やさしい現代語訳

源氏物語「澪標」(みおつくし)第14帖


源氏の君28歳、明石の上19歳、紫上20歳、御息所36歳死去、歳宮19歳の頃の物語

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 
  京に戻られた源氏の君は、
 故桐壺院の御姿を夢の中にはっきりとご覧になってからというもの、源氏の君は迷っておられる父院の御魂をどのようにお救いしようかと、ずっと思い嘆いておられました。京に戻られました今は、まず父院の極楽浄土を願う念仏行事の仕度をさせなさいまして、神無月に御八講を催されました。参列者が多く集まってくる様子は昔と変わりがありませんでした。
 大后(弘徽殿)は、ご病気も重くなられましたのに、遂にこの源氏の君を失脚させられなかったことを不快にお思いでございました。しかし朱雀帝は故院の御遺言を思い出しなさいまして、源氏の君が長いこと官位を退いておられた報いが、きっとあるに違いないと心細くお思いになり、源氏の君をもとの地位にお直しなさいました。それ以来、御気分もすっかり清々しくなられ、時々起こる御目の病も良くなられましたが、この世に長く生きられそうもないとすっかり気弱になっておられました。
 朱雀帝からのお召しがありまして、源氏の君が御前に参上いたしました。帝は政治のことなどを、包み隠さずご相談なさいました。今まで官位を退いていた人達も皆、もとの位に戻られましたので、大方の人々は誠に嬉しい事と喜んでおりました。

 帝のご寵愛をうける朧月夜の尚侍は……
 朱雀帝が帝の地位を下る日が近くなりました。朧月夜の尚侍 が心細げにご自身の身を嘆いていらっしゃる様子をご覧になりまして、帝は大層あわれにお思いになりました。今は右大臣も亡く、大宮もご病気が重くなられました上に、ご自分の命さえ残り少ない心地がなさいますので「こんなに貴女が愛しいのに、この世に御子も残さず生き永らえるのは誠に辛いことです。貴女は前々から源氏の君と比べて、この私を軽く見ていらっしゃるようですけれど、私の強い愛情は、ただ貴女だけを愛しく思っているのです。私より総てに勝る源氏の君とまた契ることになっても、貴女への愛情は、源氏の君とは比べものにならないほど強いことを思うと、誠に苦しい……」とお泣きになりました。
 女君(朧月夜の君)はお顔を赤く染めて、艶やかに美しく溢れるほどの可愛らしさで、涙をはらはら流されました。帝はそれをご覧になり、源氏の君への想いを今も断ち切れずにいる罪を忘れて、「あぁ、何といとおしい……」とお思いになりました。「どうして、せめて御子だけでも持たなかったのだろうか。まもなく貴女は、源氏の君との間に御子をお産みになるだろうと思うと、口惜しい事でございます。しかしその御子は親王ではないので、ただ人として、お育てすることになるのでしょう。」などと、行く末のことを仰せになりますので、女君は身の置きどころもなく、大層悲しくお思いになりました。帝は実に雅びで気品あるご容貌で、帝のこの上ない愛情が年月を経て、いよいよ深まっていきますのに、源氏の君は素晴らしい人ではありますが、それほど想ってはくださらなかったと、ようやくお分かりになるにつれて、朧月夜の君は「どうして私は、幼く無分別なままに、源氏の君が須磨に退去なさるような騒ぎを引き起こしてしまったのだろう。そのせいで自分の名は言うまでもなく、源氏の君にまで酷い事になってしまい・・・」とますます悲しくなられました。なんと辛い御身の上でございましょう。

 翌年の如月に春宮の御元服の儀がございました。御年十一におなりでしたが、それよりずっと大人っぽく気品のあるご様子でした。ただ源氏の大納言の御顔を写したように大層よく似ておられまして、お二人はまばゆいほどに輝き合っておられますので、世の人々は素晴らしい事とお誉め申し上げておりました。しかし母宮(藤壷の入道の宮)は、誠にはらはらして御心を痛めておいでになりました。朱雀帝はこの春宮がご立派でおられますので、帝の位をお譲りになることを好ましくお考えでございました。

朱雀帝はご譲位なさいまして、 
 二月の二十日過ぎにご譲位の儀式が行われました。誠に突然のことでしたので、大后(弘徽殿)は大層慌てておられましたが、朱雀院は「帝を譲りましたので、私はもう頼りになりませんが、今までより気楽にゆっくりとお逢いしたいと願っております。」と母君をお慰めなさいました。皇太子には承香殿の御子がおいでになりました。世の中が改まり、今までとは違って華やかな事が多くなりました。
 源氏の大納言は内大臣になられました。大臣には定数が決まっておりましたので、源氏の君は令外の官としてに加わりなさいました。内大臣のままで御政治を執ることになりましたが、そのような繁忙なお仕事には耐えられないと、致仕の大臣(今は辞任している左大臣)が呼ばれて、政治を執るように摂政をお譲りなさいました。しかし大臣は「病を理由に官位をお返し申し上げた身ですし、ますます老が加わりましたので、もう政治は無理でございます。」とご承諾なさいません。「中国にも、世の中が定まらぬ折に深き山に隠居していた人が、安定した世になると、白髪も恥じず復帰して朝廷に仕えた者もあり、これこそ誠の聖人であると誉めた例もございます。御病に沈んでお返しした官位を、世の中が変わりまた改めて就任されることは、決して非難すべきことではありません。朝廷にも世間的にも認められたことですし、前例もあることですので……」と説得いたしましたので、ついに辞退しきれずに、太政大臣をお受けになりました。御年も六十三になられました。官位を退いて以来、ずっと御自邸に篭もっておられましたが、今ではうって変わって、政界に華やかに復帰されたのでございます。御子達も落ちぶれておられましたが、皆、浮かび上がって華やかにお過ごしでした。とりわけ宰相中将 (もと頭中将)は権中納言になられました。その正妻(四の君)がお産みになった姫君も十二歳になられ、入内させようと大切にお世話なさっておられましたし、その昔「高砂」を謡った幼かった若君(賢木の巻)も元服され、今では全て思いのままの華やかなご様子でございました。いく人もの女性たちに御子などが大勢次々とお生まれになり、賑やかにお過ごしですので、源氏の内大臣は大層羨ましくお思いになりました。
 亡き葵の上から生まれた若宮(夕霧)は誰よりも格別に可愛らしく成長なさいまして、宮中の習慣に慣れさせようと、内裏に童殿上 (わらわてんじょう)をさせなさいました。葵の上が亡くなられた悲しみを母大宮も父大臣も、又改めて思い出しなさいまして大層お嘆きになりました。けれども葵の上亡き後も、ただこの源氏の内大臣のご威光を万事にお受けになりまして、長い間、思い沈んでおられたその跡形もないまでに繁栄なさいました。源氏の君は今も猶、葵の上ご存命当時の御心遣いと変わりなく、四季折々の行事の度に御邸にお出かけなさいまして、若君の乳母たちや、今も御邸を出ることなく心深く仕えている女房たちには(適当な機会に、結婚などの頼りどころを取り計らってやろう)とお考えでございました。このように源氏の君の恩恵を受ける人々も多くなるようでございます。
 源氏の君のご帰京を信じてお仕えしていた二条院の女房たちをも、源氏の君は大層愛しくお思いになって(長い間の苦労が報いられるように……)とお考えでございました。中将や中務 等には、各々の身分にあった情をかけておやりになりますので、源氏の君は御暇がなくて、他の女性のところへのお忍び歩きもなさいません。
 さらに、故桐壺院から遺産として受けられた御殿をこの上なく立派に改築させなさいまして、花散里などのお気の毒な姫君たちを住まわせようと思い立ち、万事を整えられました。
 
