(桐壺帝の譲位)
桐壺帝(きりつぼてい)の譲位があり、御代(みよ)が変わりました。
新しく朱雀帝(すざくてい・右大臣方)が即位なさってからは、源氏の君は万事に辛くお思いでございました。今は右大将になられましたが、高貴なご身分ゆえ、軽々しきお忍び歩きもはばかられ、あちこちの女性は心細く嘆いておられました。その報いでしょうか。源氏の君は愛しい藤壷の御心がご自分につれないことを、ずっと恨めしく思っておられますのに、桐壺帝がご譲位なさった今は、一層絶え間なく、藤壷が桐壺院のお側に寄り添って、何はばかることなくご一緒に暮らしておられます。今の新皇太后(弘徽殿・こきでん)は、それを大層不愉快にお思いになって、内裏にばかりおられますので、院にお暮らしの藤壺の宮は、対抗する人もなく穏やかにお過ごしでございました。桐壺院は、折々に詩歌管弦の御遊びなどを盛んに催しなさいますので、ご譲位後のほうが優雅にお暮らしと世間の評判でございました。 ただ離れ暮らしている春宮(とうぐう・藤壷との子)を大層恋しくお想いで、この皇太子に御後見がいないことをご心配なさって、源氏の大将の君に万事ご相談なさいますので、源氏の君は心苦しいながらも、内心嬉しい事とお思いでございました。
そういえば、あの六条御息所 (ろくじょうのみやすどころ) を母君とする姫君が、伊勢の斎宮にお定まりになりましたので、御息所は源氏の君の愛情がまったく頼りないうえ、幼い姫君が心配なことを理由に、ご自分も一緒に伊勢へ下ってしまおうかとお考えでございました。
桐壺院はこの御息所の噂をお聞きになって、源氏の君に対して、
「今は亡き皇太子が大切にご寵愛なさった方を、軽々しく普通の女性と同じようにおつきあいするのは、誠に可哀想なことだ……。私はこの斎宮を自分の御子たちと同列に、可愛いと思っているのだから、どのような事につけても、御息所を疎かにしないほうが良いだろう。気まぐれでこのような色事をするのは、世間の批判を受けるべきこと……」などとご機嫌が悪いうえ、源氏の君ご自身の御心にもなるほどと思い当たる事なので、ただただ恐縮しておいでになりました。院が、
「女性に恥をかかせることなく、どの方とも親しくして、恨みを受けないようにしなさい」と仰せになった時にも、源氏の君は(藤壷への不義な恋心をお耳になさったら……)と思うと恐ろしくなり、恐縮したままご退出なさいました。
源氏の君は六条の御息所とのことについて、院までも心を痛めておられることでもあり、御息所の名誉のためにも、ご自分のためにも、軽々しくお付き合いすることは良くないとお思いになりましたけれど、特別に大切な方と思ますものの、表だって正妻として付き合うことをなさいません。御息所の方でも、お年がずっと上なことを恥ずかしくお思いになって、心打ち解けようとなさらないご様子なので、源氏の君はそれにかこつけて、お忍びで通う女性の一人として取り扱っておられるのでございます。すでに院のお耳にも入り、世間にも知れてしまった事なのに、真剣にお考えにならない源氏の君の薄情な御心を、御息所は大層お嘆きでございました。
ご正妻・葵の上は、変わりやすい源氏の君の御心を不快にお思いになりますけれど、あまりにも慎みのないご様子を責める甲斐もないのでしょうか、深くお恨みになるようなことはなさいません。葵の上は、日々辛そうな様子でご気分も優れず、心細げにしておられましたが、源氏の君は初めてのご懐妊と知って、大層愛しくお思いでした。左大臣家の誰もが皆、大層お喜びになり、不吉な事があってはいけないと、様々な安産の御祈祷をおさせになりました。この頃は、源氏の君は一層御心にゆとりがなくなり、御息所を忘れてしまった訳ではないのですけれど、逢瀬なども途絶えてしまうことが多かったようでございました。
その頃、賀茂の斎院がその地位を退かれて、その後に弘徽殿を母君とする女三宮(おんなさんのみや)がお定まりになりました。父帝と母后が格別に大切になさった内親王ですので、神に仕える身になられますことを大層辛くお思いになりましたけれど、他に斎院に相応しい人がいないので仕方もなく、規定の神事ではありますのに、特に威儀を整えて立派に催されました。
(御禊の日に御輿の所争いとなり……)
賀茂の祭の折、公事 にさらに多くの儀式が付け加えられ、その見どころはまた格別でございました。これも斎院となられる方の人品によるものと思われました。御禊(ごけい)の日(祭の前日賀茂川で行われる禊 (みそぎ)の儀式)上達部(かんだちめ)など特に人望が高く容貌の優れた方々が、下襲(したがさね) の色や表袴(うえのはかま) の紋、馬・鞍まで全てに見事に整えてお仕えなさいました。さらに宣旨(せんじ・天皇の勅命)によって、源氏の大将もお仕えになりました。
一条の大路は、御車(みこし)を止める所もないほど、恐ろしいほどに混雑していました。物見車(ものみぐるま)で祭りを見物する人々は、その身支度に大層気遣いをしていました。あちこちの御桟敷の飾りなども大層工夫を凝らしてあり、女房たちの衣の袖口さえも、大変美しく見物(みもの)でございました。
葵の上はこのような祭り見物もほとんどなさらない上に、ご気分もすぐれないので、外出をなさろうとはお思いになりませんでしたのに、若い女房たちが、
「お出かけなさいませ。私どもだけで、忍んで見物しましても、見栄えもないでしょう。今日の祭り見物には、山里に住む卑しい人々までも、遠い国から妻子を引き連れ、京に上って来て、源氏の大将様を見申し上げようとするそうですのに、ご正室の葵の上様がご覧になりませんのは、本当にあまりにも残念でございます」と言いますのを、大宮(葵の上の母君)がお聞きになって、
「ご気分も良い頃です。お仕えする人々も残念がっていますので、お出かけなさいませ」とお勧めなさって、供人にもお仕えするよう仰せになりましたので、皆で祭り見物にお出かけになることになりました。
日も高くなって、葵の上は目立たぬようにお支度を整えてお出かけになりました。隙間のない程物見車が立ち並ぶところに、威儀を正した列をなしてお着きになりましたが、御車を止める所がなく困っているご様子でした。身分の高い女房の車が多い中で、牛車に付きそう人のいない車を見定めて、立ち退かせていますと、その中に網代車(あじろぐるま)で少し古びてはいるものの、下簾の様子など趣の深く、大層控えめな物見車が二台ありました。六条御息所(伊勢の斎宮の御母)が物思いの気慰めになるかと、お出かけになっておられたのでございます。簾の下から見える袖口や裳(も)の裾や汗衫(かざみ・平絹)など、その色合いが大層清らかに美しく、誰と知られないようにと、なにげない様子を装っておられますけれど、自然に誰か解ってしまいました。その供人は、
「この御車は決してそのように押し退けなどすべき御車ではありません」と強く言って、手も触れさせませんでしたが、葵の上方の供人は、
「それくらいの者に、とやかく言わせるな。」
「源氏の大将殿の家の権力を頼りに思っているのだろう」等と言い合いになりました。もう、酔った供人たちを止めることは誰にもできません。 葵の上の供人の中には、源氏の大将家の人も混じっていましたので、御息所をお気の毒に思いながらも、その事に気遣うのも煩わしいことなので、知らん顔をしていました。
遂に、葵の上方は、御車を前に立て並べてしまいましたので、御息所の御車は、副車(お供の女房の車)の更に奥に押しやられて、祭りの行列など何も見えません。榻(車止めの台)などもみな押し折られて、その辺のつまらぬ車の支えに寄せかけてあるので、この上なく体裁が悪く、御息所は見物をしないで、すぐ帰ろうとなさいましたけれど、通り出るような隙間さえ無いのです。御息所は、ご不満は勿論の事、この様なお忍びを知られてしまった事が悔しくてなりません。(どうして来てしまったのか……)と後悔しておいでになります時、「行列が来た」と言う声が聞こえました。あの冷淡な源氏の君の行列ですのに、そのお通りが心から待たれますのも、女心の何と弱いことでございましょう。
やがて、行列が御前を通りました。女房どもが我も我もと乗っている物見車の前を、源氏の君は何気ない顔つきでお通りになりましたが、なかには微笑みながら後めにご覧になる御車もありました。特に葵の上の御車は、それとはっきりお判りになりましたので、真面目な表情でお通りになりました。お供の人々も畏まり失礼のないようにお通りになる様子を、御息所はご覧になって、葵の上に圧倒された自分の立場を、この上なく悔しいとお思いになり、
