やさしい現代語訳
源氏物語「蛍」(ほたる)第25帖

(光源氏36歳 玉鬘22歳 紫上28歳の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

今は太政大臣という重い御位に就かれましたので、源氏の君は万事について、穏やかに心静かにお思いのご様子でした。この君を頼りにしておられる女君たちも、皆、その暮らし振りも落ち着いて、何のご不安もなく理想的にお過ごしでございました。

 ただ対の姫君(玉鬘)だけは、お気の毒なことに、思いがけない悩みが加わり、
 「どうしたらよいものか……」と心乱れるようですが、昔、大夫の監を嫌だと思った頃とは比べるべきではないけれど、養父の源氏の君が言い寄るという事に関しては、他人の耳に入れるべき事ではないので、ご自分の心一つに隠して「本当に嫌なこと……」とお思いになりました。既に何事にも分別のつく年頃になっておられましたので、あれこれお悩みになっては、母君(夕顔)がお亡くなりになった口惜しさを、又、繰り返し悲しくお思いでございました。

 玉鬘への熱い想いを口になさってからは、源氏の君もかえって苦しくなられ、人の目を憚りながら、少しの言葉さえもおかけにならず、ただ愛しくお思いになるままに、頻繁に西対へお渡りになりました。お仕えする女房などが遠くにいて、御前がのんびりした時には、ただならぬ様子で想いを訴えなさいますので、玉鬘は胸が潰れる思いがして、はっきりと拒絶することもできず、ただひたすら素知らぬふりでお相手をしておいでになりました。玉鬘のご性格は明るく、親しみ深くいらっしゃいます上に、とても心深くおられますので、やはり愛らしく魅力的なところばかりが目立って見え、兵部卿宮(光源氏の弟)などは、ただ一心に求愛をなさいました。お骨折りの日々が幾らも経ってないのに、もう五月雨の頃になってしまいましたので、
 「もう少しお側近くに上がることをお許し下さるならば、何とか想うことの一部でもお伝えして、この胸の内を晴らしたいものです……」と書き綴りなさいました。その手紙を源氏の君がご覧になり、
 「何の……この公達に好きになられるのは、風情があることでございましょう。つれなくなさってはなりません。時にはお返事を申し上げなさい」と、書き方などまで教えなさいましたが、玉鬘は大層嫌なことだとお思いになって、
 「気分がすぐれませんので……」とお返事なさいません。

 女房たちの中に、特に身分が高く信望の厚い者などもほとんどおりませんでした。ただ母君の御叔父であった宰相の娘で、嗜み深い人が、今は家の勢力が衰えてしまいましたけれども、今も京に残っておりました。それを探し出して玉鬘に仕えさせておりました。宰相の君と呼ばれるその人は、筆跡なども素晴らしく、万事にゆきとどいているので、このような折々の返事などを、玉鬘に代わって書かせていました。源氏の君は今日もお召しになり、君が言葉を仰って、宮へのお返事を書かせなさいました。宮が言い寄るそのご様子を、きっと知りたいのでありましょう。

 この兵部卿の宮が想いをこめた手紙を下さる折りには、玉鬘は少し心を留めてご覧になることもありましたが、何か特に心動かされたというのではないようでした。玉鬘はただひたすら、
 「あの嫌な源氏の君のお姿を見ないですむならば……」などと、さすがに女らしい気持ちになられることもあるようでした。

 殿(源氏の君)は訳もなく、ご自分だけ心ときめかして、兵部卿宮の訪れをお待ちでございました。宮はそんなこととはご存知なく、玉鬘からよいお返事がありましたことを大層喜んで、こっそりとお渡りになりました。

 妻戸の間に座布団を用意して、御几帳だけを隔てて、玉鬘に近い所にお座りになりました。
空薫物を心憎いほどに薫らせて、大層心遣いをしてお世話する源氏の君のご様子は、親というよりは、困ったお節介者のようでしたが、それでもさすがに優しく見えました。宰相の君(女房)なども、宮への言葉を取り次ぐことをすっかり忘れて、恥ずかしがってただ座っていますので、それをご覧になった源氏の君は「何を隠れている……」とおつねりになり、大層困っておられました。

