源氏物語「篝火」(かがりび)第27帖 (源氏の君36歳、玉鬘22歳、夕霧15歳の頃の物語) |
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この頃、世間の噂に、内大臣の新しい姫君(近江の君)のことが、何かにつけて話題になっておりました。源氏の君がこれをお聞きになりまして、 「ともあれ、世間の目に留まることもなく篭もっていた女子を、どんな愚かな口実があろうとも、あれほど大袈裟に引き取ったうえ、弘徽殿の女御のところに出仕させて、嫌な噂をたてられたりするのは、納得がいかない話です。大層きちんと物事にけじめをつけるご性格の過ぎるあまりに、深い事情を調べもしないで姫君を捜し出して、自分が気に入らないので、このように体裁の悪い扱いになるのだろう。何事も世の中のこと万事が、その扱い方ひとつで、穏やかになるものなのだが…」と、大層気の毒がっておられました。 このような噂があるにつけても、対の姫君(玉鬘)は、 右近(夕顔の侍女)も、このことについて日頃から、とてもよくお教え申し上げておりましたので、源氏の君には嫌な恋慕の御心があるものの、そうかといって、御心のままに無理強いすることは決してなさらず、ただ深い愛情ばかりが増しますので、玉鬘もだんだん懐いて打ち解けなさいました。 秋になりました。初風が涼しく吹き出して、何となくもの寂しい心地がなさいますので、源氏の君は耐えきれずに、しばしば玉鬘のところにお渡りになり、一日中ご一緒にお過ごしになり、御琴などをお教えなさいました。 五、六日の夕月夜は早くに沈み少し雲に隠れていく様子、荻の葉をさやさやと揺らす音も、しみじみ心深く聞こえる頃になりました。源氏の君はお琴を枕にして、玉鬘とご一緒に添い寝をしていらっしゃいました。 「このように先に進まない仲があろうか……」と、溜息がちに夜更しなさりながら、女房が咎めるだろうかと気遣いなさいまして、春の部屋に戻ろうとなさいました。 源氏の君は帰りがたく、躊躇っておられました。 篝火に たちそふ恋の煙こそ 世にはたえせぬ炎なりけれ (訳)篝火に立ち添って昇る恋の煙は、この世に消えることのない私の炎なのです いつまで待てと仰るのですしょうか……くすぶる煙ではないけれど、苦しく燃えています……」と申しなさいました。玉鬘は「奇妙な様子……」とお思いになって、 行方なき空にけちてよ 篝火のたよりにたくふ煙とならば (訳)行方のない空に消してください。篝火と同じように昇る煙ならば…… 世間の人が変だと思うでしょう……」と困った様子で仰いました。 「それでは……」とご退出なさいますと、東の対の方から美しい笛の音が聞こえてきました。笙に吹き合わせているようです。 「美しい笛の音が、風音は秋になった……と伝えているようだ。我慢できずに……」と、御琴を引き寄せて、うっとりする音色でお弾きになりました。源中将(夕霧)は、盤渉調(短調)にて大変もの悲しく吹きました。頭中将(柏木)は心遣いして謡い出しにくそうにしているので、「遅い」と促して、弁少将が笏で拍子を打ち、小声で謡い初めたその声は鈴虫と間違えるほどでした。二度繰り返し謡わせなさいまして、御琴を中将の君(柏木)にお譲りになりました。誠にあの父大臣(内大臣)の琴の音に少しも劣らず、華やかに素晴らしいものでした。 「御簾の中に、楽の音の分かる人がいらっしゃるようだ。今宵は盃など気遣いをしよう。盛りを過ぎた者が、酔い泣きのついでに『姫君を想っている……』と口をすべらすかもしれない……」と仰いますので、姫君もしみじみと胸のつまる思いでお聞きになりました。 絶えることのない姉弟の縁は疎かではないからでしょうか。玉鬘はこの公達を人知れず心に留めておられましたが、血縁などとは、決して思いもよらないことですので、この中将(柏木)は心の限りを尽くして玉鬘を想い、このような機会などには、気持ちを抑え切れそうにない心地で、一心に平静を装っておられました。気を許して御琴を引き続けることなど到底できませんでした。 ( 終 ) 源氏物語ー篝火(第二十七帖) |