影をのみ みたらし川のつれなきに 身のうきほどぞいとど知らるる
(訳) 影をのみ写して流れる御手洗川のような源氏の君のつれないお振る舞いに
水面に浮かぶうき程度の我が身の儚さがいよいよ思い知らされました。
悔しさに涙がこぼれるのを、人に見られるのもきまりが悪いけれど、目にも眩しいほどご立派な源氏の君のお姿やご容貌を拝見しなかったなら、もっと残念だったろうとお思いになりました。
行列は、供人それぞれの身分に応じて、装束や身なりを立派に整えてありました。中でも上達部は大層素晴らしく目を引きましたが、源氏の君お一人の光輝く美しさには、完全に圧し消されているようでございました。その随身たちも容貌・お姿など眩いほどにご立派でしたが、世間に大切に尊重されておられる源氏の君のご様子は「木草もなびかぬものはあるまい……」と思われるほどでございました。
壺装束(つぼそうぞく)姿の気高い女房たちや、世間と離れている尼などが、人混みに押されて倒れそうになりながら見物に出ているのが、いつもと違って見苦しいと思われましたが、この祭の日には当然のことでした。普段見ることのないつまらぬ受領の娘などでさえ、精一杯飾りたてた御車に乗り、わざとらしく気取っているのも、それぞれに興味深い見物でございました。まして源氏の君がお忍びで通っておられます女性方の中にはで、ご自分がものの数でないことに気付いて、心から嘆いている方も多いようでした。
賀茂祭(かものまつり)の日には、葵の上は御見物をなさいません。 あの御車の所争いについて、源氏の君に詳しく報告申し上げる者がありましたので、源氏の君は御息所を大層お気の毒にお思いになりました。(いつも重々しく落ち着いておられる葵の上が、ものの情けに乏しく、ご自分では大した事ではないとお思いになったのでしょうが、このような間柄では、お互いに情けを交わすべきものを、そうなさらない葵の上の供人が、次々とそのような争いを起こしたのであろう。御息所は大層慎み深く上品でおられますので、どんなにか気落ちなさったことだろう……)と、いとおしくお思いになって、御息所をお訪ねになりました。
「斎宮(姫君)がまだおいでになりますので……」と榊の神事への遠慮を口実に、御息所はご対面もなさいません。源氏の君は当然のこととお思いになりながらも、
「どうしてだろう。そんなに角張らずにおいでになれば良いのに……」とつぶやかれました。
(源氏の君は若紫と祭見物をなさり……)
源氏の君は、今日は葵の上から離れて、二条院においでになりました。祭り見物にお出かけなさろうと、若紫のいらっしゃる西の対屋にお渡りになって、お供の惟光(これみつ)に御車の準備をするようにご命じになりました。
「幼い女房たちよ、出かけるかね……」と仰せになり、若紫が大層可愛らしく着飾っていらっしゃるのを、微笑みながらご覧になっておられました。
「姫君は、私と一緒に見ましょう。 さぁ、いらっしゃい」と、若紫の御髪(みぐし)がいつもより美しく見えるのを優しく掻き撫でながら、
「長いこと御髪をお削ぎにならないようだが、今日は吉日であろうか」と、暦の博士をお呼びになって、髪を削ぐのに良い時刻を占わせなどなさいました。側の童女たちの美しい姿をご覧になりますと、美しい髪の端が雅やかに切りそろえられ、その末(すそ)が浮紋(うきもん)の表袴 にかかっているのが大層可愛らしく見えました。源氏の君は、
「姫君の御髪は私が削ごう」と仰って、切り揃えるのに苦心なさっておられました。やがて削ぎ終えられ、「髪が千尋(ちひろ)まで長くなるように……」と祝言を仰いますのを、乳母(めのと)の少納言は、かたじけないと拝見しておりました。
はかりなき千尋の底の海松(みる)ぶさの 生いゆく末は 我のみぞ見る
(訳) 測ることのできないほど深い海底の海松ぶさのように、
この黒髪の伸びゆく末は,私ただ一人で見守りましょう。
と源氏の君がお詠みになりますと、
千尋ともいかでか知らむ定めなく 満ち干る潮ののどけからぬに
(訳) 千尋までも一人で見守るなどと、どうして信じられましょう。
満ち干る潮のように頼りない貴方様を……
と、幼い姫君は物に書き付けなさいました。歌の詠みぶりは、なかなか洗練されていますが、まだまだ若々しく可愛らしいご様子を、心から愛しくお思いでございました。
今日も一条大路には物見車(ものみぐるま) が隙間もないほど立て混んでおりました。馬場の殿の辺りで御車をどこに止めようかと困っておられました源氏の君は、
「この辺りは上達部(かんだちめ)の車が多くて騒々しい所だ」とためらっておいでになりますと、身分の高い女の車で、御簾(みす)の下からこぼれ出ている袖口から扇を差し出し、源氏の君の供人を招き寄せて、
「ここにお停めになりませんか、私達の車を退かしましょう」と申す女性がおりました。源氏の君は、どういう風流人かとお思いになって、物見車を引き寄せなさって、
「どのようにして、こんな良い場所を手にいれなさったのでしょう。妬ましくさえ思います」と仰せになりますと、
はかなしや人のかざせるあふひ(葵)ゆえ 神の許しのけふを待ちける 注連(しめ)の内には……
(訳) 空しい事でございます。他の女性と逢う貴方ですのに、私は、神も逢うことを
お許しになる今日(葵祭の日)を心待ちにしていましたとは……。
御車の注連縄(しめなわ)の中には私は入れません
しゃれた扇の端を折って書かれたその筆跡を思い出しますと、それはかの典侍 (ないしのすけ・紅葉賀に出逢った老女)でした。源氏の君は驚いて、大人げなく今風に華やいでいる様子を憎らしくお思いになり、
かざしける心ぞあだに思ほゆる 八十氏人(やそじびと)になべてあふひを
(訳) 逢う日を待っていた貴女の心こそ無駄なことです。葵祭の日は
たくさんの人々に逢う日なのですから……
源の典侍は源氏の君を(薄情な方……)と思いました。
源氏の君は御車に女性と同乗して、御簾さえお上げにならないのを、心妬ましく思う女性が多いようでございました。「御禊の日、御行列では素晴らしい御姿でしたのに、今日はすっかりくつろいで女性とお出かけなさいますとは……。源氏の君と乗り並ぶ女性は、一体誰でしょう。怪しい人ではないでしょうね」などと申し上げておりましたが、女性が同乗しておられることに気兼ねして、ちょっとした御歌でさえ、さし上げることを遠慮しておりました。
(御息所はあの御車争い以来……)
御息所は、あの御車争い以来、思い乱れる事が多くなりました。源氏の君を冷淡な方とお諦めになりましたものの(今はもうお逢いするまい……)と想いを振り払って、伊勢に下ってしまうには、あまりにも心細いし、また世間の噂でも物笑いになるだろうと思い患いなさいました。(そうかと言って、この都にとどまると、皆がこのみじめな立場を見下すに違いない……)と思うと、自分の気持がおさまりません。
「私は、伊勢の海で釣りする人の浮きなのでしょうか」と、昼も夜も思い悩んでおいでのせいでしょうか、ご自身の御心気も浮いたように頼りなく思われて、大層お苦しみなさいました。源氏の大将の君は、御息所が伊勢にお下りになることを「あるまじき事」とお思いになり、
「私のようなつまらぬ者にもう逢いたくないと、想いを断ち切るのも無理もないけれど、やはり、何のとりえもない私でも、最後までお付き合いして下さいませんか。今は深い縁があるのですから……」等と、つきまとい申し上げますので、御息所は、伊勢に下る御決心もつきかねておられました。あの日は、そんな心も晴れようかとお出かけになりましたのに、御禊河の荒々しい騒ぎが起こってしまいまして、御息所には、ますます全てが大層辛いものとお思いになったのでございました。
(葵の上は大層お苦しみになり……)
あの日以来、葵の上には、御物の怪が取り憑いている様子で、ひどくお苦しみになりますので、誰もが嘆いておられました。源氏の君は、女性への御訪問ははばかられる時ですので、二条院にも時々お帰りになるだけでした。葵の上がご懐妊というおめでたいことが加わってのお苦しみなので、心痛いほどご心配になり、左大臣邸のご自分のお部屋で、加持祈祷(かじきとう)など多く行わせなさいました。すると物の怪・生霊(いきすだま) などというものが沢山現れてきて、様々の名乗りをする中に、人(憑坐・よりまし)にまったく乗り移らず、ただ葵の上の御身にずっと取りついて、特におどろおどろしくお苦しめするでもないけれど、片時も葵の上から離れることのない物の怪が一つありました。偉い験者(修行者)たちの加持祈祷にも従わず、その執念深さは並大抵のものではないようです。(源氏の君がお忍びでお通いの女性がここかしこにあることですし、この御息所や二条院の姫君などは、特にご寵愛なさっておられるので、葵の上への恨みも深いことでしょう。きっとその物の怪かと占わせなさいましたが、これと言い当てる人もありません。亡くなった乳母や、左大臣家に取りついて伝わる霊が、弱り目につけこんで出てくるなど、次々と何となく現れる程度でした。ただ葵の上は、声をあげてさめざめお泣きになるばかりで、時折は胸を咳あげつつ、大層耐え難く苦しまれますので、左大臣家の人々は大層不安になり、悲しくうろたえておいでになりました。
