やさしい現代語訳

源氏物語「若紫」(わかむらさき)第6帖

(源氏の君18歳、藤壷23歳、紫上10歳の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 
源氏の君は熱病を患っておられました。あれこれお呪 (まじない)や加持祈祷(かじきとう)をおさせになりましたが、その効果もなく、何度も発作が起こりますので、ある人が、
 「北山にある寺に、ありがたい僧侶がいらっしゃいます。昨年の夏、この熱病が世間に流行して、人々がどう祈ってもよくならないのを、この僧侶がすぐに治したということです。こじらせるといけませんので、早く試してご覧になったらよいでしょう」等と申し上げました。源氏の君は、
 「その僧侶をここへ呼ぶように……」と、お遣いをおやりになりました。
 僧侶は「年老いて身が屈まり、寺の外にも出られません」とお答えになりましたので、源氏の君は「どうしたらよいものか……。では私の方から忍んで出かけましょう」と、お供を四、五人連れて、まだ月の明るい時分にお出かけになりました。

 その寺はやや山深く入った所にありました。三月の末頃なので、京の花はもう盛りを過ぎておりましたが、山の桜は今が盛りで美しく、山奥へお入りになるにつれて、霞の佇まいも大層風情がありました。源氏の君はこのような山深い風景に慣れておられませんし、気ままに外出もできない高貴な御身分ですので、周囲の景色を大層もの珍しくお感じになりました。
 その寺の様子も大層趣がありました。周囲の嶺々は高く連なり、深い岩の中に聖(ひじり) がひとり座っておられました。源氏の君もその岩にお登りになりました。誰とは知られぬよう大層粗末な身なりをしておられるのですが、はっきり源氏の君と解る高貴なご風貌なので、聖は、
 「畏れ多い事でございます。私は今では、俗世間の事を考えませんので、加持祈祷の修行も忘れておりましたのに、どうしてこんなところまでお出でになりましたのか」と驚き、にこにこして源氏の君をご覧になりました。この聖は大層尊い僧侶でございました。護符(ごふ)などお飲ませして、加持祈祷などなさいますうちに、やがて日が高く上りました。
 源氏の君は少し外に出て、辺りを見渡しなさいますと、ここは山の高い所ですので、あちこちに僧坊(寺の別院)がはっきり見下ろせます。この幾重にも折れ曲がった道の下の方に、見慣れた小柴垣だけれどきちんと串渡しして、回廊などをめぐらし、庭の木立も大層風情のある邸が見えました。  
 「あそこは、どなたがお住まいなのか」と源氏の君がお尋ねになりますと、お供の人が、
 「あそこは、あの名高い某(なにがし)の僧都(そうず) が、この二年間篭って修行をしておられる所です」と申しました。
 きれいな童が沢山でてきて、仏に供える花を手折ったりするのがはっきり見えました。
 「あそこに女がいます。僧都がまさかあのように女を置きなさるまい。一体どなただろう」お供は口々に言いました。山を下りて覗く者もおりました。
 源氏の君が加持祈祷などなさりながら(私の病気はどうだろうか……)とご心配になっておられますので、聖は、
 「気を紛らわせなさいまして、病の事など気にしないのが良いことでございます」と申し上げました。そこで源氏の君は後ろの山へ立ち出て、京の方をご覧になりました。はるかに霞がかかり、四方の梢がうっすらと芽ぶいて煙っている情景を眺めながら、
 「絵のように美しい風景だなぁ。このような所に住んでいる人は、心に思い残すことは無いだろう」 「これは平凡な風景でございます。地方の国などにある海や山々の風景をご覧になりましたら、どんなにか絵がお上手になられることでしょう。富士の山・なにがしの嶽など……。近い所では、播磨の明石の浦こそ格別でございます。これといった趣深い所ではありませんが、ただ海の面を見渡した光景は、広々として見事でございます。前播磨の守で、退任後に出家をした明石の入道という人が、娘を大切に育てているそのお屋敷は、たいしたものでございます。この入道は大層癖のある人で、周りと交際もせず、近衛の中将の位を捨てて、自ら申し出て播磨の国司になりましたが、播磨の国の人に軽く扱われたので、頭髪を切り出家してしまいました。
 先頃、出かけたついでに様子を見にまいりましたが、京都でこそ恵まれないようでありましたけれど、明石では大きな屋敷を造って、国司の威勢(財力)でやっておいた事とはいえ、晩年を豊かに暮らしていける準備も、またとないほど充分にしておりました。後世の勤め(後生安楽の勤行)も大層よくいたしまして、法師になってかえって立派になった人でございます」。
 「さて、その娘はどうしたのか」とお尋ねになりますと、
 「容貌や性格など、悪くないようでございます。代々の国司などが、特別な心遣いをして求婚するのですが、いっこうに承知いたしません。入道は(この私が、低い身分のまま空しく田舎に隠れ暮らしているのですから、私の望みは、この娘一人にかかっています。もし、私が先に死んで、この望みがかなわなければ、海に入って死んでしまえ)と遺言しているそうです」と申し上げますと、源氏の君も、大層興味深い事とお聞きになりました。
 「そうは言っても、その娘はさぞかし田舎じみていることだろう。幼い頃からそんな所に育って、古風な親にのみ従っているのでは……」
 「母親は由緒ある家の人です。よい女性や女の子などを、都の尊い身分の家から引き取って、贅沢に暮らしているようです」 源氏の君は、
 「どういう考えで、海の底へ入れとまで深く思いつめているのだろう。入水でもしたら、海の海松布(みるめ)も、周りの見る目も面倒なことだ」等と仰せられ、ただ事ではないとお思いになりました。
 「風変わりな事を好む源氏の君ならば、こんな娘の話をきっとお忘れになるまい」と、お供の人たちは推察しておりました。
 
 日が暮れかかる頃には、発作が起こらなくなりました。
 「さあ二条院へお帰りになるのがよいでしょう」と惟光(これみつ)が申しますと、聖は、
 「物の怪などが憑いているようでございますので、今宵はもっと静かに加持して差し上げましょう。それからお帰りなさいませ」と申しました。源氏の君はこのような山寺の旅寝に慣れていらっしゃいませんし、さすがに興味のあることが多いので、
「それなら、明日の明け方に帰ることにしましょう」と仰せられました。

(愛らしい少女の面影は……)

 一日が長く感じられました。源氏の君は退屈なままに、夕暮れの霞かかった頃に紛ぎれて、あの小柴垣の辺りにお出かけになりました。お供はお返しになり、惟光と小柴垣から家の中をお覗きになりますと、西側の部屋に、持仏を置いて拝む尼がおりました。中の柱に寄り掛かって座り、脇息 (きょうそく・ひじおき)の上に経本を置いて大層苦しそうに読経しておられる尼君は、並の身分の人には見えません。四十歳過ぎくらいで、大層色白で気品があり、痩せておられますけれど、頬のあたりはふっくらして、髪が可憐な感じに切りそろえられている様子は、今風に可愛らしいとご覧になりました。そばに清しげな年配の女房が二人おり、その他に数人の女の子が出たり入ったりして遊んでいました。その中に十歳位の、白い衣に、重ね色は山吹色の気慣れた着物を着て、こちらに走ってきた女の子がありました。大勢いる子供たちとは全比べものにならず、成人後の美しさが分かるほど、可愛らしい顔つきをしていました。髪は扇を広げたようにゆらゆら美しく、泣いてこすったように赤い顔をして立っておりました。
 「何事ですか、子供たちと喧嘩でもなさったのか」と見上げた尼君と、面影が少し似ているようで、尼君の御子のようだと、源氏の君はご覧になりました。
 「雀の子を犬君が逃がしたの……。伏籠の中に閉じこめていたのに……」と大層悔しそうになさいました。そこにいた女房は、
 「いつものように落ち着きのない犬君がこんな事をして……。雀はどこに行ってしまったのでしょう。大層可愛らしくなってきたのに、カラスなどが見つけたら大変でございます」と立って行きました。髪はゆるやかに大層長く、見た目に感じの良い女でした。この人が少納言の乳母(めのと)で、女の子の世話役のようです。
尼君は、
 「まぁ、なんと子供っぽいことよ。私がこのように今日・明日と思える命なのに、雀の後を追っていらっしゃるなんて……。生き物をいじめる事は罪な事といつも申し上げていますのに情けない事です。 さぁ、こちらにお入りなさい」と仰いますと、女の子は膝をついて尼君の前に座りました。顔つきは大層愛らしく、眉のあたりが産毛でかすんでいて、子供っぽく耳にかけた髪が大層美しく、成長して美しくなっていく様子に、目が離せないように思われました。この女の子の面影は、源氏の君が心を尽くしてお慕い申し上げる藤壺の宮に、大変よく似ていらっしゃるので、じっと見つめてしまうほどでございました。源氏の君はその人を想い出し、忍んで涙を落とされました。

