やさしい現代語訳

源氏物語「梅が枝」(うめがえ)第32帖


(源氏の君35歳 玉鬘21歳 紫上27歳の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 
 

明石姫君の御裳着の準備のために、源氏の君のお心遣いは並一通りではありません。

 春宮も同じ二月に御元服をなさいますので、引き続いてこの姫君の御入内もあるのでしょうか。

 正月も末になり、行事なども終わりましたので、公私ともにのんびりとした頃、源氏の君は薫物合わせをなさいました。大宰大弐が献上した香などをご覧になり、やはり昔の香には劣っていようか……とお思いになって、二条院の御倉を開けさせ、唐の品々を六条院に運ばせて比較をなさいました。

「錦、綾なども、やはり古い物こそ心惹かれ、品質も優れているようだ……」と仰って、間近に迫った姫君の御入内の折に持たせる御道具類の覆いや敷物、座布団などの端々にと、故院の御代の初め頃、高麗人が献上した綾や緋金綿、今の世の物とは比べものにならないほど優れた物など様々に、その用途に合ったものを選び、鑑定させなさいました。この度、大弐の献上した綾織りの羅などは、女房たちにお与えになりました。

 香などを、昔のものと今のものとを取り揃えて、御夫人方に配らせなさいまして、
「二種類づつ、調合なさってください……」と申しなさいました。六条院では、入内の当日参列する上達部への贈り物や禄等のために、世に又とないほどに素晴らしいものを、忙しくご用意なさるのに加えて、ご夫人方がそれぞれに香などを選び整えておられますので、香を鉄臼でひく音が、やかましく聞こえるこの頃でございました。

 源氏の大臣は寝殿に離れておられまして、承和の帝が男子に伝えることを禁じた二つの調合方法を、源氏の君はどうしてお聞き伝えなさったのか、熱心に調合なさいました。

 紫上は東の対の放出(家具などをしまっておく所)に、御調度類を幾重にも立てて、奥の方で調合をおさせになりました。八条の式部卿(薫物調合の名人)の調合法を伝えて、お互いに競って調合なさっている間、大層秘密にしていらっしゃいますので、大臣は、
「匂いの深さ浅さも勝負の判定としよう……」と仰いました。人の子の親ともあろうものが、大層な競争心をお持ちのようでございました。

 源氏の君と紫上のどちらの御前にもお仕えする女房は、多くおりませんでした。善美を尽くした御調度類の中に、いくつもの香壺がありました。その御箱の作り具合・壺の姿・火取(香炉)の意匠も珍しい形で、今風に趣向を変えた香壺の中に、あちこちの御夫人たちが心尽くして調合なさった優れた香を嗅ぎ比べて、入れようとお考えでございました。

 二月の十日、雨が少し降り、御前近くの紅梅は花盛りで、色も香も他に似る物がないほど素晴らしい頃に、兵部卿宮(源氏の弟)がお渡りになりました。御裳着の準備が今日明日に迫りましたので、ご訪問をなさいました。昔から特に御仲がよろしいので、心隔てなくあれこれご相談なさいました。 

紅梅の花を賞美なさっておられますところ、前斎院(朝顔の姫君)よりと言って、散りすぎた梅の枝に付けた御文を持って参りました。宮は、お聞きになっていたこともありますので、
「どんなお手紙が、向こうから参ったのでしょう……」と、興味深くお思いになっている様子なので、源氏の君は微笑みなさって、
「大層無遠慮なお願いを申し上げたところ、几帳面に急いでして下さったのでしょう……」と仰って、御文の方はお隠しになりました。沈の箱に瑠璃の香壺を二つ置いて、大きく丸めてお入れになっていました。心葉(箱に付ける梅や松などの枝)は紺瑠璃の方には五葉の松の枝を、白いものには梅の一枝を付けて、同じように引き結んだ糸の様子も優美でゆるやかにお作りになっていました。
「優雅な感じですね……」と仰って、目を留めなさいますと、