桐壺院からもお見舞いが絶え間なくあり、ご祈祷のことまでご指示なさる事を、かたじけなく思うにつけても、葵の上の御容態が大層ご心配なこの頃でございました。御息所は、世の中の人が皆、葵の上をご心配なさる噂をお聞きになり、ただならず妬ましくお思いになりました。長い間それほど強くなかった御息所のその妬ましい御心が、あの御車争いのために憎しみに変わった事を、左大臣家の人々は、お気付きにならなかったのでございます。
御息所は、この御心の乱れに耐え難く、ご気分もいつものように平静でないので、よそにお帰りになって、加持祈祷などおさせになりました。源氏の大将はこれをお聞きになって、どんなご様子なのかと、お見舞いにお出かけになりました。そこはいつもと違って仮住まいなので、御息所は大層忍んでおられました。源氏の君は、ご無沙汰しましたことを熱心にお詫びし続けられましたので、御息所もお許しになるほどでございました。さらに、病に臥せていらっしゃる葵の上の心配なご様子をもお話しなさいました。
「私は、そんなに心配してはいないけれど、葵の上の親たちが、大層大袈裟にご心配なさって、途方に暮れておられますので、深刻な時は特に、側で看ていてさしあげようと、外出を控えておりました。どうか嫉妬なさらず、万事お許し下さるような広い心でおられましたら、私としては大層嬉しいことでございます」などお話しなさいました。いつもより心苦しそうな御息所のご様子を無理もなく、お労 しいとお思いになりました。 やがて御息所の心が打ち解けぬままに明け方になりました。お帰りになる源氏の君のお姿の素晴らしさをご覧になり、御息所は(やはりこの方から離れられない……)と心から思い直しなさいました。
ご懐妊により、大切な葵の上にますます愛情が加わるのも当然で、源氏の君の想いが、葵の上ひとりに落ち着きなさる頃に、こうして君のお通いをお待ち申し上げるのも辛い事でございます。夕暮れになって、源氏の君への想いが呼び覚まされる気持がなさっているところに、源氏の君からのお手紙だけが届きました。
「このところ、葵の上には少し病状がおさまっていたのですが、再び急に大層お苦しみなさいますので、座を立ち去る事が出来ず、今夜そちらに伺えません……」とありますのを、御息所はいつもの口実とご覧になりながら、
袖濡るるこひじとかつは知りながら 下り立つ田子のみづからぞうき
(訳) 袖が涙で濡れる恋路と知りながら、泥田(こいじ)に
下り立った農夫のように悲しい身の上です。
筆跡は、やはり幾多の女性より格別に優れておりました。源氏の君は(男女の仲とは誠に難しいものだ……)とお感じになりました。気立てもご容貌も素晴らしく、見捨てる事はできないのに、正妻にと決めることもできないことを、心苦しくお思いになりました。御息所への返歌は、大層暗くなってからになりましたが……
浅みにや人は下り立つ わが方は身もそぼつまで深きこひぢを
(訳) 貴女は浅い所に下りた程度でしょう。
私は身も濡れるほど深い泥 (恋路)に入っていますのに……
葵の上のご病状が重くなければ、このお返事を私が自ら出向いて申し上げましょうに……」と書かれていました。
葵の上には御物の怪がひどく起こって、大層お苦しみでございました。御息所は、
「この正体は、御息所の御生霊 か、父大臣(ちちおとど)の御霊だ」という噂を御息所はお聞きになり、(我が身の不幸を嘆いても、他人を悪しかれと願う心などは決して無いけれど、物思いが余りにも深いために、自分の魂が身体を離れてさまよい出て、葵の上にとりつくことはあるかもしれない……)と思い当たるようでございました。ここ数年来、万事に思いの限りを尽くして過ごしてきましたけれど、これ程強く思い患うことはありませんでした。 あの御禊の日、ちょっとした御車争いの事件の時に、葵の上が私を無視して、ないがしろに扱ったために、理性を失った自分の心を鎮め難いとお思いになるためでしょうか。少しうとうとなさいますと、魂が身体を離れ、あの美しい葵の上のところへ行き、荒々しく姫を突きまわし、乱暴にかきむしりなどする姿を、幾度も夢に見ることがありました。御息所は(あぁ情けないことよ。本当に私の魂が身体を棄てて抜け出し、葵の上の所へ行ったのだろうか)と正気を失ったようにお思いになりました。まして興味本位に人の噂になるだろうかとお思いになると、(こんな評判が立つのは大層困ったことだ。この世から亡くなって後に、御霊になって恨みを残すのが世の常ですのに、生きている我が身ながら、そんな不快な噂を言いたてられるとは、何と辛い運命なのか。それでさえ、生霊とは罪深く恐ろしいことですのに…… 。すべて源氏の君とのことを思い患いすぎてのことなのですから、もうこれ以上、思うまい)と心にお決めになりました。
斎宮(御息所の姫君)は、昨年の秋 内裏にお入りになるはずでしたが、様々に支障があり、ようやく、この秋にお入りのようでございます。九月(ながつき)にはそのまま野宮(ののみや)にお移りになりますので、二度目の御禊(みそぎ)の準備が行われる時ですのに、母君の御息所はただぼんやりした様子で臥したまま、物思いに悩んでおられますので、斎宮の宮人はこのご病気を重大事として、ご祈祷などを様々なさいました。御息所は重病というほどのご様子ではなく、何となく月日をお過ごしになりました。源氏の君は、いつもはお見舞いをなさるのですが、ずっと大事な方(葵の上)が大層お苦しみになりますので、お心の休む暇もないようでございました。
まだ、葵の上のご出産の時期でもないと、左大臣家の人々は、皆、油断なさっておられましたところ、急にお苦しみなさいましたので、前より一段と効き目のあるご祈祷を、数を尽くして行わせなさいました。いつものように執念深い御物の怪が一つ、葵の上のお身体から全く離れようとしません。尊い修行者たちが、珍しいことと困り果てておりました。それでも、さすがに強く祈り伏せられた様子の時、葵の上は辛そうに泣き苦しんで、
「少し、お祈りを緩めて下さい。源氏の君に申し上げたいことがございます」と仰いました。そこで源氏の君を御几帳の側にお入れしました。葵の上は、すでに命の限り(最期)のご様子で、言い残しておきたいことでもあるのだろうかと、父大臣も母宮も少し後ろに退きなさいました。加持祈祷の僧たちが声を静めて法華経を読む様子は、大層尊いものでございました。
御几帳(みきちょう)の帷子(かたびら・生絹)を引き上げて、源氏の君は葵の上の寝台にお入りになりました。葵の上はとても愛らしげで、臨月のお腹は大層高くふくれていて、他人(よそびと)でさえこのお姿を見たら、心乱れるに違いないと思われるほど美しうございました。まして源氏の君が、妻・葵の上を亡くすのは大層惜しく、悲しいとお思いになるのは当然でございました。葵の上は白い御衣(おぞ)をお召しになり、色合いも鮮やかに長い御髪を引き束ねていらっしゃるところに、愛らしげで上品な感じも加わって、誠に可愛らしいご様子でした。源氏の君は葵の上の手をとって、
「何と悲しいことよ。私を辛い目に遭わせるのですね……」それ以上何も申し上げることが出来ずに、お泣きになりました。葵の上は、いつもはわずらわしく気詰まりな源氏の君の眼差しを、大層だるそうにじっと見つめなさいました。その内に頬にこぼれ落ちる涙を、源氏の君はご覧になって、(二人の間に、より一層深い愛情が、どうして湧かずにいられようか……)とお思いになりました。
葵の上があまりにもひどくお泣きになりますのを(心辛き親たちのことをお想いになってか……、また、これを最期と見つめあっている二人を心残りに思っていらっしゃるのか……)と、源氏の君はお思いになって、
「何事もあまり深く思い込まないで下さい。それほどひどいご容態になることはないでしょう。