  尼君は女の子の髪を撫でながら、「櫛を入れる事を面倒になさるのに、なんと美しい髪でしょう。大層頼りなくいらっしゃるのが、いじらしく心配です。このくらいの年になると、もっとしっかりしている子もいるのに……。貴女のお母さまが十歳の時、父君と死に別れましたのに、大層分別がおありでした。今、私が死んだら、姫君はどうやってこの世を生きていらっしゃるのでしょうか」と大層お泣きになるのをご覧になって、女の子も何となく悲しくなり、尼君をじっと見つめて、伏せ目がちになり、うつむいてしまいました。こぼれかかる髪がつやつやと美しく見えました。

    生ひ立たむありかも知らぬ若草を おくらす露ぞ消えん空なき

      (訳)成長する所を知らぬ若草(少女)を残して消えていく露(尼君)は、
          消えようにも消える空もない、死ぬにも死ねない気持です。

側に座っていた女房は「本当に……」と泣いて、
    
    初草の生い行く末も知らぬ間に いかでか露の消えんとすらむ
      (訳) 初草(姫君)の成長する末も知らぬ間に、どうして尼君は
         消えようとなさるのですか。
 僧都が奥から出てきて「ここは外から丸見えです。今日に限って、庭に近い部屋にいらっしゃるのですね。この上の聖の所に、源氏の中将が病気の祈祷においでになっているそうです。大層忍んでおいでなので、こんなに近くにおりながら、全く知りませんで、お見舞いにも参りませんでした」とおっしゃいました。尼君は、
 「まぁ大変、見苦しい様子を誰かに見られたでしょうか」と言いながら簾を下ろました。
 「この世に評判の高い光源氏様に、この機会にお会いしたいものです。世を捨てた私の心にも、世の憂いを忘れ、寿命が延びるようなお美しいご容姿の方です。さぁ、ご挨拶申し上げましょう」と立ち上がる音がするので、覗き見していた源氏の君は、急いでお帰りになりました。
 心惹かれる可愛い人を見てしまいました。偶然立ち出て、このように思いがけない事に遭うことを、大層面白いこととお思いになりました。(それにしても、大層美しい女の子だ。恋しい藤壺の代わりに、明け暮れの慰めとして見たいものだ)と思う心が、深く根づいたようでございました。
 源氏の君は家に帰り、臥しておられますと、やがて僧都がまいりました。法師ではありますけれど、ご身分も尊い素晴らしい方でございました。
 「旅寝の宿を私の寺にこそ、ご用意すべきでした。私の所も同じ柴の庵ですけれど、少し涼しい水の流れも、お見せ出来ましょう」と、しきりにお誘い申し上げましたので、源氏の君はあの覗き見した愛らしい少女の姿が気になり、もっと良く知りたいとお思いになって、お出かけになりました。
 その庵には、格別にすぐれて趣のあるように、草木をに植えておられました。月もない頃なので、庭のやり水に篝火を灯してありました。南側の客室には、大層清げに支度が整えてあり、空熏物(そらだきもの・香)も心憎いほど香り出でて、部屋に満ちているところに、源氏の君の香りも大層格別なので、奥にいる人々も、一段と緊張するようでございました。
 僧都は世の常でない物語や後世の事などを話してお聞かせになりました。源氏の君は、藤壺の宮への想いが強いほど、その罪が恐ろしく、道ならぬ想いに心を占領され、この世に生きる限り、思い悩まなければならないと考えておられました。まして死後の世で、受けるはずの苦しみを思うにつけ、この僧都のように出家生活をしたいものだとお思いになりましたが、昼に見た少女の面影が心に掛かり恋しいので、
 「ここにご一緒に住んでいらっしゃるのは誰ですか。お尋ねしたい夢を見たことを、今思い出しました」と仰いますと、僧都はお笑いになって、
 「突然、夢物語をなさいますか。せっかくお尋ねになりましても、がっかりおさせするに違いありません。故按察大納言(あぜちだいなごん)は亡くなってもう久しくなり、ご存知ないでしょう。その北の方が、私の妹でございます。その按察亡くなって後、この妹が出家したのですが、この頃病気なりまして、頼り所として私の僧坊に篭っております」と申し上げました。
 「その大納言に娘がいらっしゃったと聞きましたが、その方はどうなさいましたか」と推し量って仰せになりますと、
 「娘が一人おりました。それも亡くなって十年になるでしょうか。亡き大納言が宮中に上げようと大切に育てていたのですが、いかなる人が手引きをしたものか、兵部卿(ひょうぶきょう) の宮(藤壷の兄)がお忍びでお通いになるようになりました。しかし心安からぬ事が多くありまして、明け暮れ物思いを続け、ついにお亡くなりになりました」と申し上げました。

(源氏の君はその少女を引き取りたいと……)

 (それならあの少女は、亡くなったその方の御子だ。兵部卿の宮のお血筋ならば、藤壺の中宮にも似ているはず……)と、大層心惹かれてお思いになりました。(身分も上品で美しく、利口ぶった様子もなく、親しく語り合って、自分の心のままに教育し育ててみたい)と心からお思いになりました。 「大層お気の毒でございます。その方には、後に残された形見(子供)などないのですか」
 「亡くなります頃に子供が生まれました。それも女の子です。年老いた妹(尼君)が物思いの種と嘆いているようです」とお答えになりました。源氏の君はやはりそうだったとお思いになりました。
 「妙な事を申しますが、私をその幼き姫の後見人とお思いになるように、尼君に申し上げて下さいませんか。かかわる人(妻・葵の上)もございますが、心に馴染まないというのでしょうか。一人暮らしでおります。姫君には結婚などまだ不釣り合いな年頃なのですから、私を色好みの男とお考え下さいますな」と仰せられますと、
 「大層嬉しいはずのお申し出ですが、まだむやみに子供ぽい年頃なので、戯れ事としても考え難いことでございます。そもそも女性というものは、人に大事にお世話いただいて結婚するものですから、私のような僧侶の身としては、取り計る事ができませんが、あの子の祖母に相談いたしまして、お返事申しましょう」と、堅苦しい素振りをなさいましたので、源氏の君はご自分の若き御心を恥ずかしくお思いになって、それ以上何も言うことができなくなってしまわれました。
 「もう阿弥陀仏のおられますお堂に勤経する時間です。今日は初夜(午後六時頃)のお勤めをまだしていませんので、それを済ませて参りましょう」と僧都はお堂の方へ上っておいでになりました。
 源氏の君はご気分も大層すぐれないご様子でした。雨が少し降ってきて、山風も冷たく吹き、滝壷の水量も増して、水音が高く聞こえてきます。少し眠たげな読経が絶え絶えに寂しく聞こえ、物事に無関心な人でさえ、しみじみとした思いがします。僧都は夜もすっかり更けたのに、まだ戻ってまいりません。家の中にも、人のまだ寝ない気配がはっきり分かります。大層忍んではいますが、脇息に数珠を引き鳴らす音がかすかに聞こえ、心惹かれるようにそよめく衣擦れを、上品な音だとお聞きになりました。源氏の君は屏風を少し引き開けて、扇をポンと鳴らしますと、側にいた女房の「変だわ、聞き間違えかしら……」と、不思議がる声が聞こえました。
 「本当にだしぬけに、不審に思われる事も道理ですが、

  初草の 若葉の上を見つるより 旅寝の袖も露ぞ乾かぬ

      (訳)初草の若菜のように可愛い姿を見てからは旅寝の袖の
        涙が乾くことがありません

と、尼君にお伝えいただけませんか」と仰せになりました。尼君は、
 「なんと今風でしょう。源氏の君は姫君がお年頃でいらっしゃると思い違いなさっておられるのでしょう。それにしても、あの若草の歌をどこで聞いていらしたのでしょう」
 いろいろと不思議で心も乱れ、
  枕 結う今宵ばかりの露けさを み山の苔に比べざらなむ

