やさしい現代語訳

源氏物語「絵合」(えあわせ)第17帖


光源氏31才・朱雀院24才・前斎宮22才・冷泉帝13才の頃の物語

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む 

 
 藤壷中宮は、前斎宮(故六条御息所の娘)が冷泉帝に入内なさることを、熱心に促しておいでになりました。これという御後見もないことを大層お気の毒に思われまして、細やかにお世話をなさいました。この前斎宮に好意をよせておられる朱雀院に遠慮をなさいまして、源氏の君は二条院にこの姫君をお移しすることを思い止まり、ただ素知らぬ振りをしておられました。けれど大方のことは裏でしっかり面倒をみて、まるで親のように気遣いをなさいました。
 朱雀院は愛しい姫君が、ご自分のところでなく、帝に入内されることを大層残念にお思いでございましたが、取り乱しては外聞も悪いとお思いになり、お便りなども途絶えてしまいました。しかし入内の当日になって、他の者には及びもしないほど素晴らしい御贈物が、姫君のもとに届いたのでございます。御衣裳、御櫛の箱、乱れ箱、香壺の箱、この世にまたとない立派な御薫物、更に遠くまで薫るほどにと薫衣香などを心深く整えさせなさいました。院は源氏の君がご覧になるからと、前もってご用意なさったのでしょうか、大層心を込められた様子でございました。
 源氏の君がちょうど斎宮の所においでになっている時でしたので、女別当(女官)が院からの贈物をご覧にいれました。源氏の君はただ御櫛の箱だけをご覧になりましたが、それは尽きせず細かい細工を施した風雅な素晴らしい御品でございました。挿し櫛の箱につけられた造花に御歌が添えてありました。

   わかれ路に添えしお櫛をかごとにて 遙けき仲と神や諌めし

     (訳)別れて伊勢に下向なさる時、貴女の髪に添えた櫛を口実として、
        二人は遙かな遠い仲だと、神はお諫めになったのでしょうか

源氏の大臣は、院の御心に思いを巡らせ、畏れ多くも大層お気の毒にお思いになりました。源氏の君ご自身が経験した苦しい事と思い比べて(昔、斎宮が伊勢に下られた頃に想い初め、今このように年を経て斎宮が京に戻られ.、その想いを遂げることの出来る時になりましたのに、その愛しい斎宮は、ご自分にではなく、帝に入内なさるという運命のくい違いを、どれほどお嘆きなのだろうか。御位を去り、日々静かにお暮らしなさりながらも、世を恨めしく思っておられるのではないだろうか。わが身ならば穏やかに見過ごすことは出来ないだろう )などと大層気の毒に思われ、(どうしてこのような無理な事を思いついて、兄君(院)の御心を悩ますようなことをしてしまったのだろう。須磨に退いていた頃、院を恨んだこともあったけれど、もともとは慕わしく優しい御心遣いをなさる方なのに……)と、しばし物思いにくれておいでになりました。
 源氏の君は「この御贈物に院からの御文がついていたのでは……」と申されましたが、実は側にいた女房たちがお見せすることを大層つらく思いまして、院からの御文を源氏の君に差し出すことができずにいたのでした。斎宮は気分がすぐれず、お返事を書こうともなさいませんので、源氏の君が「お返事なさらないのは、あるまじき事です。ほんの少しばかりでよいのですから……」と仰せになりました。斎宮は大層きまり悪く思いましたけれど、昔、伊勢下向の折、院が別れを惜しんでお泣きになりました様子を、幼いながらに何ともお労 しく見ていたことを思い出され、更に故御息所(母君)の事なども次々悲しく思い出されて、

   別るとて遙かに言ひしひとことも かへりてものは今ぞ悲しき

     (訳)伊勢下向のお別れの時、再び京に帰るなと仰せになりました一言よりも、
        帰京した今のほうが、悲しく想われます。

ただ、こうにお書きになったようです。源氏の大臣は斎宮の詠まれた御返歌を知りたいとお思いになりましたが、斎宮はお見せにはなりませんでした。

 朱雀院は、女となってお逢いしたいほど美しいご容姿でおられ、斎宮もそれにふさわしい似合いのお年頃でございます。それに引きかえ冷泉帝は大層お若く、斎宮をこの帝に入内させることは、院のご意向にそぐわないことを考えますと(院は不愉快に思っておられるかもしれない……)と、源氏の君は胸が潰れる思いがなさいました。しかし今日になっては、もう思い止めることはできないので、儀式の段取りなどをあるべき様に言い置いて、内裏に参上なさいました。