どういうことになっても、夫婦は必ず後世で逢う機会があるそうですから、きっと又お目にかかれましょう。父大臣・母宮など、前世から深い縁のある間柄ならば、なおさら後世になっても、その縁は絶えることなく、きっと逢うときがあると信じて……」とお慰めになりますと、
「そうではないのです。私の身体が大層苦しいので、しばしご祈祷を緩めてほしいとお願いしようと、貴方様をお呼びしたのです。 私がこのように参上しようとは……、物思いをする人の魂は、本当にさまよって来るものでございますよ……」と、なぜか親しげに仰って、
なげきわび空に乱るるわが魂(たま)を 結びとどめよ下がひのつま
(訳) 嘆きに堪えかねて空をさまよう私の魂を着物の褄をむすんで結び留めてほしい。
と唱う声や気配が、葵の上その人でなく、他の人に変わってしまいました。 源氏の君は大層驚き、奇怪な事と思い巡らしなさいますと、その声はまさしくあの六条の御息所のものでございました。今まで源氏の君は、周囲の人があれこれ「生霊 」(いきすだま)のことを言うのを、耳ざわりな事とお思いになり、それらを打ち消しておられましたのに、今まざまざと生霊をご覧になって、世の中にはこういう事があるものだと、大層不快になられました。全く嫌なこととお思いになって、「そう言う貴女は、一体誰なのか……私には分かりません。はっきり名乗って下さい」とお仰せになりますと、六条の御息所その人でございました。葵の上にお仕えしている女房たちがお側近くに参上し、御息所の生霊と気付かれまいかと、源氏の君は大層気まずくお思いになりした。
(葵の上は男御子をご出産になり……)
物の怪についた声も少し静まりましたので、苦しみから一時放れていらっしゃるご様子かと、母宮が御薬湯を持って、葵の上のお側にお寄りになりました時、葵の上は人に抱き起こされなさって、まもなく、ご出産なさいました。皆この上なく嬉しくお思いになりましたが、人(憑坐・よりまし)に乗り移っていた物の怪どもが、出産を妬ましがって大騒ぎをする様子は実に騒々しく、後産のことがまた、大層心配と思われました。言い表せない程のご祈祷をおさせになったそのせいでしょうか。後産も無事終わりましたので、比叡山の座主(主席の僧)をはじめ尊い僧侶たちが、得意顔で汗を拭いつつ、退出いたしました。多くの人が心を尽くして看病した日頃の苦労の甲斐があってか、今はもう大事にはなるまいと思われました。御修法(みずほう・加持祈祷)などを、また始めさせなさいましたが、まずは生まれた若君のお世話に気をとられ、皆、気がゆるんでほっとしておりました。桐壺院をはじめとして、親王たち・上達部が、皆、産養 (うぶやしない・産後の祝宴)に心惹かれる様子で、夜毎に騒ぎ立てておりました。ましてや男の御子(みこ)でございますので、その宴の作法は格別におめでたく賑やかでございました。
あの六条の御息所は、この様子をお聞きになり、心穏やかではいられません。かねてより葵の上の御容態が大変危ういと聞いていましたのに「ご安産とは……」と恨んでおいでのようです。不思議なことに、自分が自分でないような御心地がすることに加えて、御衣(おぞ)などに芥子(けし)の香(魔除けの祈祷で炊く香)が染みついているので、髪をお洗いになり、御衣を着換えなどなさるのですが、やはり同じように芥子の香がしますので、我が身ながら気味悪くお思いになられました。まして世間の評判になることを思うと、まさか自分から口に出すこともできず、心ひとつに納めて思い悩んでおられましたので、ますますお心の乱れが勝り行くこの頃でございました。
源氏の大将の君は、葵の上のご安産で、ひとまずお気持をお静めになりましたが、驚くばかりであった、あの時の御息所の生霊のことを思い出され、長くご無沙汰してしまった事も心苦しいので、御息所にお逢いしなければ……とお思いになりました。とはいえ、間近にお逢いするのは嫌なことと、お手紙だけをお届けになりました。
ひどくお苦しみになりました葵の上のご病状も大層心配で、誰もが油断は出来ないと思っておられる頃ですので、源氏の君は、女性へのお忍び歩きもなさいません。葵の上はなお苦しそうにしておられまして、源氏の君とまだご対面もなさいませんが、若君が誠に可愛らしく見えますので、心から大切にお世話なさる様子が、並一通りではありません。左大臣も、万事思い通りの心地がして、嬉しく素晴らしい事と思っておられるのですが、ただ葵の上のご容態がすっかり良くならないのを、心もとなくお思いになって(あれほどひどくお苦しみの後だからなのだろう。どうしてそんなに心配することがあろうか……)と自らを慰めておいでになりました。若君の御眼差しの可愛らしさが、春宮に大層似ていますのをご覧になり、源氏の君は、まず藤壷の中宮を恋しく思い出しなさいまして、耐えられず、逢いに行こうと思い立ちなさいました。
「宮中などにも、久しく参上していませんので気がかりです。今日こそ宮中へ参りますが、その前に葵の上に、もう少し間近でお話し申し上げたいものです。葵の上の御心の隔てが余りにも心配で……」と、お恨み申し上げますと、女房たちも「本当に、ただ気取りあう仲でもないものを、御身体がひどく衰えなさっているとは申しながら、御几帳越しのご対面などであってよいものか」と、葵の上の臥しておられます御寝所近くに、源氏の君の御座(おまし)をお作りしましたので、源氏の君は御几帳の中にお入りになって、お話しなどなさいました。葵の上は時々お話をなさいますが、やはり大層弱々しげでいらっしゃいました。けれど、全く亡き人になられると思われた頃を思い出しますと、源氏の君には夢の心地がなさいました。ご重態の頃、まるで息も絶えてしまったご様子でしたのに、急に変わって、生霊がとりついてお話しなさった事を思い出しますと、大層嫌な気がして「いや、申し上げたい事は多いのですけれど、まだ大層辛そうにいらっしゃいますので……」と仰せになって、「御薬湯をお飲みなさい」などとお気遣いをなさいますので、女房たちは「いつの間に、こんなことにお慣れになったのだろう」としみじみと感慨深く思っておりました。
大層愛らしい葵の上が、ひどく衰弱なさって、生きているのか死んでいるのかも判らない状態で臥しておられますご様子が、源氏の君には大層いとおしく、心苦しく感じられました。御髪の乱れが一筋もなく、はらはらとかかっている枕の辺りが、誠に美しく見えますので(長い間、何が不満で、葵の上を物足りなく思っていたのだろう……)と、今は不思議なほど強く心惹かれて、葵の上を見守っておられました。「父院に参上して、すぐ退出してまいります。今までもこのように親しくお逢いする事ができたなら、どんなに嬉しかったでしょう……。母宮がずっと付き添っておられましたので、思いやりがないと思われまいと遠慮しておりました事も後悔されます。どうか今一層、気をしっかりお持ちになって、いつものお部屋で貴女とお逢いしたいものです。きっと貴女が余りにも子供のようにお振る舞いになりますので、このようにご病気がなかなか直らないのですよ……」と申しおきなさって、大層美しい装束をお召しになって、院にお出かけになりました。葵の上は、いつもよりずっと目をお留めになって、源氏の君をお見送りなさり、愛らしく臥せておいでになりました。
(遂に、葵の上はお亡くなりになり……)
秋の司召 (つかさめし・京官任命の儀式)が行われることになっていましたので、左大臣も参内なさいました。
自分の功績を申し出て昇進をお望みになる親王たちも皆、左大臣に続いてお出かけになってしまいました。
邸内に人が少なくなり、ひっそりしている時、葵の上は急にいつものように御胸を咳あげて、大層ひどくお苦しみなさいました。内裏にお出かけの源氏の君や左大臣にお知らせする暇もなく、息も絶え、お亡くなりになりました。内裏では、誰もが驚き慌ててご退出なさいました。任官式の夜なのですが、このように突然の御支障のため、宴はすべて中止となりました。ご逝去が真夜中でしたので、比叡山の座主(ざす・主席の僧)や他の僧都たちも、お招きする事ができませんでした。今はもう心配あるまいと思って、気をゆるめていたところに、余りにも思いがけない事なので、左大臣邸内は大騒ぎになりました。御物の怪が、葵の上の御心に取り憑いたかと、御枕などもそのままに、ご様子を見守りましたけれど、次第に御姿が変わり、死相がでるようでしたので、もう御最期と諦める頃には、皆、大層深い悲しみにくれておられました。
