要約
ー源氏物語 (2)


澪つくし~少女(第14帖~第21帖)

(京に戻られた源氏の君は、明石の姫君を引き取り・・・)
 


  澪 標(みをつくし)―第十四帖

 京に戻られた源氏の君は、まず父院の御霊供養のため法華御八講(ほっけみはこう)を催されました。
 皇太后(もと弘徽殿の女御)は重いご病気になられましたのに、今も、
「遂に、源氏の君を失脚させることが出来なかった……」と悔しくお思いでした。
朱雀帝は故院のご遺言を思い、剥奪されていた源氏の君の官位をお戻しになりましたので、御心地も涼しくなられ、御目もすっかり回復されました。世間の人々は皆、嬉しいこととお喜び申し上げました。

 朱雀帝が譲位なさる日が近くなりました。帝は尚侍(ないしのかみ)(朧月夜)が大層悲しんでおら
れますお姿をご覧になって、
「私の愛情は他の誰よりも強く、ただ貴女のことだけを愛しく想っていましたのに……
どうして……せめて御子だけでも持たなかったのだろう。誠に残念なことだ……」とお泣きになりました。
姫君は、
「限りない帝の愛情が、年月と共に深くなりますのに、源氏の君は素晴らしい方ではあっても、それほど私を愛しては下さらなかった……」とようやくお分かりになり、ご自分の未熟で無分別な日々を、心から悲しくお思いになりました。


 翌年二月、春宮(とうぐう)の御元服の儀式が行われました。春宮は十一歳になられ、年齢よりずっと大きく、源氏の君によく似て眩いほど美しくなられましたので、母宮(藤壷入道)だけは心を痛めておいでになりましたが、世の人々は素晴らしいと見ておりました。

 やがて源氏の君は内大臣として世の政事(まつりごと)を執ることになられましたが、
「そのような忙しい職務には耐えられまい」と、致仕(ちじ)の大臣(左大臣・葵の父君)を、政界に復帰させなさいました。ご病気を理由に、騒がしい世を憂いて籠もっておられましたが、今は太政大臣になられ、沈んでいた御子達も皆、華やかに復帰なさいました。さらにご子息たちに次々に御子がお生まれになり、大層賑やかにおられますので、源氏の君は羨ましくお思いになりました。
 大殿腹の若君(夕霧)は誰よりも可愛らしくなられ、内裏や春宮に童殿上しておられました。大臣や大宮も、改めて姫君(葵)が亡くなられたことを嘆いておられましたが、思い沈んでいた頃の名残もなく、皆が栄えなさいました。


 源氏の君は、二条院の東の院を素晴らしく改築させて、花散里などお気の毒な姫君を住まわせようとお考えになりました。更に二条院で、源氏の君のご帰京を待ち続けていた女房たちにも、それぞれの身分に相応しく愛情をおかけになったのでございます。

 一方、公私にお忙しい源氏の君も、明石の浦の姫君をお忘れになることはなく、
「もうそろそご出産の頃か……」とご心配なさっておられますと、お遣いが参上して、
「十六日、女の子が無事お生まれになりました」と報告申し上げました。源氏の君は大層お喜びになり「明石には頼りになる乳母(めのと)もいないだろう」と、昔、故院にいた女房の娘を仕えさせることを決め、沢山の贈物を持たせて、明石へ出発させなさいました。

   いつしかも袖うちかけむ をとめ子が 世を経て 撫づる岩の生ひ先

     (訳)早く手元に引き取って大切に姫君の世話をしたいものです
        天女が羽衣で岩を撫でるように、幾千万年も姫の行く末を祝って

 明石の君は、源氏の君が帰京されまして以来、大層思い沈んでおいでになりました。すっかり弱々しくなられて、もう生きていけない……とまで思い悩んでおられましたので、この源氏の君のお心遣いに大層慰められ、

   ひとりして撫づるは袖のほどなきに 覆ふばかりの蔭をしぞ待つ

     (訳)私一人で姫君をお世話するには心細いので
        覆うばかりの大きなご加護をお待ちしております……

 明石の姫君ご誕生について、まだ紫上にお話していませんでしたので、他からお耳に入っては困るとお思いになって、ご自分からすっかり打ち明けなさいました。紫上は、
「須磨にお別れした日から、死ぬほど悲しく嘆いておりましたのに、一時の慰めごととは言え、他の女性に愛情を分けておられましたのか……」と涙ぐんでしまわれました。 背を向けて思いに耽り、
「でも私は私……。しみじみと愛情深い仲でしたのに……」と弱々しく呟かれ、

  思ふどちなびく方にはあらずとも われぞ煙に先立ちなまし

    (訳)愛し合う二人が、なびく方向が違うなら、私は煙となって先に
       死んでしまいたい……

「何という事を……命は儚いもの。全てがただ貴女お一人のために堪えてきたのです」とお慰めなさいましたが、恨んで腹を立てていらっしゃるご様子が、誠にいとおしく見えますので「なんと可愛らしい方だ……」とお思いになりました。

 明石の姫君の五十日目の祝を、人知れず日数を数えなさいまして、またとなく素晴らしい御祝いの品々を届けさせなさいました。お手紙には、
「海の松陰にいたのでは、何も分かりません。このまま過ごすことはできませんので、京への出立をご決心ください。少しも心配なさることはありません……」とありました。入道は「生きていた甲斐があった……」と、嬉し泣きをしておりました。


 その秋、源氏の君は御願が叶いました御礼にと、大層立派な行列で、住吉神社に参詣なさいました。
折しも、明石の君も恒例の参詣にお出かけでございました。

 渚には松原の深い緑に、花紅葉を散らしたように華やかな装束の供人が大勢見えました。明石の君は遙かに源氏の君の御車を見ますと、かえって心が苦しくなり、恋しいお姿を拝することも出来ませんでした。行列の中に 源氏の若宮(夕霧)が大切に傅(かしず)かれている様子をご覧になり、同じ源氏の御子でありながら、わが姫君を数に入れて下さらないような気がして悲しくなられ、お参りもなさらずに渚を漕ぎ去ってしまわれました。
 その事を惟光(これみつ)から聞いて、源氏の君は大層気の毒にお思いになり、

