紫上がひどく体調を崩されてからは、すっかりご病気がちになられて、気分の優れない状態が長く続きました。特に重篤というのではないですけれど、月日が重りますと心細く、ますます衰弱が増しますので、院(源氏の君)は、この上なくお嘆きになり、
「ほんの少しの間でも、逝き遅れることは堪えがたい…… 」とお思いでございました。
紫上は、ご自分の気持ちとして、この世に不満足なことは何もなく、後に残り 気掛かりとなる絆(御子)さえもいない身の上なので、無理に生き永らえたい命ともお思いにならないのですが、長い年月のご夫婦の御契りを離れることになれば、院を大層お嘆かせ申すことだろうと、人知れず心の内で悲しくお思いでございました。来世のために……と、尊い仏事などを多くおさせになり、
「どうにかして本願である尼姿になって、暫くの間だけでも、生き永らえる命のある限りは、一途に勤行に努めたい……」とお思いになり、一心にお願いなさるのですが、院は、決してお許し申されません。
それでも、院ご自分の御心には同じ思いでおられますので、紫上が熱心に出家をお願いなさる機会に促されて、一緒に同じ仏道に入ろうか……とお考えになるのですけれど、ひと度出家をなさったならば、仮にもこの世を顧みようとはお思いにはなりません。
「後世では、極楽の同じ蓮の座を分け合おう……」と契りを交わし合って、お互いに頼りにしておいでになる夫婦仲 ではありますが、
「この世のままで仏道を勤める間は、同じ奥山で峰を隔てていても、顔を合わせない住居で離れて過ごすだけのこと……」とお考えでございました。けれども紫上が、このようにとても頼りない状態で、病みついておられますので、
「今こそこの世を離れるには、そのお気の毒なご様子を見捨てがたく、かえって山水の住み家も濁ってしまいそうだ……」等と思い悩んでおられるます間に、ただ浅い考えのままに出家心をおこす人々に比べて、すっかり出家が遅れてしまわれたようでございました。
院のお許しがなくては、紫上が一途に出家を望んでおられましても、ただ体裁が悪く、不本意なことなので、これについては、院を恨みに思い申し上げ、ご自身を「罪浅くはない身の上だから……」と、大層心許なくお思いでございました。
長い年月に、紫上が私的な御願として書かせた「法華経」千部を、急いで供養なさいました。ご自分の御住居とお思いの二条院にて供養をなさいまして、七僧の法服など数々の品を奉納なさいました。法服の色や縫目をはじめとして、その美しさはこの上なく、大方の何事についても、大層ご立派な法事をなさったのでございます。 仰々しくはありませんでしたけれど、ご供養の詳細な事などをお教えになりませんでしたのに、女性のしきたりについては深く心行き届いていて、仏道にさえ通じておられる御心のほどを、院(源氏)は「誠にこの上ない人」とご覧になりまして、ただ大体の御設備などだけをお世話なさいました。楽人・舞人などのことは、大将の君(夕霧)が特に取り仕切りなさいました。
内裏・春宮・后の宮たちをはじめとして、六条院の御夫人方は、それぞれに御誦経・捧物などをお供えなさいましたが、寝殿は所狭い程で、まして その頃、ご準備にお仕えしない者がいないので、大層煩雑になることもありました。
「いつの間に、このようにいろいろとご準備なさったのでしょう。誠に 古い昔の世を経た御願であろう……」と窺えました。
花散里と申し上げる御方や明石の上なども、二条院にお渡りになりました。寝殿の西にある塗籠の、南東の妻戸を開けた所に、紫上はおられまして、北の廂に、御婦人方の御座が、障子だけを隔てて設けてありました。
三月十日なので花の盛りで、空の景色なども麗らかで情緒があり、仏のおられる極楽浄土の様子が身近に思われて、特に信心深くない人でさえ、罪障を失いそうでございました。薪こる行道の声も(*「法華経わが得しことは薪こり 菜摘み水汲み仕へてぞ得し」拾遺より)辺りに集い響いて恐ろしい様子ですが、声が静まった時さえしみじみ心惹かれるのに、ましてこの時期のことですので、何事につけても、紫上は心深くお感じでございました。
