やさしい現代語訳

源氏物語「明石」(あかし)第13帖


源氏の君27歳、明石の上18歳、紫上19歳の頃の物語

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 


 やはり雨風は激しく、雷も鳴り止まずに幾日も過ぎました。源氏の君には心細いことがつぎつぎ起こりますので、強いて気を強く持つことさえお出来になりません。「どうしたら良いのだろう。このような天変地異だからと言って、都に帰ることは、まだ世間に許される事ではないし、人々の物笑いになるだろう。ここよりもっと山深い所を捜して、身を隠してしまおうか。しかしそれでは「波風に騒がれて……」と世間の人が言い伝えて、後世まで軽々しい名前を残すことになるだろう……」等と思い乱れておられました。
 ある夜、源氏の君の御夢の中に、以前現れたと全く同じ物の怪が現れて、まとわりついて離れない様子をご覧になりました。更に雲の晴れ間も無いまま、明け暮れる日数が加わるにつれて、ますます不安になられ、
「このまま我が身はさまよい、落ちぶれてしまうのだろうか……」と、心細くお思いになりました。外に出ることができないほどの悪天候の中、都からお見舞いに来る人も、しばらくありませんでした。

 ある日、紫上のいる二条院から、この悪天候の中、びっしょり雨に濡れた 変な姿の使者がまいりました。道ですれ違っても、人か獣か見分けようもないほどの姿でしたので、まず追い払われてしまうに違いないこの下人でさえも、源氏の君にとっては、何とも懐かしく しみじみ嬉しくなられました。われながら大層かたじけなく思われ、すっかりふさぎ込んでいるご自分の様子を 思い知られたようでございました。
 紫上のお手紙には、「この驚くばかりの、雨が少しも止むこともない空の様子は、空さえ閉じてしまう様な暗い心地がして、じっと物思いに沈みながらも、心を晴らす方法さえありません。


    浦風や いかに吹くらむ思ひやる 袖うち濡らし波間なきころ

      (訳) 須磨の浦風はどんなに激しく吹いているでしょう。
          私の袖は濡れ、涙の乾く暇もないこの頃です。

紫上はしみじみ悲しい事を、書き集めなさいましたので、それを読んだ源氏の君は、ますます涙があふれるほど悲しく、心が真っ暗な気持がなさいました。

 「京でも『この雨風は大変奇怪な物の怪のお告げである』として、仁王会(にんおうえ・般若経を講ずる行事)が行われると聞きました。宮中に参上する上達部なども、激しい風雨で通い来る道が塞がってしまいましたので、参上することもできず、御政治(まつりごと) も絶えて行われません」等、たどたどしく書かれていましたが、源氏の君は京のことをもっと詳しく知りたいと、その下人を御前にお召しになり、状況を質問させなさいました。
 「ただ相変わらず雨が降り続いて、激しい風が吹き出しては幾日にもなり、通常の事ではないと驚いております。このように地の底に通り抜けるほどの雹 (ひょう)が降り、雷が鎮まらないことは、今までになかったことです」等と言って、この恐ろしい様子を語る下人も大層辛そうですので、源氏の君の心細さが更に増すようで、(このようなことが続いて、この世は終わってしまうのだろうか……)とお思いになりました。

 その翌日の夜明け頃から、風が一層激しく吹き荒れ、潮が高く満ちて、巌も山も残らず吹き飛んでしまいそうな激しさでした。雷が鳴り 稲妻の光る様子は、言いようもないほど恐ろしく、全ての者が大層取り乱しておりました。下人は、
 「私はいかなる罪を犯して、このような悲しい目に遭うのでしょうか。父母にも会えず、愛しい妻子の顔を見ないで、ここで死んでしまうに違いない……」と嘆きますので、源氏の君は御心を鎮めて、
「わが身は何ほどの過ちでこの須磨の渚で命を終わるというのか。いや終えてなるものか……」と、強くお思いになりました。
そして御弊(みてぐら)を神に捧げさせなさいまして、
 「住吉の神よ、この近辺を鎮めお護り下さい。御仏が救済のために現れた神ならば、どうぞ私達をお救い下さい」等と、多くの大願をお建てになりました。
 供人たちは、各々自らの命はともかくとして、源氏の君がここで命を落とすことは、大層悲しいことなので、心を振るい起こし、わが身にかえて、この源氏の君の御身一つをお救い申し上げようと、大声を合わせて、仏神にお祈り申し上げました。供人は、
 「源氏の君は帝の御子として、深い宮中でお育ちになりましたが、その深い愛情は、大八洲(おおやしま・日本中)に行き渡り、落ちぶれている人々をもお救いになりました。それなのに、今、一体何の報いで、この異常な波風に溺れそうなのでしょうか。 罪もないのに罰せられ、官位を剥奪され、都を去って、明け暮れ心静まる時もなくお嘆きでございます。天地の神よ、どうかお救い下さい」と祈りました。
源氏の君も、
 「このように悲しい目に遭い、命まで尽きようとするのは、前世の報いためか、それともこの世で犯した罪のためなのだろうか。明らかに神仏がおられるならば、この辛いわが心を安らげて下さい」と、住吉の社の方に向かって、様々に祈願をお立てなさいました。更に、海の竜王や万の神に願を立てさせなさいますと、雷鳴がますます轟 いて、遂に、源氏の君の御座所に続いた廊に雷が落ちました。炎が激しく燃え上がって、廊は焼けてしまいました。人々はわれを忘れ、皆逃げ惑っておりました。供人は、ともかく源氏の君を南殿の後方にある大炊殿(おおたきどの・調理場)にお移し申し上げました。そこは、身分の上下の区別なく大勢の人々で混んでいて、騒がしく泣き叫ぶ声が、雷に劣らぬほどでした。空は墨を擦ったように真っ暗のまま、その日も暮れてしまいました。

 次第に風も静まり、雨脚も静かになりました。雲の切れ間から、星の光も見えるようです。ここの御座所が大層奇妙な感じがするのも畏れ多いことですので、源氏の君をもとの正殿の方にお移し申し上げようとしましたが、焼け残った建物の内部は、沢山の人が踏み散らかした上に、御簾などもみな、吹き飛んでしまいましたので、「夜が明けてからお移ししましょうか」などと、供人たちが思い悩んでおりました。その中で、源氏の君は今仏誦経をなさりながら、今後の事などを思い巡らしておられましたが、全く御心が落ち着かない様子でございました。
 折しも、月が差し出てきましたので、高潮がすぐ近くまで満ちてきた跡も はっきり見えました。源氏の君は柴の戸を押し開けて、荒波の余波がなお荒々しく寄せ返る様子を、物思いに沈んで眺めておられました。ここには、天地の真理を知り、過去将来のことをよく理解して、あれこれと判断出来る知識人もおりません。ただ卑しい漁人たちが、源氏の君の邸に集まってきて、
 「この風がもうしばらく止まなかったならば、高潮が寄せて、この辺りは残らずさらわれてしまっただろう。神様のお助けが並でなかったのだろう」と言うのをお聞きになりまして、大層心細く沈んでおられました。


