やさしい現代語訳

源氏物語「須磨」(すま)第11帖


源氏の君26歳、紫上18歳、夕霧5歳の頃の物語

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 
 

 帝のご寵愛を受ける朧月夜の姫君との密会が発覚して、官位剥奪の身となられた源氏の君にとって、世の中が大層煩わしく、不都合な事ばかりが多くなってまいりました。せめて素知らぬ顔をして日々過ごしておられましたが、近々、流罪などの刑を受けるかもしれないと、安じておられました。
 須磨には、昔は高貴な方々の別邸などがありましたが、今は全く人里離れ、漁師の家さえ希な大層寂しい所だ とお聞きでございましたので、源氏の君は、ご自分のように謹慎中の御身には、「人の出入りが多く賑やかな所で暮らすのは適当でないだろうから、その須磨に自ら身を引いてしまおう……」と思いつかれました。けれども京都を遠く離れてしまうのは 何かと心残りだと、人目にも体裁の悪いほど思い乱れておいでになりました。
 過去のこと未来のことを 思い続けなさいますと、悲しいことが様々に思い出されました。辛く煩わしいこの世の中を、今は遠く離れてしまおうとお決めになりましたのに、捨て去りがたい事が誠に多いようで、中でも、紫上が明け暮れ悲しみ嘆いていらっしゃるご様子が、大層不憫で哀れに見えますのが 耐え難く思われました。今別れても行き巡って、きっとまた逢えると願いながらも、わずかの間さえ離れて暮らすことが気がかりに思われ、紫上の方でも大層心細く思っておられました。
いつまでという期限のある旅でなく、ただ再び逢うことを最後の目的として、当てもなく遠く離れて行くのですから、この定めなき世においては、これがそのまま永遠の別れの旅立ちになるかもしれない……と、なお一層悲しくなられました。
 紫上を忍んで須磨へ連れて行こうか と考えたこともありましたが、あのように心細い寂しい海辺で、しかも波風より他に訪れるものもないような所へ、可愛らしい姫君をお連れするのも 不都合に思われ、源氏の君ご自身の御心にも、かえって気苦労の種になりそうですので、思い直しなさいました。紫上は、
 「どんなに辛い旅でも、ご一緒できるならば……」と、御心の内を申し上げなさいましたが、聞き入れて下さるはずもなく、恨めしくお思いでございました。

 あの花散里のところへ源氏の君がお通いになることは希でしたが、桐壺院亡き後、源氏の君のご援助にすがって、ただ心細くあわれなご様子でお暮らしでしたので、源氏の君のご離京を大層悲しんでおられますのも、もっともな事でした。源氏の君のつれないお通いのお相手の中には、人知れず心砕けるほど悲しんでいらっしゃる姫君も 多いようでございました。

 出家なさいました藤壷の入道の宮からも、世間の噂にお気遣いなさりながらも、人目を忍びつつ、常にお便りありました。以前からこのように、源氏の君を想って愛情をこめた御心をお見せ下さったならば、どんなに嬉しかったかとお思いになりますと、これこそが心の限りを尽くすべき 藤壷の宮との御契り(運命)だったのか……と、恨めしくお思いになりました。


 三月二十日過ぎ、源氏の君は京を離れることになさいました。人にはいつ発つとも知らせず、ただ身近に仕える家来だけ七、八人程をお連れになって、誠にひっそりと出発なさる予定でした。然るべき方々にだけ、忍んでお手紙をお送りになりましたが、中でも特にご出立を悲しんでおられます方には、心尽くしてお書きになりましたので、見所のある素晴らしいお手紙であったに違いありません。こんなに悲しい折のことでございますので……。


 須磨にお発ちになる二、三日前に、源氏の君は夜の闇に隠れて、大殿(旧左大臣邸)にお渡りになりました。目立たないように、網代車を女車のように見せかけて、隠れるように御邸にお入りになりましたのも、実に哀れなご様子でございました。
 亡くなられた葵の上のお部屋は、荒れ果てた心地がして誠に寂しげでした。若君(夕霧)の御乳母達や、昔、葵の上に仕えていた女房たちの中で、今なお邸を離れずにお仕えしている者たちは、久し振りの源氏の君のご訪問に、御前に参上してきましたが、世の無常を思い知らされて、皆、涙にくれておりました。一方、若君は大層可愛らしく戯れ、走り回っていらっしゃいました。
源氏の君は、  
 「久し振りなのに この私を忘れないのがいじらしい……」と仰って、膝に上にお乗せになり、ただ一心に悲しみに堪えておられました。
 大臣もこちらにおいでになり、源氏の君とお逢いになりました。大臣は、
 「源氏の君が御邸に引き篭っておられます折、参上してとりとめのない昔話でも申し上げようと思いましたけれど、自分の病の重いことを理由に、官位を返上し、朝廷にもお仕えしないでおりましたので、私事で勝手に出歩いて……等と世間の噂で歪んで取り沙汰されそうですので、お伺いするのも控えておりました。手厳しい世間が大層恐ろしく、このように源氏の君が須磨にご出発なさることを思いますと、命長らえるのは誠に辛い事に思われまして、まったくこの世も末でございます。たとえ天と地を逆さまにしても、思いも寄らなかった源氏の君の御離京を拝しますと、万事が大層空しく思われます……」等と申しなさいまして、涙にくれておいでになりました。
源氏の君は、
 「こうなるのも全て前世からの報いだそうですから、突き詰めればただ、私自身の落ち度によることでございましょう……。とりわけ、このように官位を取り上げられ、些細なことに関係しただけで、朝廷のお咎めを受けて、謹慎の身となりました者が、平然と暮らしていることさえ 罪の重いことだと言われます。私を「流刑にすべし」という決定があるように聞きますと、きっと格別に重い罪に当たることがあったのでしょうか。自分は潔白の身という心のままに暮らしておりますのも、大層差し障りがあるようで、いつの日か、これよりもっと大きい罰(死刑など)に直面するならば、その前に自ら進んで、都を離れてしまおうと決心したのでございます」等と、細やかに胸中をお話しになりました。
大臣は、昔話や故桐壺院の御事、院がお考えになっていた御心遣いなどをお話しなさいまして、御直衣の袖を涙の目からお離しになれないほど泣いておられますので、源氏の君も 気強く振る舞うこともできず、お泣きになりました。更に若君(夕霧)が無心にあちこち歩き回って、女房たちになついているのをご覧になりまして、誠に悲しいこととお思いでございました。

 大臣は、「亡くなりました葵を一時も忘れることもなく、今も悲しんでおりますが、もし葵が生きていましたら、源氏の君が須磨に行かれますことを、どれほど嘆いたことでしょう。よくぞ命短く……このような悪い夢を見ずに済んだものだ……と、心慰めております。まだ幼い若君がこのように老人の中に留まって、父源氏の君に懐くことなく 離れて過ごす月日が続くと思いますと、何よりも悲しく思われます。昔、本当に罪を犯した人でも、必ずしもこの様な重い処罰を受けることはありませんでした。おそらく誰かの強い策略があって、源氏の君を朝廷から葬ろうとする企てがあるのでしょう。源氏の君においては、あれこれ考えましても、心当たりがないのでございますから……」とお話しなさいました。

 三位中将 (さんみのちゅうじょう・もと頭中将)も おいでになりまして、ご一緒にお酒など召し上がりますうちに、夜が更けましたので、源氏の君はここにお泊まりになることになさいました。女房たちを御前にお呼びになって、お話しなどおさせになりました。その中に、源氏の君が格別に 密かに愛している中納言の君が、心の内を言葉にすることもできずに、悲しみを堪えておりました。その様子をご覧になりまして、心から愛しくお思いになり、人皆寝静まった頃に、特別にこの中納言をお召しになって、睦まじくお過ごしなさいました。この人がいたからこそ お泊まりになったのでございましょう。
 夜が明けてしまうといけませんので、まだ夜も深いうちに、お帰りの支度をなさいます頃、有明の月が大層美しうございました。桜の木々はようやく花盛りの時も過ぎて、風に散った花びらで大層白く見える庭は、どこともなく霞がかかって、秋の情景よりも ずっと優れて思えるほど、美しい光景でした。源氏の君は隅の欄干に寄り掛かって、しばらくじっと庭を見つめていらっしゃいました。中納言の君はお見送り申し上げようと、妻戸を押し開いて座っておりました。源氏の君は、
 「再びお逢いするのは難しい事と思えば、こうなるとも知らずに、もっと親しく逢えたはずの月日をなんとも無駄に過ごしてしまったことでしょう……」と仰いますと、中納言の君は一言も申し上げることもできず、ただ泣いておりました。


 若宮の御乳母の宰相の君をお遣わしになって、大宮(葵の母)からお伝え言がありました。
「自らお逢いしてお話し申し上げたかったのですが、悲しく取り乱す気持ちを抑えている間に時がたちました。夜もまだ深いのに、源氏の君はもうお帰りになるのでしょうか。幼い若宮が眠っているからと、お目覚めになるまでの少しの間さえお待ちにもならないで、お帰りとは……」と申し上げますと、源氏の君もお泣きになりまして、



