やさしい現代語訳

源氏物語「柏木」(かしわぎ)第36帖

(光源氏48歳 女三宮22歳 衛門の督(柏木)32歳 夕霧27歳 薫誕生 の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 

衛門の督(柏木)の君は、なお病み続けなさいまして、回復することもなく、この年も改まりました。

 大臣や北の方がお嘆きになる様子を拝見して、
「強いて死のうとする命、生きる甲斐もなく、なんと罪の重いことだろう……、それはそれとして、この世を離れがたく、強いて惜しみ留めておきたい命だろうか。私も幼い頃から、志は高く、特に何事をも「人より今一歩勝りたい……」と、公私につけて、並々ならず思い上がっていたが、その志は叶い難かった……。一つ二つのつまずきに、わが身に自信をなくし、大方の世の中が面白くないと思うようになって、後の世の修行に本意深く進んだのだが、親たちの悲嘆を思うと、仏道の野山に迷い込む道の、強い妨げになるに違いないと思われる。あれこれ出家心を紛らわして、今日まで過ごしてきたのだが、遂に、やはりこの世に生きていけそうにないという悩みが、強くわが身に添っているのは、自分より他に、誰を恨むことができようか。自分から破滅を招いたと思うと、恨むべき人もない。
 仏にも神にも不満を訴えるところがないのは、これ総て宿命なのであろう。誰もが、千年を生きる松ではないのだから、一生は、結局いつまでも生きられるものではない。このようにあの人(女三宮)からも少しは思い出してもらえる程度でも、死んで、かりそめの哀れみをかけてくださる方がいるということを、一途の想いに燃え尽きた証としよう……。せめてこの世に生き長らえていれば、自然にあるまじき噂が立ち、自分にも相手にも、心安からぬ悩みも出てくることになるだろう。
それよりは、もし死んだなら、私をご不快に思われた方(源氏)もお許し下さるでしょう。万事のことは、臨終の折には、みな消えてしまうものである。また姫宮との過ちの他には、不快に思われることは何もないので、長い年月、何かの催しの折には、私をお召し下さいましたことから、やがて哀れみも出てくるでしょう……」などと、所在なく思い続けるのですが、思い返しても、誠にどうしようもない。
「どうしてこのように寿命をも無くすようなことをしてしまう運命なのだろうか」と心が暗くなり、思い乱れて、枕も浮くほどに涙を流しなさいました。

 少し気分がよい時、ご両親が退室しておられる間に、あちらにお手紙を差し上げなさいました。
 「今はもう、命も限りとなってしまった様子はお聞きの事と存じますが、『いかがですか……』とせめてそれだけでも……お心に留めて下さらないのも、無理もない事でしょうけれど、私は大変残念に思います」などと申し上げるのですが、気分が晴れないまま、思う事もみな書き残して、
「今はもう最後と燃える煙も燻って、貴女への想いがなお、この世に残ることでしょう。せめて「あわれ……」とだけでも仰って下さい。その一言で心を鎮めて、自ら闇を迷い行く仏道の光といたしましょう……」とお書きになりました。
 
 更に小侍従にも、懲りずに情けない事などを書いて 寄こしなさいました。
「姫宮に直接お逢いして、もう一度申し上げたいことがあるのです……」と仰いますので、この侍従は子供の頃から、あるご縁で柏木邸に出入りして親しくしている人なので、大それた恋心こそは不快に思われるけれど、最期と聞けば大層悲しく思われ、泣く泣く、
「このお返事こそ、誠に最後になるでしょう……」と、女三宮にお渡し申し上げました。

「私も、今日明日の命という気がして心細いのです。人の死は悲しく思いますが、お手紙を交わすことはとても嫌な事と思っていますので、書くのは気が咎めます」と、どうしてもお書きになりません。
 この姫宮のご性格は落ち着いているというのではないのですが、気後れするほど立派な人(源氏)のご機嫌が時折よくないのが、大層恐ろしく辛く思われるのでしょう。小侍従が御硯などを準備してお勧め申し上げますと、しぶしぶお書きになりました。それを忍んで闇に紛れて、柏木邸にお届け申しました。

 父大臣は、優れた行者として、葛城山から迎えた僧をお待ちになって、加持祈祷をさせなさいました。御修法などを、大層大袈裟に声をあげて読経していました。人が勧めるままに、さまざま聖めいた験者で、世間には全く知られず山に籠もっている僧などを、衛門の督の弟の君達を遣わしてお呼びになりました。けれどもその中には、そっけなく気に入らない山伏達なども多く参りました。 

 ご病気の様子が何となく心細く、時々声をあげてお泣きになりますので、陰陽師などの多くは「女の霊」とばかり占い申し上げました。大臣は「そういうことか……」とお思いになりましたが、更に、物の怪が現れ出てくる様子もないので、困り果ててしまわれ、遂には、このような山奥にまで聖をお探しなさったのでございました。その聖は身長が高く、目伏(目つき)が冷たく、荒々しい大声で陀羅尼を読みますので、
「嫌なことだ。罪の深い身だからか、陀羅尼の声が高いのは誠に恐ろしく、ますます死んでしまいそうな気がする……」と仰って、そっと病床を抜け出して、小侍従とお話しなどをなさいました。

 大臣はそうとも知らずに、「もう寝みました」と女房に申し上げさせなさいましたので、そうお思いになって、忍んでこの聖と語らいなさいました。お年を召しておられますけれど、やはり華やいだところがあり、よくお笑いになる大臣が、このような聖と向かい合って座り、この病になった初めの頃のご容態のまま、何となくぐずぐず重くなっていくことを、
「何とか、この物の怪の正体が現れるように念じてください」とお願いなさるのも、お労しいことでございました。

「あれをお聞き下さい。何の罪とも思い当たらずに、占いにより「女の霊」とされ、もし本当にそのような執念が私の身に添ったならば、嫌なこの身は、かえって私には掛け替えのない大切なものになるに違いない。それにしても大それた恋心があり、あってはならない過ちを引き起こして、相手の評判を悪くして、自分の身の破滅をも顧みないのは、昔の世にもないわけではない……と思っているのだが、やはりその後が恐ろしく、院(源氏)の御心にその過ちを知られ申したからには、世に永らえる事もまともに御顔を正視出来ないくらい辛いことだ。誠に特別な御威光なのだろう。
 私には深い過ちもないのに、院(源氏)と御目を合わせたあの夕べから、やがて心乱れ、抜け出した魂が自分の身から離れ、あの六条院の中で彷徨っていたなら、結び止めて下さい……」と、大層弱々しげに、抜け殻のような様子で、泣いたり笑ったりしながらお話をなさいました。

 姫宮も、何かと恥ずかしく、顔向けが出来ずにいらっしゃる様子を、小侍従はお伝え申し上げました。うち沈んで面痩せなさっているご様子を、目の前に拝見できるような心地がしますので、柏木は、
「誠に、わが身から離れた魂が、姫宮の所に通うだろうか……」と、ますます気分が乱れ、
「今更に、姫宮のことは申し上げますまい。この世はこうして儚く終わってしまうけれど、長き世の成仏の障りになるかと思うと、宮には大層お気の毒なことだ。気になるご出産のことを、せめて「無事に済んだ……」と聞いてから死にたいものだ。唐猫を夢に見てから独り合点して、語り合う人がいないのが大層辛いことなのだ……」等と、思い詰めておられる執着の深さについて、大層恐ろしいと思うものの、お労しい気持は抑え難く思えますので、小侍従もひどく泣きました。

