(光源氏37歳 紫上29歳 玉鬘23歳 夕霧16歳 の頃の物語) |
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尚侍として宮仕えなさることを、誰もがお勧めになりますけれど、玉鬘ご自身は、 「どんなものだろう……。親と思い申し上げる人(源氏の君)の御心さえ、気を許すことのできない世の中で、ましてそのような宮仕えをして、思いもよらず不都合なことが起きて、秋好中宮や女御(弘徽殿)が私に遠慮なさるような気持をお持ちになったなら、迷惑な宮仕えになるでしょう。 わが身はこのように頼りない状態で、源氏の君にも内大臣にも、娘として深く認めていただくには、まだ間もないことですし、世間からも親子の縁が浅いように思われていますので、この宮仕えを異様に想像しては噂し、何とかして、世間の笑いものにしてしまおうと呪っている人々も多くいますので、何かにつけて心安からぬことばかり起こるに違いない……」等と、分別の分からない年齢でもないので、様々に思い乱れては、人知れず嘆いていらっしゃいました。 「そうは言っても、このように源氏の君のもとで暮らすのも悪くはないけれど、この大臣(源氏の君)の愛情が煩わしく、その気になれないので、どのような機会に源氏のもとを離れて、世間の人が想像している関係について、潔白を通すことが出来ましょうか……。実の父大臣も源氏の君のご意向に遠慮しておられますので、意のままに引き取って、実の娘として扱って下さることはないのだから、どちらにしても見苦しいことになり、両天秤にかけた好色者のような立場で心悩ませたまま、世間の人から噂される運命なのだろう……」と、かえって実の父親を尋ねて後は、特に誰に遠慮なさる様子もない源氏の君の御扱いを加えながらも、嘆いておいでになりました。 玉鬘には、悩み事を全部でなくその一部だけでも、こっそり仄めかすことのできる母親さえもおられず、どちらの父親も気後れするほどご立派なご様子では、何事をあれこれご相談申し上げて、理解していただけましょうか……。世間の人とは違うわが身の上で、物思いに耽りながら、夕暮れの空のしみじみした様子を、端近くで眺めていらっしゃるお姿は大層美しいものでした。 亡くなられた大宮の服喪のため、玉鬘は薄い鈍色の御喪服を優しい感じにお召しになっておりました。いつもとは違った色合いに、その容姿が大層華やかに引き立って見えますのを、御前にお仕えする女房たちが微笑んで拝見している所に、宰相の中将(夕霧)がおいでになりました。同じ色の少し濃い目の直衣に、冠の纓 を巻いたお姿で、また大層優雅で美しくおられました。玉鬘が六条院に迎えられた初めから、姉上として真面目に心を寄せておられましたので、他人行儀な態度はなさらなかった習慣から、今も姉弟でなかったからといって、急に態度を改めるのも嫌なので、やはり御簾に几帳 を添えてのご対面は、取り次ぎの女房を介することなしで、直接にお逢いになりました。殿(源氏の君)のご伝言で、内裏の言葉をそのまま承って、伝えに来られたのでございました。 玉鬘のお返事はおっとりと大層感じがよく、何か申されます様子がとても優雅で、情細やかな親しみのあるにつけても、あの野分の朝に、ふと見てしまった玉鬘の寝起きの顔が、心に残って恋しく思われました。源氏の君とのお戯れを「嫌なこと……」と思ったこともありましたが、実の姉弟でないと知った後には、やはり恋心も加わって、 「この宮仕えをなさっても、父君は普通のことでは、玉鬘をお放しにはならないだろう。あれほど見所のある御夫人方の中でも、特に美しいご容貌でいらっしゃるので、煩わしいことが必ず出てくることだろう……」と思うと、胸の潰れる思いがしましたけれど、素知らぬ風を装って、 空消息(嘘の伝言)を、源氏の君からの伝言のように、もっともらしく続けて申し上げなさいました。帝の御愛情がただならぬようなので、ご注意なさい……というようなことでございました。 玉鬘はお返事の仕様もなくて、そっと溜息をついていらっしゃいましたが、忍びやかに可愛らしく、とても親しみのある感じなので、夕霧はやはり我慢できずに、 「この月には御服喪もお脱ぎになるのですが、お日柄が佳くありませんでした。