やさしい現代語訳

源氏物語「初音」(はつね)第23帖


源氏の君36歳、紫上28歳、明石の上27歳、明石姫君8歳、玉鬘22歳の頃の物語

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 年が改まりました。元旦の朝の空は雪の名残もなく麗らかで、人々の庭の垣根にさえ、雪が溶けた間から芽吹いた草が、若々しく色付き初めていました。早くも春めいた霞の中に、木々の芽もほんのり萌え出して、人の心も自然にのびやかに見えるようです。まして玉を敷いた御殿(六条院)は御庭をはじめとして見所が多く、一層美しく着飾っていらっしゃる御方々のご様子は、語るにも言葉が足りないほど、素晴らしくございました。
 紫上の春の御殿のお庭は、とりわけ梅の香が御簾の内の香りと吹き混ざって、極楽浄土と思われるほどでした。紫上は美しい御殿に馴染んで、心穏やかに暮らしておられました。女房たちも、若々しく優れている者を幼い姫君(明石の姫君)にとお選びになりましたので、少し年輩の女房ばかりが残ってお仕えしておりました。かえって風情があり、装束なども好ましく取りなしていました。
 鏡餅を飾り、歯固めの祝(*巻末参照)をして、新年の祝い言として千歳の栄えを唱えまして、女房たちが数人づつ寄り集まって戯れ合っているところに、源氏の君がお覗きになりましたので、慌てて着物の襟元などを整えまして、とても気恥ずかしく思っていました。
 「何とも大胆な自分のための祝い言ですね。皆、各々願う事がありましょう。少しお聞かせなさい。私が祝ってあげましょう」とお笑いになりました。女房たちはその源氏の君のご立派なお姿を、年初めのめでたさと拝しておりました。
 自分こそと思い上がった中将の君は、
 「源氏の君の千歳が、今からもう見えるようで……等と、鏡餅に御祝い言を申し上げていたところです。私自身の願い事など、何ばかりのことでしょう」と申し上げました。
 年賀の人々が参上して、何かと騒がしかったのですが、夕方になりましたので、源氏の君は御方々の御殿においでになろうと、特に念入りに身繕いをなさいました。化粧されたお姿を鏡に映しますと、それこそ見甲斐のある素晴らしいものでした。
 「今朝、こちらの女房たちが戯れ合っていたのが、羨ましく見えたから、この鏡餅は、私が紫上にお見せしましょう」
冗談などを少し仰いまして、紫上のところにおいでになりました。

 紫上に新年の御祝い言を申しなさいました。

   うす氷 とけぬる池の鏡には 世に類なきかけそならへる

      (訳)薄氷もとけた池の鏡のような水面には、
         世に類ない二人の影が並んで映っています。

   曇りなき池の鏡によろづよを すむへきかけぞ しるく見えける

     (訳)曇りない池の水面に、永遠に住む二人の影がはっきり見えます。

何事につけても末長き夫婦の御契りを、詠み交わしなさいました。今日は子の日ですので、千歳の春を祝うには最も相応しい日でございました。

 明石の姫君のところにおいでになりました。童や下仕えの女房たちが、お庭の山の小松を引いて遊んでいます。若い女房たちもじっとしていられない様子です。北の御殿(母・明石の君)から、今日のために特に用意した鬚籠や破籠などが届けられておりました。素晴らしい五葉の松の枝に飛び移る鶯も、内心、何か思うことがあるのでしょうか。

   年月を松に引かれてふる人に けふ鶯の初音聞かせよ

     (訳)長い年月を姫君の成長を待っています。
        今日はその初音を聞かせてください。

音のしない里に……」とお詠みになりましたのを、源氏の君は、
「誠に……」と哀れにお感じになり、新年に縁起の悪い涙も、抑えきれないご様子でした。
 「この返事は姫君ご自身がお書きなさい。初音(初便り)を惜しむ方ではありませんよ」と仰って、御硯を用意して書かせなさいました。明け暮れ一緒にいる者でさえ、見飽きることのない可愛らしいお姿なので、今まで母君に逢わせることなく年月が経ってしまったことを、
 「気の毒なことをしてしまった。罪になりそうで……」とお思いになりました。