 紙燭を取り寄せて、お返事をご覧になりますと、姫宮は筆跡など大層幼げに美しくお書きになって、
「お気の毒に聞いていますが、どうしてお返事など書けましょう。ただこちらの気持ちを推し量ってください。お歌の中に「残ろう……」とありますのは、

   たちそひて 消えやしなまし憂きことを思い乱るる煙くらべに、 おくるべうやは

     (訳)一緒に私の命も消えてしまいたい 辛いことを思い乱れ、    
        貴方に遅れることがありましょうか。いいえ、ありません

 とだけ書いてあるのを、しみじみもったいない……と思い、

「嫌、このような煙こそが、この世の思い出になろう。この宿世は儚いものだった……」
と大層お泣きになり、その御文の横に臥せながら、筆を置き 筆を置きしながらお返事をお書きになりました。言葉も覚つかなく、その文字は不思議と鳥の足跡のようで、

   行くへなき 空の煙となりぬとも 想う当たりを立ちは離れじ

     (訳)行く先ない空の煙となっても、想う人の辺りを離れることはありません。

 夕方には、特に空を眺めて下さい。咎め申される御方(源氏)の目も、私亡き今は もう気になさらずに、せめてあわれみだけはおかけ下さい。言う甲斐のないことですが……」などと書き乱れて、苦しさが勝ってきたので、
小侍従に、
「もうよかろう……。夜が更けぬうちにお帰りになり、このような最期の様子だったと、姫宮に申し上げてください。今更に、人が変だと気付くのを、わが命の終わった後にさえ想像するのも情けないものだ。姫宮とはどのような前世の因縁で、このような関わりができ、心に取り憑いて離れなかったのだろう」と泣きながら病床にいざり入りなさいますと、普段はいつまでも前に座らせて、とりとめのない事を言わせようとなさいましたのに、今はお言葉の数も少ない……」と、大層悲く思われて、小侍従は退出することができません。この様子を見て、乳母達も大層泣きうろたえておりました。

 父大臣などのご心配は大変なものでございました。
「昨日、今日は少し良くなったのに、どうしてそのように弱々しげにお見えになるのだろう」と騒ぎなさいました。
「もう、この世に留まることができないようです……」と、ご自身もお泣きになりました。

 姫宮はこの日の夕方から苦しそうになさいますので、御出産の様子と拝見した女房達は、皆騒ぎ立てて大臣(源氏)にもお伝え申し上げましたので、驚いて姫宮のところにお渡りになりました。御心の内では「あぁ、残念なことだ。疑わしき事がなくてお世話するのであらば、お目出度く嬉しいことであろうに……」とお思いでしたが、他人には決して真実を漏らすまいとお考えになり、験者などをお呼びになり、御修法など休みなくさせなさいました。伴僧達の中で、効験のあらたかな僧は皆 参上して、大騒ぎで安産の加持をなさいました。

 一晩中苦しみ明かしなさって、日が差し上る頃に男君がお生まれになりました。
 「このような忍びごとがあり、生憎なことに、 はっきりと柏木によく似た顔つきでこの世にお生まれになることは、困ったことになる……。女ならば何かと人目に付かず、大勢の目に触れることはないので安心なのだが……」と思われましたが、また一方では、
 「このように辛い疑いがある場合は、世話の要らない気楽な男君でいらした方が、好都合なことだ。それにしても不思議なこと。我が一生涯を通して、恐ろしいと思ったこと(継母藤壺との関係)の報いのようだ。この世でこうして思いがけなく応報を受けたのだから、後世の罪は少し軽くなるのだろうか……」と思われました。女房たちは秘事は知らないことなので、「このような格別な皇女の御腹に、源氏の晩年に生まれた御子への愛情は、大層強いものだろう」と大事にお世話申し上げました。

 御産屋の儀式は立派に催されました。六条院の女宮たちが様々にお祝いなさる御産養は世の常として、折敷・衝重・高坏などの気配りなども、格別に心尽くして、競う心が見えるものでございました。 五日の夜、秋好中宮の御方より御産婦の召し上がるもの、女房の中にも身分相応の餐応の物を公式の儀式として立派に調えさせなさいました。御粥、屯食五十具・あちらこちらの餐応は、六条院の下部など、院庁の召次所の下々の者にまで、きちんとさせなさいました。宮司、大夫をはじめとして、冷泉院の殿上人が皆、六条院に参上されました。

 七日の夜は、内裏より公式な形で行われました。致仕の大臣などは産養を格別に心尽くしてお祝いするはずでしたが、この頃は督の君(柏木)が重篤なため、何事も考えられないご様子で、普通のご挨拶のみがありました。
 宮たち、上達部など大勢が六条院に参上し、大方の儀式も世に例のないほどお世話を申し上げなさいましたけれど、大臣(源氏)の御心の内に辛くお思いになることがありますので、それ程歓待なさることもなく、管弦の遊びなどもなさいませんでした。

 姫宮は大層弱々しいご様子で、大層気味が悪く経験のない出産を怖ろしくお思いになったので、御湯(薬)なども召し上がらず、わが身の辛い運命やこの出産についてをも悲しみなさって、
「そうあらば、このついでに死んでしまいたい……」とお思いになりました。大臣は大層よく人目を繕っておられましたが、
「まだ若君が生まれたてで難しい頃なので、特にお逢いすることもない……」と、仰ったという噂を聞いた年老いた女房などは、
「何と疎かになさいますこと。めでたくお生まれなさった若君のご様子が、これほど不吉なまでに愛らしくいらっしゃいますのに……」などととても可愛がりますのを、姫宮はちょっとお聞きになって、
「私をそのように疎んじなさることが、これから先も増えてゆくのだろうか……」と恨めしくなられ、

「わが身も辛くて、尼になってしまいたい…」と思ってしまわれたのでございました。

 大臣(源氏)は夜などもこちらでお寝みにはならず、昼間にちょっとお覗きになる程度でした。
「私も年をとったので、世の中の大層無常な有様を見るままに、わが身の将来は短く、心細く、勤行に励むことが多くなってしまっています。このようなご出産の後には、何かと騒がしい心地がして、参ることが出来ませんが、ご気分はいかがですか……さわやかにお思いでしょうか。お労しいことです」と仰って、御几帳の側より覗きなさいました。姫宮は頭を持ち上げて、
 「やはり生きていられない心地がします。このような私は罪障も重いことです。尼になれば、この世に生き留まることができるのかと試してみて、又、もし死んだならば、罪障をなくすことができるかと存じます……」と、いつもよりはとても大人びたご様子で、大殿に申しなさるので、
「とんでもない……不吉なことです。どうしてそれほど思い詰めるのですか。ご出産は誠に恐ろしいことだけれど、だからと云って命永らえないということはないでしょう……」と申しなさいました。
 けれども御心の内では、
「本心で姫宮が出家を望んで仰るならば、そのようにお世話を申し上げるのも、思いやりのあることだろう。このようにお世話していても、宮がことに触れて、私を疎ましくお思いになるのは気の毒だし、私自身も今更、恨みに思う気持ちを改められそうになく、辛い仕打ちが時々混じるに違いないから、自然と足が遠のくのを、人が見咎めることでもあれば、誠に困ったことになろう。朱雀院などの耳にでも入れば、私が至らぬためとお思いになるのであろう。姫宮のご病気にかこつけて、そのようにして差し上げようか……」とお考えになりましたが、又一方では、大変惜しくお労しく思われ、これほど若く生い先長い黒髪を、尼姿に削いでしまうのもお気の毒ですので、
「やはり気を強くお持ちなさい。ご心配はいりません。命の最期と見える人が回復された例が身近にありますので、やはり頼みになる世の中でございます……」等と申しなさって、御薬を差し上げました。宮は大層ひどく青白く痩せて、驚くほど頼りなく臥していらっしゃるご様子は、おっとりとして可愛らしげで、
「たとえ大層な過ちがあったとしても、気弱く許してしまいそうなご様子だ……」と、拝見なさっておられました。


