ申します……」と心深く仰いました。
姫君は、
「匂宮に心変わりすべきでなかった……」と反省しながらも、匂宮のお姿が面影に現れますので「辛く情けない……」と思い悩みなさいました。

 二月の夕月夜、お二人は端近くに伏して……薫大将は亡くなった大君のことを思い出し、姫君は心変わりしたご自分の御心を嘆いておられたのでございました。
 

 二月十日頃、宮中で作文会が催され、匂宮をはじめ薫大将も参内なさいました。雪が降り風が激しく吹きましたので、御宴は早目に終わりました。大将が、
「さむしろに 衣片敷(ころもかたし)き今宵もや われを待つらむ宇治の橋姫……」と古歌を口ずさみなさいましたので、匂宮は御心が大層騒ぎ、
「それほど姫君を想っているのか……。どうしたら姫君の愛情を自分に向けることができようか」と悔しく思わずにいられません。
早速、雪の宇治へお出かけになりました。

 京ではわずかばかり残っている雪も、山奥に入るにつれて深くなっていきました。

 夜が更けてからお着きになりましたが、人目が憚られるので川向こうの時方(ときかた)の荘園に、姫君をお連れしようと、準備をさせなさいました。右近に引き止める余裕さえも与えずに、姫君を抱き上げて、小舟にお乗せになりました。

 漕ぎ渡るときには、姫君は心細くお思いになり、ぴたりとくっついて抱かれていらっしゃいますので、大層いじらしくお感じになりました。 

 有明の月が美しく、川面も澄んでおりました。
「……ここが橘の小島……」と、小舟を止めさせなさいますと、島には青々と常磐木が茂っていました。

   年経ども変わらぬものが橘の 小島の崎に契る心は  (匂 宮)

      (訳)何年たとうとも変わりません 橘の小島の崎で契る私の心は……

   橘の小島の色は変わらじを この浮舟で行方知られぬ (浮 舟)

      (訳)橘の小島の色は変わらなくとも、浮舟のような私はどこへ行くのか……

 小舟から降りる時もお抱きになって御邸に入られました。軒の氷柱がやがて差しだした陽に輝いておりました。匂宮のお姿は一段とご立派に見え、姫君(浮舟)も上着を脱がされていたので、ほっそりとした身体つきが大層美しく魅力的でした。人目を気遣うこともなく、大層打ち解けてお過ごしになりました。


 二条院に帰られてから、匂宮は気分が悪くなられ病床についてしまわれました。春雨が降り止まずに幾日も続き、山里に訪ねることのできない匂宮は、尽きない想いをお手紙にお書きになりました。

   眺めやるそなたの雲も見えぬまで 空さへ暮るる頃の侘びしさ

      (訳)眺めているそちらの方の雲も見えないほど、
         空までが真っ暗になっている今日この頃の侘しさよ……

「浮気な方と聞いていましたのに、その熱い言葉にすっかり心惹かれてしまいました。末長く信頼する方としては不安もあり……、あの大将殿に知られたら、どんなに辛いことでしょう……」と深く思い悩んでしまわれました。
 ちょうどそこへ薫大将からもお手紙が届きました。あれこれ見るのも辛い気がして、そのまま臥せっていらっしゃいますので、女房達は、
「やはり心が移ってしまわれたのか……」と目を見合わせておりました。

 そこに母君がおいでになりました。弁の君を呼んで、
「最近、渡守の小さな孫が、棹を差しそこねて川に落ちてしまいました。本当に命を落とす人の多い川でございます……」などと話をしていました。浮舟は、
「もし私の行方が分からなくなれば、皆は暫くはお悲しみになるでしょうけれど……、生長らえて物笑いにでもなれば、何時その苦しみから逃れることができましょうか……。
やはり……この川に身を投げて……」と恐ろしい事が頭を過(よ)ぎりました。
 川の水音が一層恐ろしく響き渡りました。

 薫大将は、内裏を退出なさいます時に、随身が意味ありげな顔をしていましたので、呼び寄せなさいました。何事かお尋ねになりますと、
「今朝、宇治の時方の荘園に仕えている男が、西の妻戸のところで、紫の薄様の手紙を女房に手渡すのを見ました。不思議に思って後をつけさせましたところ、匂宮邸にその返事を届けました……」と申し上げました。

 薫大将はいろいろ思い合わせ、ふと思い当たられました。
「まさか匂宮が……油断のならない方よ。どのようにして浮舟に言い寄りなさったのだろう……。山里なのでこのような過ちは起こるまいと思ったのが、何とも浅はかだった。
今後は宇治の警護を一層厳しくすることにしよう。……それにしても、昔から親しい私を裏切って、そんなことをしてもよいものか……」と、誠に腹立たしく思われました。
「しかし……難しいのは人の心。可愛らしくおっとりしていると見えながらも、浮気な心のある姫君だったのか。匂宮のお相手としてはお似合いかもしれない……」
 もともと穏やかなご性格から、ご自分から身を引こうかとお思いになられたものの、
「これ限りで浮舟に逢わなくなるのは、何とも辛いことだ……」と、体裁の悪いほど思い悩んでしまわれました。