   花の香は 散りにし枝に留まらねど 移らん袖に浅くしまめや

     (訳)花の香は散ってしまった枝には留まらないように、薫物の香りも
         美しい明石の姫君のお袖には深く染みこむことでしょう

 薄墨で微かに書かれているのをご覧になりまして、蛍兵部卿の宮は大袈裟にお謡いになりました。宰相の中将(夕霧)は前斎院の遣者をひき留めて、しきりに酒を勧めて酔わせなさいました。紅梅襲の唐の細長を添えた女の装束を、この遣者にご褒美として与えなさいました。お返事には同じ色の紙で、御前の紅梅の花を折らせて、結び付けなさいました。
蛍兵部卿の宮は、
「どんな内容か気になる御文です。何事か隠し事があるのだろうか。深く隠しなさっているが……」とお恨みになり、大層知りたいとお思いでした。
「何事でもありません。隠し事があるかのようにお思いになることこそ、辛いことです」と仰って、
御文をお書きになるついでに、

   花の枝にいとど心を染むるかな 人の咎めん香をば包めと

     (訳)花の枝に大層心惹かれます。人が咎める香を隠しているのですが……

「真面目に考えると、薫合わせをするのは物好きのようだけれど、二人といない娘のことですから、これこそは親として当然な行為であろうと思います。姫は見映えもよくないので、親しくない人にはきまりが悪いので、中宮が退出なさった後、裳着の腰結役をして頂こうと存じております。秋好中宮は親しい間柄ゆえ、慣れ申し上げていますが、気詰まりのところが深くおありの高貴な宮ですので、何事も世間並みの有様でお見せ申すのは、畏れ多いことですので……」等と申し上げなさいました。
「あやかるためにも、必ずお考えになるはずのことでしたね……」と申されました。

 この機会に、御夫人方のところにそれぞれお遣いをお出しになり、
「この夕暮れの雨の湿りのある時に、調合された薫物を試してみよう」と申しなさいましたので、ご婦人方はそれぞれに趣向をこらして差し出しなさいました。
源氏の君は、宮に、
「これらをご判定ください。貴方でなくて誰に判定出来ましょう……」と、御火取(香炉)を持ってこさせてお試しになりました。

「私は知る人というほどではありませんが……」と謙遜なさいましたが、言いようもないほど素晴らしい香の中で、優れたものや劣るものの一種などに、いささかの欠点を識別なさいまして、強いて優劣の区別をおつけになりました。あのご自分の二種の香は、今、取り出させなさいました。昔の承和の頃の習わしによると、右近の陣(右近衛府の詰所)の御溝水(御殿の周りの溝を流れる水)のほとりに香を埋めていたことになずらえて、源氏の君は寝殿の西の渡戸の下を流れる遣り水の近くに香を埋めておられましたので、惟光宰相の子・兵衛尉が掘り出して持って参上しました。宰相中将がこれを受け取って、源氏の君にお手渡しなさいました。宮は、
「大層辛い判者に当たったものです。とても難しく辛いことです……」と大層ご苦労なさいました。同じものはどこにも広がっているようですが、それぞれのお考えで調合した香りの深さ浅さを嗅ぎ分けなさいますと、とても興味深いものが多くありました。いずれと優劣をつけ難い中に、前斎院(朝顔)の御黒方は奥ゆかしく、しっとり落ち着いた匂いが格別でした。侍従(香)は源氏の君が調合なさった御香が一番優雅で親しみがあると判定なさいました。

 対の上(紫上)の御香は、三種ある中でも梅花の香が華やかで今風で、少し鋭い工夫が添えられ、珍しい香りが加わっていました。源氏の君は、
「今頃の春風に薫らせるには、これに勝る匂いはないだろう……」とお誉めになりました。

 夏の御方(花散里)は「各々のご婦人方が思い思いに競いなさっていますので、
「数多くの香を差し出すのは控えましょう……」と、控えめなご性格ですので、荷葉(蓮の香)をただ一種調合なさいました。様変わりして、しっとりした香りで、しみじみ心惹かれるものでした。

 冬の御方(明石の上)は「季節に相応しい香は決まっているのだから、負けるのもつまらないこと……」とお考えになって、薫衣香の調合法の優れたものとして朱雀院のものを学びなさって、源公忠(薫物合の名人)朝臣が特別にお選び申した百歩の方などを参考にした調合法を思いついて調合なさいました。世間にない優雅さを調合したそのお考えが優れている……」と、どれも悪い所がないように判定なさいました。
源氏の君は、
「はっきりしない判者ですね……」と申しなさいました。