 山の帝(朱雀院)も、久々の出産がご無事であったとお聞きになり、女三宮を愛しく逢いたいとお思いでしたが、床に臥せっているという話ばかりで、一体どのようにいらっしゃるのか……と、勤行なども心乱れて、大層心配しておられました。そのように弱ってしまわれた姫宮が、何も召し上がらずに何日もお過ごしになったので、大層心細くおなりになって、長い年月、父院と逢えなかった時よりも、今一層恋しく思われ、
「再びお目にかかることなく終わってしまうのか……」とお泣きになりました。このような姫宮のご様子を、然るべき人を通して、朱雀院にお伝え申し上げますと、
「とても堪えがたく悲しいことだ……」とお思いになって、あってはならない事と思し召しながらも、夜の闇に隠れて、御山より下山なさいました。

 前もってのご連絡もなく、急にこのようにお渡りになりましたので、主の院(源氏)は驚き、恐縮申し上げなさいました。
「世俗のことを顧みるまいと思っていましたが、やはり心の惑いが鎮まらないのは、自分の子供を思う親心の闇でございます。難行も怠りがちで、もし万一、先立つ順が逆になり、宮(娘)と別れることにでもなれば、そのままこの恨みも残ることになるだろう……」と、情けなく思われましたので、世間の非難を顧みず、こうして伺ったのでございます」と申しなさいました。

 朱雀院は御容姿が僧でありながら、優雅で心惹かれる様子で、人目につかないように質素な身なりをなさっておられます。正式な法服ではなく、墨染の御姿でさえ理想的に美しくおられますのを、羨ましく拝見しておられました。例のとおり、まず涙を落としなさいました。
「姫宮の患っていらっしゃるご様子は、特別なご病気ではありません。ただここ数ヶ月、すっかり弱ってしまわれ、きちんとお食事もなさいませんので、このようになってしまわれました」などと申しなさいました。

「恐縮な御座ではございますが……」と、姫宮の御帳台の前に御茵をご用意して、朱雀院をお入れ申しました。女房達が姫宮をあれこれとお世話申し上げて、浜床の下にお降ろし申しました。

 院は、御几帳を少し押しやりなさいまして、
「夜居の加持僧のような気がするけれど、まだ今は効験の現れるほどの修行もしていないので、側にいて心が痛む……ただ心細く思っていらっしゃる様子を、そのまま見申し上げて……」と御目をお拭いなさいました。宮もとても弱々しくお泣きになって、
「長く生きることが出来そうにありませんので、このようにお見舞いにおいで頂いた機会に、私を尼にして下さいませ……」と申し上げなさいました。

「そのような御意志があるならば、まことに尊いことでございますが、やはり限りある命の間に、生い先長い人は、かえって間違いを起して心乱れ、世間の人々の謗りを受けるようになりかねないだろう。やはり出家は差し控えるべきこと……」と仰せられ、
大臣の君(源氏)に、
「このように宮が自ら仰いますので、もうこれが最期のご様子ならば、少しの間でもその功徳があるようにして上げたいと存じます」と仰せになりますので、
「この頃、いつも姫宮はこのように仰るのですけれど、物の怪などが宮の心を惑わせて、この方面に導くようなこともありますので、お聞き入れ致さないのです」と申し上げました。
院は、
「物の怪の教えであっても、それに負けたからと言って悪いことになるならば、控えねばならないが、女三宮のように心弱い人が、最期を思って願っておいでになる事を、聞き過ごすのは、後に悔いが残り、辛い思いをするのではないか……」と仰せになりました。けれども心の内では、
「限りなく安心してお譲り申した姫宮を、この大臣(源氏)はお引き受けになりましたが、それほど愛情も深くなく、私の思うようにはいかなかったようだ……」 事に触れ、幾年もお耳になさった噂について心痛めてきたことなどについては、顔色に出して恨み申し上げるべきことでもないので、世間の人が想像したり、噂するのを残念に思い続け、
「このような機会に出家することが、人の物笑いになるような夫婦仲を恨んでの事のようでなく、どうして不都合なことがあろうか。 大方の後見としては、大臣(源氏)は頼りになる心配りもなさるので、ただ女三宮をお預け申し上げたことを果報と思い成しすことにしよう。そして遺産としてお受けになった広く素晴らしい宮邸を修繕して、そこに女三宮を住まわせ申そうか。自分が生きている間に、ご不安のないようにしておこう。そうは言っても、あの大臣が姫宮を疎かに扱うことは決してなさるまい。その御気持も、見届けよう……」などとお考えになって、
「それでは、このように参った機会に、出家の戒をお受けになることだけでもして、仏道と縁を結ぶことにしよう」と仰せになりました。

 大臣の君は、予想もしない仰せを嫌だとお思いになる事も忘れて、
「これは、一体どうなることか……」と悲しく残念に思われ、堪えることができずに、御几帳の内にお入りになって、
「どうして……行く末長くもない私を振り捨てて、そのようにお考えになったのですか、やはりもう暫く心を鎮めなさって、御薬湯などを飲んで、食べ物などお召し上がりなさいませ。出家は尊いことではありますが、お身体が弱くては勤行もおできになれません。ともかくまず養生なさって……」と申しなさいましたが、姫宮は頭を振って「とても辛いことを仰る……」と、お思いでございました。大臣は、
「私のことを、薄情者で恨めしいとお思いになることがあったのか……」と拝見なさいますのも、大層悲しいことでございました。あれこれ出家を反対なさいまして、思いを静めておられますうちに、夜明け頃になってしまいました。

院は、
「山に帰り入るのに、道中が昼間では体裁が悪かろう……」と急がせなさいまして、ご祈祷に伺候する僧の中で、地位の高い尊い僧だけを呼んで、姫宮の御髪を下ろさせなさいました。女盛りの美しい黒髪を僧が削ぎ捨てて、戒をお受けになる儀式は、誠に悲しく残念なことなので、大臣は堪えることができずに、ひどくお泣きになりました。

 院はもとから、この女三宮を特別に大切にお思いになって、
「誰よりも優れて幸福にお世話したいとお考えでしたが、この世ではその甲斐もないような尼姿におさせ申し上げるのは、酷く悲しいことだ……」とうち萎れてしまわれました。
 「出家されたら、まず健康になられ、念仏誦経をお勤めなさい」と申しなさって、夜が明けてきたので、急いで出立なさいました。宮はやはり弱々しく消え入るようなご様子で、院をはっきりと拝見もなさらず、ご挨拶さえも申しなさいません。

