やさしい現代語訳

源氏物語「夢浮橋」(ゆめのうきはし)第54帖

(薰28歳 ・ 浮舟23歳 ・ 明石中宮47歳 の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む


 薰大将は山においでになって、いつも通り お経や佛像などの供養をさせなさいました。次ぎの日には、横川に立ち寄られましたので、僧都は大層驚き 恐縮してお会いになりました。
 長い間、祈祷などをこの僧都に頼んでおられましたが、特に親しいわけではありませんでした。
けれども、この度の女一宮の御病気の折、ご祈祷をお勤めなさいました際に、特に勝れた効験があるとご覧になり、この僧都を この上なく尊敬なさって、今少し深い契りを加えなさいました。
僧都は、
「重々しくおられる殿(薰大将)が、このようにわざわざ横川においでになりましたとは……」と、大層おもてなし申し上げました。お話などを細々として、御湯漬などを差し上げました。
 少し人々が静まりましたところで、大将は、
「小野の辺りに、お知り合いの宿がございますか……」とお尋ねになりました。
「はい。大層異様(ことよう)な所にございます家で、私の母・老尼が住んでおります。京にきちんとした住居を持ちませんで、私がこうして山に籠もっております間は、夜中 暁にもお見舞いできるようにと、小野に置いております」と申しなさいました。
「その辺りには、最近まで人が多く住んでおりましたが、今はとても少なくなってゆくようです」等と仰って、もう少し僧都に近寄って、小声で、
「とても軽々しい気もしますが……またお尋ね申し上げるにつけては「どのようなことか…」と納得いかない気がなさることでしょう。どちらにしても憚られることではございますが……、
 実は、あの山里に、私の知る人(浮舟)が隠れていると聞きましたので、はっきりと確かめてから、どのような様子の人か ご説明申し上げよう……等と思っておりますうちに、僧都の弟子になり、戒律などお授けになったと聞きました。それは誠でございますか。まだ年齢も若く、親などもあった人なので、私が、ここに死なせてしまった様に、非難する人がおりますので……」などと仰いました。
 僧都は、
「そうでしたか……その人は普通の人には見えませんでした。このようにまで仰るのは、とても深くお想いであった人なのでしょう…」と思うと、法師の役目とは言いながら、考えもなく 直ぐに尼姿にしてしまったことに対し、胸が潰れる思いがして「どうお答え申し上げようか……」等と、思いあぐねておられました。更に、
「確かな事をお聞きになったようだ。これほどご存知でお尋ねになるのだから、隠し事はすべきではない。無理に隠そうとするのは 不都合な事だ」と思えるので、
「どのような事でございましょう……この数ヶ月、心の内で不審に思っていました女のことでございましょうか……」として、
「実は、小野におります尼達が、初瀬に祈願がございまして、参詣しました帰り道、宇治の院という所に泊まりました時に、『母尼が疲労困憊し、急に酷く患っている……』と、山寺に人が知らせに参りました。急いで宇治に出向きましたところ、まず不思議なことがありまして……」と囁いて、
「親が死にそうなのを差し置いて、その変化(へんげ)(女)の扱いに大層嘆いておりました。この女も亡くなった様子ながら、さすがに息はしておいでになりましたので、昔の物語で、魂(たま)殿(亡骸の仮安置所)に置いておいたところ 生き返ったという話を思い出して、
「そういうことなのか……珍しい事だ」と、弟子達の中で 効験ある僧を呼び寄せ、交替で加持祈祷
などさせました。私は惜しむような年齢でもないのですが、母が旅の道中で重い病になられたのを助けて、心乱れず念仏をしようと 佛に念じ申し上げておりましたので、その人の様子を詳しくも拝見せずにおりました。事情を推察しますと、天狗・木霊などのようなものが、この人を騙してお連れしたのか……と思っておりました。