   鳥辺山 燃えし煙もまがふやとあまの塩焼く浦 見にぞ行く

     (訳)鳥辺山で葵の上を火葬した煙に見間違えるのでしょうか。
        私は海人の藻塩を焼く浦(須磨)を見に行きます。

そう口ずさみなさいました。「暁の別れは誠に辛いもので、特に今朝はなお比べようもないほど辛うございます」と涙声で心から悲しく思っておられました。源氏の君は大宮に、
 「申し上げたいことも多くございますが、ただ気の晴れない折ですので、どうぞご推察くださいませ。よく眠っている若宮に逢うことで、かえって憂き世を辛く思うに違いないですので、強いて思い直して、急いで退出いたします」と申し上げました。源氏の君がお出ましなさるところを女房たちは覗いてお見送り申し上げました。

入り方の月が明るいので、源氏の君のお姿は大層優雅で輝くばかり美しく、物思いに沈んでいらっしゃるご様子に胸も詰まって、情の解らぬ人でさえ泣いてしまうようでございました。源氏の君が幼い頃からお仕えしていた女房たちは、例えようもないほど変わってしまったこのお姿を 誠にいとおしく思うのでございました。
 大宮からのご返歌には、


   亡き人の 別れやいとど隔たらむ 煙となりし雲居ならでは

    (訳) 亡き人(葵)との別れはますます遠くなってしまうのでしょうか。葵が煙となって
        登った都の空でなく、貴方は遠い須磨の浦に行ってしまわれるのでは……

悲しみが尽きることなく、源氏の君が退出なさいました後、皆いつまでも泣いておりました。


 源氏の君は二条院にお戻りになりました。女房たちも、皆眠らずにお帰りをお待ちしておりまして、所々に寄り集まっては、世の成り行きを意外なことと思っておりました。詰所には、いつも身近でお仕えしている者が誰もおりません。皆、一緒にお供をして、須磨に参るべき準備のため家に帰り、家族と別れを惜しんでいる頃でしょうか。親しい人々は、源氏の君の所にお別れのご挨拶に参ろうと思うのですが、世間の重い咎めだてがありますので 伺うこともできません。
 所狭しと集まっていた馬車等もなく、二条院はひっそりとしておりました。源氏の君は、人の世はこんなにも情のないものだったのか……と思い知らされたのでございます。しばらく来客もありませんでしたので、食卓にも埃がつもり、敷物なども隅に片付けてありました。僅かの間でさえこのような有様なのですから、まして自分がここを離れたら、どんなに荒れ果ててしまうのだろうか……と胸がつまる思いがなさいました。


 西の対屋にお渡りになりますと、格子戸も立てずに、紫上が物思いに沈んで、夜を明かしておいでになりました。濡縁などに、若い女童が横になっていましたが、その姿が誠に可愛らしいのをご覧になり、「時が経てばこの童たちもここに居ることができず、散々になるのだろうか……」と、心細くお思いになりました。ほんの些細な事でさえ、悲しみの種になるようでございます。
 「昨夜は、これこれの次第で夜が更けてしまいました。いつもの色恋沙汰と不愉快にお思いだったのでしょうか。せめて都にいる間だけでも、貴女の側を離れないようにと思うのですけれど、今、京都を離れるにあたって、お別れのご挨拶などに忙しく、家に篭ってなどおられません。無常の世の中で、人々から冷たい人だと決められてしまうのは残念ですから……」等と申しなさいますと、紫上は、
 「離京という悲しい目に遭うことより以上に、不愉快な事などありましょうか」とだけ仰いまして、悲しみを堪えているご様子が、おいたわしいことでございました。
 父・兵部郷 の宮は、紫の上をもともと疎かに扱っている上に、近頃の源氏の君の評判を煩わしくお思いになって、お手紙のひとつもくださいません。さらにお見舞いにさえ おいでにならない事を、女房たちが不審に思っておりますので、紫上は恥ずかしくお思いになって、「かえって源氏の君の妻になったことを、父に知らせずにおけばよかったのに……」とお思いでございました。継母の北の方なども、
 「あの姫に突然に訪れた幸福の、何と慌ただしく去っていくことよ。母君、祖母君そして源氏の君と、紫上を可愛がってくれた人が、次々に別れていってしまうとは……縁起でもない。それが紫上の運命なのですね」と 仰いましたのをお耳になさいまして、誠に悲しくなられ、こちらからも、父宮にお便りなさいません。紫上には、源氏の君より他に頼れる人もなく、本当にお気の毒な境遇になられたのでございます。

 「私が須磨に去ってもなお、世間に許されないまま長い年月が経つようなら、たとえ巌のように世間から隔絶された所であっても、必ず貴女をお迎えいたしましょう。ただ、今すぐに貴女を連れて行くことは、世間の評判を考えると良くないことです。朝廷に対しても、謹慎中の身としては、明るい月や日の光を見ることさえ許されず、心安らかに暮らすだけでも誠に罪の重いことなのです。私は過ちを犯してはいませんが、こうなるべき因縁があってこそ…と考えます。まして愛する人を連れて行くのは、前例のないことですし、ただ一方的に狂っているとしか思えないこの世の中では、朝廷に逆らえば、更にひどい事(死刑)になるかも知れないのです……」と、紫上を一心に説得なさいました。
 その日は陽が高くなるまでお寝みになりました。師宮(そちのみや)、三位中将(頭中将)などがおいでになりました。源氏の君はご対面をなさろうと、御直衣などをお召しになりましたが、「無位無官の者は……」と仰せになりまして、地味な無紋の御直衣をお召しになりました。それがかえって、誠に慕わしいお姿でございました。御髪を掻き上げようと鏡台にお寄りになりますと、そのお姿が、面痩せなさっておられますが、我ながら気品があり、清らかに美しいので、
 「すっかり衰えてしまいました。私はこの鏡の姿のように痩せて見えましょうか。悲しいことございます」と仰いました。紫上は涙を目いっぱいに浮かべて、源氏の君を見上げなさいますと、そのご様子が更に悲しげで痛々しく見えますので、


身はかくてさすらへぬとも君があたり 去らぬ鏡の影は離れじ

 (訳)我が身はこのように須磨へ去っても、鏡に映った私の影は
    貴女の側を離れません。


別れても影だに留まるものならば 鏡を見ても慰めてまし

 (訳)別れても、鏡に映る貴方のお姿だけでもここに留まるものなら、
    その鏡のお姿を見て心を慰めましょう。

 柱の陰に隠れて涙を紛らわしていらっしゃる紫上のお姿は、源氏の君が(やはり今まで逢った沢山の女性の中でも、比べようもなく素晴らしい方だった)とお思いになるほど、愛らしいご様子でございました。


 麗景殿(れいけいでん)の女御(にょうご)の御邸では、妹の花散里が、源氏の君のご離京を心細くお思いになって、お便りなさいましたのも 無理のないことでございます。源氏の君は、
「あの花散里にも今一度逢っておかないと、私を冷たい人と思うだろうか……」と、その夜もまたお出かけなさいましたが、紫上に気兼ねをなさいまして、大層夜遅くなってからお出かけになりました。
 女御はわざわざおいで頂きましたことを、大層お喜びなさいました。 頼りない邸内はひっそりとしておりましたが、長い年月、ただ源氏の君の御保護のもとにお暮らしでしたのに、今後源氏の君が居なくなってしまわれますと、ますます荒れ果ててしまうだろうと 大層不安にお思いになりました。
 御邸の西面にお住まいの花散里は、こんな夜更に源氏の君がお渡りになることはあるまいと、心が滅入っておりました時に、しみじみと情趣を添えた月の光の中を、源氏の君が雅やかにしっとり立ち振舞いなさいまして、お部屋にお入りになりました。その漂う香が例えようもないほど素晴らしいので、花散里も少しにじり出てお迎え申し上げ、そのまましばらくお二人で月を眺めておられました。またここでお話などなさいますうちに、明け方近くになり、夜明けを告げる鶏がしばしば鳴きました。 「夜の短い折ですね。もう二度とお逢いすることはできないかもしれないと思うと、何もしないで過ぎてしまった年月が悔やまれます。私は過去・未来を通じ、悪い例として世間に語り継がれるのでしょうか……」。 月の光が花散里の濃いお召物に映って、一層涙をそそるようでございました。