 夕闇が過ぎて、はっきりしない曇り空に、しっとりとした宮の御姿は大層艶っぽく優美でございました。部屋の内からほのめく追い風に、ますます素晴らしい殿の香りも加わり、一層深い薫りが部屋中に満ちておりました。宮は予想していたよりもずっと美しい姫君のご様子を、心に深く留めなさいました。御心の想いの程を申しなさるお言葉は、遊び心からではなく、大層落ち着いていて格別でございました。源氏の君は、
 「誠に素晴らしい……」と、物陰からほのかに聞いておいでになりました。

 姫君は東面のお部屋に引っ込んでお寝すみになっていましたが、宰相の君が、宮のお言葉を伝えに部屋に入って来るのにかこつけて、御簾の中に入るに違いない源氏の君のご性格を思い、玉鬘が大層困っておられますと、
 「あまりにも煩わしそうにみえるおもてなし様です。何事もその状況に応じてこそ、見苦しくないものなのです。もう一途に幼ぶるようなお年頃でもありません。この宮にまでも、突き放したような態度でお話なさってはなりません。ともかくお声をかけるのを惜しみなさらずに、せめてもう少し近くで……」などとお諫めなさいました。
 玉鬘にとっては、どちらにしても辛いことなので仕方もなく、御寝所から滑り出て、母屋の境にある御几帳の側に臥しなさいました。何やかやと想いの丈を長く述べる宮の言葉に、お返事をなさることもなく、玉鬘はただ躊躇っていらっしゃいますと、源氏の君が近づきなさいました。さりげなくお世話をなさる振りをして、御几帳の帷子(垂れ絹)を一枚お上げになりますと同時に、部屋にさっと光るものが……、この夕暮れに蛍を集めて、薄物に包んでおいたものを放したのです。急に辺りが明るくなりましたので、紙燭を差し入れたのかと驚いて、扇でお隠しになりました玉鬘の横顔は、大層美しげでございました。
 源氏の君は、
 「驚くほどの光が見えたなら、宮もお覗きになるに違いない。源氏の娘という理由で、こうまで熱心に玉鬘に想いを訴えなさるのだろうけれど、姫君がこれほどの美しさをそなえているとは、宮にも推し量ることはできなかったであろう……。もっとこの宮の御心を惑わしてやろう……」などと、企てをしておられました。誠の自分の娘ならば、このように大騒ぎはなさるまいに……誠に困った源氏の君でございます。

 源氏の君は違う戸口から、そっと滑り出て行ってしまわれました。宮は姫が少し間近にいる気配がしますので、心ときめかせなさいまして、素晴らしい薄絹の帷子の隙間からそっと中をお覗きになりますと、一間ほど隔てたところに、思いがけない光がほのかにちらついています。宮は誠に素晴らしい……とご覧になりました。間をおかず、側にいた女房が御几帳を立て、姫のお姿が見えないように隠してしまいましたが、ほのかな光は艶なる恋のきっかけになりそうに見えました。ほのかな光の中に見えたお姿は、すらりとして身を臥しているご様子がとても美しく、宮は大層心残りにお思いになりました。源氏の君の思い通り、本当にこの企ては、宮の御心に深く刻まれたのでございました。


   鳴く声も聞こえぬ虫の想ひだに 人の消つには消ゆるものかは

     (訳)鳴く声も聞こえない蛍の光でさえ、人が消そうとしても消えるものでしょうか。

お分かりになりましたか……」とお伝えなさいました。玉鬘はあれこれ考えるのも嫌なので、早いことだけを心がけて、

   声はせで 身をのみ焦がす蛍こそ 言ふよりまさる想ひなるらめ

     (訳)声には出さず、身を焦がす蛍の方が言葉にするより勝る想いでいるのでしょう。

 あっさり返歌して、ご自分は奥に入ってしまわれましたので、宮はよそよそしくお扱いなさることを、ひどくお恨みになりました。好色がましく思われるのも辛いので、夜も明かさずに、軒先の雨の雫も辛く思われ涙に濡れながら、夜もまだ更けぬうちにお帰りになりました。きっと不如帰なども鳴いていたでしょうに、心煩わしくおられましたので、耳に聞き留めることさえもできませんでした。