 やはり浮舟を見捨てがたく、宇治にお手紙を遣わしなさいました。
「……心変わりするとは思いもよらず、いつまでも待ち続けてくださるものと信じておりました。どうぞこの私を世間の物笑いになさらないで下さい……」とありました。
 浮舟は
「まさか……お気づきになられたのか……」と辺りが真っ暗になりました。
 けれども今は気強く装って、
「宛先が違うようにみえます。気分もすぐれませんので何も申し上げられません……」と書き添えて、そのまま手紙をお返しいたしました。薫大将は微笑まれ、
「うまく言い逃れた……」と、今でも浮舟を愛しく思い、憎み切れないご様子でした。

 この薫大将のお手紙がきてから、浮舟はますますお苦しみになりました。臥せていらっしゃるその横で、右近と侍従が話をしています。
「姉が常陸国で二人の男と結婚しました。男たちはそれぞれに負けない愛情を見せましたが、女は新しい男に心が移りましたので、それに嫉妬した男が新しい男を殺してしまいました。誠に縁起の悪い話ですが……、さらに身分の上下が関わるならば、身分の高い方には、死にまさる恥でございましょう……」
 これを聞いて、浮舟はただもう茫然として、胸潰れる思いがしました。
「なるほど……万一このような恐ろしい事が起こったら、どんなに物笑いになることでしょう。何とか死んでしまいたい……」と深く思い込んでしまわれました。
 
 その頃、匂宮は「浮舟の手紙が途絶えがちなのは、きっと大将が浮舟を言い含めてしまったからに違いない……」とお思いになり、恋しさを晴らしようもないので、大変な決意で宇治にお出かけになりました。
 葦垣の所に、いつもと違って警護の男達が立っていました。
「何とか姫君にお逢いして、ただの一言でも申し上げたい事が……」と訴えましたが、許されることもなく、空しく京にお帰りになりました。

   いづくにか身をば捨てむと白雲の かからぬ山も泣く泣くぞ行く

     (訳)どこに身を捨てようか。白雲がかからぬ山も泣きながら帰って行きます

 それを聞いて、浮舟はますます思い乱れ、遂には泣いてしまわれました。今は母君がとても恋しく思え、あの薫大将もどのようにお思いになるだろうか……と、お気の毒に思われました。
 頼りなさそうに、御経を読み終え「親に先立つ罪障をお許し下さい」と、心からお祈りなさいました。

 夜になり、眠れぬまま川の方を眺めていますと、「死」に近づく感じがいたしました。

  骸をだに憂き世の中に留めずば   いづこを墓と君も恨みむ

    (訳)亡骸さえこの辛い世の中に残さなければ 
     何処を墓として貴方はお恨みになるのでしょう……

 母君の手紙に書き添えて、

   鐘の音の絶ゆる響きに音を添えて わが世尽きぬと君に伝へよ

     (訳)鐘の音が絶えていく響きに音を添えて、
      私の命も終わったとあの人に伝えてください……             
  

                                   ( 終 )
 

    蜻 蛉ー第52帖

 宇治の山荘では、浮舟のお姿が見えないので大騒ぎをしていました。何処に行かれたのか見当もつかず、よく事情を知っている者だけが、ひどく物思いなさっていた様子を思い出して「もしや身投げでもなさったのでは……」と思い当たるのでした。 

 匂宮は、お手紙に書かれた様子がいつもと違うので、
「私を愛していながら、浮気な心と疑って身を隠したのだろうか……」と、供人を宇治へ遣わせなさいました。御邸に着きますと、
「姫君が急に亡くなられ……」と誰もが途方にくれて悲しんでおりました。
侍従が出てきて、
「姫君は、大将殿の仰る所へ引っ越す準備をしております一方で、匂宮様とのご関係を知られたくない……と気遣っておられました。大層御心も乱れたのでしょう。ご自分から身をお亡くしになったようでございます。このまま世間に事情を知らぬまま、ご葬儀を済ませるべく……。少し落ち着いて、忌むべき期間が過ぎましたら、そのご様子などをお話し申しましょう……」として、ひとまず供人を帰らせました。


 強い雨の中、大層隠れて母君がおいでになりました。浮舟が物思いなさっていた事など全く知りませんので、身投げとは思いもよらず、大層取り乱しておりました。
 侍従は、最後に書かれた手紙を硯の下に見つけて、荒々しく流れる川の方を見やりながら、一層悲しく思っておりました。
亡くなられたことを、世間があれこれ噂するのもお気の毒なこと……と、乳母等と相談して、
「ご遺体のないまま幾日もたったら、この川に身を投げたことを隠し仰せないでしょう。今はまず、世間を取り繕うためにも、このままご葬儀を……」と、供人に御車を寄せさせ、浮舟の御座所や調度類などを積みこませました。
大夫や内舎人などが、
「ご葬送の事は、薫大将に事情を申し上げて、厳やかにお勤め申し上げるのがよいでしょう」と申しましたが、
「いぇ、直ぐに今夜のうちにも……忍んで弔わねばならない理由がありますので……」と、この御車を向かいの山の野原に行かせ、人も近寄せずに、事情を知っている法師たちだけで火葬させなさいました。すべては誠にあっけなく煙となって消えていきました。