 月が差し出しましたので、御酒などお召し上がりになって、昔の御物語などなさいました。霞んでいる月影が大層奥ゆかしく思える頃、雨の名残の風が少し吹いて、梅の花の香りが優しく薫る中で、御殿の辺りは言いようもなく素晴らしい香りに満ち、皆の気持ちは大層優雅にうっとりしていました。

 六条院の蔵人所の方には、明日の儀式の管弦の遊びの試演のため、殿上人などが大勢参上して御琴などの支度をしていましたので、辺りには美しい笛の音などが聞こえていました。

 内の大殿(内大臣)の息子・頭中将や弁少将などが参上なさいますと、ご挨拶だけで退出するのを呼び止めさせなさって、御琴などをお取り寄せになりました。宮の御前には琵琶、大臣に箏の琴を差し上げて、頭中将には和琴を賜り、華やかに掻き鳴らしなさいます音色は、父大臣に劣らず、大層美しく聞こえました。宰相中将(夕霧)は横笛をお吹きになりました。季節に合った調べを、雲居に通るばかりにお吹きになりました。弁少将は拍子をとって「梅が枝」を謡いだし、それは大層素晴らしいものでした。この君は子供の頃、韻塞ぎの折に「高砂」を謡った童でありました。宮も大臣もご一緒にお謡いになって、仰々しくはない趣きのある夜の管弦の御遊びになりました。

 御盃を源氏の君に差し出す時に、蛍兵部卿の宮は、

   うぐひすの声にやいとどあくがれん 心しめつる花のあたりに

     (訳)鶯の声にますます心が離れてしまいます。心惹かれた花の側では

 このまま千年も過ごしてしまいそうです」とお詠いなさいますと、

   色も香も移るばかりにこの春は 花咲く宿をかれずもあらむ

     (訳)梅の花の色も香りも貴方に染みるほどに、この春は花咲くこの家を離れないでほしい……

 頭中将に杯をお授けなさると、それを受けて宰相中将に廻しました。

   うぐひすのねぐらの枝もなびくまで なを吹き通せ夜半の笛たけ

     (訳)鶯のねぐらの枝も撓むほどに、夜通し笛を吹いてもいいものだろうか……

 宰相中将は、

   心ありて風のよくめる花の木に とりあへぬまで吹きやよるべき

     (訳)風が気遣って散らさないように避けて通る花盛りの梅の木に、むやみに吹き寄るべきでしょうか

風情のないことです……」と言いますと、皆、お笑いになりました。弁少将は、


   かすみだに月と花とをへだてずば ねぐらの鳥もほころびなまし

     (訳)霞さえ月と花とを隔てなければ、ねぐらの鳥も鳴き出すことでしょう

 本当に明け方近くなってから、宮はお帰りになりました。宮への贈物として、源氏の君ご自身の御料の直衣一揃に、手をつけておられない薫物二壺を添えて、御車まで届けさせなさいました。

 宮は、

   花の香をえならぬ袖にうつしもて ことあやまりといもやとがめん

     (訳)この花の香りを素晴らしい袖に移して帰ったら、女性との過ちがあったのかと、妻が咎めるでしょう……

と言うので、「大層気弱なことですね……」とお笑いになりました。御車の柄を牛に掛ける頃、追いついて、

    めずらしとふるさと人もまちそ見ん 花の錦を着て帰る君

     (訳)珍しいと家の人も待ち受けて見ましょう。この花の錦を着て帰る貴方を……

またとない事とお思いでしょう……」と仰るので、宮はとても辛くお思いになりました。兵部卿以下の公達にも大袈裟にならぬようにして、細長や小袿などをお与えになりました。

 こうして六条院の西の大殿に、戌の刻になって、明石の姫君がお渡りになりました。秋好中宮のおられます西の放出に、裳着の儀式の場を設えて、御髪上げ役の尚侍なども、やがてこちらにおいでになりました。紫上もこの機会に中宮にご対面なさいました。御方々の女房たちも一緒に来ているので、数えきれないほどがお仕えしておりました。