 兵部卿の宮の優雅なご様子は、源氏の君に似て大層素晴らしくございました。源氏の君はまるで母親のように姫君のお世話をなさいましたので、内情を知らない女房たちは皆、
 「しみじみかたじけないこと……」などと言い合っておりました。

 玉鬘はこのような源氏の君のお振る舞いに、
 「わが身からでた不幸なのでしょうか……。内大臣に娘とお知らせし、世間の娘のように大切にされた上で、源氏の君のご寵愛を受けるのならば、どうして不釣合いと言うことがありましょうか。親子でありながら男女の仲……という、世間に類のない関係こそ、ついには世の語り草となるでしょうに……」と、朝に晩にお悩みになりました。それなのに源氏の君は、
 「このようによそよそしい素振りで、この私をお扱いになるとは……」と大層口惜しくお思いでした。やはり源氏の君には、道ならぬ恋を好むという御癖があるのでしょう。秋好中宮(六条御息所の娘)にすら、折にふれ、ただならぬ想いを訴え申し上げては、中宮の御心を乱しなさいました。けれど高貴なご身分ゆえ力が及ばないのが煩わしいので、それ以上身を入れて口説くようなことはなさいませんでした。しかしこの玉鬘は、お人柄が親しみやすく華やかなので、恋い焦がれる想いを忍びがたく、折々につけて、他人が見たらあらぬ疑いを持たれそうな態度をなさいました。けれど今は、大層反省なさいまして、さすがに思い留まるお二人の仲なのでございました。

 五月五日端午の節句には、源氏の君は馬場の殿においでになり、ついでに玉鬘のところにお渡りになりました。
 「いかがでしたか。兵部卿の宮はご一緒に夜を明かしなさいましたか。あまり親しくなさらないように……やっかいなところもお持ちに方ですよ。女性の心を傷つけたり、過ちをしない男などあまりいないものではありますが……」などと、良くも悪くも言いながらご忠告なさる様子は、尽きせず若々しく美しくお見えになりました。艶々と華やいだ御衣に直衣をさりげなく重ねた色合いも、格別に加わった美しさなのでしょうか。この世の人が染め出した色とも見えず、普通と変わらない直衣の色織模様も、今日は特別目新しく感じられ、香しく焚きしめた香の薫りに、玉鬘は、
 「心悩ます事さえなければ、美しいと思われたに違いないのに……」とお思いになりました。

 兵部卿の宮より御文がありました。白く薄い紙に、味わいのある筆跡で書いてありました。
見た時は素晴らしかったのですけれど、よく見るとそれほどにはたいしたものでもなく……、

   今日さへや 引く人もなき身隠れに おふる菖蒲の根のみ泣かれむ

     (訳)今日でさえ根を引き抜く人もない。水の中に身を隠して生えている菖蒲のように、
        誰も相手にしない私は、声を上げて泣くしかないのでしょうか……

長い菖蒲の根に、その手紙が結びつけてありました。源氏の君は、
 「今日のお返事を……」とお勧めして、ご退出なさいました。女房たちは誰もがお返事するように申しますので、姫はどうお思いになったのでしょうか。

   あらはれて いとど浅くも見ゆるかな 菖蒲もわかず 泣かれける根の

     (訳)水に隠れていた根を表に出してみると、本当に浅いと分かりました。
        菖蒲も分けず泣いている根(貴方の気持)よ

お年に似合わず、子供っぽい歌でございますことよ……」とだけ書いてあったようです。宮は風流好みの御心から、
 「もう少し、筆跡に味があったなら……」と少し物足りなくご覧になったという話です。

 美しく仕上げられた菖蒲(薬草)のくす玉(五月五日に男女が交換する習慣)が、あちらこちらの公達から玉鬘のところに沢山届きました。長い間筑紫で思い沈んでいた頃の名残も今はなく、玉鬘には心緩むことも多くなりましたのに、同じことなら、人が傷つくようなことのないように……」と思っておられました。