 その頃、薫大将は、母入道の宮(女三宮)がご病気になられましたので、平癒祈願のため石山寺におられました。荘園の者が参上して、浮舟が亡くなられたことをお伝え申しますと、大層驚ろかれ、
「何としたことか……あの山里には鬼でも住んでいるのか。どうしてそんな侘びしい土地に、姫君を放っておいたのであろう……」と悔やまれてなりません。京に戻られても宮の御方にもお渡りにならず、儚(はかな)い無常の世をお嘆きになり、勤行ばかりなさいました。

 一方、匂宮は何も考えることが出来ず、正気もないままに、周囲の者にはただ病に伏しているとして、自室に閉じ籠もってしまわれました。

 薫大将には不審に思えることが多いので、急いで宇治にお出かけなさいました。道すがら、昔のことを一つ一つ思い出しながら、
「どのような縁で、父親王(八宮)のお側に通い始めのだったろう。こうして思いがけなく姫君の最期までお世話することになり、このご一族には物思いの尽きないことだった……」としみじみ振り返りなさいました。
 
 宇治に着き、まず右近をお呼びになり、浮舟の最期のご様子をお尋ねになりました。
「山荘で暮らした頃は、物思いばかりなさっておいででしたが、稀にお越しになる大将殿を心からお慕いしておられました。母君も皆も念願叶って、殿のお側にお移りになる準備をしていましたのに……。突然、大将殿から「心変わりしたのか……」と納得できないお手紙を頂きましてからは、大層ご自分を責め、お嘆きになりまして……」
「いずれ京に迎えて、末長く添い遂げたいと思っていました。はやる気持を抑えながら過ごしていたのだが、それを『冷淡だ』とお思いになったのか……。
 匂宮を愛しい方と思いながらも、この私をも大切に思い、どうしてよいのか分からなくなられたのか……激しい川音に誘われて、思いついたのであろう。私がここに放ってさえおかなければ、身投げなどしなかったろうに……」と悔やまれ、この川が疎ましく、この山里の名を聞くことさえ耐え難く思われました。

 大層茂った木の根の苔の上にお座りになり、辺りを見回して「もうこの山荘に来ることもないだろう……」と呟かれ、

  我もまた憂き古里を荒れ果てば 誰れ宿り木の影を偲ばむ

      (訳)私もまた辛い古里を離れたら、誰がこの荒れ果てた宿を思い出すであろうか……

 四十九日の法要も過ぎ、どの方にとっても、亡き浮舟のことは悲しいことでございました。けれども浮気心をお持ちの匂宮は、この悲しみから慰められようかと、他の女に言い寄るなどなさいました。
 一方、薫大将はあれこれ気遣いなさって、残された人々のお世話などをなさいましたが、やはり亡き人のことを忘れ難く思われるのでした。

 内裏には薫大将が大層忍んで親しくなさっている小宰相(こさいしょう)の君という女房がおりました。美しげで気立ても良く、風情を解する女性でした。大将が物思いに沈んでおられるのを知って、思い余って手紙をお送り申し上げました。
「お悲しみを知り、亡くなった方と入れ替われるものならば……」とありました。大将にとっては、とても悲しい時でしたのでひとしお心打たれ、
「亡き人より奥ゆかしい感じがする。この女を私の側に置いたらよかったのに……」とお思いになりましたが、そんな素振りは少しもお見せになりませんでした。


 蓮の花の盛りに、六条院で法華八講が催されました。故院(源氏の君)と紫上の御ために、御経や御仏などを供養なさいました。五日の朝座で終わり、薫大将は直衣に着替えて、小宰相の君に逢いに釣殿の方に行かれました。
 すると襖障子が細く開いていました。そっと中を覗きますと、数人の女達が氷を割ろうと騒いでおりました。その中に、白い羅(うすもの)を着て、微笑んでいらっしゃる可愛らしい
姫宮がおられました。
 側にいた小宰相の君が、氷を紙に包んで差し上げますと、美しい手をお出しになって、
「いゃ、持てません。雫が……」と仰る声がとても愛らしく聞こえました。大将は、
「私を苦しませるための神仏の計らいであろうか……」と心落ち着かず、それでも思わずじっと見つめてしまいました。
 翌朝、薫大将は宮(妻・女二宮)の姿を眺めて、
「この宮よりも、昨日の姫宮(女一宮)は優れていらっしゃるのだろうか。大層上品で美しい方だった……」と思い返し、昨日の様子と同じように、氷を取り寄せてひとかけらを手にとり、宮にお渡しなさいました。そして、
「この宮は、姉妹という心を慰めるには相応しい人と思えるのに……、昨日の姫宮には少しも似ていない……」と溜息を漏らしなさいました。