一方、明石の浦では、 
そうそう、明石の浦で辛そうに泣いておられた姫君はその後どうなさったのでしょうか。
源氏の君はこの明石の君をお忘れになる事は決してありませんでしたけれど、公私にわたる多忙に紛れ、お手紙をお出しすることも出来ないままになっておりました。三月始めの頃「明石の君のご出産はこの頃であろうか・・・」と思うにつけても、明石の君を可哀想にお思いになりまして、遣いの者をお出しになりました。遣者はすぐに帰ってきまして「二月十六日に女の御子が無事お生まれになりました。」とご報告申し上げました。源氏の君にとって、初めての女の御子でございますので、お喜びは並大抵のものではありません。(どうして、明石の君を京に迎えてご出産をさせなかったのか)と残念にお思いになりました。

 源氏の君の運勢を星占の人に見せましたところ「御子は三人、帝と后になられる方がお揃いでお生まれになるでしょう。三人の中で一番身分の低い方は、遂には太政大臣になり官位を極められることでしょう。」と申しましたことが、全てぴったり叶うようでした。昔(桐壺の巻)貴い人相見たちが、「源氏の君は帝の位に上り、国の政治を執るであろう」と予言しましたが、世の中が煩わしくなり須磨に退居した頃には、この予言を全てあきらめていましたのに、春宮が今上の帝の位につかれまして、やはり願いが叶ったと源氏の君は嬉しくお思いになりました。桐壺院は光君 を多くの御子の中でも特に可愛がっておられましたけれど、ただ人として育てるとお決めになりました御心を思いますと、帝の位には縁が遠かったはずですのに、今上の帝が位にお就きになりましたことで、人相見の予言は空しいことではなかったとお思いになりました。住吉の神のご加護により、明石の君が宿命として、源氏の御子を生んだという幸運に恵まれて、偏屈な父入道の身分に不相応な望みも実現することになりました。それにしても、将来中宮の位につくはずの人が明石のような辺鄙な所に生まれたということは、いとおしくも畏れ多くもございます。しばらくしてこの御子を京へ迎え取ろうとお思いになって、二条院東院の改築を急がすべくご命じなさいました。
 あんな明石のような田舎に、頼りになる乳母(めのと)はいないだろうとお思いになって、故院に仕えていた女房の娘に、明石の姫君の乳母として仕えさせるようお決めになりました。その娘はまだ若く無邪気な性格で、父は宮内卿の宰相で母も亡くなり、細々と暮らしておりました。頼りない暮らしの中で子を産み、ひっそりと荒ら家で心細い生活をしていましたから、深く考えることもなく、源氏の君にお仕えすることをただ嬉しいと思いまして、伺候する旨を承諾いたしました。源氏の君は明石へ下らせることを可哀想と思いながらも、派遣することになさいまして、ある日大層お忍びでその娘のところへおでかけなさいました。明石に下るとご返事申し上げながらも「さぁ、どうしよう……」と思い乱れているところへ、大層もったいなくも源氏の君がおいで下さいましたので、それまでの心乱れもすべて安らいで「ただ源氏の君の仰せのままに・・・」と申し上げました。
 ちょうど吉日でありましたので、乳母となる娘の出発を急がせなさいました。「明石のように辺鄙な所に行かせるのは変だと思うだろうけれど、特別に事情があることなのです。私自身も須磨、明石に退居しましたので、しばらく辛抱してください。」などと、ことの詳細をお話しなさいました。乳母の家はさすがに大きな邸でしたが、大層荒れ果てて木立などは気味悪げに茂り、このような寂しいところで、どうして暮らしていたのだろうとお思いになりました。乳母は若々しく大層美しいので、源氏の君は御目を離すことができません。何かと冗談などを仰って、ご自分の側に置いておきたい心地がなさいました。「さて、どうしたものか・・・。」と源氏の君が仰せになるにつけても、娘は「同じ事なら、源氏の君のお側近くにお仕えできるならば、このわが身も慰められますのに・・・」と悲しく思っておりました。

   かねてより 隔てぬ仲とならはねど 別れは惜しきものにぞ有りける

     (訳) 以前から特に親しい間柄にはならなかったけれど、
         別れとなると惜しいと思います。

もしできることなら、後を追いたいものだ。」と仰せになりますと、

   うちつけの別れを惜しむかことにて 思はん方に慕ひやはせぬ

     (訳) 今、お逢いしたばかりで別れが辛いというのは口実で、
         想う方(明石の君)を恋しくお思いではございませんか

歌のやりとりに馴れていてすぐご返歌申し上げるのを、源氏の君は感心しておられました。

 御車にて京を発ち、その道のりは大層遠く離れておりました。源氏の君はごく親しい供人を付き添わせなさいまして、他人には漏らすことのないようにと口止めをして、仕えさせなさいました。お生まれになった姫君に与える守刀や、明石に持っていくべき見事な贈り物など置き場のないほどで、御心遣いの至らぬところもないほどに整えなさいました。乳母への有り難いほど細やかな御心遣いも大層深いものでございました。明石の入道が生まれた姫君を可愛がる様子を想像すると、自然と微笑まれ、ただ姫君のことが心からおいたわしく御心にかかりますのも、源氏の君の愛情が誠に深いからでありましょう。御文にも姫君を疎かに扱ったりすることのないようにと、繰り返し誡めておられました。