 表だって親のようだ等と院のお耳に入らないように、源氏の君は大層気遣いなさいまして「ご挨拶だけに参りました。」と申されました。もともと優れた女房の多い斎宮邸でしたので、御息所亡き後、里に帰っていた供人も集まってきて、邸内はこの上もないほど理想的な様子でした。(もし、あの六条御息所がご存命ならば、どれほど喜んで大切にお世話なさったろうに……)と亡き御息所のご心情を思い、(世間の母親の立場から見れば、亡くなられたのは大層惜しいことでした。この世はうまくいかないもので、教養のある方としても、御息所は優れていらっしゃった……)と、何か事あるごとに、源氏の君は思い出しておられたのでございます。

 藤壷中宮も内裏においでになりました。帝は年頃よりずっと大人びていらっしゃいまして、素晴らしい姫君が入内なさると聞いておられましたので、大層愛らしく緊張しておいでになりました。母宮の中宮も「このように立派な女御が参られるのですから、よく御心遣いしてお逢いなさいませ。」と仰いますので、帝は心密かに(年上の女性は気詰まりだろうか……)と不安にお思いでした。
 その夜大層更けてから、前斎宮は帝のお側に入内なさいました。夜の御殿にてこの女御は大層慎ましげにおっとりとしていて、小柄できゃしゃな愛らしいお姿に、帝は(なんと可愛らしい……)とお思いになりました。
 弘徽殿の女御(もと頭中将の娘・十四才)は、先に帝の側に入内なさっていましたので、帝はすっかり慣れて愛しい姫とお思いでございました。しかしこの前斎宮はお人柄も落ち着いて、周囲の者が気後れするほど優れていらっしゃいました。源氏の大臣の御後見も丁重ですので、軽く接することができないと思し召されて、帝は御宿直(夜のお相手)なども、お二人に等しくなさいましたけれど、昼間の心おきない御遊びのためには、年齢の近い弘徽殿にお渡りになることが多いようでございました。
 権中納言(もと頭中将)は、将来、娘を冷泉帝の中宮にしようと後宮に入れたのに、今、前斎宮が梅壺に入られましたことで、先に入った自分の娘がこの方と競い合って、帝にお仕えするようになったことを、大層不安にお思いでした。

 朱雀院におかれましては、前斎宮(梅壺の女御)からの返歌をご覧になりまして、この斎宮への想いは御心離れがたく、ますます恋しくお想いでございました。ちょうどそこへ源氏の大臣が参上なさいましたので、睦まじく思い出話などなさいました。そのうちに、昔斎宮が伊勢に下られた事を話題になさいましたが、今も斎宮を愛しく想っている等とはけっしてお話しなさいません。斉宮の事を口に出される度に、院に深い悲しげな表情が見えましたが、源氏の君はそのようなご様子には全く気付かない素振りをして、(ただ斎宮の入内をどうお思いなのか)と気にしておられたのでございます。源氏の君は、院が心に刻みつけたこの斎宮の美しさがどれほどなのか、知りたいと思いましたけれど、斎宮は大層落ち着いた方で、少しでも幼いお振る舞いなどでもあれば、ちらっとお姿の見えることもあるのでしょうけれど、心憎いほどの奥ゆかしさが深まるご様子なので、この女御こそ理想的な方とお思いになりました。

帝は絵が大層お好きで……
 帝は、宮中にお仕えする人々の中でも、絵の描ける人を特に愛しなさいました。まして斎宮のように美しい女御が、風情ありげにのびのびと絵をお描きになり、若く清々しい様子で物に寄り掛かって筆を休ませたりする愛らしいお姿に、帝の御心はすっかり惹かれ、たびたび梅壺にお渡りになり、以前より一層ご寵愛が勝ってきたようでございます。権中納言はそれをお聞きになりまして、この方はどこまでも負けず嫌いのご性格なので、「私が人に劣ることがあってよいものか。」と心を奮い立たせて、優れた画家たちを家に抱え、厳しく口出して「物語絵こそ風情があり、見所のあるものだ。」と仰せになり、興味深い物語だけを選んで、その絵を描かせたのでございます。さらに宮中の年中行事絵巻も、目新しいようにと詞書 を書きつけて、帝にご覧にいれました。これらの絵は、特に美しく描かせましたので、帝が大層お気に召し、斎宮にお見せしようと、絵を持って梅壺に渡ろうとなさいますと、弘徽殿の女房たちはそれを阻み、権中納言はすぐに隠してしまわれました。源氏の君はそれをお聞きになって「何とも大人げないことよ。権中納言のご性格は改まりにくいようだ……」とお笑いになり「帝にさえ隠してご覧にいれずに、御心を悩まし申し上げるとは、何とも不愉快なことだ。私のところにも古く素晴らしい絵がありますので、それを持って参りましょう。」と帝に申し上げました。