十三日には除服のお祓えをするために、賀茂の河原にお出でなさるように……と仰せでございました。私もお供を致したいと存じます」と申し上げました。 中将(夕霧)も、 このような機会にと思っていたのでしょうか。持って来られた蘭(藤袴)のとても美しい花を、御簾の手前から差し入れて、 同じ野の露にやつるる藤袴 あはれはかけよ かごとばかりも (訳)同じ野の露に濡れ、萎れている 藤袴です。ほんの少しでも、優しい 言葉をかけてください。 道の果てにある……」 玉鬘はとても疎ましく思えましたけれど、知らぬ素振りで、そっと奥に引き下がり、 訪ぬるに遙けき野辺の露ならば 薄紫やかごとならまし (訳)訪ねてみて遙か遠い野辺の露ならば、薄紫の縁とは口実でしょう…… 深い縁などありましょうか……」と仰いました。夕霧は少し微笑まれ、 「浅くも深くも、きっとお分かりになることがあろうかと存じます。畏れ多い宮仕えをなさることを存じながら、抑えることができない私の想いを、どのようにお分かりいただけましょうか。かえって私を疎ましくお思いになるだろうと思いますと辛いことですので、大層心に込めて耐えておりましたが、今となっては同じ事と思い余って申し上げたのです。頭中将(柏木)のお気持ちはご存知でしたか……。他人事のように、どうして思っていたのでしょう。自分の身になってみて、大層愚かなことがよく分かりました。柏木は実の姉弟と分かってからは、かえって落ち着いて、これから先は、お側を離れることはあるまい……と頼みにし、心慰めている様子を拝見しますと、大層羨ましく妬ましく思われます。せめてこの私をお気の毒……とでも、心に留めておいてください」などと、細々と申し上げなさることが多く、大層聞き辛いことですので、これ以上は書かないのでございます(草子地) だんだんと奥にひき退く玉鬘には、夕霧を煩わしくお思いのご様子が窺えますので、 「言わないでもよいことを言ってしまった……」と残念に思うにつけても、あの野分の日、玉鬘よりも今少し心に染みて美しく見えた紫上のお姿を思い出し、何かの機会に、この程度の物越しでもよいからお逢いして、御声だけでも聞くことができようか……」と、穏やかならぬことをお考えでございました。 殿の御前に参上なさいますと、源氏の君がお出ましなさいました。玉鬘のお返事などを報告申し上げなさいました。 「それにしても、玉鬘のお人柄は、どちらの方とご一緒になってもお似合いでしょう。中宮がこのように並ぶ者もない地位でおいでになりますし、弘徽殿の女御も高貴なご身分でご寵愛も格別でおられますので、玉鬘がどんなに帝の愛情を受けても、立ち並ぶのは難しいことでございましょう。 「玉鬘の人柄は宮の夫人として大層相応しいでしょう。今風でとても優雅が感じがして、それでいて聡明で、間違いなどしそうになく、お二人の仲もうまくいくでしょう。そしてまた、宮仕えにでるとしても、何不足ないことでしょう。ご容貌もよく、可愛らしいところのある方で、尚侍としての公事にも不安がなく、てきぱきと処理して、帝がいつも望んでおられる御心には、違うことはないだろう……」などと仰るその真意が知りたいので、 「内々(六条院)にも、長い年月、高貴な御夫人方が大勢おいでになりますので、妻の一人として玉鬘を数の中に入れることはお出来にならないので、半ば捨てるお気持ちで、このように譲ることにして、普通の宮仕えをさせて、閉じ込めておこうとお考えになるのは、大層賢明で利口なやり方だと、感謝申されていた…と、ある人が私に話してくれました」と、ひどく改まった様子でお話し申し上げますと、 御喪服をお脱ぎになりまして、 中将(夕霧)も、言わなければよい事を口に出したために、 頭中将は心を尽くして恋い焦がれていましたのに、表面的な御心だったのかと、女房たちが面白がっていますところに、父・内大臣のお遣いとしておいでになりました。やはり表には出さず、こっそりとお手紙などを交わしなさいましたので、今夜は月の明るい夜で躊躇われるのか、桂の木の陰に隠れて立っておられました。今まで玉鬘は手紙を見たりすることもなかったのですが、その名残もなく、南の御簾の前にお通し申し上げました。玉鬘ご自身が直接お話し申し上げることは、やはり遠慮されますので、宰相の君(女房)を介してお答えなさいました。 