   みをつくし 恋ふるしるしにここまでも 巡り逢いける縁は深しな

     (訳)身を尽くして恋い慕っていた証として、ここでめぐり逢えた縁は深いものですね……

 明石の君には誠にもったいなく思われて、涙がこぼれるのでした。

   数ならで難波のことも甲斐なきに などみをつくし思ひそめけむ

     (訳)とるに足らむ身で、何もかも諦めておりましたのに
     どうして身を尽くしてお慕いすることになったのでしょう……


 暫くして、明石に遣者がやってきて、近いうちに京にお迎えする旨を報告いたしました。明石の上は、
「大層頼もしく、人並みに扱って下さるようですけれど、明石を離れても、心細いことが多くあるのでは……」と思い煩いなさいました。父入道も姫君を手放すのはとても不安で、かえって物思いが増すように思われました。
 

 朱雀帝の譲位に伴い、斎宮も代替わりしましたので、あの六条御息所も京に戻られました。六条の旧邸を趣き深く修理して風雅にお住まいでしたが、やがて重く病みつかれ、大層心細く出家をしてしまわれました。源氏の君は驚いて、早速お見舞いなさいました。

 枕元近くにお座りになって、脇息(肘置き)に大層弱々しく寄り掛かり、
「私の気持をお分かり頂けないままに逝くのか……と残念に思っておりました。私が亡くなりました後には、斎宮を必ずやお世話くださいませ。他に後見を頼む方すらなく、心細い身の上でおりますので、どうぞ色めいた関係でなく、ご後見人としてお世話下さいますように……」と、消え入るようにお泣きになりました。
「このような言葉を頂かなくても、斎宮を見放すことなど決してありません。ご心配なさらぬように……」と心深くお約束なさいました。
 外が暗くなり、灯火が微かに見えるので、御几帳の隙間から中をご覧になりますと、美しい黒髪を華やかに尼削ぎにして、脇息に寄り掛かったお姿は、絵のように美しうございました。東面に臥せっていらっしゃるのが斎宮のようで、頬杖をついて悲しそうなご様子は誠に可愛らしく、源氏の君は大層心惹かれなさいました。しかし母君が強く仰るのだから…と思い止まりなさいました。
「もう、苦しくなりました……」と弱々しく仰いますので、心からのお見舞いを申し上げてお帰りになりました。それから七、八日ほどして、遂にお亡くなりになりました。

 源氏の君は、人の命が儚く心細くお思いになって、内裏にも参上なさらず、ご葬儀のことなどを指示なさいました。
 
 数日後、雪や霰が激しく吹き荒れる夜、斎宮のことをご心配なさいまして、
 
  降り乱れひまなき空に亡き人の 天翔るらむ宿ぞ悲しき (源氏の君)

   (訳)雪や霙が降り乱れている空を、亡き母宮の御霊が
      天翔けっているようで、悲しく思われます……

   消えがてにふるぞ悲しきかきくらし わが身それとも思ほえぬ世に(斎宮)

   (訳)消えそうに暮らし、日が経つのが悲しく思われます
     悲しみにこれがわが身とも思われません。この辛い世の中に……


 月日がはかなく過ぎ、お仕えする人々も去っていきました。六条の辺りには山寺のような鐘の音が寂しく聞こえ、斎宮は母君を思い出されました。
「片時も離れることなく、伊勢にもご一緒に下られましたのに、死の旅立ちにはご一緒できなかった……」と、大層嘆き悲しんでおいでになりました。

 朱雀院は、この斎宮が昔、伊勢に下られる儀式の折、不吉なまでに美しく見えたご容貌を今もお忘れにならず、院に入内(じゅだい)なさるように申し入れなさいましたが、源氏の君は美しい斎宮を手放すのを残念に思い、藤壷入道の宮にご相談なさいました。入道の宮は、
「故御息所の御遺言を口実に、院にではなく、冷泉帝にお仕えさせることにしましょう……」と申しなさいました。
 源氏の君はご後見は言うまでもなく、明け暮れにつけて細かいお心遣いをなさいますので、斎宮は誠に頼もしくお思いになりました。君が、
「ご一緒にお過ごしになるには、帝はちょうどよいお年頃でしょう……」と申しなさいますと、斎宮は嬉しくお思いになって、入内のご準備をなさいました。

  藤壷入道の宮はやがてご病気がちになられましたので、幼い帝には、斎宮のように少し年上のお世話役が必要なのでございました。 


                                            ( 終 )


    蓬 生(よもぎう)ー第十五帖

 源氏の君が須磨で侘びしく暮らしておられました頃に、都にもさまざまに思い嘆く御方がありました。
 常陸宮(ひたちのみや)の姫君(末摘花)は、父宮が亡くなられ、後見人もない身の上になられまして、大層心細くお暮らしでございました。思いがけず源氏の君と契ることになり、援助を受けておられましたが、源氏の君が遠い須磨に去ってしまわれた後は、その頃の名残りで、しばらくは泣く泣く過ごしておられましたけれども、年月が過ぎるにつれて それも尽きて、大層惨めな生活になってしまわれました。もともと荒れていた御宮邸は狐の住み家となって、庭には蓬・雑草が生い茂ってしまいました。

 邸内の御調度などは大層古い物ですので、骨董好きの者が売却を申し入れてきましたが、末摘花にとっては父宮の御心が留まっているような心地がしますので、どんなに貧しくとも決して手放すことはなさいませんでした。
 このような生活をしながら、世の人がする読経などはなさらずに、古歌や物語などを慰め事としてお過ごしになりました。ただ何事にも古風で格式高くおられました。

 この末摘花の叔母が、落ちぶれて受領の北の方になっておりました。
「姉君は、身分の低い所へ嫁いだ私を軽蔑していたので、これからはこの哀れな姫君をわが娘の使用人として扱い、今までの恨みを晴らしたい……」と考えておりました。

 やがてその夫が太宰府の次官になり、九州に下ることになりました。そこで末摘花に九州へ同行するよう言葉巧みに誘いましたが、末摘花は一向に承知なさいません。
「源氏の君がこの私を思い出して、いつの日かきっとお訪ねくださる……」と、一途に信じておられたのでございます。この叔母は 末摘花に仕えていた侍従さえも連れて行くことに決めましたので、遂には皆、姫君を見捨てて去って行ってしまいました。   

   絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら 思ひのほかにかけ離れぬる

   (訳)貴女を絶えるはずのない間柄と信頼していましたのに 思いのほかに遠くへ行ってしまうのですね……
 
 冬に成り行くままに、末摘花は大層惨めになられ、独り悲しく過ごしておりました。
 その頃、源氏の君が故院の御八講を催されますので、世の中は大騒ぎをしていました。尊い高僧だけをお選びになりましたので、禅師の君(末摘花の兄)も参上されましたが、世間の兄妹と違って世間話さえもなさらず、惨めな有様の妹をも平気で放っておかれますので「本当に心ない仏菩薩。これきりの縁なのだろう」と辛くお思いになりました。