 子の刻に明石の姫君は御裳をお召しになりました。大殿油(灯火)はほのかですが、姫君のお姿は素晴らしいとご覧になりました。大臣は、
「お見捨てにはならないという事を頼りに、失礼な姿(裳をつけない童女姿)をも進んででご覧にいれました。後世の例になろうかと、心狭い親心から考えております」 と申し上げなさいました。

中宮は、
「どのような事とも弁えず致しましたのに、このように大袈裟に取りなされることに、かえって気が引けてしまいます……」と、何事でもないように仰るご様子は、とても若々しく愛嬌がありました。源氏の君は思い通りに美しい方々がご一緒に集っておいでになり、お互いの間柄も誠に素晴らしい とお思いになりました。

 母君(明石の上)がこのような折でさえ、姫君の晴れ姿を見ることが出来ずに、非常に悲しく思っておられるに違いないことを、源氏の君はとても心苦しくお思いになり、この儀式に参上させようかとお思いになりましたけれど、人の陰口を気になさって見送りなさいました。

 このような御邸での儀式は高貴な方々の行事が多く面倒なので、一部だけでもまとまりなくお伝えするのは良くないかと思いますので、細かくは書きません(草子地)

 春宮の御元服は、二十日過ぎに行われました。春宮はとても大人びておられますので、名門の人々は競って、自分の娘を入内させることを願っておられました。けれども、この源氏の大臣が明石の姫君の入内を強く望んでおられますので、かえって明石の姫君に圧倒されるような宮仕えなら しないほうがよいと、左大臣や左大将などが思い留まるという話をお聞きになって、
「全く不都合なことだ。宮仕えというのは、大勢の姫君がいる中で、少しの優劣の差を競うのが本来の姿だろう。多くの優れた姫君たちが、家にひき籠められたなら、全く見映えのしないことになるだろう……」と仰って、明石の姫君の御入内が延期になりました。

 次々に遠慮して、入内を控えておられた方々は、源氏の君が延期を決めた事情をお聞きになり、まず左大臣殿の三の君が入内なさいまして、麗景殿の女御となられました。この御方は昔の御宿直所の淑景舎を改装して お入りになりました。

 明石の姫君の御入内が延期され、東宮も待ち遠しくお思いでしたので、源氏の君は「四月に…」 とお決めになりました。 御調度類も 元からある物に更に手を加え、源氏の君ご自身で御道具類の雛型や図案などをご覧になりながら、その専門家たちを呼び集めて、細やかに磨いて作らせなさいました。

 御箱に入れるべき冊子類では、そのまま習字の手本にすることができるものをお選びになりました。源氏の君の手元には、昔のこの上ない名筆家たちが後世に残した書や、書家でない人のものなどが、大層多く所蔵してありました。

「あらゆる事が 昔に比べて劣って浅くなってゆく末世であるけれど、仮名だけは、今の世に際限なく発達したものである。昔の字は筆跡が定まっているようだけれど、ゆったりした感じがあまりなくて、どれも似通った書法です。巧妙で素晴らしいものは、近年になって書ける人が沢山出てきました。けれど、私が平仮名を習っていた頃に、特に欠点のない手本を数多く集めていた中では、秋好中宮の母・御息所が何気なく走り書きなさった一行ほどの筆跡を手に入れて、格別に優れていると感じました。
その後、あってはならない浮き名を立て、御息所はそれを残念なことと思い詰めておられましたが、私はそれほど薄情ではないのです。思慮深い方でしたので、今、私が、中宮をこのように厚くご後見申していることを、見直して下さっていることでしょう。
 中宮の筆跡は細やかに趣きはあるけれど、才気は劣っているようだ……」等と、ひそひそと紫上にお話しなさいました。

 「故入道宮(藤壺)の御筆跡は大層深味もあり優美な筋はおありだったが、艶やかな美しさが少なかった……。院の尚侍(朧月夜)は今の世の名人でいらっしゃいますが、あまり洒落すぎて癖があるようです。そうはいってもあの尚侍の君と前斎院と貴女は、上手に書きなさる……」とお認め申し上げるので、
紫上は、
「この方々の仲間に入るのは、気恥ずかしく思います」と申されました。

「ひどく謙遜なさいますな。柔らかな親しみのある点では、格別に優れておられます。漢字が上手くなってくると、仮名は少し乱れた文字が混じるようだけれど……」と仰って、まだ書いていない冊子類を作り加えて、表紙、紐など大層立派に作らせなさいました。