源氏の大将殿は、悲しいことに添えて、世の中の全てを大層辛いこととしみじみお思いになりました。深い関係の方々からの御弔問なども、かえって辛くお思いでございました。桐壺院におかれましても大変お嘆きになり、御弔問下さいましたので、父大臣にとっては、この不幸により、かえって面目を施すこととして、悲しい中にも威厳を誇示できる嬉しい事も交えて、御涙の絶える暇もありませんでした。人のお勧めに従って、もしや生き返りなさるかと、盛大なご祈祷などを様々に心残りなくおさせになる一方、葵の上のご遺体が損なわれて行くのをご覧になりながら、尽きることなく思い悩まれましたが、その甲斐もなく数日がたち、鳥辺野に御遺体をお移しもうしあげる折には、皆しみじみと悲嘆にくれておりました。あちこちから訪れる御葬送の人達や、寺の念仏僧などで、鳥辺野の広い野原に少しの隙間もありません。院は申し上げるまでもなく、藤壷の中宮・春宮の遣いなどや、各地からの人々も参上して、名残惜しく悲しい御弔辞を申し上げました。左大臣は深い悲しみに立ち上がることもできません。
「こんな老年の末に、若く盛りの子に先立たれて、悲しみに這い回るほどでございます」とお泣きになりますのを、居合わせた人たちは、悲しく同情申し上げました。一晩中、大変な騒ぎの葬儀でありましたが、夜明け前に、誠に儚い御遺骨(かばね)をあとに、御邸にお帰りになりました。
八月二十日過ぎの有明月の頃、空の様子もしみじみと哀れな様子に、今も左大臣が大層取り乱しておられますのをご覧になり、源氏の君は無理もないことと誠に悲しくお思いになり、空を眺めながら、
のぼりぬる煙はそれと分かねども なべて雲居のあはれなるかな
(訳) 亡き葵の上を火葬にふして、立ち昇った煙はどこに流れたのか。雲に交じって
空の様子がしみじみあわれに感じられる
源氏の君は左大臣邸にお着きになっても、少しもお眠りになれず、ここ数年の葵の上の愛らしいご様子を思い出されて、(いつかはきっとわが気持ちを分かっていただけようか……)と、のどかに考えて、気まぐれな浮気などをして、葵の上を苦しめるような事をなぜしたのだろうか、夫婦として過ごしながら、打ち解けず心の隔てをおくまま亡くなってしまわれたのか……)と、深く後悔なさいましたが、今となっては、何ともその甲斐もないことでございました。
源氏の君は、鈍色(みびいろ)の御喪服をお召しになっていても、まだ信じられない心地がして(もし私が先立っていれば、葵の上は喪服の色をもっと深い色にお染めになっただろうに……)とお思いになり、
限りあれば薄墨衣 (うすずみごろも)あさけれど 涙で袖を淵となしける
(訳) 喪のきまりがあるので、私の喪服は色が薄くて愛情も薄いようだが、
私の悲しみは大層深く、涙が袖を深い淵の色にしたのです
御念誦(おんねんず・経文を唱えること)なさる源氏の君のお姿は、大層優美さが加わり、「法界三昧普賢大士」(ほうかいざんまいふげんだいし)をひそかにお唱えになるご様子は、勤行に馴れた法師よりもずっと尊く勝っておりました。
源氏の君は若君を見申し上げなさっても、「何によって亡き葵の上を忍ぶのか……」と大層涙を流され、(もしもこのような形見さえも無ければ、どんなに苦しいものか……)と思われ、少し御心をお慰めになりました。 母宮は悲しみに沈んで、そのまま起き上がりもなさらず、お命さえ危うげに見えますので、皆はまた大騒ぎして御祈祷などおさせになりました。
月日も空しく過ぎ行き、左大臣邸では御法事(わざ)の準備などおさせになるにつけ、思いがけない葵の上の御逝去は、尽きることなく悲しいことでございました。たとえ未熟な子でさえ、人の親というものはどれほど愛情深く思っているものだろうか。ましてや素晴らしい姫君の死を惜しむのは当然のことでございましょう。また左大臣家には、他に姫君がおられませんので、袖の上の玉が砕けたよりも、なお悲しいことでございました。源氏の大将の君は二条院に、ほんの少しの間でさえもお帰りにならず、しみじみと心の底から葵の上をお慕いになり、お嘆きになって、勤行を誠実になさって日々お暮らしになりました。あちこちの忍び通いの女性には、お手紙だけを差し上げなさいました。
あの御息所は、斎宮(姫君)が左衛門府(さえもんふ・宮中の初斎院)にお入りになりましたので、大層厳粛な御潔斎(心身の清め)を理由に、お手紙さえもなさいません。源氏の君は父院が御譲位なさってから、辛いものと思い込んでしまわれた世の中を、葵の上の亡くなられたことで、すべて嫌になられ、(若宮という絆 (ほだし・足手まとい)さえなかったら、自ら願って出家姿にもなろうものを……)と、お思いになりました。
ある時、西の対屋(たいのや)の若紫が、寂しくお過ごしになっている様子を思いやりなさいました。夜は御帳の内で独り寝なさるのですが、宿直の女房たちが近くにお仕えしているとはいえ、大層寂しくなられ「この寂しい秋に……」とお寝みになれません。更に、声の優れた僧を集めて、夜念仏を近くで唱えさせますので、明け方などはしみじみと悲しくいらっしゃいました。
(菊の枝に青鈍色の手紙を結びつけて……)
源氏の君は慣れぬ独り寝に、「晩秋の風の音は哀れさ深まり、身に染みいるものだ……」と、秋の夜長を明かしかねておられましたところ、夜明けの霧立ちこめる頃、今にも咲きそうな菊の枝に濃い青鈍色(あおにびいろ)の紙の手紙を結びつけて、誰かが置いて帰りました。源氏の君は、
「今風の粋なことをするものよ」とご覧になりますと、御息所の御筆跡でございました。
「長くお便り申し上げなかった間のことは、ご推察くださっておられましょうか。
人の世をあはれときくも露けきに おくるる袖を思いこそやれ
(訳) 人の世の無情を聞きましても、菊に露が下りるように涙がこぼれます。
まして残された貴方様の袖は涙で濡れていることとお察し申し上げています
ただ、この美しい朝の空に、私の胸に思い余ることがございます」とありました。いつもより優美にお書きになったようで、源氏の君もさすがに丁重な気持ちでご覧になりますものの、(生霊 となって現れたのに、何とつれないお悔やみだ)と、憎らしくもお思いでございました。とは言っても、すっかり絶えてお便りしないのも気の毒にお思いになり、御息所のお名前に傷が付いてしまう事になろうか等と、思い乱れなさいました。(亡き葵の上は、いずれそうなる運命でおられたのでしょう。しかし、どうして私の目の前に生霊のようなものが、まざまざとはっきり現れてしまったのであろうか)と悔しくお思いになるので、やはり御息所へのお気持を改める気にはなれないようでした。 斎宮の御潔斎にも障りがあろうかなどと、長い間思い患いなさいましたが、わざわざ下さったお便りにお返事をしなくては情けなかろうと、
「長くご無沙汰してしまいました。いつも心にかけておりましたが、喪中ですので、遠慮申し上げておりました。
とまる身も消えしも同じ露の世に、心おくらむほどぞはかなき
(訳) 後に残された身も亡き者も同じです。はかない露のようなこの世に心を残すのは、
空しい事です
御息所は里のご自邸におられましたので、忍んでお読みになりましたが、源氏の君が生霊のことを暗示しておられますのを、はっきりとご理解なさって、「やはり、ご存じだったのか……」と、御心を責めておられますのも、大層辛いものでございました。御息所は(このような噂がたてば、桐壺院にはどのようにお思いになるでしょうか。この斎宮の姫君の御事を心を込めてお願いしました時に、院は「私が亡き皇太子の御身代わりとして、今後もお世話申し上げよう。これからもずっと宮中にお住みなさい」と仰せ下り、大層畏れ多く思いましたのに、今は亡き前皇太子と同じ母を持つ兄弟である源氏の君を、大層お慕い申し上げ、このように年に似合わぬ若々しい恋をして、ついには、いやな噂を流してしまいそうだ)と大層思い乱れておいでになりました。
とはいえ、御息所は奥ゆかしく趣味も深い方と、昔から評判ですので、野宮へお移りになりました折にも、素晴らしく現代的な催し物を多くなさって、殿上人の風流好みの人たちは、朝夕の露のおりた草原を踏み分けて、野宮にお通いになりました。それをお聞きになり、源氏の君は(それは無理もないことよ。嗜 (たしなみ) は飽きるほど身につけておいでになる方だから……。もし、世の中に飽き果てて、伊勢にお下りになってしまわれたら、さぞ寂しくなることだろう)と、やはり残念にお思いでございました。
(葵の上の御法事なども済み、頭中将が……)