 卯月、源氏の君は花散里をお訪ねなさいました。その道すがら、常陸宮邸の前を通り過ぎますと、大層胸潰れる思いがして牛車を止めさせなさいました。大きな松に藤の花が咲き匂って柳が大層しなだれていました。雨の滴が時雨のように降りかかりますので、惟光は源氏の君に傘を差しかけて、蓬生い茂った邸内に入りました。

 煤(すす)けた御几帳(みきちょう)の帷子(かたびら)(垂れ絹)を少し上げますと、末摘花が例のように大層恥ずかしそうに座っておりました。ほんの少し身動きなさったご様子も、袖の薫りも、昔より感じがよいと見えました。
「ただ一途に私の訪れを待ちながら、荒れ果てた御邸で、どのように辛くお過ごしだったのだろう。こんなにも長い間、お見舞いに訪れなかったとは……」とご自分の情の浅さを反省なさいました。

 そこで下人達を末摘花の御邸にお遣わしになり、生い茂った蓬を刈り払わせ、御邸の見苦しい所を修繕させなさいましたが、これが人々の噂になるのは不名誉にお思いになり、ご自分からお通いになることはありませんでした。

 源氏の君は二条院に東院(ひがしのいん)を造らせ、末摘花をお移しして、お世話することになさい
ました。末摘花に見切りをつけて散り散りに去って行った女房たちは、我も我もと争って戻って来ました。古い宮邸に二年ほどお過ごしになりました末摘花は、その後二条院にお移りになりました。源氏の君がお通いになることは難しいことですが、東院にお渡りの時にはお立ち寄りになり、決して軽視するような待遇はなさいませんでした。

 あの受領の北の方が九州から上京して驚く様子や、侍従が姫を見捨てて下向してしまった事をどんなに悔いたか……等は、いずれお話しすることにいたしましょう。



                            ( 終 )

 
     関 屋(せきや)ー第十六帖 「帚木・空蝉」の巻から十二年後の物語

 桐壺院がご崩御された次の年、伊予介(空蝉の夫)は常陸の国司に任命され、空蝉を伴って下向してしまいました。空蝉は、源氏の君が須磨に退去された事を、遙か常陸の国で聞きましたが、心の内をお伝えする術(すべ)もなく年月が経ってしまいました。

 源氏の君が京に戻られた翌年の秋に、常陸(ひたち)の守(かみ)も京に帰ることになりました。一行が逢坂の関に入る同じ日に、源氏の君が石山寺に参詣なさいました。山々の紅葉が趣深い風情を見せている中、源氏の行列はまるで紅葉が舞い散ったように色鮮やかで、避け切れぬほどの大勢でやって来ますので、常陸の一行は皆 御車から下りて、牛車を木々の隙間に引き入れ、木陰に隠れるように畏(かしこ)まって行列をやり過ごしました。

 小君(こぎみ)(空蝉の弟)は、今は衛門(えもん)の佐(すけ)となっておりました。源氏の君はこれをお呼びになり、空蝉へのお手紙を託されました。偶然 逢坂の関でお逢いできるとは、前世の縁が深かったのでしょう。源氏の君にとっても決して忘れる事のできない女性ですので、折々につけてお便りなどなさいました。

   逢坂の関やいかなる関なれば しげき嘆きの仲をわくらむ

     (訳)逢坂の関はどんな関なのでしょう。深く嘆き合う仲を分けるとは……

 やがて空蝉の夫・常陸守(かみ)は病みがちになり、空蝉に心残してお亡くなりになりました。残された空蝉には、しばらくの間は継息子たちが情けをかけてくれましたけれど、やはり辛い日々でございました。ただ河内の守(継息子)はこの空蝉に好意を持っていましたので、情け深い態度をとっておりました。しかし、やがて空蝉をわがものにしようという呆れた下心が見えてきましたので、空蝉は人知れず思い悩みまして、遂に尼になってしまいました。

 河内の守は「まだお若いのに、この先どう暮らしてゆかれるのか……」と驚き、人々は「何とも情けない……」と大層嘆いておりました。 

       
                                ( 終 )



  
絵 合(えあわせ)ー第十七帖

 藤壷入道の宮はご病気がちになられましたので、幼い冷泉帝のお世話役として、少し年上の前斎宮(故御息所の娘)が入内されることを、熱心に勧めておられました。しかしこの前斎宮に好意をよせておいでの朱雀院は、誠に残念に思われ、

   別れ路に添へし小櫛をかことにて 遥けき仲と神やいさめし  (朱雀院)

   (訳)別れの御櫛を差し上げたことを口実に、
      貴女とは遠く離れた仲と、神がお決めになったのでしょうか

   別るとて 遙かに言いしひとことも 帰りてものは今ぞ悲しき (斎 宮)

   (訳)別れの御櫛をいただいた時に仰せられた一言が
      帰京した今となっては、悲しく思われます……

 院はこれをご覧になって、しみじみ悲しくなられました。かつて源氏の君が須磨に退去するという命を下したその報いを、今お受けになったということなのでしょう。

 夜が大層更けてから、前斎宮は帝に入内なさいました。夜の御殿にて大層慎ましく、小柄で愛らしいお姿に、帝は「何と可愛らしい……」とお思いになりました。帝のお側には、既に弘徽殿(こきでん)の女御(にょうご)(権中納言(ごんちゅうなごん)の娘)が入内していましたが、帝は大層絵がお好きですので、絵の上手な前斎宮をご寵愛なさいました。
 権中納言(もと頭中将)は、将来わが娘こそ冷泉帝の中宮にしようと、先に入内させましたのに、今、前斎宮が梅壺に入られ、この二人が競い合って帝にお仕えするようになったことを、不安にお思いでございました。


 三月の初め、内裏の行事のない時期に、女房達は絵を集めて競う合う事に夢中でした。源氏の君は「同じ事なら、帝の御前で競い合わせよう……」と思い立ち、二条城に戻り、いつの日か、藤壷中宮だけにはお目にかけたいと思っていた須磨の絵日記を、梅壺へ届けさせなさいました。一方、権中納言はどこまでも負けず嫌いのご性格なので、優れた画家達を家に抱えて、厳しく口出し等して見事な絵を描かせ、弘徽殿に持たせました。