   海にます 神の助けにかからずは しほの八百会(やおあい)にさすらへなまし

     (訳)海にいる神様の助けがなかったら、潮の流れの合う沖に漂っていたことだろう



 一日中、荒れ狂っていた風の騒ぎに大層お疲れになりまして、源氏の君は遂、うとうとなさいました。畏れ多いくらい粗末な御座所で、ただ寄り掛かっていらっしゃいますと、故桐壺院が、在世のお姿そのままに、目の前にお立ちになりました。
 「どうしてこんな所にいるのか。住吉の神のお導きに従って、早く舟を出して、この浦を立ち去りなさい」と、院は仰せになり、君のお手をとってお引き立てになりました。源氏の君は、
 「畏れ多き父君の御姿にお別れして以来、様々に悲しいことばかりがありましたので、今はこの須磨にこの身を捨ててしまうのでしょうか……」とお聞きになりますと、
 「とんでもないこと。これはただちょっとした何かの報いです。貴方が大変な苦労に沈むのを見ると耐え難く、海に入り渚に上り等して、ようやくここに来ました。この機会に 帝にも申し上げるべき事があるので、急いで都に上ります」と立ち去ってしまわれました。
 源氏の君は、名残惜しく、
 「私もお供として、京へ参りましょう……」と泣きなさいまして、目が覚めて父院を見上げますと、そこには人影はなく、月の面だけがきらきらとして、空の雲がしみじみと美しくたなびいておりました。夢のような心地もせず、源氏の君には、父院の気配がまだ残っているような気持がなさいました。長い年月、夢の中でさえ見たこともなく、恋しく心許なく思っていた父院のお姿を、今はっきりと見申し上げましたので、
「自分がこのように悲しみを極め、命尽きようとしているのを、父院があの世から助けに翔っていらっしゃったのだ……」と しみじみお思いになり、「よくぞ、このような天変地異が起こったものだ。起こらなければ、父院に会えなかったろう……」と限りなく頼もしく、嬉しくお思いになりました。胸が塞がったように辛く、父院に会ってかえって心が乱れ、現実の悲しいことも忘れ、
 「夢の中で、なぜお返事を細かに申し上げる間もなく、去ってしまわれたのか」と 残念に思い、気が晴れません。
 「また父院がお見えになるかもしれない……」と強いて眠ろうとなさいましたけれど、今は興奮して目をつぶることもできずに、やがて明け方になってしまいました。



 波打ち際に小さな舟を寄せて、二、三人の男が、源氏の君の旅の御宿を指してやって来ました。
「どなたですか」と問えば、
「播磨のもとの国司で、最近 出家した者でございます。源氏の君がお乗りになるお舟の支度を調えて、明石の浦よりお迎えに参りました。少納言(良清)がおられましたら、お逢いして事情をご説明申し上げましょう。」と申しました。良清は、
 「明石入道とは、播磨の国で懇意にしていた人です。長年の間、親しくしておりましたけれど、私事で、いささかお互いに恨みに思うことがありまして、格別な便りさえ交わすことなく、久しくなってしまいましたのに、この荒波の中を舟でやってくるとは、一体どんな事があったというのでしょうか」と大層驚いておりました。
父院の御夢など思い当たる事もありましたので、源氏の君は、
 「すぐに会いなさい」と仰せになりました。良清は早速舟の所に出向いて、入道に対面をいたしました。 
 入道は「三月上旬のある日、異様な者が現れてお告げを知らせる夢を見ました。『舟を支度して、雨風が止みましたら、必ずこの須磨の浦に舟をよせなさい。』というお告げでした。信じがたい事と思いましたものの、試みに舟の支度をして待っておりますと、ある日、激しい雨風に雷が轟きまして、はっとこのお告げを気付かせました。
「源氏の君がこの夢話をお取り上げなさらないまでも、このお告げのありましたことだけでもお知らせしなければ……」と舟を出しましたところ、この舟を追うように、不思議な風が細く吹いて、この浦に無事に着きましたことは、誠に 神のお導きが言葉通りでございました。ここでも何か思い当たることがありましたでしょうか。誠に畏れ多い事ですが、この旨を源氏の君に申し上げて下さい。」と申しました。
 源氏の君は御夢のこと等を いろいろ思い巡らしなさいますと、心穏やかではいられず、入道にお会いになりました。
 「世間の悪口も不安ですが、それを気にするあまり、真の神の助けと思われる入道の来訪を無視して、ここ須磨に留まることは、それ以上に物笑いに遭うかもしれません。自分は命の終わりにきて、大層辛い目の限りを見尽くしました。これ以上、後世に残る名誉は失うとしても、大したことはないだろう。夢の中でも父院の御教えがあったのだから、もう何を疑うことがあろうか……」と、心をお決めになりました。更に、
 「見知らぬ土地で、悲しみの限りに遭いましたけれど、今は都の方より便りをよこす者もありません。ただ遥かな空の月や日の光を、今は故郷の友たち(家臣)と思い沈んで眺めております。このような寂しいところに、よくぞおいでいただきました。そちらの明石の浦には、私が静かに余生を送るような場所がありましょうか……」と仰いました。
これを聞いて入道は この上なく喜び、
 「何がともあれ、夜の明けぬ内に、源氏の君をお舟にお乗せ申し上げましょう」と 申しました。
親しい供人だけ四、五人を連れて、源氏の君が舟にお乗りになりますと、例の不思議な細い追い風がまた吹いて、飛ぶように 明石の浦にお着きになりました。ただ這っても行けるほどに近い所ですので、一瞬の間と思えるほどでしたが、やはり不思議とまで見える 例の追い風が吹いたのでございました。



 明石の浜は、須磨とは格別に趣が異なっておりまして、人が賑やかに見えることだけが、源氏の君のご希望に反しておりました。明石の入道の領地は 山にも海辺にもあり、四季折々につけて、興を盛り上げるような草葺きの家々がありました。また修行をして 後世の事を思い願うようにと、山水の辺りに立派なお堂を建てて、念仏を一心不乱に勤行する場としておりました。更に日々の備えとして、秋の田の稲を刈り収め、積み上げた倉がいくつも並び、四季折々にその場所に相応しい見所となるように、全てが整えてありました。そして高潮を怖れて、娘などを高地の建物に住まわせていましたので、源氏の君は、この浜辺の御邸で、心安らかにお過ごしになれることでしょう。

 源氏の君が舟から御車に乗り移りなさいます頃、陽が次第に昇ってまいりました。ちらりと見た源氏の君の美しいお姿に、入道は老いを忘れ 寿命が延びるような気がして、まず住吉の神を拝み、ともかくもお礼を申し上げました。月と日の光の両方を手にしたような心地がして、源氏の君を 心を込めてお世話申し上げますのも、当然のことでございました。

 明石の景観は、今更言うまでもなく、入道が造り上げた風情も誠に素晴らしく、木立や立石、庭の植え込みなどは、言葉に言い尽くせないほど見事なものでした。入江の水辺などを絵に描けば、表現力の少ない絵師には これを描ききれないと思われるほど美しい様子でした。今までの須磨の住まいよりは、格別に明るく慕わしい感じがする上に、家の調度品なども立派で、その生活のご様子は、都の尊い方と変わらないほど優雅にまばゆく、むしろ都より勝っているようにさえ見えました。
 
 源氏の君は 落ち着きなさいましてから、都へお手紙をお書きになりました。
 参上していた紫上の使者は、「ひどい嵐の道に出てきて、大層辛い目に遭った…」と泣き沈んで、今だに須磨に留まっておりましたので、それをお呼びになって、身に余るほどのご褒美をお与えになり、都へお遣わしになりました。この供人が親しくしている人々のところには、この明石の有様を 詳しく言い伝えることになるでしょう。
 藤壷の入道の宮だけには、荒波の須磨から何とかよみがえった事などを、お知らせなさいました。
また二条院の紫上へのしみじみと胸を打つお手紙は、筆もなかなか進まず、筆を置いては書き、置いては書きなさいまして、涙を拭いつつ心をこめてお書きになりました。やはり紫上へのお気持が 格別なのでございましょう。
 お手紙には「繰り返し辛い目を見尽くしてしまいましたから、もうこれまでと出家をする気持のみが勝る日々でしたが、『鏡を見ても……』と歌われた貴女の面影が、私から離れることもありませんのに、出家するのはどんなものかと思うと、沢山の悲しい事は二の次になってしまいまして、