   いつしかも袖うちかけむ乙女子が よをへてなでむ岩の生い先

   (訳) 天女が長い時間なでるという岩のように、早く袖をかけて
       抱きたいものだ 生い先長いわが姫を・・・。

 都を出発して摂津の国まで舟で下り、それより先は馬で急ぎ、遂に明石に着きました。 明石の入道は乳母の到着をこの上なく喜び、源氏の君のご配慮に恐縮して、都の方に向かって拝み申し上げておりました。さらに源氏の君の御心遣いを大層有り難いと思い、ますます幼い姫君を大切に思い畏まっておりました。姫君がこの世のものと思えないほど可愛らしくいらっしゃいますので、源氏の君の御心に添うように姫君をお世話しようと思うのは当然のことと、乳母は見申し上げますと、こんな田舎へ旅立って心細い気持ちがしていましたのに、その嘆きもすっかり治まるようでした。乳母は姫君を大層可愛らしくいとおしく思えて、大切にご養育申し上げました。姫の母君(明石の君)も源氏の君が京に帰られて以来、物思いに沈んでますます気持ちが弱々しくなり、生きている心地がしなかったのですが、この源氏の君のご配慮に少し慰められ、気分が晴れる思いがいたしました。入道は乳母に付き添ってきた遣者にも心を尽くしておもてなしをしました。遣者は早く都に帰り、この様子を源氏の君に伝えたいと思いますのに、引き止められて心苦しく思っていました。明石の君は思う事などを少し手紙にお書きになりました。

   ひとりして なずるは袖の程なきに おほふばかりの陰をしぞ待つ

     (訳)私一人で育てるには私の袖は小さすぎます。姫を覆い隠すほどの
        貴方の袖を待っております

京都では……
  
源氏の君はこの歌をお読みになり、苦しいほどに姫君の事が心にかかり、一日も早く逢いたいとお思いになりました。しかし紫上には、まだはっきりと姫のご誕生をお話しになっていませんので、誰か他から耳に入るのは具合が悪いと、「こういう次第です。御子の誕生を願う貴女との間には御子が生まれずに、なんとも筋違いのことだねぇ。思うようにいかないのが残念なことだ。女御子ということですので、ほっておいてもいいのだけれど、親として見棄てる訳にもいきません。姫君を迎えにやって貴女とお逢わせしましょう。でもどうぞお憎みなさいませんように・・・」と申しなさいました。
紫上は顔を赤らめて、
「いつも貴方は私がそんな女であるように仰せになりますが、それを聞いて嫉妬を感じる私を、我ながら嫌になってしまいます。人を妬む心はいつの間に教わったものなのでしょう。」と恨みなさいました。源氏の君は大層微笑まれ、「そうだねぇ、誰が教えたのでしょう。貴女は思ってもみない態度をおとりになるのですね。予想もしないほどに気をまわして、私を恨んでいるのは悲しいことだ。」と、遂には涙ぐみなさいました。

須磨、明石で過ごした数年間、飽きることなく恋しいと思い続けたことを思い返され、折々に御文を交わせれたことなどを思い出すにつけても、(すべてのことは出来心。ただの気慰めごとに過ぎないこと……)とお思いになりました。「明石の君をこれほどまで思いやりお手紙をだすのは、私に考えがあるからです。はやくからお話し申し上げると、又貴女が思い違いをなさるといけませんので・・・」と言い止めなさって、「明石の君の人柄が良いと感じたのも、明石という場所がらのせいでしょう。あんな田舎には珍しく思えたのです。」などとお話しなさいました。明石の浦で藻塩を焼く煙のしみじみとした夕べや、明石の君の言葉、ほのかに見た顔だち、琴の音が優美だったことなど、源氏の君の御心に留まった事をそのままお話しなさいますと、紫上は、源氏の君と別れて以来、死ぬほど悲しく思い嘆いていましたのに、たとえ気慰めにしても、他の女性に愛情をかけておられたのかと、穏やかならず思いなさいまして、
「人は人。私は私。」と源氏の君に顔を背けつつ物思いに沈んで、「須磨に行かれるまでは、しみじみと素晴らしい二人の仲であったのに・・・」と独り言のようにお嘆きになりました。

     おもふどち 靡く方にはあらずとも我ぞ煙に 先立ちなまし

      (訳)貴方は明石の君と同じ方に煙は靡かないと仰せになりますけれど、
         私は二人の煙より一足先に死んでしまいたい。

「何と辛いことを言うのか・・・。誰のためにこの辛い世を須磨にさすらい、堪えられぬ涙に浮き沈むほど泣いて暮らしたのでしょう。すべて貴女のためだったのです。何とか私の本心をお見せしたいのに、そうまで誤解されては私はもう死にたくなる・・・。つまらない事で人から悪く思われるまいとするのも、ただ貴女との幸せを願うからなのですよ。」
源氏の君は箒の琴を引き寄せてお弾きになりまして、紫上にもお誘いになりましたけれど、明石の君が琴に優れているというのも妬ましく、紫上は手もお触れになりません。誠におっとりと愛らしく素直でいらっしゃるものの、それでも意志の強いところもおありになって、源氏の君を恨んでいらっしゃる様子がかえって愛嬌があります。ご立腹なさる様子をご覧になり、源氏の君は「何と可愛らしい方だ。」とお思いになりました。


明石の姫君の生後五十日の祭に……、
 五月五日が生後五十日の祭に当たるだろうと、源氏の君は、紫の上には内密にして、明石の姫君の様子を心深く思いやりなさいました。「都に姫がいたならば、なにごとも素晴らしくおもてなしができて、どんなにか嬉しいことだろうに誠に残念なことだ。明石のようなところでお生まれとは、誠に気の毒なことだ。もし男君ならば、これほど御心にかけようもないものを、女君なのですから、後には中宮にもなられる方と、かたじけなくもお労 しくお思いになりました。ご自分の運命もこの姫君のご誕生なければ、悲運であっただろうとお思いになり「必ず五月五日に着くように……」と明石にお遣いをお出しになりました。源氏の君からのお心尽くしの贈物やお見舞いの品は誠に見事でございました。

   うみ松や 時ぞともなき陰にいて 何の菖蒲もいかにわくらむ

     (訳)海松(姫)は時も分からぬような陰(田舎)にいて、菖蒲の節句と
        五十日の祭りを祝っているのだろうか。

心がわが身を離れて、そちらに行ってしまうほど恋しく姫のことを思っています。やはりこのままでは我慢できませんので、こちらに来ることを思い決めてしまいなさい。こちらに来たとしても、ご心配なさることは決してありません。」とお書き添えになりました。

