堅物という評判をとって、聡明な振る舞いをなさる大将(夕霧)は、この一条の宮(落葉宮)に「やはり理想的だ……」と、心惹かれておいでになりました。世間の目には、故人を忘れぬ心遣いを見せながらも、大層心を込めて、宮(落葉宮・故柏木の妻)をお見舞いなさいました。内心では、その想いがこのままでは止められそうになく、月日が経つにつれて想いが募っていかれました。
一条御息所(落葉宮の母君)も「しみじみと有り難い御心遣いで……」と、今はますます物寂しく所在ない日々に、大将殿が絶えず訪れ下さいますので、心慰められることが多いようでございました。
初めの頃から、恋い慕う心を訴えることはなかったのですが、この頃、急に恋慕の心をお持ちになり、艶めいた振る舞いをなさるのも気恥ずかしいご様子で、
「ただ深い愛情をお見せ申し上げれば、いつか打ち解けて下さる折もあるのでは……」と思いつつ、何かの用事にかこつけては、そのご様子や態度をお伺いなさいました。
けれども、宮ご自身からそれにお応えなさることは、全くありませんでした。
「どのような機会にか、思いの丈を直にお伝え申し上げて、宮のご様子を覗いたい……」とお考えでございました。
そんな頃、御息所が物の怪に酷く患いなさいました。小野辺りに山里をお持ちでしたので、ご療養のためそちらにお移りになりました。
早くより祈祷師として、物の怪などを追い払っていた律師が、「山籠もりをして人里には出るまい……」と御願を立てていたのですが、祈祷のために、ひとまず下山して頂くために、大将が、御車をはじめとして御前駆などを差し向けなさいました。かえって故人に近い縁である君達などは、仕事など自分の事に忙しく紛れて、思いつき申し上げることができませんでした。
弁の君(柏木の弟)は、落葉宮を想う心がないわけでもなく、素振りは見せておりましたけれど、宮が思いの外の扱いをなさいますので、強いて参上してお見舞いなさることもできなくなっておられました。この君(大将)は大層賢くさりげなく、親しみ慣れなさったようでございました。
御修法等を御息所がさせなさると聞いて、僧の御布施、浄衣などのような細々した物さえも、大将が揃えさせなさいました。ご病気の人(御息所)は、御礼を申し上げることができません。
「重々しいご身分の方ですから、普通の宣旨書(代書)ではけしからぬとお思いになるでしょう…」と女房達が申し上げましたので、宮がお返事をお書きになりました。筆跡は大変美しく、ただ一行ほど、おっとりとした筆遣いで、優しい感じの言葉を書き添えなさいましたので、大将はますます逢いたいと目に留まって、頻繁にお手紙をお書きになったのでございました。
北の方(雲居雁・夕霧の妻)は、
「やはり二人は、こうなるべき間柄のようだ……」と、様子を察しておいでになりましたので、夕霧は煩わしくお思いになって、小野へ参上したいとは思うものの、すぐにはお出かけになることが出来ません。
八月の十日、野辺の景色も大層美しい頃、夕霧は小野の里山の様子が大層気になって、
「何某律師が珍しく下山しているので、是非話したいことがある。御息所がご病気なので、お見舞いがてら小野に参上しようと思う……」と、あっさりと口にしてお出かけになりました。
御前駆は大袈裟にせず、親しい供人五、六人が、狩衣を着て伺候しておりました。特に草深い道ではないけれど、松が崎の小山の色なども、それほどの巖山ではないけれど、秋の気配が伺えました。 小野の住まいは、都で又となく善美を尽くした家居よりも、趣きも風情も勝って見え、ささやかな小柴垣も趣味良く造ってあって、仮住まいでありながら上品にお暮らしでございました。
寝殿と思われる東の放出に、修法の壇を塗り、北の廂に御息所がおられますので、西面に宮がおいでになりました。
「御物の怪が厄介なので……」と、落葉宮には都に留まるように申しなさいましたが、
「どうして、離れて暮らせようか……」と母君を慕って、ご一緒にこの山荘にお渡りになりました。
物の怪が人に乗り移るのを怖れて、少しの隔てを置くようにと、御息所のお部屋には宮をお入れになりません。客人をお通しできる部屋もありませんので、宮の御方の御簾の前に、大将殿をお通し申して、上?めいた女房達が、ご挨拶を取り継ぎ申し上げました。
「大層忝なく、こんな所にまでお越し下さいまして、もし私がこのまま亡くなるならば、この御礼を申し上げられずに逝ってしまうのか……と思っておりましたが、今しばらくこの命を留めたいという気持ちになりました」と申しなさいました。
「小野にお移りになる時のお供を……と思っておりましたが、六条の院(源氏)に用事を申し受けた折でしたので……このところ何かと忙しさに紛れておりまして……。案じておりましたよりも、私をひどく愚かにお思いになることが辛うございます……」等と、申しなさいました。
宮は、奥の方に、大層忍んでおいでになりましたが、簡略な仮住まいの御設備のため、端近くに御座所がありますので、宮のご様子が自然とはっきり分かります。大層物静かに身動ぎなさる衣ずれの音を「宮様らしい……」と聞いておられました。大将は心も上の空に思えて、御息所へご挨拶を取り嗣いでいる間、少し時間がかかる時には、少将の君などいつもお仕えしている女房たちにお話などなさいました。
「このように参上して、親しくお話を承るようになり、長い年月になりましたが、宮がこの上なく疎遠にお扱いになるのは、恨めしいことでございます。このような御簾の前で、ご挨拶などを人伝えにほのかに申しなさるなど……私はこの歳になって未だ経験したことがありません。何と古くさい人間かと、女房たちが私を見下し笑っているのでは……と、体裁悪い気さえいたします。若い頃、まだ身分も軽かった頃に、色めいた方面に慣れていたならば、このように思わなかったであろうに……まったくこのように生真面目で無愛想に歳をとってきた者は、私の他にはいないだろう……」と仰いました。真に大将は軽々しく拝見することができない程の立派なご様子なので、
「やはりそうお思いでしたか……。中途半端なお返事を申し上げるのは躊躇われます」などと、女房たちはつつきあって、
「宮の辛い思いを、お分かり頂けないように思われます……」と、宮に申し上げますと、
「母君ご自身で、申し上げなさらないご無礼については、私こそが母に代わるべきものを、恐ろしいまでに衰弱しておいでのように見えましたので、一心に看病しておりますうちに、生きているかどうかも分からないような気持になって……今はもう何事も申し上げることが出来ません……」と、人伝えに仰いました。
「これは、落葉宮のお返事ですか」と、大将は座り直して、
「御息所のお気の毒なご病気を、わが身に代えても……と心配しておりましたのも、何のためか……、貴女の御ためでございます。畏れ多いことですが、物事を判断するご様子などが回復なさるまでは、宮が穏やかにお過ごしになることこそが、誰にとっても心強いこと……と推察申し上げます。ただ母君のことばかり一生懸命になって、私の積もる想いをお分かり下さらないのは、残念なことでございます」と申しなさいました。
「誠に……」と、女房たちも皆、思っておりました。
日も入り方になるにつれて、空の様子が趣き深く、霧がかかって山の影が薄暗い感じがします。ひぐらしがしきりに鳴いて、垣根に生える撫子が風にゆれ、その色も大層美しく見えます。
御前の前栽の花が心のままに咲き乱れているところに、水の音が大層涼しげに聞こえ、山下ろしの風が物寂しく、松風の響きが木深く聞こえるなどする中、不断の経を読む僧の交替の時刻になり、鐘を打ち鳴らすと、立つ僧の声も、代わって座る僧の声も一緒になって、誠に尊く聞こえてきます。
山荘という場所柄、万事の事が心細く思われ、しみじみと物思いを続ける大将には、お帰りになる気持さえ起こりません。
律師が加持祈祷する音がして、陀羅尼(経)を大層尊く読んでいます。
御息所がとても苦しそうになさいますので、女房たちもそちらに集まり……と言っても、このような仮住まいに大勢伺候することはないので人も少なく、宮は独り思い沈んでおいでになりました。
辺りはひっそりしていますので、「想うことを話し出すのにはよい機会か……」と、大将はお思いになって座っておられますと、霧がすぐ軒の下まで立ちこめてきました。帰る方向も霧で見えなくなっていくのは、どうしたらよいのか……と、
山里のあはれを添ふる夕霧に たち出でん空もなき心地して
(訳)山里に趣きを添える夕霧に、帰る方もない気がしています……
宮に申し上げますと、
山がつの籬をこめて立つ霧も 心空なる人はとどめず
(訳)山里の垣根に立ちこめた霧は、心あらずの人はお引き止めしません。
かすかに申されるご様子に心を慰めながら、帰る機会を忘れて、
「どうしたらよいものか……。家路は見えず、霧の立ち込めたこの家には、立ち止まることもできないように急き立てなさいます。物慣れぬ人には、このようなことこそ苦しいのです……」などと躊躇って、これ以上抑えきれない想いを仄めかしなさいました。今までも大将の想いを、宮が全くご存知なかった訳ではないけれど、知らぬ素振りで対応しておられました。またこのように口に出して恨み申しなさるのを煩わしくお思いになり、ますますお返事もなさいませんので、大将は大層嘆きながら、心の内では「またこのような機会があるだろうか……」と思い巡らしておられました。
「情けない軽薄者と思われようとも、どうすることもできない。宮を想い続けていることだけでも、お伝え申そう……」と供人をお呼びになりますと、御司の将監から昇進した親しい家来が参りました。夕霧は目立たないように、
「某の律師に、是非とも言いたいことがある。護身などに忙しそうだが、今は休んでいる頃だろう。今宵はこの辺に泊まって、初夜(戌の刻に行う勤行)が過ぎる頃に、律師のいる所に私が参りますから、この人とあの人を控えさせておきなさい。随身などの男達は、来栖野の荘園が近いから、そこで馬に秣など喰わせていなさい。ここでは大勢の人が声をたてる訳にはいかない。このような仮住まいは軽率だと、世間が取りなすことだろうから……」と仰いました。
「何かきっと事情があるのだろう…」と理解して、家来はこの仰せを承って立ち去りました。
「ひどい霧で帰り道がはっきりしないので、この辺に宿を借りましょう。同じことなら、この御簾の側をお許し下さい。阿闍梨が下りて来るまでのことですが……」とさりげなく仰いました。
いつもはこのように長居して、寛いだ態度をお見せになることはないので「何と嫌なことを……」と宮はお思いになりましたけれど、わざとらしく軽やかに御息所の所にお渡りになるのも、何か体裁の悪い気がしますので、ただ音を立てずにいらっしゃいました。大将は女房に何かを申しなさって、それを御息所にお伝えするために、部屋に入っていくその女房の陰について、宮の御簾の中に入ってしまわれました。
まだ夕暮れで霧が立ち込めていて、家の中は薄暗くなった頃でした。宮は驚いて振り返り、とても恐ろしいとお思いになって、北の御障子の外に膝行ってお出になりましたが、大将はよく探り当てて、お引き止め申しました。
宮のお身体は部屋の中に入られましたが、御衣の裾が残って、襖障子は締め切れないままで、内側から鍵をかける術もありません。宮は汗を流して震えておいでになりました。女房たちも驚き呆れて 手荒く引き離すことができる身分でもないので「どうしたものか……」と考えも及びません。大将のいるこちら側からなら、襖に掛け金もあるけれど、どうしようもありません。宮は、
「何ともひどいことを……思いもかけない御心ですこと……」と泣き出しそうに申しなさいましたが、
「お側に伺候している者が疎ましく目障りとお思いになるのでしょうか……」と仰って、とても穏やかに、はやる心を体裁よく鎮めて、心の想いを申し伝えなさいました。
宮が聞き入れなさるはずもなく「悔しい……こんなことを……」とお思いになりますけれど、なす術もなく、お返事の言葉さえ思いつきもなさいません。
大将は、
「何とも情けない……とても幼いお振る舞いですね。人知れず 私の胸の中には色めいた罪くらいはありますけれど、これ以上馴れ馴れし過ぎることは、お許しがなければ決していたしません。どれだけ千々に乱れた想いに堪えかねていますことか……それもいづれ、自然とお分かりになることもありましょう。強いて素知らぬ振りで、私をよそよそしくお扱いになるようなので、申し上げる術もなく、いた仕方ありません。たとえ私を思慮がないと恨みにお思いになったとしても、このままで朽ち果ててしまう心の内を、はっきりと申し上げておきたいと思っただけです。言いようもない冷たい御もてなしは、私には辛く思われますが、誠に畏れ多いことですから……」と、努めて心深く気遣っておいでになりました。
宮が、とても心細い様子で襖障子を押さえておられますので、大将はあえて引き開けずに、
