やさしい現代語訳

源氏物語「薄雲」 (うすぐも)第19帖


(光源氏31歳、藤壷入道37歳、帝14歳、紫上24歳の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 
  大堰川の明石の君は……
  冬になるにつれて、大堰川の畔の御邸にはますます心細さがつのり、明石の君は上の空のような頼りないお気持で暮らしておられました。源氏の君はこれを見かねて、
 「もうこれ以上、心細くお過ごしになることはありません。二条院の近くに移る決心をなさいませ。」と、しきりにお勧めになりました。けれども明石の君は、
 「宿変えて 待つにも見えずなりぬれば……(後撰集)という歌のように、源氏の君の近くに移っても、お渡りがないのなら、この世も終わりのように思われるでしょう。その時は何と言って泣いたらよいのか………」と思い乱れておりました。
 「それならば、幼い姫君だけでも二条院へ………、このままでは姫のためになりません。私が姫君の将来を思って考えているのですから、これを受けないのはもったいないことです。西の対の紫上が姫君のことを聞いて、とても逢いたがっているのです。しばらくあの方に預けてはいかがでしょう。御袴着(成人式)なども、公式に二条院でさせたいと思うのですが……」と細やかに心配りして、お話しなさいました。以前から源氏の君がそうお考えと察していたことなので、明石の君は大層胸つぶれる思いがなさいました。(姫君が今さら、源氏の君の娘として大切にご養育されるとしても、世間の人が「身分の低い母親から生まれた御子」と噂するのは、繕いがたいことでしょう )等と思い悩んでおられますので、
 「手放し難く思うのは無理もないけれど、ご心配なさることはありません。紫上とは長く一緒にいますけれど、このように可愛い子供がないことが寂しいのでしょう。斎宮の女御がもうすっかり大人っぽくなられたのに、強いて娘のようにお世話申し上げているのです。あの方はこのように可愛らしい姫君を、疎かに扱うこと等できないご性格なのですよ。」と紫上の願わしいお人柄についてもお聞かせなさいました。
 明石の君は(本当に、以前は何人の妻で落ち着かれるのかというお噂が聞こえたほどの源氏の君の浮気なお気持が、今は以前の名残もなく落ち着かれましたのは、紫上との御宿世がとても深く、紫上が数多くの女性の中でも優れているからでしょう。)と思い巡らせて、 
 「私のような数ならぬ者が、人と並ぶような身分でもないのに、源氏の御邸に立ち出ては、紫上は不愉快にお思いになることもあるでしょう。わが身が辛いのはどちらも同じこと。姫君の将来も、結局は紫上の御心に頼ることになるようですから、それならば、今、まだ分別ない年頃のうちに、お譲り申し上げようか。しかし手放した後には、姫君のことがどんなに気にかかることでしょう。日々所在なく、心慰める手立てもないままに、どう暮らしたらよいのでしょう。」など、様々に思い乱れなさいまして、心の憂いは限りありませんでした。

 尼君(明石の君の母上)は大層思慮深い方でしたので、
 「思い悩んでもどうしようもないことです。姫君にお逢いできなくなるのは、大層辛いことですけれど、この姫君のために良いことだけを考えることにいたしましょう。源氏の君も深くお考えになって決められたことですから、ただ頼りに思って、姫君をお渡しなさいませ。帝の御子といっても、母君の家柄でその身分に差があるようです。この源氏の大臣にしても、この世に二つとないほど優れた天分をお持ちですのに、帝の御位を継がずに、臣下として朝廷に仕えておられますのも、故大納言(桐壺更衣の父)がもう一段地位が劣っていたのが原因で、男親の世話の仕方も平等にはいかないものなのです。まして私達の身分はもっと低いのですから、高貴な方の御子がお生まれなさったとしても、私共のように身分の劣る親を持つ御子は見下され、無視されることになるでしょう。高貴な身分の母后のもとに生まれ、父親に大切にされた方こそ、やがて揺るぎのない御子となられるのです。姫君の御袴着についても、こんな大堰の山奥で心を尽くしてお祝いしても、何の華やかなものになりましょうか。源氏の君にただお任せして、お世話なさる様子を遠く離れて見守ることにいたしましょう。」等と言い聞かせなさいました。
 陰陽師などに占いをさせてみても、思慮深い人に聞いても、
 「やはり二条院へ渡す方が、姫君にとってよいことでしょう。」とばかり言われますので、さすがに明石の君のお気持もだんだん弱くなってしまいました。
 源氏の君は姫君を引き取りたいと願いながらも、明石の君を気の毒にお思いになって、強く仰ることができずに、
 「御袴着はどうするのか……」とだけお尋ねになりました。明石の君は、
 「何事につけても、無力な母の側におりましては、将来も心細く思いますけれど、たとえ内裏で高貴な方々とご一緒に暮らすことになっても、どれほど物笑いになるのか……、それが心配でございます。」と申しました。これを聞いて、源氏の君はますます哀れにお思いになりました。

 姫君を二条院に引き取る日として吉日を選ばせなさいまして、源氏の君は御袴着の準備を密かに
心尽くしてさせなさいました。明石の君は姫君を手放すことを、なほ一層悲しく思いますものの、
 「姫の御為に良いことならば……」と堪え、遂に決心なさったのでございます。
 京から遣わされた乳母も、姫君と共に二条院に移りますので、これで別れなければなりません。「明け暮れの物思わしく所在ない時にも、二人で語り合い、慰め合ってきましたのに、それもできなくなると思うと、頼りなさが更に加わって、ますます悲しくなりましょう。」と、お泣きになりました。乳母も、
 「前世からの宿縁だったのでしょうか。思いがけなくここにお仕えすることになりました長い間のご親切を、忘れることはできません。でもこれきりになることは決してないでしょう。いつの日かまたご一緒になれると信じておりますものの、しばらくでもお互いに別々に住むことになり、内裏の知らない方々に混じって暮らしますのは、不安なことでございます。」などと泣き暮らすうちに、はや師走になりました。