 入道は嬉し泣きをしていました。これも自分が神仏に祈って作り出した喜びと思いますので、「生きていた甲斐があった。」と嬉し泣きをするのも無理のないことでしょう。ここ明石でも、万事に仰々しく立派にお祝の準備をしておりましたけれど、もし源氏の君からのお遣いがなければ、闇夜の錦のように何の見栄えもせず、空しくお祝を済ませたことでしょう。乳母にとっても明石の君が誠に素晴らしく心に叶った女性でしたので、良い話し相手として、田舎暮らしの寂しさを慰められるようでございました。
 入道は自分の縁故を辿って、この乳母にも劣らないような女房を都から迎えて、姫君にお仕えさせていましたが、その女房たちは、もと宮仕えをしていた年老いた様子で、たまたまここに流れてきたような者たちでした。しかし源氏の君のお遣わしになったこの乳母は、この上なく気品があり純心で気位も高くいらっしゃいまして、宮中の物語などを女心にまかせて、限りなく語り尽くしなどいたしました。それを聞くと明石の君は、源氏の君がそれほどまでに厚い御心を残して下さっていたのかと、だんだん心強く思うようになりました。乳母は源氏の君からのお手紙を明石の君と一緒に見まして、「こんな幸運な宿縁もあるものか、それに対し、わが身の何と辛いこと……」と思いましたが、源氏の君が「乳母は元気でやっているか」等と細かに尋ねてくださいますので、大層畏れ多く感じられ、あらゆる辛さも慰められるようでございました。
 明石の君からのお返事には、

   数ならぬ みしまかくれに鳴く鶴を けふもいかにと問ふ人ぞなき

    (訳) 取るに足らぬ私のもとにいる姫を 今日はどうしているかと
        尋ねてくれる人もない。

気が晴れない私の気持ちを、希に来る貴方からのお手紙で慰めております。頼りとする私の命も儚いものでございますので、幼い姫君が安心してお過ごしになれる方法が欲しいと思います。」と心を込めてお書きになりました。源氏の君はこのお返事をお読みになりまして、「あぁ……」ながながと声を引いて溜息をつかれました。紫上はそれを横目でご覧になって、「私は取り残されてしまう……」とひっそりと物思いに沈んでしまわれましたので、源氏の君は「それほどまでに貴女は気を回すのですね。これはただこれだけの事に過ぎません。明石の情景を遠く思い出す折、昔の事が忘れがたくて、思わずもらす独り言を、貴女はよくぞ聞き過ごしなさらないのですね。」と恨み申し上げました。明石の君からのお手紙の上包みだけを、紫上にお見せなさいますと、その筆跡などは大層味わいがあって、身分の高い人さえ恥ずかしくなるほど素晴らしいので(だからこそ源氏の君の御心を捕らえたのでしょう)と、紫上はしみじみと悲しくお思いになりました。

そして、花散里には……、
 このように源氏の君が紫上のご機嫌をとっておられます頃、花散里へのお通いがすっかり途絶えてしまいましたことは、姫君には大変お気の毒なことでございました。ご公務も多く、軽々しいお忍び通いもはばかられます上、花散里の方からよほど感心を引くお手紙がない限りは、源氏の君はご訪問をなさらないようでした。五月雨の所在ない頃、公私の事にすこし暇ができましたので、源氏の君は、あまり気の進まぬところを思い起こされて、花散里のところにお渡りになりました。花散里は君のご援助を頼りにお過ごしですから、今風に心憎い様子で妬んだり、恨んだりすることは決してなさいませんので、源氏の君も安心のご様子でございました。
 長い年月、御邸はますます荒れ果てて、怖ろしいほど侘びしい有様でした。源氏の君は姉の麗景殿の女御とお話などなさって、夜更けて花散里がおられます西の妻戸にお立ち寄りなさいました。月がおぼろに差し込み、源氏の君の優雅な立ち振るまいが尽きせず素晴らしく見えました。花散里が遠慮がちに庭に面したところで、物静かに思い沈んで座っていらっしゃるご様子は、むしろ好ましく見えました。近くで水鶏(くいな)が、まるで戸を叩くような声で鳴きますのを、

   水鶏だに 驚かさずはいかにして 荒れたる宿に月を入れまし

     (訳)水鶏が鳴いて驚かしてくれなかったら、どうしてこの荒れた宿に
        月(源氏の君)を入れることができたでしょうか。

優しく恨みごとを隠してお詠みになりました。源氏の君にとっては(それぞれに捨て難き男女の仲だからこそ、わが身も苦しいのだ)とお思いになり、

   おしなべて たたく水鶏に驚がば うはの空なる月もこそいれ

    (訳)どんな水鶏のたたく音にも驚いて戸を開けていたら、
       うわの空の月(浮気な男)をも入れることになるのだろうか。

こんな歌を口に出して歌われましたものの、花散里は浮気っぽい性格ではありません。ここ数年の間、源氏の君のご帰京を待ち続け、寂しく過ごしていたことをお思いになりますと、決してこの姫君を疎かにはお思いになれません。花散里は、須磨へのお別れの日に「ただ空を眺めながら、空しく過ごさぬよう……」とお歌をいただきました折のことを思い出して、「あの時はどうしてあの様にひどく物思いに沈んだのでしょう。辛いわが身からすれば、ご帰京なさった後も同じ辛さですのに……」とおっしゃいました。その様子が、源氏の君にはおっとりと可愛らしく感じられまして、いつものように言葉の限りを尽くしてお慰めなさいました。

 このような折にも、源氏の君はあの五節の姫君をお忘れになることはありません。もう一度逢いたいと心にかけておられるのですが、大変難しいことで忍びの逢瀬は実現いたしません。五節の姫君は源氏の君を今でも想い続けておいでになりますのに、親はあれこれ思うこともあるようで、姫は結婚するお気持をすっかり捨てておいでのようでした。源氏の君は心安く通える御邸を造り、このような忘れがたい姫君たちを集めて住まわせて、もし御子でも生まれたら大切にご養育して、その後見になろうとお考えでございました。
 二条院の東院は、本邸よりずっと見所が多く、今風で華やかな造りでございました。風情の分かる受領などを集め、庭造りなどを分担しておさせになり、完成を心待ちにしておられました。


 源氏の君は今なお、朧月夜の尚侍を思い切ることがお出来になりません。この姫君との密会が原因で、須磨に退き辛い思いをなさいましたのに、懲りることなく昔の仲に戻ろうと御心遣いをお見せになりました。けれど尚侍の君はすっかり懲りて、以前のように応対なさいません。源氏の君は、今は昔のように気ままにお忍び通いもできませんので、大層窮屈にお思いになり、すっかり離れてしまった二人の間柄を寂しくお思いになりました。