「この程度の隔てを……と、強いてお思いになることこそ、お気の毒で……」と、遂にはお笑いになり、嫌という振る舞いはなさいません。 宮の優しく上品で優美なご様子が、何とも格別に見えました。長い間、物思いに沈んでおいでになったせいか、痩せて細い感じがして、普段のお召物のままでいらっしゃる御袖の辺りもしなやかで、御衣に染みた親しみやすい香の匂いなども、全てが愛らしく優しい感じがしていました。
風が心細く吹いて更けていく夜、虫の音や鹿の鳴く声に、滝の水音が入り乱れて趣きのある頃なので、情緒を解さない軽薄な人でさえ、目が覚めるに違いないほど美しい空の様子を、格子をそのままにして眺めておられました。入り方の月が山の端に近くなった頃には、涙を抑えられないほどしみじみと情緒が感じられます。
大将は、
「やはり……このように私の心をお分かり頂けないご様子こそ、浅はかな御心と思われます。世間知らずなまでに愚かしく、落ち着いておられるところも、他に類がないのですが、身分の高い方は何事も許され、私の振る舞いを愚か者だと笑って、つれない心をお示しになるものです。貴女があまりに私を見下しなさるので、もう心を鎮められない気がします。男女の仲を全くご存じない訳でもありますまいに……」と申し上げなさいますので、宮は責められたようにお思いになって、
「どうお応えしたらよいものか……」と、悲しく思い巡らしなさいました。男女の仲を知っている者として、気安く口にされたことも不愉快で、
「誠に……私は他に類のないほど不運な身の上だわ……」と、死んでしまいそうにお思いになって、
「情けないわが身の過ちを知ったとしても、このようにひどい大将殿の御振る舞いを、どのように思いなしたらよいものか……」と、少し悲しそうにお泣きになりました。
我のみや憂き世を知れるためしにて 濡れそう袖の名をくたすべき
(訳)私だけが辛い結婚した女の例として、さらに涙で袖を濡らして、
悪い評判を受けなければならないでしょうか……
自分の気持ちのままに、ひっそりと誦じなさましたが、ただとても辛く感じられて、「どうして歌など詠んだのでしょう……」と悔やんでいらっしゃいますと、
「誠に、悪いことを申し上げたようだ……」と、微笑んで、
大方は われ濡れ衣を着せずとも 朽ちにし袖の名やはかくるる
(訳)大体、私が濡れ衣を着なくとも、既にたってしまった悪い評判は、
隠すことのできるものではありません。
ただ、どうぞ御心を開いて下さい……」と、宮を月の明るい方にお誘い申しました。宮は気強く応対なさいましたけれど、たやすく引き寄せ申して、
「これほど強い 類のない程の愛情をお分かり下さって、お気を楽になさってください。貴女のお許しがなければ、これ以上のことは決して……」と、大層はっきりと申し上げているうちに、明け方近くになりました。
月は限りなく澄み渡り、霧にも紛れることもなく差し込んできました。造りの浅い廂の軒は奥行きもなく、月と直に向かい合っているような妙に体裁悪い感じがして、お顔を隠していらっしゃる宮の仕草などが、言いようもなく愛らしうございました。
故君(柏木)の御事なども少し交えて、努めて穏やかにお話をなさいました。それでもやはりあの過去の方ほどには想って下さらないのを恨みなさいまして、御心の中でも、
「亡き君(柏木)は 御位などもまだ充分ではなかったのに、周囲の誰もがお許しになったので、成り行きで、私と結婚なさいました。その後で、大層冷淡になってしまわれた……。
まして大将殿とこのようにあるまじきことになろうとは……大殿(到仕大臣)などがお聞きになって、どう思われることか。世間の謗りは更に言うまでもなく、朱雀院(父君)もどのようにお聞きになり、どうお思いになることか……」など、あちらこちらの方々のお心を思いますと大層残念で、自分の考えひとつで気強く思っても、世間の噂はどうなるのだろう……と、思い悩みなさいました。母・御息所がご存知ないことも罪があるように思われ、もしこれをお聞きになったら、
「何と幼い御心よ……」と仰ることだろう……と、侘びしくお思いになり、
「せめて夜を明かさずに、ご退出なさいませ」と、急き立てるほかありませんでした。
「誠に呆れたことだ。事あり顔で 草を踏み分けて帰ろうとは……朝霧が何と思うでしょう。やはり、それならばお分かりください。私が愚かな姿をお見せ申しましたのに、
「上手く、言いくるめて帰した……」とお思いになるなら、その時には、わが心を抑えることはできません。今までに経験したことのないけしからぬ事をしでかすことになりそうだ……」等と仰って、とてもこれからの事が不安になられました。いきなり色めいた態度をする事には慣れてないご性格なので「宮がお気の毒で……自分でも見下したくならないか……」等とお思いになって、人目につきにくい霧に隠れてお帰りになるには、その心も上の空でございました。
荻原や軒端の露にそぼちつつ 八重たつ霧をわけぞ行くべき
(訳)荻原の軒端の萩の露に濡れながら、幾重にも立ちこめた霧の中を
帰って行かねばならないでしょう。
やはり濡れ衣をお乾しになれないでしょう。無理に私を急き立てなさる貴女のせいですよ……」と、申し上げなさいました。確かにご自分のひどい評判が漏れ伝わるに違いないけれど、せめて心が問われた時こそは、潔白だと答えようとお思いになりました。宮は大層よそよそしい態度をなさいまして、
わけゆかむ草場の露をかごとにて なほ濡れ衣をかけんとや思ふ
(訳)帰って行く草場の露に濡れるのを口実に、私に濡れ衣を
着せようとお思いなのでしょうか……
誠に心外なことです……」と、大将をお咎めになるご様子は、とても美しく気品がございました。
長い年月、様々に情の深いところをお見せしたのに、今、油断をさせて、色好みのように振る舞ったことが、宮にとってお気の毒で、自分でも気恥ずかしく思われますので、賢く反省しながらも、今このように強いて宮の言葉に従い申しても、後で物笑いになりそうだ…等と、様々に思い乱れながら、お帰りになりました。
帰り道、朝露もだんだんひどくなってゆきました。夕霧にとっては、このような出歩きは慣れておられないので、かえって興味深くお思いになりました。「気のもめることだ……」とも思いながら、もし三条殿にお帰りになりますと、女君(妻・雲居雁)が、御衣が濡れていることをお咎めになるに違いないので、六条院(源氏)の東の御殿(花散里)においでになりました。まだ朝霧は晴れません。都でこの朝霧ならそれ以上に、小野ではどうだろうか……と、思いやりなさいました。
「珍しくお忍び歩きだったのでしょう……」と、女房たちはささやき合いました。夕霧は暫くお休みになってから、お召物を脱ぎ替えなさいました。花散里は、いつでも夏・冬の着物をとても美しく整えておられますので、香の御唐櫃より取り出して差し上げなさいました。御粥などを召し上がって、院(源氏)の御前に参上なさいました。
小野に御文を差し上げなさいましたが、落葉宮はご覧にもなりません。突然で 心外であった夕霧の振る舞いを、腹立たしく恥ずかしいとお思いになり、大層不愉快で、母・御息所が漏れ聞きなさることも恥ずかしいこととお思いでした。人の噂も隠すことの出来ない世の中なのですから、御息所がご自分からお聞きになって、宮が隠していたこととお思いになるのは辛いことなので、
「女房たちからありのままに申し上げてほしい。御息所が嫌なことだとお思いになっても、それは仕方がない……」と思われました。この母子は少しも隠し事もせず、何でも打ち明けておいでになりました。他人は漏れ聞いても、親に隠し事をするくらいのことは昔の物語にもあるようだけれど、宮はそうはお思いになりません。女房たちは、
「御息所が少しお聞きになったら、きっと何かがあったかのように思い乱れることになりましょう」「まだ何もないのに、お労しいこと……」などと言い合っておりました。
「このお二人はどうなるのだろう……」と思う者達は、大将殿からのお手紙を見たいとは思うけれど、宮が少しも開けさせなさいませんので、物足りなく思い、
「やはり全然お返事をなさらないのも失礼ですし、大人げないことでございましょう。せめてご覧になって……」と申し上げて、御文を広げました。宮は、
「見苦しく何気ない様子で、少しばかりお逢いした軽率さを、自らの過ちと思ってみるけれど、大将殿の思いやりのないあさましい行動も、情けなく思われるのです。御文は見ることが出来ないと伝えなさい」と、寄り臥しなさいました。
大将の手紙には憎い様子もなく、大層心を込めてお書きになっていて、
たましひをつれなき袖にとどめおきて わが心から惑はるるかな
(訳)わが魂をつれない貴女のそ袖に置いてきて、自分ながら
どうしてよいのか分かりません。
思いのままにいかないわが心よ。昔も同じ人がいたなどと思い出してみても、更に行く方がわかりません」などと多く書かれていました。けれど女房はよく見ることができません。例の後朝の御文ではないようだけれど……やはり思いが晴れないようでした。女房たちは、宮のご様子もお気の毒なので、嘆きながら拝見しつつ、
「お二人の間はどのようなことなのでしょう」「大将殿の有り難い思いやりのある御心遣いは、長く続いているけれど……」「このような方に、お頼み申してはがっかりなさるだろうと不安で……」などと、親しくお仕えしている女房達は、それぞれ思い乱れておりました。
御息所もまだ全くご存知ありませんでした。
物の怪を患っておいでの御息所は重篤に見えますが、爽やかな気分になられる折もあり、時々正気になられます。昼、日中の加持が終わって、阿闍梨がひとり残って、やはり陀羅尼をお読みになりました。御息所が回復なされたように見えますのを喜んで、
「大日如来は空言(嘘)は仰いません。どうしてこんな某僧が 心をこめて伺候する御修法に、験(成果)のないことがありましょうか。悪霊は執念深いようですが、業障につきまとわれた儚いものでございます」と声は枯れて、怒っておられました。聖らしく一本気な律師なので、
「あの大将は、いつから宮のところに、通い参られるようになりましたか?」と尋ねなさいました。
「そうではありません。故大納言(柏木)と大層仲のよい方で、その遺言を裏切るまい……と、ここ数年、何かの折につけておいでになり、このように私が患っておりますのをお見舞いくださいます。昨晩も立ち寄りなさいまして、忝なく思っておりました……」と申しなさいました。
律師は、
「いや、それはおかしい……私にお隠しになることもありますまい。今朝、後夜に参上しました折に、あの西の妻戸より、大層立派な男が出てこられました。霧が深くて、私には誰と見分けることができませんでしたが、ここの法師たちが「大将殿がお出になるのだ」「昨夜も御車を帰して、ここにお泊まりになったようだ」等と、口々に申しておりました。本当に御衣の大層香ばしい薫りが満ちて、頭が痛くなるほどであったので、誠にそうであったのか……と、納得できたのでございました。
大将殿は常に大層香しくいらっしゃいますが、また誠に優れた方でもあられます。子供の頃より、この君の御ためには、拙僧らも御修法をするようにと、故大宮が仰せつけになったので、 今でも承っているところではあるけれど……、皇女の君(落葉宮)のことを許すのは、大変無益なことでございます。本妻(雲居雁)がご立派でいらっしゃいます。あのように今を時めく一族の、誠に高貴な方であり、若君たちは七、八人いるのでございます。
皇女の君と言っても、本妻を圧倒することはできません。また女人という罪深い身を受け、長夜の闇に迷うのは、ただこのような罪によって、そのような酷い報いをも受けるものであります。もし本妻に御怒りが出たならば、長い成仏の障りとなりましょう。全く賛成できない……」と頭を振って、ただ言い続けなさいますので、
御息所は、
「なんとも妙な話です。全くそのような方にはお見えになりません。私が気分が悪かったので、一休みしてからお目にかかろう……と仰って、しばらく留まりなさいました…と、ここの女房達が言っていましたが、そのようにお泊まりになったのでしょうか。大体が大層真面目で誠実でいらっしゃる方ですが……」と不審がりなさりながらも、心の内では、
「そのような事が本当にあったのだろうか……。ただならぬご様子は時々見えたけれど、お人柄が大層しっかりしていて、強いて人の謗りを受けることは避けて、真面目に振る舞っておられましたので、容易く心許されぬ事はなさるまい……と安心しておりました。昨晩は人少なで、宮のおられる様子を見て、忍び込みなさったのだろうか……」とお思いでございました。
律師が立ち去った後に、小少将の君をお呼びになって、
「このような事を聞きましたが、どういう事ですか。なぜ私に事情をお聞かせ下さらなかったのか、そんなことはあるまいと信じながらも……」と仰いますと、宮にはお気の毒なことですが、少将は起こったことを初めから詳しく、御息所にお話し申し上げました。
大将の今朝の御文のご様子から、宮がかすかに仰せになったことなどを申しあげ、