 雪や霰の降る日が多くなりました。明石の君にはますます心細さが募って、悲しく物思いにふけり、姫君を愛しく抱いては、髪を優しく撫でるなどして、心を静めておられました。雪の降り積もった朝、いつもは廂の端近くに出ることはなさらないのですが、今朝は端に出て、水際の氷などを見つめて、過去未来のことを思い続けておられました。柔らかな白絹を幾重にも重ね着して、庭を眺めていらっしゃるお姿は、髪や後姿にも、高貴な方々の誰にもまして気高く見え、お側に仕える女房たちは大層美しいと見ておりました。明石の君はこぼれ落ちる涙を拭いながら「こんな雪の日には、また特に恋しい……」と愛らしく嘆いて、

   雪ふかみ 深山の道は晴れずとも なほふみ通へ 跡たえずして

     (訳)雪が降り積もり、山深いこの道が晴れることなく閉ざされようとも、
        都からの御文だけは、絶える事のないよう…

乳母も泣きながら歌を詠み、お慰めするのでした。

   雪間なき吉野の山をたづねても 心の通ふ跡絶えぬやは

     (訳)雪の晴れ間のない吉野の山をたずねてでも、心を通わす御文を
        絶やすことなどあるものですか……


遂に、源氏の君がお渡りになり……

 この雪が少し融けた頃、源氏の君がお渡りになりました。いつもならお渡りを待ち申し上げる明石の君も、今日は姫君を迎えるためのご訪問と思われますので、胸のつぶれる思いがしておりました。
「私の心ひとつで決まること。もしお断りすれば、源氏の君は強いてはなさらないはず……。しっかりしなければと思いますものの、今また気持が変わっては、なにか軽率に思われるのでは……」と反省なさいました。
 この春から伸ばした御髪が肩にかかるほどになり、ゆらゆらと美しく、ご容貌の一層愛らしくなられた姫君をご覧になって、源氏の君は(この姫君の宿世は疎かには思えない心深いものになるだろう。)とお思いになりました。けれども、娘を手放す明石の君のお気持を推し量りなさいますと、大変心苦しく、繰り返しお慰めなさりながら、夜を明かされました。 

 「どうぞ、私の悲しい身分が消されてしまうほどにお世話くださいますならば……」と申し上げながら、堪えきれずに忍び泣く明石の君は、何とも悲しゅうございました。ただ姫君は大層無邪気に、はやく御車に乗りたいご様子でした。母君は御車の寄せてある所に、姫君を抱いて出てこられました。母君のお袖をとらえて、片言の愛らしい声で、「お母さまもお乗りなさいませ……」とお誘いするのも悲しく、

   末とほき二葉の松に引き別れ いつか木たかき影を見るべき

     (訳)未来のある双葉の松(姫君)と引き別れて、
        いつの日か立派に成長したお姿をみることができるのか…

明石の君が大層お泣きになりますので、源氏の君は、
 「こうなるとは思っていた。なんと惨いことをすることになったものか……」とお思いになって、

   生ひ初めし 根も深ければ武隈の 松に小松の地よを並べむ

     (訳)成長し初めた姫の宿縁が深いのだから、きっと武隈の松と
        小松のように、二人で成長を眺めることになるだろう。

どうか気を長くお待ちください。」と心深くお慰めなさいました。明石の君は気持を静めようとしましたが、その悲しみは耐えることができないようでございます。
 乳母と小将だけが、御佩刀(守り刀)と天児(幼児のお呪 いの人形)等を持って、一緒の御車に乗りました。お供の御車には若い女房や童女などを乗せて、二条院まで見送りに参らせなさいました。
 道すがら、源氏の君は大堰に残った明石の君の悲しみを思い(何とも罪なことをしてしまったことか…)とお思いになりました。


やがて御車は二条院に着き……

 辺りがすっかり暗くなって、ようやく二条院にお着きになりました。御車を寄せますと、華やかな雰囲気が大堰の御邸とまったく異なり、田舎暮らしに慣れた女房たちには、気恥ずかしく思えました。源氏の君は西向きの座敷を姫君のお部屋として準備なさいまして、室内の小さい装飾品や手道具なども、可愛らしく整えさせなさいました。乳母には西の渡殿の北側の一室をご用意なさいました。
 姫君は道中ずっと眠ってしまいました。二条院に着き、御車から抱き下ろされても、泣いたりなどなさいません。紫上のお部屋で御菓子を食べるなどしていらっしゃいましたが、ようやく辺りを見回して、母君のいないことに気付き、愛くるしい様子で不安な表情をなさいますので、源氏の君は乳母をお呼びになって、なだめさせなさいました。

 大堰に残された明石の君が、どんなに悲しんでおられるかと思いやりなさいまして、源氏の君は大層いとおしく、心苦しくおられました。しかし思い通りに、愛らしい姫君を手元に引き取り、紫上と共に、この御子を育てていく日々は、誠に幸福に満ち溢れた心地がなさいました。けれども御心の中では(この紫上に、どうして御子が産まれなかったのか)と残念にお思いでございました。
 幼い姫君は、しばらくは母君や祖母たちを求めて泣くこともありましたが、大体が優しく愛らしい性格でいらっしゃいますので、すぐ紫上に懐いてしまわれました。紫上は(何と可愛らしい者を得た……)とお思いになり、優しく抱いてお世話申し上げますので、乳母も紫上を身近に感じ、親しくお仕えするようになりました。さらに高貴な人で乳の出る女を捜し、乳母として加えられました。