   ひき別れ 年はふれども鶯の 巣立ちし松の根を忘れめや

     (訳)お別れして長い年月が経ちましたが、鶯(私)の生みの親を忘れなどしましょうか

幼い心の思うままに書いてありました。

 夏の町(花散里)の御住まいをご覧になりますと、今はその時期でないせいか、大層静かな雰囲気で、特に風流なこともなく、上品にお暮らしになっている様子が窺 えました。年月と共に花散里とは心隔てもなく、しみじみとしたご夫婦仲でございました。今は強いて共寝するほどにお扱いなさらないのですが、大層仲睦まじくおられました。御几帳を隔てておりますものの、源氏の君が少し押しやりなさっても、花散里はそのままにしていらっしゃいます。
 源氏の君がお贈りした縹色(ゆるしいろ)のお召し物は、なるほど華やいだ色合いではありませんし、御髪なども盛りを過ぎてしまいましたので、かもじをつけていらっしゃるようです。
 「私以外の人ならば、嫌気がさすようなお姿を、こうしてお世話することこそ嬉しく本望です。もし花散里が思慮の浅い女と同じように、私から離れなさったとしたら……」等とご心配なさり、お逢いになる時は、いつまでも変わらぬ愛情と、花散里の深い御心を嬉しいこととお考えになりました。昔の物語などを懐かしくなさいまして、西の対(玉鬘)へお渡りになりました。

 玉鬘はまだ六条院に長く住み慣れていませんのに、御住まいの様子は大層風情がありました。愛らしい童女の姿も優美で、女房たちも数多くお仕えしていました。部屋の調度なども必要な物だけで、細々した御道具などはまだ充分揃ってないようですが、それなりに小綺麗に住んでおられました。
玉鬘のご容貌は、ご自身が「何と美しい……」と見た山吹襲 (やまぶきがさね)によく映えて、大層華やかで、ずっと見ていたいほど美しくいらっしゃいました。今まで辛い生活を重ねてきたせいか、髪の裾が少し細くなって、はらりと衣にかかっていますのが、誠に美しく見えました。源氏の君は、
 「こうして引き取らなかったなら……」とお思いになるものの、このままわが娘としてお世話することは出来ないだろう。二人で逢ってもやはり支障になることが多く、何か奇妙な感じがしますので、親子のようなお気持にはなれません。源氏の君にとっては、父子としてでなく逢うことこそ、誠に趣深く、嬉しいことなのでございました。
 「長い年月がかかりましたが、養女として手元に引き取るという本意が叶いましたので、今は遠慮なさらずに、あちらの春の御殿にもおいでください。初めて琴を習う幼い人(明石の姫君)もいますので、ご一緒にお習いなさい。思慮の浅い心を持った人はいないところですよ」と仰いますと、
 「仰せの通りにいたしましょう」とお返事なさいました。

 日が暮れる頃、源氏の君は明石の御方にお渡りになりました。明石の君のいるお部屋近くの渡殿の戸を押し開けますと、御簾の内から吹く風が優雅に吹き香り、源氏の君には格別に気高く、趣深く感じられました。唐の東京錦の縁を縫い刺した敷物に、風雅な琴を置いて、格別に趣向をこらした火桶には侍従香(じじゅうこう)を燻らせて、周りの全ての物に香を焚きしめている上に、衣被香(えひこう)の香りが混じっているのが、たいそう優雅でございました。明石の君の御姿が見えないので、どこかと見回しなさいますと、御硯の辺りに沢山の草子などが散らかしてありました。源氏の君が手に取ってご覧になりますと、手習いがゆったりしていて、明石の君らしい嗜みのある書きぶりです。草書を多く使って洒落て書かず、好ましくしめやかに書かれています。姫君からの初音の便りを大切にお思いになるのでしょう。しみじみした古歌を書き交ぜて、

   めずらしや花のねぐらにこつたひて 谷の古巣をとへる鶯

     (訳)何と珍しいことか、花の御殿に住んで、谷の古巣を尋ねてくれた鶯(娘)よ

そのお声を長くお待ちしておりました……」と書かれていました。側に「花咲く岡部に家があれば……」等と、自らを慰める言葉が書き添えてありますので、源氏の君は微笑みながらご覧になりました。
 源氏の君が筆を濡らして、そこに書き加えていらっしゃいますと、明石の君が出ていらっしゃいました。さすがに振る舞いは慎ましく、好ましいご様子ですので、
 「やはり他の方とは違って、何と素晴らしい……」とお思いになりました。源氏の君より贈られた白い小袿にくっきり映える黒髪のかかり具合が、少しはらりとする程に薄くなっているのも、誠に上品な優美さを加え、大層慕わしく思われましたので、新年早々騒がれるかもしれないと、気がかりではありましたけれど、今夜はこちらにお泊まりになりました。
 「やはり明石の君に対する源氏の君のご寵愛は格別のようです……」と他の御方々は不愉快にお思いになりました。

