やさしい現代語訳


源氏物語「幻」(まぼろし)第41帖

(源氏の君51歳、紫上43歳、明石中宮23歳の頃の物語)


 春の光をご覧になるにつけても、ますます心は暗く乱れるばかりで、少しも悲しみの改まることがありません。御殿には例年のように、参賀の人々がおいでになるのですが、院(源氏の君)は御気分が悪いような振りをなさいまして、御簾の内にばかりおられます。
 蛍兵部卿宮がお渡りになりましたので、御簾の内でお逢いになろうとお伝えなさいました。

   わが宿は花もてはやす人もなし 何にか春のたづね来つらん

     (訳)私の家には花を愛でる人もいませんのに、どうして春が訪れたのでしょうか……

 宮は少し涙ぐみなさいまして、

   香をとめて来つるかひなくおほかたの 花のたよりといひやなすべき

     (訳)梅の香を求めて来たのにその甲斐もなく 
        おおかたの花を見るついで……とでも言ったらよいのでしょうか。

 紅梅の下に歩いて出ておいでになったご様子が、とても素晴らしいので、
「この方の他に、花を愛でる人もいないのではないか……」と見えなさいました。花はほのかに咲きかかり素晴らしいのに、管弦の御遊びもなく、例年と違った事が沢山ありました。女房たちも、長年お仕えしてきた者は、墨染めの色の濃い喪服を着て、悲しみも改めがたく、紫上を恋しく慕い申し上げておりますので、院は御夫人方の所にもお渡りになりません。

 女房達は悲しみの紛れることもなく、院を身近に拝することを慰めとして、お側近くにお仕えしておりました。長い年月、院が真剣に想いを寄せることはなかったけれど、時折、見放すことなしに愛情をかけていた女房さえも、今はかえって、このように寂しい独り寝をなさるようになってからは、大層粗雑にお扱いになって、夜の宿直(とのい)などにも、この人あの人と大勢を、御座の辺りから引き離して伺候させなさいました。

 所在ない折には、女房たちと過ぎし日の物語をなさることもありましたが、昔の名残もなく、出家したいと願う心が深くなるにつれ、そのように終わりそうにないので、かえって紫上が、院を少し恨めしく思っていたご様子が時々見えたことなどを、思い出されまして、
「……女三宮を本気で迎え入れたことなどは、酷く辛い事だったろうに……どうして戯れにせよ、そのような心を、紫上にお見せ申したのであろう。何事にも気が利く心遣いをなさる方で、私の深い本心を大層よくご存知で、私をお恨みになることもなく、
「このまま……どうなるのだろう」とご心配なさっていたのに、ほんの少しでも心を乱す様子さえ見せずに……と、お労しくお気の毒に思われ、さまざまに胸に治めきれない心地がなさいました。その時の事情を知っていて、院のお側近くに、今もお仕え申し上げる女房の中には、かすかに仄めかし申し上げる者もいたのでございました。

 入道の宮(女三宮)が六条院に降嫁なさいました頃、当時は、その辛いお気持の気配さえもお出しにならなかったけれど、ことに触れ
「情けない……」とお悲しみのご様子が、大層お気の毒でございました。中でも、雪が降った早朝、御格子の外にてお帰りを待ち続けて、……戻られた院はご自身が凍り付くほど寒く、雲の景色も激しかったのに、とても優しくおっとりしたご様子でお迎えになり、ひどく泣き濡らしたお袖を引き隠しておいでになりました。その御心遣いなどが思い出され、一晩中「夢でさえも逢いたい。もう一度どんな世に逢えるのか……」などと思い続けられました。
 夜明けになり、曹司(女房の控室)に下りる女房でありましょうか、
「大層、雪が積もりましたなぁ……」と言う声をお聞きになって、ただその当時のような心地がするので、側に紫上のいない寂しさに、言いようもなく悲しくなられました。