     遥かにも思ひやるかな知らざりし 浦よりをちに浦づたいして

       (訳)遥か都を思いやっています。見知らぬ須磨の浦より遠い明石の浦に
          浜づたいに参りました。

 侘びしい須磨を去り、この美しい明石に来たことが夢のようで……」、その夢が覚め果てぬ頃に書いた手紙ですので、とりとめなく 書き乱れておられるご様子に、この上ない紫上への愛情の深さが伺えるようだと 人々は思っておりました。
 
 明石の浜は降り続いていた雨が止み、その名残りもなく空は澄み切ってまいりました。漁をする海人たちも賑やかに騒いでおりました。須磨では漁師の岩屋さえも少なく心細かったですのに、ここ明石は、人の多いのが嫌ではありますものの、風情が違って味わい深いことが多く、源氏の君には万事に お心が慰められるようでございました。


 明石の入道は 大層心を澄ませて勤行を勤めておりますが、ただ一人娘の様子を、時折、源氏の君に辛そうに訴え申し上げておりました。源氏の君のお気持としては、以前から素晴らしい姫と聞いておられましたので、こうして思いもよらず巡り会いなさいました事も、そうなるはずの運命とお思いになりました。
「しかし このように身を沈めている間は、修行以外のことは何も思うまい。都にいる紫上とお互いに取り交わした約束を違えるというのも、気恥ずかしいことだ……」と お思いになりますので、入道の娘に心を動かされることはありませんでした。ただ事にふれて「その姫君のご性質やご容貌はどうなのだろうか……」と 知りたいと思わない訳でもありません。

 入道は遠慮して、ここ源氏の君の御宿に参上なさらず、自分は粗末な家に移り住んでおりました。そのくせ、実は明け暮れ源氏の君にお逢いしたいと思い、何とかしてわが願いを叶えたいと、ますます神仏にお祈り申し上げておりました。
 この入道とは、年は六十才位の 大層上品で感じの良い人で、修行のため痩せておりますが、ただ頑固なところもありました。昔の事もよく知っていて、趣味・教養に富み風情もありますので、源氏の君は昔の思い出話などさせてお聞きになりますと、退屈なお気持も紛れるようでございました。入道は、源氏の君がここ数年公私にお忙しく、お聞きになることのなかった世間の事などを 少しづつお話ししますので、「ここで明石入道のような人に もし会わなかったら、何か物足りないことだったろう。興味深いことだ ……」とお思いになりました。
 明石の入道は、このように源氏の君に慣れ親しんでおりますものの、大層高貴で側にいて気後れするほど素晴らしい源氏の君のご様子に、遠慮深くなって、
 「自分が願う娘の出世のことなどを 口にだすことが出来ないのを残念だ」と、母君と嘆いておりました。姫君本人は、この侘びしい田舎で、
 「世の中にはこのように素晴らしい方がいらっしゃるのか……」と源氏の君を拝見するにつけても、我が身の程を考えると、誠に遠い存在の方 と思い申し上げておりました。親たちが、
 「この源氏の君に 姫を差し上げよう……」等と言うのを聞くにつけても、とても不釣り合いなことと思いますので、源氏の君に出逢わなかった頃よりも、更に物悲しくお思いになりました。

 四月になりました。更衣(ころもがえ) の御装束や御帳の垂れ布などを 夏用に風情のある様子にしつらえて、入道は万事を心を込めてお世話申し上げますので、源氏の君は「お気の毒でやりすぎのようだ……」とお思いになりましたけれど、入道の人柄が どこまでも高貴で上品に思われますので、心許しておられました。
 京からしきりにありました御見舞いが、今も絶え間なくございました。穏やかな夕月夜に、曇りなく遠く見渡せる海の様子を、住み慣れた二条院の池の水辺に思い違いなさるのも、言いようもなく恋しい思いが、行く方もなく心細く感じられるためのようでした。ふとわれに返りますと、ただ目の前に見えるのは、恋しい都ではなく 淡路島なのでございました。「あの辺りは一体どこだろう……」と源氏の君は古歌を口ずさみなさいまして、

 
  あはと見る淡路の島のあはれさへ 残るくまなく澄める夜の月

     (訳)どこだろうと見やる淡路島の寂しさに、その昔歌人が故郷を詠んだ気持ちが
        思い出されるほど、隈なく澄み渡っている夜の月よ

 源氏の君は、長い間手もお触れにならなかった御琴を袋から取り出して、はかなく掻き鳴らしなさいますと、傍らの供人も平静でいられず、しみじみ悲しく思いました。
「広陵」という曲を心を澄ましてお弾きになりますと、あの入道の娘の住む岡辺の家にも、その音色が松風の響きや波の音とともに聞こえ、素養のある若い女性は身にしみて素晴らしく思うようでした。入道も家にいられず、仏道修行を怠けて、急いで源氏の君のところに参上いたしました。
入道は、
 「すっかり捨ててしまった俗世のことを、振り返って思い出してしまいそうです。来世で願っております極楽浄土の様子までも思いやられる、今宵の素晴らしさでございます」と涙ながらにお褒め申し上げました。源氏の君は、都での管弦の催しの折に、琴や笛が好評であったこと、また帝をはじめとして皆に大切に崇められていたこと等を思い出しなさいまして、しみじみと掻き鳴らしなさる琴の音は、大層心寂しく聞こえました。明石入道は涙を止めることも出来ず、岡辺の家に琵琶や箏の琴を取りに行かせて、琵琶法師のように、誠に素晴らしく耳新しい曲を一つ二つ弾き出しました。

 そして源氏の君に箏の琴をお勧めしますと、源氏の君は少しお弾きになりました。入道は、
 「この君はどの道にも大層優れておられる……」と思い申し上げました。音色の美しい琴を、入道が優しく心惹かれるように弾いているのをご覧になって、源氏の君は興味深くお思いになり
 「箏は女性が親しみある様子でくつろいで弾くのこそ興味深いものである」と何となく口になさいました。入道は訳もなく微笑んで、
 「貴方様がお弾きになる以上に、優しく慕わしい弾き手は、どこかの女性でございましょう。私は延喜の帝の御技法を弾き伝えて四代目になりますが、このように出家をした拙き身で、この世の全て棄ててしまいましたが、気分が晴れない折には、琴を掻き鳴らしておりました。不思議に真似する者(娘)がおりまして、これが自然とあの帝の御奏法に似ているのでございます。何とかして、娘の美しい琴の音をお聞かせしたいものです」と申し上げ、ぶるぶる身体を震わせて涙を落としそうになりました。

 源氏の君は 琴を押しやりなさいまして、
 「不思議なことに、昔から箏は女性が上手に弾くものなのです。嵯峨天皇の御伝えで、女五の宮が世の中でも評判の名手でいらっしゃいましたが、その奏法を特に受け伝える人もありません。今、世間で評判の名手は気晴らし程度でしかないのに、こんな明石の浦で、美しく弾き伝える人がいることは、全く興味のあることです。何とかその琴を聞きたいものです」と仰せになりました。
入道は、
 「お聞き遊ばしますのに、何の遠慮がありましょうか。御前にお召しになりましても良いでしょう。琵琶というものは、真の音をしっかりこなす人は昔もほとんどなかったですのに、娘はめったに滞ることなく、優しく親しみのある奏法などを見事にこなします。琴の音が荒き波の音に混じるのは、悲しいことですが、その美しい音色に、積み重なる嘆きを忘れる折々もございます」等と、風流がって申しますので、源氏の君は大層興味深いとお思いになって、箏の琴と、琵琶とを取り替えて入道にお渡しになりました。明石の入道は今の世に聞かれない技法を弾き加えて、大層澄んだ音色で心深く弾きました。
 ここは伊勢の海ではないけれど「清き渚で貝を拾おう……」等と供人に古歌を歌わせて、源氏の君は時々拍子をとり、声を添えてお歌いになりますと、あまりの素晴らしさに、入道は琴を途中で止めてお褒め申し上げました。今宵は望郷の思いを忘れてしまいそうな様子でございました。