 朱雀院は譲位された今はすっかり気分も楽になられ、四季折々に趣ある管弦の遊びなどをなさり、素晴らしい日々をお過ごしでございました。院にお仕えする女御や更衣たちは、ご在位の頃と変わらずにお仕えしておりました。春宮の御母君である承香殿の女御だけは、今まで院にご寵愛されることもなく、朧月夜の君へのご寵愛に押し消され、大層惨めにお暮らしでしたのに、今はわが子が春宮になられましたので、院の側から離れ春宮に付き添って、この上なく幸せにお過ごしでございました。ちょうど源氏の大臣の御宿直所が、昔の淑景舎(桐壺)でしたので、すぐ隣りの梨壺に春宮がいらっしゃいますから、近い隣りの気安さもあり、何事のご相談などにも行き来をなさいまして、春宮をお世話しておられました。

 入道后宮 (きさきのみや・藤壷の宮)は、御子が冷泉帝となられましたが、ご自身は出家をしておられますので、その御位を皇太后に改めるわけにもいきません。そこで太上天皇と同格の御封(領地)を頂戴なさいました。后宮にお仕えしていた人々も昇進して院司になり、皆格別にご立派な様子でした。后宮は勤行や功徳のための仏事を日常のお仕事として、日々お過ごしでございました。長い間、世の中に遠慮して宮中への出入りも難しく、冷泉帝とお逢いになれないことをお嘆きでしたが、今は思いのままに宮中においでになりますのも、大変素晴らしいことでございます。

 弘徽殿の大后は「辛いものは、この世の変遷なり」と大層嘆いておられました。あれほど源氏の君の失脚を願った大后に対して、源氏の君は、大后の方が気恥ずかしく思うほどに、親切にお世話し気配りをなさいますので、かえって大后には心苦しい様子で、世間の人も「大后には、お辛いことでしょうに……」などと噂しておりました。 
 紫上の父である兵部卿(ひょうぶきょう)の宮には、源氏の君が流離の頃、ひどく腹立たしい御振る舞いをなさいましたので、源氏の君はそれを根にもってか、昔のように親しくなさいません。源氏の君は世間一般に対しては、すべてに差別なく優しいお心遣いをなさいますけれど、この兵部卿の宮の身辺に対しては、かえって薄情な仕打ちをなさいますので、入道の宮は兄君を気の毒にお思いになって、不本意なことと悲しくご覧になっておられました。
 天下の政治 は半分に分けて、太政大臣(もと左大臣)と源氏の君の御意のままでございました。
権中納言(もと頭中将)の御娘をその八月に入内させなさいました。入内の儀式などは、大層理想的に整えられ、華やかに行われました。しかし兵部卿の宮も二女の君を入内させようと大切に育てておられしたのに、源氏の君はその姫が特に優れているとはお思いにならず、入内させなさいません。この姫の将来はどうなるでしょうか。

源氏の君は住吉参詣においでになり……
 その秋、源氏の君は住吉神社に参詣なさいました。御願が叶いましたのでその御礼にと、大層立派な行列でおいでになり、上達部や殿上人等は皆競うように参詣のお供をして、世間では大騒ぎになりました。
 明石の上は毎年住吉参詣をしておられましたが、今年はご出産のためできませんでしたので、そのお詫びも兼ねて、源氏の君と時を同じくして参詣を思い立ちなさいました。明石の上は舟にておいでになり、岸に着きました時には、渚はお参りする人々が満ち溢れていました。厳めしい奉納物を捧げ持って続く人々や、容貌の優れた楽人が十列も装束を整えて続いて行きました。「どなたのご参詣なのですか。」と問いますと、「源氏の内大臣殿の願(がん)果たしの参詣を、知らない人がいるとは……」と下人に笑われてしまいました。明石の君は大層驚き「参詣する日は他にもあろうに、よりによって今日とは・・・。こんなに遠い所から源氏の君のご様子を遙かに見申し上げるにつけても、何ともわが身の程の口惜しく情けないものよ。」と悲しくお思いになりました。さすがに源氏の君と離れられない宿世とは言うものの、卑しい下人までにこのように言われて、更にその下人さえ晴れがましい様子で参詣にお仕えしているのに、源氏の君を深く想いながらも、どんな前世の罪深き身のためか、源氏の君のご参詣さえも知らずに、明石を出立してきてしまったことを大層悲しく思われ、密かに涙を流しておられました。
 
 緑深い松原を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える美しい袍(上衣)を着た供人達が数えられないほど大勢いる中でも、六位の蔵人は青色の袍を着ているので特に目立って見えました。昔、須磨に発つ時に、賀茂の瑞垣を恨んだ歌を詠んだ右近の丞も、今は衛門府の尉として、物々しい随身をお供に連れた蔵人になって来ていました。良清も同じ衛門府の介となり、他の人より気兼ねなく振る舞っているようでございます。大げさな赤色の絹を羽織った姿が大層美しく見え、明石で見たことのある人々が、今はすっかり華やかに何の心配もない様子で、境内のあちこちにいるのが見えました。若々しい上達部(かんだちめ)や殿上人が我も我もと、目立とうと競い合っているように見えます。
 行列には、帝からいただいた童随身 (わらわずいじん)もお供をさせておられました。身長や姿の揃って愛らしげな童随身が、華やかな装束をつけ、角髪を結っておりまして、その紫のぼかしの元結(もとゆい)が上品で美しく見えました。
太政大臣(もと左大臣)の娘・葵の上から生まれた若君(夕霧)の乗る馬の側を歩く童たちは、お揃いの華やかな衣裳を着て、限りなく大切に傅かれるているご様子が見えました。その眩いほどのご様子に比べ、同じ源氏の御子でありながら、わが姫君を人並みに数えて下さらないような気がして、明石の上は大層悲しくなられ、ますます心を込めて住吉の御社の方を拝みなさいました。誠にいたたまれない気持ちがしましたので(源氏の君の行列に混じって数にも入らぬわが身が少しばかりの供物を供えたところで、神の御意に叶うこともなく、数のうちに入れるはずもありません。このまま帰るのも心残りですので、今日は難波で舟を泊め、せめて御祓いだけでも済ませよう。)とお思いになりました。明石の上の乗る舟は住吉をそっと漕ぎ去りました。

 源氏の君にはそのことは夢にもご存じないことでございました。その夜は様々な神事をおさせになり、神がお喜びになるに違いないことをし尽くして、これまでの御願のお礼に加えて、一晩中管弦を賑やかに奏して夜を明かしなさいました。惟光(これみつ)などの辛苦を共にした人たちは、内心で神の御徳をしみじみ素晴らしいと思っておりました。ちょうど奥から源氏の君がお出ましなさいました所に惟光がお仕えしておりまして、歌を詠み申し上げました。

   住吉の松こそものはかなしけれ 神世のことをかけておもへば (惟光)