明石の御方に、三の宮(匂宮)を通じてお気持ちをお伝え申しなさいました。
惜しがらぬこの身ながらも限りとて 薪つきなんことの悲しさ
(訳)惜しくもないこの身ですが、これを限りとして
薪が尽きたことを思うと悲しうございます……
御返歌には、心細い様子では後の非難も気になりますので、差し障りのない詠みぶりで、
薪こる思ひは今日をはじめにて この世に願ふ法 じはるけき
(訳)仏道への思いは、今日を初めとして
この世に願う佛法はいつまでも続くことでしょう
一晩中、尊い読経に合わせた鼓の音が鳴り続いて、大層趣きがありました。ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間から見える花々の色は美しく、さらに春に心が留まるようにと咲き匂って、百千鳥のさえずりも、笛の音に劣らず美しい感じがしています。しみじみとした情緒も興味も、ここに極まるほどで、陵王の舞の終わりの、急に速い調べになった楽の音は、華やかににぎやかに聞こえ、皆 人の脱ぎかけた着物の色などさえも、折柄 美しく見えました。親王達、上達部の中でも、楽の上手な人達は、技を尽くして奏でておりました。身分の上下に拘わらず、心地よさそうに興じている様子をご覧になりまして、「残りの命も少ない……」と、ご自身の身の上をお思いになる御心の内には、すべての事がしみじみと悲しく思われました。
昨日はいつもと違って、ずっと起きておいでになったためか、今日はとても苦しそうに臥せっておられました。
長い年月、このような行事の折ごとに参上し、集い、楽を楽しまれる人々の御容姿や態度、それぞれの才能、琴、笛の音をお聞きになり、「今日が最後になるだろう……」とお思いになって、普段はそれほど目に留まらない人の顔なども、しみじみと愛しく見えて、辺りを見渡しなさいました。まして夏・冬の四季折々の催し物にも、何となく競い合う気持ちが自然と混じったりするのですけれど、やはりお互いに情を交わしなさる方々は、誰もが皆、永久に留まれる世の中ではないので、まず自分一人で逝くことを思い続けなさいまして、酷く悲しくお思いになりました。
法事が終わって、人々がそれぞれにお帰りになろうとする際も、永遠の別れのように思われて惜しまれてなりません。花散里の御方に、
絶えぬべき 御法ながらぞ頼まれる 世々にとむすぶ中の契りを
(訳)これが最後になるに違いない法会ですが、頼もしく思われます。
あの世でもと結んだ貴女との契りを頼みにしておりますので……
御返歌として
結びおく契りは絶えじ 大方の残りすくなき御法なりとも
(訳)貴女と結んだ契りは永遠に続くでしょう。
私のような普通の人の残り少ない命の法会であったとしても……
そのまま続けて、この機会に不断の読経や懺法など、絶え間なく尊い仏事をさせなさいました。御修法については、格別な効果も見えないまま時も過ぎましたので、いつもの様に引き延ばして、然るべき寺々でこそおさせになりました。
夏になってからは、例年の暑さでさえ、気を失ってしまわれそうな折々が 多くございました。ご病状は特に酷くはないですし、辛そうに身動きもなさらない程お悩みになることもありません。ただ大層御身体が弱ってしまわれましたので、伺候する女房たちも、
「この先、どうなられるのか……」と気分が暗くなり、何とも惜しむべき悲しいご容態と拝見しておりました。
このようにおられます時に、明石中宮が二条院にご退出なさいました。通常は東の対にお入りになるはずですのに、寝殿にお迎え申し上げました。行啓の儀式などはいつもと変わらないのですが、紫上にとって「この世の有様も見納めになるのでは……」とお思いになり、万事につけて悲しくおられました。名対面 (部屋に入る時に名乗る)をお聞きになっても、あの人、この人などと耳に留めて、聞き逃すこともお出来になりません。