 夜も更け行くままに、月も西に入る頃、空はますます澄み渡り、浜風が涼しく吹いて、辺りはひっそりと物静かな様子でした。入道はこの浦に住み始めた頃の心遣いや、後世の極楽を願う勤行の様子を少しづつお話し申し上げました。
 「取り上げて申し難い事ですが、わが源氏の君が、こんな田舎に一時的にでもお移りあそばしたのは、もしやこの年老いた法師が、住吉の神に祈願して今年で十八年になりますので、神仏が私を哀れにお思いになってのことでございましょう。この娘がまだ幼い頃から、願う事がございまして、毎年春と秋毎に必ずあの住吉のお社に参詣しております。昼夜の六時の勤行には「自らの極楽往生の願いはともかくとして、ただこの娘の高い宿願を叶え給え」と、お祈りいたしております。
私は前世の因縁が拙くて、このような情けない山人に、自ら望んでなったのですが、次々とこのように劣りゆきますならば、遂にはどんな身になりますことか……。ただこの娘は生まれた時から将来に期待をかけておりまして、何とかして、都の高貴な方に差し上げようと思う気持ちが深くございますので、私の命の限り、大切に育ててまいりましたが、『もしこのまま私が先立ってしまいましたなら、海の中に身を投げて死んでしまえ』と言い置いてあります」など泣き泣き申し上げました。源氏の君もさまざま心深く思われる頃ですので、涙ぐんでお聞きになりました。
源氏の君は、
 「私は都を離れた時から、この世をあじけなく思い、勤行以外のことは考えずに、月日を過ごしておりますうちに、心も崩おれてしまいました。このような姫がこちらにいらっしゃることは、かすかに聞いておりましたが、私のように罪に流された落ちぶれた人など不吉だと、見捨てておられると思い、気分も屈しておりました。それならば、姫のところに、お導きいただけることのようですね。心細き独り寝の慰みにもなるでしょう」と仰いましたので、明石入道は限りなく嬉しく思いました。


   ひとりねは君も知りぬや つれづれと思ひしあかしのうらさびしさを (入道)

     (訳)独り寝の寂しさを君もお分かりになりましたか。
        明石の浦で所在なく思いながら夜を明かす娘のうらさびしさをも……。

まして長い年月、娘を思いながら過ごしてきた親の気持ちを推し量ってくださいませ」と、申し上げる入道は、緊張して震えてはいますけれど、やはり気品に満ちておりました。源氏の君は、「そうは言っても、この浦に慣れている人は、私ほど寂しくはないでしょう。


  旅衣うらがなしさにあかしかね 草の枕は夢もむすばず

     (訳)流された身で、旅衣をまとって寝る悲しさに、夜を明かしかねています。
        旅の草枕では夢も結ばれません。

と、心乱れておられるお姿は、なお一層言いようもないほど魅力的でございました。入道は数えられぬ程のお話しを残らず申し上げましたが、源氏の君にとってはうるさい事でございましょう。

 明石入道は自分の願い事がともあれ叶うような気がして、爽やかな思いでおりました。源氏の君は翌日の昼頃、岡辺の姫に御文を遣わせなさいました。気後れするほど気品のある姫君のようですので、「かえって、このような物の陰(明石)に、思いもかけない事も隠れているようだ」と、心遣いして、高麗のくるみ色の紙に心を込めて、


   をちこちも知らぬ雲居にながめわび かすめし宿の梢をぞとふ

     (訳)どこも分からぬ遠い空のかなたを眺め、
        少しだけ聞きました宿の梢を訪れてみましょう。

貴女を恋しく思う気持ちを抑えきれずに……」とお書きになりました。
 入道は「じっと源氏の君からのお手紙をお待ち申しましょう」と、岡辺の家に来ていたところに、その手紙が届きましたので、大層嬉しく、手紙を持ってきたお遣いの者をお酒で歓待いたしました。
しかし、姫君が御返事を書くのには、大層時間がかかりました。遂には入道が、部屋に入って急がせましたが、娘は全然書こうとなさいません。素晴らしい源氏の君の手紙の様子に、返事をしたためる手許も恥ずかしげに控え目になりまして、源氏の君の高貴なご身分とわが身分を思うと、格段の違いがありますので、「気分が悪い……」と物に寄り掛かって伏してしまいました。入道は説得する気力を失って、仕方もなく姫の代わりにお返事を書きました。
 大変もったいない仰せ言は、田舎育ちの娘の袂 (たもと)では包みきれないのでしょう。お手紙を拝見させて頂くこともできないほど、畏れ多いことでございます。

 
  眺むらむ同じ雲居を眺むるは 思ひも同じ思ひなるらむ

     (訳)源氏の君が眺める同じ空を、娘も眺めておりますのは、
        娘の思いも同じ思いなのでしょう。
 
 翌日、源氏の君は「代筆のお手紙など今まで見たことがありません。


   いぶせくも心にものを悩むかな やよやいかにと問ふ人もなみ

     (訳)ふさぎこんで物思いに悩んでいるのです。もしもし、どうしたのですかと、
        問いかけてくれる人もありません。

恋しくとも伝えることもできずに……」と、今度は大層しなやかな薄様の紙に、誠に可愛らしく見えるようにお書きになりました。これを若い女性が喜ばないとしたら、それはあまりにも内気だからでしょう。姫君は、源氏の君を素晴らしいとは思うのですが、比べようもない程の身分の違いがありますので、お逢いになりたいと仰せられても、姫君はただ涙ぐまれて、一層お返事をなさいません。父入道に勧められて、ようやく香を深く焚きしめた紫色の紙に、 墨つきを濃く薄く紛らわして、


   思ふらむ心のほどややよいかに まだ見ぬ人の聞きかなやまむ

     (訳)私を想って下さる貴方の御心のほどは、どの程度なのでしょう。
        まだお逢いしていない方が、父から少し聞いただけで悩まれるのでしょうか。

その筆跡や書かれた様子などは、都の高貴な女性に劣るまいと思われるほど気高い感じでした。源氏の君には京のことが懐かしく思い出されて、興味深くご覧になりましたが、人目を気遣ってしきりにお手紙をお送りになるのを遠慮なさいまして、二、三日隔てて、所在ない夕暮れや、しみじみ物悲しい明け方の様子に紛らわし、さも恋文らしくなく、その折々に相手もきっと同じ気持で情趣を感じている頃を見計らって、御文を書き交わしなさいました。
「この姫君は少しも不似合いではなく、その心深く気位の高い様子を思うと、逢わないでは済まされない……」とお思いになりました。しかし良清が長い年月ずっと想いをかけていた姫君なので、目の前で失望させるのも可哀想とお思いになりまして、「姫の方から進んでこちらに参るならば、仕方なくそうなったと、取り繕ってしまおう……」とお思いになりました。

しかしこの姫君のほうでも、都の高貴な人よりも気位が高く、源氏の君が不快に感じるほどの態度をなさいますので、お互いに意地を張り合って、心比べのように、寂しく時は過ぎてゆきました。
 更に、源氏の君はこのように須磨の関を隔てて、さらに遠い明石にいるので、ますます京のことを気がかりになられまして、「どうしたらよいのだろう。恋しさに堪えられず、紫上を忍んでここにお迎え申し上げようか……」と気弱になられる折もありましたが、「そうは言っても、このままで年を重ねることはないだろう。今更体裁の悪い事などできはしない……」と、お気持を鎮めなさいました。