葵の上の御法事などは過ぎましたが、正日 (しょうにち・四十九日)までは、なほ源氏の君は邸に篭もっておられました。慣れぬ退屈な日々を、気の毒にお思いになって、頭中将(葵の上の兄)はいつも源氏の君のお側においでになりまして、世の中の物語など、真面目なことや、またいつもの浮気めいた話などをしてお慰めいたしましたが、そんな時、かの源典侍 (みなもとのないしのすけ)のことがお笑いになる話のタネになるようでした。源氏の君は「気の毒なことよ、あのお婆さまのことを、そんなに軽く見てはいけないよ」と、お諌めになりますものの、いつも可笑しくお思いになりました。また、あのおぼろげな十六夜(いざよい)の月の夜のこと等、種々の浮気話などを、お互いに隠さずお話しになりましたが、果ては無情な人の世を嘆いて、ついお泣きになる等なさいました。
時雨が降って、ものあわれな夕暮れ時、頭中将が鈍色(にびいろ)の直衣(のうし)の指貫(さしぬき)を色の薄い喪服に着替えて、誠に男らしく鮮やかに、見る者が気後れするほど立派なご様子で、源氏の君のところに参上なさいました。源氏の君は西側の妻戸に近い欄干に身を寄せかけて、霜枯れした庭の植え込みをご覧になっておられました。風が荒々しく吹いて、時雨がさっと吹き込む情景は、涙が雨と競っている様な気持がして、「愛しい葵の上は雨となり雲となってしまったのであろうか。今は分からない……」と独り言を言いながら頬杖をついておられるお姿を、頭中将はご覧になって(もし自分が女性で、この君を残して亡くなることになったら、魂はきっとこの世に留まるだろう……)と色めいた気持でじっと見守りながら、源氏の君のお側にお座りになりますと、源氏の君は無造作にくつろいだお姿のままで、直衣の紐だけお直しになりました。源氏の君は今少し色の濃い夏の御直衣に、紅のつややかな下襲 をお召しになって、少しやつれてしまわれたご容貌がかえって美しく見えました。頭中将も大層悲しい眼差しで、空を眺めておいでになりました。
雨となり時雨る空の浮き雲を いづれの方とわきてながめむ
(訳) 雨となって時雨を降らせているのだろう。空にわく浮き雲のどれを
亡き妹・葵の上の魂とながめようか
その独り言をお聞きになって、源氏の君はお返しになりました。
見し人の雨となりにし雲居さへ いとど時雨にかき暮らす頃
(訳) 亡き妻の魂が、雨となってしまった空をみつめ、涙を流して暮らす今日この頃です
この御歌を見て、源氏の君の葵への想いが大層深いことがはっきり分かりますので、頭中将は、
(不思議なものだ。長い間、葵の上をさほど深く想っておられない様子で、院などが大層気をもまれ、父左大臣の丁重なおもてなしもかえって気の毒に思われました。源氏の君は気が進まないながらも、夫婦として過ごしておいでになるのだろうと思っていましたのに、実は、葵の上を尊い正妻として、こんなにもご信頼なさっておられたとは……)と、葵の上のご逝去をいよいよ口惜しくお思いになりました。万事につけて、源氏の君は光が消えてしまった気持がして、ひどく気落ちしておられました。 頭中将がお帰りになりました後に、霜枯れした庭の下草の中に、竜胆(りんどう)や撫子(なでしこ)などが咲き出しているのをご覧になり、家来に手折らせなさって、若君の乳母(めのと)である宰相 (さいしょう)の君を母大宮のところにお遣わせになりました。
草枯れのまがきに残る撫子を 別れし秋の形見とぞ思う
(訳) 草枯れの垣根に残った撫子のような若君を今は亡き妻の形見と思っています。
若君の無邪気な笑顔がとても可愛らしくございました。風が吹くだけでも散る木の葉より、母宮は涙がこぼれやすい頃ですのに、さらにこのお手紙をご覧になって、御涙を堪えることはお出来になりませんでした。
今も見てなかなか袖を朽すかな 垣は荒れた大和撫子
(訳) 今逢っても、かえって涙で袖を朽ちさせるでしょう。垣根の荒れた大和撫子(若君)
(左大臣は大層悲しまれ……)
日も暮れ果て、御殿油(おとなぶら・灯火)をお側近くに灯させて、源氏の君は、主な女房だけを集めて物語などおさせになりました。中納言の君という女房は、長年の間源氏の君が忍んでご寵愛なさったのですが、この服喪の間は、特にそのような男女のことにはお避けになっていましたのを、亡き葵の上への悲しみのせいと推察申し上げておりました。源氏の君は普通の世間話等をなさって、
「こうして何日もの間、葵の上が在りし頃から、皆と慣れ親しんできたのに、これからはここに来ることもなくなり、いつものように皆と一緒に過ごすことがなくなるので、恋しくなることだろう」と仰せになりましたので、女房たちは皆泣いて、
「今さら言う甲斐もない事ですが、源氏の君がこの左大臣邸をお離れになることを思いますと……」と、もうこれ以上申し上げることができません。源氏の君は女房たちを哀れにお思いになって、
「女房たちは亡き葵の上を忘れないで、寂しさに堪え、幼い若君(夕霧)を見捨てずにお仕えしておくれ。葵の上のいた頃の名残もなくなり、仕えていた女房も離れていってしまったら、この邸との関わりもますます薄れてしまいましょう」等と仰せになりました。これからはますます源氏の君の訪れが疎遠になることを考えますと、女房たちは大層心細く思いました。大殿(左大臣)は葵の上のはかないお道具類や御形見となるべき物などを、女房たちの身分に応じて、大袈裟にならぬように取り計らってお配りになりました。
源氏の君は(いつまでも物思いにぼんやりして過ごしていられようか……)と、今日は院に参上することになさいました。御車を引き出していますと、女房たちが集まってきました。別れを知っているかのように時雨が降り注ぎ、木の葉を吹き散らす風が急に吹いてきましたので、御前にお仕えする人々は大層心細く、少し涙が乾く暇もあった袖がまたすっかり濡れてしまいました。今日で源氏の君のおいでが途絶え、門を閉じるのだろうかと、左大臣邸の人々は皆、この上なく悲しくなりました。左大臣も母大宮も今日の情景をまた新たに悲しくお思いになりました。
源氏の君は母大宮にお手紙を差し上げなさいました。「父院が気がかりだと仰せになりますので、今日、内裏に参上いたします。ほんの少し外出いたしますが、この悲しみのなかでさえも、今までよく命長らえてきたと心乱れております。直接ご挨拶申し上げますのもかえって辛い事ですので、そちらに参上もできません」とありますので、母宮は涙で目も見えないほど悲しみに沈ずまれ、お返事もなさいません。やがて左大臣が、涙を拭く御袖を顔からお放しにならないまま、耐え難い様子でおいでになりました。お側で見ている女房たちも大層悲しうございました。
源氏の大将の君は無情な人の世を思い、お泣きになるご様子は、しみじみと哀れに心深く感じられ、誠に美しく優雅なご容姿でございました。左大臣はしばらく躊躇いなさって、
「年を重ねますと、涙もろくなるものですが、まして涙の乾く暇もなく思い乱れている心を、落ち着かせることができませんので、院などにも参上できません。なにかのおついでに、そのように院に申し上げて下さい。余命幾ばくもない老いの末に娘に先立たれたのが辛うございます」と強いて思いを静めておられました。源氏の君も涙の流れる鼻をお拭いになって、
「先立たれるとか、後に残るとかいう人の命の無情は、世の常と分かっておりますものの、実際にそうなって感じられる心の悲しみは、他に比べようもありません。父院にも、きっとお分かりいただけることでしょう」と申し上げました。左大臣も、
「それでは時雨も止みそうにありませんので、日の暮れぬうちに……」と急き立てなさいました。源氏の君があたりを見回してご覧になりますと、御几帳の後ろや開け放たれた障子の向こう側などに、鈍色の喪服を着た女房たちが集まって、大層心細げに涙を流しておりますので、誠にしみじみ悲しく、胸がつまる思いがなさいました。左大臣は、
「貴方様が決して見捨てることのない若君(夕霧)も、この邸に残っていらっしゃいますので、姫は亡くなりましたが、何かのおついでにお立ち寄り下さらないはずはないと、女房たちを慰めておりました。けれども心ない女房たちは(今日を限りに、源氏の君がこの古里を見捨ててしまわれるのでは……)と気落ちしております。源氏の君が葵の上と、ここでくつろがれることはありませんでしたが、いつかは睦まじくなられると、空しい希望を持たせてしまいまして、今となっては本当に心細い夕暮れとなりました」と言って、またお泣きになりました。
「誠に、いつの日か葵の上に私の想いを分かっていただけようと考えておりました頃には、ご無沙汰する折もありましたが、今は何のご無沙汰する理由がありましょうか。今にお分かりになりましょう……」と御退出なさいました。