 殿は東の御方(花散里)のところもお覗きになって、
 「中将(夕霧)が、今日の左近衛府の競射(くらべ馬)の折に、男達を引き連れて来ると言っていたので、その心づもりでいてください。まだ明るい内に来るに違いない。不思議にこちらでは目立たぬように行う催しも、親王たちが聞きつけてご訪問なさるので、自然と大袈裟になりますので、心遣いなさってください」等と申しなさいました。

 馬場の御殿は、こちらの廊から見渡すほど遠くなく、若い女房たちに、
 「渡殿の戸を開けてその様子をご覧なさい。左近衛府には大層素晴らしい官人が多い時期ですよ。少々の殿上人には劣りません……」と仰いますので、女房達は見物することを、大層興味深く思いました。西の対の御方から女童などが見物にやってきて、廊の戸口に御簾を青々と掛け渡し、当世風の裾濃の御几帳をいくつも立て渡し、その辺りを童や下仕えの女房などが歩き回っています。菖蒲襲の袙、二藍の薄絹の汗袗を着ている童女は西の対の者でしょう。好ましく馴れた四人の下仕えは、楝襲の裾濃(裾の方が濃い色)の裳、撫子の若葉色をした唐衣を着た端午の節句の装いをしておりました。
 東の対の童女は、濃い単衣に撫子襲の汗袗などをゆったり着ておりまして、各々が美しく競い合っている様子は、大層見所がありました。

 若い殿上人などは、女の子達に目をつけて、盛んに気を惹くような態度をしていました。南の町からもここは遙々見通せますので、やはり若い女房たちが見ていたのでございます。女房たちにとって、競技などは訳の分からないことですけれど、舎人(近衛の兵)たちさえ、艶なる装束を着て、夢中になって競技する様子を見るのは、大層興味深いことでありました。

 未の刻(午後二時頃)になり、源氏の君が馬場においでになりますと、なるほど親王達が大勢集まっておられました。宮中の競射とは少し様子が異なっておりますが、近衛の中将や少将たちが連れだって、今風に装って遊び暮らしなさいました。舞楽の「打毬楽」や「落蹲」などを演奏して、勝敗に歓声などを上げて大騒ぎをしているうちに、やがて夜になり、もう何も見えなくなってしまいました。舎人なども禄(褒美)を身分に応じて賜り、夜が更けて、人々は皆、お帰りになりました。

 源氏の君は、今宵はこちらにお泊まりになりました。花散里と世間話などをなさいまして、
 「兵部卿の宮が人より格別に目立って素晴らしくおられました。容貌などは優れてはいませんが、気遣いや態度が教養に溢れ、心惹かれるお方です。こっそりとご覧になりましたか。人は立派だと言いますけれど、玉鬘の婿としてはやはりまだ不足で……」と仰せになりましたが、
 「弟君ながら、大人びてお見えになりました。長い年月、このような行事の折には必ずお渡りになって、親しくなさっていると耳にしています。昔、内裏で少しお逢いしましたが、その後のことは、はっきり分かりません。でも大層ご立派に成長なさいました。師の親王もご立派でいらっしゃいますが、ご様子が少し劣っていて、その他の親王方程度でございました」と仰るので、源氏の君は、
 「一目で見抜きなさったか……」と少し微笑まれて、他の人については、良いとも悪いとも仰いませんでした。

 「右大将でさえ、立派な人と見ているようだが、何ばかりのことであろうか。玉鬘の婿としてみればやはり物足りない……」とお思いなのですが、口に出しては仰いませんでした。

 花散里とは、今はただ普通のご夫婦仲で、寝床なども別々にしてお寝すみになります。
 「どうしてこんなことになったのか……」と、源氏の君は心苦しくお思いでした。花散里はあれこれ僻むようなこともなく、長い年月、このような行事に催される管弦の御遊びなども見には行かずに、その様子を人からお聞きなさいますのに、今日ばかりは、花散里の町の名誉ある事とお感じでございました。