     (訳)須磨、明石に退いていらした頃を思い返し、
        今こうして住吉の松を見ますと誠に素晴らしいものです。

源氏の君は「いかにも……」と思い出しなさいまして、

   荒かりし浪のまよひに住吉の神をばかけて 忘れやはする

     (訳)荒々しかった須磨の波風の中の辛かった日々を思うと、
        住吉の神を忘れることがあったのだろうか

 あの明石の君の舟が、この騒ぎに圧倒され参詣もせずに通り過ぎたことを、惟光が源氏の君にご報告申し上げますと、「まったく知らなかった。」と誠に気の毒にお思いになりました。(ここで出逢ったのも神の御標 (お導き)としか思えないので疎かにはできない。せめてちょっとした手紙など出して、明石の君の御心をお慰めしたいものだ。せっかく参詣にでかけたのに、かえって悲しく思っているだろう……)とお思いになりました。
 源氏の一行は住吉の御社を出発なさり、所々を見物などなさいました後、難波の御祓を七瀬の水ぎわで厳かにお勤めなさいました。堀江の辺りをご覧になり、「・・・今はた同じ難波なる 身をつくしても逢はむとぞ思ふ」と、古歌を無意識に口ずさまれましたのを、牛車の近くにお仕えしていた惟光が耳にして、いつものように懐に準備していた柄の短い筆などを御車を止めたところで源氏の君に差し上げました。源氏の君は気の利く奴だと感心して、畳紙に

   みをつくし恋ふるしるしにここまでも 巡り逢いける縁は深しな

     (訳)身をつくして恋している証にこんなところに来てまで
        巡り逢った貴女との縁は深いものですね

とお書きになりましたので、惟光は下人に命じて、これを明石の君のところへ届けさせました。

源氏の行列が馬を並べて通り過ぎるのを見て、明石の君は大層悲しく心乱れていましたのに、源氏の君からほんの少しの御文ですけれど頂きましたので、しみじみと有り難いとお泣きになりました。

   数ならで なにはの事もかひなきに など身をつくし思いそめけむ

     (訳)数にも入らないつまらぬ身分で、何事にも甲斐のない私なのに、
        どうして命がけで貴方を想いそめてしまったのでしょうか。

田蓑島(たみのしま)での御祓いの木綿にこの歌を付けてお返しなさいました。日暮れになり夕潮が満ちてきて、入江の鶴も声を惜しまず鳴く情緒あふれる折だからでしょうか。源氏の君は人目もかまわずに、ただ明石の君に逢いたいとお思いになりました。

   露けさの昔に似たる旅衣 田蓑のしまのなには隠れず

     (訳)露に濡れた昔(明石にいた頃)にそっくりの旅衣の涙は、
        田蓑では隠しようがありません

 帰り道、源氏の一行は賑やかに管弦の遊びなどをなさっておられましたものの、源氏の君の御心には明石の君のことが、大層気にかかっておりました。遊女たちが寄り集まっていましたので、上達部など軽々しい色好みの者たちは皆、興味をもっていましたけれど、源氏の君は(恋の面白さもその人柄次第で、恋愛を軽々しく扱う者には、心を留める価値もないことだ)とお思いでございました。遊女たちに得意になって風情ありげに振る舞う人々を、不快にご覧になっておりました。

 明石の一行は、源氏の君の行列が通りすぎるのを見送りました。その翌日は吉日ですので、弊帛を神に奉納して、分相応の御願などをひとまず申し上げました。それからは、かえって物思いが増してしまいまして、明け暮れ、口惜しい身の上を思い嘆きなさいました。源氏の君がもう京に着かれたと思われる日数もたたないうちに、源氏の君からお遣いが参りました。明石の君は(近々、都に迎えようと源氏の君が仰せになり、私を妻として数に入れてくださるようです。けれど、いざ明石の浦を漕ぎ離れて京に上れば、頼る者もありませんので心細いことになるでしょう。)と思い悩んでおられました。父・入道も「娘を手元から離すのは大層心配で、そうかといって一生この明石で埋もれて暮らそうとは思わない。万事にはばかられて決心し難いことでございます。」とお返事申し上げました。


そして、六条の御息所も京にお帰りになり……
 帝のご譲位に伴い、斎宮(さいぐう)も代替わりなさいましたので、あの六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)も京にお帰りになりましたのに、源氏の君は昔のようにお見舞いなさいません。例のないほどの心をお尽くしなさいますけれど、昔でさえつれなかった源氏の君の御心は、また辛い目は見るまいと決めておられるようで、御息所のところにお渡りになることはありません。(強いて、御息所の心を動かし申し上げても、自分の心ながら又どうなるか分からないし、とやかく女性にかかわるお忍び歩きなども、今の身分では気楽にできない)等と言い寄ることなどもなさいません。ただ娘の斎宮が、いかに美しく成長なさったのか、ぜひ逢ってみたいとお思いでございました。

 御息所はあの六条の旧邸を大層よく修理・改造なさいまして、今も猶、風雅にお暮らしでございました。その優雅なご様子は昔のままで、よき女房なども多くお仕えし、風流を好む人々の集い所になっておりました。源氏のお通いもなく心淋しくはございますが、風情に満ちた暮らしをなさいますうちに、にわかに重く患いなさいまして、大層心細くお思いでございました。伊勢(神の境)にお暮らしになりましたので、仏事に遠ざかっていたわが身を恐ろしくなられて、遂に尼になってしまわれました。
 源氏の君はこれをお聞きになり、恋人というほどではないけれど、やはり折々の情趣を語り合う相手として考えておられましたので、出家されたことを実に残念にお思いになり、驚きながら御息所の御邸におでかけになりました。源氏の君はしみじみと心深いお見舞いの言葉を申し続けなさいました。病床の枕元近くに源氏の君がお座りになり、御息所は脇息に寄りかかってお話などなさいますものの、源氏の君には弱々しい気配が感じられ、
「私の心が昔と変わらぬことをお分かり頂けないのでしょうか……」とお泣きになりました。 御息所は源氏の君がこれほどまでに心に留めて下さいましたことを心強くお思いになりまして、娘の斎宮の御事のみをお頼みになりました。
 「私が亡くなりました後、この娘が一人心細くこの世に残るでしょうから、必ずやことにふれお世話下さいませ。後見を頼む人もない哀れな身の上なのです。私のようなつまらぬ者でも、もう少しこの世に生きていて、せめて娘が分別を知るまで、お世話したいと思っていたのですが……」と消えいらんばかりに弱々しくお泣きになりました。源氏の君は「あなたの言葉がなくても、私は斎宮を見放すつもりは全くありませんので、なお一層心の及ぶ限りお世話申し上げましょう。決してご心配なさいますな。」と仰せになりました。
「それは大変難しいことでございましょう。あとを頼まれた人が本当の父親であっても、母が亡くなりました後も世話をみるとは限りませんので、女親に先立たれた娘は、大変可哀想なものでございます。ましてや源氏の君がこの娘を恋人のようにお扱いなさいますと、思わぬ苦労をすることになり、他の女性達に恨まれることになるでしょう。誠に嫌な気の回しようではございますが、決してそのような好色がましいお考えはなさらないでください。私の辛い経験からしましても、女はなぜか苦しい物思いを背負うものです。何とかこの娘が辛い思いをしないように、男女関係とは引き離してお世話下さいますように……。」と申し上げました。源氏の君は、嫌なことをはっきり仰るものだとお思いになりましたけれど、「この数年、私は万事に分別もついてきましたのに、昔のような好色な心が残っているかのようにおっしゃるのも残念なことです。まぁ、そのうちに私の本心をお分かりになるでしょう。」と仰せになりました。