     (訳)旅寝する今宵ばかりの袖の涙を、深い山に篭っている私の涙(その寂しさ)
        と比べないでくださいませ。

乾き難くございますのに……と歌を返しました。
 源氏の君は「恐縮ですが、こうした機会に極めて誠実な気持で申し上げたい事がございます。お気の毒な身の上と伺っております姫君のことですが、亡くなられた母君の代わりに、この私を頼りに思いなして下さいませんか。幼い頃に私も親しかるべき人に死に別れましたので、頼りない様子で年月を重ねました。私も姫君と同じ境遇にございましたので、他人事とは思えません。尼君が軽薄とお思いになる事もはばからず、申し出てしまいました」と申しなさいますので、尼君は、
 「大層嬉しい事と存じながら、聞き違いなどあったのではと、遠慮いたしました。このつまらない私一人を頼りにする姫がおりますけれど、大層幼い年頃で、躾 などまだできておりません。幼いからと大目に見て見逃していただける点もなさそうですので、このお話は承ることができません」とお答えしました。源氏の君は、
 「全て承知しておりますから、堅苦しくお思いにならないで、姫君に想いを寄せている私の心が、格別に深い事をご理解ください」と申し上げましたけれど、尼君は心打ち解けたお返事もなさいません。ちょうどそこへ僧都がようやくお戻りになりましたので、(よし僧都からもお口添えいただければ心強い……)と屏風をお閉めになりました。
 次第に明けゆく空は大層霞んで、山の鳥がどこともなくさえずっています。名も知らぬ木草の花が色とりどりに散りまじり、錦を敷いたように見えるところに、鹿が佇み歩き回るのを、源氏の君は大層珍しいとご覧になる間に、悩ましき心もすっかり紛れてしまいました。
 京からお迎えの人々がやって来て、病が治られたお喜びを申し上げました。内裏からお見舞いも届きました。僧都は世間にないような珍しい果物を探し出して、なにくれとなく忙しくお世話申し上げました。源氏の君は「この山水の情景に心残りでおりますけれど、内裏からご心配いただいていますのも畏れ多いことですから、いったん帰らなければなりません。すぐまた、この花の盛りの内にやってまいりましょう」と仰せられるご様子や声の調子が、眩しい程に美しいので、

   優雲華(うどんげ)の花待ち得たる心地して み山桜に目こそ移らね

    (訳)優雲華の花(三千年に一度咲く花)を待ち受けて、ついにその花を
       見たような心地で貴方にお逢いしました。あまり美しいので
       山桜には目移りしません。

と僧都が申し上げますと、源氏の君は微笑まれて「三千年に一度咲く優雲華の花が 咲くのにちょうど会えるのは、めったにないことです」と仰せられました。聖は素焼きの杯をいただいて、

   奥山の松のとぼそをまれにあけて まだ見ぬ花の顔を見るかな

     (訳)奥山の松に覆われた庵に篭っている私が、珍しく松の扉を開けて、
        今まで見たことのないほど美しい花(源氏の君)を見ました。

と、泣いてお見送りいたしました。 
 聖は御守りとして独鈷を差し上げました。これをご覧になって僧都は、聖徳太子が百済より手に入れた金剛子の数珠玉を、透きとおった袋に入れ、それを五葉の松の枝に結びつけて差し上げました。また、いくつもの紺瑠璃の壺に種々のお薬をいれて、藤や桜などの枝につけなどして、贈り物をしました。源氏の君は、聖をはじめ読経した法師たちへお布施等をなさって、寺をご出発になりました。
 僧都は奥にお入りになり、姫を引き取りたいという源氏の君のお申し出をそのまま尼君に申し上げましたが、尼君は「ともかくも、今すぐにはお返事の申しようもありません。もし本気なら、四・五年過ぎてからにいたしましょう」とおっしゃいました。 源氏の君は御歌を僧都のところにいる小さい童に託して、

   夕まぐれほのかに花の色を見て けさは霞の立ちぞわづらふ

    (訳)夕ぐれにほのかに美しい花の姿を見ました。霞(源氏の君)が
       立ち去り難い気持でおります。

尼君はこれに返し、雅びた筆跡で大層上品に気楽にお書きになりました。

   まことにや花のあたりは立ち憂きと 霞むる空の気色をも見む

     (訳)花の近くを立ち去り難いというのは、本当でしょうか。
        霞んだ空のような源氏の君の心をこれからも見ましょう。
 
 源氏の君が御車にお乗りになる頃には、お迎えの人々や君達などが大勢参上なさいました。頭中将(とうのちゅうじょう) ・左中弁やそれ以外の君達も後を追いまして「このような外出のお供にはいつもお仕えしようと思っておりましたのに、意外なことに、私共をおいて行ってしまわれますとは……」とお恨みになり、「こんなに素晴らしい花の木陰で、少しもお休みにならずに直ぐお帰りになるのは、いかにももったいないことです」と仰いました。そこで岩影の苔の上に座って、土器の杯でお酒を召し上がりました。
そばには美しい滝があり、流れ落ちる水の様子など、大変に趣がありました。頭の中将は、懐から笛を取り出して、澄んだ音色でお吹きになりました。弟の弁の君は、扇を軽く打ち鳴らして拍子をとり、「豊浦の寺の西なる~」と催馬楽(さいばら)をお歌いになりました。格別に美しい君達や、特に、源氏の君が悩ましげに岩に寄りかかっていらっしゃる御姿は、他に類のないほど不吉なまでに美しいご様子で、他に目移りなど全くないほどでございました。お帰りになるのは大変名残惜しく残念な事と、身分の低い法師や童も、涙を落としました。まして家の中では、年老いた尼君たちが、今までこのような美しいご容姿の人を見ることはなかったので、この世のものとも思えぬほど素晴らしい方と言いあっておりました。
 そして姫君は子供心に、なんと高貴な方かとお思いになって「父宮(兵部卿 宮・ひょうぶきょうのみや)よりご立派ね」などとおっしゃいました。「それならば、あの方のお子になりなさい」と女房が申しますと、姫君はうなずいて、(大層、素敵なこと……)とお思いになりました。お人形遊びにも、絵をお書きになっても、源氏の君のお姿をお作りになって、きれいな着物を着せて大切になさいました。
 源氏の君は京にお戻りになりますと、まず内裏に参上して、父帝に日ごろの事などをお話になりました。帝は、源氏の君が大層やつれていらっしゃるので、不吉な事とご心配になり、聖が法力に優れていた事などをご質問なさいますので、詳しくご報告しますと、「阿闍梨(あじゃり)などにもなるはずの方であるようだ。修行の年労が積もっているのに、朝廷には知られていなかったとは……」と、聖を尊とがりなさいました。
 ちょうどそこに、左大臣(葵の上の父)が参上なさいました。「私も山に御迎えにと存じましたけれど、お忍びのご参内に私が伺うのはどうかと思いましたので、参上しませんでした。どうぞ気楽に二・三日ゆっくりご休息ください」と言って、さらに「早速、私の邸に御送りしましょう」と申されますので、源氏の君は気はすすまないけれど、左大臣のお誘いですのでお断りもできずに、宮中を退出なさいました。
 左大臣はご自分の御車に源氏の君をお乗せになって、自らは位の低いほうの席へ下がってお座りになりました。このように、かしこずき申し上げる御心遣いに、さすがの源氏の君も心苦しくお思いになりました。左大臣邸でも、今頃こちらに向かっていらっしゃるだろうと心遣いなさって、玉の御殿のように磨きしつらえ、万事を整えてお待ちしておりました。ところが源氏の君が御邸にお着きになりましても、葵の上は例のとおり、身をかがめて隠れてしまわれ、すぐに出ていらっしゃいません。 父左大臣が熱心にお勧めしましたので、ようやく源氏の君の前に出ておいでになりましたが、まるで絵に書かれた姫君のように座られ、身動きもなさらずに行儀よくしていらっしゃるので、源氏の君は、心に思うことや山道の物語などをそれとなくお話しなさいました。ところが興味深く返事をしてくれれば良いものを、全然心も打ち解けませんので、源氏の君はよそよそしく気ずまりにお思いになりました。
 年月の重なるにつれて、御心の隔てもますますひどくなるようなので、大層苦しく心外にお感じになって「時々は世間並みの夫婦らしいご様子をみたいものです。私が耐え難く病んでいても「いかが……」とさえ聞いてくれない。今に始まった事ではないけれど、なほ恨めしく思います」と申し上げました。
 葵の上はかろうじて「質問しないのは、お聞きするのが辛いからでございます」と、流し目にご覧になる様子が、上品で気高く、とても愛らしげでございました。「たまに何かおっしゃるかと思えば驚いたことに、「問わぬは辛き……」等とは、恋人同士の事でしょう。私たちは夫婦でございます。悲しいおっしゃりようでございます。いつかは私に対するお振る舞いを、思い直して下さる事もあるかと、あれこれお試ししているのに、貴女は大層思いめぐらし、恋人の所へ行っているなどと心配をなさるのも、それもよい。命さえ心にかなうものならば……」と、夜のご寝所にお入りになりました。けれども女君は、すぐにはお入りになりません。源氏の君は溜息をつき、横になられましたものの、なんとなく不愉快だったのでしょうか。眠たげになさって、心の中であれこれ二人の仲を思い、心乱れるようでございました。
 (北山の少女の、生い育ちゆく様子が知りたいものだ。まだ結婚に似つかわしくないお年頃と、尼君が思うのも無理もないことだから、どうも話を進めにくい。どうにか仕組んで、心安くこちらへ迎え取って、明け暮れの慰めにしたいのだ。父君の兵部卿の宮は、気高く優雅でいらっしゃいますが、つややかに美しくもないのに、姫君はどうしてあの一族の藤壺に良く似て美しくいらっしゃるのだろうか。兵部卿も藤壺も同じお后から生まれた御子だからだろうか。姫君と藤壺が縁続きであるにつけても、何とかして姫君を引き取りたい……)と、源氏の君は一層深くお思いになられるのでました。
  翌日、尼君に手紙をお書きになりました。「私の申し出を全く取り上げて下さらなかった尼君の慎ましさに、私の気持ちを、もうそれ以上表す事が出来なくなってしまったのが心残りです。このように度々お願いするほど強い私の志を、お解りいただければ、どれほど嬉しいことでしょうか」