左大臣はお見送り申し上げて邸にお入りになりました。お部屋の様子も、葵の上存命の頃と何も変わっておりませんでしたけれど、主の居ない部屋は、まるで蝉のぬけがらのように空しい様子でございました。 源氏の君が御帳の前に御硯など散らかして、手習いなさっておられました時、しみじみ情感の深い古歌を書き散らしては書き棄てなさいましたものを、左大臣は手にとって、涙を絞ったような目でご覧になり、(見事な御筆跡でございます……)と、しばらく空を仰いで物思いにふけっておられました。これからは、源氏の君に他人としてお逢いするのが惜しいのでございましょう。
「昔の机、昔の夜具、今は誰と共にか……」と古歌の書かれたところに、
亡き魂ぞいとど悲しき 寝し床のあくがれがたき心ならひに
(訳) 亡き妻の魂がますます愛しく想えます。共に寝た床が離れ難く思われますのが
常でしたから
また、「霜の草が白い」という詩句のところに、
君亡くて、塵積もりぬるとこなつの 露うち払ひ いく夜寝るらむ
(訳) 貴女が亡くなって塵の積もった床に露(涙)を払いながら 幾夜寝ったことでしょう。
先日、源氏の君が母大宮にお贈りになった花が、すっかり枯れて交じっておりました。
左大臣はこの歌を大宮にご覧にいれて、
「今さら言う甲斐のないことですが、このように悲しいことは世間には無いでしょう。この世で子供との縁が長くないことも、葵が親の心を乱すことも全て宿命だったのだろうと、悲しみを鎮めていましたのに、日がたつにつれ娘恋しさに耐え難く、その上、この源氏の大将の君が、今を限りに他人におなりになるのが誠に残念に思われます。生前、源氏の君が一日二日(ひとひふつか)もお見えにならず、お通いが途切れがちだった頃さえ、物足りなく胸が痛く思われましたのに、朝夕の光を全て失っては、どうしてこの世に長生きできましょうか」と声を忍ばれずお泣きになりますと、御前にお仕えしていました年配の女房なども、大層悲しく一斉に泣き崩れてしまいました。 若い女房たちは、
「左大臣の仰せになりましたように、若君をお世話もうしあげて、いっそ私達の心の慰めにしようと思うのですが、それにしても若君は誠に儚いほどの御形見でございます」等と語り合って、しみじみ胸打たれる寒い夕暮れでございました。
源氏の君が院に参上なさいました。すっかり面やつれなさり、服喪のため精進で日々過ごしておられました為かと、父院は心苦しくお思いになって、御前でお食事をおとらせになって、あれこれお世話をなさいますご様子は、しみじみと身にしみて、畏れ多いことでございました。
藤壷の中宮の御方に参上なさいますと、女房たちは皆、懐かしがっておいでになりました。中宮は王命婦 (おおのみょうぶ・藤壷の側近の女房)を介して、
「思い尽きせぬ悲しみでございますが、日が経つにつけても、いかにお寂しいことかとお察し申し上げておりました」と、御言葉をお伝えになりました。源氏の君は、
「世の中の無情を知っているつもりでしたが、間近で見ますと、辛いことのみ多くて思い乱れました。度々のお便りによって私の心を慰め、今日まで何とか生き長らえてまいりました」と申し上げて、このように悲しい時でなくてさえ、藤壷の宮に対して抱いている切ない想いに、誠に心苦しいご様子でございました。無紋の礼服の御衣をお召しになり鈍色の御下襲 (したがさね)に冠の纓(えい・絹布)を巻いて地味になさった御姿は、華やかな装いよりも、ずっと優雅でございました。源氏の君は、
「春宮にも久しくお逢いしていないのが大層気がかりで……」などと申し上げなさって、夜更けてご退出なさいました。
(悲しみの中、源氏の君は二条院にお帰りになり……)
二条院では、各お部屋を清め磨き立てて、源氏の君のお帰りをお待ち申し上げておりました。身分の高い女房たちは、皆参上なさいまして、我も我もと立派な装束をお召しになり、化粧をしておられますので、あの左大臣邸で悲しみにしおれていた女房たちの有様がしみじみと哀れに思い出されました。源氏の君は喪服を脱ぎ、御装束をお召し替えになりまして、若紫のいる西の対屋にお渡りになりました。更衣 (ころもがえ)の御道具などが明るく鮮やかに見えて、美しい若女房たちや女童(めわらわ) の服装やお姿もすっきり整えられていますので、(少納言のお世話振りが万事に行き届いていて、何と奥ゆかしいことよ)とご覧になりました。
姫君はとても可愛らしくきちんと装っておいでになりました。
「久しくお逢いしなかった間、本当に大人っぽくおなりになりましたね」と仰って、小さい御几帳(みきちょう)の垂れ布を引き上げてご覧になりますと、姫君はちょっと横を向いて、恥ずかしそうに微笑まれたご様子は誠に愛らしく、灯影(ほかげ)に見る横顔や御髪などは、あの心の限りを尽くしてお慕いする藤壷の中宮に違うところなく美しく、すっかりご成長なさったことを、大層嬉しく思われました。そして姫君のお側にお寄りになって、お逢いできずに気がかりだった頃の事などをお話しなさって、
「これからの事をゆっくりお話ししたいのですが、今は忌み慎むべき時なので、しばらく別の所で休んでから又参りましょう。これからは絶えずお逢い出来るでしょうから、嫌というほどになりましょう……」とお話しなさいますと、少納言は嬉しく聞きながらも、やはり不安にお思いで、(源氏の君は 高貴なお忍び相手の女性と多く関わり合いをなさっておられますので、また葵の上の代わりとして、外にお通いになるのでしょう)と心配しているのでございました。
源氏の君はご自分の部屋においでになって、中将の君 (女房)に足などを揉ませなさってお寝みになりました。 翌朝、若君のところにお便りをなさいました。母大宮からのしみじみ情の深いお返事をご覧になって、尽きない涙を誘われておいでになりました。
源氏の君は誠に悲しく、退屈なままにぼんやり外を眺めながら、日々過ごしておられましたが、何となく女性のご訪問も気が進まなくなり、お出かけもなさいません。姫君が万事理想通りに成長なさって、大層嬉しく、もう結婚に相応しい年齢とお思いになりました。それとなく匂わせて時々お話しなさるのですが、姫君は全くお気づきにならないご様子でした。源氏の君は、寂しさにまかせて、ただずっと西の対屋で姫君と碁を打ち、偏つぎ(漢字遊び)などをなさって、一日過ごしておいでになりました。結婚相手として気にもかけなかった年月の間は、ただ幼い少女として可愛いく感じておられましたけれど、今、姫君はいかにも気品があり魅力的で、ちょっとしたお遊びの中にも、とても愛くるしい心をお見せになるので、もう我慢できなくおなりになって、(純真な姫君には可哀想だけれど、どうしたものだろう)と……。
ある朝、源氏の君は早くお起きになり、姫君は一向にお起きにになりません。女房たちは、
「どうして姫君は、いつまでもお起きにならないのでしょう。御気分でもお悪いのでしょうか」と、ご案じ申しました。源氏の君は、御硯箱を御帳の内に差し入れて、ご自分のお部屋にお帰りになりました。姫君は人のいない間にかろうじて頭を持ち上げなさいますと、御枕元に、引き結んだ手紙(結婚翌朝の後朝(きぬぎぬ)の文)がありました。理由も解らず、その手紙を開けて見ますと、
あやなくも隔てけるかな夜を重ね さすがに馴れし夜の衣を
(訳) 理由もなく夜の衣を隔てて幾夜も過ごしてきました。
ずっと添い寝になれておりましたが、やはり私たち二人は夜の衣を共に着ましょう。
姫君は、源氏の君にこのような御心があるとは、全く思いも寄らなかったので(どうして、こんな嫌なことをする源氏の君を、今まで信頼しきって、頼もしい方と思い込んでいたのでしょう……)と憎らしくお思いでした。 昼頃になり源氏の君は西の対屋においでになって「まだ辛そうにしていらっしゃるのですね。どんな御心地ですか」と、御几帳の中をお覗きになりますと、姫君は掛けていた御衣をますます引き被って、臥しておいでになりました。源氏の君はお側にお寄りになって、
「なぜ、こんなに気まずいことをなさるのですか、思いの外に辛くいらっしゃったのですね。女房たちもどんなにか、変だと思っていることでしょう」と夜具を取り除けなさいますと、姫君は額髪もひどく濡れるほど、びっしょり汗をかいておられました。
「おやおや、これは大変なことだ。どうしたものか……」。あれこれ慰めて気嫌をおとりになりましたが、姫君は本当にとても辛いとお思いになって、一言の御答もなさいません。源氏の君は、