   月かげの宿れる袖はせばくとも 留めても見ばやあかね光を

     (訳) 月光の宿るわが袖は魅力がなくとも、ここにお引留めしたいのです。
         飽きることなく美しい月の光(源氏の君)を……。

花散里が悲しむご様子をとても不憫にお思いになり、源氏の君は心をこめてお慰めなさいました。


   行き巡りつひにすむべき月影の しばし雲らむ空な眺めそ

     (訳) 月のようにまた巡ってきて、最後には澄み渡るはずの月(私)が、
         暫くは曇って見えない空を眺めるのはおよしなさい。

思えば悲しいことですね。行く末を知らぬ涙ばかりが流れ、心を暗くするのです」等と仰って、夜明け前のまだ暗いうちに、隠れるようにお発ちになりました。


 源氏の君は二条院にお帰りになり、離京にあたり 万事のことを準備させなさいました。身近にお仕えしていた家来で、世間の情勢に流されない人々だけをお集めになり、源氏の君がいない間に、御殿の管理等を執り行う役人をお決めになりました。更に須磨へお供する者は 別にお選びになりました。須磨の山里のお住まいでお使いになるお道具は、必要最小限の物を特に飾りつけることもなく簡素な物にして、更に然るべき漢籍の類や文集などの入っている箱、その他に琴を一つだけお持たせになりました。置き場のないほどの御調度や華やかな御衣裳などは、一つとしてお持ちにならず、貧しい山里人のように繕いなさいました。

 紫上には、お仕えする女房たちの事をはじめ、万事のことを申し送りなさいまして、更に領有なさる荘園や牧場をはじめ、大切な領地の権利証などをも全てお預けなさいました。それ以外の御倉町(みくらまち)、納殿 (おさめどの)などのことは、乳母の少納言をしっかり者と見込んでおられましたので、信頼できる家司などをつけて、今後紫上が管理なさるべき事などを言い聞かせてお預けになりました。中務 などといった女房たちは、今まで源氏の君のお扱いがつれなかったとはいえ、お仕えしている間はその気持を慰められていましたが、これからは何の楽しみがあるというのでしょうか。源氏の君が、
 「命があってまた都に帰ることもあろうから、その日を待とうと思う人は、ここで紫上にお仕えしなさい」と仰せになり、上下に関わらず女房たちを見捨てずに皆、紫上のもとに参上させなさいました。更に、若君(亡葵上の御子・夕霧)の乳母たちや花散里などにも、素晴らしい贈り物や暮らしむきのお心遣いを、万事に行き届いてなさったのでございました。


 尚侍(ないしのかみ・朧月夜)のところにも、無理をして大層忍んでお手紙をなさいました。「お見舞いをくださらないのも、無理のない事と思いますものの、今はこれまでとこの世を諦めるのは、大層辛く苦しいものでございます。


   逢瀬なき涙の川に沈みしや 流るるみをのはじめなりけむ

     (訳)貴女に逢うこともできず涙の川に沈んだのが、流離の身の始まりなのでしょうか。

思い出すことだけが、私の逃れられない罪でございました」。お手紙をお届けする道中が危ういので、余り細やかにはお書きになりませんでした。
 朧月夜の君もこれをご覧になり、大層悲しくお思いになって、じっと堪えていらっしゃいましたが、涙が袖から溢れ出ますのをどうすることもできませんでした。


   涙川うかぶ水泡(みなわ)も消えぬべし 流れてのちの瀬をも待たずて

     (訳)涙川に浮かぶ水の泡のように、私も儚く消えてしまうに違いありません。
        流離のあとの逢瀬を待つこともなく……

泣きながら乱れ書きなさっている御筆跡も誠に素晴らしいものでございました。源氏の君は今一度逢うこともなくお別れするのは大層残念にお思いになりましたが、姫君の周辺には源氏の君を好ましく思っていない右大臣の縁続きの人も多いので、無理をしてまで逢おうとはなさいませんでした。朧月夜の君も大層人目を忍んでおられたのでございました。


 須磨ご出発の前日の夕暮、源氏の君は父桐壺院の御墓にお別れを申し上げようと、北山の御廟にお参りなさいました。途中、夜明け方の月の出る頃に、藤壷の入道の宮のところにお立ち寄りになりました。
 藤壷の入道の宮は、すぐ近くの御簾の前に源氏の君のご座所を設けて、ご自身で直接にお話しなさいました。春宮の御事を大層ご心配なさっておられましたので、心深い者同志のお話は、誠に哀れさ勝るものでございました。入道の宮の慕わしく心惹かれるご様子が、御出家前と全く変わっていませんので、源氏の君は、今までの薄情な藤壷の中宮の御心をそれとなくお恨み申し上げたかったのですけれど、「今更、申し上げても宮が不愉快にお思いになることでしょうし、わが心が大層乱れるに違いない……」とお思いになりましたので、
 「私がこのように思いがけない罰を受けますのも、思い当たるだた一つの事(藤壷との不義)のためであり、天の御咎めまでもが恐ろしく思われます。惜しくもないわが身は、例え 亡きものとなっても、春宮の一生だけが平穏無事にあればよいと願うばかりでございます」とだけお話しなさいました。
 藤壷の宮も思い当たることですので、御心が動揺なさいまして、お返事もなされません。源氏の君が万事のことを悲しくお思いになり、泣いていらっしゃるご様子は、誠に限りなく優雅で美しうございました。源氏の君は、
 「これから山陵の院の御廟にお参りいたしますが、御伝言はございましょうか」と申し上げましたが、宮はすぐにはお答えなさらず、ただ心乱れたお気持ちを一心にお鎮めなさっているご様子でした。


   見しはなく あるは悲しき世のはてを 背きしかひもなくなくぞ経る

     (訳)桐壺院は今は亡く、後に残った私は人生の終末を出家した甲斐もなく、
        泣きながら暮らしております。

お二人はひどく悲しく動揺なさいまして、心に浮かぶことをこれ以上お続けになることができません。


   別れしに悲しきことは尽きにしを またぞこの世の憂さはまされる

     (訳)父院に別れた悲しみは尽きることがありませんでしたのに、
        今また離京する辛さは、それに勝っております。

源氏の君は月の出るのを待って、御邸をお出ましなさいました。親しく仕えていた者を五・六人だけお供としてお連れになり、御馬で御廟へ出発なさいました。今更言うことでもないけれど、以前のお出ましとは、全く様子が違っておりました。大層悲しく思っております供人の中に、あの賀茂の斎院の御禊(おんみそぎ)の日に、源氏の君に随身としてお仕えした右近の尉(ぞう)の蔵人(くらうど)という者がおりました。当然あるべき出世もなく、地位をはく奪され、ひどく外聞も悪いので、ご一緒に須磨へ下ることを決めたのでございました。御廟に行く途中、下賀茂のお社を見渡せる辺りで、ふと御禊の日のことが思い出されて、胸がふさがる思いがしましたので、馬を下りて手綱を取りました。


   引きつれて葵かざししそのかみを 思えばつらし賀茂のみづがき

     (訳)行列のお供をして葵の花を冠にかざして神を大切に崇めましたのに、
        今となっては、賀茂のお社の垣根が恨めしく思われます。

と右近の尉が詠いますのを、源氏の君は誠に残念な事と、心苦しくお思いになりましたので、源氏の君も御馬から下り、御社の方を拝みなさいました。神に都を離れるご挨拶をなさったのでございます。


   憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ 名をば糺(ただす)の神にまかせて

     (訳)今こそ辛い世から別れてまいります。後に留まる私の評判を
        糺の杜の神におまかせして……

 源氏の君は御廟にお参りなさいまして、父桐壺院がご在世当時のお姿をただ目の前のことのように、思い出しておられました。万事のことを泣く泣く御前で訴えなさいましても、亡き父院のご判断を伺うことができませんので、故院があれほど深くお考えになり、申し置きなさいました様々の御遺言も、今は全く無視され、どこへ消え失せてしまったのか……とお思いになりましたが、今更言っても甲斐のないことでございました。お墓への道端の草は茂るままになり、その草を分け入り歩まれますうちに、お召物は大層露に濡れてしまいました。折しも月も隠れて、森の木立は大層深く、もの寂しい風景でした。源氏の君お帰る方向も分からないほど心細い気持がして拝みなさいましたところ、生前の桐壺院の面影が鮮やかに見え、ぞくぞく寒気がするようにお感じになりました。


   なきかげや いかが見るらむ よそへつつ眺むる月も雲隠れぬる

     (訳)亡き父院は、この私をどうご覧になっているのでしょうか。
        父院として見ていた月も雲隠れしてしまいましたのは、私へのお怒りでしょうか。

 夜が明ける頃、源氏の君は二条院にお帰りになり、春宮(とうぐう)にお便りなさいました。王命婦(おおのみょうぶ)を藤壷入道の宮の代わりとして、春宮に仕えさせておられましたので、その部屋宛に「今日、いよいよ都を離れます。もう二度とお伺いすることはないでしょうことが、何よりも春宮のことが気がかりです。よろずご推察なさいまして、春宮に申し上げてください。