 あの姫宮の筆跡を見たい……とお思いになって、姉宮にお手紙を差し上げたことがあるのかと尋ねなさいますと、
「随分長くありません。私が嫁いで身分が低くなったからと、 軽んじておいでのようで、こちらからは遠慮しております……」と申されました。
「では私から、中宮(姫宮の母)にお話ししてみましょう……」
 その後しばらくして、姉宮からお手紙がありました。大層美しいご筆跡に薫大将は何よりも嬉しく思われ、もっと早く見る機会があったなら……と心乱れるようでしたが、
「この想いが世間に知れ渡ったら、煩わしいことになるだろう。宇治の大君が生きておられたら、他の女に心乱れる事などなかったろうに……。浮舟のことにしても全てわが心が世間ずれしてないことから生まれた過ちだった……」と思い直しなさいました。


 宇治の御邸にお仕えしていた女房たちは皆、散り散りになってしまいました。侍従は京でみすぼらしい暮らしをしておりましたが、大将がこれを探し出して、二条院に仕えさせることになさいました。高貴な姫君が大勢おいでになる御邸でさえも、亡くなられた浮舟に勝る美しい人はいないようでした。

 今年の春、亡き式部卿の宮(源氏の弟)の姫君を、継母・北の方がつまらぬ右馬頭に嫁がせようとしている事をお聞きになり、
「故父宮が大層可愛がられた姫宮を、つまらない者にしてしまうとは……」と、二条院に迎え取りなさいました。皆からは宮の君と呼ばれ宮仕えなさいますのは、大層お気の毒なことでございました。最近はまた、匂宮の浮気心が騒いで、この宮の君に心惹かれ、つきまとっておられました。

 秋冷の頃、ここ二条院には皆が集っておりました。池の風情が素晴らしく、月を愛で、管弦の遊びなどが絶えず催されました。匂宮や薫大将もおいでになりました。眩いばかりに美しいお二人の姿を、あの侍従が拝見し、
「亡き浮舟が、どちらの方なりとも縁づいて、この世に生きておられたら、どんなにかお幸せになられたでしょうに……」と、ひとり悲しく胸を痛めておりました。

 薫大将は先日のように、西の渡殿においでになりました。けれども姉宮は、夜は内裏にお渡りになり、おられません。月が大層美しく、箏の琴が趣き深く聞こえてきます。 大将は、宮の君のお部屋がこちらにあることを思い出して、お立ち寄りになりました。
「昔の宿縁を思い、人知れず好意をお寄せしておりました」と申しなさいますと、
「昔を知る人もいないと思っていましたのに、昔からのご縁などと仰いますことを、頼もしく嬉しく存じます……」と仰る声が、誠に若々しく愛嬌がありました。
「この方は、また匂宮の御心をかき乱すことになるに違いない。
 それにしても、あの宇治の山里に育った姫君たちは、慕わしかったなぁ……。あの儚く亡くなった浮舟も忘れがたく……」と、何事につけても、あの一族のことが思い出されるようでございました。
蜻蛉(かげろう)が頼りなさそうに、飛び交っているのをご覧になって、

  ありと見て手にはとられず 見ればまた行方も知らず消えし蜻蛉

      (訳)そこにいると見ても、手に取ることができず 見えたと思うとまた
        行く方も知れず消えてしまった……蜻蛉のような貴女(浮舟)よ。

 いつものように、そう独り言を仰ったとか……                                               


                                     ( 終 )


 

  手 習 ー 第53帖


 その頃、横川に尊い僧都が住んでおられました。八十歳過ぎの母と妹の尼君を伴って、初瀬観音の参詣に出かけたその途中で、母君の気分が悪くなられましたので、宇治院の辺りで泊ることになりました。

 院の寝殿はひどく荒れていましたので、僧都はまず読経をするように大徳たちに仰いまして、法師に松明を持たせて建物の後ろに行きました。森のように茂った木の下に、何か白い物が広がっています。
「あれは何だ。狐が化けたか……」と近寄りますと、黒髪の長く美しい若い女のようです。
「鬼か神か、狐か木霊か……、正体を名乗りなさい……」と衣を引きますと顔を隠して大層泣いております。
「これは本当の人間の姿だ。今にも絶えそうな命を助けないのは悲しいことだ。残りの命が少なくとも、御仏が必ずお救いくださるでしょう……」と中に運ばせなさいました。

 妹の尼君がみますと、それはとても可愛らしげな女で、白い綾の衣一襲に紅の袴を着て、大層上品な感じがしました。
「まるで、先日亡くなりました私の娘が帰ってきたようです……」と泣きながら、薬湯など飲ませようとしましたが、とても衰弱していて、今にも死にそうな様子でした。
 そこで阿闍梨を呼び、加持祈祷をなさいました。