 その人を助けて、京にお連れ申して後にも、三ヶ月ほどは 亡き人のようでございました。私の妹(故衛門(こえもん)の督(かみ)の北の方であった人)が 尼になっておりまして、独り娘を亡くして後、月日は多く経ちましたけれど、悲しみが絶えず 嘆いておりました時に、亡き娘と同じ位の年齢と見える女で、このように器量がとても麗しく、美しい人を見つけ出しましたので、
「観音様がお授け下さった……」と喜んで、この人を死なせてはならないと 心乱れておりましたが、その女は泣く泣く「死なせて欲しい……」などと、大層困ったことを申されましたので、後日 私が
坂本に自ら山を下りまして、護身などを致しましたところ、その人はだんだんと生き返って、人に戻られました。けれども、
「やはり この私に取り憑いたものが、身から離れない心地がしますので、この悪霊の妨げを逃れて、後の世を生きたい……」等と、悲しげに仰ることがありましたので、
「法師として、出家をお勧めすべきこととして、本当に出家をおさせ申してしまいました。更に、薰大将のお世話すべき方だったとは……どうして分かりましょうか。珍しい事ですので、世間話にもなりそうですけれど、「噂になって、煩わしい事になってはいけない」と、老尼たちが申しましたので、この数ヶ月は黙っておりました」と申しました。
 薰大将は、小宰相から「浮舟こそ生きている……」と聞いて、こうまでしてお尋ねなさったけれど、
「亡くなった人として 無理に思い諦めていた人が、誠に生きていた…」と思えば、 夢のような心地がして、隠すこともできずに 思わず涙ぐみなさいました。
 僧都は恥ずかしそうになさって「このような気弱さを 人に見せてよいか…」と反省を促して、さりげなく振る舞いなさいましたが、
「これほどに 薰大将が大切にお想いの方を、この私が、この世では亡き人と同じような 尼にしてしまったのか……」と、間違いをした気持ちがして、罪深くお思いになって、
「悪霊に取り憑かれておられたのも、そうなるべき前世の運命だったのでございましょう。思えば、高貴な家の娘でおられたのでしょうけれど、どのような過ちによって、ここまで身を落としなさったのか」と質問なさいました。
「皇族の血統などという血筋でおられたのでしょう。もとから、特に正妻にと思っていた人ではなく、ちょっとしたことで見付けて、お世話を始めましたけれど、又、とてもここまで落ちぶれるような方とは思っておりませんでした。突然に跡形もなく消え失せてしまったので、『宇治川に身を投げたのか……』等と様々に疑われ、私も確かなことは聞くことができませんでした。罪障を軽くして、尼として生きておられるならば、大層よろしいことと安心して、私自身は思っておりました
。ただ、
 母親である人が酷く恋しく 悲しんでおりましたので、「このように聞き出した……」と知らせてやりたいと思いますが、長い年月、このように隠しておられた本意に背くようで、騒ぎ立てることになりましょうか。親子の間の愛情は絶えることなく、母親は悲しみに耐えられず、きっとお見舞いに訪ねて来ることでしょう」などと仰って、
「大層 不本意な案内役とは思いますが、あの坂本に下山なさってくださいませんか。これだけ聞いていて、見過ごすべきとは思えない女ですので、夢のようなことですが……せめて今の尼姿のままで、語り合いたいと思っております……」と仰るご様子が、大層しみじみ悲しく見えましたので、
「尼姿に変え 出家したと思ったけれど……髪や髭を剃った法師でさえ、俗世に執着する心は消えない者も居る…と言います。まして女の身には、どのようでありましょうか……。お気の毒にも 罪障を得ることになるのではないか」と、僧都は心乱れておられました。