柏木は、 「ご気分が優れぬようですので、御几帳の傍まで入らせて下さいませんか。まぁ、よろしうございます。このようなことを申し上げるとは気の利かないことで……」と言って、大臣のご伝言などをこっそり申し上げなさるご様子は、誰にも劣ることなく大層ご立派でございました。 ご出仕なさる日取りを詳しく聞くことができないので、内々にご仰って下さるのがよいでしょう。父君は何事も人目を憚って参上することが出来ず、直に相談申し上げられない事を、かえって気がかりに思っておられます……」などと、お話し申し上げるついでに、 「いやはや、姉弟と分かってからは、馬鹿馬鹿しいことも申し上げられません。どちらにしても、私の真心に対して知らぬ振りをなさってよいものか……と、ますます恨めしさが募ります。まずは今夜のこのお扱いぶり……。もっとも奥まった北向きの部屋に招き入れて下さって……君達(宰相の君)は私を嫌だとお思いでしょうけれど、せめて下仕えの身分の女房たちとお話ぐらいはしたいものです。他ではこのようなお扱いはなさるまい……。様々に不思議な間柄ですね……」と、首を傾けながら恨み言を言い続けるのも面白いので、宰相の君はこの様子を玉鬘に申し上げました。 妹背山 深き道をは訪ねすて をたえのはしに踏み惑ひける (訳)姉弟ともしらずに、遂げられない恋の道に踏み迷っておりました。 と、恨むのも人のせいではなく自らがしたことで…… 惑ひける道をばしらで妹背山 たどたどしくぞ たれもふみみし (訳)貴女が私を想って心惑っていらしたことをしりませんでした。何やら分からずに 「どういう意味の御文が、お分かりにならなかったようでした。何事も必要以上にまで世間に遠慮しておられるようですので、お返事をなされないのでしょう。今後は自ずからこのような状態ばかりではないでしょう」と申し上げると、それも尤もなことなので、柏木は、 月が明るくさして空の様子も美しく、大層あでやかに美しいご容貌でおられる御直衣姿は、華やかで大層立派でございました。宰相中将(夕霧)のご様子やお姿には並ぶことはないけれど、柏木中将もご立派に見えますので、若い女房たちは、 鬚黒大将は、この中将(柏木)と同じ右近衛府の次官なので、いつも呼び寄せては、熱心に相談しては、内大臣に玉鬘への想いを申し上げさせておられました。この大将は人柄も大層よく、朝廷の御貢献となるはずの候補者なので、内大臣は玉鬘の婿として、何の不足があろうかとお思いであるものの、源氏の大臣がこの出仕をお決めになったことには、どうして反対申すことができようか。然るべき理由があるのだろう……」と心得なさって、源氏の君に全てお任せ申し上げておられました。 「あちらの内大臣も、鬚黒大将は全く問題外だとお考えで、玉鬘は宮仕えを気が進まないと思っていらっしゃるらしい……」等とお思いでした。大将は然るべき事情に詳しい伝手があるので、内々の事情を漏れ聞いて、 九月になりました。初霜が降りて風情のある朝に、玉鬘はいつものように、それぞれのお世話役(女房)たちが、隠しながら持ってくる御手紙などをご覧になることもなく、取り次ぎの女房がお読み申し上げるものだけをお聞きになりました。鬚黒大将殿の御文には、 兵部卿宮は、 せめてこの気持ちをお分かり頂ければ、心の慰めになることでしょう……」とあって、大層窶れた下折れの笹を、霜も落とさず持って参上した使者までもが、手紙に相応しく窶れた感じがしました。 兵部卿宮のご子息・左兵衛督 は、紫上の異母兄妹でございました。親しく参上などなさる君なので、自然とよく事情なども聞いて、とても落胆している様子でした。ひどく恨み言を並べたてて、 忘れなむと思ふもものの悲しきを いかさまにしていかさまにせむ 紙の色、墨の継ぎ具合、焚きしめた香の薫りも、それぞれに素晴らしいので、女房たちも皆、 玉鬘はどうお思いになったのか、兵部卿宮へのご返事だけを、ただわずかばかり…… 心もて光に向かふあふひたに 朝置く霜をおのれやはけつ 薄墨で書いてあるお手紙を、兵部卿宮は珍しげにご覧になって、玉鬘ご自身が宮の愛情を感じていらっしゃるご様子が窺えますので、ほんの少しの御文ですけれど、大層嬉しくお思いになりました。
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