 源氏の君は二条院に戻られ、絵などの入った御厨子(戸棚)を開かせ、紫上とご一緒に「目新しい絵はそれとこれと……」などと選び整えさせなさいました。「長恨歌や王昭君 などの絵は、面白く素晴らしいけれど、物語に不吉なところがありますので、この度はやめておきましょう。」と選びなさいません。そしてあの須磨・明石の絵日記の入った箱を取り出させて、この機会に紫上にもお見せになりました。事情を知らずに今始めて見る人でも、情のある人ならば、涙を惜しまないほどの素晴らしい絵でした。ましていつまでも悪夢のように忘れることのないお二人にとっては、あの辛かった日々が再び悲しく思い出されるのでございました。紫上は源氏の君が今までお見せにならなかったことを恨めしくお思いになり、

   一人居て眺めしよりは海人の住む かたをかくてぞ見るべかりける

     (訳)私一人都に残って嘆いていましたが、それより海人が住む海辺を
        このようにして、見た方がよかったのに・・・・・

        
私の不安も少しは気慰めになったことでしょう。」と申されました。源氏の君は可哀想になられ、

   うきめ見しその折よりも今日はまた 過ぎにし方にかへる涙か

      (訳)海を漂うわかめのように、不安な思いをした折よりも、今日はまた
         昔を思い涙が流れます。

 源氏の君は(いつの日か藤壷中宮だけには、この絵日記をお目にかけよう)と考えておられましたので、その中から見苦しくないものを一帖づつ、しかも須磨と明石の浦々の風景が美しく描かれたものを選びなさいました。そして明石の女君のお住まいの絵をご覧になり、今頃はどうしているだろうかと、恋しく思い出しておられました。

 源氏の君が絵を集めていることをお聞きになった権中納言は、何事にも対抗意識を強くお持ちの方ですので、なお一層心を尽くし、軸・表紙・紐の飾りなど、特に見事なものを整えなさいました。

 三月十日の頃、空もうららかに晴れて風情の美しい頃になりました。内裏でも特に公式行事などの無い時期ですので、女御達はもっぱら絵を集めて競い合うことに夢中になって、日々暮らしておられました。源氏の君は「同じことなら帝がご覧になれるように、もう少し良い場所で競い合わせよう。」とお気遣いをなさいまして、斎宮方のために一層素晴らしい絵を集めさせなさいました。

 藤壷中宮もちょうど参上なさいまして、あれこれ絵に無関心でいられないとお思いになり、仏道のお勤めも怠りがちに、熱心に絵をご覧になっておられました。そして女房たちがあれこれ論ずるのをお聞きになって、皆を左と右の二つに分けなさいました。左方(梅壺)には、平典侍 、侍従の内侍、少将の命婦など、右方(弘徽殿)には、大弐の典侍 、中将の命婦、兵衛の命婦などがおりました。皆、この道の有職(博識者)として認められている女性たちで、思い思いの事を論じあう様子を中宮は興味深くお聞きになっておられました。
 先ず、日本最初の物語である竹取の翁 (竹取物語)と、空穂の俊蔭(うつぼ物語)で争うことになりました。左方は「なよたけの長く語り継がれた古い物語ですけれど、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、気高い心を持ち続けて遙かに天に昇っていった運命は、神世のことですので、浅はかな女性には、評価の及ばぬところでしょう。」と申しました。右方は「かぐや姫の昇った天上のことは、確かに想像のつかぬこと、誰も論じることができません。しかしこの世の宿世は竹の中で結んだというのですから、身分の低い人の話と思われましょう。竹取の翁の家の中だけは明るく照らしたでしょうけれど、この美しい内裏の畏れ多い宮処の女性にはならずに終わりました。竹取物語に出てくる阿倍の連 が大金で買った火鼠の不燃の皮衣が瞬時に燃えたのもばかげたことですし、また大金持ちの蔵持の皇子が、真の仙人の住む蓬来の神秘な事情を分かっているにも拘わらず、偽って作らせた玉の枝に疵をつけた事も、この物語の欠点と思えます。」と申しました。この絵は巨勢相賢が描き、紀貫之の書でありました。紙屋紙の尚侍の唐の綺(薄絹)を裏打ちして赤紫の表紙をつけ、紫檀の軸などは、通常の表装でした。
 一方、「俊蔭は激しい波風に溺れ、見知らぬ国に流されたけれど、なお目指していた志を達成し、遂には外国でもわが国でも、素晴らしい音楽の才能を広め、その名を残したという物語が誠に優れていると思います。さらにその絵も中国風と大和風を取り入れて、この上なく興味深い。」と申しました。これは白い色紙に青い表紙、黄玉の軸で、常則の絵、小野道風の書によるもので、今風で目にも眩いほど美しく見えました。この意見に対し、左方には反論がないようで負けてしまいました。