「長い年月、秘めていた御心の内を、お知らせしようと言う程度でしたでしょうか。めったにない御心遣いで、夜が明け果てぬうちにお帰りになりました。一体、人はどのように御息所に申し上げたのでしょうか……」 まさか律師とは思いもよらず、女房がこっそりとお伝えしたものと思っておりました。御息所は何も仰らず、ただとても残念と、涙をほろほろと溢しなさいました。それを拝見するのも、大層おいたわしく、
「どうして、ありのままに申し上げてしまったのか……、苦しいご気分の中で、ひどく思い乱れていらっしゃるだろう……」と、少将の君は深く後悔して、
「ただ襖障子には、掛け金が挿してありました……」と、適当に言い繕い申し上げましたが、
「どうあったにせよ、何の用意もなく、軽々しく大将殿とお逢いになったことこそ、とんでもないことです。宮のお気持が清くいらっしゃろうと、こうまで言った法師達や良からぬ童などは、まさに悪い噂を流すに違いない。世間の人にはいかに弁解して、何もなかったと示すことができようか……。すべて思慮の足りない幼い者ばかりが、ここに伺候していて……」と、最後まで仰ることができません。御息所はご気分が悪いうえに、心乱れなさいましたので、大層お気の毒なご様子でございました。
「これからは、宮を気高くお扱い申そう……」とお思いになっていたのに、世間に恥ずかしい軽々しい評判が立つに違いないので、大層お嘆きになりました。
「このように少し正気でいる時に、宮にお越しになるように申し上げなさい。私が参るべきですけれど、動くことができません。お逢いしないまま、久しくなったような気がします……」と、涙を浮かべて仰いました。少将は宮の所に参上してお伝え申しました。
御息所のところにお渡りになろうと、宮は濡れて固まった髪を整えて、単衣の綻びたお召物を着替えなどなさいましたが、直ぐには動くことができません。
「女房たちが昨夜の事をどのように思うだろうか……。母君もまだご存知なく、後になってほんの少しでもお聞きになることがあるなら、薄情だとお思いになるだろう……」と、とても恥ずかしく思われ、また臥してしまわれました。
「大層気分が悪い。このまま治らなかったなら……、それも気楽になれることだろう。脚の気血が頭に上がったような心地がします……」と、脚を揉ませなさいました。
宮はとても苦しそうに、さまざまに思い悩まれ、気血が頭に上りました。少将の君は、
「御息所にこの事について申し伝えた人がいたようです。どのようなことがあったかとお尋ねになりましたので、私はありのままを申し上げて……御障子の掛け金が掛かっていたとだけ、少し誇張してはっきりと申し上げました。もし母君がそのようにお尋ねになりましたら、私が言ったのと同じように申し上げなさいませ……」と申しました。
母君のお嘆きのご様子に、宮は何も申し上げられません。御息所も「やはりそうだったのか……」と、とても悲しく何も仰いません。御枕より涙の雫が落ちました。
「この事だけでなく、故柏木と結婚してから、母君にはとてもご心配をおかけしている…… 」と、生きる甲斐もないように思い続けなさって、
「大将殿がこれからも何かと言い寄ってくるのも煩わしく、聞き苦しいことだろう。ましてその言葉に従ったなら、どんなに評判を落とすことになるのだろう……。少し思い慰められる面もあるけれど、内親王であった女性が、このように軽々しく男に逢うことがあってよいものか……」と、自分の不運を悲しんでおられました。
夕方になって御息所から「やはりお渡り下さるように……」とありましたので、中の塗籠の戸を開けてお渡りになりました。御息所はご気分が悪いなか、並々ならず畏まって応対申し上げなさいました。いつもの御作法に違わず、起き上がりなさって、
「とても見苦しい姿でおりますので、お渡り頂きますのも心苦しく思います。この二、三日ほど、お姿を拝見しませんでした間に、年月が経ったような気がしますのも、一方では心細く思われます。後の世で必ずしも、お逢いできるものでもないようですから、またこの世に生まれ参りましても、何の甲斐がございましょう。思えば、親子もただ時の間に、別れ別れにならねばならない世の中を、強ち慣れ親しんできましたのに、死別とは悔しいことでございます……」などとお泣きになりました。宮も大層悲しく、今までの出来事を取り集めて思い出しなさいまして、御息所に申し上げることもなく、ただ拝見なさっておられました。
宮は内気なご性格ですので、こまごまと弁解なさるような方ではない上に、恥ずかしそうなご様子なので、とてもお気の毒にお思いになって「どうだったのか……」とはお尋ねなさいません。
大殿油を急いで灯させて、お膳などを準備させなさいました。何も召し上がらないとお聞きになったので、このように御息所ご自身で、お食事を整え直しなさいましたが、やはり宮はお箸もおつけになりません。ただ母君の御気分が良いように伺えますので、胸が少しほっとなさいました。
あちらから、また御文がありました。事情など知らない女房が受け取って、
「大将殿より少将の君にと、御文がありました」と申しますのが、また辛いことでございました。
御文を受け取った少将の君に、御息所は「どんなお手紙ですか……」と、やはりお尋ねになりました。弱気なお考えも加わって、そっと大将殿の来訪をお待ち申し上げておいででしたが、お越しではないようだ……とお分かりにになると、胸騒ぎがして、
「さぁ、その御文にやはりお返事を申しなさい。失礼にあたります。世間の噂を、良い方に言い直す人などはいないものです。貴女が潔白と思っていても、信用してくれる人は少ないのです。御文を、素直な気持ちで交わしなさって、やはり以前のまま……というのこそ、良いことでしょう。お返事をなさらないのは、甘えた態度というものです……」と仰って、その御文を手元に取り寄せなさいました。少将は辛く思いましたけれど、お手紙をお渡しいたしました。御文には、
宮の意外なほど冷たい御心をはっきり拝見してからは、かえって一途になってしまいそうです。
せくからに浅くぞ見えむ山川の 流れての名をつつみ果てずば
(訳)拒むゆえに浅い御心が見えます。山川の流れのように 浮き名は
包み隠しきれません……
言葉の多い御文を、御息所は最後までご覧になりません。この御文もはっきりした態度でもなく、目の覚めるよう心地よさそうで、今宵も訪れのないことを酷いこととお思いになりました。
亡き督の君(柏木)の愛情が心外なほど冷たいと思われた時にも、とても辛いと思われましたが、表向きの御もてなしはこの上なく、並ぶ人もないほど大切に扱われましたので、こちらに権威がある気がして心慰めていましたが、それさえ満足ではなかったのに、何ということであろう。致仕大臣の辺りでは、どうお思いになっているのだろうか……と、御息所は思い悩みなさいました。
「やはり大将殿はどのように仰るのか……」と、せめてご様子を伺ってみようとお思いになり、御気分が悪いのに、涙にくれる目を押し開けて、醜い鳥の足跡のような文字でお書きになりました。
「すっかり弱って頼りなくなってしまいました。宮がお見舞いにおいでになった折でしたので、お返事を書くようにお勧めしたのですが、誠に沈んだご様子でいらっしゃいますので、見兼ねまして、
女郎花しをるる野辺をいづことて 一夜ばかりの宿を借りけん
(訳)女郎花が枯れている野辺で、どうして一夜だけの宿をお借りになったのでしょう
と、ただ書き止めて、ひねり文にして御簾の外にお出しになり、お伏せになったままで、ひどく苦しがりなさいました。物の怪が油断させていたのか……と、女房達は言い騒いでおりました。
いつもの効験のある僧たち総てが、とても騒がしく祈祷を致しました。宮には、
「やはりあちらにお移り下さい」と申し上げましたが、母君に遅れ申すまい……とお思いになって、ぴったりと側に付き添っていらっしゃいました。
大将は、この昼頃には三条院におられました。今宵、再び小野においでになるつもりでしたが、「まだ何事もないのに、訳あり顔では体裁も悪いだろう……」と、かえって宮への今までの心許なさよりも、幾重にも物思いを重ねて、嘆息をついておられました。
北の方(雲居雁)は、このようなお忍び歩きの様子を聞いて、大層不愉快にお思いになりましたが、素知らぬ振りをして、若君たちをあやして気を紛らわしながら、昼の御座で臥しておられました。
宵を過ぎる頃に、御息所からのお返事が届けられましたが、いつもと違って鳥の足跡のような文字で、直ぐには読み取れませんので、大殿油(灯火)を近くに引き寄せてご覧になりました。
女君(雲居雁)は ものを隔てた所におられましたが、素早くそれを見つけなさいまして、そっと這い寄って、後ろから御文を取り上げなさいました。夕霧は、
「あ、呆れたこと。一体、何をなさるのか。何とけしからぬ事を……。これは六条の東の上(花散里)からの御文です。今朝、風邪をひかれ辛そうにしていらっしゃいました。院の御前におりまして、帰る時に立ち寄らないままになりましたので、お気の毒に思って「今はいかがですか」と申し上げたのです。ご覧なさい。恋慕めいた御文の様子でありましょうか。それにしても、はしたないお振る舞いをなさいますな。年月を経て、私を馬鹿になさることこそ情けないことです。私がどう思うか……貴女は、恥ずかしくないのですか」と低く呻いて、惜しそうな表情をなさりながらも、無理に取り返そうとなさいませんので、雲居雁はさすがにすぐには読まずに、お持ちになっていらっしゃいました。
「年月の経つにつれて、馬鹿になさるのは、貴方の御心の方でございます……」
ご立派な姿に気後れして、若々しく愛らしい様子で仰いますので、夕霧は少し笑って、
「それはどちらでもよいこと。夫婦の常のことです。私の他にはいないでしょう。地位の上がった男で、このように他の女性に心紛らわすことなく、一人の妻を守って、物怖じしている兄鷹のような者は……。どんなにか世間は笑っているでしょう。そのような偏屈な者に守られていなさるのは、貴女のためにも、名誉なことではないでしょう。沢山の婦人達の中に、貴女が一段と際立って格別な愛情の区別が見えるからこそ、世間の意識も優れて良いのですよ。わが気持としてもやはり若くいたいし、興をそそる事も、しみじみしたことも、絶えることはないでしょう。このような翁が何かを守ったように、愚かに悩んでいるのを残念に思います。このような夫は、どこに見栄えがあるのか……」と、そうは言いながらも、この御文を読みたいという素振りもなく、だまし取ろうとのつもりで、雲居雁を欺き申しなさると、雲居雁は大層美しくお笑いになって、
「華やかな素振りをなさるのが、年をとった私には辛いのです。最近、貴方が若々しく変わられた様子も寒々しく、今まで経験したことがないので苦しいことです。以前から私に慣れさせておおきにならないと……」と文句を仰る姿も憎くは思えません。
「急に変わったと思うほど……私の何処がそう見えるのでしょう。とても嫌な御心の隔てですね。私のことを悪くお知らせする女房がいるのでしょう。その人は不思議と、昔から、私を良く思っていない人でしょう。やはり昔の緑(六位のほ袍)の袖の名残りで、軽蔑し易いことに託けて、貴女を上手く操ろうと思っているのではないか……。いろいろ聞きにくい事などを、ほのめかしているようだ。関わりのない方の御為には、何ともお気の毒なことです」等と仰いましたが、落葉宮との縁については、結局はそうなるべきと思われますので、特に言い争うことはなさいません。大輔の乳母はこれをとても辛く聞いて、夕霧には何も申し上げません。それからあれこれ言い争いをして、この御文は隠してしまわれましたので、無理には探し出さずにおられました。
やがて雲居雁がつれなくお寝みになりましたので、何か胸騒ぎがして、
「御文を何とかして取り返したい。御息所からの御文のようだ。何事があったのだろうか……」と、目を閉じることも出来ずに思い悩みながら、臥しておられました。女君が眠っていらっしゃる間に、昨夜の御座の下などをさりげなく捜しなさいましたが……ありません。御帳内は狭まく、隠す場所もないので、どこか別のところに隠しなさったようです。大層悔しくお思いになりました。
やがて夜も明けてしまいましたけれど、すぐにはお起きになりません。雲居雁は若君たちに起こされて、いざり出ていらっしゃいましたので、ご自分も今、お起きになったような振りをして、あちこちお探しになりましたけれど、見つけることができませんでした。
雲居雁は、このように、夕霧が御文を求めようとなさらないので、
「本当に恋文ではないようだ……」と気にもかけずに、若君たちと騒がしく戯れ、人形などを並べて遊んでいらっしゃいました。書を読み、手習いなどをして、さまざまに騒がしい小さい稚児が這ってきて裾をひっぱるので、取り上げた御文のことを思い出すこともありませんでした。
夕霧は他のこともお考えになれず、早くお返事を申し上げなければ……とは思うけれど、昨夜の手紙の内容さえも確かに見ることができなかったので、