   いつかまた春の都の花を見む 時うしなへる山賤(やまがつ)にして

     (訳)いつかまた春の都の花(春宮の栄える御代)を見ることができましょうか。
        今の私は時勢に見捨てられた山人として……

源氏の君の御身の上そっくりな桜の散り落ちた枝に、歌を結びつけてお届けなさいました。春宮にご覧にいれますと、幼いながらも真面目な表情でお読みになりました。
 「お返事はいかがいたしましょうか」とお尋ねしますと、
 「ほんのしばらく逢わないのでさえ大層恋しいものを、遠くに行ってしまえば、どんなに辛いだろうか」と仰いました。王命婦は(頼りないお返事ですこと)と春宮を不憫にお見上げ申しました。源氏の君が無謀な藤壷の中宮との恋に御心を砕いておられた昔のこと、その折々のご様子を思い浮かべますと、今頃は、源氏の君も藤壷の中宮も何の苦労もなく暮らしておられたはずなのに、源氏の君が(自分のせいでこうなった……)とお嘆きになることが残念に思われ、その手引きをした王命婦の心一つにすべて責任があるように思われました。お返事には、
 「春宮にはお伝えいたしましたが、源氏の君の御心をすべてはお伝えしきれません。春宮が心細げになさっているご様子も誠に悲しうございます。


   咲きてとく散るは憂けれど行く春は 花の都をたちかへり見よ

     (訳)桜の花が咲いてすぐ散るのは辛いことですが、行く春は巡り来るように、
        都を去る源氏の君も再び立ち帰って、花の都をご覧ください。

その時が来れば……」とりとめもなく書いてありますのも、心が乱れていたのだろうとお思いになりました。御邸ではその後も悲しい物語などを続けては、皆で声を忍んで泣き合っておりました。

 源氏の君と一度でもお逢いしたことのある女房は、君がすっかり思い沈んでいらっしゃるご様子を皆、嘆き惜しんでおりました。まして源氏の君がご存知ないような下女や御厠人(みかわようど)にいたるまで、源氏の君の御恩恵のもとに生活してきた者たちは、(源氏の君のいない日々は、どうして時が経つのだろうか)と思い煩っておりました。世間の人々には、源氏の君のこのたびの離京を当然のことと思う者は一人もおりません。源氏の君は、七歳の時から夜も昼も、父帝の御前にお仕えなさいまして、源氏の君のお申し出を帝が聞き届けられないことは一度としてなかったのですから、この源氏の君の恩恵に預からなかった者はなく、源氏の君の御徳を喜ばない人が一人でもあったでしょうか。身分の高い上達部や弁官などの中にも、恩恵に感謝をする者が多くおりまして、それより下の位の人には更に数も限りなくおりました。けれど皆、源氏の君へのご恩を思わない訳ではないけれど、さしあたり、右大臣の勢力下に遠慮して、源氏の君のところにお別れに参上することが出来ませんでした。世の人は皆、源氏の君を惜しみながら、内心では朝廷を批判し恨んでいるのですが、(わが身を捨ててまで源氏の君をお見舞いをしたとしても、何の甲斐があろう……)と思うのでしょう。源氏の君は(世の中とは、空しいものよ……)と万事につけてお思いになりました。



 須磨への出発の日には、紫上と一日中ゆっくりにお過ごしなさいました。そしてまだ夜の暗い内にご出発をなさろうと、御狩衣など目立たぬように旅のお支度をなさいました。
 「月が出てしまいましたね。もう少しこちらに出て来て、せめて見送りだけでもして下さい。お別れに当たり、申し上げたい事が多く積もってしまいまして、きっと後悔を残す事になりましょう。たまに離れて過ごす時でさえ、ひどく気の晴れない心地がしましたから……」と仰って、御簾を巻き上げて、紫上を端の方にお誘いなさいますと、紫上は泣き沈んでいらっしゃいましたが、気を取り直して、にじり出ておいでになりました。そのお姿は、月影のもとに大層美しうございました。源氏の君は(もし自分がこの無常な世を去ってしまったなら、この姫君はどんな様子で、あてもなく、さすらってしまうのか……)と心配で悲しくお思いになりました。けれども何かを言えば、紫上がますます悲しくなるに違いないと……、


   生ける世の別れを知らで契りつつ 命のひとに限りけるかな

     (訳)生き別れになるとは知らずに貴女と契りました。
        貴女だけに限り私の命をかけてきましたのに……。

源氏の君が、無理をして申し上げますと、


   惜しからぬ命にかえて目の前の 別れをしばしとどめてしかな

     (訳)惜しくもないこの私の命にかえて、目の前の悲しい別れを少しの間でも、
        引き留めてしまいたいものです。

 源氏の君は紫上のこのお気持を捨て難く、大層愛しいと思われましたが、夜が明けてからの旅立ちは見苦しいに違いないと、急いでご出発なさいました。
 道すがら、紫上の面影が源氏の君にそっと寄り添っているようで、胸がいっぱいになられました。


 京都を出て淀川を御舟でお下りなさいました。追い風がずっと添い吹いて、日の長い頃で、まだ午後四時頃ですのに、須磨の浦にお着きになりました。小さな旅とはいえ、このような船旅は慣れておられませんので、心細さも面白さも全て目新しい感じがなさいました。大江の宿は、ひどく荒れ果てて、松だけが目立つような侘びしい所でございました。

 渚に寄せては返す波をご覧になって、「羨ましくも、波は立ち返るよ……」と口ずさまれるご様子は、世間では言い古された歌ですのに、何か趣深く感じられ、お供の人たちは大変悲しくなりました。源氏の君が京の方を振り返ってご覧になりますと、遥かに見える山々には霞がかかって、まるで三千里も遠く離れた土地に来てしまったような心地がして、櫂の雫を見るにつけても、流れる涙を抑えることができませんでした。


   ふるさとを峰の霞が隔つれど ながむる空は同じ雲居か

     (訳)住み慣れた都を山の霞が隔てて見ることができないけれど、
        私がながめる空は紫上が眺める空と同じなのでしょうか。


 須磨のお住まいは、在原行平 (ありわらゆきひら)の中納言が涙にくれながら侘び住まいした家の近くにありました。
海辺よりはやや奥に入ったしみじみと物寂しい山の中でした。源氏の君は垣根の様子をはじめ、万事を目新しくご覧になりました。藁ぶきの屋根や、葦でふいた渡り廊下のような家などは、どれも美しくしつらえてありました。寂れた須磨に相応しい御住まいは、ただもの珍しく、「こんな時でなければ、きっと趣のある所と感じられたろうに……」とお思いになり、昔の気ままな御心の慰みことなどまた懐かしく思い出しておいでになりました。
 源氏の君は、この近くの御荘園の管理人たちをお呼びになりまして、然るべき修理などをさせなさいました。良清(播磨守(はりまのかみ)の子)が家来として、源氏の君の仰せの通りにお仕えして、庭の水路を深くし、植木などもお植えになり、瞬く間に大層見所のあるように造らせました。けれども源氏の君にとっては、ここに落ち着くことなど、まだ夢でも見ているかのように信じられないことでございました。
 摂津(せっつ)の国守も源氏の君に親しく仕えていた人なので、公には内密にしながらも、源氏の君に大層気配りして、あれこれ面倒を見ておられました。このような旅のお住まいとは思えないほど、人の出入りが多くありましたけれど、源氏の君にとってはあれこれと相談できる人は誰もいないので、まるで見知らぬ国にいるような心地がして、世間から埋もれたように心細く、今後どうやって年月を過ごしたら良かろう……と心配なさっておられました。

 次第に落ち着いてまいりますうちに、長雨の頃となりました。源氏の君はおのずと京のこと等を思い出し、多くの姫君を恋しく思われるようでございました。なかでも紫上の愛らしいご様子や、春宮の御事、そして若宮(夕霧)が無心に女房に懐いていらしたこと等を思い出され、更にここかしこの女性のことなどをも思いやっておられました。 源氏の君はそれぞれお手紙をお書きになりましたが、涙で書き進む事もできないほど、涙にくれなさいました。そして二条院の紫上と藤壷の入道の宮へのお手紙を持たせて、京へ人をお遣わしになりました。
藤壷の入道の宮には、


   松島のあまの苫屋もいかならむ 須磨の浦人しほたるるころ

     (訳)貴女のお住まいではいかがお過ごしでしょう。須磨の浦人になった私は
        涙に濡れて過ごしております。今頃は……

いつもただ嘆き過ごしております。これまでの事、これからの事を考えますと、目の前が真っ暗になり、涙の川の水が増したようです」。

 朧月夜の尚侍(ないしのかみ) のところには、これまで通り、その女房の中納言宛の個人的な手紙のようにして
 「ただ所在もなく、昔のことが思い出されます……


   こりずまの浦のみるめのゆかしきを 塩焼く海人やいかが思はむ

    (訳)懲りることなく貴女にお逢いしたい。須磨の浦で塩を焼く海人(私)を
       貴女はどう想っていらっしゃるのでしょうか。

 左大臣邸の若宮(夕霧)にお仕えする宰相 (さいしょう)の乳母(めのと)にも「若宮によくお仕えするように……」などとお書きになりました。京では、源氏の君からのお手紙でご覧になりまして、多くの方々の御心が乱れなさったようでございます。