   憂き世には ゆき消えなんと思ひつつ 思ひのほかになほぞ程ふる

     (訳)この辛い世に出家しようと思いながら 思いのほかに、また時が経っていく……

 いつものように悲しみを紛らわそうと、御手水(てうず)をお使いになり、勤行をお勤めになりましたので、火鉢に埋めてある炭火を熾して、御火桶を差し上げました。中納言の君や中将の君などは、御前近くにお仕えして、お話など申し上げました。
「独り寝がいつもより寂しい夜であった。このようにして一途に心澄まして、過ごすべき世なのに、何と無駄に俗世に関わってきてしまったことよ・・・」と、また物思いに沈んでしまわれました。
「自分が出家してしまえば、この女房たちは酷く嘆き悲しむだろう。哀れで気の毒なことだ……」と、辺りを見渡しなさいました。
 ひっそりと勤行しながら、読経の御声に心惹かれると思うことでさえ 涙が止まらないのに、まして袖のしがらみ(柵)も止めかねるほど辛いことと思えるので、朝夕、院を拝する女房たちは、尽きせず悲しく思い申し上げておりました。

 「この世では、物足りなく思うことは全くなかったけれど、高い身分に生まれながら、人よりも特に残念に思える運命であった と思うことは絶えずありました。佛などが、世の中の儚く辛いことを知らせるべく、私に定めた運命なのだろう。それを私が強いて知らん顔をして 生き永らえてきたので、このように臨終の夕べも近い末頃になって、紫上の悲しい最期を見てしまった。わが宿世も、自らの心の限界が残り少なく、見果ててしまった安心感から、紫上亡き今、この世に全くの障りもなくなったけれど、紫の生前から身近に仕えていた女房たちが、今を限りと別れてしまう時にこそ、今一段と、心乱れることになるに違いない。この世は、誠に儚いことだ。何とも諦めの悪い私の心だなぁ……」と、御目を押し拭い 涙を隠しなさいましたけれど、悲しみの紛れることはありません。やがて……
また溢れる涙を拝見する女房たちには、それを止める術さえもありません。
 いずれ、院にも見放される時が来るだろうという辛さを、女房たちは、各々口に出したいと思いながらも、申し上げることもできずに、涙にむせ返っておりました。

 このようにして、嘆き明かす夜明けや 物思いに耽って過ごす夕暮れなど、ひっそりとした折々には、他の女房たちと違って、心を寄せていた中納言の君や中将の君を御前近くにお呼びになって、物語などをなさいました。
 中将の君という女房は、まだ小さい頃よりお側近くにお仕え馴れていたのですが、大層忍んで、院がお見過ごしなさらなかったことがあったのでしょうか。いつも紫上のお側にいて、包み隠していましたので、院に馴れ親しみ申し上げることはなかったのですが、紫上がこのように亡くなられた後には、色めいた相手としてでなく、他の人よりも愛おしい者として心にかけておいでになり、紫上の形見の人として、しみじみとお想いになっておられたのでございます。性格や容姿等がよく、うない松(幼い時から知る)に思える感じが、他の女房より気がかりのようでございました。

  他の疎遠な人の前には、院は全くお出ましなさいません。上達部たちも特に親しい人、また御兄弟の宮などが常にお出でになるのですが、お逢いになることはありません。
「人に逢う時ばかりは、賢く御心を鎮め、悲しみを表さぬように……」とは思うけれど、長い間 ずっと茫然としていた御身では、愚かな見苦しい間違い事が混じって、晩年になって人に迷惑をかけることになり、後の評判さえも嫌なものになってしまうだろう。「惚けて、人々には逢わないようだ」と、人に言われるのも同じように、やはり噂から想像する不十分さよりも、見苦しいことが目に見えることは、限りなく格別に残念なことだ……」とお思いになりますので、大将の君(夕霧)などにさえ、御簾を隔ててお逢いになるのでした。

 このように「院は人が変わってしまわれた……」と、人が噂するに違いない時期だけでも、悲しみを鎮め我慢をしてお過ごしになりましたが、この辛い世を見捨てて、出家することはなさいません。
 ご婦人方に稀にちょっとお逢いになっても、まず止めどなく涙が流れますので、誠に体裁悪くお思いになって、どの方にも疎遠なままでお過ごしになりました。