   その駒もすさめぬ草と名にたてる 水際の菖蒲今日や引きつる

     (訳)馬も相手にしないと評判の水際の菖蒲(私)を、
        今日は引き抜いてくださったのでしょうか。

おっとりと申し上げなさいました。歌は何ばかりのこともありませんが、源氏の君は大層いじらしくお思いになりました。

  にほどりの影を並べるわが駒は いつか菖蒲に引き別るべき

     (訳)にほどり(水鳥)の姿を並べる若駒(私)は、
        いつ菖蒲(貴女)と別れることがありましょうか……

気心の分かり合えるお二人の歌といえましょう。

 「いつもは離れていますが、このようにお逢いしますと心安らぎます……」 
源氏の君が冗談を仰いましても、花散里が大らかなお人柄ですので、落ち着いた様子で申しなさいました。浜床(御帳台)を源氏の君にお譲りになり、ご自分は御几帳を隔ててお寝すみになりました。お側近くに寝ることを大層似合わないことと諦めていらっしゃるようで、源氏の君も無理にお誘いもなさいませんでした。

 長雨が例年よりもひどく続き、晴れることもなく退屈なので、御夫人方は絵物語などの遊び事をして、日々暮らしなさいました。明石の上は、特に絵物語などを素晴らしく仕上げなさいまして、明石の姫君に差し上げなさいました。

 西対の玉鬘にとっては、珍しく思える遊び事ですので、一日中物語を写したり読んだりなさいました。この遊びが得意な若い女房などが大勢お仕えしておりましたので、玉鬘は様々に珍しい主人公のことなどを、真か偽りかと言い集め、その中にご自分の身の上のような姫はないか……とご覧になりました。住吉物語(継子姫)の姫君が直面した場面を思い、主計頭が危うく姫を奪うところでは、あの大夫の監の恐ろしさを思い比べなさいました。

 源氏の君もあちらこちらの女君の所に、このような物語が書き散らしてあるのが目につきますので、 「あぁ、困ったことだ。女性こそ人に騙されるために生まれてきたのか……。沢山の物語の中に、真実のことは少ないだろうに、それを知りながら、つまらぬ話に夢中になり騙されなさって、この暑苦しい五月雨の日に、御髪の乱れるのも気にしないで、物語を書き写しなさるとは……」と仰って、お笑いになったりするものの、こうした昔の世の物語でなくては、紛らわしようのないこの退屈な時を、どう心慰めることができましょうか……。
更に、
 「この偽りの物語の中に、本当に心の哀れを感じ、真実のように書き綴ったものもあり、空しい事と知りながらも、愛らしい姫君がむやみに感動している姿を見るのは、大層心惹かれるものです。また絶対にあり得ない事と分かりながらも、大袈裟に誇張して語っているのを読んで感動し、二度目にまた読んだ時には心憎いと思いながらも、ふとまた新しく面白いところが現れることもあるでしょう。最近、幼い姫君(明石の姫君)が、時々女房などに読ませているのを立ち聞けば、うまいことを言う者が世の中にはいるものだ……。根も葉もない嘘をつき馴れた人の口から、物語は作り出されるのだろうと思われますが、そうではありませんか……」と仰いますと、玉鬘は、
 「本当に……。嘘をつき馴れた人が、さまざまに想像するのでしょう。私にはただ真実のことと思わずにいられません」と、硯を押しやりなさいますので、
 「ぶしつけに、物語のことを悪く言ってしまいました。神代より、世にあることを書き記したものだそうです。日本紀などは事実などを、ほんの一部しか伝えていません。物語こそ、道理に近い詳しい事が書かれてあるのでしょう……」とお笑いになりました。
更に、
 「誰それの話といっても、ありのままに物語ることはありません。善いことも悪いことも、この世に生きている姿で、見飽きず聞き流すことの出来ない事や、後世に言い伝えたい事を、心に閉じこめておくことができずに、言い伝え初めたものです。善いように言おうとするあまりに、善いことばかりを選び出して、読者の要望に応えたり、また悪いことであり得ない事ばかりをとり集めて書いているのは、皆、善いも悪いもそれぞれのことで、この世のことなのです。中国の作品は、書き方が変わっているが、同じ大和の国のことなので、昔のものは、今のものとも違うだろうし、深いことや浅いことの区別はありましょう。ただ物語を「作り話」と言い切ってしまうのも、真実の心とは違うことになりましょう。仏教では、誠に立派な心で説き伝えた御法文も、方便ということがあって、さとりなき者には、あちこちで矛盾しているように思われるに違いありません。「方等経」の中に多いのですが、突き詰めれば、同一の主旨ということで、菩提と煩悩との違いは、物語に出てくる人の善し悪し程度の違いに過ぎません。詳しく言えば、すべて何事も無駄でないことは無くなってしまうものなのですね……」と、物語を大層もっともらしいことのようにお話になりました。