 その年は、朝廷でも奇怪な前兆がしきりに起こり、大層物騒ぎな事が多くありました。
 三月十三日、雷が鳴り響き雨風の激しい夜、朱雀帝の御夢の中に、故桐壺院が清涼殿の御前の階段のもとにお立ちになりまして、御表情も厳しく帝を睨みなさいました。大層畏まっておられます帝に、父院は、源氏の君に関する事など、多くの事を申しなさいました。帝は恐ろしくも大層いとおしくもお思いになり、母后に申しなさいましたところ、
大后は、
 「雨などが降り、空の荒れる夜には、普段思い悩んでいる事がそんな形で現れるものです。軽々しく驚くことはありません」と申されました。
 朱雀帝は、父院のお睨みになった目をじっと見つめなさいましたので、その御目をひどく患いなさいまして、耐え難いほど病んでしまわれました。内裏でも大后の御殿でも、平癒のためのご祈祷を限りなくさせなさいましたが、今度は大后の御父君がお亡くなりになりました。死去も無理のないほどのご高齢ではありましたが、次々に物騒ぎな事が起こります上に、遂に母后までも患いなさいまして、日が経つにつれ衰弱なさいますので、帝はさまざま思い嘆きなさいました。
 「やはり、この源氏の君が、本当に犯してはいない罪で、流離の身に沈んでおられる限り、必ずこの報いがあるだろう。今は源氏の君を以前の官位に戻すことにしよう……」と度々、母后にお考えを訴えなさいました。けれども、
大后は、
 「そうすれば、世間から軽はずみな処罰だったと 非難を受ける事になるでしょう。罪を恐れて都を去った源氏の君を、まだ三年しか過ぎてないのに許されることを、世間がどう噂するでしょう」等と、手厳しくお諌めになりますので、帝は遠慮して何もなさらぬままに、月日が重なって、大后と帝の御病は、すっかり重くなってしまわれました。

 明石では例年のように、秋になると浜風が一層物寂しく吹きました。独り寝の源氏の君には、誠に侘びしく感じられますので、度々入道に 姫を説得させなさいました。
 「何とか姫を目立たぬように、こちらに参らせなさい」と仰せになって、ご自分から姫の所にお渡りになることは、あってはならない事とお思いでございました。けれども姫自身も、自分から源氏の君のところに行くなどとは、思い立つはずもありません。
 姫君は、
「誠に残念なのは、わが身が田舎育ちであることです。一時的に京から下ってきた人の言葉のままに、軽々しく親しい仲になる人もあるそうですが、私はそうはなりません。源氏の君が私を人の数ともお思いにならないでしょうから、お受けすれば私は大変辛い悩みを負うことになるでしょう。こんな及びもつかない高い望みを持っている親も、私が家に篭って過ごしている年月はずっと、将来を期待しているでしょうし、もし実現すれば、様々に心を尽くすことになるでしょう。ただ、この明石の浦に 源氏の君がいらっしゃる間だけ、このように御文を交わすことこそ、幸せというものでございます」 とお考えでした。
長い年月、いつの日か源氏の君のような高貴な方のご様子を、ほんの少しでも見ることができるかと思っておりましたが、
「このように思いがけず源氏の君が明石にお住まいになり、かすかにそのお姿を拝見したり、この世に類がないほど素晴らしい琴の音を風にのって聞くことができました。その上、私のような者を人並みの女性と思し召して、お手紙を下さるなどということは、この様な海人の中で朽ちて行くわが身には、身に余ることでございます……」等と思うと ますます恥ずかしく、源氏の君のお側に自ら参上することなど、全く思いも寄りませんでした。
 親たちは、長年の住吉神社への御祈りが叶うようだと思いながら、
「不意に姫をお逢わせ申し上げても、妻として扱っていただけない時には、どんな嘆きをこの姫に負わせることになるのだろうか」と、先の事を想像すると不吉な気がして、「源氏の君がご立派な方と聞いていても、きっと辛くて惨めな結果になるだろう。目にも見えない仏神を頼りに思って、源氏の君の御心や前世の縁をも考えずにいては……」などと、繰り返し思い乱れておりました。


 源氏の君は「波の音に合わせ、姫の琴の音を聞きたいものだ。このしみじみした季節にこそ、その琴の音を聞かないのは、明石にいる甲斐がないというものだ」と仰せになりました。明石入道は、内密に都合のよい日を選び、母君があれこれ思い惑うのも聞き入れずに、姫の家を輝くばかりに設えて、源氏の君の訪れの準備を万事整えました。
 十三夜の月の華やかにさしだした頃に、入道が、
「ただ、もったいないほどの夜の……」とだけ古歌を申し上げますと、
源氏の君は「風流めいた夜にこそ……」と 御直衣をきちんとお召しになりまして、夜も更けた頃お出ましなさいました。

 岡辺の家は、やや遠く山に入ったところにありました。道すがら、源氏の君は四方の浦々を見渡しなさいまして、心寄せる人と共に見たいと思われるほど美しい入江の月影に、まず恋しい紫上の事を思い出しなさいまして
「このまま馬を引いて岡部を通り過ぎ、都の方へ行ってしまいたい……」とお思いになりました。


   秋の夜のつきげの駒よわがこふる 
          雲居を翔れ時の間も見む

     (訳)秋の月明かりの中で、月毛の馬よ私が恋しく思う
          都の空を翔け、少しの間でも愛しい貴女に逢いたい……、

 岡辺の家は木々が深く、心にしみる趣がございました。海辺にある入道の家は堂々と立派で趣がありますが、この家は、女たちが心深く住んでいる様子で、大層見どころのある佇まいでした。念仏三昧堂が近くにあり、鐘の音が松風に悲しく響き合っていました。岩に生えた松の根も風情のある様子で、庭の植え込みの虫の声も様々に聞こえてきました。源氏の君は、辺りの風情のある様などをご覧になり(この素晴らしい所で生活していれば、思い残すことはないだろう……)としみじみと感慨深く思われました。
 姫の住まいは念をいれて磨き立ててあり、月の光の差し込む妻戸の戸口が少しだけ開けてありました。御簾の前で源氏の君は躊躇(ためら)いがちに何かを仰いましたが、姫君はあまり身近にお逢いするのはどうかと遠慮なさいまして、打ち解けない様子でいらっしゃいますので、源氏の君は、
「何とも気位の高い方のようだ。たとえ高貴な身分の方でも、このように言い寄れば心強くもいられなのが普通なのに、もしやこの落ちぶれたわが身をばかにしているのか……」と、妬ましくお思いになりました。心なく無理に近づくのも良くないし、意地の張り合いも体裁の悪い事だと、心乱れておられますと、その時、姫君の近くにある御几帳の紐に箏の琴が触れ、美しい音が鳴りました。つい先ほどまで、くつろいで琴を弾いていた姫のご様子が想像できて、源氏の君は興味深くお感じになりました。
 「噂に聞いた美しい琴の音さえ、聞かせてもらえないのですか……、



   むつごとを語りあはせむ人もがな うき世の夢もなかばさむやと (源氏の君)

     (訳)打明け話を語り合う人がほしいのです。辛いこの世の悪夢も半ば覚めるかと……



   明けぬ夜にやがて惑へる心には いづれを夢とわきて語らむ (姫君)