 二条院の紫上は 源氏の君からの御手紙を お読みになり、臥してしまわれました。そのまま起き上がりもなさらずに、尽きることなく想い焦がれていらっしゃいますので、お仕えする女房たちも、何とお慰めしてよいか分からずに心細く思っておりました。今まで源氏の君が遣い慣れていらしたお道具や、いつも弾き慣れておられた御琴や、そして着慣れた御衣の香などに触れますと、源氏の君が今はもうこの世にいない人のように思われますので、それは不吉な思い込みとご心配になりました少納言(紫上の乳母)は、僧都(そうず)にご祈祷をお頼みになりました。ひとつは源氏の君が無事帰京なさることを、もうひとつは紫上の嘆き悲しむ御心を鎮めて、せめて物思いのない日々をお送りになりますように……と、加持祈祷をおさせになりました。
 紫上は御心の辛いままに、一心にお祈りをなさいました。
そして源氏の君のために旅の夜具をお誂えなさいました。粗末な固織りの御直衣や指貫が、いままでとはすっかり変わった心地がして非常に悲しいですのに、「お側を去らぬ鏡……」とお詠みになった面影が本当にわが身に寄り添っているように思えますのも、何と空しいことでございましょう。
 源氏の君が出入りなさった辺りや、いつも寄り掛かって座っておられた真木柱(まきばしら)をご覧になるにつけても、胸が潰れる思いがして、あれこれ思い巡らして悲しくなられました。まして紫上は幼い頃より源氏の君に馴れ親しみ、時には父としてお育ちになったのですから、恋しくお思いになるのも無理のないことでございます。一途にこの世から亡くなってしまわれたなら、次第に忘れもするでしょうけれど、須磨という所はそれほど遠くはないですし、いつまでという期限のある別れではありませんので、なおさら物思いは尽きることがないのでした。

  藤壷の入道の宮も、春宮の御事で、大層思い嘆いておられました。前世からの因縁をお考えになりますと、どうして源氏の君を疎かに思うことができましょうか。長い年月には、ただ世間への気兼ねから、少しでも源氏の君に愛情ある気配を見せれば、他人に見咎められるかもしれないと、一途にご自分の想いを抑えておられました。更に、源氏の君からの熱い想いの多くを無視なさり、不愛想にあしらいなさいました。それほど辛い世間の陰口ですのに、お二人の間柄については少しも噂にのぼることなく済みましたのは、源氏の君の御心配りや、かつて強引に迫った源氏の君の恋心に身をまかせることなく、自分の本心(源氏の君を愛する心)を隠し通したからだった等と、しみじみと思い出すのでございました。お返事も心を込めて「この頃はますます涙にくれ……、


   しほたるることをやくにて松島に 年ふる海人も嘆きをぞ積む

     (訳)涙の流れることを日々の努めとして、松島で年を過ごす海人の私も嘆きを
        重ねております。

 尚侍(かん)の君(朧月夜)からのお返事には、
  

   浦にたく海人だにつつむ恋なれば くゆる煙よ行く方ぞなき

     (訳)須磨の浦で塩を焼く海人でさえ人に包み隠す恋ですから、
        胸の中にくすぶる恋の煙は行く方もありません。

更なることは、ここに書くことはできません」とだけ少々書いて、中納言からの手紙の中に入っておりました。中納言の手紙には朧月夜の君のお嘆きになる様子が細かに書かれておりまして、悲しくなられ、源氏の君はおのずと泣いてしまわれました。

 紫上からは、源氏の君が特別に心を込めてお書きになったお手紙のお返事ですから、心打つしみじみとした事が多く書かれ、


   浦人のしほくむ袖に比べ見よ 波路へだつる夜の衣を

     (訳)須磨で潮を汲む浦人(源氏の君)の涙に濡れる袖に比べて見てください。
        波路を遠く隔てる都で、独り寝の夜の私の寂しさを、ここにお送りした夜具を見て思いやってください。

 紫上がお送りになった夜具の色合いやお仕立てが大層美しいのをご覧になって、ご自分の思い通りに 紫上が何事も洗練され、上手にお作りになりますので、なお一層愛しくお思いになりました。須磨では他の女性の所に心忙しく通うこともなく、今なら落ち着いて2人で語らう時間も持てるのにと、源氏の君は誠に残念にお思いになりました。夜も昼も紫上の面影が浮かんで、恋しさに耐え難く思い出されますので、やはり忍んで、こちらに呼び寄せようか等とお思いになりましたが、また思い直して、「どうして、そんなことが出来ようか。このように辛い世に、せめて前世の罪だけでもなくそう……」と、一心に御修行をなさいまして、明け暮れ誦経を続けなさいました。
 左大臣の若君(夕霧)の御事なども手紙に書いてありました。「大層悲しいけれど、きっといつかは逢うこともあろう。頼りになる大宮(葵の母)たちがいらっしゃるので、心配はいるまい……」と、子を思う親の道に迷うことはないようでございました。

 そうそう、あれこれ騒がしかったので取り紛れ、語り漏らしてしまいました。源氏の君は、あの伊勢の斎宮にもお手紙をお出しになりました。ある日、六条の御息所のもとより、わざわざお遣いが訪ねて須磨に参りました。お手紙には深い御心のうちなどお書きになり、その言葉や筆使いなどは、人より格別に雅やかで、嗜み深く思われました。
 「やはり現実のこととは思えない須磨の御住処のご様子を承りますと、私の心は明けぬ闇の中を迷っているように思われます。源氏の君がそう長く都を離れていることはないと思いますにつけても、私は罪深き身ですから、また貴方にお逢いできるのは遥か先のことでしょうけれど……。


   うきめ刈る伊勢をのあまを思いやれ もしほたるてふ須磨の浦にて

     (訳)浮き布(海藻)を刈る海人とおなじように、この伊勢で辛い思いでいる私を
        思いやって欲しい。涙に濡れるという須磨の海辺で……。

万事につけて思い乱れるこの世の中も、一層どうなってしまうのでしょうか」等、沢山書いてありました。しみじみ悲しくお思いになるまま、筆を置いては書き、置いては書きなさいまして、白い唐の紙を四、五枚をのりで貼って巻紙にして、墨つきなども大層美しく、誠に見所のあるお手紙でした。 「昔、愛しく想っていた方なのに、生霊となって葵上を殺したという思い込みがあり、更に御息所も私を疎んじて、伊勢に別れて行ってしまった……」と源氏の君は思い出しなさいますと、いまだに心慕わしく、畏れ多いこととお思いになりました。 こういう折にいただいた手紙は大層心打つものですので、その御遣者まで親しい気がして、二、三日滞在させなさいまして、京の物語などをお聞きになりました。若々しく、嗜みの身に付いたこの警護の武官は、これほど侘びしい御住まいで、源氏の君をお側近くで見申し上げて、誠に素晴らしいと涙を流しておりました。源氏の君はお返事をお書きになりました。「このように、都を離れることが前もって分かっておりましたら、貴女を慕って伊勢に参りましたのに等と思っております。所在もなく心細いままに、


   伊勢人の池に上漕ぐ小舟にも うきめは刈らでのらましものを

     (訳) 伊勢人のあなたが波の上を漕ぐ小舟に乗ってご一緒しましたものを……。
         須磨で海藻を刈るような辛い目に遭わずに、

いつまたお逢いできるのか分かりませんので、尽きせず悲しく思われます」等とありました。

 一方、花散里は悲しいと思うままを、あれこれお書きになりました。


   荒れ勝る軒のしのぶをながめつつ しげくも露のかかる袖かな

     (訳)源氏の君が京を去ってから、ますます荒れてきた家の軒に生える忍ぶ草が
        長雨に濡れるのを見つつ、貴方を想って私の袖は涙に濡れております。

源氏の君は、「雑草より他に、後見してくれる者がないのか……」と気の毒にお思いになりました。姫が「長雨に塀が所々崩れて……」とお書きになりましたので、京の邸の家司に命じて、修理するようにお命じになりました。



 朧月夜の君は、源氏の君との逢瀬が露見して宮中の笑いになり、大層沈み込んでおられましたが、右大臣が誠に可愛がっておられる姫君ですので、懸命に弘徽殿の大后や内裏にお願いなさいまして、御息所(帝の妻)としてではなく、公の宮仕えの尚侍(ないしのかみ・女官の最高位)として、帝にお仕えできるようになさいました。源氏の君との密通という憎むべき由もあって、一時は参内を禁止という処分もとられましたが、今はそれも許されて、参内できるようになりましたのに、尚侍の君(朧月夜)はやはり心を染めた源氏の君を、いまなお愛しくお想いになっておられたのでございます。

 初秋七月になって、尚侍の君が参内なさいました。朱雀帝にはこの姫君への大層深いご寵愛の名残りがありますので、人の謗 (そしり)もおかまいにならず、以前のようにずっとお側に仕えさせなさいまして、ほのかに恨み事を仰せになったりしながらも、しみじみと契りなさいました。朱雀帝はご容貌も誠に雅やかで輝くばかりお美しいのですけれど、尚侍の君は源氏の君を思い出すばかりで、帝には畏れ多いことでございます。