「兵部卿宮や左衛門督などにも書いてもらおう。私自身も一揃は書きましょう。いくら二人が上手ぶっておられても、私があの二人に並ばないことはあるまい……」と自賛なさいました。
 墨、筆など最上のものを選んで、いつもの御夫人方にもご依頼のお手紙を出しなさいましたので、御方々は難しいこと……とお思いになりました。中には辞退なさる方もありますので、心を込めてご依頼なさいました。

 高麗の薄様な紙で優美なものを選んで、「この選り好みする若い人々にも頼んでみよう……」と仰って、
宰相中将、式部卿宮、兵衛督、内大臣の頭中将などに「葦手(装飾文字)や歌絵を、思い思いに描きなさい……」と申されますと、皆、競い合って書くようでございました。

 源氏の君はいつものように寝殿に離れておいでになりました。花の盛りが過ぎて、浅緑色の空の麗らかな頃に、古歌などを心静かに考えなさって、満足のゆく限り、草仮名、普通の仮名、女手などをも取り混ぜて、大層見事に書き尽くしなさいました。御前には人が少なく、女房二、三人ほどに墨などを擦らせなさって、由緒ある古い歌集などを「これはどうだろうか……」等と尋ねて 選び出しなさるので、そのお相手のできる女房だけがお仕えしておりました。

 御簾を上げて、脇息の上に冊子をちょっと置いて、端近くに座られ、寛いだお姿で 筆の尻をくわえなどして思い巡らしているご様子は、飽きることなく美しくおられました。

白や赤などのはっきりした色の紙には、筆を取り直して注意してお書きになるご様子さえ、情緒を解せる人には、見とれてしまう御姿でした。

 兵部卿の宮がお渡りになった事を申し上げますと、源氏の君は驚いて御直衣をお召しになり、座布団を持ってこさせて、そのまま待ち受けて宮をお入れしました。この宮も大層美しく、御階(階段)を歩み登るお姿を、御簾の内で女房たちが覗いて拝見しておりました。礼儀正しく、お互いに丁重に挨拶なさるご様子も大層素晴らしく、
「することもなく邸に籠もっておりますのも、辛く思われます。こののんびりした頃に、折よくお渡りくださいました」 とお喜び申しなさいました。

 宮は、あの源氏の君が依頼した御冊子を持って来られたのでした。
その場でご覧になりますと、大して上手でもないご筆跡ながら、ただ一所だけ、とてもすっきりした感じにお書きになっていました。和歌も技巧をこらして、風変わりな古歌を選んで、ただ三行ばかりを文字少なにして好ましくお書きになっていました。
源氏の君はこれをご覧になり、
「これほど上手くお書きになるとは、思いもかけませんでした。もう筆を投げてしまいたいほどです」と悔しがりなさいました。
「このような上手な方々の中で、臆目もなく筆を下ろすのですから……それにしても下手には書けないと存じます……」と冗談を仰いました。

 源氏の君がお書きになった御冊子などを、隠すべきでもないので取り出しなさいました。唐の紙に美しい草仮名をお書きになった書が、大層優れて素晴らしいとご覧になりました。高麗の紙には、きめ細かく柔らかい親しみのある感じで、色は派手でなく優美なものに、おっとりした女手を、丁寧に心留めてお書きになっているのが、例えようもなく見事でした。
ご覧になる人の涙までも、筆跡に沿って流れるような気がして、見飽きることもないものでした。
さらにわが国の紙屋院の色合いが派手な色紙に、崩した草仮名の和歌を筆にまかせて散らし書きなさったのも、見所が尽きないほど見事でございました。自在にお書きになり愛嬌があって、もっと見ていたいと思われましたので、宮は他の草子には目もやろうともなさいません。