大勢の上達部などが、中宮に伺候しておられました。ここ久しく 親しく御対面なさっていなかったので、珍しい事とお思いになって、細々とお話などをなさいました。ちょうどそこに、院(源氏)が入ってこられまして、
「今宵は、巣をなくした鳥のような気持ちがして、何とも体裁の悪いことだ。退出して休むことにしよう……」と仰って、自室にお戻りになりました。紫上が起き上がっておられますのを、大層嬉しいこととお思いになりますのも、大層、儚いほどの気慰めでございました。
中宮は、
「別々の所におられましては、(紫上が)あちらにお渡りになるのも、畏れ多いことでございます。いつも私がお側に伺うことも難しくなってしまいましたので……」などと仰いました。中宮が暫く寝殿にいらっしゃる様子ですので、明石の御方もこちらにお渡りになって、心深く穏やかにお話などをなさいました。
紫上の御心の内には、思い巡らすことが沢山ありましたけれど、気が利いた風に、亡くなった後の事などを仰ることはありません。ただ大方の世の無常な有様を、おっとりと言葉少なではありますが、心深く仰るご様子などは、口に出すよりも しみじみと心細いご心情が、はっきりと窺えるのでございました。明石中宮腹の宮たちを拝見なさいましても、
「宮たちそれぞれの将来を知りたいと思い申し上げていますのこそ、このように儚くなってしまったわが身を、惜しむ気持ちが混じっているからでしょう……」と仰って涙ぐみなさいました。その御顔がとても美しくいらっしゃいました。
中宮は、
「どうして死ぬことばかりお思いなのでしょう……」とお泣きになりました。紫上は、それを少しも不吉な事とはお思いにならずに、お話のついでに、長い年月お仕えし馴れていた女房たちで、特に頼る人のない気の毒な人々について、
「私が亡くなりました後に、どうか御心に留めて面倒を見てやって下さい……」などと、お願い申しなさいました。
御読経などのために、いつもの東の対へお渡りになりました。三の宮(匂宮)は、大勢の皇子たちの中でも、とても可愛らしく歩き回っていらっしゃいました。病の御気分のよい時に、前に座らせなさいまして、誰も聞いていない間に、
「私が居なくなったら、思い出してくださいますか……」とお尋ねなさいますと、
宮は、
「きっと……とても悲しくなるでしょう。私は内裏の上 (母君)よりも、祖母様(紫上)をこそ、特にお慕いしています。いらっしゃらなくなったら、我慢出来ません」と、目を押し拭って涙を紛らわしていらっしゃるご様子が、とても愛らしいので、微笑みながら涙を落としなさいました。
「大人におなりになったら、この二条院にお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜の花の折々に、心を留めてお楽しみ下さいませ。然るべき折には、仏にもお供えしてください……」と申しなさいますと、匂宮は頷いて、紫上の御顔を見つめ、涙が落ちそうになったので、座を立って行ってしまわれました。紫上は特にこの匂宮を可愛がっておられましたので、この宮と姫宮とを お世話申し上げられなくなってしまうことが、何よりも残念で悲しいこととお思いでございました。
ようやくの秋を待って、世の中が少し涼しくなってきました。ご病状も少々爽やかになられたようですが、やはりともすれば、何かとお辛そうになさいます。と言いましても、お身体に染みるほどの秋風ではないけれど、ただ涙にくれる日々を過ごしでございました。
明石中宮が内裏に参内しようとなさいますので、「もうしばらくは、私の傍でお世話を……」と申し上げたいと思われましたけれど、さしでがましい様でもあり、内裏の御遣者が 度々来るのも煩わしいので、そのようには申しなさいませんが、東の対にお渡りになることができないので、中宮がこちら(紫方)にお渡りになりました。