 「坂本に下山するのは、今日明日は支障がありますので、来月に入ってご連絡申し上げましょう」と申しなさいました。大将はとても心許なく思われましたが、急に急かすのも体裁悪いので、
「それでは……」と言って、お帰りになりました。大将は、あの浮舟の弟、童(小君)をお供に連れておられました。他の兄弟たちよりは 器量も美しげなので、呼び出しなさって、僧都に、
「これが、その人の近い身内の者なのですが、この小君をとりあえず遣わせることにしましょう。
御手紙を一行お書き下さい。私を誰とは書かずに、ただ『貴女をお訪ね申したい人がいます』とだけお知らせ下さい」と仰いますと、
「この拙僧が案内役をしますと、必ずや罪障を得ることになりましょう。事情は詳しく申しました。今はただご自身が小野にお立ち寄りになって、なさるべき事をするのに 何の支障がありましょう」と申しました。大将はお笑いになって、
「罪障を得る案内役とお思いになるのは、気恥ずかしいことです。私は、この世に俗人の形で 今まで過ごして来たことこそ、大層不思議なことでございます。幼い頃から、出家を望む気持ちが深くありましたが、三条の宮(母・女三宮)が心細げに、この頼もしくもないわが身ひとつを、頼りにお思いなのが、逃れられない絆(ほだし)に思えて 俗事に関わっておりますうちに、自然と官位なども高くなり、わが身のしきたりさえも 思い通りにならなくなり、出家を望みながらも、また避けられない事も 数のみ多くなって過ごしてまいりました。公私ともに 逃れがたい事によってこうしておりますが、それ意外では、御佛の制止なさる方面のことを、少しでも聞き及ぶことは、「何とか戒律を守ろう……」と、身を慎んで、わが心は 聖にも劣らぬものでございます。まして大層小さい事でも、重い罪を負うようなことなど、どうして思いましょうか。更にあり得ない事でございます。お疑いなさいますな。私はただお気の毒な親の気持ちなどを聞いて、はっきりさせてやろう程度で 嬉しく安心いたしましょう」などと、昔からの深かった佛道の心の掟を語りなさいました。
 僧都も「誠に……」と頷いて、「大層尊いことです」等と申しなさる頃には、日も暮れてしまいましたので、中宿も、尼庵が都合が良いだろうけれど、事情がはっきりしないのに訪れたなら、やはり不都合なことだろう…と、思い悩んでおりました。 京にお帰りになる時、僧都は、弟の童(小君)に目を止めて お褒めになりましたので、薰大将は、
「この童に 御文を託して、まず私が訪問すると仄めかして 伝えてください」と申しなさいますと、
僧都は早速手紙を書いて 小君に与えなさいまして、
「時々は山にお出でになって、遊んで行きなさい。無関係なように思えない故もありますので……」とお話しなさいました。この童には理解できないけれど、御文を受け取って、薰大将の御供として出立しました。やがて坂本に至りましたので、
「御前駆の人々は、少し離ればなれになって、目立たないように……」と 気遣いなど致しました。


 小野では、浮舟が、深く繁った青葉の山に向かって 気が紛れることもなく、遣り水の蛍だけを 昔が偲ばれる慰めとして 眺めていらっしゃいますと、いつものように、軒端から遙かに見やられる谷に、特別に気遣いして、御前駆が灯した沢山の灯火が 忙しく動くのが見え、それを見ようと尼君たちも、端に出てきていました。
「どなたがおいでになるのでしょう。御前駆など とても大勢見えます」
「昼に、僧都の所に曳干を差し上げた時、その御返事に『大将殿が山に来られて、ご接待を急にするので、とてもよい時であった』と書いてありました。
「大将殿とは……この女二宮の夫君のことでしょうか……」等と言うのも、大層この俗世から離れている感じがしました。
浮舟は、
「誠に……薰大将でありましょうか。確かに 時々 山道を分け入る時に、大将の随身の声がとてもはっきりと混じって聞こえてきます。月日の過ぎゆく程にも 昔の事が忘れられないのに、出家した今は、何とすべきことか……」と辛く思われますので、阿弥陀佛を念じて思いを紛らわして、ますます無口になってしまわれました。横川に通う人だけが、この辺りで身近に頼れる人なのでした。