 左衛門督の書は、才気がり威張ったような筆法で書いていますけれど、筆法がすっきりしない感じで、それを繕った気がする和歌なども、わざとらしく書いてありました。

けれども、御夫人方のものは取り出しなさいません。前斎院の書などは、なおさらお見せになりませんでした。

 葦手の冊子類がそれぞれに素晴らしいものでございました。
 宰相中将の葦手は、水の流れる勢いを豊かに描いて、乱れ生えている葦の様子などが難波の浦によく似て、水の流れや葦があちこちに入り交じっていて、すっきりした所がありました。大層立派に趣きを変えて、文字や石などの佇まいを風流にお描きになっているようでした。
「目も及ばぬほどの素晴らしさだ。これは手間のかかったに違いない作品だ」と、興味深くお誉めになりました。兵部卿の宮は何事にも興味を持って風流がりなさいまして、大層お誉めになりました。

 今日はまた、この書のことなどを一日中お話しになって過ごされました。様々な継ぎ紙の本など、古い物や新しい物を取り出したついでに、蛍兵部卿の宮邸に所蔵の本などを、ご子息の侍従に取りに遣わせなさいました。嵯峨の帝が「古万葉集」を選んで書かせなさいました四巻。延喜の帝が「古今和歌集」を唐の浅縹の紙を継いだものに、巻ごとに御筆跡の書体を変えて、見事に書の美を書き尽くしなさいました書には、同じ色の濃い紋様の綺の表紙、同じ玉の軸、段々に染めた唐風の平組の紐などをつけて、大層優美でした。大殿油(灯火)の台を低くしてご覧になりますと、
「いつまで見ても飽きない書だ。最近の人は、ただ片端に趣向を凝らしているだけに過ぎないようだが……」などとお誉めになりました。宮はそのまま これらの本を六条院に献上なさいました。

「私がもし娘など持っておりましても、大して見る目を持たないならば 伝えたいと思いません。まして朽ち果ててしまいますから……」などと申し上げて、差し上げなさいました。侍従には唐の手本などの特に立派なものを沈香の箱に入れ、立派な高麗笛を添えて差し上げなさいました。 

 この頃はひたすら仮名の批評をなさって、世間でも能書家として評判の高い人々にも、それぞれに相応しい書などを探し出して書かせなさいました。但しこの箱には身分の低い者の書は混ぜないで、特別にその人の身分や地位を区別して、草子巻物など全て整えて書かせたのでございました。

 全てに珍しい御宝物類には、中国でさえも見つけ難いものがある中で、この手本類こそ見たいと心動く若い人達が世間にも多くおりました。源氏の君は御絵など準備なさる中で、あの須磨の日記を子孫の代にも伝えしらせようとお思いになりましたけれど、今少し世の中をお分かりになってから……」と思い返して、取り出しなさいませんでした。


 内大臣はこの入内のご準備を他人事としてお聞きになりましたが、大層気がかりで物足りなく寂しいとお思いでした。姫君(娘・雲居雁)が、女盛りにご成長なさって、惜しいくらい美しいご様子ですのに、所在なげにうち沈んでいらっしゃいますのが、内大臣の大きなお嘆きの種でした。
 けれどあの夕霧はいつもと変わらず、落ち着いておられますので、
「弱気になって、こちらから歩み寄るのも外聞が悪いし、夕霧が熱心に雲居雁を望んでいた頃に結婚を許していたらよかったのに……」などとお嘆きになって、一方的に夕霧の罪だと責める事もなさいません。

 このように、内大臣が少し譲る気になっておられるご様子だと、宰相の君(夕霧)はお聞きになりましたが、一時辛かった大臣の御心を恨めしく思いますので、強いて平静を装い、心鎮めておられました。
さすがに他の女性に心を向けるお考えもなく、雲居雁をたまらなく恋しいと想う時は多くありましたけれど、
「浅緑の六位……」と、低い御位を嘲った雲居雁の乳母たちに、今は中納言に昇進した姿を見せつけてやろう……というお気持ちを 強くお持ちのようでした。