 御袴着の式は、特に大袈裟に準備したものではありませんが、大層心尽くして行われました。お部屋はまるで雛遊びのように可愛らしく設えられ、その式で、姫君が袴のひもを襷のように胸元で結んだ姿は、誠に愛らしいものでした。二条院には、明け暮れの区別なくお客の出入りがありますので、御袴着の儀式に列席した高官たちが、目立つようなことはありませんでした。

 一方、大堰では、明石の君が心尽きせず姫君を恋しくなられ、手放してしまった自分の考えの足りなさを嘆いておられました。尼君も大層涙もろくなられましたが、源氏の君の手元で、姫君が大切にご養育されているという消息を耳にしますのは、嬉しいことでございました。御袴着には、紫上の方ですっかりご準備なさるでしょうから、明石の君からは、姫君つきの乳母や女房たちにと、この世にないほど華美な色合いの御衣裳をお贈り申し上げました。

 明石の君が(姫君を引き取れば、もうお通いがないのか)と、お考えになることをご心配なさいまして、源氏の君は忍んで、大堰の山荘にお渡りになりました。それでなくても寂しいこの住まいに、明け暮れの慰めであった姫君と離れて独り暮らすのは、大層辛いことであろうと心苦しくなられて、御文などは絶え間なくお遣わしになりました。紫上も今は源氏の君が大堰にお出かけになっても、恨みなどなさいません。可愛い姫君に免じてお許しなさったようでございます。


新年を迎え、二条院は……

 新しい年になりました。麗らかな空の下に、すべてに満ち足りた源氏の君の暮らし振りは、この上なくめでたく、愛らしい姫君を囲んで、紫上とご一緒に過ごされる日々は、それはそれは幸福でございました。

 二条院は見事に磨き上げられ、お正月の装いにすっかり改められておりました。そこへ大勢の人がお年賀に訪れました。一月七日に催される叙位の式で、昇進なさる若い公達は、連れ立ってご挨拶においでになり、何とも心地よいご様子でした。それ以外の人々も、胸中思うこともあるのでしょうが、表面はそれぞれ誇らしく装っておられる……そういう時節でありました。

 東院の対にお住まいの花散里は、大層優雅にお暮らしでした。お仕えする女房や童女なども万事に気遣いしておりますので、大堰よりもずっと源氏の君の近くにいるという事を、嬉しく感じておられました。源氏の君も暇のあるのどかな時には、気軽にここにお立ち寄りになりましたが、夜お泊まりになるために、わざわざお渡りになることはありませんでした。ただ花散里のご性格はおっとりと無邪気で(私は この程度の愛情を受ける宿命にある者)と思いなし、ゆったりと落ち着いておいでになりました。源氏の君の折々の御心配りなども、紫上と差別なくなさいますので、女房たちに軽くみられることもなく、理想的な日々をお過ごしでございました。

 源氏の君は山里(大堰の邸)のことを絶えず思いやっておられました。正月の公私に多忙な時期が済みましたので、明石の君の所にお渡りになろうと、普段より念入りに身繕いなさいました。見事な香を焚きしめた桜色の直衣に美しい御衣を重ねて、紫上にお出かけのご挨拶をなさるご様子は、澄んだ夕日の中で、なお一層美しく見えますので、紫上は心穏やかでないままにお見送りなさいました。
 姫君は無邪気に源氏の君の指貫の裾にまとわりつき、後を追いかけては、御簾の外に出てしまいそうになりますので、源氏の君は立ち止まり、姫君をなだめおいて、
 「明日、帰り来む……」と歌を口ずさみなさいました。紫上は渡殿の戸口に中将の君(紫上付きの女房)を待たせて、源氏の君にお歌をお伝えになりました。

   船とむるをちかた人のなくはこそ あす帰りこむ 夫とまち見め

   (訳)貴方を引き止める向こうの方がないのなら、
      必ず明日帰る夫を待ってもいましょうに……

もの馴れた様子に、源氏の君は華やかに微笑まれ、

   行きてみて あすもさねこむなかなかに をちかた人は心おくとも

    (訳)向こうに行ってみて、逢って、明日にも本当に帰って来ましょう。
       向こうの人がたとえ気を悪くしようとも……

 幼い姫君にはまだ何も分かるはずもなく、無邪気にはしゃいでいらっしゃいますので、紫上は
(何と可愛らしいこと……)と、明石の君への憎らしさもすっかりお許しになったようで、
 「あちらではどんなに姫君を恋しく思い出していらっしゃることでしょう。私でさえ、こんなに愛しく思うのですから、きっと大層恋しがっておられるに違いない。」と、姫君を懐に抱き寄せて、美しい乳を姫君の口に含ませては戯れる紫上のご様子は、誠に心惹かれるものでございました。傍らの女房たちは、
 「どうして、この方に御子が生まれないのか。同じ事なら紫上の御子であれば、どんなに良かったでしょうに…」などと語り合っておりました。