 絵合せの日、帝のお召しがあり、源氏の君と権中納言が参上なさいました。左方(梅壺)と右方(弘徽殿)の二つに分けて、双方から数々の絵が帝の御前に出されました。 左方は紫檀の箱を蘇芳の花足の台に載せ、敷物は紫地の唐の錦、打敷は葡萄(えび)染の唐の薄絹を用い、六人の女童が赤色に櫻襲(さくらがさね)の汗杉(かざみ)を着て袙(あこめ)は紅に藤襲(ふじがさね)の織物で、大層美しい設えでした。
 右方は沈(香木)の箱を浅香の台に載せ、打敷は青地の高麗の錦、組み紐や花足の趣味も華やかに、女童は青色に柳の汗杉、袙は山吹の襲(かさね)を着て、姿や振る舞いなど特に優れて見えました。藤壷中宮もおいでになり、所々に判定の揺らいで心もとない折には、中宮にご意見をお伺いするのも、源氏の君にとっては人知れず嬉しい事でございました。
 「竹取物語」と「うつぼ物語」では左方が負け、「伊勢物語」と「正三位物語」ではその議論がただやかましく勝負がつきません。勝負の定まらないまま、夜になりました。

 最後に「須磨の巻」が梅壺方から出されました。源氏の君が須磨で過ごされた日々がどんなに辛く悲しかっただろうか……と皆が感涙を流し、君が心の限りを尽くして描かれた須磨の風景画に心打たれておりました。 結局、みな譲って、この絵を出した左方(梅壺の女御)の勝ちとなりました。

 明け方近くになり、源氏の君はお杯を酌み交わされました。師(そち)の宮が、
「故桐壺院が特に熱心に源氏の君にご教授あそばした甲斐があって、文才は言うまでもなく、諸芸にもご立派で……」と仰いますと、皆は故院を思い出し、うち萎れてしまわれました。

 やがて二十日過ぎの月が差し出て、空が美しい頃になりました。書司にある和琴が召し寄せられ、中納言が和琴を、源氏の君は琴をお弾きになり、琵琶を少将の命婦に弾かせなさいました。殿上人の中から楽の優れた者をお召しになって、心ゆくまで合奏なさいました。次第に夜が明けてきますと、花の色も人の姿もほのかに見えてきて、言葉に表せないほど美しい朝ぼらけでございました。
 帝は「新らしく宮中の儀式の中に、この御代から始まった行事として、末の人々が言い伝えるような素晴らしいものを加えよう……」とお考えになりした。
 「絵合せ」という単なる遊びも、特に優れた人達に催させれば、素晴らしい御清栄の御代と伝えられる事でございましょう。                                                                                             ( 終 )
 





   松 風(まつかぜ)ー第十八帖

 源氏の君は二条院に東院をお建てになりました。西の対に花散里をお移しになり、東の対を明石の君のために……と御心に決めておられました。更に北の対を大層広く造らせて、御几帳などで仕切りをして、今まで契りを交わした姫君たちを、集めて住まわせようと心遣いなさいました。

 明石に宛てたお手紙が途絶えることはありませんでした。
「御子が生まれた今は、京に上るように……」と度々仰せになりましたが、明石の君はご自分が受領の娘であることを惨めにお思いになり、
「このまま都に出て、宮中の女御たちと一緒に暮らしても、低い身分が露見するだけで、人々に見下され どんなに悲しい思いをすることでしょう」と思い悩んでおられました。けれど幼い姫君がこのように寂れた海辺で成長し、源氏の御子として数にもいれられないのは可哀想ですので、源氏の君に逆らうことなど出来ません。

 父・明石入道は京の大堰川近くにある荒れ果てた御邸を思い出し、ここを修理して、姫君たちを上京させることを思い立ちました。美しい松陰に建てられたこの寝殿は、流れの畔にあり山荘の趣を見せていました。源氏の君は惟光の朝臣を遣わせ、明石の君がお住まいになるのに相応しい様子に、心尽くして準備させなさいました。明石の君は、「もう逃れようもなく、今は京に上るしかないのか……」と悲しくおられました。
 
 秋も深まりました。別れの日に旅立つ者は誰もが皆、涙を堪えきれずにおりました。明石の一行は密かに舟で京に上られました。
 大堰の辺りは趣深く、明石の海辺に似ているように見えますので明石の君はなお一層悲しくお思いになりました。
 源氏の君がお渡りになることはないまま、空しく月日が流れました。明石の君は大層寂しくなられ、源氏の君が明石の別れの日に、形見として置いていかれた御琴をお弾きになりますと、松風が荒々しく吹いて、琴の音は一層寂しさを募らせるようでした。
   
   身をかへて ひとりかへれる山里に 聞きしに似たる松風ぞ吹く (尼 君)

     (訳)尼姿となって一人帰ってきた山里に 昔聞いた松風が吹いている……

 一方、源氏の君は明石の君に逢いたいと、ただ一途に心乱れ、
「嵯峨野の御堂に立ち寄ります……」と紫上にご挨拶して、ようやく大堰の御邸にお渡りになりました。久し振りにお逢いになりました明石の君は誠に美しく、ますます愛しく見えました。更に幼い姫君は、愛嬌づいて可愛らしくなられ、
「この姫君こそ優れたわが御子……」とお思いになりました。その夜は一晩中明石の君に末長い愛情をお約束なさいまして、仲睦まじく語り明かされました。

 次の日は京にお帰りになる予定でしたので、近くの桂院に供人が出迎えに参りました。源氏の君は姫君のお気持を思って心苦しくなられ、戸口で立ち止まりますと、姫君が愛らしく手を伸ばして後を追いますので、 
「しばらく逢えないのは辛いものだ。ここは京から何と遠いことか……」と仰せになりました。明石の君が悲しみに耽り、御几帳の蔭からお見送りなさるご様子は、誠に美しく、内親王のように気高く見えました。

供人に促されて源氏の君は桂院に移られました。月が華やかに差し出る頃には、酒杯も巡り、琵琶・琴に加えて笛の合奏が始まりまして、大層風雅な時をお過ごしになりました。
 二条院にお帰りになりますと、紫上に山里の話などをお聞かせなさいました。
「本当は可愛い姫に逢ってきたのです。公に、わが御子として扱うのも憚られるのですが……無邪気な愛らしい姫なので見捨てておけません。ここ二条院で、貴女の手で、御袴着(成人式)をしてやりたいのです……」
 紫上は、
「その姫を私が引き取り、この手に抱いて大切に育てたい……」とお思いになりました。

 しかし幼い姫君を手放す明石の君にとっては、どんなにか辛いことでございましょう。
 


                               (  終  )


 