 南の御殿には、それ以上に不愉快にお思いの女房たちがおりますので、源氏の君は、まだ曙の頃に、紫上の所にお戻りになりました。明石の君は急いでお帰りになるお姿を「まだ夜も更けないうちなのに……」と恨めしくお思いになり、その後の名残りに心も落ち着かず、ご自分の身の上を悲しくお思いになりました。
 一方、お待ち申し上げていた紫上も、やはり不快に違いない御心が推測できますので、源氏の君は、
 「いつになくうたた寝をして、年がいもなく寝坊してしまいましたのに、貴女が起こしてくださらないので……」とご機嫌を取りなさいました。紫上がご返事もなさいませんので、
 「困ったこと……」と寝たふりをしながら、やがて日が高くなってから、お起きになりました。

 今日は臨時客の対応に紛らわして、ご機嫌の悪い紫上と、顔を合わさずにお過ごしなさいました。上達部や親王たちは、いつものように残らず参上なさいまして、管弦の遊びなどをなさいました。引出物や御禄(褒美)などは、沢山お集まりの方々が、自分こそ劣るまいと整えましたのに、源氏の君の御禄は、似ている物さえ一つとしてなく、素晴らしい物ばかりでした。有識に明るい方々も多くいるはずですが、御前に出るとすっかり圧倒された様子でした。数にも入らぬ下人でさえ、六条院に参上する時には心遣いが特別なのですから、まして若々しい世間知らずの上達部などは、心中思うところがあって、やたらに緊張しておりますのも、例年と異なっていました。

 お庭の梅が次第にほころんで、花の香を誘う夕風がのどやかに吹いていました。黄昏時なので、楽の調べなどが一層美しく聞こえまして、催馬楽の「この殿」を謡うその拍子は、大層華やかでございました。源氏の大臣も時々声を添えなさいますので、「さき草」の末の方は大層魅力的に素晴らしく聞こえました。どんな歌にも応じなさる源氏の君のご威勢に引き立てられて、花の色や楽の音が、格段と映えて感じられました。
 このように参賀に往来する馬や牛車の賑やかな音も、遠くにお聞きになる御方々にとっては、あたかも極楽浄土の蓮の中の世界に、花が咲くのを待っているような気持で、心穏やかでいられない様子でした。まして二条院の東の院に離れ住んでいらっしゃる御方々(末摘花と空蝉)は、年月と共に、所在なさが募るばかりですが、古歌のように「世の憂き目 見えない山路」に思いなぞらえて、訪れのない源氏の君を、何と言ってお咎め申し上げられましょう。その他には心細い事などが何もないので、仏道修行の空蝉は、それ以外のことに気を紛らすことなく勤行に努めておられました。仮名文字の様々な草子の学問に熱心な末摘花は、真面目にきっちりした心構えを持って、心の願いに叶った暮らしぶりをしておりました。しばらくして何かと忙しい日々が過ぎてから、源氏の君がこちらにお渡りになりました。