一方、明石の君は大層風雅に……
 明石の君は大層のどやかに、趣深く暮らしておられまして、御邸の佇まいも世間と違って大層風雅でごさいました。源氏の君がお逢いになるたびに、明石の君のご容貌・お心遣いなど、内裏の高貴な方々に見劣りすることもなく、申し分なく良くなっておられました。
 (ただの受領の娘として世に知られ、それなりに目立たないまま、妻の一人とする例も世間にはあるのだが、世にも希な頑固者の父親を持つと評判になれば、それは全く困ったものだ。この方の人柄などは、決して悪くないのだから……)等とお思いになりました。
 いつもお逢いになる時間が短く、物足りないまま慌ただしくお帰りになりますので、源氏の君は「夢の渡りの浮き橋か……」とお嘆きになり、箏の琴を引き寄せなさいました。あの明石で夜更けに聞いた琴の音を思い出し、無理を言って琵琶をお求めになり、明石の君と少し掻き合わせなさいました。限りなく美しい音色に「どうして、これほどまでに優れた音色を身につけておいでか……」と、心深くお思いになりました。
 源氏の君は幼い姫君のことなどを細やかにお話しになり、睦まじくお過ごしになりました。ここは京から遠く離れた大堰の山荘ですので、ちょっとした菓子・強飯などをお召し上がりになりまして、この日はお泊まりになりました。
 源氏の君は、近くの御堂や桂殿へのお出かけを口実に、大堰の山荘にお立ち寄りなさいますので、紫上の御心を乱しなさることはないのですけれど、そっけなく並の女性のようにはお扱いなさらない点では、明石の君へのご寵愛が格別のものと見えるのでございました。明石の君もこのような源氏の君の御心をよく分かっていますので、出過ぎたことはせず、またご自分をあまり卑下することもなく、君のお考えに逆らうこともありませんので、源氏の君には誠に感じよく思われました。高貴な女君の家でも、これほど源氏の君が打ち解けることはないと聞いていましたので、明石の君は(もし二条院の近くに住むようになり、幾度もお逢いしますと、かえって目馴れて早くに飽きられ、女房たちから見下される事になるかもしれない。希にわざわざお渡り下さることこそ、愛情の強いこと)と思っておりました。
 明石の入道は、別れの時、気丈な事を言っていましたけれど、源氏の君の愛情やお暮らしぶりを知りたがって、しきりに都へ遣いを通わせるなどしておりました。その様子を聞いては、胸つぶれる事もありましたが、また晴れがましく喜ばしいと思う事も多くありました。


太政大臣がお亡くなりになり……
 その頃、太政大臣(葵の父)が亡くなりました。国家の重鎮にあった人ですので、若き帝は大層お嘆きになりました。源氏の君が須磨に退いた頃に、政治から一時引退しておられました間でさえ、天下は大騒ぎだったのですから、皆、この御逝去を心から悲しんでおりました。源氏の大臣も、万事をこの人に任せて、閉暇のある地位にいることができた訳ですが、今後は大層心細く、多忙になることが予想されますので、誠に遺憾にお思いになりました。帝は御年よりは大人びて聡明な方ですので、世の政治を心細く思うものではないのですが、源氏の君より他に、とりたてて帝を後見する人もなく、太政大臣が亡くなった今は、誰かに仕事を譲って静かな生活をしたいと望んでおられましたので、尽きることなく遺憾にお思いでございました。

 源氏の君は追善供養の仏事などにも、御子達や御孫がなさったよりも立派に、心を込めてご弔問なさいました。その年は世の中が騒がしくて、朝廷においても何かの前兆と思われる事が頻繁に起こりました。天空にも月、日、星の異常な光が見え、雲の佇まいまでが、例年と違っておりました。世の人々には不安に思う事が多く、天文の博士などが天変の吉凶を研究して、帝に献上する文書の中にも、不思議な凶事と思われる事が様々挙げられていました。ただ源氏の内大臣だけには、御心の内に心当たりとなる秘事があるのでございました。


藤壷入道の宮がご病気になられ……
 入道后 の宮(藤壷・帝の母)が春の初め頃よりご病気になられ、三月には重態になられましたので、帝のお見舞いの行幸などがありました。昔、帝が桐壺院にお別れをなさった頃はご幼少でしたので、物事も深くお分かりにならなかったのですが、この度の母后の大病には大層お嘆きになりますので、入道の宮も誠に悲しくお思いになりました。
 「今年はどうしても死から逃れられないと、覚悟を決めておりましたけれど、初めは深刻な状態でなかったので、命尽きる日を悟ったような顔をするのも、人々から嫌に思われるかと遠慮しておりまして、功徳なども、例年より特別なことはしませんでした。私が参内して、帝と心のどかに故院の昔話でもしたいと思いながらも、気分の優れる時が少なく、残念ながらゆっくりお目にかかることもないまま、時が過ぎてしまいました。」と大層弱々しげに申されました。宮は今年三十七歳になられましたが、お年よりもずっとお若く、まだ盛りのご容姿でいらっしゃいますので、帝は大層惜しく悲しいことと思し召され、
 「今年は厄年に当たりますので、ご用心なさらねばいけませんのに、晴々しい日々を過ごすことさえ控えて、精進やご祈祷なども特別にはなさらなかったとは、気がかりなことです。」と、この頃になってようやくお気付きになって、よろずの精進(祈祷など)のことをご命じなさいました。源氏の君もこれまでは、ちょっと体調を崩された程度と油断していたことを、深くお歎きになりました。帝は様々にお忙しく、御母后のお見舞いもゆっくりなさることができず、程なく内裏にお帰りになりますのも、悲しいことでございました。
 入道の宮は大層お苦しみになり、帝に上手くお話し申し上げることができませんでした。ただ御心に思い続けることには(この私は高貴な宿世に生まれ、わが身の栄として、后という最高の地位につきましたのに、心の中では苦しく思っておりました。振り返れば 誰よりも勝る幸福な身にあったのか)と思い知りなさいました。源氏の君が実の父であるなどとは、帝が夢にもご存知ないのを、さすがに心苦しくお思いになって、この事だけがうしろめたく心残りでございました。