   面影は身をも離れず山桜 心のかぎり留めて来しかど 夜の間の風もうしろめたくなむ

     (訳)山桜のように美しい姫君の面影は、私の身を離れる事がありません。
        心の限り留めてきましたが、知らぬ間に花を散らす夜の間の風が心配です。

中に恋文のように小さく結び文にして書かれ、筆跡は素晴らしく、ただ何気なくおしつつみ書いていらっしゃる様子は、尼君のように年の盛りを過ぎた目にも、心がはやるほどに好ましく見えるものでした。(先日の源氏の君のお申し出は、冗談と思っておりました。わざわざお手紙をいただきましたのに対し、姫君が自ら返事を申し上げようにも、まだ、難波津(いろは)さえ満足に綴れませんので、どうしようもありません)

   嵐吹く尾上の桜散らぬ間を 心とめける程のはかなさ いとどうしろめたう

     (訳)嵐吹く峯の桜の散らぬわずかな間だけを、心にお留めになったくらいの
        頼りないことでございましょう。心配な事です。
 
姫に代わって、尼君からの返事にはそう書かれていました。
 源氏の君は大層心残りで、二、三日して惟光をお遣わしになりました。惟光は少納言を呼び出して会い、源氏の君の想いや日頃の様子などを、詳しく語りました。源氏の君は心をこめて手紙をお書きになりました。さらにいつもの通り、中に小さく結んで(たどたどしい書き物でもいいから、姫君のお返事を拝見したいものです)とあって、

   あさか山 浅くも人を思はぬに など山の井のかけ離るらむ

    (訳)あさか山の名のように、浅く貴女を想っているのではないのに、
       どうして山の井に映る貴女の影が遠く離れようとするのですか。
(返歌)
   汲みそめて くやしと聞きし山の井の 浅きながらや影をみるべき
    
    (訳)汲み初めてあとで後悔すると聞きました山の井のように、
       貴方の心の浅いままに、どうして影(姫)をご覧になれましょうか。
 少納言の乳母からの返事に「尼君の病気が直りまして、しばらくして京の邸に帰りました後にご返事いたしましょう」とあるのを、源氏の君は心もとなくお思いになりました。

(藤壷の宮との初めての逢瀬に……)

 藤壺の宮は大層お悩みになり、病に臥せられましたので、内裏をご退出なさいました。帝がご心配になり、お嘆きになっておられますのを、源氏の君は大層いたわしい事とお見受け申し上げる一方、せめてこうした機会にこそ、藤壺の宮にお逢いしたいと気もそぞろになり、どちらの女性のところにもお出かけになりません。
 内裏におられましても、二条院におられましても、昼は退屈に物思いにふけて暮らし、日が暮れれば、王命婦(おおのみょうぶ・藤壺の宮に仕える女房)のもとに何度も通い、藤壺に逢わせてくれるように頼みこみました。どう計ったものか、ある日強引にお逢いになりましたが、お二人にとって現実とは思えないくらい辛いことでございました。藤壺の宮も思いもかけないこの逢瀬を、生きている限り悩みの種になるとお悩みになって(せめてこれ限りで終わりにしよう)と深くお思いになりました。大層辛くて、苦しそうなご様子でありますものの、親しく愛らしげで、とはいっても打ち解けず、自分が恥ずかしくなるほど素晴らしく気品のある御もてなしは、やはり他の人とは違っていらっしゃいました。源氏の君は(どうしてこの方は、欠点をお持ちでないのだろうか。募る想いを申し上げようか、いや出来はしない。いつまでも夜の明けない山に入り、宿をとりたいけれど、あいにく春の短い夜なので……)等と、お逢いしていてもかえって辛いようでございました。

     見てもまたあふ夜まれなる夢のうちに やがてまぎるる我が身ともがな

       (訳)今お逢いする事が出来ても再び逢うことはないだろう。ならば二度と見ることのない夢の中に、そのまま紛れてしまうわが身であってほしい。
と、涙にむせ返り泣くご様子が、さすがに可哀想なので、