 源氏の大臣は、不思議にいつまでも夕霧の身が固まらないことを ご心配なさいまして、
「雲居雁との結婚のことを、夕霧が諦めてしまったのなら、右大臣や中務宮などが、娘を嫁がせたいとご意向を示しておられるので、どちらにでも決めなさい……」と仰いましたが、夕霧は何もお返事なさらず、ただ畏まった様子で伺候しておられました。
源氏の君は、
「このようなことについては、昔、この私も、畏れ多くも父・桐壺帝の御教えでさえ、従う気にならなかったのだから、口を差し挟み難いけれど、今思えば、あの教えこそが、後々の世にまで通じるものであった。夕霧が所在なく過ごしていると、何かお考えがあるのか……と、世間の人も推し量るだろうから、宿世にまかせて平凡な結婚に納まってしまうのは、尻すぼまりで、外聞の悪いことになるだろう。大層高望みをしても、思うようにはならず、限界のあることだから、好色な心を起こさないようになさい。
 この私は幼い頃より宮中で成長し、思い通りにならず窮屈で、いささかの過ちでもあったなら、軽率だと非難を受けるだろうと身を慎んできたのに、それでも好色の咎めを受けて、世間に責められたものだ。(須磨流離のこと)
 今、貴方はまだ位が低く、気楽な身分だからと気を許して、思いのままの振る舞いなどなさいますな。御心が思い上がると、想いを鎮めることができずに、妻子がいない場合には過ちを犯すものだ。女性関係のことで賢明な人が失敗した例が、昔もあった。
 あってはならない事に夢中になって、相手の浮き名をたて、自らも恨みを負うのは後世の妨げとなるものだ。結婚に失敗したと思いながら、共に暮らしている相手が自分の思い通りにならず、耐え難いことがあっても、やはり思い直す気を持って、あるいは親の心に免じて、あるいは親がなく生活が不自由であっても、もしその人柄がいじらしく思われるようならば、その人柄一つを取柄として末長く連れ添いなさい。自分のため、相手のために、遂には良くなるという考えを深く持つべきです…」等などと、のどかで所在ない時には、こうした御心遣いを特にお教え申しなさいました。

 夕霧は、このような源氏の君の御教訓どおり、戯れにも他の女性に想いをかけることは可哀想な事だと、他人から言われるまでもなく、思っておいでになりました。雲居雁もいつもより特に、父大臣が嘆いておられるご様子に、恥ずかしく情けないわが身の上と思い沈んでおられましたが、うわべは何気なく落ち着いて、物思いしながらお過ごしでございました。

 夕霧からの御文には、耐え難いほど恋しい時の、しみじみと心深い想いが書いてありました。
「誰の誠意を信じたらよいのか……」と、男を知っている女ならば、むやみに男の心を疑うものですけれど、夕霧からのお手紙には、雲居雁がしみじみとご覧になる言葉が多いのでした。

「中務の宮が 大殿の内諾を賜って、娘の結婚をお約束なさっているようです……」と女房が申し上げましたので、内大臣は改めて、胸が潰れる思いがしたことでしょう。こっそりと、
「こういう話(夕霧と中務の娘との結婚話)を聞きました。情けない御心の人でしたね。源氏の大臣が口添えなさったのに、強情にも従わなかったので、話をひき違えなさったのでしょう。弱気になって相手になびいても、人に笑われることだろうし……」などと涙を流して申されますので、雲居雁には大層辛く恥ずかしく、なぜか涙が溢れますので、きまり悪くて横を向いていらっしゃいました。そのお姿は限りなく愛らしくいらっしゃいました。
「どうしましょう。こちらからご意向を伺ってみましょうか……。妙にひとりでに流れてくる涙だこと。どのようにお思いになったかしら……」などと思い乱れて、内大臣が立って行かれた後も、その端近くで、物思いに耽っておいでになりました。

ちょうどこそに夕霧からお手紙がまいりました。たいそう細々と書いてあって、

   つれなさは 憂き世の常になりゆくを 忘れぬ人や心にことなる

     (訳)貴女のつれない御心は辛いこの世の常になってゆきますが、それでも忘れない私は
        他の人と変わっているのでしょうか……

とありました。中務の姫との縁談について、仄めかしもしない夕霧を、冷たい人と思いましたが、辛いながらもお返事には、

   かぎりとて 忘れ難きを忘るるも こや世になびく心なるらん

     (訳)もうこれ限りとして、忘れがたいと仰る私を忘れてしまわれるのも、
        貴方の心も世の習性の心なのでしょう……

とありますので、夕霧は、
「妙なことが書いてある……」と、手紙を下に置くことも出来ずに、不審そうに見ておられました。

                          

( 終 )


源氏物語「梅が枝」(第三十二帖)
平成十九年弥生 WAKOGENJI(文・絵)

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