殿(薰大将)は、この童(小君)をそのまま小野に遣わそうとお思いでしたけれど、人目も多く、不都合なので、一旦 京にお帰りになって、次ぎの日に改めて 出立させなさいました。親しい供人で、大した身分ではない者を二、三人、更に 昔も宇治に遣わした随身を同行させなさいました。人が聞いていない時に、小君を呼び寄せて、
「おまえは、亡くなった姉上の顔を覚えていますか。今は世に亡き人と思っていましたけれど、確かに 生きておいでのようです。他人には聞かせたくないので、小野に行って尋ねてご覧なさい。母君にも、まだ言ってはなりません。かえって驚いて大騒ぎする内に、知ってはならない人も知ってしまうでしょう。その母君の御心がお気の毒なので、このように忍んで訪ねるのです……」と、今から大層強く口止めなさるので、小君は幼い心ながら、兄弟が多い中でも この姉君のご器量は 他に似る者がないと思っていたので、亡くなったと聞いた時は とても悲しいと思い続けていたけれど、今 薰大将がこのように仰るので、とても嬉しく思いながら、涙の落ちるのを恥ずかしく思って、
「はい、はい」と、粗雑にお答え申しました。

 小野では、まだ早朝に 僧都のもとから御文が届きました。
「昨晩、大将殿の御遣いとして、小君がそちらに参りましたでしょうか。詳しい事情を承りまして、受戒は無意味であったと後悔しております。そのように 姫君に申し上げてください。私自ら、申し上げたいことも多くありますけれど、今日、明日を過ごしてから、小野にお伺い致しましょう」と書いてありました。
「これは何事か」と、妹尼は驚いて、姫君(浮舟)の所にその御文を持って 行ってお見せ申しますと、お顔を赤らめて「遂に、世間に知られたのか……」と辛くお思いになって、妹尼に隠し事をしていたと恨まれることが辛く、答える言葉もなく ただ座っていらっしゃいました。
「やはり貴女の身の上について、詳しく仰ってくださいませ。私に隠し事をなさるのは、とても辛いこと……」と、妹尼は大層恨んで、よく事情を知らないので 慌てている時に、
「山から、僧都の御文を持ってきた者がおります」と、小君を通し入れました。いぶかしく思いながらも、
「これこそが 確かな御文であろう。こちらに……」と言いますと、とても美しげにしなやかな童で、何とも美しい着物を着た小君が 歩んで参りました。円座を差し出しましたが、簾垂(すだれ)のところに座って、
「このように側に控えることはないと 僧都に言われて来ました」と言うので、妹尼がお返事などをなさいました。御文を受け取って見ますと、
「入道の姫君の御方に、山から」とあって、署名が書かれていました。浮舟は、
「私に ではない……」と断ることもできません。とても体裁悪く思えて、ますます奥の方に入ってしまわれ、人に顔もお見せになりません。
「いつも控えめなお人柄でいらっしゃるけれど、何とも嫌で 情けない方……」などと言って、僧都の御文を見ますと、
「今朝こちらに薰大将殿がおいでになって、貴女のご様子をお尋ねになるので、始めからの事を詳しく申し上げました。御愛情の深い御仲を背きなさって、貧しい山寺の中に 尼としてお過ごしなさったこと、かえって仏の責めを受けることを承り 驚いております。
 どう致しましょう。もとの御契りを断ち切ることはなさらずに、薫大将の愛執の罪を晴らし申しなさいませ。一日の出家の功徳は計り知れないものですから、やはり功徳を積んで 御佛を頼りになさい。詳細については、拙僧が自ら小野に出向いて申し上げましょう。ともかくも、この小君が申しなさるでしょう」と書いてありました。疑う余地もなく はっきりお書きになっていますが、妹尼には事情が分かりません。
「この童はどなたですか。やはりとても情けない……今でさえ このようにひたむきに 私に隠し事をなさって…」と責めますので、浮舟は少し外の方を向いて、御使いの童をご覧になりますと……、
この子は、「今が最期……」と この世を思い捨てると決めた夕暮にも、「とても恋しい……」と思った弟でした。同じ所で育った頃には とても意地悪で 生意気で憎らしかったけれど、母君がとても可愛がっていて、宇治にも時々連れておいでになりましたので、少し成長して、お互いに思っていた子供心を思い出すと、夢のようでした。