 大臣もまるで悪夢のように思われ、心が大層乱れて、
「昔が思い出される御幸の御礼を、ご覧に入れられないご無礼については、改めて参上致しまして……」と申し上げ、院のお帰りの随行に、家臣を遣わせなさいました。

「わが寿命も今日か明日かと思っておりましたあの時に、姫宮が頼りなく過ごすことだけが大層気がかりで、この世を去りがたく思われましたので、大臣(源氏)の本意ではなかったでしょうけれど、女三宮をお願い申すことにしました。長い間、私も安心しておりましたのに……、もし宮が命取り留めお元気になられた時には、尼姿に変わって後には、人の大勢いる住まいは不都合となりましょう。とは言っても、適当な山里などに離れ住むことも、やはり心細いことでしょう。尼の身の上相応に、やはりお見捨てなさいませんように……」とお願い申しなさいますと、
「改めて、このようにまで仰せられることこそ、かえって恥ずかしく思われます。乱れた気持ちが更に乱れて、何事も判断つきかねております……」と、誠に耐え難くお思いになりました。

 

 後夜の御加持に六条御息所の物の怪が現れて出て、
「それご覧……見事にその命を取り返した。紫上ただ独りの命を守りたい……」と源氏の君が思われたのが、とても悔しかったので、女三宮の身の周りにさり気なく添っていたのだが……。もう帰ることにしようか……」と少し笑って申しました。大殿は大層驚いて、
「さては、この物の怪がやはりここにも離れずにいたのか……」と知ると、姫宮がお気の毒で、誠に悔しくお思いになりました。

 姫宮はこれで少し生き返る様子が見えましたが、やはり弱々しく、ただ頼りなさそうにお見えになりました。お仕えする女房達も、生きる甲斐もなくおりましたけれど、大殿は、
「こうしてでも、せめて御病気が回復なさるならば……」と念じながら、御修法をさらに延長して、絶え間なく行わせるなど、万事に御手配をなさいました。

 督の君(柏木)は姫宮が出家された事をお聞きになって、ますます命が消え入る気がして、回復の見込みがないご容態になってしまわれました。今は、女宮(妻・落葉宮)のことをしみじみと愛しくお思いになって、
「こちらに宮がお越しになるのは、軽々しく思われましょう。母上も父大臣もこのようにずっと私に付き添っておられますので、
何かの折に両親がうっかりして、宮と直にお逢いになるようなことがあっては不都合であろう……」とお思いになって、
「あちらの宮邸(落葉)に、何とかして、今一度お伺いしたい……」とお願いをなさいましたが、ご両親は全くお許しになりません。仕方もなく、皆にこの宮のことをお頼み申しなさいました。

 初めより母・御息所はあまりこの縁組みに気が進まなかったのですが、父大臣が熱心に動いて、心尽くして朱雀院にお願いなさいましたので、その愛情の深さに負けなさって、朱雀院も「仕方がない……」と、お許しになったのでございました。二品の宮(女三宮)の御事で、朱雀院が思い悩んでおられる時に、「この宮(落葉宮)は、かえって、将来、安心で誠実な御後見を迎えたようだ」と仰ったことをお聞きになり、かたじけなく思い出されました。

 「それなのに、この宮(落葉)を後にお残し申し上げる事になってしまったようだ……」と思うにつけても、宮が様々に愛しいけれど、思う通りにはいかない命ゆえ、堪えぬこの契りが恨めしく思われました。宮が思い嘆いておられるだろう事が、大層辛いお気の毒で、
「心尽くして、宮をお世話申し上げてください」と、母上にもお願い申しなさいました。

 母君は、
「何と不吉なことを……、貴方に先立たれては、幾ばくもない世に、この私がどうして生きて行かれようか。何故にこうまで先々の事を仰るのでしょう……」とただお泣きになりますので、督の君はこれ以上、お頼みになることができずに、弟の左大辨の君に、大方のことを詳しく頼みなさいました。
 督の君は性格がよく、穏やかなので、弟の君達もまた末々の若君たちも皆、親のように頼りに思っておられました。このように心細げに仰る様子を、悲しいと思わない人はなく、邸の人々も大層嘆いておりました。

 帝も誠に残念にお思いになりました。「このように命も限りに……」とお耳になさいまして、権大納言に昇格させなさいました。昇進の喜びに、気を取り直し、今一度参内なさることもあろうか……」とお考えになり、仰せなさいました。けれども一向に病が回復しませんので、苦しい中にも、丁重にお礼を申し上げなさいました。父大臣もこのように、帝からのご信頼の重いことをご覧になるにつけても、ますます残念だ……と思い嘆かれました。

 大将の君(夕霧)はいつもこのご病気を深くお嘆きになり、お見舞いなさっておられました。
この度の昇進のお祝いを申し上げようと、早速おいでになりました。対の辺りの御門には、馬、御車などが立て混んで、人々が立ち騒いでいました。今年になって、起き上がることも滅多になさいません。夕霧の様にご身分が重々しく、ご立派なご様子の方に、乱れた姿でお逢いすることは出来ませんので、「とても弱っておりますので、対面は良くなってから……」と思われましたが、逢わないのは誠に残念に思え、
「もっとこちらにお入り下さい。失礼な姿でおりますことを、どうぞお許し下さい……」と臥せっておられる枕元の方に、夕霧をお入れ申しあげ、僧達をしばらく退出させなさいました。

 幼い頃より少しの隔てもなく、仲良くしておられた仲なので、柏木と別れることの悲しく恋しい嘆きは、親兄弟にも劣るものではありません。今日は昇進のお祝いということで、御気分が良くなってほしいものだが……とお思いになりましたが、そう思う甲斐もないほどの弱々しいご様子でした。

「なぜ、こんなに頼りなくなってしまわれたのでしょう。今は昇進のお祝いに少しでもお元気になられるかと思っていましたのに……」と几帳の端を引き上げなさいますと、

「残念ながら、本来の私ではなくなってしまいました……」と、烏帽子に頭だけを押し入れて、少し起き上がろうとなさいましたが、大層苦しそうでございました。素晴らしくしなやかな白い衣を数多く重ねてお召しになり、衾(掛け布団)をかけて臥しておられました。御座の辺りは清々しげに香をたいて、奥ゆかしく過ごしておいでになり、寛ぎながら大層心遣いの整ったご様子に見えました。重く患った人は、自然に髪や髭も乱れ、むさ苦しい様子になりますけれど、そうでなく、ますます痩せ衰えてはいるものの、白く気品があって、枕を立ててお話をなさる様子は、弱々しく、息も絶え絶えで痛ましいご様子でした。

「長く患っておられたにしては、特にそれほど窶れていらっしゃらない。いつものご容貌よりもかえって素晴らしくお見えなります……」と仰るものの、涙を拭って、
「後れたり先立ったりすることなく、死ぬときもご一緒に……と約束していましたのに、誠に悲しいことです。この辛い気分を、何があってこうなったのかさえ、判断できずにおります。このように親しい仲でありながら、心許なく思います……」と仰いますと、

「私自身には、病がこんなに重くなった理由も分かりません。何処と言って苦しい事もないので、急にこのように重くなるとは思ってもいませんでしたのに、月日も経たないうちに衰弱してしまいました。今は正気さえも失せたようで……。