 后の宮(明石中宮)は、いつも内裏におられましたが、三の宮(匂宮)を、院の寂しさの御慰めとして、二条院にお置きになっていらっしゃいました。
「お祖母様(紫上)が仰いましたから……」と、対の御前の紅梅を、特にお世話なさっているご様子を、とてもしみじみと愛しく拝見なさいました。

 二月になると、梅の木などが花盛りになり、桜はまだ蕾なのに、梢が美しく霞んでいるところに、紫上の形見の紅梅に、鶯が来てはなやかに鳴きだしましたので、院は立ち出でてご覧になりました。

    植ゑて見し花のあるじもなき宿に 知らず顔にて来ゐるうぐひす

    (訳)植えて眺めた花の主人もいない宿に、知らぬ顔して来て鳴いている鶯よ……

と、口ずさみなさいました。

 春が深くなるにつれて、御前の様子は昔と変わらず花が美しく咲き乱れました。花を愛でるのではないけれど、心落ち着かず、何事につけても胸が痛くなる思いがするので、この世でないような 鳥の声も聞こえない山奥ばかりが、恋しくなってゆかれました。山吹などが心地よさそうに吹き乱れているのも、ただ涙の露に濡れているように見えました。他の花は、桜は一重が散って八重に咲き、花の盛りも過ぎました。樺桜が開き、藤は遅れて色付くようなのを、紫上はその遅く咲く花の心を良く分かっていて、いろいろな種類を植えなさいましたので、この庭は時を忘れず、いつでも美しい花が咲き乱れていました。若宮(匂宮)は、
 「私の桜が咲きました。どうすればいつまでも散らさずにいられるのでしょう。木の周りに帳を立てて帷子(かたびら)を挙げれば、風も吹き寄ることはできないでしょう」と、賢いことを考えたものだと、得意げに仰るお顔が とても可愛らしいので、院は微笑みなさいました。
「大空を覆うほど大きな袖を求めた昔の歌人よりは、とても賢いことを思いつきなさった……」などと仰って、この若宮ばかりをお遊び相手としてお思いでございました。
 「君(匂宮)に慣れ親しみ申すことも、残り少なくなりました。命というものは、今暫く関わっていたくとも、いつまでもお逢いできるものでもありません……」と、いつものように涙ぐみなさいますので、
「はは(紫上)の仰ったことを、不吉なように仰る……」と伏し目がちになって、御衣の袖をひきま探りなどしながら、涙を堪えていらっしゃいました。院は、隅の間の勾欄に寄り掛かって、御前の庭や御簾の内をも見渡して、ただ物思いに沈んでおられました。
 女房などでも、紫上の形見の喪服の色を変えない者もおりました。いつもの色合いではありますが、綾などの華やかなものではありません。院ご自身の御直衣も、色は世間の普通の色ですが、特に地味な無紋をお召しでございました。室内の御設え等も大層簡略に省いて、心細く物悲しげなので、

   今はとて荒らしや果てん亡き人の 心とどめし春の垣根を

     (訳)今こそ出家を……となれば、荒れ果ててしまうのだろうか。亡き人が、心を込めてお世話した春の御庭も……

ご自身でも悲しくお思いでございました。

 とても所在ないので、入道の宮(女三宮)の御方にお渡りになりますと、わか宮(匂宮)も、人に抱かれておいでになっていて、こちらの若君(薫)と遊び回って、花を惜しむ気持ちなどは深くなく、何とも幼いご様子でした。
 女三宮は仏の御前で、御経を読んでおられました。どれほど深くお悟りなさった仏道でもないでしょうけれど、この世を恨めしく思われることも 心乱れる事もなく、ただのどやかなご様子で勤行をなさって、仏道一筋に俗世を離れておられますのを、院は大層羨ましくご覧になり、
「このように大して思慮深くもない女の志にさえ、私は遅れをとった……」と、残念にお思いになりました。