     (訳)明けることのない夜に、そのまま惑える私の心には、どちらが夢か現実か
        分けて語ることができましょうか。

御簾の前の源氏の君にとっては、姫君のほのかな衣擦れの気配が、伊勢に行かれた六条の御息所(みやすどころ)に大層よく似ているように思えました。
 何心もなく気楽にしていたところに、思いがけない源氏の君のお通いに驚いて、姫君はすぐ近くの部屋に逃げ込み、大層強く戸を締めてしまいましたので、源氏の君は強いて開けて中に立ち入ろうとはなさらぬ様子でございました。しばらくして、部屋から出ておいでになりました。姫君は上品ですらりと細く、側にいて気後れするほど高貴な感じがいたしました。こうしてようやくお逢いになり、源氏の君はますます想いを強くなさいまして、やがて無理に結ばれた契りに、姫君を心深くしみじみ愛しくお思いになりました。
 いつもは厭に思われる秋の夜長も、今夜は早く明けてしまったような心地がなさいました。このお忍び通いを、人に知られたくないとお思いになりましたが、今は気忙しく、しかし心をこめて後の事などを言い置きなさいまして、源氏の君はお帰りになりました。忍んでもその甲斐もありませんのに、気が咎めるのでしょうか、後朝の御文さえも 大層忍んでお出しになりました。
 入道の方でも、この事をひたすら隠しておりまして、源氏の君の使者を余りもてなしません事を、かえって辛く思っていました。その後、源氏の君は内密にしながらも、姫君のところに時々おでましなさいました。しかし距離も少し離れておりますので、陰口を言う海人の子もいるかとお気遣いなさいまして、お通いの途絶える時もございました。そんな時には、姫君は、
 「やはり思った通り……」と嘆いていますので、父入道も極楽往生の願いを忘れて、ただ源氏の君のお通いだけを願うようになってしまいました。出家した入道が、今更心乱すのも 誠にお気の毒なことでございます。



 源氏の君は、二条院の紫上が、風の便りに明石の君のことを漏れ聞きなさって、
「たとえ戯れのお通いであっても、隠し事をするほど二人には心の隔たりがあったのかと、私を不愉快に思うのではなかろうか……」と、大層心苦しくお思いでございました。これは源氏の君ご自身の、紫上への想いの深さでございましょうか。
「今までにも紫上が、このような浮気を大層気になさって、お恨みになったことがありましたので、自分はどうして、意味のない慰み事などを起こして、紫上に辛く思われてきたのだろう。昔にもどって改めたい……」と、源氏の君はお思いでございました。今、こうして明石の君とお逢いになるにつけても、紫上への愛情は比べようもないほど強いので、源氏の君はいつもより細やかに 紫上に御文をお書きになりました。
 御文の最後に、「そうそう、思いがけずいい加減な浮気事で、貴女に嫌がられた折々のことを思い出すことさえ胸が痛むのですが、また、ここ明石で妙に儚い夢をみました。こうして全てを打ち明けますことで、二人の隔てなき心の深さ(信頼の深さ)をご推察ください。貴女と誓ったことも決して忘れていません。 何事につけても貴女のことだけが想われて……、


   しほしほとまづぞ泣かるる かりそめのみるめは海人のすさびなれども

     (訳)愛しい貴女を想い泣いてしまいます。このかりそめの恋は海人のように
        海辺で暮らしている私の慰め事に過ぎないのです。

とありました。そのお返事として、紫上はさりげなく愛らしくお書きになりました。
 「内密にできずに打ち明けなさった夢のお話につけても、今までに何度もありまして、

 
  うらなくも思ひけるかな契りしを 松より浪は越えじものぞと

     (訳)固く契りました事をうっかり信じておりました。
        松山より浪が越えることなど決してないと……

穏やかに言ってはいますものの、ただならぬ御心をほのめかしていらっしゃいますので、源氏の君は大層愛しく、しかし無視もできずにお読みになって、紫上への御気遣いもあって、しばらくの間は明石の君へのお忍びの旅寝もなさいませんでした。

 明石の君は、予想どおりお通いの途絶えが はっきりしてきましたので、今こそ身を投げてしまうほどに、悲しい気持ちがなさいました。「老い先短い親だけを頼りにして、いつの日にか出世するとは思いませんが、ただ平凡に過ごしていた年月には心悩ますこともありませんでしたのに、男女の間柄とは、何と物思いの尽きないものなのでしょう」とお思いになりました。かねて予想していた以上に悲しいことですけれど、穏やかに振る舞って 誠に慕わしいご様子でした。

 月日が経つにつれ、源氏の君は 明石の姫君をますます愛しくお思いになりましたが、放っておけない紫上が、心細くお過ごしの上、ただならず源氏の君を想っていらっしゃるのが、大層心苦しいので、明石の君のところへ行かずに我慢をして、お一人で過ごしておられました。
 源氏の君は須磨や明石の風景の絵をいろいろ描き集めなさいまして、思うこと等を書き付けては、お返事を書かずにいられない様子にお書きになり、紫上に御文をお遣わしになりました。そのお手紙は、見る人の心に沁みる素晴らしい様子でございました。
 そして二条院の紫上も、心を慰める方法もないほど 寂しくお感じになる折々には、源氏の君と同じように絵を描き集めなさって、ご自分の様子を日記のように書き添えて お交わしなさいました。遠い空で通い合うお二人の御心の何と深いことでしょう。



 年が変わりました。内裏では朱雀帝がご病気になられて、世の中が様々に乱れておりました。朱雀帝の御子は、右大臣の姫君(承香殿の女御)との間に男御子がお生まれになり、二歳になられましたが、皇位を譲るには余りにも幼くいらっしゃいますので、春宮(藤壷と故桐壺帝の皇子・実は源氏の君との不義の御子)にこそ お譲り申し上げようと、帝はお考えでございました。その上、公の御後見役として政務を行う人をお考えになりますと、源氏の君がこのように苦境に陥っておられることは、大層惜しく、あってはならない事ですので、遂に大后(弘徽殿)の忠告に背いて、源氏の君をお許しなさる評定を下されました。
 昨年より、大后も御物の怪にお悩みなさり、また様々な前兆となる異変がしきりに起こりました。世の中が大層騒がしいので、物忌みなどをなさった結果でしょうか、少し良くなっておられた朱雀帝の御目の病さえ、またこの頃重くなられました。帝は何かと心細くお思いになりましたので、七月二十日過ぎに、源氏の君にまた重ねて、京へお帰りになるべく宣旨が下りました。
 源氏の君は、帰京はまだ先の事と思っておられましたが、こんなに急に宣旨が下りましたので、嬉しい気持に添えて、この明石の浦を離れて行くことを 大層お嘆きになりました。しかし明石入道はそうあるべきことと思いながらも、源氏の君がご帰京なさる話を耳にしますと、胸が一杯になって悲しく思われましたが「源氏の君がご出世なさってこそ、わが夢も叶うことになるだろう……」と思い直しました。

 その頃の源氏の君は、一夜も欠かすことなく、明石の君とお過ごしになりました。六月頃から、明石の君にはご懐妊の辛いご様子が見えまして、大層お悩みでございました。こうして明石の君とお別れなさる頃になって、更に姫への愛情が深まり、今までより一層愛しくお思いになりますので、
 「不思議に物思いをしなければならない、わが身の運命だなぁ……」と心乱れておられました。明石の君は今更言うまでもなく、思い沈んでおいでになりますのも、無理のないことでございます。
 源氏の君は、思いがけずに須磨への悲しい旅にお出でになりましたけれど、
 「いづれは京に帰るだろう……」といつも心を慰めておられました。この度の宣旨により、
「もう明石に戻ることはないだろう……」とお思いになりますと、しみじみ感慨深くなられました。京より源氏の君をお迎えに、沢山の人々が参上して来まして、皆が良い気分になっていますのに、明石入道は涙にくれておりました。
やがてその月も終わってしまいました。