 外はすっかり暗くなり、大殿油 のほのかな灯りに、御簾を通して中の気配が伺えます。もしや御息所の御姿が見えるのではと、そっと御几帳の帷子の間からご覧になりますと、薄暗い灯火の中に、尼削ぎにした御髪の大層美しく華やかな御息所が、脇息に寄りかかっていらっしゃるお姿は、まるで絵を見るように美しうございました。

 娘の斎宮は御帳台の東側に伏していらっしゃるようです、御几帳の無造作に巻き上げられている間から、御目を留めてじっとご覧になりますと、頬杖をついて大層悲しそうにしておられます。かすかですけれど大層可愛らしく見えました。御髪のかかる辺りが上品な感じで、大層愛敬があるご様子ですので、源氏の君は慕わしく逢ってみたいとお思いになりました。けれど先ほどの御息所の言葉を思い返し、動く心を抑えなさいました。御息所はひどく気分が悪くなられましたので「畏れ多いことですが、もうお帰りくださいませ。」と女房に助けられて横になられました。源氏の君は「私がお見舞いに参上したので、ご気分がよくなられれば嬉しかったですのに、苦しくなられたようでお気の毒でございます。どんな風に苦しいのでございますか。」と御簾の中を覗こうとなさいましたので、「私は病にすっかり衰えて恐ろしげな姿をしております。このような乱れた気分でおりまして、いよいよ最期の折にわざわざ源氏の君がお渡りくださいましたのは、誠に浅からぬ前世からの宿縁と存じます。心の中に思っておりました事を少しですが貴方様にお話しできましたので、もうこの世を去ろうとも心強い思いがいたします。」などと申し上げなさいました。
「大事な御遺言をするほど親しい人として、私を扱って下さったことを大層嬉しく思います。故桐壺院の皇女たちが沢山いらっしゃいますが、睦まじくして下さる方はほとんどありません。故桐壺院がこの斎宮を御子と同様に扱っておられましたので、私も兄弟として睦まじく思いましょう。私も大人とみなされる年齢になりましたが、世話をする御子もいませんので寂しい思いをしておりました。これからは斎宮を大切にご養育申し上げましょう。」等とお約束なさいましてお帰りになりました。それ以来、源氏の君は今少し心を込めて、しばしばお見舞いをなさいました。


遂に、御息所は亡くなられ……  

 それから七日、八日が経ち、御息所はお亡くなりになりました。源氏の君は張り合いが失せたように、人の世をはかなく心細くお思いになり、内裏にも参上なさらずに引き篭もって、御息所のご葬儀の事などをご指示なさいました。御息所には特に頼りにしていた方もおいでになりませんので、斎宮の宮司で今もずっとお仕えしている者などがご葬儀の準備などをなさいました。源氏の君ご自身も宮邸にお渡りになり、心を込めて斎宮をお見舞いなさいました。斎宮は女別当(斎宮付きの女官)を介して、「何事も悲しみのために、分別できずにおります。」とお返事申し上げました。源氏の君は「母君・御息所が私に言い置かれた事もありますので、今は私を親しい者とお思い下されば嬉しい……。」と仰せになりまして、女房たちをお呼びになり、葬儀などのなすべき事をご命じになりました。源氏の君は大層頼もしげに振る舞いなさいまして、ここ数年来の御息所への冷たい御心を償う事ができそうに見えました。
 御息所のご葬儀は 殿の人々を大勢お仕えさせなさいまして、大層厳粛に行なわれました。源氏の君はしみじみと悲しく物思いに沈まれ、ご精進の間は御簾を下ろして仏事のお勤めをなさいました。
 そして斎宮には常にお見舞いのお手紙をお送りになりました。次第に斎宮の御心が落ち着かれましてからは、ご自分でお返事などお書きになりました。斎宮は恥ずかしくお思いでしたけれど、それは女房たちが「代筆では畏れ多くございます。」とお勧め申し上げたからでございました。

 雪に霙 の混じる荒れた日、どのように斎宮が寂しく思っておいでになるかと思いやり、源氏の君はお遣いをおやりになりました。「この荒れた空をどんなお気持ちでご覧でしょうか。

   降り乱れ ひまなき空に亡き人の あまかけるらむやとぞ悲しき

    (訳)雪やみぞれが降り乱れる空に亡き御息所の魂が
       天を翔ているのだろうと悲しく思います。

空色の曇ったような地味な紙にお書きになりました。若い斎宮の心を惹くように、心を込めてお書きになりましたので、眩しいほどに素晴らしいものでした。斎宮は大層お返事し難いご様子でしたけれど、女房達が「人を介してのお返事では、失礼でございますので……」とお責めしましたので、艶な鈍色の紙に墨継ぎなどを書き紛らわして、

   消えかてに ふるぞ悲しきかきくらし わが身それとも思ほえぬ世に

     (訳)わが身がわが身でないように思えるこの世に、
        死ぬこともできずにいきているのは悲しいことです。

慎ましげな書きざまは、誠におっとりとして、そのご筆跡は特に優れている訳ではないけれど、可愛らしげで上品な手筋と見受けられました。
 源氏の君は(斎宮が伊勢にお下りになってからずっと慕わしく想っておりましたから、今は心にかけて言い寄ることもできるのですけれど、故御息所が大層気がかりな様子で御心を残して逝かれたことですし、世間も「好色」と見るに違いないので、その裏をかいて、心清くお世話申し上げることにしよう。そして冷泉帝が今少し分別がつくお年になられたならば、斎宮を入内させ申し上げよう。それまでは自分に御子が少なく寂しいので、斎宮を大切にご養育することで日々過ごそう。)と思いつきなさいました。
 それからというもの、源氏の君は斎宮を大層誠実にお世話申し上げて、しかるべき折々に斎宮の所にお渡りなさいました。「畏れ多くも、私を母君の代わりと思し召して、遠慮のないお付き合いをして下さるならば本望に存じます。」と源氏の君が仰せになりましたけれど、斎宮は内気で恥ずかしがりの性格で、男性にほのかな声でさえお聞かせするのは思いも寄らない事とお考えですので、お側の女房たちも斎宮のこのようなご性格を嘆き合っておりました。(たとえこの斎宮が、皇族出の才能ある女房たちが多い宮中に入内をなさいましても、他の女御などに見劣りにすることはない。)と思いながらも、源氏の君が何とかこの斎宮のご容貌を見たいとお思いになるのは、親心からではないようです。内心、斎宮への想いが残っている様子で、ご自分の心が今後どう変わるか分からないので、帝への入内を計画していることを決して人に漏らしなさいません。
 ただ故御息所の御供養を格別にお世話なさいますので、宮邸の人々も源氏の君の御心遣を有り難いと喜び合っておりました。