「見ないで書いたような返事をしても、御息所が御文を失くしたのかと察しなさるだろう……と、思い乱れなさいました。誰もが皆、お食事を済ませ、のどかになった昼頃、夕霧は困り果てて、
「昨晩の御文はどうなさったのでしょうか。不思議に私には見せなさらないまま、今日は花散里をお見舞い申し上げます。今は気分が悪くて、六条院に参上することもできません。御文には何事が書いてあったのですか……」と、雲居雁にお尋ねになりました。大層さりげない様子なので、
「御文は、愚かにも奪い取ってしまい……」と気忙しいまま、御文の内容については口になさらずに、
「一夜の深山の風に当たって、気分が悪くなりました……と、お返事には、風流な様子で弁明申し上げたらようでしょう」と申しなさいました。
「さて、そのような冗談をいつまでも仰いますな。何の風流なことがあるものか。世間の人と私を一緒になさるのこそ、かえって愚かしいことです。ここの女房たちも、何とも不思議なこと。どの生真面目な人のことを、こんな風に仰るのか……と笑っていることでしょう……」と冗談に言いなして、
「その御文はどこですか」と、改めてお尋ねになりました。けれども、すぐにはお出しにならないままに、またお話しなど申し上げて、しばらく臥しなさいますうちに、その日も暮れてしまいました。
ひぐらしの声に驚いて目が覚めなさいました。
「小野の山陰では、どんなに霧が立ち込めているだろう……。何と言うことだ。せめて今日中にお返事だけでもしないと……」と、御息所のことがお気の毒に思われ、ただ素知らぬ顔で硯をすって、
「どのように取り繕って、お返事を書こうか……」と悩んでおられました。
雲居雁の御座の奥の少し上がった所を引き上げなさいました。
「ここにさし挟みなさったのだ……」と、嬉しくも馬鹿らしくも思われますので、少し笑って、お読みになりますと、そこには大層お労しいことが書かれておりました。胸が潰れる思いがして、
「昨夜のことを、まるで何かがあったかのようにお聞きになったのか……」と、お気の毒で心が痛みました。
「昨夜でさえ、御息所はどんな思いで明かしなさったのか……、今日も今までお返事を差し上げずにいて……」と、夕霧は言いようもなく辛く思われました。
「とても苦しげに、言う甲斐もないことを、書き紛らしなさった様子で、思い余ってこのようにお書きになったのだろうに……つれなく今宵があけていくのか……」と、申し上げるべき言葉もないので、雲居雁をとても恨めしくお思いになりました。
「軽率にもあのような所に隠して……。いやはや、この悪ふざけも、私が躾けたのか……」と、様々に情けなくなり、全く泣きたい気持がなさいました。すぐにも小野に出立しようと思われましたが、
「坎日(暦上の凶日)でもあるので……気楽に対面することもできないだろうから、もし御息所が思いがけなく宮をお許しになるようであっても、お日柄が悪い。やはり末長く縁起のよいように……」と、几帳面な性格から判断して、ひとまずお返事を差し上げなさいました。
御文には「心外な御文を拝見致しましたが、この御咎めは、一体何とお聞きになってのお言葉でしょうか……
秋の野の草のしげみはわけしかど 仮寝の枕むすびやはせし
(訳)秋の野の草の茂みを踏み分けて、お伺い致しましたけれど、
仮寝の枕に契りを結ぶことなどいたしましょうか。
……」とありました。宮には沢山のことをお書きになって、御厩にいる脚の早い馬に鞍を置いて、昨夜の大夫を小野に差し向けなさいました。
「昨晩から六条院におりまして、只今、三条邸に戻りました…と申しなさい」と、大夫には教えなさいました。
小野では、昨夜もつれなく訪れのなかったご様子に我慢できず、後の評判をも隠せずに、大将をお恨みなさいましたが、そのお返事さえもないままに、今日が暮れてしまいましたので、
「どれほど冷たい御心か……」と呆れ果て、御心が離れてさらに乱れ、少し回復されていた御気分もまた大層酷くなられお苦しみになりました。
宮の御心の内では、一層辛いとお思いでございました。ただ思いもよらぬ人に、打ち解けた様子で逢った事だけが残念で、大したこととは思っていなかったのに、御息所がこのように大層お悩みになっていることに驚き、弁明申し上げる術もなく、ただいつもより恥ずかしがっているように見えました。 御息所は大層心を痛め、物思いのみが一層加わったようだ……と拝見するにつけても、胸が潰れる思いがなさいました。ただ悲しいことなので、今更難しいことは申し上げるまい……とお思いになりましたけれども、
「宮の宿世とは言いながら、思いの外、幼くいらっしゃいますので、世間から非難を受けることになり、評判を取り返すことはできないでしょう。今よりは……やはり慎重になさいませ。私は数にも入れる身分ではありませんが、万事につけて心尽くしてお育て申し上げてきました。今では何事でも良くお分かりになり、世の中のいろいろな有様をよく理解なされるほどにお世話してきたと、安心して拝見しておりましたが、やはり大層幼くて、強い御心がなかったのかと思い乱れております。
今しばしのこの命も、長生きしたく思います。普通の人でさえ、少しよい身分になった女性で、二人の男に嫁ぐ例は、感心しない軽薄なことですのに、まして皇女の身にとっては、いい加減なことで、男が近づき申すべきではないものです。私は長い年月、思いの外に心外なご結婚として柏木との縁を拝見して悩んでおりましたけれど、そのような運命だったのでしょう。……朱雀院を初めとしてそのお考えに賛成して、柏木の父大臣にもお許しなさろうとの御内意がありました時に、
「私一人が反対しても、どんなものか……」と、気強く思っておりましたが、今、後の世まで障るような不条理なご様子でおられますのを、私の過ちではないけれど、天命だと口実にしておりました。
これからは、大将殿のためにも、宮にとっても、万事に聞きづらい噂が加わってくるでしょうが、例えそうなっても、世間の評判に素知らぬ顔して、世の常のご夫婦としておられるならば、自然と月日が経つにつれて、心慰むこともありましょう……と、ようやく思うようになっておりましたのに、何とも情けない御心でございます……」と、呟くようにお泣きになりました。
誠にどうしようもなく、ひとり納得したように仰るにつけても、宮が辛さを晴らす言葉もなく、ただお泣きになるご様子はおっとりとして、むしろ可愛らしげでございました。宮を見守りながら、
「お気の毒に……何事が人に劣っておられましょうか。どんな運命でか、安らかな気持でいられずに、物思いをしなければならないご宿世なのでしょう……」と仰りながら、さらにお苦しみなさいました。
物の怪などが、このような弱り目につけ込んで勢いづいたのか、御息所は急に気を失ってしまわれました。律師等も立ち騒ぎなさいまして、願などを立て大声でお祈りなさいました。
宮が泣いて取り乱しておられますのも、誠に無理もないことでございます。 このように騒いでいる最中に、大将からの御文を受け取ったことをかすかにお聞きになった御息所は、
「今宵もおいでにならないようだ……情けない。宮は世間の噂の種にされるに違いない。どうして私までもが、あのような和歌を残したのだろう……」などと、様々に思い出しなさるうちに、そのまま息絶えてしまわれました。
「誠にあっけなく大変なことになった……」と言っても無駄なこと。御息所は昔から、物の怪を時々患いなさいまして、命もこれまでと見えた折もありましたので、
「いつものように物の怪が取り込んだようだ……」と加持をして大声で祈りましたけれども、ご臨終の様子が、この度ははっきりとしていました。
宮は、母君に遅れまいと心に決めて、亡骸にじっと添い臥していらっしゃいました。女房たちが、
「もう今は、何ともいたしかたありません。そのようにお悲しみになっても、死出の道は引き返すことが出来ません。母君を慕い申しなさっても、どうして御心に叶うことがありましょうか」などと、言うまでもない道理を申し上げ、
「とても不吉なことでございます。もうお側を離れなさいませ……」と、引き動かし申し上げましたが、宮は身体が竦んだようになり、何もお分かりにならないご様子です。
御修法の壇を壊して、法師たちがばらばらと退出して、然るべき僧たちだけが残っておりましたが、今は、全てが臨終の様子で、大層悲しく心細くございました。
いつの間に伝わったのか、いろいろな所からのご弔問がありました。大将も大層驚きなさいまして、早速ご弔問申しなさいました。六条院(源氏)からも致仕の大殿(柏木の父)からも、幾度も頻繁に弔問を申しなさいました。山の帝(朱雀院)もお聞きになり、とてもしみじみしたお手紙をお書きになりました。宮はこのお手紙には気を取り直しなさいました。
「長い年月、重く患っておいでと伺っておりましたが、いつも病がちとばかり聞いていましたので、油断しておりました。言う甲斐のないことはそれとして……宮が悲しみ嘆いておられるご様子を推察しますと、お気の毒で悲しいことでございます。すべて世の道理として、心落ち着かせて下さいますように……」とありました。宮は涙で目も見えないけれど、お返事をなさいました。
いつも「死んだら、そうありたい……」と、御息所が仰ったこととして、今日すぐに葬儀をなさろうと、御甥の大和の守であった者が、万事のお世話をなさいました。
「亡骸だけでも、しばし拝していたい……」と、宮は惜しみ申しなさいましたけれど、その甲斐もないことなので、皆、準備を急いでおりました。
忌中の時に、大将がおいでになりました。
「そんなに急いで、小野にお渡りなさるべきでありません」と、女房達がお引き止めしましたけれど、「今日から後では、お日柄が悪い……」と人前では仰って、宮がとてもしみじみ悲しみ嘆いておいでだろう……とお察し申しあげて、強いてお出かけになったのでございました。
道のりさえ遠く、山道にお入りになる頃には、ぞっとするほど寂しい気がします。小野では不吉そうに幕を引き隔てて、屏風を廻らして儀式の方は隠して、大将を西面にお通しいたしました。
大和の守が出てきて、泣きながらご挨拶を申し上げました。妻戸の前の簀の子に寄り掛かりなさって、女房を呼び出しなさいましたが、ここに伺候する者は皆、悲しみに沈んで落ち着かない様子でしたが、このような時に大将がお渡りになりましたので、女房たちも少しほっとしておりました。
少将の君が参りました。大将は何も仰ることができずに、涙もろくない気丈な性格の方ですが、今は、場所柄、人の気配などを思いやって大層悲しく、無常の世の有様が他人事ではないので、ひどく悲しくおられました。少し心落ち着かせてから、
「病が良くなると承っておりましたので、油断しておりました時に、夢も覚める程に驚いたことでございます……」と申しなさいました。御息所のお悩みのご様子や、大将殿とのことに心乱れていらっしゃった事を思い出すと、宮は、そうなる運命とは言いながらも、大層恨めしい人との御契りと思われますので、お返事さえもなさいません。
女房たちは、
「宮がどうお応えなさったと、大将殿に申し上げましょうか……」「とても重々しいご身分でありながら、こんなに遠い所まで急いでお越し下さった御心遣いを、分からないような御心も、あまりにも冷たいことでございましょう……」などと口々に申し上げるので、
「私の気持を推し量って、よいようにお返事なさい。どう言うべきなのか私には分かりません……」と仰って、伏せていらっしゃるのも無理もないことでございます。
少将は、
「ただ今は、亡き人と同じようなご様子でいらっしゃいます。大将殿がお渡り下さいましたことを、宮にはきちんとお伝え申しました」とお話し致しました。この女房たちも、涙にむせんでいるようなので、
「お慰めの申し上げようもありませんが、今少し私自身も気が静まり、宮も心静まりなさいました頃に、また参りましょう。しかしどうして、このように急に……そのご様子が伺いたいのです」と仰いますと、少将は全てではないけれど、御息所が思い嘆いていたご様子を、少しずつ申し上げて、
「恨み言を申し上げるようなことになってはいけません。今日は一層取り乱した心のせいで、貴方様に間違ったことを申し上げることもございましょう。それ故、このように宮が悲しみに乱れている気分にも限りがあることなので、少し心静まりなさいました頃にお話し申し上げ、承ることにいたしましょう……」と言って、正気もない様子なので、大将は仰るべき言葉も口に出ず、
「誠に……私も闇に迷った心地がします。やはり宮をお慰め申し上げて、私へのわずかのお返事でも、頂けるならば、嬉しいのですが……」と言い残しなさって、退出を躊躇っておられますのも、お立場上軽々しく思われ、人目が騒がしいので、今はひとまずお帰りになりました。
今夜ではあるまいと思っていたご葬儀などの準備が、実に短時間にてきぱき整えられましたので、誠にあっけないとお思いになって、小野に近い荘園の人々をお呼びになり、ご命じになって、ご葬儀の然るべき事などにお仕えするよう言い置いて、お帰りになりました。