 女は時々、わずかに目を開けましたが、涙が止まらずに流れますので、
「まぁ、お気の毒に……深い事情がおありなのでしょう。私のもとに亡娘の代わりとして、御仏がお導きなさったに違いない……」と、一生懸命お世話をなさいました。女は、「例え生き返ったとしても、つまらぬ身の上でございます。どうぞこのまま夜の川に投げ込んでください……」と、苦しい息の下に申しました。

 数日後、僧都一行は小野にお戻りになりました。母君は長旅に大層お疲れのようでしたが、だんだんと回復されましたので、僧都は山深く帰られました。
 娘の尼君はこの知らない女をずっと介抱していましたが、ぐったりとして起き上がる様子もなく、誠に深刻なご容態が続くうちに、四月、五月も過ぎました。僧都は、
「きっと死ぬはずのない人に、物の怪が取り憑いているのに違いない……。私が朝廷のお召しも断って山に籠もっているのに、この女のために修法するのは、世間から非難されることになるだろうが……」と大徳たちに口封じをして、一晩中加持祈祷をなさいました。すると今まで少しも現れなかった物の怪が、人に乗り移って申しました。
「私は生前修行に励んでいた法師です。この世に恨みを残したまま彷徨(さまよ)っていますと、宇治の山荘にいい女が住んでいました。取り憑いて一人は失わせました。……そして暗い夜、独りでいたこの女をも奪おうとしましたけれど、観音がご加護なさり、この僧都に負けてしまいました。今はもう諦めて立ち去ることにしよう……」


 やがて浮舟は意識を取り戻しました。
「とうとう生き返ってしまったのか……」と涙が溢れ、自分が誰なのかもはっきり分からない様子でした。

   身を投げし涙の川の早き瀬を しがらみかけて誰れか止めし

       (訳)身を投げた涙の川の早い流れを、誰が堰き止めて私を救ったのでしょう

 月の明るい夜などには、昔のことが思い出されますので、

   我かくて憂き世の中にめぐるとも 誰れかは知らむ月の都に

       (訳)私が辛い憂き世に生きていると、誰が知ろうか、月の照らす都人で……

 浮舟は 少しの薬湯さえもお飲みにならずに、ただ死ばかりを願っては、
「では尼にして下さい。それならば生きていけましょう……」と繰り返しますので、仕方もなく、僧都は頂の髪を削ぎ、五戒だけを受けさせなさいました。

 この尼君の亡き娘の婿が、今は中将になっておられました。身分の高い公達を大勢伴って山に入る途中、横川にお立ち寄りになりました。小野の山荘の垣根には撫子(なでしこ)が美しく、女郎花(おみなえし)や桔梗が咲き乱れておりました。御几帳を隔て、尼君が、
「長い年月が経ちました。過ぎ去ったことがますます遠くなりますのに、亡き娘をお忘れにならずにお訪ね下さる中将殿の御心を、大層嬉しく存じます……」と申し上げて、昔話をしみじみなさいました。 

 折しも村雨が降り始めました。浮舟は奥の部屋で雨を眺めていらっしゃいました。白い単衣に色艶のない桧皮色の袴をお召しになったお姿は、この上なく美しく見えますので、御前にお仕えする女房たちは、
「亡き姫君が生き返られたような気がします。こうして中将殿まで拝見すると、胸もつまって……同じことなら、この姫君(浮舟)のもとにお通い下されば、とてもお似合いのご夫婦になられましょうに……」などと話して合っておりました。
 それを聞いて浮舟は、
「まさか……生き残ってそんなことになるのだけは避けなければ……。その道は断ち切り、昔の事なども総て忘れてしまおう……」と強く心にお決めになりました。

 尼君が奥に入られると、中将は少将の君(女房)を呼び寄せなさいました。
「あの渡廊の所で、風で御簾が揺れた時、隙間から美しい黒髪の後姿が見えたが、この出家された者たちの住む家に、誰か……」とお尋ねになりました。少将の君は、
「いずれお判りになりましょう」としか答えません。あまり詮索するのも体裁悪い気がして「雨も止んだようだし……」と横川へ出発なさいました。

 中将はとても気がかりになられ、翌日、帰る途中にまたお立ち寄りになりました。
「ここに忍んで隠している女性はどなたですか」と今度は尼君にお尋ねなさいますと、
「亡き娘を忘れがたく、その慰めとして、ここ数ヶ月お世話しております。とても悲しみの深いご様子で……」とお答え申しました。

 中将は、何とかその姫君をお慰め申したいと、

   あだし野の風になびくな女郎花(おみなえし) 我しめ結ばむ 道遠くとも

      (訳 )浮気な風に靡くな女郎花 私と契りを交わそう。道は遠いけれど……

 けれども浮舟は、このような色恋事に関わることすら嫌だとお考えになり、
「今は亡き者として、誰からも忘れられて終わりたい……」と強く思っておられました。

 九月になりました。尼君は初瀬観音へ物詣(もう)でにお出かけなさいました。大勢の供人を伴って出かけると、家が人少なになるのに気遣って、少将の尼と左衛門(女房)を残して出発なさいました。