        薄 雲(うすぐも)ー第十九帖

 冬になるにつれ、大堰川の情景はますます侘びしさが増し、明石の君は心細く暮らしておられました。源氏の君はこれを見かねて、二条院に移るように繰り返しお勧めになりましたけれど、明石の君は躊躇(ためら)っておられました。
「それなら幼い姫君だけでも……。将来入内して立后を考えていますので、このままでは畏れ多いことです。対の御方(紫上)も逢いたがっておられますので、暫く馴れさせて、御袴着(女性の成人式)もきちんと行いたいと思います……」などと、真面目に説得なさいました。けれども明石の君は、
「今になって高貴な人として大切に扱われようとも、山里の出身と人が漏れ聞くことは、繕い難いことでございます。源氏の君はお人柄も優れ、頼りになる方でおられますから、数にも入れぬわが身はともかく、先の長い姫君のご将来も、君の御心一つにかかるものならば、いっそ物心つかぬうちにお譲り申し上げようか……。でも姫を手放した後に、この私はどう暮らしたらよいのでしょう……」等と、悲しく思い乱れなさいました。
 そして遂に「姫君の御ため……」と、別れを決心なさったのでございます。

 雪の降る日が多くなり、この雪が少しとけた頃に、源氏の君が姫君を迎えにお渡りになりました。姫君はとても可愛らしく、この春から伸ばした髪がゆらゆら揺れて、目元の美しさは、疎かには思えない宿世を感じさせるようでした。母親の御心を思いやりますと、大層お気の毒に思えますので、源氏の君は繰り返し心深くお慰めなさいました。
 母君が抱いて、御車のところに出ておいでになりました。姫君は無邪気に母君のお袖をとらえて、愛らしい片言で「お母様もお乗りなさいませ」とお誘いになりました。

   末遠き二葉の松に引き別れ いつか木高きかげを見るべき (明石の君)

     (訳)幼い姫君とお別れしていつ成長したお姿を見ることができるのでしょう

 明石の君は耐えられず大層お泣きになりますので、

   生ひそめし根も深ければ武隈の 松に小松の千代をならべむ (源氏の君)

     (訳)生まれてきた縁も深いのですから、必ずご一緒に末長く暮らせるようになりましょう……

 道すがら、後に残された母君の悲しみを思いやりなさいまして、
「どんなに辛くいらっしゃるだろう。私は何と罪深いことをしたのだろうか……」と涙を拭われました。

 すっかり暗くなってから、御車は二条院に着きました。姫君は道中ずっと眠っていましたが、御車から抱き下ろされても、泣いたりなどなさいません。紫上のお部屋でお菓子を召し上がっていらっしゃいましたが、ようやく母君のいないことに気づき、愛くるしいご様子で不安な表情をなさいますので、源氏の君は乳母(めのと)をお呼びになり、なだめさせなさいました。大堰に残された明石の君の悲しみを思うと心苦しくなられましたが、明け暮れ、紫上と共に愛らしい姫君をお世話申し上げるのは、誠に幸福に満ち溢れた心地がなさいました。

 御袴着の儀式は心尽くして行われました。大堰では明石の君が姫君を尽きせず恋しく思われ、尼君もすっかり涙もろくなられました。けれども姫君が二条院で大切にご養育されているという噂を聞きますのは、嬉しいことでございました。
 源氏の君は川辺のお住まいに御文などを絶え間なくお遣わしなさいました。

 その頃、太政大臣(葵の父)が亡くなりました。国家の重石にあった人ですので、若き帝は大層お嘆きになり、源氏の君も尽きることなく遺憾にお思いになりました。
 その年は天変地異があり、凶事と思われる事が頻繁に起こりましたが、源氏の君には心当たりとなる秘事があったのでございます。


 藤壷入道の宮が春の初め頃から病みがちになられ、三月にはご重態になられましたので、帝は大層悲しくおられました。藤壷への想いは今も限りなく、宮が、
「今年は逃れることの出来ない年回り(厄年)ですが、功徳のことは特にいたしませんでした……」と弱々しく仰いますので、源氏の君はご祈祷などを心尽くしてさせなさいました。枕元の御簾近くにお寄りになりますと、
「故院のご遺言のとおり、若い帝をこれからもご後見頂くことに感謝を申し上げたい思っておりました。今はただ悲しく……よろずに心乱れて、この命も残り少ないように思われます……」と弱々しいお声が微かに聞こえてきますので、源氏の君は大層お泣きになりました。
 しかし灯火(ともしび)が消え入るようにして、はかなく藤壷はお亡くなりになりました。

 源氏の君は念誦堂(ねんずどう)に引き篭もり、一日中泣き暮らしなさいました。

  入り陽さす峰にたなびく薄雲は もの想う袖に色やまがへる

    (訳)入日がさす峰にたなびいている薄雲は、悲しんでいる喪服の袖の色に似ている……

 この藤壺入道の宮は高貴なご身分にも拘わらず、世のために慈悲深い心をお持ちで、功徳なども大袈裟なことはなさらずに、ただ真心のこもった御供養を心深くなさいますので、ご葬送には世の中が悲しみに沈んでしまいました。


 御法事なども終わりました。諸々のことが静かになり、帝は大層心細くお思いでした。
 ある静かな夜明け、昔の御世から代々お勤めしている尊い僧都が、帝の御前で、
「申し上げ難いことですが、帝がこの事実をご存知ないことは、罪に当たろうかと憚られ、天眼恐ろしく思われます。このまま命尽きれば、何の益がございましょう。実は、故藤壷中宮は 帝をご懐妊された頃から深くお嘆きになり、祈祷をするよう仰せつけになりました。その祈祷の内容とは…………。
 それが恐ろしいことでございます。天変地異が頻繁に起こり、世の中が鎮まらないのは、このためなのです。帝が幼いころは分別もなくよかったのですか、今御歳が加わり、道理が分かようになられましたので、神仏が咎をお示しになるのでございます……」と申し上げました。やがて夜が明けてきましたので、僧都は退出いたしました。

 帝は今までこれほど驚くべき事を聞いたことがなく、恐ろしさと悲しみに御心が大層乱れなさいました。源氏の君が実は父親でありながら、臣下として朝廷に仕えておられる理由を今初めて知らされ、哀れで畏れ多いこと……とお悩みになりました。


 その日、式部卿も亡くなられ、ますます世の中が騒がしいことを、帝はお嘆きになりました。若い帝を大層ご心配なさって、源氏の君はずっと側にお仕えなさいました。  帝は、
「わが世は終わってしまうのか……もう譲位して心穏やかに過ごしたい……」と訴えなさいました。そのご様子がいつもと違っている……とお気づきになりましたが、まさか秘事の全てをお聞きになったとは、思いもよりませんでした。