事が急なので、簡略になりがちであった儀式が盛大になり、伺候する人数なども多くなりました。
大和の守も「とても有り難い御心遣い……」と喜び、畏まりお礼を申し上げました。
「名残りさえなくあっけないことよ……」と、宮は臥せ転がるほどに悲しまれましたが、その甲斐もありません。親と申しても、このように仲睦まじくすべきではなかった……」と、宮のご悲嘆を不吉なことと拝見し、嘆き申し上げました。後片付けをして、大和の守も、
「このように心細くおられましては、小野にはいらっしゃれないでしょう。御心の紛れることなど、ここにはありますまい……」などと申し上げましたが、宮は「せめて嶺の煙(火葬の煙)だけでも、お側近くに思い出したい……」と、この山里に住んで果てようとお考えでございました。
御忌のために籠もっていた僧は、東面やそちらの渡殿、下屋などに仮の隔(仕切り)を立てて、ひっそりとしていました。西の廂を片付けて、宮はそこにお住いになりました。日の明け暮れも分からないほどお悲しみのまま、幾月も過ぎて、九月になりました。
山下ろしが大層激しく吹き、木の葉も散り果て、全てが大層寂しく物悲しい秋空の下で、宮は涙の乾く間もないほどにお嘆きになり、命さえも思い通りにはならなかった……と厭わしく、悲しくお思いでございました。お仕えする女房たちも、万事にもの悲しく思い乱れておりました。
大将は、毎日お見舞いの手紙をお遣わしになりました。寂しげな念仏の僧なども、宮をお慰めするために、いろいろな物をお与えになりお見舞いをなさいましたけれども、宮は、御文を手にとってご覧になることさえなく、その呆れるほど腹立たしい御振る舞いや、御息所の弱り切った御心に、疑う余地なく信じ込んだまま亡くなられた事などを思い出しますと、
「御息所の後世に支障となるのでは……」と胸が一杯になる気がなさいました。大将のことをお聞きになるのでさえ酷く辛く、情けない涙が溢れる思いでございました。
大将は僅か一行ほどのお返事さえもないのを「しばらくは、心乱れておいでになるので…………」と思いやりなさいましたが、あまりにも時が経ちましたので、
「悲しいことも限りあること。なぜこんなに私の真意をお分かり頂けないのでしょうか……。言いようもない子供のようだ……」と恨めしく、
「花や蝶のことを書いたのならともかく、自分が悲しいと思い嘆いている事について『いかがしておいででしょうか……』と尋ねてくれる人には、親しみを感じて嬉しく思うものだ……。
昔、大宮(祖母)が亡くなられた時、とても悲しいと思ったけれど、致仕大臣がそれほど悲しみなさることもなく、当然の死別として、公式の儀式だけで供養を済ませなさいました。私は大層辛くて情けないと思ったけれど、六条院(源氏)がとても心をこめて、後の法事などを営みなさいました。自分の父親という間柄で、嬉しく拝見したその時に、故衛門の督(柏木)を格別に好ましく思うになりました。柏木は人柄が大層穏やかで、物事を深く思い詰める性格で、悲しみの情も勝って、人より心深いご様子が慕わしく思われた」などと、所在なく物思いに沈んで、日々お過ごしになりました。
女君(雲居雁)は、やはりこの御仲(夕霧と落葉宮)の様子を憂い、
「どのような仲だったのだろうか。御息所と御文を交わして、親密になさっていたようが……」などと納得し難いので、夕霧が夕暮れの空を眺めて臥せっているところに、若君を使いにして、歌を差し上げなさいました。ちょっとした紙の端に、
あはれをもいかに知りてかなぐさめむ あるや恋しき 亡きや悲しき
(訳)悲しみを何が原因と知ってお慰めしたらよいものか、
生きている方が恋しいのか、亡くなった方が悲しいのか
はっきりしないのが情けないのです……」とありますので、夕霧は微笑んで、
「以前にもこのような想像して仰ったことがありましたが……見当違いです。しかも故人などを持ち出して……」とお思いになり、ますます何気ない様子で、
いづれとかわきて眺めむ消えかへる 露も草葉の上と見ぬ世を
(訳)特に何かを悲しんでいるのではありません。
消えてしまう露の草葉の上だけではないこの世ですから……
世間一般の無常が悲しいのでございます……」とお書きになりました。
やはりこのような隔て心を持っていらっしゃることを、露の世の悲しさを差し置いても、大層お嘆きでございました。宮のことを気掛かりにお思いになって、御息所の御忌などが明けてからゆっくりお訪ねしようと、心を鎮めなさいましたが、それまで堪えることができずに、
「今はこの浮き名を、どうして無理に包み隠していられようか。世間の男性と同じように、今こそ想いを遂げるべきだ……」と思い立ちなさいました。北の方(雲居雁)の疑っていることを、強いて打ち消そうとはなさいません。宮ご本人が私を強く拒否なさろうとも、あの「一夜ばかりの宿を……」と書かれた御恨みの手紙を口実として、潔白を言い張ることはおできになれまい……と心強くお思いになりました。
九月十余日、野山は、たとえ情緒を解さぬ人でさえ美しいと感じる景色でした。山風に堪えきれない木々の梢や嶺の葛の葉が、心急いて先を争い散り紛れるところに、尊き読経の声や念仏などの声ばかりが聞こえていました。山里にはほとんど人の気配もなく、木枯らしの吹き払ったあとに、鹿がただ籬の元に佇みながら、山田の引板にも驚かず、色の濃い稲の中に入って鳴いているのも、悲しげでございました。
瀧の音は、深く物思いする大将を驚かすほど、耳にうるさく響き渡っていました。草むらの虫だけが、頼りなさそうに弱々しく鳴き、枯れた草の下には竜胆だけが、茎を長く這い延ばして、露に濡れて見えました。皆、いつものこの時期の風景ですけれど、折柄か場所柄からか、大層堪えがたい程、物悲しさが募ります。
大将はいつもの妻戸の所に立ち寄りなさって、そのまま物思いに耽りながら立っておられました。魅力的な直衣に、薄紫色の下襲の艶が、とても美しく透けて見えていました。光の弱くなった夕日が差し込んできたので、眩しそうに、さりげなく扇をかざして、顔を隠しなさいました。その手つきを、
「女こそ、こうありたい……」「女でさえ、こうはできない……」と、女房達は拝見しておりました。物思いの慰めにしたい程の美しい笑顔で、少将の君を特別にお呼びになりました。
簀の子はあまり広くはないけれど、その奥にあの方(落葉宮)がおられるのだろうか……と気になり、少将と打ち解けて話をすることがおできになれません。
「もっと私の近くに……放っておかないでください。このように山深く分け入って来た気遣いに対し、心の隔てが残るはずもない。霧もとても深いことですし……」と、覗き込まないように山の方を眺めながら、「もっと近く……もっと近く……」としきりに仰いますので、鈍色の御几帳を御簾の端より少し押し出して、少将は裾を引き繕って座っておりました。この女房は大和の守の妹なので、御息所と近い縁にあり、幼い頃より御息所が大層可愛がっておられましたので、喪衣の色がとても濃く、つるばみで染めた喪衣一襲に小袿を着ておりました。
「このように悲しみの尽きない御事はさておき、宮の御心の冷たさを思いますと、心も魂もこの身を離れてしまいました。逢う人ごとに咎められますので、今はもうこの想いを抑える術もありません」と、恨み事を言い続けなさいました。さらに御息所の最期の御文についても口になさって、大層お泣きになりました。
少将はそれ以上に泣き入りながら、
「その夜のお返事さえ拝見しないままでしたが、御息所は臨終の折にも、思い詰めなさったまま、暗い空模様に心乱れてしまわれました。そのような弱り目に、いつもの物の怪が取り憑き申したと拝しておりました。亡き夫(柏木)の事でも、御心乱れた折が多くありましたので、同じように沈み込んでいらっしゃる宮をお慰め申そうと、お気を強く持って、だんだん正気を取り戻しなさいました。このお嘆きにさえも、宮はまるで正体のないご様子で、ただぼんやりしておられました……」などと、慰めがたく悲しそうに、言葉も途切れ途切れに申し上げました。
「そうですね。……あまりにも頼りなく、情けない宮の御心でございます。今は畏れ多いことですが、これからは、私の他に誰を頼りにお思いになるのでしょう。御山暮らしの父院も、今は深い峰に入られ、世の中を思い捨てなさった雲の中の暮らしのようなので、手紙を交わすことも難しいことでしょう。本当に、宮の冷たい御心について、貴女からもよく申し上げてください。万事がこうなるべき前世からの宿命なのです。例えこの世に生きていたくない……とお思いになっても、そうはいかない世の中なのです。もし死別が御心のままになるのなら、この死別もあろうはずがありません……」などと、いろいろ仰いましたが、少将の君は応えるべきこともなくて、ただ嘆きながら座っておりました。遠くで鹿がとても悲しそうに鳴くので、「私は鹿にも劣るのだろうか……」と思われ、
里遠み小野の篠原分けてきて 我もしかこそ声も惜しまね
(訳)人里から遠いので、小野の篠原を踏み分けてきましたが、
私も鹿のように、声を惜しまず泣いています。
藤ごろも露けき秋は山人は 鹿の泣く音にねをぞ添えつる
(訳)喪服も涙で濡れている秋の山人は、鹿の鳴く音に声を添えて泣いています。
あまり上手い歌ではありませんが、折柄、忍びやかな声を心深くお聞きになりました。宮へのご挨拶をあれこれ申しなさいましたが、
「今は……このように驚くべき悪夢のような世の中、少しでも落ち着きを取り戻す時がございましたら、その時に、度々のお見舞いの御礼を申し上げましょう……」とだけ、少将を通じて素っ気なく言わせなさいました。
「何とも情けない御心でございます……」と、嘆きながらお帰りになりました。
道すがら、しみじみとした空模様を眺めて、十三日の月がとても華やかに差し出したので、薄暗い小倉の山も難なく通れそうに思い歩いておられました。一条の宮邸はその途中にありました。
邸はますます荒れて、南西の方角の壁が崩れている所から覗き込みますと、遙々と格子を下ろして、人影も見えません。月だけが遣り水の水面をはっきり照らしているので、大納言(故柏木)がここで管弦の遊びなどをなさった折などを思い出しなさいました。
見し人の影すみはてぬ池水に ひとり宿るも秋の夜の月
(訳)あの人(柏木)がもう住んでいない邸の池の水に、
ひとり宿を守っている秋の夜の月よ……
独り言を言いながら、三条殿にお帰りになりましても、月を眺めながら心は虚ろな思いでした。
「何とも見苦しいこと。今までにありえないお振る舞いでございます……」などと、女房たちも恨んで拝見しておりました。
上(雲居雁)は更に不機嫌で、
「御心が去ってしまったようだ……。もともとあの方(源氏)に習いなさったように、六条院の御婦人方を、ともすれば、素晴らしい例として引き合いに出しては、私のことを理解がない、愛想がない者とお思いになっておられる……本当にやりきれないことです。私が昔から男女の仲に慣れていたならば、人目にも慣れて、かえって心穏やかにいられたでしょうに……。世の男性の模範にするべきご性格だと、親・兄弟が、理想的なあやかりたい者になさいましたのに、何年も経った末に、恥をかくことになるのでしょうか……」とお嘆きになりました。
夜明け方近く、お互いに言葉を口になさることもなく、背きながら夜を明かしなさいました。朝霧の晴れ間を待たずに、夕霧は宮への御文を急いでお書きになりました。雲居雁は何もかも気に入らないとお思いになりましたが、以前のように奪い取りはなさいません。大層心を込めて書いては、筆を置き、歌を口ずさみなさいました。声を潜めなさいましたが、漏れ聞きつけられてしまいました。
いつとかは驚かすべき明けぬ夜の 夢覚めてとかいひし一言
(訳)何時お訪ねしたらよいのか……「明けない夜の夢が覚めたら……」と、
一言仰ったのに、お返事もありません。
とか、お書きになったのでしょう。手紙を押し包んで、その後もずっと「どうしたらよいのか……」などと口ずさみなさいまして、人をお呼びになり御文を託しなさいました。雲居雁は、
「宮からのお返事こそ見たいものですわ。やはりお二人はどうなっているのか……」と、その様子を知りたいとお思いになりました。
日が高くなり、お返事を持って参りました。紫色の細やかな紙が愛想がない様子で、小少将がいつものように代わってお返事申し上げました。ただいつもと同じ様に取り次ぐ甲斐もない事を書いて、
「お気の毒なので……頂戴した手紙に、宮が手習いなさいましたものを、こっそり盗みました……」とあって、引き破られたものが中に入っていました。
「宮は手紙をご覧になったようだ……そう思うだけで嬉しいとは、誠に体裁が悪いことだが……、」宮がとりとめなくお書きになりましたものを、見続けておられますと、
朝夕に泣くねをたつる小野山は 絶えぬ涙や音無の瀧
(訳)朝夕、泣いているような音をたてる小野山では、
絶えぬ涙は音無しの滝になるのでしょうか……
古歌などを乱れ書きなさった宮の筆跡などは、見所があって美しいものでした。