 管弦の遊びの折、帝は「あの人(源氏の君)がいないのが、まったく寂しいものだ。私以上にそう思う人も多いことだろう。何事にも誠に光が失せたような心地がします」と仰せになり、更に、
 「桐壺院のご遺言に背いてしまいました。私は後の世で罪を受けることになるだろう」と涙ぐみなさいまして、尚侍の君も涙を堪えることができませんでした。帝は、
 「この世の中は、生きていてもつまらないと思い知るにつけても、私もこれから先、久しく生きていくとは思っておりません。私が亡き後、貴女はどうお思いになるのでしょう」と大層慕わしいご様子で、物事をしみじみ心深くお思いになって仰せになりましたので、尚侍の君は、ほろほろと涙をこぼされました。
 「それごらん、誰のために落ちる涙でしょうか。今まで、私達2人の間に御子がないのが誠に寂しいことだ。桐壺院のご遺言通り、春宮(藤壷の御子)を皇太子につけようと思うけれど、よからぬこと(右大臣や大后の反対)も出てくるようなので、誠に辛いことです」と仰せになりました。この若い朱雀帝の御心に反して、政治の実権を握る人々がいるのでございます。この帝はまだご意志も強くない年齢ですので仕方ないのですが、内心では、源氏の君を大層気の毒にお思いのようでございました。



 須磨には、ひとしお心に染みる秋風が吹いてきます。源氏の君のお住まいは、海から少し離れていますけれど、あの在原の行平が「関を吹き越える……」と詠んだその浦波が打ち寄せては、夜毎に大層耳もと近くに聞こえまして、このような所で迎える秋はしみじみ心打つものでございました。
 ある夜、源氏の君の御前にはお仕えする人も少なく、誰もが寝ていますのに、源氏の君は独り目を覚まして、枕から頭を持ち上げて、周囲の激しい風の音をお聞きになりますと、波がすぐ近くに打ち寄せる気持がして悲しくなられ、枕も浮かぶほどに涙を流されました。琴を少しかき鳴らしなさいましたけれど、われながら一層寂しく聞こえましたので、弾くのをお止めになり、


 恋ひわびて 泣く音にまがふ浦波は 思ふかたより風や吹くらむ

  (訳)独り恋しさに泣く人の声のような海鳴りの音が聞こえるのは、
    愛しい人の泣く都の方から風が吹いているからなのでしょうか。

 声をだしてお詠みになりましたので、お仕えしていた人々は目を覚まして、素晴らしいと思いながらも、悲しさに我慢できずに、涙を拭っておりました。源氏の君は、「この家来たちはどう思っているのだろう。私自身のことが原因で、僅かな時でさえも離れ難いほど大切に思っている家族から別れ、こんな所で途方にくれている……」と大層悲しくなられ、ここで私が思い沈んでは心細いだろうと、昼は何かと冗談などを仰って、皆の気分を紛らわしなさいました。
 所在なさに色とりどりの紙を継いで、古歌などをお書きになったり、珍しい唐の綾(絹)などに様々の絵などをお描きになりました。その絵を屏風の面に貼りますと、実に素晴らしく見所がありました。昔、北山で供人がお話しした海や山の風景を、源氏の君はずっと遠くのことと思っていましたが(「若紫」ー第五帖)今、目の当たりにご覧になりまして、筆も及ばぬほど美しい須磨の磯の風景を、上手な墨絵にお描きになったのでございます。供人たちは、
 「当節の有名な絵描きの千枝や常則などをお呼びになって、この絵に彩色させたいものだ……」などと皆、残念に思っておりました。源氏の君の慕わしく素晴らしいご様子に、家来たちは世の辛さも忘れて、源氏の君にお仕えすることを嬉しく思っておりました。

 庭の植え込みの花が色とりどりに咲き乱れる美しい夕暮れに、源氏の君は、海を見渡せる廊にお出になりました。佇んで辺りを眺めるお姿が神に魅入られるほど不吉なまでに美しく、須磨という場所がらまして、この世のものとも思えない光景でございました。白い綾のしなやかな単衣の上に紫苑色の上着をお召しになり、色の濃い直衣で帯を緩やかに結んだくつろいだお姿で、「釈迦牟尼仏弟子」と名乗ってから、ゆっくりと経をお読みになりました。 遠く沖の方に幾つかの舟が漕いで行くのが見えます。小さい舟は、まるで小鳥が浮かんでいるように心細げに見え、列になって飛ぶ雁の声を舟の廬を漕ぐ音に似ているとお思いになりながら、物思いに沈んで眺めておられました。源氏の君がこぼれる涙ををお拭きになる御手に、握られた黒い御数珠(じゅず)が映えて美しく見えますので、都の女性を恋しく思う供人の心までもが、慰められるようでございました。


初雁は恋しき人のつらなれや 旅の空飛ぶ声の悲しき

 (訳)初雁は都に残してきた恋しい人の仲間なのだろうか。
    旅の空を飛んでいく声が悲しく聞こえてます。

とお詠みになりますと、良清が、


書き連ね 昔のことぞおもはゆる 雁はその世の友ならねども

 (訳)雁の列のように次々と昔のことが思い出されます。

    雁はあの頃の友でないのに……

更に、民部の大輔(惟光)が、

   心から常世を捨てて鳴く雁を 雲のよそにも思ひけるかな

     (訳)自分からすすんで常世(ふるさと)を捨てて鳴く雁を
        昔は別世界のことと思っていました。

 月が大層華やかに差し出てきましたので、源氏の君は、今宵は中秋の十五夜と気付きなさいまして、清涼殿の「月宴」の管弦の遊びを恋しく思い出され、「それぞれの所で女君たちも、物思いにふけって、この同じ月を眺めておられるだろうか ……」などと思いやりなさいまして、美しい満月を見守っておられました。「二千里も遠く離れた昔の友の心よ……」と口ずさみなさいますと、いつものように、我慢できずに涙が流れておちました。そして「霧が隔つる……」とお詠みなさいました藤壷の入道の宮のことが 言いようもなく恋しくなられ、更に折々のお姿が思い出されて、よよとお泣きになりました。
 「夜が更けてしまいました」とお供の人が申し上げましたが、やはり源氏の君はお部屋にお入りになりません。


見るほどぞしばしなぐさむ めぐりあはむ月の都は遥かなれども

 (訳) この月を見ている間は、しばし心が慰められます。いずれ めぐり逢う京は遥か遠くにあるけれど……

あの夜、朱雀帝が慕わしく昔物語などなさいましたご様子が、亡き桐壺院に似ておられましたのを恋しく思い出しなさいまして、「恩賜の御衣 (ぎょい)は今もここにあり……」と吟じながら、ようやく部屋にお入りになりました。御衣は、本当に御身から離さずいつも側に置いておられました。

 その頃、太宰(だざい)の大弐(だいに)が都に上ってまいりました。その一族は盛大で、しかも娘が多く窮屈なほど大勢ですので、その北の方御一行は、舟で浜づたいにゆっくり京に上って行きました。ちょうど須磨の辺りは、特に眺めの素晴らしいところなので、皆、心惹かれるようでした。更に源氏の君がこの須磨におられることを聞いて、若い娘たちはただ訳もなく浮ついて、舟の中でさえも恥ずかしげに装い、気取っておりました。まして五節(ごせち)の舞姫(源氏の君の昔の恋人)は、舟が綱を引いてこのまま須磨を通り過ぎるのを、残念にお思いになりました。折も折、琴の音が風に乗って、遠くから聞こえてきました。源氏の君の高貴なご身分、美しい須磨の風景、琴の音の心細さなどをあれこれ取り集めますと、情緒の分かる人々には、胸の詰まる思いがいたしました。

 師(そち・太宰府の長官)が、源氏の君にお便りなさいました。
 「遥か遠い任地から京に上ります折に、思いがけなく源氏の君がこのように寂しい須磨においでになり、そのお住まいを私が通り過ぎますことは、畏れ多くも悲しいことでございます。知り合いの人々が沢山迎えに来ておりますので、気遣いをして遠慮すべき事等多々ありまして、お伺いできないことが心残りでございます。あらためて、お伺いすることになりましょう」とありました。
 子の筑前の守がこの手紙を持って参上いたしました。この人は以前、源氏の君が蔵人に取り立て目をかけた人なので、源氏の君のご離京を実に悲しいことと思っておりました。 源氏の君は、
 「都を離れてのち、昔親しかった人々に逢うことさえ難しくなりましたのに、このように、わざわざお立ち寄り下さるのは、大層嬉しいことです」と仰いましたが、他人の目があり噂にたつことを気遣って、須磨にゆっくりお引き留めもできません。やがて筑前の守は泣く泣く帰られまして、父・師に源氏の君のご様子をお話しになりました。それを聞いて、師をはじめ都から出迎えに来ていた人々も皆、大層泣いてしまいました。