「お気の毒に……でも中宮にお逢いしないのも、生きている甲斐のないというもの……」と、寝殿に御座所を特別に設けさせなさいました。 紫上はこの上なく痩せ細ってしまわれましたけれど、
「こうあっても、限りなく気高く優雅なご様子も勝って、素晴らしい……」とご覧になり、かつて美しさが はっきりと華やかでいらした女盛りの頃には、この世の花の薫りにも 比べられなさいましたが、今はこの上なく上品に愛しいご様子で、今の世をかりそめのものとお思いのようで、他に似るものもなくお労しく、大層悲しくお思いでございました。
風がひどく吹き出した夕暮れに、前栽をご覧になろうと、脇息に寄り掛かって座っていらっしゃいますと、院がお渡りになりました。紫上のご様子を拝見なさいまして、
「今は、御気分もよく起きていらっしゃるのですね。中宮の御前では、すっかり御気分が晴れ晴れなさるようだ……」と申しなさいました。
「病でもこのような気分の良い時があるのは、とても嬉しいことだ」と、お思いになる院のご様子を、拝見なさるのもお労しく、
「ついに最期となった時に、どんなにかお嘆きになり、お騒ぎになるのでしょうか……」と辛くお思いになりました。
おくと見る程ぞはかなき ともすれば 風に乱るる萩の上露
(訳)起きていると見えるのも、少しの間のこと ややもすれば
風に吹き乱れる萩に降りた露のように はかない私の命よ……
誠に、風に折れ返り、留まることもできない花の露が、紫上の身に例えられるのさえ辛く思われ、
ややもせば消えを争ふ露の世に おくれ先だつ程経ずもがな
(訳)どうかすると、 先を争って消える露のように、儚い人の世に
せめて後れたり先立ったりせずに 一緒に消えたいものだ……
と、涙をお拭いになることも出来ません。中宮も詠み交わしなさいました。
秋風にしばしとまらぬ露の世を だれか草葉の上とのみ見る
(訳)秋風にしばらくの間さえ止まらずに散ってしまう露の命を、
誰が草葉の上の露だけと思うのでしょうか……
紫上も中宮もこの上なく美しく、見る甲斐のあるほど素晴らしいご様子なので、
「こうして千年を共に過ごしていたいものだ……」とお思いになりましたけれど、寿命は、思うに任せられないことなので、逝く人を留めておく術のないのが、悲しいことでございました。
「今は……もうお帰り下さい。心乱れてとても苦しくなりました。どうしようもない時とは言いながら、弱りきった姿はご無礼にあたりましょう……」と、御几帳を引き寄せて臥されますご様子が、いつもよりとても頼りなく見えますので、
「どうあそばしましたか……」と、紫上の御手をとり、泣く泣く拝しなさいますと、本当に……露の消えゆくように、「今は限り……」と見えました。
数え切れないほどの御誦経の使者達が、立ち騒いでおりました。以前にも、こうして生き返られた時と同じく、この度も御物の怪の仕業かと疑いなさいまして、院は、一晩中、祈祷など様々のことをし尽くしなさいましたが、その甲斐もなく、夜の明けきる頃、遂にお亡くなりになりました。
中宮も内裏にお帰りにならずに、このように最期を看取りなさいましたことを、この上ない事とお思いになりました。皆「人の世の別れは誰にもあること……」とは思わずに、今までに例のない悲しい事として、明け方の悪夢かと心惑いなさるのは、当然のことでございました。
皆、動転して、しっかり気遣いの出来る人もおりません。紫上の側にお仕えしている女房なども皆、一人として分別のつく人はいません。院におかれましては、まして心を鎮める方法もないので、近くに参上なさっている大将の君(夕霧)を、御几帳の元に呼び寄せなさいまして、