 惜しくもないわが身を、さまざまにこの世に引き留められる僧のご祈祷や願などの力でしょうか。そうは言っても、生き永らえ、この世に関わりを持つのは、かえって苦しいことですから、自ら、急いで死に旅立とうと思っております。ただこの世に別れ去りがたい事が大層多くございます。親にも孝行する途中で止めて、今更ご心配をかけ、主君にお仕えする道も半ばのわが身を顧みると、大したことのない恨みを残してしまうという、世間の嘆きはさておき、また他に、私の胸中に思い乱れることがありますので、このような臨終の時になって、どうして人に漏らすべきかと思っておりましたけれど、やはり堪えきれずに……貴方のほか誰に訴えられましょうか。兄弟は誰彼多くおりますけれど、様々な事情があって、それとなく打ち明けても何の甲斐もありません。

 六条院(源氏)に対して、些かの不都合なことが起こりまして、長い年月、心の内にお詫び申すべきことがありますのに、それが出来ずにおりました。不本意ながら世の中生きていくのも心細く、病気がちになりました折、院(源氏)のお召しがありました。御賀(朱雀院)の楽所の試楽の日に、六条院に参上してご機嫌を伺いましたところ、やはり私をお許しにならない御気持でおられる、その眼差しを拝見して、ますます生き永らえることも遠慮されると思うようになりました。もうどうにもならないと思われ、心が騒ぎはじめて、このように静まらなくなりました。

 院(源氏)は、私など一人前とはお考えにならなかったでしょうが、私は幼い頃から、深く頼りに思い申し上げておりました心を、どのような言われのない陰口などがあったのでしょうか。これこそが、この世に恨みとして残りますから、きっと後世への妨げになろうかと存じます。御耳に留めておいて、何かの機会があれば、父院にお詫びを申し上げて下さい。私が亡き後に、この罪をお許し下さることがあるならば……それは貴方の御陰でございましょう……」などと仰りながら、ますます苦しそうになさいますので、夕霧は大層お労しくなられ、心の内に思い当たることなどありながら、はっきりとは真実を推し量ることが出来ずにおられました。

「どうしてそんなに、ご自分をお責めになるのか……。父(源氏)には、そのような様子もなく、貴方がこのように病が重くなられるのを聞いて、限りなく驚き嘆いて残念にお思いのようでした。またこのように思い当たることがあったのなら、今まで、どうして私に打ち上げて下さらなかったのでしょうか。あれこれ、私がはっきりさせることができましたのに……今となっては言う甲斐もないことですけれど……」と、昔を取り返したく、悲しくお思いになりました。

「誠に……少しでも気分の良かった時に、貴方に申し上げるべきでございました。けれども、今日・明日の命とは思っていませんでしたので、自分のことながら、明日を知らぬ命と油断していたのさえ、儚いことでございます。この事については、貴方の御心より外に、決して漏らしなさらないで下さい。適当な機会がありました折には、ご配慮を頂きたいと思います……」と申し置くのでした。
 更に、
 「一条邸におられる宮(妻・落葉宮)を、何かの折にお見舞い申し上げて下さい。宮がお気の毒なご様子では、父院(朱雀院)がご心配なさるでしょうから、宜しく取り計らってください」などと仰いました。言いたいことは多くあるようでしたけれど、気分が悪くなり、どうにもならなくなったので、「もうお帰りください」と手振りで申しなさいました。加持をする僧たちが近くに参り、大臣なども集まってきて、女房たちも騒ぎますので、夕霧は泣く泣く退出されました。

 弘徽殿女御(柏木の妹)は申すまでもなく、この大将の御方(雲居雁)なども大層お泣きになりました。心尽くして、誰彼となく、兄として面倒をみておられましたので、右の大臣殿(黒鬚)の北の方(玉鬘)なども、この君だけを親しい人と思い申し上げておられましたので、万事について思い嘆き、祈祷など特別にさせなさいましたけれど、薬では治らない病気なので、甲斐のないことでございました。

 女宮(落葉宮)にも遂にお逢いになることなく、泡の消え入るように……亡くなられました。

 長い間、落葉宮に対しては、それほど愛情深くもなかったのですけれど、大層理想的にお世話申し上げておられました。女宮は、何となく優しそうでご性格もよく、皇女らしい態度でお過ごしでしたので、宮ご自身が特に辛いとお思いになった折などはありませんでした。ただ、
「こんなに短命の方であったのか……、不思議と普段の生活に興が乗らないご様子でおられた……」と思い出しなさいまして、大層悲しく思い沈んでおられるご様子は、誠にお気の毒でございました。

 母・一条御息所も「この宮のご結婚は、酷く外聞が悪く、残念なことであった……」と拝見し、限りなくお嘆きになりました。
 父・大臣の北の方などは、それ以上に何とも言いようがなく、
「私こそ先に死にたいものだ。この様に道理を外れた辛い悲しいこと……」と、恋焦がれなさいましたが、今となっては何の甲斐もありません。

 尼宮(女三宮)は、衛門の督の大それた愛情を不愉快なこととだけお思いになって、「長生きして欲しい」ともお思いになりませんでしたけれど、このように亡くなられたとお聞きになると、さすがに悲しくなられました。「若君の御事をわが子と思っていたことも、誠に、こうなるはずの宿縁だったのか。思いがけない辛いこともあったのだろう……」と、様々に心細くお泣きになりました。


 三月になれば、空の様子も麗らかになりました。若君は五十日の頃になられ、大層色白で愛らしく、日数のわりにしっかりして、お喋りなどなさいます。大臣(源氏)がお渡りになって、
「ご気分はすっかり良くなられましたか。いや尼姿とは張り合いのないものだ。ご出家なさる前の姿でお逢いしたのなら、嬉しかったものを……、誠に辛いことだ。この世をお捨てになったとは……」と涙ぐんで、尼宮をお恨み申しなさいました。最近は毎日のように、こちらにお渡りになって、今こそ尼宮をこの上なく大切にお世話申し上げなさいました。
 御五十日の祝い餅を差し上げるについては、女房たちは、姫宮が尼姿でいらっしゃいますので、どうしたものか……」と躊躇いましたが、院がお渡りになって、
「何も構うことない……。若君が女ならば、同性として縁起悪いだろうけれど……」と仰いました。南面に、小さい御座などを設えて、餅を差し上げなさいました。御乳母達は、大層華やいだ装束を着て、御前には彩り尽くした、風情ある籠物・檜破子などを並べました。尼宮は、内にも外にも事情を知らないことなので、とり散らして、何心なくいらっしゃいますので、
「何とも辛く 目を背けたくなるご様子だ……」とお思いになりました。

 宮もお起きになって、御髪の裾がいっぱいに広がっているのを嫌だとお思いになりましたので、額髪をなでつけている時に、御几帳を引き退けて、院が傍らにお座りになりました。
宮はとても恥ずかしくお思いになって、お顔を背けなさいましたが、ますます小柄に痩せて細くなられました。美しい御髪は惜しいと思われて、長い目に削いでありますので、後ろ姿は、特に以前と違うようには見えません。次々と見える鈍色の衣に、黄色がかった今風の色などをお召しになって、尼として未だ馴染まない横向きのお姿は、出家された今も、愛らしい子供を見るような心地がして、優雅で素晴らしく見えますので、
「あぁ、何と情けないことだ。墨染めの衣こそ、目が暗くなる色だ。このようになられても、尼宮のお世話を止めることはあるまい……と心慰めておりますが、相変わらず涙もろい体裁の悪さを、このように貴女に見捨てられた自分の欠点として、強いて思うにつけても、様々に胸が痛く残念に思われます。昔を取り返すことができるならば……」とお嘆きになって、
「今を限りに……」と、宮の御心が私を離れて、嫌いになりお捨てになったと思うと、顔向けも出来ないほどに情けなく思われます。やはり今も、私を愛しいと思ってください」と申し上げますと、
「出家の身には、もののあわれもわきまえないもの……と聞きましたのに、まして私は出家前から、もののあわれに感心がないので、どうお返事したらよいのでしょう」と仰いました。