 皆が出立したのを見送り、頼れる者が誰もなく心細く思っていますところに、中将(娘婿)がおいでになりました。
「まぁ、嫌なこと……どうしたらよいのか……」と浮舟が奥の部屋に逃れますと、
「誠に情けない……山里の秋夜の情緒を思えば、御心も通じましょうに……」と、中に入ってこられました。ところが、そこは老尼たちの部屋で、皆が驚き呆れておりますので、中将はうまく言い繕って、退出して行かれました。

 浮舟はなおも心細く、今夜はこの老尼たちと一緒の部屋で寝むことにしました。恐ろしいばかりの鼾(いびき)に眠れぬまま、自分の運命の悲運を思い返していました。
「父宮の御顔も拝せず、はるか遠い東国で長い年月を過ごし、捜し求めた姉君との縁も切れてしまいました。薫大将殿とお逢いして不運から抜け出そうとした矢先、匂宮に心変わりしたことから、総てのことが苦しみに変わりました。匂宮が橘の小島の緑を、『変わらぬ愛』と誓いなさったことさえ、あの時には、どうして素晴らしいと思ったのでしょう……」と、今はすっかり熱が冷めたように思い直しなさいました。
 やがて鶏の声が聞こえ、夜が明けてきましたので、ほっと一安心なさいました。

 浮舟は、山奥に籠もっておられた僧都が、内裏に参上されることを聞いて、
「気分が悪くばかりいますので、やはり出家を果たしたいのです。……下山あそばします折に、是非、受戒を授かりたく……」と一心にお願いなさいました。
「深い事情があるのでしょう。今まで生きるはずもなかった人が、そう決心をなさったなら、御受戒をお授け申しましょう。今夜はまず内裏に参上しなければなりませんが、七日後、修法が終わって帰山します折に、必ず……」 浮舟は泣きながら、
「尼君が初瀬からお帰りになれば、きっと反対なさるでしょう。やはり今日こそ……」僧都は大層気の毒に思って「それではすぐにも受戒を……」と申されました。

櫛箱の蓋を差しだして鋏を取り出し、浮舟の髪を下ろすように大徳に申しました。
御几帳の帷子の隙間から黒髪を掻き出しますと、それは艶々と美しく、大徳はしばらく切るのを躊躇っておりました。少将の尼や左衛門は、
「何と早まったことを……尼君が帰られたら何と仰るでしょう」と取り乱しましたが、僧都が制しなさいますので、妨げることもできませんでした。
 額髪は僧都ご自身がお削ぎになり、有り難いお言葉を説いて聞かせなさいました。  浮舟は遂に出家を果たし「今こそ生きている甲斐があった」とお思いになりました。やがて僧都の一行が京に出立して、また小野の山荘は静かになりました。
 浮舟は「これは人の認めない出家であり、尼姿を見るのも恥ずかしい……」と辺りを暗くしてお過ごしになりました。
 何事にも気兼ねされ、ただ硯に向かって手習いだけを一心になさいました。

 亡きものに 身をも人をも思いつつ 捨ててし世をぞ さらに捨てつる

   (訳)死のうとして、わが身をも人をも思いながら、捨てたこの世をまた捨ててしまった…

 心の向くままに書いておられますと、中将からお手紙がありました。その返事として、

   心こそ憂き世の岸を離るれど 行方も知らぬ海人の浮木を (浮 舟)

   (訳)心は辛い世を離れたけれど、行く方も知れず漂う海の浮木のような私よ

 初瀬詣でから帰られた尼君は、この上なく悲しまれ、
「将来の長い御身の上を、これからどうお過ごしになるのでしょう……」と泣き伏してしまわれました。けれども今はどうしようもなく、涙を抑えながら、鈍色の法衣や小袿、袈裟などを整えなさいました。心の内では僧都を大層お恨みなさいました。

 内裏では、一品の宮(女一宮)のご病気が回復なさいましたが、病後を心配して御修法を延長させなさいましたので、僧都は直ぐに帰山することも出来ずに、伺候なさっておられました。雨の降る夜、宮のお召しがあり御前に上がりました。近くにお仕えする女房たちの中に、薫大将が親しくなさっている宰相(さいしょう)の君もおりました。僧都は有り難い説法などなさいますついでに、初瀬参詣の折に助けた女の話をなさいました。
「その女人は今、小野に住む妹尼のところに身を隠しております。この度立ち寄りましたところ、泣きながら出家を願いますので、髪を下ろしてやりました。勤行に身をやつすのも気の毒なほど、器量は整って美しく……」と話しますと、傍らにいた宰相の君が、
「それは、どのような人でしょう。もしや大将の想っていた方ではないのか……」と思い当たりましたが、大層身を隠しているご様子なのでそれ以上は分からず、そのままになってしまいました。
 しばらくして僧都は帰山なさいました。皆は女を出家させたことを恨んでいましたが、
「今はただひたすら勤行をなさい。儚いこの世と悟りなさった身の上ですから……」と仰って、御法服のための綾、羅、絹などを差し上げました。
 