 次に左方「伊勢物語」と右方「正三位物語」が合わされましたが、どちらも優劣つけがたいものでした。これも右方は見た目が面白く刺激的で、宮中をはじめとして最近の世間の有様が描いてあるのが興味深く見所あるものでした。これに対し平典侍が、

   伊勢の海の深き心を辿らずて ふりにし跡と波の消つべき

     (訳)伊勢の海の深く隠れている物語の心を味わおうとせずに、ただ古いからと波が消すように、否定していいはずがない。

世間話によくあるあだ事を見栄えよく飾っているような作品に圧倒されて、業平の名を汚してよいものでしょうか。」等と述べて結論がでません。右方の典侍が言いますには、

   雲の上に思いのぼれる心には 千尋の底も遙かにぞ見る

     (訳)雲上の宮中に入内した気高い心には、伊勢の海の底も遙か下(劣る)に見えます

そこで藤壷中宮が「兵衛の大君の気高さは捨てがたいけれど、だからと言って、在五中将(業平)の名を汚すことはできません。」と仰いました。このように女たちだけの議論はただやかましく、物語絵一巻の判定に言葉を尽くしても、なかなか勝負をつけることができません。

 源氏の内大臣がちょうど宮中においでになり、このように双方とりどりに騒ぐ様子を興味深くお思いになって「同じことなら、帝の御前で勝負を決めましょう。」と仰せになりました。「このようなことになるかも……」と前からお考えでしたので、絵の中でも特に優れたものは、手元に選び止めておられまして、特に須磨・明石の二巻については、左方(梅壺)の絵の中に混ぜておかれたのでございます。権中納言もやはり負けず嫌いのお気持も劣らず、ただ面白い絵を製作することが、この頃の仕事となっておりました。源氏の君は「今さら新しく絵を描くことは、不本意なことだ。ただ今あるものだけを出品することにしよう。」と仰せになりましたが、中納言は誰にも隠して、無理をして描かせなさったようでした。
 朱雀院もこのような催しをお聞きになって、梅壺に多くの御絵などを差し上げなさいました。中には、今も御心に染みて憶えておられる斎宮との別れの御櫛の儀式を、絵師の公茂に描かせた素晴らしい絵巻もございました。絵を収める箱は透かし彫りをしてある沈(香木)の箱で、同じ沈の心葉の細工ものなどは大層今風の華やかなものでした。その御絵にただお言葉だけを添えて、院の御所にもお仕えした左近の中将を使者として梅壺に仕わせなさいました。
 あの日、大極殿の御輿を寄せた神々しい場面に、御歌が書き添えてありました。

   身こそかく しめの外なれその上の 心のうちを忘れしもせず

     (訳)あの時以来、私の身はしめの外におりましたが、
        あの時の私の心の内を今も忘れられません

梅壺の女御は心苦しく思いながら、昔の儀式で帝が髪に挿してくださった別れの御櫛の端を少し折って、縹 の唐の紙に包んで御歌をお返し申し上げました。

   しめの内は昔にあらぬ心地して 神代のことも今ぞ悲しき

     (訳)しめの内は昔と違う心地がします。伊勢の神にお仕えしていた頃のことを、
        今も悲しく思います

院はこのご返歌をご覧になって、しみじみと悲しくなられ、あの頃の御代を取り戻したいとお思いになりました。源氏の大臣に対して、院の御心を無視して梅壺の女御を今上帝に入内させたことを恨みにお思いでしょうけれど、かつて源氏の君が須磨に退くという命を下したその報いを、今お受けになったということなのでしょう。