「言う甲斐もない……いつか、もののあわれがお分かりになることもありましょう……」とだけで言い止めて、若君(薫)を拝見なさいました。
御乳母たちは、身分の高い、見苦しくない者ばかりが伺候しており、院は若君をお世話申し上げる心得などをお話なさいました。

「あぁ、可哀想に……、私の残り少ない晩年に、成長なさるのだなぁ……」とお抱きになりますと、
若君はとても安心して微笑んで、むっちりと太っていて、色白で愛らしい。大将(夕霧)などの幼い頃を少し思い出しなさいましたけれど、似てはいらっしゃいません。女御の宮(明石)たちは、父帝の御血筋で高貴でおられますけれど、この若君は、特に優れて朗らかで素晴らしいという訳でもありません。ただとても上品なのに加えて、愛敬があり笑みがちでいらっしゃいますのを、とても愛しいとご覧になりました。
 そう思うせいか、やはり亡き人(衛門の督・柏木)によく似ている……。ただ子供ながら、眼差しが穏やかで気品があるご様子で、並み外れて美しい顔立ちでいらっしゃいました。

 けれども姫宮は、柏木に似ているなどとは少しもお思いにならず、女房たちもまた、その事情を全く知らないことなので、源氏の御心の内にのみ留めて、
「誠にお気の毒な儚い宿世であったことよ……」と、世の無常を思い続けて、涙がほろほろと溢れるのでした。

 今日は御祝いの日。涙は禁物」と押し拭って隠しなさいまして、
「静かに偲んで、嘆くに堪えている……」と、古歌を口ずさみなさいました。五十八歳(白楽天がこの古歌を詠んだ年齢)から十歳取り捨てたお年ですが、晩年になった心地がして、しみじみと感無量でおられました。「汝が父に似るなかれ」と若君を諫めたいとお思いになったのでしょう。

「しかしこの事実を知る人が、女房たちの中にいることだろう。それこそが腹立たしい事だ。私を愚か者と見ているだろうか……」と心穏やかでなく、自分にも非があることは我慢しようが、もしこの事が問題になれば、女宮の御ためには、大層お気の毒なことになりましょう……」などとお思いになって、顔色にもお出しになりません。若君がとても無邪気に声をだして笑っていらっしゃるその眼差しや口元の愛らしさについても、「事情を知らない人は、どう見るだろう。やはり亡き人によく似ている……」とご覧になりました。

 親達(致仕大臣・北の方)が、
「せめて子供でも残してくれていたら……」と泣いておられるのに、この御子に逢わせることが出来ないことを、「人知れず儚い形見だけを遺し、あれほど気位を高く持って成人しておられた身を、私のせいで失ってしまったのか……と、しみじみ惜しまれるので、腹立たしいという思いに代わって、ただ泣かずにはいられないのでした。

 女房たちが席を外した間に、姫宮のもとに近寄って、
「この子をどのようにお思いになりますか。このように可愛い子を捨てて、出家しなければならなかった俗世でしょうか。あぁ、情けないこと……」と、注意を促し申しますと、宮は顔を少し赤らめていらっしゃいました。

   誰が世にか 種をまきしと人問はば いかが岩根のまつは答へん あはれなり

     (訳)一体誰が種を蒔いたのでしょうと、人が尋ねたら、
        どう答えて良いのでしょう。岩根の松は……何と可哀想なことよ

と、そっと申し上げなさいますと、宮はお返事もなさらずに臥してしまわれました。無理もないとお思いになり、強いて催促なさらずに「どうお思いなのだろう。思慮深い方ではないけれど、どうして平静でいらっしゃれようか……」と推察なさいますのも、大層辛い思いでございましょう。

 大将の君(夕霧)は、あの衛門の督が思い余って、少し仄めかしたことを、
「一体どのような事があったのだろうか。もう少し意識がはっきりしている時ならば、私にあれほど言い出したのだから、もっとよく事情が察せられただろうに……。何とも言いようのない最期であった……折悪く思い通りにならないままに、残念なことであった」と、その面影を忘れることができずに、兄弟の君達よりも大層悲しくお思いでございました。

「女宮がこのように出家なさった事情については、大したご病気でもないのに、実にきっぱり決心をなさったものよ。そうは言っても、出家をお許し申し上げて良いことだろうか。二条の上(紫上)があれほど最期と思える時にも、泣く泣く出家をお願いなさったと聞いたけれど、父院は大それた事として、遂には出家をお引き止め申しなさったのに……」などと、あれこれ考え合わせてみますと、
「やはり昔から、女三宮をずっと想い続けていたため、その気持ちを抑えきれない時があったのだろう。衛門の督は、表面はとても落ち着いて、人より特に気遣いして穏やかなご性格なので、周囲の人も、「この人は何事を考えているのか……」と、気詰まりに思うほどであったけれど、少し気弱い所もあり、優しすぎた故であろう。
 たとえ女宮への想いが深くとも、そのようなことに心乱れて、自分の命に代えるべきことであろうか。女宮のためにも大層お気の毒なことである。わが身を滅ぼすほどのことか……前世からの因縁とは言いながらも、大層軽率でつまらないことである……等とはお思いになりました。けれどあの遺言について、女君(雲居雁)に何もお話しなさいません。機会がなくて、父院にも『このような事を、私は少し聞きましたが……』と申し上げることができなかったのですが、そのご様子を伺ってみたいものだとはお思いでございました。

 父大臣・北の方は、その後、涙の乾く暇もなく悲しみに暮れて、儚く過ぎていく日数もお分かりにならず、御仏事の法服・御装束など全ての御支度なども、弟の君達や姉妹の方々が、それぞれ準備なさいました。経・佛の御手配なども、弟の左大辨の君が代わってご準備なさいました。七日、七日毎の御誦経などについて、周囲の人が注意を促しましても、
 「私に何も聞かせるな。このようにひどい悲しみにくれているのに、かえって冥途への道の妨げになってはいけない……」と仰って、ご自分が死んだかのように、ただぼんやりとしておられました。

 一條宮(妻・落葉宮)には、ましてお目にかかれないまま、ご逝去なさいました恨みさえ加わって、大層悲しんでおいでになりました。日が過ぎるうちに、広い宮邸も人の気配が少なく心細げになりました。柏木が親しく遣い馴れていた女房たちが、やはり弔問に参上致しました。好んで楽しんだ鷹・御馬などのお世話係たちも、皆、仕える所を失って塞ぎ込み、それでも今も出入りしているのをご覧なるにつけても、事にふれて、悲しみは尽きぬものでございました。ご愛用の琵琶、和琴なども弦を取り外して、放置されて音も立てないのも、大層暗く寂しいことでございます。