 閼伽(あか)の花が夕陽に映えて、とても美しく見えるので、
「春に心寄せた人がいないので、花の色も寒々しく見えたが、仏の御飾りとして見るべきであったのか……」と仰って、
「対の前の山吹こそ、やはり世には滅多に見られない花の様子です。房の大きさや気高さなどは考えずに、咲く花なのでしょうか。華やかでにぎやかな面では、とても美しいものです。植えた人(紫上)がいない春とも知らずに、いつもの年よりも美しさを増したのこそ、しみじみと感じられる……」と仰いました。

 入道の宮が「光なき谷には春も……」と、何心なく申しなさるのを、
「他に言いようもあろうに、不愉快な……」とお思いになり、まずこのような儚い事についても、
「その事が そうでなくて欲しいと思うことについては、紫上は決して違うことはなかった……」と、幼い頃からのご様子を思い出して「一体、何の不満があったのか……」と思い返されました。
まず、どんな折にも才気があり、行き届いた心遣いをなさって、美しくおいでになって……と、そのご性格・もてなし・言葉遣いなどを思い続けなさるうちに、いつものように涙が溢れ出てしまうのも、大層辛いことでございました。

  夕暮れの霞がぼんやりとして、趣きのある頃なので、院は明石の御方にお渡りになりました。
長いことお渡りになりませんでしたので、「思いもよらない折に……」と、明石の上は驚きなさいましたが、その美しいご様子は心憎い程でございました。
「この方は、やはり他の人には勝っている……」とご覧になるにつけても、また、
「このようにではなく、紫上は、格別に教養もある様子でおいでになった……」と、その面影が恋しく、悲しみだけが増してくるので、
「どのようにして、この心を慰めたらよいのか……」と大層辛くお思いになり、明石の御方では、穏やかに昔話などを交わしなさいました。

「昔から、女を愛しいと心に留めるのは、仏道には悪い事だと思い、全てのいかなる方にもこの世に執着が残らないように 心遣いをしてきました。世間一般の世に、空しく落ちぶれてしまいそうだった頃(須磨流離)には、あれこれと思い巡らしたけれど、命をも自ら捨ててしまおうと野山の果てに流離させても、格別に障りはないだろうと思うようになった……。晩年に最期も近くなった身で、あるまじき絆しに多く関わって、出家もせずに今まで過ごしてきたが、心が弱く もどかしいことである」など、独りの悲しみばかりを仰るのではなく、亡き紫上をお想いになっての悲しいご様子が当然でお気の毒なので、明石の上はお労しく拝見なさいまして、
「世間一般の目に、何ばかり惜しくないような人でさえ、内心に絆しが自然と多くありますのに、まして、院ご自身では どうしてやすやすと、世を思い捨て(出家)ることができましょうか。そのように浅はかな事をなされば、かえって軽々しいと非難される事なども出てきて、出家しない方がよいと思われる事がありますのに……出家の決意がつきかねる方が、結局は澄み切った一生を終わる心境が深くございましょう……。私が昔の例などをお聞きしますにつけても、心が動揺したり、思ったより違う所があったりして、俗世を嫌になると聞きますが、それはやはり良くないことと申します。やはりしばらくは、出家を思い留めなさいまして、今上の宮たちがご成人あそばして、本当に春宮になることが揺るぎないという有様を拝見なさるでは、御心に乱れなくおられますことこそ、安心で嬉しいことでございましょう」などと、大層大人びて申し上げるご様子は、とても素晴らしくございました。

「落ち着いてものを考える心深さこそ、浅はかな出家にも劣るに違いない……」などと仰せになって、昔からの思う事などを話し出される中で、
「故后(きさい)の宮(藤壺)が亡くなられた春こそ、私は花の色を見ても誠に悲しく、『花に心があるならば、墨染めの桜に……』と思いました。それは藤壺の美しかったご様子を幼い頃から拝見し、心に染みていたので、ただこのような閉じ目(臨終)の悲しみが、誰よりも辛く思えたのです。自分が特別に好きだったから悲しいのではない……。長年連れ添った人(紫上)に先立たれて、心を鎮める術もなく、紫上を忘れ難いと思うのも、ただこのような悲しさだけではありません。幼い時より、私がお育てしたご様子や、夫婦として共に老いる晩年の世に先立たれ、わが身も紫上の身をも、愛おしみ続けずにいられない悲しさが、堪えがたいのです。万事ものの哀れも、意義のあることも、趣きある方面などを広く思い出すことが加わっていくのが、悲しみを深めるものなのでございます……」などと、夜が更けるまで、昔や今の物語をして、
「このようにして、夜を明かすのもよいなぁ……」とお思いになりながら、自室にお帰りになりました