「このように、紫上の命は最期のようであるので、長い年月 願っていた出家を……この際、その思いを遂げないまま終わってしまうのは可哀相なので……加持を勤める大徳たちや読経の僧など、皆、読経を止めて帰ってしまったようだが、まだ残っている僧もいるだろうから……この現世には、役立たない気持がするけれど、仏の御利益に、今はせめて冥途の暗い道を訪ねる時に、仏を頼みにおすがりできるから……髪を下ろすように命じて下さい。それの出来る僧が誰か残っているか……」などと仰るご様子が、気強くお振る舞いのようですけれど、御顔の色もいつもと違って、ひどい悲しみに堪えかね涙の止まらないご様子なので、大将の君はただ悲しく拝見しておられました。
「御物の怪などが、この度も 院の御心を乱そうとして、このようなことになるようでございます。紫上がそのようにお望みでいらっしゃったならば……いずれにしても、出家させようという御本意はよいことでございましょう。一日一夜でも、戒をお守りになることは、無駄なことではありません。亡くなられた後になってから、髪だけをお下ろしなさっても、特に後世の御光にはならないでしょうけれども、ただ目の前の悲しみだけが増えるようで、いかがなものでしょうか……」と申しなさって、忌みに籠もって伺候しようという心積もりがあって、二条院を退出しない僧などをお呼びになって、受戒の然るべき事などを取り仕切りなさいました。
内心では、
「長い年月、何とか身分不相応な恋心などは持たなかったけれど……あの日(野分の巻)と同じように、いつの日にか 紫上を拝見したいものだ。今まで少しも 御声さえも聞くことがなかった。心から離れず慕い続けていたのに、御声はついにお聞かせ下さらないで終わってしまったのか。虚しい亡骸になられて……もう一度拝見したいという願いが叶う折は、今より他にどうしてあるだろうか」と、抑えられずに泣けてきました。女房たち皆が泣き騒ぎ、おろおろしているのを、
「静かに、しばらく……」と制止する表情をして、御几帳の帷子を引き上げてご覧になりました。
夜がほのぼのと明けゆく光も弱々しいので、大殿油(灯火)を近寄せて拝見なさいますと、どこまでも愛らしげで美しい御顔が、まるで生きているように見えました。大将がこのように覗きなさるのを見ながらも、院は、紫上を強いて隠そうとはお思いにならないようでした。
このように、何事も生前と変わらぬご様子ながら、「ご臨終の様子ははっきりしている……」と、御袖を顔に押し当てなさいます間、大将の君も涙が溢れて、目も見えなさいません。強いて涙を絞り出すように、目を開けて拝見しますと、尽きせず悲しいこと類ないので、かえってまた心惑い(恋慕)してしまいそうに思われました。
枕元にうちやられている黒髪は、少しも乱れた感じもなくつやつやとして、この上なく美しうございました。灯火がとても明るいので、御顔色は白く光るようで、何かと身繕いしていらっしゃいました生前のご様子よりも、今さら言う甲斐ないほどに美しく、何心なく臥していらっしゃるご様子が、物足りない所もないのも、言うまでもないことでございました。
それだけでなく、類ない美しさを拝見していますと、死にいる魂が、そのままこの亡骸に留まっていて欲しい……と思われるのも、無理のないことでございましょう。
紫上に伺候していた女房などが分別を失っているので、院は、何事も分からない心地を強いてお鎮めになって、ご葬儀のことなどを指示なさいました。昔、悲しく思ったことに沢山遭われた御身ですけれど、誠にこのように、自ら手を下してお世話することは、未だ体験なさらなかったので、全て過去にも未来にも、類ない辛い気持がなさいました。
そのまま、その日のうちにご葬儀をなさいました。限りあることなので、亡骸を見ながらお過ごしになることができないのも、何とも辛いことでございます。
遙々と広い野に、隙間もないほど人や車が立ち混んで、限りなく厳粛なご葬儀が行われましたが、誠に儚い煙となって昇ってしまわれましたのも、通常のことながら、どうしようもなく悲しいことでございました。
院(源氏)は空を歩むような心地がして、人に寄り掛かっておられましたので、拝見する人々も、