 「ところで、このような昔の物語の中に、私のように真面目な愚か者の物語はありませんか。大層よそよそしい姫君でも、貴女のように空とぼけている人はありますまい。さぁ、世にも類なき物語を、二人で作って、世に伝えさせましょう……」と、玉鬘に近づいて申しなさいますので、顔を御着物に引き入れて、
 「そうでなくても、このように珍しい仲は世の噂になるに違いありません……」と申しました。
 「どうして珍しく思われましょうか。本当に心惹かれるのです……」と、寄り添って座りなさいますのは、大層不作法な態度に見えました。

 「昔の例を探してみましたが、親に背いた子の話はありません。親不孝は、仏教でも禁じています」などと仰いましたが、玉鬘は顔ももたげなさいませんので、源氏の君はその御髪を撫でながら、ひどくお恨みのようです。かろうじて玉鬘が、
 「昔の本を探しても、このような仲はありません。この世にこんな親心の人など……」と申し上げなさいますと、源氏の君は心恥ずかしくなられ、それ以上乱れたことはなさいませんでした。このお二人の仲は、これからどうなるのでしょう(草子地)

 紫上も姫君(明石姫君)のご要望のままに、物語を捨てがたくお思いでございました。『くまのの物語』の挿し絵で、小さな姫君が何心もなく昼寝している絵に、ご自分の昔の様子を思い出されて、しみじみとご覧になっておりました。源氏の君は、
 「このような子供同士でさえ、何とませていたことでしょう。私ほど、後の世の語り草になるくらい気の長い人はいないでしょう……」と申し上げなさいました。
 誠にこの君は、世に例のないような恋を好んでなさったのでございます。

 「幼い姫君の御前で、恋物語などを読み聞かせなさらぬように、隠し事をする娘の物語などを読んで、このようなことが世間にはあるようだ……と、馴れてしまわれることこそ困ったことです……」と仰るにつけても、明石の姫君と玉鬘に対するのでは、仰ることに大層な違いがありますので、対の御方(玉鬘)がお聞きになりましたら、お恨みになることでしょう。
紫上は、
 「物語に出てくる浅はかな人の真似などは、側で見ていても辛いものです。『宇津保物語』の藤原の君の娘こそ、とても落ち着いてしっかりした女性ですので、過ちなどは起こらないようですが、何事もはっきり物を言う様子が、女らしくないようにみえるのもやはり辛いことです」と仰いますと、
 「実際の人もそういうもののようです。一人前に各々の考え方を異にして加減を知りません。善いところのない親が、心尽くして育てた娘が、おおらかであることだけが唯一の取柄で、他は劣ったところばかりなのは、一体どんな風にして育ててきたのか……と、親の育て方さえ思いやられ、気の毒なことです。なるほどそうは言っても、その娘が身分相応に見えるのは、誠に育て甲斐のあることで、親も得意であろうよ……。言葉の限りに眩いほどに誉めて育てていたのに、することや口に出した事の中に「なるほど……」と思えるところがないのは、大変見劣りのするものです。すべてのつまらぬ人には、娘を誉めさせたくないものです……」と、ただこの姫君が非難されることのないように……と諸々お考えになりました。継母の意地悪な昔の物語も多いので、
 「内心はこんなもの……」と姫君が気付くとしたらそれは、紫上にとって悲しい事とお思いになって、物語を厳選しては書き整えさせ、挿絵なども特別に描かせなさいました。

