「源氏物語」ゆかりの地
 
さぁ、出かけてみませんか!

 
京都御所
(きょうとごしょ)
住所: 上京区京都御苑内 (地下鉄烏丸線丸太町駅から徒歩10分)
一般公開は春・秋 各5日づつ。それ以外は宮内庁京都事務局参観係へ 



御 所 全 景
千年昔の王朝華やかなりし頃、御所におられる帝を頂点とする貴族社会を舞台に「源氏物語」は語られています。
平安時代の御所は度重なる火災で焼け落ち、今の京都御所は江戸時代に復元されたものです。
帝のいる仁寿殿や清涼殿の北側後方に女御などの住む後宮があり、清涼殿に近いほどその身分も高かったそうです。

    紫宸殿(ししんでん)
正殿。朝賀や公事を行う所。南面中央に王座を設け、北廂から廊で清涼殿に通じる。、南廂には階があって前庭に通じ、階の左右に左近の桜、右近の橘がある。。
花宴ー第8帖」
紫宸殿の前の桜の花見の宴が催され、源氏の君は朧月夜と出逢い……これが源氏の君に須磨流離という不幸を招きます。

    清涼殿(せいりょうでん) 
帝の常の居所で、公事などを行ったところ。入母屋造で、身舎の南5間を昼の御座と称し、帳台がある。
「桐壺ー第1帖」では、帝の溺愛を一身に受ける桐壺更衣(に住む)が、夜毎、ここ清涼殿の夜の御殿に上がるため、他の女御の部屋の前をとおりますので、嫉妬を受け大層いじめられます。、これを苦に病みがちになり……

    飛香舎(藤壷)(ひぎょうしゃ)
後涼殿の北にあり、中宮・女御などのいたところ。庭に藤が植えてあったから藤壺という。
桐壺ー第1帖」
源氏の君10才の時、帝は亡き更衣によく似た姫を、ここ飛香舎に迎えます。源氏は亡き母の面影を藤壷の宮に重ね、慕うようになります。



廬山寺(ろざんじ)住所 : 上京区寺町通広小路上る北之辺町397  
       
河原町松原から市バス205系統に乗り府立医大前で下車  休観日12/25〜1/1

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紫式部が生れ育ち、「源氏物語」を執筆した邸跡とされる。
紫式部の部屋の大きな厨子(書棚)には古い歌の本や漢籍が積み重ねられていたといわれる。廬山寺の通りを隔てた向かいに藤原道長の邸(中宮彰子の里邸)があった。
この辺りは当時「中川のわたり」と呼ばれた閑静なところです。

「帚木ー第2帖」及び「空蝉ー第3帖」の舞台として描かれ、光源氏と人妻・空蝉の出逢ったところとされています。
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渉成園(しょうせいえん)住所 : 下京区下珠数屋町通間ノ町東入 
      
JR京都駅から徒歩10分)拝観料:志納 開園時間: 9:00 〜15:30

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光源氏のモデルとなった源 融(みなもとのとおる)の別荘の一部と言われ、1641年に徳川家光が東本願寺に寄進した。建物は火災で焼失したが、池水・石組みは当時のまま。緑溢れる広々とした庭園を持つ東本願寺の別院

「夕顔ー第4帖」
ある夜、源氏の君は夕顔の姫君を某の邸にお連れになりました。その夜更けに枕元に美しい女(物の怪)が現れ、夕顔にとりつき、遂には息も絶えてしまいます。
その某(なにがし)の邸は、ここ渉成園とされています。
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大雲寺(たいうんじ) 住所: 左京区岩倉上蔵町303  
            
京都バス岩倉実相院下車徒歩3分 拝観は境内自由

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光源氏と若紫の出逢いの地と言われる。

「若紫ー第5帖」
源氏の君は熱病を患い、祈祷のため北山に出かけます。側の某の寺を覗くと、藤壷に似た少女がいます。この少女を引き取りたい……。あまりにも有名な場面の舞台がここです。

「なにがし寺」は大雲寺か又は鞍馬寺と、長く議論されてきましたが、ここは紫式部の曽祖父・藤原兼輔の建立した寺であることから大雲寺の説が強い。




上賀茂神社(かみがもじんじゃ) (世界文化遺産)住所: 北区上賀茂本山
        (JR
京都駅から市バスで25分上賀茂御園橋下車徒歩5分) 無休・境内自由 

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葵祭は陰暦4月中の酉の日(現在は5月15日)に行われる祭礼。下鴨・上賀茂神社を巡る社頭の儀で、葵を神に供え冠・牛車・桟敷の御簾にその葛を飾ることから葵祭の名が生じた。

「葵ー第9帖」
賀茂の斎院の御禊の日、見物に出かけた葵の上一行は六条御息所の網代車と所争いとなり、御息所は生霊となって葵の上に取り憑き、呪い殺してしまう。




野宮神社(ののみや じんじゃ)住所: 右京区嵯峨天龍寺立石町3 
       
阪急電鉄嵐山駅下車 境内拝観自由 野々宮神社http://nonomiya.com/

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斎宮にきまった内親王が俗世の汚れを払い精進潔斎するところ。
今もこの神社のまわりの竹藪の小径に昔の風情が残っています。

「賢木ー第11帖」
六条御息所の娘が斎宮に決まり、御息所は斎宮と共に伊勢に下る決心をします。源氏の君は心責められ、野々宮を訪ね引き留めますが、遂に伊勢に下ってしまいます。別れを惜しむ美しい場面が描かれています。
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現光寺(げんこうじ)住所: 神戸市須磨区須磨寺町1−6 
      
 JR須磨駅下車徒歩6分 


須磨に流された源氏の住居跡とも言われ、別名「源氏寺」と呼ばれる。
寺は阪神大震災で倒壊し、新しく再建された。

「須磨ー第*12帖」
帝の后に内定していた朧月夜の姫との密会が発覚して、弘徽殿の女御の逆鱗に触れた源氏の君は、流刑などを怖れて自ら須磨に身を引きます。
都から遠く離れた須磨で過ごす謹慎の日々は、大層淋しく耐え難く……




大堰川(おおいがわ)…桂川

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「松風ー第18帖」
明石の入道は嵯峨の大堰川の畔の御邸を修復して、明石の君と姫君をお移しします。源氏の君は姫君を二条院に引き取りたいため、度々お通いになりました。
近くに御堂(清涼寺)を建て、その視察を口実にお渡りになりました
が、京からは遠く、当時牛車で片道3〜4時間はかかったと思われます。
明石の君が源氏の君のお渡りを待つ悲しい風情のあるところです。
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夕顔の墓石    住所:堺町松原上る   拝観はできません。

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夕顔の墓は民家の中にあり、拝観はできませんが、ひっそりと石碑が立っています。ちなみにこの一帯は「夕顔町」というそうです。

「夕顔ー第4帖」
源氏の君が六条の御息所のところにお通いの途中、白い夕顔の花咲く小さな家の美しい姫に出逢い、やがて愛し合いますが、遂には御息所の生霊に呪い殺されてしまいます。
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紫式部の墓        住所: 京都北区堀川通り北大路下る西側    
             
市バス北大路堀川下車すぐ
「源氏物語」の作者・紫式部の墓には今も花の絶えることがありません
この辺りは平安の昔から蓮台野(れんだいの)と呼ばれる墓地になっていたところ。

参考資料: NHK人間大学「源氏物語の女性たち」・他

背景 : 有識文様素材「綺陽堂」

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