五節の姫君はあれこれ手を尽くして、源氏の君にお便りなさいました。


   琴の音に 引き留めらるる綱手縄 たゆたふ心君知るらめや

     (訳)琴の美しい音に引き留められた私です。綱手縄のように
        揺れ動いてためらう私の心を貴方はご存知でしょうか

女の方からお手紙差し上げますのを、どうかお咎めなさらないでください。」 源氏の君がにっこり微笑みながら、その手紙をご覧になるお姿は、周囲の人が気後れするほど美しくございました。


   心ありて引き手の綱のたゆたはば うち過ぎましや須磨の浦波

     (訳)私を想う心があって、引き手綱のようにためらって留まっていらっしゃるなら、
        須磨の浦をこのまま通り過ぎることは、なさらないでしょう。

 私はこんな所で漁をするとは思ってもいませんでした」とお返事なさいました。まして姫君は、ここに留まってしまいたい……、そんな気持でおられました。



 都では、月日が過ぎるにつれて、朱雀帝をはじめ多くの人々が、源氏の君を恋しくお思いでございました。まして春宮はいつも源氏の君を恋しく思い出しなさっては、忍んでお泣きになりました。それを見る御乳母(めのと)や王命婦 (おおのみょうぶ)もしみじみ悲しく思っておりました。

 藤壷入道の宮は、
春宮の御身に不吉なことでも起こりはしないかとご心配になり、源氏の君がこのように流離の身でおられますことを、大層お嘆きでございました。源氏の君の皇子たちや親しい上達部(かんだちめ)などは、はじめの頃はお便り等をなさいまして、しみじみ心に染みる漢詩文を作り交わしなさいましたが、ある時、源氏の君の作られた文が、人々から誉められる程に素晴らしいので、后の宮(弘徽殿の女御)がそれをお聞きになって、
 「朝廷の罰を受けている者が、気ままに日々の趣を味わうことは許されないはずなのに、須磨で結構な家を作り、世の中を悪く言うのはけしからんことだ。世間には源氏の君にお世辞を使っている人がいるようだ……」と、大層ご立腹なさいました。それ以降、源氏の君にお便りする人も無くなってしまいました。

 二条院の紫上は、月日の経つにつれて、ますますお心の慰むる時もありません。東の対屋で源氏の君に仕えていた女房たちが、皆こちらに移って参りました初めの頃は、紫上をそれほどの女性ではあるまいと思っていましたが、見慣れるにつれ、親しみ深く美しい御様子や、細やかな御気配りが大層思いやり深く優しいので、宮仕えを辞めて退出する者などもおりません。女房たちには、沢山の女性たちの中で、特に優れて源氏の君の愛情が深いのも当然のことと思っておりました。


 源氏の君は、須磨のご滞在が長くなるにつれて、とても独りでは我慢して過ごすことができないとお思いになりましたが、
「わが身でさえ驚くような運命と思えるこの侘び住まいに、どうして愛しい紫上を連れてこられるだろうか……」と思い直しなさいました。こんな田舎ですので、万事の事が都と異なっていて、源氏の君が今までご存知なかった貧しい下人の生活を身近にご体験なさいますと、新鮮な気持の反面ただあきれるばかりで、自分のような高貴な身分がもったいないとさえお思いになりました。
 家の中にまで煙が流れてくるのを(これは海人が塩を焼く煙なのだ)と思い続けておられましたが、実は背後の山で柴を煙らせているものでした。


   山がつのいほりにたける しばしばも こととひこなむ恋ふる里人

     (訳)山里に住む賎しい者の小屋で炊いている柴の名のように、
        しばしば便りをしてほしい、私の恋しい都の人(紫上)よ

 冬になりました。源氏の君は空の様子を大層寂しく眺めなさいまして、琴をつま弾いては良清に歌を唱わせ、大輔(惟光)に横笛を吹かせて合奏なさいました。源氏の君が心を込めて、しみじみ心を打つ曲などをお弾きになりますと、他の者は奏するのをやめて聞きほれ、皆涙を拭いました。折しも月が大層明るく、粗末な旅のお住まいの奥まで月光が差し込んでおりました。床の上から夜更けの空に入方の月が寂しく見えますので「これから、まっすぐ西の方へ行く……、


   いづかたの雲路にわれも迷ひなむ 月の見るらむことも恥ずかし

     (訳)どちらの方向の空に私も迷って行くのだろう。月が私を見ているようなことも
        私には恥ずかしい

と独り言を仰いました。いつものように寝つけぬ夜明けの空に、千鳥が大層もの悲しく鳴きました。


   友千鳥もろ声に鳴くあかつきは 一人寝覚めの床もたのもし

     (訳)群千鳥が声合わせて鳴いている夜明けは、床に一人目覚めても、仲間が
        いるので頼もしく思われます。

 他に起きている人もないようですので、幾度も独り言を口ずさんでお寝みになりました。夜深く、お手水(ちょうず)をお使いになり、お経をお読みになりますのも、まことに素晴らしく思われ、良清は源氏の君を見捨てることもできませんので、少しの間でさえ 播磨の自分の家に帰ることもありませんでした。


 明石の浦は、須磨から這って行けるほど近い所にありますので、良清の朝臣(あそん)はあの明石入道の娘の事を思い出しておりました。早速手紙などを出しましたが、返事もありません。ただ父の入道から  
「申し上げたいことがありまして、ちょっとの間でもいいですから、お会いしたいものです」と、返事がありました。良清は、わざわざ出向いても、娘が申し出を承知することはないだろう。空しく帰る後姿も、みっともないことだろう等と、すっかり気が滅入って、出かけようともしません。  明石の入道は、世に類の無いほど気位が高い人でした。播磨の国の人々は、国守の縁故者だけが偉い人と思っているようですが、入道の偏屈な心には全くそうは思えません。そこへ源氏の君が須磨においでになったと聞いて、娘の母君に申しますには、
 「桐壺更衣のお産みになった源氏の光君が、朝廷のお咎めを受けて、この須磨の浦に来ておられるそうです。わが娘の御因縁で思いがけないことがあるものです。何とかしてこの機会に、源氏の君に娘を差し上げようと思うのだが……」と申しました。母君は、
 「貴方はよく分かっていないのです。京の人の話を聞けば、源氏の君はご身分の高いご正妻を大勢お持ちになりますのに、人目を忍んで、朱雀帝の御妻(朧月夜)とまで、過ちをなさいました。このように世間で騒がれておられる方が、どうして賎しい田舎娘にお心をお留めになるわけがありましょうか」と申しました。入道は腹を立て、
 「お前こそ分かっていない。私の方がずっと娘の将来を考えているのだから、その心づもりでいなさい。よい機会を作って源氏の君をここにお連れ申しましょう」と強気になって言いますのも、いかにも頑固者らしく見えました。入道は家の中を眩いほどに設え、娘を大切にして、大層着飾って育てておりました。母君が、
 「源氏の君がいくら素晴らしい方と言っても、娘の初めての縁談に、罪を受けて須磨に流されていらした方を、婿に迎えようとは思いもかけませんでした。それにしても源氏の君が 娘に心を留めて下さることはまずないでしょう。戯れにしても、ありそうもないことでございます」と言いますのを聞いて、入道はぶつぶつ文句を言っておりました。
 「人より格別に優れた才能ある人が罪を受けることは、世間にはよくあることです。お前は源氏の君をどう思うのか。 故母・桐壺更衣は、私の伯父である按察大納言(あぜちだいなごん)の御娘なのです。大層素晴らしいという評判から、宮仕えにお出しになりましたが、桐壺帝から格別のご寵愛を受けましたため、女房たちの嫉みも強く、遂には亡くなられてしまいました。しかしこの源氏の君がこの世に留まりなさいましたのは、大層素晴らしいことでございます。全く桐壺更衣のように、女性は気位を高く持つべきものです。この私が田舎者だからという理由で、源氏の君が娘を見捨てなさることはないだろう」等と言いました。
 この娘は特に優れて美人ではありませんけれど、とても慕わしく上品で、深い教養を供えた様子などは、高貴な人に劣るまいと思われるほどでございました。娘は、自分をつまらない者と思い知って、 「高貴な人は私をものの数にも思うまい。身分相応の縁組みなら、決してお受けしないようにしよう。私が長生きして、自分を思ってくれる父母に先立たれたら、尼にでもなってしまおう。または海の底に入ってしまおうか……」などと思っておりました。 父の入道は、大袈裟なほどに娘を大事に育てて、年に二度、住吉神社に参詣させて、神の御利益(ごりやく)を人知れず頼りに思っていたのでございました。



 年が改まって日が長くなり、何とも所在ない頃に、須磨では、去年植えた若木の桜がほのかに咲き始めました。空の気色も麗らかな折、源氏の君は都を思い出しなさいまして、お泣きになることが多くございました。