 御前の木立は新芽で煙って見えて、時を忘れぬ様子の花などを、落葉宮が眺めておいでになりました。物悲しくお仕えする女房たちも、鈍色の喪服に身を窶して、寂しく所在ない昼の頃に、前駆が大袈裟に華やかに先払いをして、この一條宮邸に御車を止める方がありました。

 「亡くなられた殿がおいでになったのかと、つい忘れて…思ってしまいました」と泣く者もおりました。大将殿(夕霧)がお出でになったのでございます。ご挨拶をお伝え申しますと、御息所は、
 「いつもの辨の君(弟)や宰相などがおいでなのか……」とお思いでした。大将殿は気後れがするほど立派な態度で、美しい物腰でおられました。母屋の廂に御座を設けてお入れ申しました。普通の客のように、女房達が応対するのは畏れ多いことなので、母・御息所がお逢いになりました。

「大変悲しい事と嘆いております気持は、親族の方々を超えておりますが、命は限りあるものですから、お悔やみ申し上げる方法もなく、世間並みになってしまいました。臨終の折に、私に遺言なさいました事もありますので、いい加減な気持でいたわけではありません。
 誰でも気を緩めがたい人生でございますが、生き残るとか先立つ時の境目まで、自分の考えが及ぶ限り、私の深い心の程を、宮(落葉宮)にお分り頂きたいのでございます。神事などの忙しい頃は私の思うに任せて、いつまでも家に籠もっておりますことも、例のないことでしたので、立ったままの弔問も、かえって物足りなくお思いになるのも困りますので……ただ日頃が過ぎてゆきました。
 致仕大臣などが心乱れるご様子を見聞きするにつけても、親子の愛情の闇を悲しんで居られるのは、当然でしょうけれど、御夫婦の仲については、宮には深い想いを留めなさらなかったと推察申しますと、尽きせず悲しいことでございます……」と仰って、涙をしばしば拭って鼻をかみなさいました。夕霧のお姿は、際立って気高い感じがするものの、慕わしく優雅でございました。
 御息所も鼻声になられて、
「死別の悲しみは、無常の世の習いとは言え、どんなに悲しいと言っても、世間に例のあることと、年寄り(私)は強いて悲しみを鎮めておりますが、宮の悲嘆にくれたご様子が、大層不吉なまでに……今にも後を追いなさるように見えます。誠に辛い身の上であった私が、今まで命永らえて、このような方々の儚い世の末の有様を、どうして見て暮らさなければならないのでしょうか……」と、心落ち着かないのでございます。

 大将ご自身、近い御仲でいらっしゃいましたので、お聞き及びなさった事もおありでしょうけれど、私は初めの頃より、この縁組みをお引き受け申さなかったですのに、大臣の望みを見過ごすのもお労しく、朱雀院が結構な縁組みとお考えになられた経緯もありましたので、これ以上、私の考えは及ばないと強いて思いまして、婿としてお迎え申したのでございますが、このように、夢のように先立たれたことを考えますと、自分の考えを同じことなら強く押し通して、反対すれば良かったものを……と思われ、やはりとても残念でなりません。このように早く……とは思いもよりませんでした。
 内親王たちは、良かれ悪しかれ、よほどの事がなければ、この宮のように結婚なさるのは良いことではないと、古い考えの私は思い続けてまいりました。結婚するしないに拘わらず、中途半端な中空に彷徨うように、辛い運命の方なので、夫に先立たれた宮が、後を追い亡くなるというは、この宮にとって、外聞などどうして残念なことがありましょうか。

 そうかと言って、そのようにあっさりとは諦め切れず、宮を悲しく拝見しております折に、大層喜ばしいことに、心のこもったお見舞いを度々頂いて、誠に有り難いことと御礼申し上げます。それはあの方とのお約束が二人の間にあった故……でございましょう。亡き君は、宮を深く想っていたようには見えなかったようですけれど、「今は限り……」と、誰彼に言い残しなさった遺言が身に染みまして、辛い中にも嬉しいことが混じっているのでございます……」と言って、とても酷くお泣きになるご様子が、御簾の奥から伝わってきました。

 大将の君もすぐには、涙を躊躇いなさいません。
「どうした訳か、この上なく思慮深くおられました方が、このような運命だったのでしょうか。この二・三年の間、ひどく沈み込んで心細げにお見えになりましたので、あまりに世の無常を知り、考え深くなられた人が、悟り澄まし過ぎて、このような例で心が素直でなくなり、かえって快活なところが少なくなってしまうのかと、いつも至らない自分の気持のままお諫め申した私を、心浅しとお思いのようでした。万事について人より優れておられました。誠に……お嘆きのように、落葉宮の御心中は畏れ多いことですが、大層辛い思いでございます……」などと、慕わしく御息所に心細やかに申し上げて、やや時が経ってから退出なさいました。

 督の君は、夕霧より五・六歳くらい年上でございましたが、それでもとても若々しく優雅で、人懐っこいご様子がおありでした。夕霧は大層生真面目で重々しく男らしい感じがして、お顔立ちだけでもとても若く美しいところが、誰にも勝っておられますので、若い女房たちはもの悲しさも少し紛れて、お帰りのお見送りを申し上げました。

 御前に近い桜が大層美しく咲いているのを「今年ばかりは……」などと思われますのも、縁起でもないことなので、「再びお逢いするのは……」と口ずさんで、

   時しあればかはらぬ色に匂ひけり 片枝枯れにし宿の桜も

     (訳)季節がめぐってきたので、いつもと変わらぬ色に美しく咲きました。
        片枝が枯れてしまった桜の木も……


 さりげない風にお立ちになると、御息所はとても素早く、

   この春は柳の芽にぞ玉はぬく 咲き散る花のゆくへ知らねば

     (訳)今年の春は、柳の芽に露の玉が貫いているように涙しています。
        咲いては散る花の行方も知りませんので……

 と、申し上げなさいました。御息所は特に造詣が深いと言うのではないのですが、今風で才能あると言われる更衣でした。「誠に安心できるお心遣いであるようだ……」とご覧になりました。

 致仕の大殿に参上なさいますと、弟の君達が大勢おられました。「こちらにお入りなさいませ」と言うので、大臣の御客間の方にお入りになりました。大殿の若々しく美しげな御姿も、大層痩せ衰えて、御鬚などもお手入れなさらず黒々と生え、親の喪に服すよりも憔悴しておられました。

ご対面なさいましても、とても耐え難く悲しいので、堪えられず溢れ落ちる涙こそ、見苦しいと無理にお隠しなさいました。大臣が、
「特に二人(夕霧と柏木)は仲良くおられた……」と夕霧をご覧になりますと、涙はただ流れ落ちて、止めることがおできになりません。お互いにしみじみと、語り尽きせぬ悲しみをお話しなさいました。

 一条宮邸に参上した時の様子などを、お話し申し上げますと、大臣は、酷い春雨と思える軒の雫と違わないほどに、袖を濡らしなさいました。御息所が「柳の芽にぞ……」とお書きになりました畳紙をお見せしますと、
 「目も見えません……」と涙を押し絞りながら、ご覧になりました。泣き顔を隠してご覧になるご様子は、いつものように心強く、きっぱりとして誇らしげなご様子の名残はなく、大層体裁が悪いものでした。特に優れた和歌ではないようだけれど、「玉は貫く……」とあるところが、なるほどと思われるので、心乱れて、しばらくの間、涙を抑えることがお出来になりませんでした。