 源氏の大臣は、このところ高貴な方が続いて亡くなられることを、大層お嘆きになりました。藤壷の宮への人知れぬ想いはこれまた限りないことですので、御祈祷などを心を尽くしてさせなさいました。
 長い間抑えていた宮への熱い想いを、今一度お伝えできないことを悲しくお思いになって、お見舞いなさいました。ご病床の枕元近くの御几帳の側に寄って、女房たちに宮のご容態をお尋ねになりますと、ごく限られた親しい者だけがお仕えしていて、涙ながらに、
 「これまでお具合が悪いのに、読経などのお勤めを一時もお休みになりませんでした。そのお疲れが積もり、ますます衰弱なさってしまわれ、この頃には柑子(みかん)さえ手を触れようとなさらず、すっかり頼りないご容体になってしまわれました。」と申し上げました。宮は、
 「桐壺院の御遺言どおりに、帝の御後見をしていただきました源氏の君のご厚情に、長い間心から感謝しておりました。なにかの折にこの気持をお伝えしようと思っておりましたが、今となっては、このように頼りなくなりまして、心から残念に思われ……」入道の宮の弱々しいお声がかすかに聞こえてきますので、源氏の君はご返事もできずに、ただ大層お泣きになりました。
 お側の人から(なぜこんなにも、宮のご病気にお泣きになるのか……)と疑われることを恐れ、源氏の君は忍んで悲しみをを抑えなさいましたが、若い頃の美しい藤壷の宮のご様子を思い出しては、あまりにも惜しい方のご容態を思い、限りなく悲しくなられました。
 「若き帝の御後見として、無力なわが身ながらも、心の限り疎かにならぬよう勤めてまいりました。この度太政大臣が亡くなられただけでも、心騒がしく辛いものと感じられますのに、またこのように、入道の宮のご容態が悪いことで、様々に心乱れて、私も長く生きられないような気がします。」などと申しなさいますうちに、まるで灯火が儚く消え入るように、藤壺の宮は亡くなられました。源氏の君は言葉にならないほど悲しまれ、大層深くお嘆きになりました。
 藤壷の宮は、高貴な方々の中でも、特に優れたご性格で、世のためにも慈悲深くいらっしゃいました。権勢のある家にことよせて、下々の人を悲しませることなどもあるものですが、この方は少しもそのようなところもありませんし、仏事供養についても、僧の勧めるに任せ、仰々しく人目を驚かすような派手なことは決してなさいません。ただ昔からの宝物(御遺産)や、手になさるべき年官・御封(年金)などを、然るべき限度内でお受けになり、誠に心深き慈善の限りをさせなさいましたので、御葬送の折には、世の中が大騒ぎとなり、ご崩御を悲しいと思わぬ人はありませんでした。

 宮中では、殿上人なども皆、真っ黒な喪服を着ておりまして、暗い寂しい晩春となりました。源氏の君は二条院の御前の桜をご覧になり、花の宴の折、藤壷の前で舞を舞ったことを思い出しなさいまして「今年ばかりは、墨染めの桜に咲け……」と古歌を口ずさみなさいました。

 人が見咎めるに違いないことを憚って、念誦堂に引き篭もり、終日泣き暮らしなさいました。夕日が華やかに射して、遙かな山の頂の梢が鮮やかに見え、薄く流れゆく鈍色の雲をご覧になりまして、しみじみと心深く悲しくお思いになり、

   入り陽さす峰にたなびく薄雲は ものおもふ袖に色やまがへる

     (訳)夕暮れの入り日がさす峰にたなびく薄雲は、悲しむ私の喪服の袖に色が似ている。
        共にあの方の死を悼むように……

誰もいない念誦堂で詠まれたのでございます。


 四十九日の御法事も終わりました。
二条院に静寂が戻り、帝は大層心細くお過ごしでございました。
 入道の宮の母后の時代から、ずっと祈祷僧として仕え、故宮にも親しく仕えていた僧都がおりました。冷泉帝のご信頼も深く、国家の御願をかける時なども、この僧が勤めたという尊い聖僧でございました。年は七十才位で、最近は自分の後世を祈るために、山寺に篭もっていたのですが、入道の宮のご病気のため京に出ていましたので、帝からお召しがあって、内裏に出仕しておりました。仏事も終わりましたが「今後も帝の側にいるように……」と、源氏の君もお勧めになりましたので 
「もう夜居などを勤める自信はありませんが、源氏の君のご命令も畏れ多いことですので、昔からの感謝を添えて頑張りましょう。」とお仕えしておりました。

 ある静かな夜明けのこと。帝の側に仕える人もおらず、宿直の者もすでに退出してしまった頃に、僧都は老人らしい咳払いをしながら、世の中の事などを帝にお聞かせ申し上げていました。
 「誠に申し上げ難いことですが、黙っていてはかえって罪に当たると思われますので、はばかられますが……、帝がこの事実をご存知ない事は罪が重く、天眼恐ろしく思われます。それを心に嘆き苦しむまま私の命が終われば、帝の御為にならないばかりでなく、仏からも『心汚し』と思われ……」と、ここまで語ると、急に口をつぐんで、後を申しかねておりました。帝は(何のことであろうか。聖がこの世に後悔が残ると思える事なのだろうか。法師には、道理をはずれた恐ろしいこともあるそうだから……)と思し召して、
 「幼い頃から貴方を何の隔てもなく信用していましたのに、貴方の方に隠し事があるとは、誠に辛く思います。」と仰せられました。
 「畏れ多いことでございます。私は仏の真言秘密の法をも隠すことなく、帝にお教え申し上げました。まして心に隠していることなどありましょうか。これは過去未来の一大事でありますが、亡き桐壺院とその后藤壷の宮、更に国の政事を治める源氏の大臣の御為に、このままでは良くない噂として、世間に漏れ出ることになるでしょう。老いた僧の私には、例えどんな災いになろうとも、何の後悔もいたしません。仏のお告げがありましたからこそ、帝に申し上げるのでございます。故藤壺の宮は、帝をご懐妊なさいました頃から、大層深くお嘆きになりまして、私に御祈祷をご命じになりました。詳しくは法師の心には理解できかねますが、その後、源氏の君が須磨へ退去なさる事になりますと、「無実の罪」とますます怖れなさいまして、重ねて祈祷をするように仰せつけになりました。源氏の大臣がそれをお聞きになり、また更に祈祷を加えるようにと御下命がございまして、帝が即位なさるまで、祈祷をし続けたのでございます。その祈祷の事情は……」
 それをお聞きになり、帝は今までこれほど驚くべき事を耳にしたことがなく、恐ろしさと悲しさとに御心が動転し、暫くの間お返事もありませんでした。僧都は強いて申し上げたことを「けしからぬ」と思し召されたと当惑し、そっと退出しようとしますところを、帝がお呼び止めなさいました。
 「このことを知らぬまま時が過ぎたならば、後世までも罪が残るだろう。今まで隠していたのは、むしろ貴方に信用がなかったためと恨めしく思います。他にもこの事を知っていて、漏らし伝える人がいるのか。」とお尋ねになりました。
 「この私と王命婦 (藤壷つきの女房)の他に、この事情を知っている人はおりません。だからこそ、仏の罪が恐ろしいのです。天変しきりに前兆を見せ、世の中が平穏でないのは、そのせいと思われます。帝が幼く分別を知らなかった頃はともかくとして、分別ある年齢になられ今日に至っては、天はその罪を明らかにするのでございます。すべて親の責任から始まったことではありますが、帝が何もご存知ないことが恐ろしゅうございますから、心に堅く閉ざされた秘事を、今また心より取り出して申し上げたのです。」と泣く泣く申し上げました。やがて夜が明けてまいりましたので、僧都は退出してしまいました。