  世語りに 人や伝へんたぐひなく 憂き身をさめぬ夢になしても

   (訳)世間の人の評判になるような比べようもなく辛いわが身を、
          さめぬ夢の中のものとしましょう。          

とお詠みになり、道ならぬ逢瀬に思い乱れるご様子も、誠に当然で畏れ多い事でございました。王命婦(おおのみょうぶ・藤壺付きの女房)が源氏の君の御直衣をかき集めて持ってきました。
 源氏の君は二条院においでの時は、泣き濡れて、一日中臥してお暮らしになりました。お手紙もいつものように藤壺の宮はご覧にならない旨の連絡ばかりがあるので、いつものことながら辛く、途方にくれておられました。内裏へもおいでにならず、二・三日二条院に篭(こも)られましたので、帝がまたご心配なさる事も、かえって今は怖ろしくお思いになりました。
 藤壺の宮も我が身が辛いとお嘆きになるにつけても、悩ましさが日々に勝るようでございました。早く内裏に戻るようにと、帝のお遣いが度々ありましたが、なかなかその気になられません。ご気分がいつものように優れないのは、どうしてでしょうか、人知れず思い当たることもあるようなので、心配で今後どうなるのだろうと、思い乱れるばかりでございました。
(藤壷のご懐妊……)
 暑い頃は、お床から全然お起きになりません。ご懐妊三月になりますと、人目にも大層はっきり解るようになり、人々が見咎めるほどになりましたので、思いもかけないこの宿命を、大層辛いこととお思いになりました。人は誰も思いも寄らぬ事なので、なぜ帝に申し上げなかったのかと驚きました。藤壺の宮の心には、はっきりと思い当たる事があったのでございました。湯殿にもお仕えして、何事もよく知っている乳母の子の弁や、王命婦などは腹部のふくらみ等をあやしいと思っても、互いに確かめる事などはしないで、逃れ難い運命を恐ろしく思っておりました。内裏では(物の怪の仕業で、はっきりした懐妊の様子がなかったと帝に申し上げたのだろう)と、人々が皆そう思っていました。帝はますます愛しくお思いになって、お見舞いを絶え間の無いほどお遣わせになりますので、藤壺の宮は、密かにご自分の罪を意識して、怖ろしく思い患っておられました。
 おどろおどろしい異様な夢を、源氏の君は度々ご覧になりましたので、夢判断をする占い者を呼びお尋ねなさいますと、「思いがけなく、源氏の君が帝の父になる」と予言いたしました。 占い者が
「その中に行き違い(須磨流謫)の予言があって、ご謹慎なさらなければならないことがございます」と申しますので、源氏の君は気がかりにお思いになって「これは私の夢でなく、他人の予言を語っているのです。これが現実になるまで、他の人に話してはならない」と口封じをなさいましたが、御心の中では(どうしたものだろうか……)とお思いになりました。
 そしてこの藤壷のご懐妊の事をお聞きになって、(もしかするとあの予言はこの事か……)とお気付きになり、いっそう恋しくなられ、いよいよ切ない言葉の限りを尽くして、逢って下さるようお願いなさるのですが、王命婦もこの運命を大層怖ろしく思い、一切聞き入れようといたしません。これまでは藤壺の宮からのはかない一行の手紙がたまにあったのですが、それさえも絶え果ててしまいました。
  初秋七月になって、藤壺の宮が参内なさいました。帝は久しくお逢いになれなかったので、しみじみといとおしくお思いになって、ますます宮へのご寵愛が募られました。藤壺の宮はお腹が少しふっくらなさって、日増しにお苦しみでございましたが、少し面やつれなさったご様子は、他に比べるものが無いほど美しくございました。帝はいつものように、明け暮れ清涼殿においでになって、ご一緒に過ごされました。管弦の遊びによく合う趣のある空模様なので、帝は源氏の君をいとまなく身近にお呼びになって、藤壷の宮をお慰めしようと、お琴笛などをさまざまに奏でさせなさいました。源氏の君はお気持を隠しておられましたけれど、忍びがたい感情が態度に現れる折には、藤壺の宮もすげなく拒む態度を取りながらも、源氏の君を愛しく想い続けておられました。
 かの山寺の尼君は、病気が少しよくなられて、京に帰っておいでになりました。源氏の君は、京の尼君の御住まいを尋ねて、時折お遣いに手紙をお持たせになりました。尼君からの返事が前と変わらないので無理も無いのですが、この頃は今まで以上に藤壺への想いが募りますので、他のことはお考えになる余裕もなく、時は過ぎて行きました。
 
 秋も末の頃になりました。源氏の君は大層心細くお嘆きになっておいでになりました。月の美しい夜、忍んで通っている女性の所にかろうじて思い立ち、お出かけになりましたのに、時雨が降りはじめました。内裏からは少し遠い心地のする六条の辺りに、木立が大層古びて、木暗く見える荒れた家がありました。いつものお供の惟光が申しますには「ここが故按察大納言(あぜちだいなごん)の家でございます。ある日、もののついでにお見舞いに立ち寄りますと『尼君が大層弱々しくなられ、どうしたらよいものか……』と少納言が申しておりました」と源氏の君に申し上げますと「痛ましい事です。お見舞いをすべきところ、すっかり弱ってしまわれるまで、どうして知らせなかったのか……。中に入って取り次ぎを頼みなさい」と仰せになりました。惟光がお供を中に入れて内情を尋ねさせました。「源氏の君が、わざわざこのようにお見舞いにお出でになりました」と言うと、家の中では「大層困ったことです。尼君はこの頃すっかり頼りなくなられ、御対面など無理でしょう」と申し上げました。しかし源氏の君をこのままお返しするのは、畏れ多いことですので、母屋の南の廂 (ひさし)を片付けて、源氏の君をお通しいたしました。
 「いつもご案じ申し上げておりました。手紙を出す甲斐もないようなお返事ばかり下さいますし、更に病気が重くお苦しみとも伺っておりませんでしたので、ご訪問を遠慮しておりました。うかつでございました」等申し上げました。尼君は女房に託して「苦しく心乱れた気分はいつものことで、もう長く生きられないのは残念でございます。畏れ多くも、源氏の君がお立ち寄りになりましたが、私自身でご挨拶申し上げられません事を申し訳なく思います。以前からお申し出の姫君の事は、もしもお心が変わらないようでしたら、今のように幼い年頃が過ぎて、結婚が叶う年頃になってから、数ある女性の一人に加えて下さいませ。姫を残して置くことは、大層心細く思っております。極楽浄土への道の足かせに思われるに違いありません」と申し上げました。
 源氏の君の近い所に、尼君の病床がありますので、心細げな声が絶え絶えに聞こえてきます。源氏の君はしみじみとお聞きになり「初めて姫君にお逢いしてから、こんなに愛しく思っておりましたことは、きっと前世からの深い御因縁でしょう。かなわぬ願いと思いますが、せめて幼い姫君の御声をぜひ聞かせてください」と仰せられました。
 女房は「さて、姫君は何も解らない様子で、もうお休みになりました」とお答え申しました。ちょうどその時、向こうの方から姫君の来る音がして「おばぁさま、あの山寺にいらした源氏の君様がおいでになったそうです。どうしてお会いにならないの」とおっしゃるのを、周りの人々は大層困って「まぁ、静かになさい」と申しました。「だって……あの方に逢っただけで気分の悪いのが直るほど素晴らしい方と、昔、申されましたわ」と得意そうにおっしゃいました。源氏の君は大層可愛いとお聞きになりましたが、周りの人々が辛いと思っているようなので、聞こえなかった素振りをして、まじめなお見舞いの言葉を申し置きなさって、二条院にお帰りになりました。(本当に子供っぽいご様子だ。それにしても自分のところに引き取って、良い躾をしたいものだ)とお思いになりました。
 翌日、大層まじめにお見舞いのお手紙を差し上げました。いつものように小さく結んで、

   いはけなきたづの一声聞きしより 葦間になづむ舟ぞえならぬ 同じ人にや

     (訳)幼い鶴(姫君)の一声を聞いてから、葦の間につっこんで動けなくなった舟(私)よ、
        ずっと同じ人を恋い続けるだけなのでしょうか。

わざと子供っぽくお書きになりましたのに、「大層美しいので、そのまま御手本にしましょう」と女房たちは申しました。少納言が手紙でお返事をいたしました。(お訪ねなさった尼君は、今にも息絶えそうなご様子で、すぐにも山寺に下るほどでございます。このようなお見舞の御礼も、もうこの世ではできないでしょうから、あの世からでも申し上げることでしょう)とあり、源氏の君は大層痛ましいとお思いになりました。 
 秋の夕べは、心の暇ない程に、藤壺の宮への想いがつのるばかりで、強い縁の姫君を求めたいという身勝手な気持がなお高まるようでした。源氏の君が北山でのぞき見した情景を思い出されて(姫君が恋しいけれど、もし結婚すれば身分が低いと見劣りするのだろうか)と、さすがに少々不安もあるようでした。