「まず、母上のご様子について尋ねたく、その他の人のことは自然とだんだん耳に入るけれど、母上のご様子は ほんの少しでさえ聞くことができません……」と、かえってこの小君を見て とても悲しくなられ、ほろほろと泣かれました。
 童がとても可愛らしく、少し姫に似ているように思えるので、妹尼は
「ご兄弟でおられるようですね。お話しなさりたいと思うこともおありでしょうから、内にお入れ致しましょう」と言いました。
「どうして……今はこの世に生きているとは思っていないのに……尼姿に身を変えて 弟に合うのも、気が引けます」と、しばらくの間ためらって、
「誠に……隠し事があるとお思いなのが辛くて……私は物も言えません。宇治院での情けなかった様子は、不思議とご覧になったでしょうけれど,正気も失せ 魂もありえない様子だったのでしょう。
いかにも過ぎ去ったことを 我ながら思い出すことができない頃に、紀の守が世間話をする中に、
「昔 見た宇治の辺りのことか……」と、少し思い出される事があるような気が致しました。
その後、あれこれ思い続けましたが、更にはっきりとは思い出せませんが、ただ一人おられた母君が、 私を大切に想っておられたのを思い出し、「まだ母上は生きておいでになるのか……」と、そればかりが心から離れず、悲しい折々がございます。今日見ますと、この童の顔は小さい頃に見た気がしますが、とても耐え難く思えるけれど、今更 このような人にも『生きている』とは 知られずに済ませたいと思っております。
 母上がもし この世に生きておられるならば、その方お一人だけにはお会いしたいと思います。この僧都が御文で仰っている人(薫大将)には、更に「生きている」とは知られ申すまいとだけ 思っています。大将殿には必ずや『人間違いでございます』と申し上げて、私をお隠しくださいませ」と仰いますので、妹尼は、
「とても難しいことですね。僧都の御心は 聖(ひじり)と申す中でもあまりにも隠し事のない方ですので、何もかも残さず全てをお話し申し上げたことでしょう。後になって隠すことはできません。軽々しい御身分でおられないし……」などと言い騒いで、
「この世にないほど強情でいらっしゃることよ……」と、尼達は皆で話し合って、母屋の際に几帳を立てて、小君を入れました。この小君も そうは聞いていたけれど、幼い心なので 急に言い寄るのも躊躇(ためら)われ、
「もう一つある薫大将の御文を、どうにかしてお渡し申したいのです。僧都の御導きは確かなのに……このようにはっきりしないとは……」と伏目になって言いますと、妹尼は、
「それは……まぁ、可愛らしいこと」と言って、
「御文をご覧になるべき人は、ここにおいでの姫君のようです。傍の者はどのような事情かと分からずにおりますが……姫にもっと仰いませ。幼いお年でありながら、このような御使いとして、大将がお頼みになった理由もあるのでしょうから……」等と言うので、小君は、
「心隔てをして よそよそしいお扱いをなさるなら、私は姉上に 何事を申し上げられましょう。私を疎くお思いならば、申し上げることもありません。ただ薫大将は、
『この手紙を、人を介してではなく、直接 姫にお手渡し申し上げなさい』と仰せになりましたので、どうしてもお渡ししたい…」と言えば、
「誠にご尤もでございます。やはりそのように情けない態度をなさるのは、さすがに辛い御心でいらっしゃる…」と促し申して、浮舟を几帳の側に近寄せましたが、正気もなく座っていらっしゃるご様子が 他人ではない心地がするので、小君はすぐ側に近寄って、大将の御文をお渡し致しました。
「お返事を早く頂きまして、薫大将のもとに参りましょう」と言い、このようによそよそしいことを辛いと思って 急かせました。
 尼君は御文を引き解いて、浮舟にお見せしました。薰大将の昔のままの筆跡に、紙の香などが例の通り、世にも無いほどに染み込んでいました。いつもの、何にでも感心する差し出がましい尼達は、ちらっと見て「本当に有難く素晴らしい」と思える様でした。