 帝は悪夢のように、この怖ろしい事実をお聞きになり、様々に思い乱れなさいました。この事実を知らずに亡くなった故院にはうしろめたく思い、また源氏の君が父君でありながら、臣下として朝廷に仕えておられることを、哀れで畏れ多い事とお悩みになりました。
 日が高くなるまで、昼の御座にお出ましなさらないので、源氏の君が驚いて参内なさいました。帝は源氏の大臣とお会いになりましたが、大層耐え難くお思いになって、思わず涙をこぼしなさいました。源氏の君はこの様子をご覧になり(亡き母宮のことを、涙の乾く間もないほどに、恋しくなられる頃のようだ)とお思いになりました。
 その日、式部卿の親王(桐壺の弟)の死去が伝えられ、帝はますます世の中が騒がしいことをお嘆きになりました。このような頃ですので、源氏の大臣は二条院に帰ることもできずに、ずっと帝の側にお仕えなさいました。しんみりとお話しなさいますうちに、帝は、
 「わが御代が終わりになってしまったのか。今、全てのことが心細く感じられます。亡き母宮がご心配なさるので遠慮をしていたのですが、これからはもう譲位をして、心穏やかに過ごしたいものです。」と仰せになりました。源氏の君は、 
 「とんでもない事です。世の中が平静でないのは、必ずしも政治の善し悪しではありません。聖帝の御代にも、政治と関係なく世が乱れたことがありましたし、わが国にもあったのでございます。まして、死ぬのが道理である高齢の人たちが、その時が至り亡くなることは、お嘆きになることではありません。」帝のお気持ちが落ち着かれるようにと、更にたくさんのお話をなさいました。

 帝が服喪のため、いつもより黒い喪服で地味にしておられる御姿は、源氏の君に生き写しでおられました。ご自身も以前から、鏡に映るお顔を見ては、そのことに気付いておられましたが、今、真実をお聞きになってからまたご覧になりますと、ますます哀れに胸締め付けられ、
 (何とかして、父であると知ってしまった事を、源氏の君に申し上げたいものだ )とお思いになりました。しかしさすがに(源氏の大臣が、体裁の悪い思いをされるのでは……)と遠慮をなさいまして、若い帝は気後れして、何も仰ることができませんでした。ただいつもより親しげに世間話などをなさいましたが、帝が畏 まった様子で、以前と違った態度をお見せになりますので、聡明な源氏の君の御目には妙なことと見えました。けれども真実を何もかもご存知とは、思いもよらぬことでございました。

 帝は王命婦に詳しい事を尋ねてみたいと思われましたが(今頃になって、あれほど藤壷の宮が隠していた事実を知ってしまったのか……)と思われたくないので遠慮なさいました。ただ源氏の大臣だけには、何とかほのめかし、昔にもこのような例はあったかと、問いたいとお考えになりました。
しかし一向にその機会もないので、ますます学問に没頭なさって、様々な書物をお調べになりました。それによれば、中国には帝の血筋が乱れた例が多いと書かれていましたが、日本には見つけることができません。ただ一世の源氏(帝の皇子でありながら源姓を賜り、臣下にあった人)が納言になり、大臣になった後に親王となって、帝の位につく例はありました。源氏の大臣の立派なお人柄を理由に、帝は御位を譲りたいとお考えだったのでございます。

秋の司召 (京官の任命式)に、帝は源氏の君を太政大臣に任命することを内定されたついで、御位を譲りたい旨を漏らしなさいますと、源氏の大臣は目も眩むほど驚かれ、
「絶対にあってはならないこと。故桐壺院は大勢の御子たちの中で、特に私に愛情を注いで下さいましたが、帝の位を私にお譲りになる事はお考えにならなかったのです。どうして故院の御意志に逆らって、及びもつかない地位に昇りましょうか。ただ定められた志のままに、臣下として朝廷にお仕えし、もう少し年齢が重なりましたら、穏やかな仏の修行に篭もり、出家をしたいと考えております。」いつもの言葉と変わらず辞退をなさいますので、帝は誠に残念に思し召されました。
 太政大臣になられることも、少し待って欲しいとのお考えから、源氏の大臣は御位だけが一段上がり、牛車を許されて内裏の中まで出入りできるようになられました。帝はどこまでも畏れ多くお思いになり、せめて親王になるよう仰せになりましたけれど、政治の後見をする人がいなくなることを理由にお受けになりません。
 実は、源氏の君は(やがて権中納言(もと頭中将)が大納言になり、右大将を兼任して内大臣に昇進されたら、自分は政治の後見をすべて譲って、その後、静かな生活に退くのもよい )と思っておられたのでございます。