御息所の娘・斎宮には、入内を……
 月日がはかなく過ぎるにつれて、六条の宮邸はお仕えする女房たちも次第に退出してゆきますので、斎宮には大層寂しく心細い事ばかりが増していきました。お邸は下京の京極あたりにございましたので、人けも少なく、山寺の夕方の鐘の音に一層寂しさも勝り、斎宮は泣きながら日々過ごしていらっしゃいました。母親といっても、故御息所は片時の間も斎宮から離れることなくお付き添いなさいましたし、前例のないことですのに、伊勢まで親が付き添ってお下りになりました。強いてお誘い申し上げたほどの母君が、死出の道にはお供できなかったことが、斎宮には涙の乾く間もないほど悲しいことでございました。女房を介し、お世話申し上げたいと求婚する男達は沢山ありましたけれど、源氏の君は女房たちに、「勝手に斎宮に男を手引きをしてはならない。」と親のような態度をおとりになりますので、源氏の君に不都合なことをお耳に入れることのないように、男からの御文さえも取りつぐことはありませんでした。
 
 朱雀院は、この斎宮が伊勢に下向される折に、大極殿で行われた厳粛な儀式で、この世と思えぬほど美しかった斎宮のご容貌をご覧になってから、忘れがたく心に刻まれておりましたので、「帰京後は宮中に入内をなさって、賀茂の斎院など 私の姉妹の宮たちと同様にお仕えください。」と故御息所にもお申し込みされました。しかし御息所は「朱雀院には高貴なお后が幾人もおられます中に、後見らしい者もなく入内しては惨めなことになるでしょう。」とご遠慮をなさいました。更に朱雀院は大層重い病気でいらっしゃいますので、母同様の未亡人の悲しみをさせるかもしれないと、入内をさせないまま日々過ごしてこられましたので、御息所がご逝去されました今、斎宮を誰がお世話して、院の後宮にお入りになることができようかと、女房どもは皆で心配をしておりました。

 今も猶、院は心を込めて入内のお申し入れをなさるのでした。源氏の大臣はこれをお聞きになり、院の正式な入内の申し入れがあるのに、これを違えて横取りするのは、畏れ多いこととお思いになりましたが、斎宮のご様子が大層愛らしげで美しくいらっしゃいますので、これを手放すのは誠に残念とお思いになり、藤壷の入道の宮にご相談なさいました。「これこれのことを大層思い悩んでおります。故御息所が落ち着いた思慮深い方でしたのに、私のつまらぬ浮気心にまかせて、良くない噂を流してしまいました。私は嫌な男と恨まれるままになりましたが、故御息所はご存命中に恨みを晴らさぬまま、臨終の時に娘・斎宮の将来のことを御遺言なさいました。この私を[斎宮を託すべき人]と見極めなさいましたことを思いますと、堪られない気持がいたします。」源氏の君は無関係な人のことでさえ、気の毒なことには見過ごせないご性格ですので、何とか御息所の魂が、浮き名を流した恨みを忘れてくれるようにしたいとお考えでございました。「冷泉帝もそれなりにご成長なさいましたが、まだ大層幼い年齢でいらっしゃいますので、斎宮のような少し分別のある年上の女性が、帝にお仕えしたら良いのではないかと思われるのです。それも貴女様のご意向のままにいたしますが……。」と申しなさいました。
 藤壷の入道の宮は「本当に良いことを思いつきなさいました。朱雀院のご内意は誠に畏れ多くお気の毒ではございますが、故御息所のご遺言があったからということで、院のお気持を全く知らなかったふりをして、斎宮を入内させて冷泉帝にお仕えするようになさいませ。 この頃、院はひたすら仏の勤行をなさっておられますので、源氏の君がそう申し上げなさっても、深く思い咎めることはないでしょう。」とおっしゃいました。 源氏の君は「それならば、あなた様のご意向で、斎宮を冷泉帝の御后の一人にいれてくださることにして、私としては賛成の意を表しただけにしましょう。これほどまでに考え尽くした事ををお伝えしたのですが、世間では何と言うでしょうか……心配でございます。」と申されました。後に源氏の君は、本当に何も知らぬ顔で、斎宮を二条院にお移し申し上げようとお思いになりました。そして紫上にも「斎宮を養女として迎え、今上帝に入内させようと思います。それまで貴女のお話し相手として仲良くお暮らしになるには、似合いのお二人だと思います。」と申しなさいました。紫上は大層嬉しくお思いになりまして、斎宮のお引っ越しの準備などをお急ぎなさいました。

 入道の宮は兄・兵部卿の宮が姫君を入内させようと大切に養育しておいでになりますのに、源氏の大臣が兵部卿と不仲のため未だにかなわず、源氏の君がその姫君をどのようにお扱いになるのかと、心を痛めておられました。
 権中納言(もと頭中将)の御娘は、今では弘徽殿の女御となられ、太政大臣の養女として後宮で大層きらびやかにお過ごしでいらっしゃいまして、冷泉帝にとってもよいお遊び相手でございました。入道の宮は(兵部卿の中君も同じ年頃ですから、入内させても、なにやら人形遊びをしているようでしょうから、斎宮のような少し大人っぽいお世話役が、帝にお仕えする方が望ましい。)とお思いになって、斎宮の入内をご自分の意志として、帝にお話しなさいました。
 源氏の大臣はすべてのことにぬかりなく、政治上のご後見は言うに及ばず、日常の明け暮れにつけても、細やかに御心遣いなさいますので、入道の宮は大層嬉しく、源氏の君を頼もしくお思いになりました。しかし入道の宮ご自身はやがてご病気がちになられ、宮中に参内なさいましても、長く帝の側にいらっしゃることも難しいご様子ですので、少しお年上で帝のお側にお仕えする御世話役(斎宮)が、ぜひ必要なのでございました。

( 終 )

源氏物語ー澪標(第十四帖)
平成十三年六月 WAKOGENJI(訳・絵)

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