 ご出発が明後日に迫りました。源氏の君は、いつものように夜更け前に、明石の君のところにお渡りになりました。姫君のご容貌は、誠に奥ゆかしく気品のある様子で、目が覚める程美しいこの姫君を 明石に見捨ててゆくことを、大層残念にお思いになりました。
 「然るべき御待遇のもとに、必ず都にお迎えしよう……」とお決めになり、姫にもそのようにお話ししてお慰めなさいました。源氏の君のご容貌やお姿は、この頃の仏の勤行により大層面痩せなさっておられますものの、一層素晴らしいご様子で、姫の辛そうなご様子に涙ぐまれまして、しみじみと心深くお約束をなさいました。明石の君は「これだけで充分幸せとして、もう終わりになっても仕方がない……」とまで思われましたが、源氏の君がご立派なのにつけても、受領の娘というわが身の程を思いますと、悲しみは尽きることがありませんでした。
 浪の音が秋風に一層もの寂しく響き、藻塩を焼く煙がかすかにたなびいて、明石の浜はあれこれ趣の深い様子でございました。


   このたびは立ち別るとも藻塩焼く、煙は同じ方になびかむ     (源氏の君)

     (訳)この度お別れしても藻塩焼く煙のように、想い焦がれる胸の思いは貴女の方に
        なびいてしまいます。

 
   かきつめて 海人のたく藻の思ひにも 今はかひなき恨みだにせじ (明石の君)

     (訳)かき集めて海人が焼く藻塩の火のように燃える思いがありますが、
        今は言う甲斐もないので、お恨みさえいたしません。

 姫君は悲しく泣いて、言葉数が少ないものの、大切なお返事だけは 心を込めて申しなさいました。
今までお聞きになりたかった源氏の君の琴の音を、まだ一度も聞かせてもらってないのを心残りに思っておられたのです。源氏の君は、
 「それならば、私の思い出として、あとで私を恋しく想うような曲だけでも、せめて……」と仰せになり、京よりお持ちになりました琴を 供人に取りに行かせて、格別風情のある曲をほのかにかき鳴らしなさいました。夜も深く、澄んだ音色は例えようもなく美しく聞こえました。入道は感極まって、箏の琴を姫君の御簾の内に差し入れました。明石の君ご自身も 大層悲しく 涙を止めどもなく流され、やがて忍びやかにお弾きになるご様子は、大層高貴に美しくございました。源氏の君は、
「藤壷入道の宮の琴の音を当代最高のもので、今風で華やかな音色に聞く人の心が満たされ、美しいご容貌までも思い浮かぶほど、限りなく素晴らしい……」と思っておられました。これに対し、明石の君の音色は、あくまでも澄んで、心憎く妬ましいまでに優れておりました。

源氏の君の御心にさえ、初めて聞くように しみじみと慕わしく、まだ耳慣れぬ曲などを 心残りの程度で止めてしまいますので、源氏の君は物足りなくお思いになり、
 「この数ヶ月、どうして無理にでも 姫の琴を聞かなかったのだろう……」と、後悔をなさいました。そして、心の限りお二人の将来のことばかりを お約束なさいました。
 「この琴は、また一緒に弾く時までの形見に 置いていきましょう」と仰せになり、


なほざりに頼めおくめる一ことを つきせぬ音にやかけてしのばむ

 (訳)軽い気持で頼りに思わせておいて、尽きることない涙に
           琴の音を添えて、貴方のことを偲びましょう。

なにげなく口ずさむ姫君を少しお恨みになって、源氏の君は、


   逢ふまでの形見に契る中の緒のしらべはことに変わらざらなむ

     (訳)再び貴女にお逢いするまでの形見として約束した琴の調べも、
        貴女の気持ちも変わらないでほしい。

 「この音色が変わらないうちに、必ずお逢いしましょう……」と姫君に信じさせなさいました。けれど、ただ別れる時の辛さを思い、涙にむせていらっしゃるのも、無理のないことでございましょう。

 ご出発なさる当日は、まだ夜深い頃にお発ちになりました。お迎えの人々も騒がしいので、心も慌ただしい時ですけれど、人目を避けて、明石の君に歌をお贈りになりました。


   うちすてて発つも悲しき浦波の 名残いかにと思いやるかな

     (訳)貴女を残して明石を発つのも悲しいですが、浦波のように残る貴女の悲しみは
        どれほどかと思いやっています。


   年経つる苫屋も荒れて 憂き波の帰る方にや身をたぐへまし (返歌)

     (訳)年が経って、草葺きの苫屋も荒れてしまうのも辛いことです。辛い波(貴方)が
        帰る京の方へ、私の身を一緒に連れて行ってほしい。

 明石の君が心に思ったままを詠まれた歌をご覧になりまして、源氏の君は我慢しておられましたのに、涙がほろほろとこぼれてしまいました。事情を知らない人々は、
 「このような粗末な御住まいでも、長い年月住み慣れなさいましたので、今、別れ行くとなれば、涙を流すこともあるでしょう」等とお察し申しました。良清は、
 「姫君を大切な方とお思いだったのか……」と、憎らしく思っておりました。供人の誰もが京に帰れることを嬉しく思いながらも、
 「本当に、今日を限りにこの渚を別れるのは、やはり寂しい」等としみじみ感じて、涙ながらに話し合っているようでした。

 入道は、源氏の君のご帰京の御仕度を、大層立派にお整え申し上げました。身分の低い者にまで旅の御装束は誠に見事で、いつの間に、ここまで準備したのだろう と思われるほどでした。御衣装は文句の付けようもなく立派で、更に御衣櫃(みそびつ)など幾つもお付けしました。正式な都へのお土産や贈り物など大層風情があって、心遣いの行き届いたものばかりでございました。
 今日、源氏の君がお召しになります狩りの御装束に、


   寄る浪にたちかさねたる旅ころも しほどけしとや人のいとはむ

     (訳)今日お発ちにある貴方のために、私が裁ちました旅の装束が涙に濡れているのを、
        貴方は嫌とお思いでしょうか。

と、書かれた御文がついているのを見つけなさいました源氏の君は、騒がしい時でありましたけれど、ご返歌を書かれました。


    形見にぞかふべかりける逢ふ事の ひかず隔てむ中の衣を

     (訳)二人の間の寝衣を、お互いに形見として取り交わしましょう。また逢うまで
        幾日も長く隔てることになるでしょうから。

「貴女への想いが込められていますので……」と、普段、着慣れた着物を明石の君にお贈りなさいました。それは、まるで今一段と深まった姫君への想いが添えられた形見のようでございました。言いようのない程素晴らしい御衣に、源氏の君の移り香がしみこんでおりますので、どれほど強く姫君の心に、源氏の君の想いを刻みつけたことでしょう。
 入道は「今は出家をした身でありますけれど、今日の御見送りにお仕えしますことは、誠に悲しいことでございます。


    世をうみにここらしほじむ身となりて なほこの岸をえこそ離れぬ

     (訳)この世を憂い、ここ明石の浦で潮風のしみこんだ身になりましても、
        やはり、この世を離れることはできません。

わが子を想う親心は、ますます辛くなります。この旅立ちの折に、好色めいた事を申すようですが、もし娘の事を思い出す折などありましたら、せめてお便りでも……」と、お気持を伺いました。源氏の君は大層しみじみと寂しくお思いになり、涙で目の辺りを赤くして悲しそうに、
 「姫君のご懐妊の事などもありますから、決して思い捨てることなどありません。私をそんな薄情な者と思わないでください。ここ明石の住処だけは、見捨てることはできません」