「他人事として、男女のことに思い焦がれるのは、もどかしく正気の沙汰でないように見聞きしていたけれど、自分の事となると、誠に我慢のできないものであり、不思議なことでもある。何故こんなにもいらいらするのだろうか……」と、夕霧は反省なさいましたが、思い通りにはなりません。
六条院(源氏)もお聞きになり、夕霧が普段はとても落ち着いて万事に冷静で、人から非難される所もなく、安心して過ごしておられることを、父親として大変名誉なことであり、ご自分の若い頃、少し風流がって好色だと評判をおとりになった面目躍如に、嬉しい事とお思いでございましたが、
「気の毒に……この件については、どちら(雲居雁・落葉宮)にとっても、お辛いことがきっとあるだろう。さし離れた仲でもなく、大臣などもどのようにお思いになるだろう。それぐらいの事が分からない訳ではなかろう。宿世というものからは逃れられないのだ。ともかくも私が口を差し挟むことではないが、女の身にとっては、どちらにもお気の毒なこと。何とも困ったことだ……」とお嘆きでございました。
紫上に対しても、過去や将来のことなどをお考えになりながら、
「このような噂を聞くにつけても、私亡き後の紫上のことを思うと、大層不安で……」と仰いますと、紫上はお顔を赤らめて、
「情けないことを……そんなに長く私をこの世にお残しになるのでしょうか……。女ほど身の処し方が窮屈で悲しいものはありません。もののあわれも、折々の興味深い行事にも、見知らぬ様子で身を引いて黙っていては、何につけて、世に年を重ねる晴れ晴れしさや常なき世の所在なさを、慰めることができましょうか。
大方、ものの道理も知らずに、つまらぬ者になってしまっては、育てた親がとても口惜しく思うはずでありましょう。心の中にばかり思いを込めて、無言太子とかいう法師達が悲しい事をするという昔の喩えのように、女が良し悪しを弁えながら、自分を抑えているのはつまらぬことでございます。自分のことながら、良い身の処し方をするには、どうしたらよいものか……」等と、紫上が思い巡らしなさるのも、今はただ、女一宮(明石中宮の娘)の御ためを思ってのことでございました。
大将の君(夕霧)が院に参上なさった折に、宮への気持ちを知りたいとお思いになって、院は、
「御息所の喪は明けたのだろうね。昨日今日と思ううちに、柏木の死も三年以上も昔のことになる世の中だ。悲しく味気ないものだなぁ。夕方の露がかかる間の寿命とは何とも儚いもの……。この髪を剃り、すべてを背き捨てようと思いながら、何とのどかなに日々過ごしていることか……。とても体裁悪いことだ」と仰いました。
夕霧は、
「誠に……。惜しくもない人でさえ、それぞれ離れがたく思う人の世でございます。御息所の四十九日の法事など、大和の守某の朝臣が独りで執り成しなさるのは、とても気の毒なことです。はっきりした縁者がいない方は、このような死後こそ悲しうございます……」と申し上げました。
源氏は、
「朱雀院からもご弔問があるだろう。あの内親王(落葉宮)は、どんなに嘆いておられることだろう。私が昔から聞いていたよりは、最近、事にふれ見聞きすることによれば、この更衣(御息所)は、しっかりした安心できる人の中に入っていた。大方の世につけても、惜しい人を亡くしたものだ。生きているべき人が、このように早くに亡くなっていく……。朱雀院もひどく驚き悲しんでおられるだろう。この皇女(落葉宮)こそ、六条院にいる入道の宮の次ぎに可愛がっておられたのだから……きっと人柄もよくいらっしゃるのだろう……」などと仰いました。
夕霧は、
「宮の御心は、どのようでいらっしゃるでしょうか……。御息所は無難なお人柄で、お気立てのよい方でございました。私には親しく打ち解けなさいませんでしたが、ちょっとしたことの機会に、自然と人への気配りが表れるものでございます」と申しなさって、宮への想いなどは口にせずに、まったく素知らぬ振りをなさいました。
「これほどのしっかりした性格の男が、宮を思い染めたのなら、諫めても聞き入れないだろう……。聞き入れないなら、分別くさい事を言っても仕方もないもの……」と、院はお止めになりました。
こうして御息所の御法事には、夕霧が万事を取り仕切って、お世話なさいました。評判は自然に広まってしまうので、大殿(到仕大臣)などもお聞きになって、
「そんなことがあって、よいことか……」などと、あまり思慮深くないお考えをなさるのは、仕方がないことでありましょう。あの柏木の御心もあるので、君達(大臣の子息たち)も、法事にお見舞いにおいでになりました。
読経など、大殿からも厳粛におさせになりました。誰も彼もが様々に、人に劣らずお世話なさいましたので、今をときめく人の法事にさえ、見劣りしないものとなりました。
宮は「このまま小野で一生を終えよう……」と、出家を考えておられました。朱雀院に、誰かがそっと漏らし申し上げましたので、
「出家などはあるまじきこと。確かに何人とも身の関わりをして良いことではないけれど、後見のない人は尼になってから、あるまじき評判が立ち、罪を得るような時、現世も来世も非難されることになるものです。
私自身、このように世を捨てているのに、女三宮が同じように出家をなさいましたのを、成す術がないか……のように、世間は酷く申しました。俗世を捨てた身には思い悩むべきことではないけれど、私を手本として出家を争いなさるのは、感心しないことです。世の辛さに負けてこの世を厭うのは、かえって外聞にも悪いこと。自分の心でしっかり考えて、今少し思いを鎮めて心澄ましてから、改めて出家についてお考えなさい……」と、度々お手紙を差し上げなさいました。
大将との浮いた評判を、院がお聞きになったのでしょうか。噂のような事が思い通りにいかないので悩んでいる……と言われることを大層ご心配になりました。といっても、また皇女が公然と結婚なさるのは軽薄で感心しないこと。宮が恥ずかしいとお思いになるのもお気の毒なので、
「どうして私までもが、噂を聞いて口を出したり出来ようか……」とお思いになり、大将とのことについては、何も仰いませんでした。
大将も、
「いろいろ言ってみましたが、今は無駄なこと。宮の御心では、私のことをお聞き入れなさるのは難しいようだ。御息所が二人の仲をご承知であったと、世間には知らせておこう。どうしようもない。亡き人に少し思慮が浅かったという罪を負わせて、宮とは何時からそうなったということも紛らしてしまおう……年甲斐もなく若返って、涙を流し尽くして宮に関わるのも、いかにもこの身に相応しからぬことだろう……」と思いなさって、宮が一条邸にお渡りになる日を、その日(結婚)とお決めになりました。大和の守を呼んで、然るべき作法を命じなさいました。今まで女同士で草深く住んでおられましたので、邸内を掃除して磨いたように設えさせました。然るべき作法も立派に、壁代、御屏風、几帳、御座などまで心を配りまして、あちらの家を急いで準備させなさいました。
その日は、ご自分も一条宮におられまして、御車、御前駆などを差し向けなさいました。宮は、
「それでも渡りません……」と仰いますので、女房たちが熱心に説得申し上げ、大和の守も、
「まったく、宮の御意志を承諾することは出来ません。心細く悲しいご様子を拝見して心を痛め、これまでの宮仕えは、出来るだけのことをお世話いたしました。けれども、今は、国の公務もありますので、大和に下向しなければなりません。宮の邸内の事など管理を任せられる人もおりません、とても不行き届きで、どうしたものか……と心配しておりましたが、このように万事について大将殿がお世話下さいますのを、安心と思っております。なるほど結婚として考えてみますと、必ずしも、直ぐにお受けになるべきではない身の上(皇女)ではありますが、昔にも御心のままにならなかった例は沢山ございました。
貴女お一人だけが、世間の非難をお受けになることでしょうか。とても幼くおられますので、心を強く持っても、女の御心ひとつでは、ご自分の身の振り方をきちんと顧みなさることが、どうしてできましょうか。やはり、女は男から大切にお世話され助けられて、初めて深いお考えによる立派なご方針も決まります。全てそれに依存するものなのです」
さらに女房の左近・少将の君に、
「貴女方が宮によくお教え申し上げないのがいけないのです。一方ではけしからぬことをも、自分の判断で、勝手にお取り計らいなさって……」と言い続けて責めました。
女房達が寄り集まって、帰京なさるように説得申し上げますので、宮はとても困って、色鮮やかな御着物にお召し替えなさる時にも、うわの空でいらっしゃいました。なお一途に、剃り捨てたいとお思いの黒髪を掻き出してご覧になりますと、六尺ほどもあって、少し細くなったようですけれど、少しも見劣りするとは拝見できません。宮、ご自身のお気持では、
「ひどく衰えたものだ……とても男性にお見せるできるような有様ではありません。様々に辛いこの身の上よ……」と思い続けて、又、臥してしまわれました。
「時間に遅れます。夜も更けてしまいます……」と、女房たちは皆、騒ぎました。時雨が心急かせるように、強い風に吹き乱れています。万事につけても大層悲しいので、
のぼりにし峰の煙に立ちまじり 思はぬかたになびかずもがな
(訳)母上が煙りとなって上がっていった峰の煙とまじって、
思ってもいない方角になびかずにいたいものです……
宮の御心ひとつには、気強くお思いですけれど、その頃、御鋏などのようなものは、みな取り隠して、女房達がお守り申し上げておりましたので、
「このようにもて騒がずとも、何の惜しくもない身の上で、愚かしく子供っぽく、隠れて出家などするものか……」 世間の外聞にも甚だ悪いとお思いですので、そのご意志をも通しなさいません。
女房たちが皆、引っ越しの準備をして、櫛・手箱・唐櫃など、いろいろな道具類をつまらない袋様の物に入れて、全部前もって運んでしまっていたので、宮は独りここに留まりなさる訳にもいかず、泣く泣く御車にお乗りになりました。けれども隣の空席ばかりに心をとらわれ、こちらにお渡りになった時、御息所が御気分が優れなかったにも拘わらず、御髪を掻き撫で繕って、御車から降ろして下さったことなどを思い出し、また涙が溢れて止まりません。
御佩刀に添えて、経箱を、いつも宮の傍らに持っておられまして、
恋しさの慰めがたき形見にて 涙にくもる玉の箱かな
(訳)恋しさを慰めることが出来ない形見の品として、涙に曇る玉の箱です。
まだ黒造りにはお誂えにならず、いつもお使いになる螺鈿の箱のままで、誦経のために御息所がお造らせになったものを、形見として残しておられました。
一条宮にお着きになりますと、御殿の邸内は悲しそうな様子もなく、人数も多くて、いつもと様子が違っておりました。御車を寄せてお降りになる時に
「ここは以前住んでいた故郷とは思えず、よそよそしくて嫌な所……」とお思いになりましたので、宮はすぐにはお降りになりません。女房たちもその様子を拝見して、大層困っておりました。
殿(大将)は、東の対の南面をご自分の部屋として仮に設えて、ここにお住いになる主人顔をしておられました。
三条殿では、女房達が「急に厚かましくなられたようで……いつからのことだったのか……」と驚いておりました。大将のように、風雅で好色めいたことを好ましく思わない方には、このように思いもよらないことが、時々混じります。けれども年を経てきた間にあったことを、噂にもならず、素振りにも見せずに、過ごしてこられたとばかり思っていた女房たちは、まさかこのように、宮の御心では、まだ許しておられない……と、気付く人もありません。 いずれにしても、宮のためにはお気の毒なことでございました。
婚姻の御調度類なども、普段と違って、新婚としては縁起が悪いのですけれど、いろいろ整えてありました。お食事を差し上げた後、皆が寝静まった頃に、大将はお渡りになって、少将の君をひどくお責めになりました。少将の君は、
「愛情が末長くとお思いならば、今日、明日が過ぎてから、宮に直に申し上げ下さいませ。宮はお帰りになってからも、ただ悲しみに沈まれ、亡き人のようにお伏せになってしまわれました。お取り次ぎ申し上げても、辛いとばかりお思いでございますので、申し上げ難くございます 」と申しました。
「本当に不思議なことです。ご推察申し上げていたのとは違って、子供っぽく理解しがたいお考えでいらっしゃる……」と思い悩まれ、宮のためにもご自分のためにも、世間の非難のないように……と言い続けなさいますので、少将は、
「いえ、ただ今は、またも亡き人になられるのではないかと心乱れておりますので、万事に判断がつきません。どうかあれこれご無理を通しなさって、乱暴なことだけはなさいませんように……」と、手を擦ってお願い申し上げました。
「誠に……私のまだ知らぬ経験のないことだ。『憎らしい驚くべき人』と、宮が軽蔑なさるわが身こそ情けない。何とか誰かにでも、道理をご説明しようか……」 言いようもないとお思いになって、少将に仰いますので、やはり大将のことがお気の毒に思えて、