 常陸宮の御方はご身分が高い方なので、源氏の君は人目につく体裁だけは、大層行き届いた扱いをなさいました。かつて盛りに見えた美しい黒髪も、長い年月と共にすっかり衰えてしまいまして、白滝のよどみのような白髪の御横顔をご覧になりますと、源氏の君は痛々しくお思いになり、まともに正面に向いてお座りになりません。お召し物の柳襲(やなぎがさね)が、何か寒そうに見えるのもお気の毒でした。似合わないと見えるのも、それは着る人のせいでありましょうか。艶を失って黒ずんだ掻練(かいねり)のごわごわした単(ひとえ)の上に、その織物の袿 (うちぎ)をお召しになっているのですが、大層寒そうに見えますので、差し上げた他の袿などはどうしたのだろうか……とお思いになりましたが、鼻の色だけは霞に紛れることなく、目立って華やかに見えますので、源氏の君は思わず溜息をおつきになって、わざわざ御几帳を引き直して、お顔が見えないように隔てなさいました。そう思っているとも知らずに、女君は、今はこのように、長く見捨てることのない源氏の君の御心を、優しいものと安心して、気を許して頼りに思っておられるご様子です。源氏の君はこの姫君を大層いじらしく思われました。身分は高くとも、気の毒な運命の方と哀れにお思いになり、せめて私こそは、この人を大切にしなければいけないと、心に留めておられました。
 常陸宮の姫君は大層寒そうに、お声なども震えながらお話をなさいました。源氏の君は見かねて、
 「御衣などのお世話する人はいないのですか。このように気楽なお住まいでは、ただ着慣れたしなやかで柔らかい着物こそ良いのです。上部ばかり取り繕った御装は感心しません」と申し上げますと、姫君はぎこちなくお笑いになって、
 「醍醐の阿闍梨(あざり)の君(兄)のお世話をしていますので、自分の着物など縫うことができません。
皮衣まで持ち帰りました後は、誠に寒うございます……」と申し上げました。やはり鼻の赤い兄君のことのようでございます。
 「末摘花は心幼いと言っても、着る物まで残さず兄に賜うとは、余りにも素直過ぎる……」とお思いになりましたが、この姫君はこの世に稀な生真面目な人のようでございました。源氏の君は、
 「皮衣はいらないでしょう。山伏の蓑代わりの衣として、差し上げてしまいなさい。それからこの惜しくもない白妙の衣(袿)は、どうして幾重にも重ねて着ないのですか……。必要な物がある時に、私が貴女の世話を忘れておりましたら、どうぞ教えてください。私はもとよりぼんやりした気が利かない性分ですから、他の女性に気が紛れて、つい怠ってしまいまして……」等と仰って、二条院の御蔵を開かせなさいまして、絹や綾などを差し上げなさいました。東院は特に荒れたところもありませんが、源氏の君がお住まいにならないので、大層静かで、お庭の木立ばかりが風情がありました。美しく咲いているのに誉める人も無い紅梅を眺めなさいまして、

   ふる里の春の梢に訪ねきて 世の常ならぬ花(鼻)を見るかな

     (訳)昔の邸の春の木立を訪ね手見たら、世にも珍しい紅梅の花(鼻)を見ました。

そっと独り言を仰いましたが、末摘花にはお分かりにならなかったようです。

 空蝉の尼君のところもお覗きになりました。目立ったご様子もなく、ひっそりとお部屋だけを区切って住んでおられました。仏像を広く奉って勤行しておられる様子が窺 (うかが)えまして、経典や仏の飾りを置く質素な閼伽(あか)の具(棚)なども趣深く優雅で、やはり趣味の良い方と見えました。青鈍色の几帳に、すっかり御身を隠してお座りになり、几帳の端から出た袖口の色だけが異なっていて、心惹かれる感じがしました。源氏の君は涙ぐみなさいまして、
 「古歌のように、松が浦島(尼君)は遥かにあって、諦めるしかないのだね。昔から辛い御縁だった。けれどこの程度の親しさは、終生絶えることはないでしょう」等と仰いました。空蝉も、
 「仏道に勤める身でありながら、源氏の君をお頼り申し上げることが、かえって御縁が浅くはないと思い知らされるのでございます」と、しみじみとしたご様子で申しなさいました。源氏の君は、
 「過ぎし昔の折々、心惑わしなさる恋の罪の報いなどを、懺悔申し上げることこそ、私には心苦しく思われます。お分かりになりますか。男とは私のように、素直に引き下がる者はいないものですよ。今までお気付きなさることは無かったでしょうか……」と仰いました。
 あのあさましい昔の出来事(継息子に言い寄られる)をお聞きになったようだと、空蝉は恥ずかしく思い、
 「こんな尼の姿を、貴方がご覧になられることより他に、仏の報いがありましょうか」と申し上げますと、本心から泣いてしまいました。昔よりも思慮深くなられ、気品も加わって、空蝉はこんなにも手の届かない離れた所(出家)に行ってしまわれたのか……」と見捨てがたくお思いになりました。けれども今は、冗談など申し上げるべき時ではないので、昔や今の物語などをなさいまして、
 「せめてこれ位の話し相手として、居てほしいものだ……」と、あちら(末摘花)の方を見やりなさいました。
 このように、源氏の君のご後見を受けている女性は多くおりました。源氏の君は皆を一通りお立ち寄りになりまして、
 「お目にかかれず、心許ない日が続く折々もありましょうが、私の心の内では忘れておりません。ただ限りある命ですから、死の別ればかりが気がかりです。古歌にあるように寿命は分かりませんが、貴女を忘れない気持はずっと持ち続けております」と心をこめて仰いました。いづれの女性も身分相応に、愛しく思っておられました。源氏の君は高いご身分の方ではありますけれど、そのような振る舞いはなさらず、女性の身分に応じて、どの御方にも心をこめて、優しくなさいますので、この御心だけを頼りに、長い年月、多くの女性が暮らしているのでございます。