 源氏の君は、中将の君(夕霧)をこちらの紫上方に近づけないようになさいましたが、姫君の御方にはそれほど遠ざけることもなく、親しくさせなさいました。

 「私が生きているうちは、どちらでもいいことなのだが、その後の長い世を思うと、やはり馴染んでおいた方が、親わしく思われることだろう……」と、南面の姫君の御簾の内に入ることさえお許しになりました。けれども台盤所(紫上の女房の控室)の中はお許しなさいません。源氏の君にとっては、多数はいらっしゃらない御子(夕霧と明石姫君の二人だけ)ですので、大層大切にお育てなさいました。

 夕霧はご性格などもとても慎重で真面目ですので、安心して姫君をお任せになりました。ご一緒に幼い御人形遊びなどをなさいますと、昔、雲居の雁と一緒に遊び過ごした年月が思い出されますので、時折は涙ぐんでしまわれました。お相手として恥ずかしくない程度の女性の中には、軽い気持ちで言い寄りなさる人は多くおりましたが、女の方から望みをかけてくるようにはしむけなさいません。相手にしてもよしと思える女性にも、強いていい加減な事のように装って、
 「やはり、あの緑の袖(身分の低い夕霧が着ていた御衣の色)を馬鹿にされた事(少女の巻)を、見返してやりたいものだ……」という気持ちだけが、高貴な御心には今も留まっているのでございました。無理にでも雲居の雁につきまとい等すれば、根負けして、内大臣は結婚をお許しになったかもしれないけれど、
 「辛いと思った折々、どうやって内大臣のご理解をいただこうか……」と恋しく思っていたことが忘れられないので、せめて雲居の雁だけには、心尽くして愛情の限りを表し、表向きには、思い焦がれている様子はお見せになりませんでした。雲居の雁の兄君たちのことさえも、憎らしく思うことが多くありました。

 右中将(柏木)は、玉鬘をたいそう深く思い焦がれていましたが、言い寄る伝手も頼りないので、この夕霧に頼み込んできました。けれど、
 「他人の事となると、面倒なこと……」と、大層つれなく応えておられました。それは昔の父大臣(源氏の君と頭中将)の御仲に似ておりました。

 内大臣には御子たちが大勢おられますが、その母方の御家柄の良さや、そのご性格に応じて、思うままにその御威勢にのって、どの御子も皆、ご立派に引き立てなさいました。女の御子は多くはいらっしゃいませんが、女御(弘徽殿)には、思っていた立后のことも滞ってしまいました。雲居の雁さえも、思惑と違う様になりましたので大層残念にお思いでした。

 昔のあの撫子(夕顔との間に生まれた御子)のことを、今もお忘れにならず、何かの折に語り出しなさいました。
 「どうなったのだろう……。頼りない親の心に従って、愛らしかった娘を行方知れずにしてしまった。大体女の子と言うものは、どうして、どうして、目を離してはいけないものだ。勝手に自分の子と名乗っては、粗末な様子でさまよっているのだろうか。どんな様子でも消息を知りたいものだ……」と、哀れに思い続けておられました。
内大臣のご子息の君達に、
 「もし、そのように名乗りをする娘があったら、聞き留めなさい。若い頃の遊び心にまかせて、けしからぬ事も多くあった中に、あの夕顔は、並の女君とは思えぬほどの女性で、儚い嫉妬などをして、このように少ない女の子を失ってしまったことは、何と口惜しきことよ……」と、常々口惜しく仰いました。以前はそれほどでもなく、お忘れになっていた頃もありましたが、他の人が様々につけて、女の子を大切に育てておられる様子などをご覧になり、ご自分の思い通りにいかないことを、大層辛く不本意にお思いでした。

 ある日、夢をご覧になりました。早速大層評判の占者をお呼びになり、この夢を占わせなさいましたところ、
 「長い年月、貴方の御心に知られることのなかった御子が、他人の子としてお育ちでございます事を、お気づきでしょうか……」と申しました。
 「女の子が、他人の養女になることは滅多にないこと。どんなことだろうか……」と、この頃は、しみじみと思い出しておられました。

 ( 終 )

源氏物語ー蛍(第二十五帖)
平成十七年春 WAKOGENJI(文・絵)

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