 秋になり、前斎宮の女御(御息所の娘)が二条院に退出なさいました。源氏の君は今もこの女御に想いを寄せておられましたが、気持を抑えて、故御息所のご遺言どおり、親代わりとしてご後見をなさいました。

 秋雨の降る日、斎宮のところにお渡りになりました。深い鈍色の喪服をお召しになり数珠を袖に隠して、前栽の花を眺めながら柱に寄り掛かっておられるお姿は、誠に素晴らしく見えました。御几帳だけを隔てて過ぎ去った昔話などをなさいました。
「こうして須磨から戻り復権しましたが、私には心静め難いものがございます。その心を抑えて、貴女の後見をしている辛さをお分かりいただけるでしょうか……」
 女御はお返事なさいません。かすかな気配に心惹かれ、さらに続けて、
「私は四季折々の風情に寄せて、心満たされる遊びをしたいと願っています。貴女は春と秋のどちらがお好みでしょうか」とお尋ねになりました。女御は、
「……中でも秋の夕べこそ……、儚く亡くなりました母が思い出されますので…」と、お答えなさいました。そのお姿がとても愛らしいので、今こそ少し道に外れたこともできましたが、女御が嫌がっておられるようなので、諦めて退出なさいました。
 源氏の君の残り香までをも、斎宮は不愉快にお思いになりました。

 源氏の君は明石の君のことを思いやり、大堰の山荘にお渡りになりました。辺りは大層寂しげな趣きでした。明石での辛かった御契りも、決して浅くなかったことを思い、源氏の君は心の限りを尽くしてお慰めになりました。繁った木々の間から漏れる篝火(かがりび)が、ちらちら揺れて大層美しいので、明石の浦を思い出して、

   漁りせし影忘られぬ篝火は 身の浮舟や慕ひ来にけむ (明石の君)

     (訳)あの明石の浦の漁り火を思い出させる篝火は
       浮舟のような頼りないわが身を慕って、やって来たのでしょうか

 今宵はいつもより長くご一緒にお過ごしになりましたので、明石の君の御心も紛れるようでございました。                



                                ( 終 )
 


 朝 顔(あさがお)ー第二十帖

 源氏の君の幼なじみ朝顔の姫君は、父院(式部卿宮(しきぶきょうのみや))の服喪のため、斎院を退下なさいました。源氏の君は古い恋も忘れない癖がおありで、ずっと御文を送っておられましたけれど、姫君は煩わしい……とお返事もなさいませんでした。

 九月になり、この姫君が桃園の宮邸にお移りになりましたので、源氏の君は叔母の女五の宮のお見舞いを口実に、宮邸をご訪問なさいました。御邸はまだそれほど時も経っていないのに、荒れた心地がして寂しげでした。
女五の宮は、
「桐壺院がお隠れになって後は、涙がちに過ごしておりましたのに、式部卿宮まで亡くなられ、今はあるかなきかに生き長らえておりました。そんな頃にお立ち寄り頂いて、物思いも忘れるほどに有り難く……」と申しなさいました。
 源氏の君がお庭を眺めなさいますと、秋草の枯れた様子は趣き深い風情をしていました。何かしみじみと朝顔の姫君が恋しくなられ、我慢できずに、簀の子を通って姫君のお部屋に行かれました。

 長い年月ずっと慕ってきましたのに、姫君は御簾の中から女房を介してお話しなさいますので、大層恨めしく思われました。結婚しようとなさらないお気持ちは、年と共に強くなられたようで、今はお返事さえもなさいません。源氏の君は深く溜息をつき諦めてご退出なさいました。

 その夜は寝覚めがちに思いに耽り、早朝、朝霧のかかった御庭をご覧になりますと、枯れた花々の中に朝顔が儚く咲いていました。ひ
とつ手折らせて、姫君にお贈りになりました。

   見しをりの つゆ忘られぬ朝顔の 花の盛りは過ぎやしぬらむ

      (訳)昔逢った貴女が忘れられません。その朝顔の花は
       もう盛りを過ぎてしまったのでしょうか……

 不本意なまま、長い時が過ぎたことを諦めきれず、また御文を差し上げなさいました。けれども朝顔の姫君は「昔以上に色恋に相応しくない年になりましたので……」と心打ち解けるご様子さえもありません。
源氏の君は、
「このまま引き下がっては、世間の物笑いとなるだろうか……」と心騒いで、二条院にお帰りにならない夜が続きましたので、紫上は人知れず涙を流しておられました。

 「なぜ貴女が機嫌を悪くしているのか判りませぬ……」と、憐んだ表情で紫上の顔を眺める君のご様子は、絵に描きたいほど美しいご夫婦と見えました。
「斎宮(朝顔)に御文を書いたことを恨んでいるのですね。昔からよそよそしい態度をなさる方なのです。何もご心配なさることはありません……」とお慰めなさいました。


 雪が積もった上になお雪が降って、
御前の松や竹が異なった風情を見せる夕暮、源氏の君は童女たちをお庭に下ろして、雪まろげをさせなさいました。
 愛らしく遊んでいる童女達の姿を眺めながら、今までに情を交わされた御方々への想いなどを、紫上にお話しなさいました。

「昔、藤壷の中宮がお庭で雪山を作らせなさった日々を思い出します。中宮はひどく心隔てを置いておられましたが、御子(帝)の後見として信頼をして下さいました。この世にあれほどの方がいるでしょうか……。しとやかで気品があり、縁続きの貴女はとてもよく似ている……。また、前斎院のお人柄は格別で、心淋しい折に手紙を交わし合える方として、この世にお残りになり……」などとお話しなさいました。
 紫上が、
「尚侍(ないしのかみ)(朧月夜)は利発で優れておられ、軽率なことには無縁な方でしたのに、あの
ような事になって……」と仰いますと、
「そうですね。優美な女性でしたのに、誠に悔やまれます」と涙をこぼされました。
 更に、
「数にも入らぬ山里の人(明石の君)は、その身の上以上に物事を弁(わきま)えていますが、
他の女性とは同列には扱えない人で、大層気位の高い方です。
 東院の花散里は愛すべき方なのですが……」等と、今昔の御物語をなさいまして、夜が更けてゆきました。