「よしよし、もう決して貴女にお逢いしないことにしましょう。私としても恥ずかしいことです」などと恨み事を仰って、御硯箱を開けてご覧になりましたが、中に何も入っていないので、(後朝の文の返歌をいれておくべきものを……、何と幼いご様子よ)とかえって愛らしく見つめなさいまして、一日中、御几帳の中に入ってお慰めになりました。それでも少しも打ち解けようとなさらないご様子を、源氏の君はかえって可愛らしくお思いでございました。
その夜、亥の子餅(いのこもち・亥の日に子孫繁栄を祈って食べる餅)を御前に差し上げました。喪中で悲しい時なので、あまり大袈裟にしないで、西の対の姫君の方へ檜破籠(ひわりご・檜の折詰)に色とりどりに混ぜて持って上がりました。これをご覧になって、源氏の君は南の間にお出ましになり、家来の惟光(これみつ)をお呼びになって
「この餅をこのように所狭しと盛り付けずに、明日の夕方、西の対屋に持ってきなさい。今日は忌々しい日だから……」と少し微笑まれて仰せになるご様子から、惟光は、すぐにお二人が結ばれた事を察してしまいました。惟光は確かには承らずに、
「本当に、愛敬(あいぎょう・新婚)の初めは吉日を選んで、行われるのが良いでしょう」と心得て引き下がりました。源氏の君は、物馴れて気がきくものだとお思いになりました。
源氏の君は、姫君を慰めきれずに大層当惑なさっておいででした。まるで、今初めてさらってきた姫のような心地がするのも可笑しく、(この数年来、しみじみ可愛いと思い続けてきたが、それは、今の可愛さに比べれば、片端にも及ばなかった。今では、一夜でも逢わなかったら辛いことだろう)と心から愛しくお思いになりました。
翌日夜が更けてから、源氏の君が仰せつけになりましたお餅を、惟光が忍んで持参いたしました。少納言は大人なので、姫君が恥ずかしくお思いになるといけないと思いやり、深く心遣いをして、少納言の娘の弁という女童を呼び出して、
「これを内緒で姫君に差し上げなさい」と、香壺(こうご・香料の入った壺)の箱を一つ差し入れました。 「これは、姫君の御枕元に必ず差し上げなければならないお祝いの品です。決して疎かにしないように……」と申しました。弁は若い女房ですので、この事情を深く理解出来ずに、ただ持って行って、姫君の御枕上 の御几帳から差し入れましたので、源氏の君がいつものように、この餅の意味を説明なさったことでしょう。
女房たちは少しも知り得ないことですが、翌日この箱を下げさせなさいました時に、姫君に親しくお仕えしている女房だけは、お二人が結婚なさったと思い当たられました。惟光はお餅をのせる御皿などや、その華足(花形に彫刻をした台の脚)も大層華やかにして、お餅の形なども特に凝って、実に素晴らしく整えておりました。少納言はこんなにまでも、結婚の祝いを丁重にしていただけるとは思っていませんでしたので、しみじみと身にしみてもったいなく、全てに行き届いた心遣いに、感激の涙を流しておりました。
こうした結婚の後、源氏の君は宮中や院に参上なさいましたが、その間でさえ、姫君(紫の上)の面影が恋しく、心が落ち着くことがありませんでした。お忍びで通っていらした女性の方々は、恨めしそうにお便りを下さるのですが、新手枕(にいてまくら・新婚の紫の上)を想うと、古歌のように「一晩でも逢わずにいられようか」と思い悩みなさいました。他の女性のお忍びなど全く気が進まず、「気分が悪いから……」と取り繕いなさって、「人の世が全て厭だと思われる悲しみの時を過ごしてから、どの方ともお逢いしましょう」とお返事なさって、日々をお過ごしになりました。
御匣殿(みくしげどの・朧月夜の姫君)が今なほ源氏の大将に夢中であることについて、父右大臣が、
「このように正妻の葵の上もお亡くなりになったのだから、源氏の君の正妻になったとしても、どうして不足があろうか」などと仰せになりますのを、今后 (いまきさき・弘徽殿)は大層憎いとお思いになって、この姫君を宮仕えにあげようと、入内することを真剣にお考えのようでございました。源氏の君も朧月夜の姫君を並の女性のようには思っていないので、入内(じゅだい)を残念にはお思いになりましたけれど、ただ今は、紫の上以外に愛情を分ける御心もなくて(こんなにも短い人の世だから、紫の上ひとりに心を決めよう。もう御息所の時のように、女性の恨みを負ってはならない)と、ますます強くお思いになりました。
源氏の君は、(あの御息所は大層いとおしいけれど、正妻としては、必ずや気詰まりになるだろうし、この数年来のように全て見過ごして下さるなら、適当な折に、便りを交わしあう人ではいられるだろう)とお考えになり、さすがに他の女性とは別で、決してお見捨てにはなりません。
さて、世間の人々がこの紫の上をどういう身分の女性か分からずにいましたので、あまりにも惨めに軽い人と扱っているようで心苦しく、この際に父宮(兵部卿 ・ひょうぶきょう)にお知らせしようと、源氏の君はお思いになりました。御裳着(おんもぎ・女性の成人式)を、世間には広くお知らせになりませんけれど、世間並みでなく、立派に催しなさろうという御心遣いなどは、大層有り難く思われることでございました。けれども、紫の上は源氏の君を、まだこの上なく嫌がりなさって、きちんと目を合わせることもなさいません。源氏の君が冗談を仰っても、かえって辛く迷惑そうにふさぎ込んでしまわれますので、以前と違う紫の上のご様子を、可愛らしくもお気の毒にもお思いになり、
「これまで長い間、貴女を大切に想ってきた心とは逆に、一向に慣れ親しんでは下さらないのは、大層辛いことですよ」などとお恨みなさっておられます内に、年も明けてしまいました。
(新年が明け、左大臣邸にお出でになり……)
朔月の日(ついたち・元旦)源氏の君はいつものように、桐壺院に新年のご挨拶に参上なさいまして、内裏(朱雀院)や春宮(冷泉院)にも参られました後に、左大臣邸に御退出なさいました。左大臣は新年にも関わらず、昔の亡き葵の上の事などをお話しになりまして、寂しく悲しいとお思いになっておられましたところに 源氏の君がおいでくださいましたので、今まで我慢していた悲しみを、いよいよ耐え難くお思いになりました。源氏の君はお年齢が加わったせいでしょうか、重々しい感じまでお添えになって、前よりも一層、高貴で輝くばかりに美しくなられました。源氏の君が居間にお入りになりますと、女房たちは目新しくお逢いになって、涙を抑え切れません。若宮(夕霧)をご覧になりますと、すっかりご成長なさいまして、笑みがちにいらっしゃいますのも、誠に可愛らしく思われました。目元や口つきが、春宮にそっくりですので、誰かが不思議がるのではと、心やましくご覧になりました。お部屋の調度品などは、以前と変わりなく、御衣掛(みぞかけ・衣桁)の御装束なども、例年のように掛けられていますが、女性用の御衣が横に並んでないのが、物足りなく見栄えもいたしません。母宮は、「今日(元旦)は何とか悲しみを堪えておりますが、こうして、源氏の君においでいただき、かえって……」などと申し上げなさって、
「葵の上がおりました頃の慣わしどおりに、ご装束をお誂えいたしました。ここ数カ月、涙で霧がかかったように目もふさがったようでしたので、色合いも気に入っていただけますか……、今日ばかりはお召し下さいませ。粗末なものですが……」と、大層心を尽くしてお作りになりました御装束を、また重ねて差し上げなさいました。必ず元旦にお召しいただこうと整えた御下襲 は色も織り方も格別に優れたものなので、源氏の君は御好意にそむいては……とお思いになり、お召し換えをなさいました。もし左大臣邸に伺わなければ、母宮はさぞ残念にお思いだっただろうと、心苦しくお思いでございました。源氏の君は、
「悲しみの中の私にさえも、春がきたのかと参上したのですが、悲しく思い出されることが多くて、何も申し上げられません。
あまた年けふあらためし色ころも 着ては涙ぞ降る心地する
(訳) 長い間 元旦はここで着替えて、心新たにしておりましたが、今、美しい色の
御装束を着てみますと、涙が降るほど悲しい心地がします
この悲しい思いを静めることはできません」
新しき年ともいはず降るものは ふりぬる人の涙なりけり
(訳) 新しい年がきましたのに降るように流れるものは、年老いた私の涙でございます
お二人の悲しみは並一通りであろうはずもないようでございます。
( 終 )
源氏物語ー葵 (第九帖)
平成十一年初夏 WAKOGENJI(訳・絵)
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