 吹く風の音も心細い頃、中将がやはり諦めきれないご様子でおいでになりました。
「せめて出家なさったお姿だけでも……」と女房を責めなさいますので、中にお入れしました。薄鈍色の綾、その下に萱草の澄んだ色の衣を着て、お経を一心に読んでいる浮舟のお姿は、この上なく美しくいらっしゃいました。僧都は、
「これほど美しい人とは思わなかった……あの時はひどく窶れておられたが……」と、出家させたことが過ちだったようにさえ思われました。中将は、
「以前は憚られる事情もおありだろうが、今は尼となられ、なお人目を忍んでいるご様子なので、やはりわがものに……」と下心をお持ちで、御心を訴えなさいましたが、 浮舟は、
「ただ情けない身の上ですので、世間から忘れられて終わりたい……」とだけ申しなさいました。出家が叶ってからは、少し気分も晴れましたので、勤行を熱心になさりながら日々お過ごしになりました。
 年が改まりましたのに、ここ山里にはまだ春の兆しも見えません。

 ある日、紀伊守(大尼君の孫)が上京して、小野においでになりました。
「内裏の公務で忙しくしておりました。……昨日も右大将殿(薫)が宇治にお出かけになるお供をして、故八宮の山荘にて一日中過ごしました。まず姫宮の大君が先年亡くなられ、その妹君も昨年の春に亡くなられました。その一周忌のご法事のため、女装束一領を献上しますので、こちらで縫って下さい。誠に不思議なことに、二人の姫君が宇治で亡くなられまして……、大殿も昨日は川の流れを覗き込んで、ひどくお泣きになりました。そのお姿は誠にお労(いたわ)しいことでございました」と話されました。
 浮舟はこれを聞いて、大層心乱れ、胸が潰れる思いがしました。
「まさか、あの薫大将殿は、私をお忘れになっていないのか……」
 女房たちが ご自分の一周忌の衣裳を染める準備をしている様子を見るにつけても、
あり得ない気がして臥してしまわれました。

 薫大将は浮舟の一周忌の法要を済ませ、しみじみと悲しくお思いになりました。常陸の子供を気遣い、童(浮舟の弟)を形見として、お側に召使うことになさいました。

 雨が降って静かな夜、薫大将は后宮のところに参上なさいました。お話など申し上げるうちに、側に仕えていた宰相の君が、ふと耳にした僧都の話を思い出し、
「不思議な話ですが……あの浮舟に似たご様子の方を……僧都が尼にしてやったそうでございます……」と申し上げました。その当時のありさまなど思い合わせると、やはり違うところがないので、
「何と、本当に浮舟だとしたら……自分で訪ねていくのは愚かしいことだろうか。もしあの匂宮が聞きなさったら、せっかくの仏道をも妨げなさるであろう。愛しく想いながらも、そのまま亡くなったと諦めようか……」等と大層思い乱れなさいました。
 けれども、ただ寝ても覚めても、この事が頭を離れません。
「その山里はどんなところだろう。その僧都を訪ねて確かめることにしよう……」とお決めになりました。
 毎月八日、根本中堂で仏事がありますので、その際に忍んで横川の僧都に会いに行こうと、あの童(浮舟の弟)を連れてお出かけになりました。道すがら、
「もし浮舟と分かっても、逢えば……貧しい尼姿で暮らしているのに、辛い思いをさせるのではないか……」と心は揺れておられました。


                             ( 終 )

 

  夢浮橋ー第54帖

 薫大将は比叡山にお着きになり、御経や仏像等の供養をさせなさいました。その翌日横川にあの僧都をお訪ねになりました。
「わざわざこんな山深く、よくおいで下さいました……」と、僧都は大層恐縮して、お迎え申し上げました。
 周囲の人々が静かになりました頃、大将は小さな声で、
「小野に身を隠している女に、戒律をお授けになったと聞きましたが、本当ですか。
まだ年も若く、親などもいた人で、私がよく知る人なのですが、行方知れずになり、死なせたように恨み申す人がいますので、確かめたく思いまして……」と申されました。
 僧都は、
「やはり……普通の身分には見えない人でしたが、大将殿が深くお想いの人でしたか。考えもなく、私が尼姿にしてしまったとは……」と胸が苦しくなられ、
「実は、初瀬の帰りに助けた若い女を、妹尼のいる小野に連れ帰ったのです。その後三ヶ月は死んだように伏せていましたが、御修法をしましたところ、生き返って回復されました。けれども、身に取り憑いた物の怪が離れないようで、悪霊から逃れて来世を祈りたい……と強く願われましたので、出家をおさせ申しました」
「そうであったか……。死んだと諦めていたが、あの浮舟が生きていたとは……」と、薫大将は、夢のような気持で、涙を抑えることができませんでした。
「誠にご迷惑かと思いますが、私を小野に案内して下さい。こうと聞いて知らぬ振りをすべき人ではありません。せめて話し合いたいと存じます」としみじみ仰いました。 僧都は「尼姿になっても、けしからぬ欲情に負ける者もいるというのに、お連れして罪障を作ることになりはしないか……」と躊躇い、心乱れておりました。
 大将は、
「私は幼い時から、出家を願う気持ちが強くございました。罪障を負うような事など、どうしてお願い申せましょう。お疑いなさいますな。お気の毒な母親のことなどを話せば、きっと安堵いたしましょう……」とお話しなさいました。