「まだ知らぬ……と仰るのは、なるほど恋愛経験の少ないお人柄だからでしょう。道理は誠に、どちらを正しいと申す人がございましょうか……」と、少し微笑みました。このように少将は強情な人ではありますけれど、今となっては邪魔されなさるおつもりもないので、そのままこの少将の君を立てて、落葉宮のおられる部屋にお入りになりました。
宮は「本当にとても嫌で、思いやりのない薄情な人……」と、悔しく辛いと思われ、
「例え、大人げない……と言い騒がれようとも」と、塗籠に御座所をひとつを敷かせて、内側から掛け金を挿して、お寝みになってしまわれました。これもいつまで続くことができましょうか。これほどまでに浮き足立っている女房達は、とても悲しく残念なことと思いました。
男君(大将)は驚くほど辛いとお思いになりましたが、
「この程度のことで、どうして宮から離れることができようか……」と、気長にお考えになって、いろいろ思い巡らしながら夜を明かしなさいました。山鳥のような心地がなさいました。
かろうじて夜が明けてきました。このまま直に向き合うことになるのを避けて退出なさろうと、
「ただ少しの間だけでも……」と、しきりに申しなさいましたが、宮は大層つれなく、
うらみわび胸あきがたき冬の夜に またさしまさる関の岩かど
(訳)恨んでも恨み切れません。心が晴れない冬の夜に、またも鍵を閉ざされて、
関所の岩戸のようです。
何とも申し上げようのない冷たい御心でございます……」と、泣く泣くご退出なさいました。
六条院に参られまして、休息なさいました。東の上(花散里)は、
「一条の宮をお移し申し上げなさったと、あの大殿(到仕大臣)あたりなどで申しているのは、どういうことですか……」と、大層おっとりとお尋ねになりました。御几帳を添えていますが、端から微かにお姿が見えます。
「そのようにも、やはり世間の人は噂しそうなことです。亡くなられた御息所は大層気強く、あるまじきことを言い放ちなさいましたけれど、最期にはお気持ちも弱くなられ、又、宮を譲るべき人がないことが悲しかったのでしょう。「亡くなりました後には後見を……」と、仰せになることがありました。もとより故柏木の御遺志もありましたので、この様にお世話しようと思うようになりましたが、……どのように世間は噂するのでしょうか。そうでないことをも、不思議と世間は口喧しいものです」と微笑みながら、
「あの宮ご自身こそ、やはりこの世には過ごせないと深く決心なさいまして、尼になりたい……と、思い詰めておられるようなので、どうにも聞きづらいことですが、そのような嫌疑をかけられなくとも、またあの遺言に背くまいと思いまして、このようにお世話しているのでございます。
院(源氏)がお渡りになりました時に、事のついでがあるなら、このように申し上げて下さい。この歳になって、心遣いのない浮気心を起こしたと思われ、またそう仰るだろうと、気にいたしておりますが、誠にこのような方面(女性)のことについては、人の諫めにも自分の心にも、従えないものだということが分かりました」と、小声でお返事申しなさいました。
「誰かの間違いでは……と思っていましたのに、誠に、そのようなご事情だったとは……。皆、世の常のことですが、三条の姫君(雲居雁)のご心情こそ、お気の毒でございます。穏やかな日々に慣れていらっしゃいましたから……」と、夕霧に申し上げなさいますと、
「可愛らしい言い方で仰いますね。姫君とは……。雲居雁は、本当に鬼のような性分もありますのに……」と仰って、さらに、
「なぜか、それでも私は疎かにお扱い申してはおりません。畏れ多いことですが、こちらのご夫人方のご様子から推察なさってください。穏やかに過ごすことだけが、女性には結局良いことのようでございます。口やかましく事を荒立てるのも、暫くは煩わしく遠慮されることもありますが、男はそれに必ずしも従うものではないので、浮気などのことが起こった後には、自分も相手も、憎しく嫌に思うものでございます。
やはり南の殿(紫上)のお心遣いこそまたとないものであり、次ぎにはこの御方(花散里)の御心などは素晴らしいものと拝見するようになりました……」など誉め申しなさるので、花散里は、
「ものの例として、私を引き合いに出しなさるほど、私の体裁悪い評判がはっきりしてしまいそうで……」とお笑いになりました。
「ところで、可笑しいことだが……、院(源氏)がご自分の浮気癖を人に知られぬように、ちょっとした好色めいた御心遣いこそが大事として、お諫めなさいました。陰口を申しなさっているらしいのは、賢ぶる人はご自分のことは分からない……と、私には思われます。
そのように、いつもこの道(浮気)では厳しく諫め仰せられますが、院の賢い御教えがなくても、私はとても厳しく自分に気をつけていますのに……」と、誠に可笑しいこととお思いでございました。
院の御前に参上なさいました。院はあの事をすでにお耳になさっておられましたけれど、
「何か知っている顔をしてはいられようか……」と、ただじっと夕霧を見つめなさいますと、
「誠に素晴らしくご立派で、この頃特に男盛りになられたようだ。そのような好色事をなさっても、人が非難すべき様子もしていない……鬼神も罪を許すに違いなく、鮮やかで美しく、若々しく今を盛りにその美しさをまき散らしておいでになる。まだ分別を知らぬ若人の頃ではおられず、不完全なところがなく成人なさって、浮気も無理もないことだ。もし女性ならば……どうして素晴らしいと思わずにいられようか。鏡を見ても、どうして自慢せずにいられようか……」と、わが子ながらもそうお思いでした。
日が高くなって、三条院にお渡りになりました。部屋にお入りになると、若君たちが次々と可愛らしい姿でまとわりついて来て、お遊びになりました。女君(雲居雁)は几帳台の中に臥せっていらっしゃいました。夕霧がお入りになりましたけれど、目も見合わせなさいません。辛いと思っているのだろうか……と、ご覧になるのも当然のことだけれど、遠慮した素振りもなさいません。お召物を引き寄せなさいますと、
「ここをどことお思いなのでしょう。私はとっくに死にました。私をいつも鬼と仰いますので、同じことなら鬼になってしまいましょう……」と仰いました。夕霧は、
「貴女の御心こそ鬼以上でいらっしゃるけれど、御姿は憎らしくもないので、全部嫌いになることは出来ない……」と何心もなく仰るので、腹立たしくお思いになって、
「素晴らしい御姿で優雅に振る舞っていらっしゃる方に、私はいつまでも連れ添っていく身の上でもありませんので、どこへなりとも消え失せようと思います。やはりこのようにさえ、思い出しなさいますな。私は無駄に年を取るのさえ、悔しく思われますのに……」と言って、起き上がりなさる様子は、大層愛嬌があって美しく、顔を赤くなさってとても素晴らしく見えました。
夕霧は、
「このようにいつも貴女が子供っぽく腹を立てなさいましたからでしょうか。今は見慣れて、この鬼たちを恐ろしくなくなってしまいました。神々しい感じを加えたいものだ」と冗談を仰いましたが、「何を仰るのです。貴方もあっさりと死んでしまいなさい。私も共に死にましょう。姿を見るのも憎らしい、声を聞くのも気に入らない。貴方を見捨てて死ぬのは、後ろめたいし……」と仰るご様子が、さらに愛らしさが増すばかりなので、心から笑うと、
「近くでご覧にならなくても、外でどうして噂をお聞きにならないこともありますまい。そうして私たちの契りの深いことを、私に分からせようとするおつもりですかね。急に続くような冥土への旅立ちは、そのようにお約束申しましたからね……」と、そっけなく言って、なんやかやとお慰めなさいますと、雲居雁は大層若々しく、心美しく、可愛い心の方なので、真実のこもらない言葉とは思いながらも、自然と心和らいでいらっしゃいますのを、「とても愛しい人だ…」とお思いになりました。
けれども一方では、御心は上の空で、
「あの方も、我を張って、強情な様子にはお見えにならないけれど、もしやはり本心でない事として、尼などになってしまわれたら、馬鹿らしいことである。……暫くは途絶えることなく宮のもとに通うことにしよう」と、落ち着いていられない気がしました。
日が暮れていくにつれて、
「今日も、宮からお返事さえなかった……」と心にかかって、ひどく物思いに耽っておられました。昨日今日、少しも召し上がらなかったお食事を、少々召し上がりなさいました。
「昔から、貴女への愛情が大層深かったという事情は、大臣がひどいお扱いをなさいましたために、世間でも愚かな人という評判を取りましたけれど、堪えがたいのを我慢して、あちらこちらから進む縁談を、沢山聞き過ごしていた態度を、「女でさえこれ程の人はいないだろう……」と、世間でも皮肉っていました。
今思っても「どうしてそうであったのか……」と、昔から、我ながら重々しい性格だったと、反省されますが、今はこのように私をお憎みなさろうとも、お見捨てになることのできない子どもたちが、所狭きまでに数が増えたので、貴女の御心ひとつで、私から離れてゆくことは出来ません。また、よく見ていてください。寿命さえ分からないのがこの世の常でございます……」と、少しお泣きになることもありました。雲居雁も昔のことを思い出しなさいまして、
「しみじみと、またとなく仲睦まじかった二人の仲が、やはり前世の契りが深かったためか……」と思い出しなさいました。
柔らかいお召物をお脱ぎになって、新調の御衣を重ねて香を焚きしめ、素晴らしく身繕いし、化粧してお出かけになりますお姿を、雲居雁が灯火の光でお見送りしますと、堪えがたくて涙が出ますので、脱ぎ捨てなさった単衣の袖を引き寄せなさって、
なるる身をうらむるよりは 松島のあまの衣にたちやかへまし
(訳)長く連れ添った身を恨むよりは、尼の衣に着替えてしまおうかしら……
「やはり普通の人としては、日々過ごしていくことができない……」と独り言を仰いますのを、夕霧は立ち止まってお聞きになり、「何と辛い御心でしょう。
松島の海士の濡衣なれぬとて 脱ぎかへってふ名を立ためやは
(訳)連れ添ったからといって、衣を脱ぎかえて、尼になったと
噂を立ててもよいものか……
急いでいましたので、歌はとても平凡でありますが……。
一条宮邸では、やはり落葉の宮が籠もっておられますので、女房たちは、
「こうしてばかりで良いものか……子供っぽく良からぬ噂も聞こえてくるでしょうから、いつもの御座所に戻って、言うべき事を申し上げなさいませ」と申し上げますと、当然な事だと思いながら、
「今から後の世間の噂も、自分がどのような気持ちで過ごしてきたかも、全てあの気に入らない恨めしい男(大将)のせい……」とお考えになって、その夜もお逢いになりません。
「冗談ではなく、珍しいほど頑な人だ」と思いながらも、言葉を尽くして恨みの丈を申し上げなさいました。
少将の君も、お気の毒に……と拝見して、
「少しでも、人心地のする折があるのなら、お忘れでないならば、何なりとお返事申し上げましょう。御息所の服喪の期間中は、ただ一途に思い乱れることなく過ごしたい……と、宮は深くお思いになり、そう仰っていますが、大層都合の悪いことには、二人の仲を知らぬ人もなくなってしまったことが、やはりとても辛いことと、お思いでございます……」と申し上げました。大将は、
「愛する気持は、他と違って安心できるはずのもの。思いも寄らぬ目に遭う世の中で……」と嘆いて、
「いつものようなご気分でいらっしゃるならば、物越しにでも、私の想うことだけをお伝え申し上げて、御心を傷つけるようなことは決して致しません。長い年月でもお待ちしましょう」などと、尽きせず申し上げなさいましたけれど、宮は、
「やはりこの心の乱れに添えて、貴方の無理を強いる御心こそ酷く辛いのです。他人が聞いて想像することも、万事にいい加減では済まされまい。私の辛さは、それはそれとしても、特に辛いのは貴方の御心でございます……」と、また言い返し、お恨みになりながら、つき放してお相手なさいました。
「そうかと言っても このようにばかりしてはいられない。人が漏れ聞くのも当然のこと……」と体裁悪くお思いになり、ここ一条宮の人目も気になるので、
「内々の服喪への心遣いは、仰るとおりに叶っていても、しばらくの間はお気持ちに逆らわないでいることにしよう。ただ世間慣れしていないご様子が、とても辛いことでございます。又、こうだからと言って、私が全く訪れなくなれば、宮としての御評判はどんなにかお労しいことになるでしょう。宮が一方的にお考えになり、大人げなくおられるのこそ困ったことです……」などと、少将の君を責めなさいますので、なるほどと拝することも、今は畏れ多く思われ、人が出入りする塗籠の北の口より、大将を中にお入れ申し上げてしまいました。
宮は「酷く情けない嫌なこと……伺候している女房でさえも、このように冷たい世間の心なのだから、これ以上ひどい目に遭わせるに違いない。頼りにする人もいなくなってしまったわが身を、返す返すも哀しい……」とお嘆きになりました。大将は いろいろ納得なさるような条理を申し上げ、言葉を尽くして、しみじみ心深い情のあることを申し尽くしなさいましたけれど、宮はただ、辛く気に入らない……とばかりお思いでございました。