 寝室に戻られてからも、藤壺中宮を恋しく想いながらお寝みになりますと、ほのかに中宮のお姿が見えました。大層お恨みのご様子で、
「秘事が漏れることはないと信じていましたのに、私達の過失は知れてしまいました。何と辛いことか……」と仰る声が、物の怪に襲われるような声でしたので、源氏の君は、はっと目を覚ましました。張り裂けるほど胸が騒ぐのを抑えておられますと、止めどなく涙が溢れてきました。

 翌朝早くお起きになって、まず誦経をおさせになりました。
「藤壷の中宮がお恨みになったのは、仏勤めを心尽くしてなさったにも拘わらず、あの一つの過失のために、この世の罪障が消えなかったのか……。何としてでも、その罪に代わって差し上げたい……」とお思いになり、御心に阿弥陀仏を念じて、
「同じ蓮の上に……」と心からお祈りなさいました。
 




             ( 終 )


 
   少 女(おとめ)ー第二十一帖

 年が改まって、藤壺の中宮の一周忌が過ぎましたので、世の中の服喪がとけました。 賀茂の祭の頃、庭先の桂の木に吹く風が慕わしく感じられますのに、前歳院(朝顔の姫君)は、亡くなられた父宮を思い出して、物思いに耽っておられました。
 源氏の君からは、今も御文やお心遣いの品が届きますので、お困りのようでした。
 お仕えする女房が、
「亡き父宮も、二人のご縁が行き違い、結婚をお断りしてしまったことを、大層後悔しておられました。今は源氏の君のご正妻も亡くなられ、昔に戻って熱心に仰って下さるのも、そうなるはずであったのだと思われます……」と申し上げますのに、姫君は、「今になって、またご意向に靡いて結婚しますというのも、おかしな事でございます」ときっぱり仰いますので、もうそれ以上お勧めすることはしませんでした。

 源氏の若君(夕霧)が十二歳になり、元服の儀を迎えられました。世間は当然四位の御位に就かれると思っておりましたが、
源氏の君は、
「まだ若いので官位をつけずに、暫くは大学で勉強させることにしよう。私が亡き後、時勢が変わっても、学問を基礎にして、政治家として世の重鎮となるべき心構えを学んだなら、世間に認められることになるだろう……」とお決めになり、院の中に御曹司(部屋)を造って 才深い先生方に預けなさって、学問をさせなさいました
 夕霧は、大将などの子供が昇進したのに、自分だけがまだ浅葱色の服を着ていることが恥ずかしく、父君をお恨みになりましたが、もともと真面目で勤勉なご性格ですので、わずか数カ月のうちに「史記」などをすっかり読み終えてしまわれました

 源氏の君は大学寮の試験を受けさせるために、まず予備試験をなさいましたが、呆れるほどよくできますので「亡き大臣(おとど)が生きておられたら……」と涙を流されました。  試験当日には、大学寮に参上なさいまして、賤しい者たちの末席にお座りになり、辛くお思いになるものの少しも気後れせずに、最後まで立派に終えられました。
 
 朱雀帝が即位され五年が過ぎ、立后の儀が近づきました。
「斎宮の女御(御息所の娘)こそ、帝のお后として相応しい方と、母宮も遺言されましたので……」と、源氏の君がご遺志にかこつけて主張なさるのに対し、大将は、
「わが弘徽殿の女御が、誰より先に入内されたから相応しいのだ」と主張なさいました。
更に式部卿の宮も「同じことなら、母方と親しいわが娘こそ、母君のいない代わりのお世話役として……」と競いなさいましたが、結局、斎宮の女御がお后に決まりました。

 源氏の君は太政大臣に昇進なさいました。大将(もと頭中将)は内大臣になられまして、お人柄も実直で学問などに優れておられますので、世の政治なども大層立派になさいました。
 この内大臣には御子が多く十余人ほどで、どの方もご立派で大層栄えておりました。女の御子は弘徽殿の女御の他にもう一人、大宮に預けられた愛らしい姫君がおりました。夕霧は大宮の御邸で、この姫君とご一緒に成長されましたが、十歳を過ぎてからは部屋が別々になり、離れて暮らすようになりました。けれども子供心にも、お互いに慕わしく想うようで、お二人は仲の良い間柄でございました。

 時雨が降って萩に吹く風がしみじみ感じられる夕暮、内大臣が母・大宮のところに参上なさいました。姫君をお側にお呼びになり、御琴を弾かせなさいました。姫君は黒髪が艶々して上品で、とても可愛らしいご様子でした。
「わが娘(弘徽殿の女御)を帝の中宮にしようと入内させたのに、思いがけず源氏の君が後見する斎宮の女御に負けてしまいました。せめてこの姫君だけは、春宮のお后にと願っておりますが、明石姫君が入内なされば、またしても……どうなることか……」と、この件について、源氏の君に恨みを持っておられるようでした。

 御庭の木の葉がはらはら散って、趣き深く感じられますので、内大臣も和琴を引き寄せてお弾きになりました。老女房たちが御几帳の後ろに集まって聞き惚れていますと、
 ちょうどそこへ冠者の君(夕霧)がおいでになりました。
「学問ばかりしてお籠もりなさらず、時には……」と御笛を差し上げますと、大層若々しく美しい音色でお吹きになりました。けれども姫君を奥に引き取らせ、強いて二人の間を遠ざけなさいますので、女房達は、
「お気の毒なことが起こりそうなお二人ですこと。とは言え人の親、いずれ後悔することになられるのでは……」などと噂をしていました。内大臣はこれを偶然耳に留められ、心穏やかでなくなってしまわれました。
 二日ほどして、内大臣が再び参上なさいました。大層ご機嫌が悪い様子で、
「母君に幼い姫君をお預けして、一人前にして下さると信じていましたのに、誠に残念です。若い者を思いにまかせて放っておかれたとは……」 大宮は驚き呆れて、
「まだ年端もゆかない二人に、考えもしないことです。つまらぬ世間の噂を信じて、私をお責めになるとは思いもよらぬこと……」と大層お嘆きになりました。

  その夜、夕霧はお寝すみになれません。人々が寝静まった頃、姫君のお部屋の障子を引いてみますと、いつもは錠など下ろしていないのに、今夜は堅く錠されています。ちょうど姫君も目を覚ましているようで、風の中に雁の鳴く声が微かに聞こえますので、「雲居の雁も、私のように悲しいのかしら……」と小声で仰いました。その様子が誠に愛らしく、夕霧は「どうぞここをお開けください……」と仰いましたが、返事はありません。独り言を聞かれたのが恥ずかしく、姫君は音も立てずにいらっしゃいました。