帝の御前で「絵合わせ」が催され……

 絵合わせの日取りが決まり、急のことでしたけれど、大層風雅な様子に準備を整えて、左方・右方の数々の御絵が帝の御前に出されました。女房たちの詰所に帝の御玉座が設けられ、絵心に優れた女房たちが、北側(右)、南側(左)にそれぞれ別れて座りました。殿上人 は後涼殿 の簀子に座り、各々胸を高鳴らせておりました。左方は紫檀の箱を蘇芳の花足の台に載せ、敷物には、紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺(薄絹)を用いました。そして六人の女童が赤色に櫻襲 の汗衫(上に羽織る着物)を着て、袙 は紅に藤襲の織物で、姿や心遣いのある振る舞いなど特に優れてみえました。
右方は、沈(香木)の箱を浅香の下机(台)に載せ、打敷は青地の高麗の錦、組み紐や花足の趣味などは今風で華やかでした。こちらの童は、青色に柳の汗衫、袙 は山吹の襲を着ています。女童は皆で御絵を載せた台を担いで、帝の御前に並べました。
 帝のお召しがあり、源氏の大臣と権中納言が参上なさいました。その日は、帥の宮(蛍兵部卿宮・源氏の弟君)もおいでになりました。この方は教養のある方で、特に絵がお好きですので、前もって源氏の君からこの催しのことが話してあったのでしょう。帝の仰せがあって参上なさり、この絵合わせの判定役をお勤めになりました。左右ともに技を尽くして描かれた絵でしたので、勝負を決めることは大変難しいようでした。左方の四季の絵も昔の名人が面白い題材を選んで筆の滞ることなく書き流した様子は、言葉に表せないほど素晴らしく見えました。右方の出した紙絵(一枚絵)は、大きさに限りがあって、山水の豊かな趣を描き尽くす事が出来ませんので、ただ筆先の技巧や書く人の好みによって作り立てられ、昔の人の描いた絵に立派に対抗できるもので、見劣りする感じもなくむしろ勝っているようでした。左右の論争も今日はそれぞれに面白味がありました。

 清涼殿の朝餉 の間の御襖を開けて、藤壷中宮もおいでになりました。中宮も絵には大層お詳しいので、源氏の君も嬉しくお思いになって、所々に判定の揺らいで心もとない折には、中宮にご意見をお伺いするのも、なお一層嬉しいことでございました。

 勝負の定まらないままに夜になりました。左方から、最後に「須磨の巻」が出てきたことにより、権中納言の御心は騒ぎました。右方も、最後には特に優れたものを用意しておられましたが、源氏の君のような絵の名人が、心の限りを尽くして、思い澄ましてお描きになった風景画は、例えようもなく見事なものでした。判定者の帥の宮をはじめとして、皆が感涙を流してご覧になりました。須磨で過ごされた日々が、どんなに辛く悲しかっただろうと想像するそれ以上に、描かれた須磨はもっと悲しい光景でありました。絵に書き添えられた源氏の君のお気持などが、まるで今の事のように思われ、都では見ることのない浦々や磯の風景が鮮やかに描かれておりました。草書に仮名が書き交ぜてあり、心に染みる御歌なども混じっていますので、誰もが他の絵のことなどすっかり忘れ、この須磨の絵に心打たれておりました。結局、万事みな譲って、この須磨の絵を出した左方(梅壺の女御)が勝ちとなりました。