   みやこいでし 春の嘆きに劣らめや 年ふる浦を別れぬる秋

     (訳)都を出た春のあの嘆きに劣らないだろう。長い年月住み慣れた明石の浦と
        別れてしまうこの秋は……

源氏の君が涙を押し拭いなさいますと、入道は我を忘れて涙を流し、その立ち振るまいも呆れるほどによろけておりました。
 明石の君の悲しみは、例えようもなく「こうも悲しいのを、人に見られまい……」と思い沈んでおられました。けれど身分が卑しいことが原因で別れるのですから、仕方のない事と思いますものの、お見捨てなさるこの恨みを、晴らしようもありません。源氏の君の面影がわが身により添い忘れがたいので、今できる精一杯のこととして、ただ涙にくれていらっしゃいました。

 母君も、姫君を慰めきれずに、
 「なぜ、このように思い悩むことになったのでしょう。すべて、変わり者の入道に従ってきたわが心の過失です」と申しました。入道は、
 「あぁ、やかましい。源氏の君が思い棄てるはずのない事実(ご懐妊)もありますから、今別れても、きっとお考えがあってのことでしょう。まずは心慰めて、お薬などを召し上がれ」と部屋の隅でものに寄り掛かっておりました。
 乳母や母君などは、入道の偏屈な心を嘆きながらも、
 「いつの日にか、都でご出世なさる姫君にお仕えしようと、長い年月それを信じて過ごしてきましたのに、結婚早々、何と苦しい目に遭うことでしょう」と嘆くのを見るにつけても、入道は、娘が大層不憫に思えますので、頭がぼっとして、昼は一日中寝て過ごし、夜はしっかりと起きて 仏の前に座っては、手を摺り合わせて一心に拝んでおりました。
 ある月夜、入道は読経をしながら歩いておりまして、庭のやり水に倒れ込んでしまいました。趣ある岩の側に腰をつきそこねて酷く痛め、そのまま病み伏してしまいましたが、入道にとっては、その間だけ物思いから気が紛れるようでございました。



 源氏の君は難波の浦にお渡りになりまして、そこでまず御祓をなさいました。住吉神社にかけた沢山の御願のおかげで平穏無事でありましたので、お礼を申し上げようと遣者をお遣わしなさいましてから、京にお入りになりました。

 二条院にお着きになりますと、都で待っていた人々や、明石からの供人たちは、喜びのあまり泣き出すほどで、不吉なまでに立ち騒いでおりました。紫上は、「源氏の君がいらっしゃらなくては、生きる甲斐もないもの……」と思い棄てたこの命も、今は誠に嬉しくお思いでございましょう。
 長い間、寂しくお過ごしだったために、多かった御髪が少し減ってしまいましたのも、かえって素晴らしく、大層愛らしげに大人っぽく御容姿を整えておられました。源氏の君は、今はこうして紫上に逢うことができますので、御心が次第に落ち着いてきますにつけても、心残りのまま別れた明石の君が悲しんでいらしたお姿を 思い浮かべなさいますと、大層心苦しく お思いになりました。源氏の君はやはり男女の関係のことで、御心の休まる暇もないようでございます。
 源氏の君は、明石の君のことなどを 紫上にお話しなさいました。その思い出しておられるご様子が大層心深く見えますので、紫上はただならぬ事とお分かりになりまして、それとなく「身をば思はず……」等と古歌をほのめかしてお恨みになりますのを、源氏の君は、
 「なんと魅力的でいじらしい……」とお思いになりました。このように見飽きることのない紫上の愛らしいお姿に「どうして、長い年月別れて過ごすことができたのか……」と呆れるほどにお思いになり、改めてこの世の中を大層恨めしくお思いになりました。

 まもなく源氏の君は、もとの官位に改まって、権大納言になられました。官位を削られた他の人々も、それ相当のもとの官位を返し賜り、世間に許されましたことは、枯木が春に逢ったように、喜ばしいことでございました。

 朱雀帝からお召しがありまして、源氏の君は内裏に参上なさいました。帝の御前に上がられるそのお姿は、すっかりご立派になられまして、女房たちは、
 「今までどうして、あの須磨の侘びしい御住まいで長い年月をお過ごしなさったのか……」と、痛ましいことと見ておりました。中でも、故桐壺院の時よりずっとお仕えして、今はもうすっかり老いた女房どもは悲しくて、今更のように泣き騒いで、源氏の君の素晴らしいお姿を お誉め申し上げました。
 帝も、源氏の君があまりにもご立派なので、気後れするほどにさえお思いになって、御召し物などを特にお整えになってお出ましなさいました。帝はご病気で、ここ数日伏せっておられまして、大層衰弱なさいましたが、昨日今日は、少しご気分もよくなられたようでございました。しみじみとお話合いをなさいまして、そのうちに夜になりました。十五夜の月が大層美しく辺りが静かですので、帝は昔のことを残らず思い出しなさいまして、涙をお流しになりました。何となく心細くお思いになったのでしょうか。帝は、
 「ご一緒に管弦の遊びなどもせず、昔よく聞いた楽の音なども聞かずに、本当に長い時間が経ってしまいました」と、心から源氏の君を気の毒にお思いになり、また心恥ずかしくなられまして、


   宮柱 めぐりあひける時しあれば、別れし春の恨みのこすな

     (訳) 神が宮柱を巡って逢われたように、こうして巡り合うことができたのだから、
         須磨に旅立った春の恨みを残さないでほしいものです。

そう仰せになる朱雀帝のお姿は、誠に優雅でございました。

 源氏の君は、故桐壺院のために、法華御八講を行うべく、準備をまず急がせなさいました。
 春宮とお逢いになりますと、この上なく健やかにご成人なさっておられまして、久しぶりに逢われましたことを大変お喜びになる春宮を、源氏の君はしみじみ愛らしいとご覧になりました。御学才も誠に優れておられまして、世の中をお治めなさるのに、何の障りもないほどに御賢明にお見えになりました。
藤壷の入道の宮にも、落ち着かれてからご対面なさいましたが、しみじみと感慨深いお話が沢山あることでございましょう。

 あの明石の君には、明石に帰る人に託して、御文をお遣わしになりました。紫上にはそっと隠して、心細やかにお書きになりました。「波の打ち寄せる夜はいかがお過ごしでしょう。


   嘆きつつ 明石の浦に朝霧のたつやと人を想いやるかな

     (訳) 貴女が嘆きつつお過ごしの明石の浦には、朝霧がたっているのでしょうか。
         貴女のことを思いやっております

 あの太宰府の師(そち)の娘(五節の姫君)は、人知れぬ恋心も今はさめてしまった心地がして、源氏の君へ御文をそっと置いて行かれました。


   須磨の浦に 心をよせし船人のやがて朽たせる袖を見せばや

    (訳)須磨の浦で貴方に心をよせた船人(私)の、やがて涙で朽ちてしまったこの袖を
       お見せしたいものです。

源氏の君は「筆跡など、この上なく上手になったものよ。」誰からの手紙かすぐお分かりになって、
御返歌をなさいました。


   かへりては かごとやせまし寄せたりし名残に 袖のひがたかりしを

     (訳) 思い返せば、貴方が御文をくださったせいで、
         私の袖も乾きにくかったことですよ。

飽きることなく愛しい想いの残る姫君なので、源氏の君は、昔の恋心を呼び戻されたように、多くのことを懐かしく思い出しなさいましたが、この頃は、軽々しい御振る舞いは お慎みなさっているようでございました。

 花散里などにも、ただお手紙をお送りになるだけで、お通いにはなりませんので、女君には心もとなく、かえって恨めしそうなご様子でございました。


( 終 )

源氏物語ー明石(第十三帖)
平成十三年睦月 WAKOGENJI(訳・絵)


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