「貴方の御母君(葵)が亡くなられた秋は、本当に悲しい事の極みに思えましたが、女性というものには限りがあって、知る人も少なく、あれこれと目立つ事もないので、悲しみも表立つことはありません。亡き人は優れた者ではなかったけれども、帝はお見捨てにならず、だんだん一人前になり、官位も昇進するにつれて、頼りにする人々が自然に次々と多くなっていきました。今、この死を驚き 残念に思う人は、各関係に大勢いることでしょう。この深い悲しみは、その世間の評判も官位も関係なく、ただ他の人と異なることのない本人の様子だけが、耐え難く恋しいのです。どんなことをすれば、この悲しみを冷ますことができるでしょう……」と空を仰ぎ、物思いに耽っておいでになりました。夕暮れの空の気色は鈍色に霞んで、花の散った梢などに、今、初めて目を止めなさいました。

 さきほどの畳紙に、

   このしたの雫に濡れてさかさまに 霞の衣着たる春かな (大臣)

     (訳)木の下の雫に濡れて、逆さまに、親が子の喪に服している春です

    亡き人も思はざりけんうち捨てて 夕の霞君きたれとは (大将の君)

     (訳)亡くなった人も、思いもしなかったでしょう。親に先立って、
        夕鈍色の喪服を、貴方(父君)に着て頂こうとは……。

   うらめしや 霞の衣誰きよと 春よりさきに 花の散りけむ   (辨の君)

     (訳)恨めしいことです。黒染めの衣を誰が着ようと思って、
        春より先に花は散ってしまったのでしょう。

 ご法要などは世間並みではなく、格別厳粛に催されました。大将殿の北の方(雲居雁)は勿論のこと、殿(夕霧)は誦経などにも、特別に心深い御心遣いを添えなさいました。

 あの一條宮邸にも、大将の君は常にお見舞い申し上げなさいました。四月の空はどことなく心地良く、一面新緑の四方の梢が美しく見渡せます。、物思いに沈んでいる邸内は、何事にも、静かで心細く、暮らし辛くおられすところに、いつものように大将がお渡りになりました。

 御庭にも、だんだんと青い芽を吹いた若草が見渡せて、あちらこちらの白砂の薄くなった物陰の側に、蓬(雑草)がわがもの顔に生えています。亡き君が生前、熱心に心尽くして手入れをなさいました前栽も、今は勝手放題に茂り、一群の薄も元気に広がって、虫の音が加わる秋が思いやられます。大将は悲しく涙を流しながら、草を分けてお入りになりました。

 伊予簾を掛け渡して、鈍色に衣更えした御几帳の透き影が涼しげに見えました。可愛らしい童女の濃い鈍色の汗衫の端や髪の格好などが少し見えるのも、やはりはっと眼を見張る心深い景色でございました。

 大将の君は、今日は簀子にお座りになりましたので、女房は茵(敷物)を差し出しました。
「大層軽々しい御座でございます……」と言って、いつものように、御息所にご対面を促し申し上げましたが、「この頃、気分がすぐれず……」と、寄り臥してしまわれました。女房達があれこれお話申し紛らわす間、夕霧は、御前の木立などが何気なく茂っている様子などをご覧になり、ただしみじみと悲しくお思いになりました。柏木と楓とが他の木々よりも一段と若々しい色をして、枝を差し交わしているのをご覧になって、
「どのような前世からの因縁でしょうか。枝の先が繁っている頼もしさよ」と仰って、落葉宮の方に目立たないように忍び寄り、

    ことならば ならしの枝にならさなん   葉守の神の許しありきと

      (訳)同じ事なら、この枝のように親しくしてください。葉守の神の亡き方が お許しがあったのですから……

 と言って、長押に寄りかかりなさいました。
「寛いだお姿もまた、とてもしなやかでいらっしゃること……」と女房達が互いにつつきあっておりました。お相手を申し上げる少将の君という女房を介して、落葉宮は、

   柏木に葉守の神はまさずとも 人ならすべき宿の下枝か

      (訳)柏木に葉守の方はいらっしゃらなくても、 みだりに人を近づけてよい梢でしょうか……

あまりにも唐突なお言葉に、貴方をいい加減な方と思えるようになりました」と申しなさいましたので、「なるほど……」と少し苦笑なさいました。

 御息所がいざり出ておいでになる気配がしますので、夕霧は静かに居ずまいを正しなさいました。
「嫌な世の中、悲しみに沈んで月日を過ごしているせいでしょうか。心も乱れ、不思議にただぼうっとして日数を重ねてきましたが、このように度々重ねてお見舞いを頂き、大層かたじけなく思われ、元気を奮い起こしております……」と本当に苦しそうなご様子でした。
「お嘆きになるのは、この世の道理でございますが、いつまでもこのように苦しみ続けられるのは、いかがなものでしょうか。万事のことは前世からの因縁でございましょう。さすがに悲しみも限りある世の中でございます……」と慰めなさいました。この落葉宮こそ、聞いていたよりは奥ゆかしく見えますのがお気の毒で、大層外聞の悪いことをも添えて、お嘆きなのだろう……と思うと、放っておけないことなので、大層心を尽くして、宮のご様子をお尋ね申しなさいました。

「ご器量は理想という程ではないけれど 、大層見苦しいとか側にいて辛いというほどでもありません。どうして……見る目によって相手を嫌いになったり、また恋に心を惑わすことがあってよいものか。それは何ともみっともないことだ。ただ気立ての良いことだけが、結局は大切なことなのだ……」と、夕霧はお考えになりました。

「今は、やはり昔と同様にお考え下さって、私を疎ましくお扱いなさらないでください」などと、特に色めいた様子でなく、心をこめて、好意を持っている御心の内を申し上げなさいました。直衣姿は大層鮮やかで、背丈もすらっと高く堂々としておられますので、女房たちは、
「あの殿(柏木)は、何事にもお優しく優雅で、上品に魅力的でいらしたことは、並ぶ者がありませんけれど、この大将の君は、男らしく鮮やかで、何と美しいだろう……」と、直ぐにも美しく見えるところは、殿には似ておられない……」などと囁いて、
「同じなら、このように今後もお通い下さったらよいのに……」と申しているようでした。

 「右将軍の墓に草初めて青し……」と大将は口ずさんで、それも最近のことなので、あれこれ心乱れる世の中に、身分の高い人も低い人も、柏木の死を惜しみ、残念がらない者がないのも、不思議と人情の篤い方だったからでしょうか。大したことない公人や、女房たちの年老いた者までが「恋しい」「悲しい」と申し上げていたのでございました。

 それ以上に、今上の帝におかれましては、管弦の遊びなどの折に、まず思い出しなさって、お偲びなさいました。
何事につけても「あゝ、衛門の督よ……」と、口癖のように言わない人はありません。まして六条院では、月日が経つにつれて、お気の毒と思い出す折が多くなってゆきました。


 この若君(薫)を、源氏の御心の中では、形見とみなしておられますが、他人にはこの密事については思いもよらぬことなので、誠に言う甲斐もありません。秋頃になり、この若君が這い這いをする様子が、言葉にならないほど愛らしいので、女房の目だけでなく、院も、誠に愛しいとお思いになって、常に抱いて、遊び相手をなったのでございました。

( 終 )

源氏物語「柏木」(第三十六帖)
平成二十二年晩夏 小川和子(文・絵)

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