   手に摘みていつしかもみむ紫の 根に通ひける野辺の若草

     (訳)手に摘んで一日も早く見たいものだ。紫の根(藤壷の宮)につながっている
        野辺の若草(姫君)を……

(尼君は亡くなられ……)
 初冬十月になり、朱雀院(すざくいん)の行幸(ぎょうこう)が近ずきました。当日の雅楽の舞人を、内裏がお選びになるので、身分の高い家の子供、大臣、また殿上人等も、なんとか選ばれようと、詩歌・舞などを習って、忙しい頃でございました。源氏の君は尼君に久しくお見舞いなさっていないのを思い出されて、遣者をわざわざお遣わしになりますと、僧都の返事だけがありました。
 「先月の二十日頃、尼君はついに空しく亡くなられました。世の道理ではありますが、悲しく存じます……」とありますのをご覧になり、世の中の儚さをしみじみと感じられました。(尼君が心配しておられた姫君はどうしているのだろう。幼く尼君を慕っているだろうか)と大層ご心配になられ、源氏の君が桐壺の更衣(母)に先立たれた時の事を思い出して、心をこめて御弔問なさいました。
 尼君の服忌(二十日)を過ぎて、姫君が京の邸にいるとお聞きになった源氏の君は、しばらくして暇な夜にお訪ねになりました。姫君のおられる家は、大層荒れていてお仕えする人も少なく寂しいところでしたので、幼い姫君はどんなに心細くおいでかと、ご心配なさっておられました。いつもの寝殿の南の廂にお入りになりますと、少納言が、尼君の亡くなられたご様子などを、泣きながら申し上げるので、源氏の君も訳もなく、ついもらい泣きをなさいまして、御袖も涙で濡れてしまいました。
「父宮(兵部卿の宮)の御邸に姫君をお移し申し上げようと思っています。ただ亡き母君が、父宮の本妻を「情のない人と」お思いでしたし、姫君はまったく幼児というわけではなく、少しものの解った中途半端な年頃なので、沢山いらっしゃるお子たちの中で、軽く扱われてお過ごしになるのは可哀想と、嘆いていらしゃいました。このように、源氏の君のかたじけなくも大層嬉しく思われるはずのお申し出ですが、何分にも姫君は少しもまだ結婚に似つかわしい様子もなく、年よりもずっと子供っぽく育っていらっしゃるので、大層心配でございます」と申し上げました。源氏の君は「このように繰り返し私の気持ちを申し上げているのに、どうして遠慮なさるのでしょうか。その姫君の頼りない御心の様子が本心からいじらしく、また慕わしくも感じられますのも、前世からの因縁が特別強いからと、わが心ながら思い知らされたのでございます。やはり人伝てでなく、直に私から、姫君に申し上げたいものです。

   葦わかの浦にみるめはかたくとも こは立ちながら返る波かは

     (訳)若い葦の生えている若の浦にみるめ(海草)を見るのは
        難しくても立ったまま返る波ではない。
         (姫に逢うのが難しくても、すぐに帰る波(私)ではありません)

このまま帰るのはあんまりでしょう」と仰せになりますと、少納言は「誠に畏れ多いことですが、

   寄る波の心も知らで和歌の浦に 玉藻なびかん程ぞうきたる

     (訳)寄せてくる波(源氏の君)の心も確かめないで、姫が波になびくように、
        貴方に惹かれてゆくのは、浮いた感じがします。

ご無理な仰せでございます」と申し上げる様子が、物慣れているようなので、源氏の君は姫に逢えそうな気がなさいました。「どんな障害でも、どうして越えないことがあろうか」と古歌を吟じなさいますと、若い女房たちはしみじみお美しいと思っておりました。
 姫君は尼君を恋しくお思いになって、泣き伏していらっしゃいました。その時、あそび仲間が
 「直衣を着た人がいらっしゃいます。父宮がおいでのようです」と申し上げましたので、姫君は起きておいでになりました。
 「少納言、直衣を着た人はどこ? 父宮がいらしたのですか」と源氏の君の方に近づいてくる声が大層愛らしいものでした。
 「父宮ではありませんが、この私を忘れないでください。こちらへいらっしゃい」と、源氏の君がおっしゃいますと、この声は確か、あの素晴らしい源氏の君と、子供ながらも聞き分けて、まずい事を言ってしまったと、少納言のそばに寄り添いながら、
 「さぁ、行きましょう。もう眠たいの……」と恥ずかしそうに甘えておっしゃいました。
 「今更、なぜ隠れなさいますのか。この膝の上にお休みなさい。もう少しこちらへいらっしゃい」と仰せになりますと、少納言は「何と幼いこと。まだ世慣れていない年頃でございます」と、姫を源氏の君の方に押しました。源氏の君が何心もなく座っていらっしゃる姫君を簾の下から手を入れてお探りになりますと、しなやかな御衣を着て、髪がつやつやと肩にかかって、髪の先がふさやかに探りられた感じは、大層愛らしく思われました。源氏の君が姫君の手を取られますと、姫君は少し気味悪くお感じになり、馴れてない人がこんなに親しげに近づくのに驚いて、
 「寝ようと言うのに……」と御簾の中にお入りになってしまわれました。源氏の君は、姫について御簾の内側にすべり入りて、「今は私こそ、貴女を可愛がるべき人です。嫌わないで下さい」とおっしゃいました。少納言は、あまりにも強引な源氏の君のお振る舞いに、
 「まぁ、困ったこと。いくらお話しなさってもまだ幼いお年ですので、何の効きめもありませんのに……」と苦しげに申しましたので、源氏の君は「それにしても、このような小さい方を私がどうするものですか。ただ世に例のないほど強い私の愛情をお見届けください」と仰せになりました。
(姫君と初めての添い寝をされて……)
 その日は霰 が降り荒れて、大層怖ろしげな夜になりました。源氏の君は、
 「お仕えする人の少ない家で、こんな幼い姫君がどんなに心細くお過ごしでしょうか」とお泣きになって、見捨ててお帰りになることが出来ないご様子で、
 「御格子を下ろしなさい。もの怖ろしい夜なので、私が一晩中寝ずにお側におりましょう。皆ももっと近くでお仕えするのが良いでしょう」と、いかにも馴れた様子で御帳の中にお入りになりましたので、皆、ただあっけにとられた様子で、座って控えておりました。少納言は大変困った事だと思っても、騒ぎたてる場合でないので、ただ嘆きながら座っていました。姫君は大層怖ろしく身が震え、美しい肌のむやみに寒げに見えますのが、源氏の君には大層愛らしく思われましたので、単衣で震える体をくるんで、優しく語りかけなさいました。心のどこかでは、良くない事と思いながらも、
 「さぁ二条院へいらっしゃい。美しい絵など沢山あり、人形遊びなどが出来る私の邸へ……」と、姫君の気に入るような事ばかりを、お話しになるご様子は大層優しげで、幼い姫君の心にも少しも怖くないようでした。とはいえ、初めての人との添い寝は気に入らないので、寝つくこともできずに、一晩中体を動かしていらっしゃいました。
 夜中、ずっと風が吹き荒れました。女房たちは
 「本当にもし源氏の君がおられなければ、どんなにか心細かったことでしょう。結婚に似つかわしい頃でいらしたら、よかったですのに……」とささやき合いました。少納言も心配で、大層近くにお仕えしておりました。
 「大層愛しいご様子で、こうして一夜を過ごしてしまった今、邸に帰ってからも、きっと片時も姫君の事が忘れられないでしょう。二条院に一日も早く姫君をお移ししましょう。いつまでもこんな家に居るのはどんなものでしょう。姫君がよく今まで怖がらなかったものです」と仰せになりました。
 「父君が迎えにおいでになると仰っていましたが、尼君の四十九日が過ぎてからと思います」と少納言が申し上げますと、
 「父宮は頼りになる方ですが、ずっと別々に暮らしていらっしゃったので、姫にとっては、私と同じように疎遠に感じられることでしょう。私は今からお世話申し上げるのですが、姫君に対する気持ちは父宮に勝るほどでございます」と仰せられ、姫君の美しい髪を掻き撫でて、心惹かれる思いでお帰りになりました。
 すっかり霧がたちこめた空が、いつもと違って趣があるのに、霜は大層白く降りて、恋にも相応しいほど美しくございましたが、源氏の君には少し物足りなく、寂しくお思いになりました。
 大層忍んでお通いなさる女性の邸が、帰り道の途中にあったことを思い出されて、その門を叩かせなさいましたが、返事をする人がありません。 仕方なく優れた声をした供人に唱わせました。

   朝ぼらけ 霧立つ空のまよひにも 行きすぎがたきいもが門かな

      (訳) 明け方で霧がたちこめています。見分けの付きにくい中でも、
          行き過ぎがたい貴女の家の前を……

と二回ほど唱ったところ、教養ある下仕えの女が出てきて、

   立ちどまり霧の籬のすぎうくは 草のとざしにさはりしもせじ

      (訳) 立ち止まり霧の中を過ぎがたいなら、草の茂った家には何の障りも
          ありません。どうぞお入り下さい。(その気もないくせに……)