 御文には:
「何とも申し上げようもなく、様々に罪重い貴女の御心を、僧都に免じてお許し申し上げて、今は何とかして 驚きあきれた夢物語でさえもお話しできれば…と 急かされる心が、自分ながらもどかしく
思われます。まして傍目にはどう映るのでしょう……」と、御心の内を書き尽くすことが出来ません。
「仏法の師と思って尋ねた道で 道標としたのに、思いがけない山道に迷い込んだことよ…。この小君を、貴女はお忘れでしょうか。私は 行方不明になられた貴女の御形見として、面倒を見ています」と、心情細やかに書かれていました。このように細々とお書きになっている様子が 紛れもなく薰大将なのですが……そうかと言って 思いのほかに、昔の姿ではない尼姿を見つけ出された時の 体裁の悪さに思い乱れて、ますます晴れない心は 何とも言いようがありません。浮舟はさすがにお泣きになって 臥せてしまわれましたので、
「本当に世間知らずのご様子ですこと……」と、尼君たちは心配しました。
「どう お返事申し上げましょうか……」と、尼君に責められて、
「気分がかき乱れるように苦しいので、今は差し控えて……やがてお返事いたしましょう。昔のことを思い出しても……更に思い当たることもなく、『不思議な、どのような夢か……』と心当たりがありません。少し心が鎮まってから、この御文なども分かることもあるでしょう。今日は やはりこの
御文をお持ち帰りください。もし所違いであったなら、とても体裁が悪いでしょうから……」と、御文を広げながら、尼君にお手渡しになさったので、
「何と見苦しいこと……あまり不作法なのは、貴女をお世話する私たちも 罪を免れないでしょう」等と言い騒ぐのも、浮舟には「何とも嫌なこと……」と聞き難く思われるので、顔を引き入れて臥せっておいでになりました。
主人の尼が、小君に少しお話を申し上げ、
「物の怪のせいでしょうか。いつものご様子のようでなく、ずっと病んでおいでになって、御姿も尼になられたのに……姫君をお捜しになる方がおられたら、とても煩わしいことになるでしょう…と、尼姿を拝見して 嘆いておりましたので、その通りになり、このように大層おいたわしく、心苦しい事情などがあることを、今は誠に畏れ多く存じます。日頃ずっと病んでいらしたのも このような御文に思い乱れなさったのか、いつもより分別なくいらっしゃいます……」と申しました。
 山里らしい趣深い接待をしましたけれど、幼い心には どことなく慌てた気持がして、
「わざわざ 私を遣わされた証として、大将殿に何事を申し上げたら良いのか……たった一言でも何か仰って下さいませんか」と言いますと、尼君は「誠に……」と思い 浮舟に伝えましたけれど、何も仰いませんので 仕方もなく、
「ただ、このようにはっきりしない有様を、薫大将殿に申し上げるのが良いでしょう。雲が遥かに隔てた遠い所でもないので、山深くとも 又、必ずお立ち寄りなさいませ」と申しました。小君は、意味もなく長居するのも変なので 帰ろうとしましたが、姉君(浮舟)の人知れず懐かしいご様子をも見ることもできずに終わったので、とても残念で不満に思いながら、京に戻りました。

 京では、薰大将が「いつか、いつか……」とお待ちでしたけれど、このようにはっきりしないままで帰ってきたので、ひどく期待はずれで、思うことが様々あって、
「誰かが 浮舟を隠しているのだろうか……」と、ご自分の想像の限りを尽くしてお考えになり、
「私が、宇治にずっと放って置いたためか……」とお思いになりました。

 ……と、本に書いてあるようです。


                                (完)


源氏物語「夢浮橋」(第五四帖・最終帖)
平成三十年 春 小川和子(訳・絵)


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