   いつとなく大宮人のこひしきに 桜かざししけふも来にけり

     (訳)いつと言うこともなく、大宮人が恋しく思われます。
        帝が桜を私の髪に飾ったあの日が、また巡ってきました。


 源氏の君が所在なく過ごしておられますと、左大臣家の三位中将 (さんみのちゅうじょう・もと頭中将)が、突然、須磨まで参上なさいました。今は宰相(さいしょう) になられ、人柄も大層素晴らしいので、世の中の人望も重くおられますのに、ご自分では世の中が哀れでつまらなくなられ、何かの折ごとに源氏の君を恋しくお思いになられました。もし源氏の君を訪ね、それが右大臣方の耳に入って、罪を問われることになっても、どうでもよいとまでお思いになって、おいでになったのでございます。久しぶりの源氏の君との御対面は、嬉しいにつけても、悲しいにつけても、ただ涙ばかりが流れるのでございました。
 源氏の君のお住まいは唐風で、辺りは白楽天の絵に描かれたように美しく、垣は竹で編んで囲ってあり、石の階段や松の柱は粗末なものですが、目新しく趣深いものでした。
 源氏の君は山里人のようで、薄紅色の黄色がかった衣に青鈍色の狩衣、そして指貫という気楽なお姿で、特に田舎染みたお姿ですのも、かえって素晴らしく、見ていると笑まれる程に美しうございました。
 お使いになるお道具類も、間に合わせだけになさいまして、普段おられます御座は、外から見通せるところにありました。碁、雙六の盤、道具、弾棊(たぎ)の具などは田舎造りで、念仏誦経のためのお道具もすぐ傍らに置いてありますので、日頃きちんと勤行をなさっておられるように見えました。召し上がるお食事なども、特に田舎に相応しく、趣ありげに調えられておりました。漁師たちが貝類を持って上がりましたので、三位の中将が御前にお呼びになりました。そして漁師たちに、この須磨の浦の様子などを尋ねさせなさいますと、海人は様々に不安な身の辛さを訴え申しました。取り留めなく早口でしゃべるのをお聞きになり、
 「心の行く末は皆、不安そうで、貧しい海人も私と、何か違うところがあろうか……」としみじみ心打たれておいでになりました。御衣などをご褒美として与えますと、海人は生きていた甲斐があったと感涙を流しました。馬数頭を近くに立たせて、見渡せる所にある倉から稲藁を取り出して餌として与えているところを、中将は大層もの珍しくご覧になり、催馬楽(さいばら)の「飛鳥井」を少しお謡いになりました。そしてお二人はこの数カ月の出来事をお話しになり、泣いたり笑ったりなさいました。
 中将が「若宮(夕霧)がこの辛い世をただ無邪気にいらっしゃる悲しさを、祖父大臣殿が明け暮れ思い嘆いておられます」等とお話しになりますと、源氏の君は耐え難くお思いになりました。京の話は尽きることがありませんでした。
 お二人は一晩中お寝みにもならず、詩文を作っては夜を明しなさいました。中将は、たとえ咎められようとも……と思いましたのに、今は世間の評判を気にして、急いでお帰りになることになさいました。お逢いしたことが、かえって辛く悲しい思いがしたようでございます。
お二人は別れの御盃を交わされ、「酔って悲しみの涙が、春の盃の中に注がれる……」とご一緒に吟詠なさいました。これを聞いていた供人も皆、涙を流しました。朝ぼらけの空に、折しも 雁が列を連ねて渡っていきました。


   ふるさとをいづれの春が行きて見む 羨ましは帰る雁がね
 
     (訳)懐かしい都をいつの春に帰って見ることがきましょう。
        これから帰る雁(中)が羨ましい

 中将はとても帰る気持ちなれなくて、


   飽かなくにかりの常世を立ち別れ 花の都道やまどはむ

     (訳)まだ物足りないまま、雁が常世を別れるように、私も別れ行きますが、
        花の都への帰る道に迷うでしょう。

 都からのお土産などが、大層風情ありげに届けられましたので、源氏の君はこのようなかたじけないご来訪のお見送りの品にと、世にも珍しい黒毛の名馬をお贈りなりました。
 「罪人からの贈物など不吉だとお思いでしょうけれど、馬が都からの風に当たると懐かしがって、嘶 (いなな)いてしまいますから……」と申しなさいました。そこで中将は、
 「形見として、私を思い出してください」と、名のある立派な笛だけをお贈りになりました。他の人に目立つようなことはしないように、お互いにお心遣いなさいました。

 日もだんだんと昇ってきました。中将は心慌ただしく、振り返りながらご出発なさいますのを、お見送りをなさる源氏の君のお気持は、喜びと悲しみの気持ちが半ばのようでございました。中将は、 
 「いつまたお逢いできるのでしょう。それにしても、源氏の君がいつまでもこのままでいるのは、長いことはないでしょう」と申しますと、主人の源氏の君は、


   雲近く 飛びかふたづも空に見よ われは春日の曇りなき身ぞ

     (訳)雲近く飛び交う鶴のように、宮中におられる貴方も空から下にいる私を
        見てほしいものです。私は春の日のように、一点の曇りもない清らかな身です。

世間から信頼されながら、流罪になった人(菅原道真)のように、昔の賢い人でさえ 再び世間に戻ることは難しかったことを思いますと、どういう訳か、私もまた、都を見る事が出来るとは思えないのです」などと仰いました。 宰相の中将は、


   たづかなき雲居にひとりねをぞなく 翼ならべし友を恋ひつつ

     (訳)頼りない宮中で、私はひとり寂しい思いをして泣いております。
        昔ともに翼を並べた親しい友を恋い慕いながら……。

かたじけなくも親しくしていましたのに、こんなに辛い目に遭うならば、いっそ逢わなければよかったと、悔しく思う折が多くございます」等と申しまして、しんみりと別れを惜しむ暇もなく、急いでお帰りになりました。源氏の君は、その後ますます悲しく物思いに沈んでお過ごしになりました。



 三月初めの巳の日、物知りぶった人が、
 「今日は何か思い悩みのある人は、禊(みそぎ) をなさらないといけません」と申し上げますと、源氏の君は、海辺の景色も見たいと思っておられましたので、早速お出かけになりました。海辺にお着きになり、幔幕(まんまく)を囲いめぐらして、摂津国に都から通ってきた陰陽師(おんようじ・役人)をお召しになり、御祓えをおさせになりました。舟に大袈裟な人形を乗せて流すのをご覧になり、わが身になぞらえて、

 
 知らざりし 大海の原に流れ来て ひとかたにやはものは悲しき

     (訳)見知らぬ大海原に流される人形のように、私は須磨に流れ来て、
        何とも悲しいことです。

源氏の君が、こんな晴れやかな場所に座っておられますお姿は、言いようもないほどご立派に見えました。海の面は麗らかに見渡す限り果てしなく、源氏の君は、これまでのことや将来のことを次々に思い浮かべなさいまして、


  八百万神も哀れと思らむ 犯せる罪のそれとなければ

  (訳)八百万の神も私を哀れと思って下さるでしょう。

......私には犯した罪がこれとはっきりしたものがありません。

 その時、突然に風が吹き出して、空も真っ暗になってしまいました。 御祓えもまだ終わりきっていませんのに、肘笠雨(ひじかさあめ)という土砂降りのにわか雨が降り出しましたので、雨笠を取る暇もなく、皆急いで帰ろうとなさいました。急に今まで例のないほどの強風が、全てを吹き散らしてしまいましたので、人々は足が地につかないほど大慌てでした。高波は大層恐ろしげに打ち寄せ、海面は布団を張り詰めたように色付いて光り、雷が轟き稲妻がひらめき、雷が頭上に落ちるような心地がする中を、やっとのことでお邸に辿り着きました。供人は、
 「今までこんな目に遭ったことはない。風などが吹くことはあるが、前もってその気配があるものなのに、これは本当に呆れるほど珍しいことだ」と動揺しておりました。雷はなほ鳴り止まず、雨脚が当たる所を突き通しそうな勢いで、バタバタ音をたてておりますので、「こうして、この世は終わるのか……」と皆、心細く思い惑っていますのに、源氏の君は、ゆったりとお経を唱えておられました。
  日が暮れると、雷は少し鳴り止みましたが、風は夜になっても吹き続けました。供人は、
 「雷が静かになったのは、神仏に多くの願をたてたその御利益(ごりやく)だろう。今しばらく続いたら、皆が高波に引き込まれてしまっただろう。津波というものに、急に人の命が損なわれる事があると聞くけれど、全くこんなに恐ろしいことは、今まで経験したことがない」等と言い合っておりました。

 明け方、皆はまだ寝入っておりました。源氏の君も少し寝入りなさいますと、夢に誰とも分からない人影が現れて、
 「宮中からお召しがあるのに、どうして参上なさらないのか……」と歩き回りました。その姿を見て、源氏の君は、はっと目を覚まし、「さては海の中の竜王が、大層美しいもの好きで、この私に目をつけて現れたのか……、気味が悪いことだ。もうこれ以上、ここに住むのは堪えがたい……」とお思いになりました。



 ( 終 )

源氏物語ー須磨(第十一帖)
平成十二年七月 WAKOGENJI(訳・絵)

目次に戻る