 内大臣は大層不機嫌で、弘徽殿の女御が立后できずに悲しんでいるので、里家に退出させなさいました。この女御を慰めることを口実に、姫君(雲居の雁)を大宮のもとから引き取られ、夕霧と引き離すことをお決めになりました。
 それを知って、夕霧が涙を拭っておられますので、夕闇に紛れて、乳母がお二人を密かに逢わせてくれました。お互いに胸がどきどきして恥ずかしく、ただお泣きになりました。
「内大臣のお気持が辛いので、一度は諦めようかと思いましたが、恋しくてなりません。私を恋しく想ってくださいますか……」と仰ると、雲居の雁が大層愛らしく頷(うなず)きました。夕霧はただ一途な気持ちで、腕の中から姫君をお離しになりませんでした。
 ちょうどそこに姫君の乳母がやって来て、
「情けないことです。姫君のお相手がわずか六位程度の方とは……」と言っているのが聞こえました。夕霧は、
「私のことを、御位が低いと軽蔑しているのか……」と許し難く思われ、

   くれなゐの涙に深き袖の色を 浅緑にや言ひしをるべき

       (訳)真っ赤な血の涙を流して、恋い慕っている私の袖の色を、
          浅緑だと言って、見下してよいものでしょうか ……

 やがて内大臣がこちらに戻られましたので、二人は仕方なく別れました。

 源氏の君は、今年の五節(ごせち)の舞姫として、惟光の娘を帝に献上なさいました。この舞姫は大層美しいと評判でしたので、朝臣(惟光)も大切な愛娘を差し出すのは辛く思われましたが、そのまま宮仕えをさせようか……とも考えていました。東の院では、参内の夜のご装束などを、大層美しく立派にご準備なさり、舞姫に付き添う女房などをも丹念に選びなさいました。

 あの日以来、夕霧は、浅葱色の服が嫌なので宮中に参内もなさらず、部屋に籠もっていらっしゃいましたが、今日は五節の儀ということで、直衣の色も許され、気分転換に邸内をお歩きになりました。
 妻戸の間に屏風などを置いて、舞姫の控え所が作ってありました。夕霧がそっと近寄って中を覗いてご覧になりますと、なんと恋しい人に大層よく似た舞姫がおりました。
その愛らしさが心に強く焼き付いて、
「雲居の雁に逢えないのなら、寂しい心の慰めとして、何とかこの少女を手に入れたい」とお思いになりました。
 緑色の薄様の紙に墨継ぎも美しくお書きになり、

  日影にもしるかりけめや少女子が 天の羽袖にかけし心は

      (訳)日の光にはっきりとお分かりになったでしょう。天の羽衣を着て舞うお姿に、熱い想いをかけたこの私を……

 父・惟光がこの手紙を見て
「源氏の君のご子息が、わが娘を一人前にお考え下さるなら、宮仕えよりは差し上げようものを……」と嬉しくお思いになりました。

 源氏の君は、東院の西の対の御方(花散里)に夕霧をお預けになりました。この御方は、何事も君の仰る通りになさるご性格ですので、大層親しく可愛がりなさいました。
 年の瀬になり、大宮がお正月の装束などをこの冠者の君(夕霧)のために、準備なさいました。
夕霧は涙ぐんで、
「父君は他人行儀に、私を遠ざけなさいます。対の御方は優しくして下さいますが、母君(葵の上)が生きておられたなら、こんなに思い悩むこともなかっただろうに……」と涙を堪えておいでになりました。大宮も大層お気の毒にお思いになって、
「生い先長い貴方までが、このように身の上を悲観していらっしゃるとは……。さまざまに恨めしい世の中です」と涙ぐんでしまわれました。

 源氏の君は六条京極の辺りに趣き深く、広くて立派な御殿をお建てになり、あちこちに離れてお住まいの姫君を、集めて住まわせようとお考えでございました。
 八月になり、六条院が見事に完成いたしました。
 東南の春の町には、源氏の君と紫上が入られる予定で、山を高く築き桜などの数限りない春の花木を植えさせて、池の水面が映えるようにお造りになりました。
 北東の町には、涼しそうな泉があり、夏の木陰が美しいように、呉竹などをお植えになりました。東面に馬場殿を造って、水際に菖蒲を植え、花散里をここにお移しいたしました。 
 西南の秋の町には、秋好中宮を住まわせなさいまして、元からある山に紅葉の美しい木々を無数に植えて、泉の水を清らかに流して遣り水が一層際立つようになさいました。 
 そして北西の町は、明石の君のために、大堰の風情を真似て、沢山の松の木を植え、雪を観るのに相応しいようにお造りになりました。
それぞれの町の境には塀や廊を造り、御方々がお互いに往き来が出来るように、親しく風雅になさるように……と気遣いなさいました。

 彼岸の頃にお引っ越しをなさいました。春の町では御車十五台、それでも世間に気遣いし、大袈裟でなく簡略になさいました。同じ日に花散里もお入りになりました。
 数日が過ぎて、秋好中宮がお移りになりました。そのご様子は素晴らしく、世間から格別に重んじられている様子が窺えました。
九月の頃ですので、中宮の御庭は紅葉が色付いて誠に素晴らしい風情でした。夕暮れになって、御箱の蓋に秋草や紅葉を載せて、紫上にお届けなさいました。
 
  心から春まつ園はわが宿の 紅葉を風のつてにだに見よ

     (訳)心から春をお待ちのお庭では、せめて私の邸の紅葉を
         風の便りに御覧ください……
  
 紫上は、この御箱の蓋に苔を敷きつめ巌の感じを出して、五葉の松の枝に御文を結んで、お返しなさいました。

   風に散る紅葉は軽し春の色を 岩根の松にかけてこそ見め

  (訳)風に散ってしまう紅葉は軽々しいものです、春の色を
     岩に根ざした松の変わらぬ緑にこそ御覧になってほしいものです

 源氏の君は、
「この時期に紅葉の手紙とは憎らしい……春、花の盛りにお返事なさい」と仰いました。

 明石の君は「数にも入らないわが身は、いつか分からないようにこっそりと……」と、御方々の引越しが終わって、神無月に入ってからお移りになりました。
 源氏の君は、姫君のご将来をお考えになり、他の方々に劣らないようにと気遣いして、大層重々しくお扱いなさいました。

                               ( 終 )

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    要約 「源 氏 物 語」
   発行 2006年1月吉日
    製作 WAKOGENJI
       文・挿絵 小川和子    
    古典「源氏物語」を読む会
             
           無断の複製・転載をお断りします。