「あれほどのご立派な身分の方なのに……」と、物心知らぬ下衆の者でさえも、泣かない者はおりませんでした。葬送の女房たちはそれ以上に暗い夢路に迷う心地がして、御車から転げ落ちてしまいそうになりますので、車副等が世話をしておりました。
昔、大将の御母君(葵)が亡くなられた暁のことを思い出しても、あの時には、まだ多少 物の分別があったのでしょうか。月が明るく見えたのを、院ははっきり覚えておられるのですが、今宵はただ涙にくれ惑いなさいました。紫上は十四日に亡くなられて、ご葬儀は十五日の暁でございました。帰路には陽が明るく差し昇って、野辺の露も隠れるところなく光っておりました。無常な世の中について思い続けなさいますと、ますます厭わしく悲しいので、
「見送る……と言えども、私はこの世に幾年生きていけるのだろうか。このような悲しみに紛れて、昔からの本意(出家)を遂げたいものだ……」とお思いになりましたけれど、心弱き者だという後世の謗りを考えると「この時期を過ごしてから……」と心にお決めになり、胸に咳き上げてくるものが堪えがたいことでございました。
大将の君も御忌みに籠もりなさって、ほんの少しも退出なさらず、明け暮れ、院のお側に伺候しておられました。お気の毒なほど痛々しいご様子を当然の事と悲しく拝見なさいまして、万事にお慰め申し上げました。風が野分だちて吹く夕暮れに、昔を思い出して、
「紫上のお姿をほのかに拝見したことがあった……」と恋しく思われ、また最期の時には夢ような心地がしたなどと思い続けておいでになりました。ただ堪えがたく悲しいのですが、他人の目には少しもそう見えないようにして、「阿弥陀仏、阿弥陀仏……」と繰り返し、数珠の数に紛らわして、涙の玉を隠しなさいました
いにしへの秋の夕の恋しきに 今はと見えしあけぐれの夢
(訳)昔、野分の夕べに拝見したお姿が恋しいにつけても、
ご臨終の時に拝見したのが、夢のようでございます……
と、その名残りさえもが辛く思えるのでした。
身分の高い僧などを二条院に伺候させて、七七日法要に定められた念仏は言うまでもなく 法華経などをも読経させなさいました。
それぞれの方々も大層悲しくおられました。院は 臥しても起きても涙の乾く時もなく、深い霧に閉ざされたように 明かし暮らしなさいました。昔からのご自身のことを思い返されますと、
「鏡に映る姿をはじめ、他の人とは異なった容姿でありながら、幼い頃より悲しく無情な世を思い知るべく、佛が出家をお勧め下さったわが身なのに、出家もせずに強情に過ごしてきて、遂には、過去も未来も類がない程の悲しみに遭ったことだ。今はもう この世に気掛かりなことも残っていない。
ひたすら仏道に就くのに、何の支障もないのだが、誠に……静める術もないほどの心惑いがあっては、願っている仏道にも入り難いのでは……」と気が咎めますので、
「この死別の悲しみを、少し忘れさせて下さい……」と、阿弥陀仏に念じ申し上げなさいました。
内裏をはじめとして、あちらこちらからのご弔問は、通常の作法だけではなく、大層頻繁にございました。すでに出家を決意なさっている院の御心には、何事も目にも耳にも留まらず、支障となることはないはずですが、
「人から惚けた様子には見られまい。今更に晩年になって、愚かにも気弱い心惑いから出家をしたと、後世に汚名を流しかねない……」とご心配なさいまして、思うに任せない嘆きさえも加わるようでございました。
致仕の大臣は、お見舞いについて時を逃さず心遣いされまして、このように世に類なくいらした方(紫上)が儚く亡くなられましたことを、非常に残念で悲しくお思いになって、とても頻繁にお見舞い下さいました。
「昔、大将の御母上(葵・大臣の娘)が亡くなられましたのも、この頃のことであった……」と思い出して、大層悲しくなられ、
「あの時、葵上の御身を惜しみ申された方々も、多くお亡くなりになりました。死に遅れ 先立ったとしても、大差のないことだが……」などと、悲しげな夕暮れに物思いに耽っておられました。