と詠んで、家の中に入ってしまいました。もう人も出てこないようです。帰るのも情けないけれど、空も明るくなってきて体裁が悪いので、二条院へお帰りになりました。源氏の君は可愛らしかった姫の面影が恋しくなり、一人微笑みながら、横になられました。
 日が高くなってお起きになり、手紙をおやりになるのですが、普通の女の場合と勝手が違うので、書くべき事もいつものようでなく、筆を何度も休めては、気ままにお書きになり、さらに美しい絵なども一緒にお遣いに持たせなさいました。
 姫君の邸に、父宮(兵部卿宮 )がおいでになりました。ここ数年この上なく荒れ果てて、広々とした古くさい邸で、お仕えする人も少なく寂しげなのをご覧になって、
 「こんな寂しい所によく幼い姫君がお過ごしになれたものだ。やはり私の邸にお移ししましょう。気兼ねのいる所ではありません。乳母は部屋などを作って、お仕えすると良いでしょう。姫君には幼い腹ちがいの子供たちがいるので、一緒に遊んできっと楽しくお過ごしになれるでしょう」と仰いました。姫君を近くにお呼び寄せなさいますと、源氏の君の御移り香が染みわたっておりましたので(何と素晴らしい御香りか、御衣は大層古びていますのに……)と心苦しくお思いになりました。 「これまで長い間、病が重く女盛りを過ぎた尼君と添い暮らしていらしたので、(あちらにお移りになって北の方(妻)と一緒の暮らしにお馴れなさい)と申しましたのに、姫君はなぜか嫌がりなさっていました。さらに妻も不愉快に思っているようなので、尼君の亡くなった今になって、邸に連れて行くというのも、私としては心苦しい」と仰いました。
 「ご心配にはおよびません。もう少し、物事の分別がつきましてからお移りになりますのが、良いことでございましょう」と少納言は申しました。
 「尼君を、夜昼となく恋しがりなさいまして、ちょっとした物も召し上がりません」と、そのとおり、大層面やつれなさいましたけれど、かえって上品に愛らしく見えました。父宮は、
 「なぜそんなにお悲しみなさるのでしょう。亡くなられた人を悲しんでも甲斐がありません。私がいるではないですか」などと慰め申し上げますのに、日暮れにはお帰りになりますので、姫君は大層心細いとお泣きになりました。父宮も思わずお泣きになって、
 「そんなに思い詰めてはなりません。今日か明日にもお迎えに参りましょう」などと繰り返しなだめて、御邸をお帰りになりました。そのあとの寂しさは、お慰めしがたい程で姫君はずっとお泣きになっておられました。
 自分の将来の事もお分かりにならず、長い間尼君がいつもお側にいてくださったのに、今は亡き人となられた尼君のことを思い出すのが辛くて、子供心ではありますけれど、胸がぐっとふさがって、いつものようにお遊びにもなりません。昼は何とか気を紛らわしなさっても、夕暮れになると大層ふさぎ込んでしまわれます。こんな風ではこれからどうやって暮らしていらっしゃるのかと、乳母も共に泣いておりました。
 源氏の君の御邸から、惟光が参りました。
 「源氏の君が伺うべきなのに、内裏からお召しがありましたので参れません。姫君の事が気がかりで、気持が穏やかではございません」と、一晩中姫をお守りするように、惟光を宿直としてお遣わしになったのでございましす。少納言は、
 「まったく情けない事です。三夜続けて通う習わしに反して、一時の戯れにしても、その最初の日にもう口実を作っておいでになりませんのか……。父宮がお聞きになれば、お仕えする女房たちの手落ちとして、お叱りになるでしょう」などと言いましても、姫君ご自身は、そのことについて何ともお思いにならないのは、何とも幼く嘆かわしい事でございます。
 少納言は、惟光に哀れな物語などして「先々、しかるべきご結婚というご宿縁を逃れられないようになるかもしれません。しかも今すぐは、結婚には少しも似合わない年のことを考えますと、源氏の君が姫君を想っていらっしゃるのも不思議で、一体どういうおつもりか思い当たる事もなく、私は心乱れております」と申しました。実際、惟光もお二人に一体何があったのかと、心得がたく思っておりました。
 二条院に帰り、惟光が姫君の様子などを申し上げますと、源氏の君はいとおしいとお思いになりましたが、姫君のもとにすぐおいでになるのは、さすがに体裁が悪い気持がして、幼い愛人のもとに通うのはあまりにも理性がないと、世間の人がもれ聞くだろうか等と気がひけるので(何よりもすぐ、姫君を二条院へお迎えしよう)とお思いになりました。
 日が暮れれば、いつものように惟光をお遣わせになりました。お手紙には(さし障りがあって参上出来ないのは、姫君を疎かにしているからではありません)等と書いてありました。少納言は「父宮が、明日急にお迎えに参上なさることになりましたので、心忙しくございます。長年、住み慣れたこの荒れた邸を離れるとなると、さすがに心細く、お仕えする人々も思い乱れております」と言葉少なに言って、惟光の相手をいたしません。せっせと縫い物をしている気配がはっきり分かるので、惟光は急いで源氏の君のところに帰りました。
 源氏の君は、左大臣の邸におられましたが、いつものように葵の上がすぐにお逢いにならないのを、うっとうしいとお思いになって、琴をつま弾いて「浮気をしていると思っているね……」と民謡を、優雅に口ずさんでいらっしゃいました。
 そこへ惟光が参りましたので、姫君の様子をお尋ねになりました。しかじかと詳しい様子を申し上げますと、誠に残念にお思いになって、(姫君が父宮の邸にお移りになってしまえば、わざわざ引き取りに出向くのも好色と思われ、子供を盗み出たと批判を受けるに違いない。父宮の御邸に移る前に、誰にも知らせないで、姫君をこちらへお移ししてしまおう)とお思いになって、
 「夜明け前に、姫君の所に行こう。車の支度はそのままで、随身一・二人にお供を言いつけておけ」と仰せられましたので、惟光は席を立ちました。(どうしたら良いのだろう。評判がたって、好色がましいと言われそうなことだ。せめて姫君に年相応の分別があれば、女が承知の上でしたことで世間でもよくあることだと思われるものを……。また父宮が捜し出しなさるのも、体裁が悪いことだ……)と思い乱れるけれど、かといってこの機会をはずしたら残念なので、真っ暗なうちに、左大臣の邸を出ることに決めました。源氏の君は惟光等を馬に乗せて、ご自分は牛車で御邸をお出になりました。
 

(源氏の君は幼い姫君をさらうように……)
 姫君の家の門を叩かせますと、事情を知らぬ者が門を開けましたので、御車をやおら引き入れさせました。惟光は妻戸を鳴らして咳払いをしますと、少納言が聞きつけて出てまいりました。
 「ここに源氏の君がおいでになりました。」惟光が言いますと、
 「幼き姫君はお寝みになっておられます。どうして、こんな夜更けにおいでになりましたか」と、何かのついでにお立ち寄りになったものと思って申し上げました。
 「父宮の邸へお移りになると聞きましたので、その前に申し上げたいことがございます」
 「何事でしょうか。幼い姫君にどれほどはきはきしたお答を申し上げることができましょう」と少納言はお笑いになりました。全く遠慮もなく、源氏の君が御寝所にお入りになりますので、少納言は困ったことだと思いました。源氏の君は、
 「姫君は、まだ目覚めていらっしゃいませんね。さぁ私がお起こしいたしましょう。これほで美しい朝霧を知らずに、寝ていて良いものでしょうか……」と、御簾の中にお入りになりました。
 姫君は何心もなく寝ていらっしゃいましたので、源氏の君が抱きお起こしなさいますと、姫君はようやく目を覚まして、父宮がお迎えにいらしたと寝ぼけてお思いでした。姫君の御髪を掻きつくろい等なさって、
 「さぁいらっしゃい。父宮のお遣いでやって来たのです」と仰いました。姫君は父宮でないと驚いて、怖いと思われましたご様子なので、源氏の君は、
 「あぁ、情けない。この私も父宮と同じく貴女を想っている一人でございます」と、しっかり抱き上げて御寝所をお出になりました。惟光や少納言は、
 「これはどうなさるおつもりか」と申し上げますと、
 「情けなくも、父宮の邸にお移りになるようなので、今お迎えにまいりました。どなたか一人姫君のお供においでください」と仰せになりました。少納言は心あわただしく、
 「今日は大層具合が悪くございます。父宮がおいでになりました時に、どのように申し上げましょうか。年月を経てしかるべき宿世でいらしたら、いずれ一緒になるでしょうに……。ただ今は突然のことですので、お仕えする人々も困ることでございましょう。」
 「それなら後から、女房たちも皆来れば良いだろう」と源氏の君は御車をお寄せなさいました。
女房どもは驚き呆れて、どうしたらよいだろうと困っておりました。姫君も様子が変だと感じ、お泣きになりました。少納言はもうお引き止めする方法も無く、昨晩縫っていた御衣をひきさげて、自らも見苦しくない御衣に着変えて、源氏の君の御車に乗りました。
 二条院は近いので、まだ明るくならぬ内に、西の対屋(たいのや)に御車を寄せてお降りになりました。源氏の君は姫君を大層軽々と抱いて降ろしなさいました。少納言は、
 「どうしても、夢をみているようでございます。一体どうしたらよいものか……」とためらっているので、源氏の君は、
 「それは貴女の心次第でしょう。ご本人はもうお移し申したから、貴女が帰りたいというのなら、送らせましょう」と仰せられましたので、仕方なく苦笑しながら御車を降りました。少納言は急のことで、茫然としたまま胸も静まりません。(兵部卿宮はどんなにお腹立ちになるだろうか。姫君の運命はどうおなりになるのだろうか。とにかく、頼りとする尼君に先立たれなさったのがご不運だ)と涙が止まらないのですが、新生活のはじめに涙は不吉だと、じっと堪えておりました。
 西の対屋は普段住んでいない建物なので、御帳(みちょう)などもありません。惟光をお呼びになって、御帳、御屏風などあちこちにに設えさせました。御几帳(みきちょう)の帷子(かたびら・垂れ絹)を引き下ろし、御座などをただ間に合わせに敷いてあるので、東の対屋に夜着を取りに人を遣わして、お寝みになりました。
 姫君は大層怖くて震えていらっしゃいましたけれど、さすがに声を立てて泣くこともできません。姫君は「少納言のところで寝る……」と大層幼い声でおっしゃいました。源氏の君は、
 「もう、そんな風に寝てはいけませんよ」とお教え申しますと、大層悲しくて泣き伏してしまいました。少納言は横になる気もせず、無我夢中の思いで起きておりました。
 