 源氏の君はなお一層お考えを巡らされ、帝が思い悩んでおられることを畏れ多く思いながらも、誰がこの秘め事を帝にお話し申し上げたのかと不審にお思いになり、王命婦にお逢いになりました。
 「あの事を、何かのついでに、帝に漏らすことがあったのか。」と、お尋ねになりましたけれど、
 「そのようなことは絶対にありません。帝が少しでもお耳にされますことを、入道の宮が大変恐れておられました。また一方では、帝にお知らせしないことで、帝が仏の罰を受けるのではないかと、帝の御身をご心配なさり、常に嘆いておられたのですから……」と申しました。
 源氏の君は、心深くいらした入道の宮のご様子などを今また思い出されて、心尽きせず恋しくなられました。


源氏の君は前歳宮の女御を愛しくお思いになり……
 前斎宮の女御(六条御息所の娘)は、源氏の君の思い通り、帝のよい御世話役として、深いご寵愛を受けておいでになりました。
 秋になり、この女御が二条院に退出なさいました。そのお住まいとして寝殿を輝くほどに美しく設えて、源氏の君は親代わりとして、大切にお世話なさいました。 
 ある日、秋の雨が静かに降って、庭の植え込みの草花が美しく露に濡れ乱れている様子をご覧になり、源氏の君は昔の御息所のことを、また悲しく思い出されて、涙でお袖を濡らしながら、女御の御殿にお渡りになりました。色の澄んだ鈍色の御直衣姿をお召しになり、このところの重なるご不幸などにかこつけて、実は内心では亡き藤壷の宮のために、ずっと仏道の精進をなさっておられました。
 しかし女御の前では、数珠を御袖に隠しながら、大層優雅に振る舞われるご様子は、尽きせず艶でございました。源氏の君は御簾の中にお入りになり、御几帳だけを隔てて直に女御にお逢いになりました。
 夕映えの中、柱に寄り掛かって座る御姿は大層美しく、
 「庭の秋草は残りなく花が咲きました。このように恐ろしい年でさえも、花は秋を忘れずに咲きますのも、味わいのあるものでございます。」と語りかけられ、昔の御息所との事をしみじみと思い出しなさいまして、嵯峨野の野宮を訪ねた折の美しい曙のことなどをお話しになりました。女御も、
 「亡き母のことを想うと、御袖が涙に濡れ……」とお泣きになりました。その気配がいかにも愛らしく、身じろぎする様子が柔らかに聞こえますので、源氏の君は(艶な方でいらっしゃるようだ……)と胸ときめかれ(未だに御顔を拝見したことがないのが残念なこと)とお思いになりますのも、困ったことでございます。

 「私はこれまでに、思い悩むべき事もなく過ごしてまいりました。けれど恋愛につけては、物思いの絶えない日々もありました。相手の女性には気の毒な目に遭わせたこともたくさんありましたが、遂に最後まで心とけず、誠意が分かってもらえなかったことが、二つありました。まずその一つは、亡き六条御息所のことです。お恨みになられたまま、お別れしてしまいましたが、これが長き世の煩いになるのではと悲しんでおりました。今こうして御娘の貴女をお世話申し上げ、親しくお逢いいただくことで、せめてもの慰めに思っていますものの、お亡くなりになった御息所のことを思い出しますと、心はいつも暗くなります。」と申しなさいました。そして今一つのほうは、お話しなさいませんでした。
「人生半ば、須磨に落ちぶれていました頃、帰京した折にやりたいことを様々に考えていましたが、それらは今、少しづつ叶えられました。東の院に住んでいる花散里は、頼る人もなく心細い境遇でおられましたので、心苦しく思っていましたが、今はすっかり安心のできるようになりました。好ましいご性格で、さわやかな間柄でおります。こうして京に戻り、政治の後見を勤める喜びなどは、さほど心に深く感じませんが、ただ色恋ごとのほうが、私には心静めがたいものと思われます。並々ならぬ熱い思いを抑えて、貴女の後見をしていることを、お分かり下さっているのでしょうか。せめて哀れとさえ思っていただかなくては、その甲斐もありません。」と仰せになりました。けれども女御は(面倒なこと……)とお返事もなさいませんので、源氏の君は、
 「私の想いをお分かり頂けないのですね。あぁ、情けない……」とつぶやかれ、他のことに話を紛らしてしまわれました。
 「私は、いかにしてこの世に未練を残さぬよう、また後生の勤行を勤めるため寺に篭もることを願っているのですが、今はこの世にいい思い出ひとつ残せないことが、残念でなりません。ただ数にも入らぬほど幼い娘がおりますので、その成長が大層待ち遠しいものです。かたじけなくも、なおこの源氏の一族を栄えさせていただけるなら、私が亡くなりました後には、その幼い姫君を一人前にお扱い下さいますように……」等と申しなさいました。女御のご返事は誠に応揚で、かろうじて一言、かすかにお答えになる気配に、源氏の君は大層心惹かれ、その日は日が暮れるまでご一緒にお過ごしになりました。
 「一族の繁栄のことはさておき、私は一年にゆき変わる四季折々の花や空の風情につけても、心満たされる事をしたいと願っています。人々は、春の花咲く林や秋の野の美しさを眺めながら、様々に優劣を論じていますが、「これこそ心惹かれる季節」と決めることはできません。中国では『春の花の錦に越えるものはない』と言われますし、日本の和歌には、秋の哀れが丁重に取り扱われています。しかしいずれも折々につけて素晴らしく、目移りして優劣が決められません。狭い垣根の私の庭でも、その風情が楽しめるように、春の花木を集めて植えたり、秋の草花を移し植えては、野辺に鳴く虫を放しおいて人にお見せしたく思います。貴女は春と秋、どちらに心惹かれるでしょうか。」とお尋ねになりました。女御は、
 「私などには何もわかりません。いつでもよいと思われますけれど……、中でも、秋の夕べこそ。
儚い露のように亡くなりました母(六条御息所)が思い出されますので……」と頼りなげに、終わりまで言わずにやめる様子が大層愛らしく、源氏の君は宮への恋心を遂に抑えかねて、