空も哀れな様子なので、御子息の蔵人の少将を介して、院に御文を差し上げなさいました。しみじみ胸を打つことなどを細やかにお書きになって、その端に、
いにしへの秋さへ今の心地して 濡れにし袖に露そおき添ふ
(訳)昔の秋のことさえも、今のことのような心地がして
涙に濡れた袖を、また涙で濡らしています。
そんな折、院も昔のいろいろなことを思い出され、何となくその秋のことを恋しく想い集めて、溢れる涙を拭いもなさらず、御返歌に、
露けさは昔今ともおもほえず 大方秋の世こそつらけれ
(訳)涙に濡れる悲しみは、昔も今も変わりません。
ただ普通の秋の夜こそ辛いものです……
悲しい御心のままの御返歌をお待ちになって「御心の軟弱な……」と、お咎めなさるに違いない大臣の御性格ですので、無難なように……と、
「たびたび心尽くした御見舞いを重ねて頂きまして……」と、御礼を申しなさいました。
薄墨衣と詠まれた時よりも、もう少し濃い色の喪服をお召しでございました。世の中に幸いある立派な人も、大方の世間からなぜか嫉まれる身分の高い方の中にも、この上なく驕り高ぶって、人を苦しめる人もあるようですが、紫上は、不思議なまでに無縁な人にも受け入れられ、些細な事にも、何事につけても世間から誉められ、奥ゆかしく振る舞われました。四季の折々につけても 細やかに心行き届いて、滅多にないご性格の方でございました。そのようにまたとない方ゆえ、世間の人さえ、その頃は風の音や虫の音につけても涙を落とさない人はありませんでした。まして紫上に少しでもお逢いしたことのある者は、悲しみを慰める暇もありません。長い年月、親しく仕え馴れていた女房たちは、少し残っている命を恨めしく嘆きながら、尼になり、この俗世の外の山住まいなどを、思い立つ者もありました。
冷泉院の后の宮(秋好中宮)からも、悲しみにくれたお手紙があり、盡せぬ事をお書きになって、
枯れ果つる野べを憂しとや亡き人の 秋に心をとどめざりけむ
(訳)枯れ果てた野辺を嫌ってか、亡くなられた方は、
秋をお好きになることはなかったのでしょうか……
今になってこそ その理由が分かりました……」とありますのを、院は、ぼんやりしたお気持のまま読み返して、御文を下にお置きになることができません。
「言う甲斐があり、情緒ある歌を詠み交わして心慰める人としては、この宮だけがまだご存命でいらっしゃる……」と、少し悲しみが紛れるように思われ、また涙が溢れますので、御袖が乾く暇もなく、お返事をお書きになることさえできません。ようやく……
のぼりにし雲井ながらもかへりみよ 我秋はてぬ 常ならぬ世に
(訳)雲となって昇っていった雲居からも、振り返ってほしい
私は無常の世に飽き果ててしまいました。
返歌を紙に包みましても、そのまま物思いに耽っておられました。
心身健やかにも思えず、我ながら惚けた様を思い知ることが多くありますので、心を紛らすために、女房方にお出でになりました。
仏の御前に、幾人かの女房をお呼びになって、心静かに読経をなさいました。
「千年をもご一緒に……と思ったけれど、限りある別れこそが大層残念なことであった。今は蓮の露の願いが、他に紛れることなく、来世を……」とひたすらお思いになる気持に揺るぎはありません。けれども院が世間体を躊躇っておられる事こそ、つまらないことでございます。
御法要のことなども、はっきりとお決めになることもなかったので、大将の君(夕霧)が代わって伺候なさいました。
「今日が最期か……」と、ご自分でも覚悟なさる折も多くありましたが、ただ夢のような心地で、月日がはかなく過ぎ去りました。
明石の中宮なども、紫上を忘れる時もなく、悲しく恋い慕っておられたのでございます。
( 終 )
源氏物語ー御法(第四十帖)
平成二十四年春 WAKOGENJI(文・絵)
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