 夜が明けゆくままに、少納言が辺りを見渡せば、御殿の佇まいや部屋の設備などは、改めて言うまでもなく、庭の敷き詰められた砂も宝石を重ねたように光輝いて見えますので、侘びしい暮らしをしてきた者には、場違いに思われました。源氏の君が女君をお迎えになったと聞いた人は「どなたでしょう。並の思し召しではない……」とひそひそ噂をしました。
 日が高くなってお起きになりました。御手水、御粥などこちらにお運びしました。ここ西の対屋はたまの訪客などの時に使う建物なので、男の家来たちも部屋の外に控えておりますが、女房などがお仕えしておりません。源氏の君は「女房がいなくて不便だろうから、夕方になったらお呼びになったらよいでしょう」と仰せになって、更に童女もお呼びになろうと、東の対屋に人をお遣わしになりました。「小さい者だけ、特別においでなさい」とのことで、大層可愛らしい様子で四人参りました。
 姫君は御衣にくるまって、臥しておられました。源氏の君は無理に姫君の体を抱き起こして、
 「私に情けない思いをさせないでください。いい加減な男は、こんなに親切ではありません。女は素直なのがよろしい」などと、今からお教え申しました。姫君の御容貌は、遠くから見たよりも大層美しく、源氏の君は優しく話しかけながら、美しい絵や玩具など東の対屋に取りに行かせて、姫君にお見せになりました。姫君はようやく起きてきて絵などをご覧になりましたが、糊気が落ち張りがなくなった濃いねずみ色の着物(尼君の喪衣)を着て無邪気に微笑んでいらっしゃるのが、とても可愛らしいので、源氏の君も微笑んでご覧になっておられました。源氏の君が東の対屋に行かれる時は、姫君は部屋の端まで出て、庭の植え込みや池の方などお覗きになって、見たこともない四位や五位の殿上人が色とりどりの袍を着て、絶え間なく出たり入ったりしているのを見て、本当に素晴らしいお邸だとお思いになりました。また邸内の御屏風などの素晴らしい絵を見ながら、機嫌をよくしておられますのも可愛らしいことでございました。
 源氏の君は、二、三日内裏へもお出でにならずに、姫君を手なずけようとお相手なさいました。やがてお手本にとお思いになって、手習いや絵などさまざまに書いてお見せになりました。とても見事に沢山お書きになりました。その中に「武蔵野と言えば、つい口実にしてしまう……」と紫色の紙に古歌をお書きになったものが、墨つきが格別に素晴らしいので、姫君が手に取ってご覧になりますと、

    ねは見ねどあはれとぞ思う武蔵野の、露分けわぶる草のゆかりを

     (訳)まだ寝てはみないけれど、しみじみ愛しく思います。武蔵野の露の深い
        草原を行き悩むように、近づき難い紫草(藤壺)の縁のある子よ

と書いてありました。「さぁ、姫君もお書きなさい」と仰れば、「まだ上手に書けません」と見上げなさいますのが、あまり無邪気で可愛らしいので、つい源氏の君は微笑まれて「下手でも全然書かないのはよくありません。お教えしましょう」と仰せられました。横を向いて少し隠しながらお書きになる手つき、筆をお取りになる様子があどけないのも、源氏の君には愛しくて堪らない思いでございました。「書き損なっちゃったわ」と恥ずかしそうにお隠しになるのを無理にご覧になりますと、

    かこつべき 故を知らねばおぼつかな いかなる草のゆかりならなむ

      (訳)その意味を知りません。私はどんな草の縁故なのでしょうか。

と、大層幼いけれど将来の上達ぶりが目に見えるように、ふっくらとお書きになりました。故尼君の筆跡に似ておりました。今風の手本で習ったならば、とても上手におなりだろうとご覧になりました。特別にお人形や御殿などをたくさん作って、一緒にお遊びになって、藤壺の宮への募る想いをお紛らわせになりました。
 あちらの御邸に残った女房たちは、兵部卿宮がおいでになって、姫君の行方をお尋ねになりますが、申し上げようもなく、一同困りきっておりました。「しばらく誰にも知らせるな」と源氏の君も仰せられ、絶対口外しないように言ってありました。ただ行方も知らず少納言が連れ出してお隠ししたと兵部卿の宮に申し上げたので(仕方がない。故尼君も父宮の邸に姫君がお移りになる事を、大変に嫌な事とお思いだったから、少納言が自分の一存で姫君を連れ出して、姫君の一生を台無しにしてしまうようだ)と泣く泣くお帰りになりました。兵部卿の宮は僧都のところにも、行方をお尋ねになりましたが、何の手がかりもなくて、最近の愛らしいご容貌などを思い出され、恋しく悲しくお思いになりました。北の方(宮の正妻)も母君を憎いとお思いになる心も失せて、(姫君を自分の思い通りにできると思っていたのに、あてが外れたのは残念)とお思いになりました。
 
 西の対屋には、ようやく女房たちが集まって参りました。お遊び相手の童女や子供たちは、源氏の君と姫君が誠に今風に華やかなご様子なので、すぐに和んで一緒に遊んでおりました。姫君は源氏の君がご不在で、心寂しい夕暮などだけは、尼君を恋しいとお泣きになりましたが、父宮を思い出すことなどはありませんでした。もとより父宮とはお親しくお過ごしにならなかったので、今はただ、この後の親(源氏の君)を大層慕ってつきまといなさいました。源氏の君が外からお帰りになりますと、真っ先にお出迎えなさって、しみじみと打ち解けてお話しなさり、源氏の君の御懐に抱かれて、少しも恥ずかしいともお思いにならず、そういう関係として、とても可愛らしいご様子でございました。夫婦であれば、妙に分別(嫉妬心)がつき、何かと面倒な関係になってしまうこともありましょう。気持ちに行き違いが出来はしないかと気兼ねし、相手を恨めしく思ったりするものですが、この姫君にはそんなことは全くなく、本当に可愛らしい遊び相手でございました。(この姫君は今までとちがった本当に大切なわが娘……)と、源氏の君は心から思っておいででございました。   
[こうして紫上(むらさきのうえ)の二条院での暮らしが始まったのでございます ]
   
            ( 終 )
源氏物語「若紫」(第五帖)
平成九年十二月 WAKOGENJI(訳・絵)

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