 今年は男踏歌(おとことうか・地を踏み鳴らして祝詞を唱える行事)がありました。男たちは内裏から朱雀院に参上して、次にこの六条院に参りました。道ほどが遠いので、夜も明け方になってしまいました。 月が曇りなく澄み切っていて、薄雪が少し降った庭が、言葉にならないほど美しいところに、楽の上手な上達部などは、この殿の御前では特に心遣いして、大層美しく笛を吹き鳴らしていました。

 各々の町の御方々に「踏歌を見るために、春の殿にお渡りになるように……」と、前もって知らせてありましたので、左右の対屋、渡殿などにお部屋を設えてご覧になりました。
 西の対の姫君(玉鬘)は寝殿の南の御方においでになりまして、こちらの姫君(明石の姫君)とご対面なさいました。紫上もご一緒におられましたので、御几帳だけを隔ててお話をなさいました。

 朱雀院の后宮 (きさいのみや・弘徽殿の大后)の御殿を回った頃に、夜も明けてきましたので、水駅(みずまや・踏歌の人に酒などをふるまう)のもてなしを簡略にすべきですのに、六条院では格別におもてなしなさいました。月の光も興ざめに見えるほど明るい月夜に、雪が降り積もり、松風が木高く吹き下ろして、何の趣も無い光景でした。踏歌の人々は皆、青色の張りのない袍(ほう)を身につけ、白い下襲の色合いは、何の華やかなはずがありましょうか。髪に挿した綿さえ何の美しさもないのに、六条院という場所がらのせいか、皆満足に感じて、命延びるひとときでありました。
 殿の中将の君(夕霧)や内の大殿(内大臣)の公達は、一行の中でもひときわ優れて、華やかに目立っておられました。夜がほのぼのと明けてきて、雪が少し散り降り、何となく寒い頃に、催馬楽の「竹河」を謡って袖をひるがえす舞姿や、聞き慣れた美しい声は、絵に書き留められないのが惜しい程に素晴らしいものでした。御方々は、どの方も劣らず美しい袖口を御簾より零れ出して、その色合いなども、暁の空に春の錦を霞越しに見たように素晴らしいものでした。舞人の高巾子(こうじ・冠)も珍しく、言吹き(ことふき・多産などを表した詞)を騒々しく滑稽に演じますので、面白いはずの御拍子も聞こえませんでしたが、六条院で見る男踏歌は、不思議と満足のゆくものでございました。例年どおり、綿を被物 (かつぎもの・褒美)として頂き、やがて六条院を退出していきました。

 夜が明けましたので、女君達は皆お戻りになりました。源氏の君は少しお寝みになりまして、日が高くなってお起きになりました。
 「中将の君(夕霧)の声は、弁少将(声の優れた内大臣の子息)に少しも劣っていなかったようだ。不思議と有識(ゆうそく・諸芸に優れた者)たちが現れる時代であるようだ。昔は、学問の優れた人も多かったが、情感の優れた面では、今の人に勝っていることはないだろう。夕霧を真面目な公人に育てようと心に決め、私のような遊び好きで融通の利かない人になってほしくないと思っていたが、やはり心の中では、いくらか風雅な心を留めるのもよいものだ。ただ好き心を抑えて、真面目な表向きだけでは、やっかいなことだろう……」と、やはりわが子を大層可愛いとお思いでございました。
「万寿楽」を口ずさみなさいまして、
 「女君たちがこちらにお集まりになった機会に、何とか管弦の合奏などを楽しみたいものだ。私的な後宴を催すことにしましょう」と仰って、御琴などが美しい袋に入れて秘蔵させてあるのを、皆、引き出して、磨き上げさせ、緩んでいた弦を調えさせなさいました。御方々は、大層心遣いしながら、緊張をなさっていることでしょう。

( 終 )

源氏物語ー初音(第二十三帖)
平成十六年六月 WAKOGENJI(文・絵)

( *歯固めの儀 )
平安時代の宮中行事。正月の祝膳で御薬を供ずる儀として、長寿を願って様々な料理が並べられた。紫式部日記には餅鏡(もちひかがみ)の描写があり、餅鏡(鏡餅と同義)が歯固めの主要な品となっていた。正月に膠牙糖(こうがとう)という固い飴をなめて、歯の根を固めて強くするという中国の風習にその起源を持つ。

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