 そしてお供として連れて来た童の小君(弟)を呼び、
「この童こそが、その人の近親なのですが、これを遣わすことにいたしましょう。まずはお手紙を、私の名は伏せて『尋ねる人がある……』とだけお書きください」と申しなさいました。僧都は早速手紙をその童に持たせました。
 小君には、
「お前は亡き姉君の顔を覚えているか。今はこの世に亡き人と諦めていたが、生きておられるようだ。……行って尋ねよ。ただ母親にはお嘆きがいとおしいので、決して言ってはなりません」と厳重に口封じをなさり、昔からの随身をお付けになって、小野へ出発させなさいました。


 小野では、尼姿の浮舟が、山々の青葉を見ても気の紛れることもなく、ただ遣水の蛍を眺めながら、昔を悲しく思い出しておいでになりました。
 遙か遠くの方から沢山の松明(たいまつ)が近づいてきました。尼君たちも端近くに座って、
「どなたがおいでなのでしょう。ご前駆などがとても大勢見えます……」と口々に話し合っていました。先払いの声の中に、昔、聞き慣れた薫大将の随身の声が混じって聞こえてきます。浮舟は大層心乱れて、長い月日が過ぎた今も、昔がはっきり思い出されますので、阿弥陀仏に思いを込めて一心にお勤めをなさいました。

 小野の山荘に着き、僧都からの手紙を届けますと、そこには、
 「今朝、ここに薫大将殿がおいでになり、貴女のご様子をお尋ねになりましたので、 詳しく申し上げました。愛情深い御仲に背き、賤しい山寺で出家なさったことは、かえって仏の責めを受けましょう。もとの御契りを間違わずに……。一日の出家で  あっても、功徳は限りないものです。取りあえず小君が伺います」とありました。

 浮舟が御簾の外にいる童を見ますと、それは紛れもなく仲良くしていた弟でした。昔の事が懐かしく、母君のご様子を尋ねたくて、思わず涙が溢れました。尼君は、その童が大層可憐で少し面影が似ている心地がしますので、
「弟君のようですよ。お話などなさりたいでしょうから、中にお入れしましょう」と、申しました。
浮舟は、
「どうして……。今は私を亡き者と思っていますし、尼姿で逢うのも気がひけます。もし母君が生きておられましたら、お目にかかりたく存じますが……。僧都の仰る大将殿には、絶対に知られたくありません。何とか人違いであると隠してくださいませ……」と仰いました。
 小君が、もう一通、薫大将からの手紙を差し出しますと、それは昔と同じ美しい筆跡で、紙の香も素晴らしく、

   法の師と 尋ぬる道をしるべにて 思はぬ山に踏み惑ふかな

      (訳)仏法の師と思って尋ねて来た道ですが、それを道標としていたのに
          思いがけない山道に迷い込んでしまったことよ……

この子をお忘れでしょうか。貴女の形見として大切に見ております……」と書かれ、
とても愛情深く感じられました。
浮舟は涙が溢れてお伏せになり、
「気分が掻き乱れるように苦しく……。いぇ、まったく思い当たることがありません。気分が静まりましてから……やはり今日はこのお手紙はお持ち帰りください」と、手紙を広げたまま尼君にお返しになりました。
「物の怪のせいでしょうか。尼姿になられたのに、胸打つ事情がございますのでしょう。いつも以上に分別なくいらっしゃいます……」と申しなさいました。
「一言だけのお返事でも……」と申しましたが、尼君が、
「ただこのように何も仰らないご様子をお伝えください。雲の遙かな遠い所ではないのですから、また必ずお立ち寄りください」と申されました。
 心密かに姉君に会いたいと思っていた小君は、それも叶わずに空しく帰りました。

 薫大将は大層恨めしく「誰かが隠しているのだろうか……」と、想像の限りを尽くして、思い巡らしておられるのでした。   

  ……と、「本」に書かれているそうです。                                    


                                     ( 完 )
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  要約 「源 氏 物 語」
 発行 2006年1月吉日
 製作 WAKOGENJI
 文・挿絵 小川和子
    古典「源氏物語」を読む会
 
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