 明け方近くになっておりました。源氏の君は大層しみじみとした気持になられて、帥の宮と昔話などなさりながら、お杯を酌み交わしなさいました。源氏の君は「幼い頃より、学問に身をいれて励んでおりますと、故院が『漢学というものは世間から大変重んじられるので、あまり深く極めると、「長生き」と「幸福」との両方を得る者は少ないと言われます。高貴な身分に生まれ、学才を磨かなくても人に劣るはずのない身分なのですから、あながちにこの学問の道を深く習う必要はない。』とご忠告なさいまして以来、学問以外の種々の道をお教えくださいました。そのため私は一通りのことは出来るようになり、中でも絵を描くことは取るに足らぬ事ですけれど、いつか心ゆくばかり描いてみたいと思っておりました。思いがけなく須磨の山暮らしの身になって、四方の海の深い趣を見ましたので、描くべきものは充分与えられたのですが、筆の技巧に限りがあり、思い通りに描くことはできないと思われました。ご覧にいれる折もないので、このような機会に出したわけですが、これを突飛なことと評されないかと心配しております。」と申されました。
 帥の宮は「何の芸でも、それぞれの道に師匠がいて、勉強すればそれなりの成果があるに違いない。ただ書道と囲碁だけは、深く習ったとも思われない愚かな者に、それなりに名人が出てはいるものの、やはり高貴な家の子から上手い人が出るように思われます。 故院が、ご自身の親王や内親王たちに、皆何らかの才能を習わせなさいましたが、源氏の君には特に熱心にご教授あそばした甲斐があって、文才は言うまでもなく、それ以外の諸芸にもご立派で、とりわけ琴をお弾きになることに一番の才能がおありになり、次に横笛、琵琶、箏の琴……。絵は慰み事としてなさったと思っていましたのに、大層お上手で、墨絵描きの名人たちが、恥じて行方をくらますほどの傑作をお見せになるのは、けしからんことかもしれません……」と、故院のお話しをなさりながら心乱れて、酔い泣きなさいました。傍らにいた皆も故院のことを思い出して、うち萎れてしまわれました。

 やがて二十日過ぎの月が差し出でてきました。清涼殿の西廂にはまだ差し込んでこないのですが、空は美しい頃になりました。書司 にある御琴が召し寄せられて、中納言が和琴をお弾きになりました。音色は人より優れて、皆を大層感動させなさいました。親王(帥の宮)は箏の御琴、源氏の大臣は琴をお弾きになり、琵琶を少将の命婦に仰せつけられました。殿上人の中から楽の優れた者をお召しになって、拍子を取らせ、大層見事な合奏になりました。夜が明けるままに、花の色も人の姿もほのかに見えてきて、鳥がさえずる頃には、何とも気持ちのよい美しい朝ぼらけでございました。

 この頃は、皆がこの須磨の絵について話し合っておりました。源氏の君が「かの浦々の巻は、藤壷中宮の御手元にお留め置きください。」と申しなさいますと、中宮は「これをはじめ、残りの巻も見たいものです。」と申されました。そこで「今、次々に……」とだけお答えになりました。

 帝が「絵合わせ」に興味深く思し召されたことを、源氏の君は嬉しくお思いになりました。ただの絵合わせですのに、このように源氏の君が力を入れて梅壺の女御を勝たせなさいましたので、権中納言はご自分の娘(弘徽殿)が梅壺に圧されていくのかと、大層ご心配の様子でした。帝のご寵愛は先に入内した娘にあったし、今までずっと睦まじいお二人の様子を見てこられましたので、頼もしくは思っているものの、「さりとも……」と不安になられるようでした。

 帝は(新に、宮中の儀式にこの御代から始まった行事として、末の人々が言い伝えるような素晴らしいものを加えよう)とお考えでございました。「絵合わせ」という単なる遊びでも、特に優れた名人たちに催させれば、素晴らしいご清栄の御代と伝えられることでありましょう。

 源氏の大臣はこの世の無常をお思いになり、帝が今少し大人になられたら、やはり出家がしたいと深くお考えのようでした。(昔の例を見ても分かるように、年若くして官位高く上り、世に卓越した人は、長く幸福でいることができない。以前、無官の身に下り須磨に沈んでいた憂いに代わり、この御代に私は過ぎたる身分になって、今日まで命永らえている。今後の栄えを思えば、やはりこの命が不安なので、静かに山深くひきこもって、後世のための仏道を勤めなどして命を延べたいものだ……)とお思いになりました。そこで山里ののどかな場所を求めて御堂を建て、仏像、経典の営などを整えさせなさいました。更に(未来の君達(自分の御子)を思い通りに養育してみたい……)とお思いになるのならば、早くに人生を捨てて出家してしまうことは難しいことです。どう思い決めたらよいか、その答を知ることは大層難しいようでございました。

            ( 終 )
                          
源氏物語ー絵合(第十七帖)
平成十四年春 WAKOGENJI(訳・絵)

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