   君もさは 哀れをかはせ人知れず 我が身にしむる秋の夕風 
                          忍びがたき折々も侍りかし

     (訳)貴女も私の恋の哀れを思ってほしい。人知れず思い焦がれるわが身に
        秋の夕風がしみます。

忍びきれない折があるのです。」と申しなさいました。女御はどうお返事のしようがありましょうかと、源氏の君の御心が理解できないご様子でした。ついでに、今少し道にはずれた事もすることもできましたが、女御が大層嫌がっておられるのも道理に思われますので、源氏の君自身「大人げなく、けしからぬ事」と反省なさいました。宮には源氏の君の心深く艶めかしい御姿さえも疎ましく見え、少しづつ奥に引っ込もうとされますので、源氏の君は、 
 「そんなにも私を不愉快に思われますのか。誠に心深き人は、そのようになさらないものですよ。もう私をお恨みにならないでください。辛くなってしまいます。」と仰って、お帰りになりました。源氏の君の御衣に焚きしめた香が部屋に残っているのさえ、女御には疎ましく思われました。女房たちが御格子を閉め「この御敷物の移り香の素晴らしいこと。どうやって源氏の君はこのようによい香を取り集めておられるのでしょう。柳の枝に桜を咲かせたようです。不思議なまでに…」と話し合っておりました。

 源氏の君は西の対にお帰りになりましたが、すぐには紫上のお部屋にお入りにならず、物思いに沈んで、縁側の端近くに横になられました。灯籠を少し遠くに掛けさせ、女房たちをお側近くに呼んで、物語などさせなさいました。
 (恋しく想ってはならない人に言い寄るという身勝手な癖が、まだ私に残っているようだ。斎宮の女御に恋心を抱くのは、誠にけしからぬこと。藤壷との過ちは、罪深さではるかに勝っていたと思うけれど、若い頃のあの過ちは、思慮の足りない頃の過ちと、神仏もお許しになるだろう。)と気持をお鎮めになり、年を重ねて、恋の道については、思慮深さが増してきたのだと悟りなさいました。
 その後、斎宮の女御は、秋の哀れを知り尽くした顔をしてお返事したことを、悔しく恥ずかしいと悩んでおられますのに、源氏の君は、大層そっけなくつれない素振りをなさいまして、いつもより
父親ぶって、動き回っておられました。
 そして紫上に「斎宮の女御が秋に心を寄せていらっしゃるのも趣あり、貴女が春の暁に心惹かれるのも道理に思われます。四季折々の花々によせて、心惹かれる遊びなどしたいものだ。しかし公私に忙しいわが身では難しいこと。どうにかして思い通り出家をしたいものだが、ただ貴女が寂しくなられる事が、何より心配で心苦しいことです。」とお話しなさいました。


山里の明石の君を恋しくお想いになり……
 山里の人(明石の君)もどうしておられるかと、源氏の君は絶えず思いやっておられますが、ますますお忙しいため、今では大堰にお渡りになることすら難しくなりました。明石の君が、世の中を味気なく辛いものと思いこんでいるのを知って、源氏の君は、(どうして、そんな風に思うのだろう。東院に出てきて、他の妻たちと一緒に住むのは嫌のようだが、一体何が不満なのだろうか。やはり幼い姫君と引き離してしまったことが、何とも可哀想ではあるのだが……)とお思いになって、いつもの嵯峨の御堂で行われる御念仏にかこつけて、大堰の山荘にお渡りになりました。

 この寂しい大堰に住み慣れるにつれて、明石の君にとっては、それほど深刻ではないことでさえも、悲しみが増すようでございます。まして、こうして源氏の君にお逢いになるにつけても、今までの辛い因縁が大層深かった事を思いますと、かえって哀れに思われ、慰め難くなられるのでした。
 うっそうと茂った木々の間から漏れる篝火が、遣り水に飛ぶ蛍に見間違うほどに美しい眺めをご覧になって、
 「昔、須磨での寂しい生活がなかったら、こんな風景も目新しく、心惹かれただろうに……」と申されますと、

   いさりせし 影忘られぬ篝火は 身の浮舟や したひ来にけむ    (明石の君)

     (訳)明石での漁り火を思い出させるこの篝火は、浮舟のようなこの身を慕って、
        ついてきたのでしょうか。

当時と同じように、辛うございます。

   浅からぬしたの思ひを知らねばや なほ篝火の影は騒げる    (源氏の君)

     (訳)浅からぬ私の心を知らないからだろうか。
        やはり明石の頃と同じように、貴女の心の篝火は騒いでいるのか……

 この頃は何もかもが物静かに思われる頃でしたので、読経などを熱心になさいまして、いつもより長くご一緒にお過ごしになりましたので、明石の君の御心も少し紛れるようでございました。

( 終 )

源氏物語ー薄雲(第十九帖)
平成十五年如月 WAKOGENJI(訳・絵)

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