「まったく、このように貴女から、何とも言いようもない者と思われてしまった身の程は、例えようもないほど残念なので、あってはならない考えが起き始めたのも悔しく思われますけれど、昔に戻ることのできない関係で、何の立派な評判などありましょうか。もう仕方のないこととお諦めください。思い叶わぬ時、淵に身を投げる例もあるそうですが、ただこのような愛情を深い淵とお思いになって、わが淵に飛び込んだ身とお思いください……」と申しなさいました。
単衣のお召し物を、御髪ごと被って、出来ることといえば、声を上げてお泣きになる……その様子が愛おしくお気の毒なので、
「全く困ったことだ……宮はどうしてこれほどまでにお嫌いなのだろう。強情をはる女性でも、これほどになってしまえば、自然と心の弛むものだが、岩や木よりも強く心を動かさないのは、前世の契りが薄く「男憎し」などと思うことがあったのだろう……」と思い当たると、あまりにも情けなくなられました。
三条の君(雲居雁)がお悲しみであろうことや、昔も何の疑う心もなくお互いに愛情を交わしあった頃のこと、長い年月、今は安心と信頼して打解けておいでになった様子などを思い出すにつけても、自分のせいで、大層つまらないことをした……と思われるので、宮を強いてお慰めfなさらずに、お嘆きになりながら夜を明かしなさいました。
このようにただ何もないまま、一条宮に出入りするのも馬鹿らしいので、今日はここに泊まろうと決めて、心のどかにおられました。大将がこれほど一途なのを、「呆れたこと……」とお思いになって、ますます疎んずる気持ちが増してきますので、愚かしい御心だと思う一方で、何とも情けなく、お労しいことでございました。
塗籠には、特に細々した物も多くはなくて、香の御唐櫃・御厨子などばかりがあり、あちらこちらに片寄せて、好ましい様子に設えておいでになりました。内は暗い感じですが、朝日が差し昇る気配が漏れてきましたので、宮が被っていた御衣を引き払い、ひどく乱れていた御髪をかき上げるなどなさいまして、わずかにご容貌を拝見なさいました。
宮はとても上品な女性で、優美な感じでいらっしゃいました。大将のご様子は、格式張っておられる時よりも、打ち解けて寛いでおられる今こそ、限りなく美しい感じでございました。
故君(柏木)が格別に優れたご容貌というのではなかったけれど、それでも、心の限り気位を高く持っておられました。
「宮のご器量は理想的ではない……」と、何かの折に思っていたようなのを思い出しなさいますと、ひどく衰えたこの姿を、少しの間でも我慢できようか……と、宮はひどく恥ずかしく思えて、あれこれ思い巡らしながら、ご自分の御心を見直しなさいました。ただ外聞が悪く、人がお聞きになってどう思われるかという罪は避けられない上に、喪中でとても心が萎えているので、お気持ちの慰めようがありませんでした。
御手水、御粥(かゆ)などを、いつもの御座(まし)で差し上げました。喪中のため地味な色合いの御調度類も縁起の悪い様子なので、東面には屏風を立てて、母屋の端には香染の御几帳など、大袈裟に見えないもの、沈の二階棚などのようなものを立てて、気を配って設えてありました。大和の守のした事でした。
女房達も地味な山吹色の掻練・濃い紫の衣、青鈍色などの着物を着替えさせ、薄紫色の裳、青朽葉など、喪中の色を目立たぬように紛らして、お二人にお食膳をさし上げました。女ばかりの住居でだらしなく、いろいろのことに慣れてしまった邸内の設えに気遣いして、少ない下人をも教え直して増やすなど、この人(大和守)独りで取り仕切っておりました。
「思いがけぬ高貴な客がおいでになった……」と聞いて、もともと宮邸に勤めていなかった家司なども急ぎ参上して、政所などという所に仕候させ、管理させていました。
このように、大将が強いて住み慣れた顔をしておられますので、三条殿(雲居雁)は、
「もうこれ限りのようだ……まさか、そんなことはあるまいと、一方では信頼していたのですが、生真面目な人が浮気をすると、心残りもなくなる……と聞いてはいたのだが、真実だったのか……」と、夫婦の仲を見果ててしまった心地がなさいました。
「どのようにして、この侮辱を堪えていられようか……」と、大殿邸(実家)へ方違えをしようとお渡りになりました。ちょうど弘徴殿の女御も里帰りをしておいでになりまして、ご対面をなさいました。お二人で話しなどして、少し悩みが晴れたようにお思いになりましたが、いつものように急いで三条殿へはお帰りになりません。
大将殿(夕霧)はそれをお聞きになって、
「やはりそうであったか……。本当にせっかちなご性格だ。この大殿(致仕大)も年配者らしい落ち着きがなく、何とも父母ともに性急で華やいだご性格の人々でおられる。誠に驚いたこと、顔も見るものか、声も聞くものか……などと、ひねくれた事を言い出すかもしれない……」と、驚きなさいまして、急いで三条殿にお戻りになりました。
君達(御子息たち)も半分は邸に残っていらっしゃいましたが、姫君たちと幼い子は連れて、里に帰っておられました。夕霧の姿を見つけて、君達は喜んでまとわりついて、ある御子は母上を恋しがり申して、悲しんでお泣きになりますので、「可哀想に……」とお思いになりました。
夕霧は度々お手紙をお書きになり、雲居雁を迎えに、使者を使わしなさいましたけれど、お返事さえもありません。「このように頑なで軽率な夫婦仲だったのか……困ったことだ……」と思われましたが、大殿が見聞きなさる手前もあるので、日が暮れてから、ご自身でお迎えに参上なさいました。
「寝殿におられます」とお聞きになり、いつものお部屋には、御達(年配の女房たち)のみが控えておりました。若君たちは乳母の側にいらっしゃいました。
「今になって、弘徽殿の女御と話し込むとは、何と若々しいお付き合いをなさることだ。このような幼い子をここかしこに放って置いて、寝殿におられるとは……。私の妻として相応しく御心だ。
長年見知っていたけれど、前世からの宿縁だろうか……。昔から忘れられない人と思い申し上げていたのに、今はこのように手のかかる子供の数も増え、可愛くなっているのに、見捨ててよいものか。頼りに思い申し上げているのに、些細なことで、こんな風になさってもよいのか……」と酷く非難し、お恨み申し上げなさると、
「何事も、今はもう見飽きたと思われた身なので、今さら御心が治るものでもないし、何に従おうかと思い……。可哀想な子ども達については、思い捨てないで下されば嬉しく思いましょう……」と、申し上げなさいました。夕霧は、
「穏やかなお返事ですね。言い続ければ、遂には誰が悪く言われるのでしょう……」と仰って、強いて「三条邸にお帰りなさい」とは言わずに、その夜は大臣邸にひとりでお寝みになりました。
「何とも中途半端なこの頃だなあ……」と思いながら、君達(幼い子達)の前に臥せなさいました。「一条宮では、どのように思い乱れておられることか……」と、宮のご様子を想像なさいまして、気の休まらない心地がしますので、「どのような人がこのようなこと(恋)に夢中になるのか……もう懲り懲りだ」と思いなさいました。
夜が明けました。「誰が見聞きしても貴女の態度は大人気ないですから、もうこれ限りと仰るならば、そのように試してみましょう。三条邸にいる子ども達も可愛らしく、貴女を恋い慕い申していましたが、選び残しなさいましたのは、理由があるのかと拝見しながらも、見捨てがたいので、ともかくも、私がお世話を申しましょう」と、脅し申し上げなさいました。雲居雁はあっさりしたご性格なので、
「この子供たちさえ、知らぬ所にお連れになるのか……」とご心配なさいました。幼い姫君に、
「さぁ、いらっしゃい。姫にお会いするのに、このように参上するのも体裁の悪いことなので、いつも参上はできません。あちらの三条邸にも子供達が可愛くおりますので、同じ所でお世話致しましょう。」と申し上げなさいました。姫君はまだとても小さく、可愛らしくいらっしゃいますので、しみじみ愛しいと拝見なさいまして、
「母君の御教えに従ってはなりません。とても情けなく、分別がつかないのは良くないことです」と、お教えになりました。
致仕大臣はこれをお聞きになり、雲居雁が人から笑われるようになるのかとお嘆きになりました。
「しばらくは、大将の様子をご覧にならぬように……。ご自分から反省するところも生まれてこようものを……。女がせっかちであるのも、かえって軽率に思われるものだ。よし、このように言い出したからには、どうして心を曲げて、三条邸にお帰りなされようか。やがて自然に、その様子や性格が見えてくるだろう……」と仰せになって、この一条宮邸に、蔵人(柏木の弟)の少将の君を使者としてお遣わしになりました。
契りあれや君を心にとどめおきて あはれと思ふうらめしと聞く
(訳)前世からの因縁が貴方をお気の毒と思う一方で、恨めしい方を聞いております。
やはりお忘れにはなれないでしょう……」と、書かれた御文を少将が持ってきて、ずんずん邸内にお入りになりました。南面の賽の子に、圓座を差し出しましたが、女房たちは何とも申し上げ難くおりました。落葉宮は、それ以上に、辛いとお思いでした。この君(蔵人)は、兄弟の中ではとても容姿が良く華やかな感じで、ゆったりと辺りを見回して、柏木がご存命の昔を思い出している様子でした。
「お伺いし慣れた心地がして、初めてのような気が致しませんが、そのようにお認めいただけないでしょうか……」などど、そっと仰いました。落葉宮はお応え申し上げ難く、
「私にはとてもお返事を書くことができません……」と仰いますので、女房達が集まって、
「お気持ちも大人気ないと思われます。代筆のお返事はさし上げるべきではありません」と申し上げました。宮はまずお泣きになって、
「故上(御息所)が生きておられたならば、どんなに気に入らないと思いながらもかばってくださったろうに……と、母君を思い出しなさいまして、涙がただ溢れる気がしてお書きになれません。
なに故か 世に数ならぬ身一つを 憂しとも思ひ 悲しとも聞く
(訳)どういうわけで、世の中で数にもならない私のような身を、
辛いとも思い、悲しいともお聞きになるのでしょう。
とだけ、思ったままを終わりまで書かなかったような書きぶりで、紙に包んでお出しになりました。
蔵人少将は女房たちと話をして、
「時々参上しますのに、このように御簾の前では頼りない気がします。今からはご縁がある心地がしますので、常に参上致しましょう。御簾の内もお許し頂けそうな、長い年月お仕えした成果が表れるような気が致します……」などと、気がある素振りをして退出なさいました。
大殿にいる君(雲居雁)は、ますますひどく不愉快なご気分で、気もそぞろに思い悩んでおられるうちに、日が経ち、悲しみ嘆くことが多くなりました。
内侍のすけ(藤典侍)は、このようなことを聞くと、
「私のことを、長年、この世に許さない者と仰っていましたのに、またこのようにあなどれないことが出てきたとは……」と悲しくお思いになって、時折、雲居雁に御文をさし上げ申しました。
数ならば身に知られまし世の憂さを 人のためにも漏らす袖かな
(訳)私が数に数えられる身分ならば、夫婦の仲の哀しさを思い知られましょうが……
今、貴女のために、涙で袖を濡らしています。
「出過ぎたお手紙だ……」とご覧になりましたが、何となく悲しい時で、所在のなさに「あの人(藤典侍)もとても平気ではいられないのか……」と思うご気分になられました。
人の世の憂さをあはれと見しかども 身にかへんとはおもわざりしを
(訳)他人の夫婦仲のつらさを可哀想と見ていましたけれども、
自分のこととは思っていませんでしたのに……
と、だけありますのは、「思ったままを詠んだものか……」としみじみ拝見なさいました。
あの昔、二人(夕霧と雲居雁)の仲が途絶えたときには、人に知れぬように、この藤典侍だけに愛情をかけておられました。けれども事情が変わって後には、とても稀に逢い、だんだん冷たくなってしまわれました。それでも君達(子ども達)は多くになりました。雲居雁のお生みになったのは、太郎君、三郎君、四郎君、六郎君、大君、中君、四の君、五の君がいらっしゃいます。内侍には、三の君、六の君、次郎君、五郎君とがおられます。全部で十二人の中で、出来の悪い子どもはなく、大層可愛らしく、それぞれ成長なさっておいでです。内侍の子どもは器量もよく、ご性格も才気があり、皆、優れています。三の君と次郎は、東の御殿(花散里)が引き取って、お世話をなさっていらっしゃいます。院(源氏)もよくお逢いになって、大層可愛がっておられました。
このお二人の御仲のことは、語り尽くせないほどございます。
( 終 )
源氏物語ー夕霧(第39帖)
平成二十三年盛夏WAKOGENJI(文・絵)
目次に戻る |