けれども、明石の上にとっては、悲しく思われたことでありましょう。ご自分でも「今までと違う気持ちになった……」と、お分かりになったようでございました。そしてまた、いつものように読経をなさいまして、夜半になってから、昼の御座にて、ほん少しの間 横になり、お寝すみになりました。

 翌朝、明石の上に御文をお書きになり……、

   泣くなくも帰りにしかなかりの世は いづくもつひの常世ならぬに

   (訳)泣くなく帰ってきました。この仮の世はどこも永遠の住みかではないので……

 明石の上は、夕べのご退室を恨めしくお思いになりましたが、このように院があり得ないほど茫然と萎れておられた御姿がお気の毒なので、ご自分のことはさし置いて、涙ぐまれました。

   雁がゐし苗代水の絶えしより うつりし花の影をだに見ず

     (訳)雁がいた苗代の水がなくいなってからは、そこに映っていた花の影さえ見ることが出来ません

 昔のままの味わいのある書きぶりを見て、紫上は何となく目障りな者と思っておられましたのに、晩年にはお互いに、心遣いを交わし合う仲となって、心安く信頼できる方と思い合いながら……、またそうかと言って、ひたすら打ち解けるでもなく、奥ゆかしく振る舞っておられた心遣いを、「人はそこまでは知らなかっただろうが……」などと思い出しなさいました。せめて寂しい時には、このように訪れる時もありましたが、昔のように想いを交わす名残りはないようでございました。

 夏の御方(花散里)より衣更えの御装束を、院に奉りなさるとして

   夏衣たちかへてける今日ばかり 古き思ひも涼みやはせぬ

     (訳)夏衣に着替えた今日だけは、昔の思いも涼やかに蘇ってきませんでしょうか。

御返歌として

   羽衣のうすきにかはる今日よりは 空蝉の世ぞいとど悲しき

     (訳)羽衣のような薄い衣にかわる今日から、
        空蝉のような虚しい世が、ますます悲しく思われます。


 賀茂祭りの日、大層所在ないので、
「今日は祭り見物をしようと、女房たちには嬉しそうなことだろう……」と御社(やみしろ)の様子などを思いやりなさいまして「ここに伺候する女房たちは、どんなにか寂しいことだろう。里に忍び帰って、行列を見るのも良いだろう……」などと仰いました。
 中将の君が東面でうたた寝しておりますと、院が近寄ってご覧になりました。とても小柄で可愛らしい様子で起き上がりました。表情が際立って美しい顔を扇で隠して、少し膨らんだ髪のかかり具合など、とても愛らしい様子でした。紅の黄色っぽい袴、萱草色(濃い黄赤)の単衣、とても濃い鈍色(藤色+灰色)の袿、黒い表着などを重ね着して、裳、唐衣は脱ぎ垂らして引き掛けるようにしていました。傍らに葵を置いていますので、院は近寄って手にお取りになり、
「どうしたというのでしょう。この名前さえ、私は忘れてしまいました……」と仰いますと、

   さもこそはよるべの水に水草(みくさ)ゐめ 今日のかざしよ名さえ忘るる

     (訳)そのとおり、頼りの水に、水草が生えているでしょう。
        今日の挿頭(かざし)の名前さえ忘れてしまわれるとは……

と、恥ずかしそうにお応え申し上げました。「誠に……」と、院はいとおしくお思いになって、

   おほかたは思ひ捨ててし世なれども あふひはなほや罪犯すべき

     (訳)大体は執着を捨ててしまった世ではあるけれど、
        この葵は やはり罪を犯してしまいそうだ……

などと、このひとりだけはお見捨てなさらないようでございます。

 五月雨はひどく降り、物思いに耽ってお暮らしになる他はなく、物足りなく寂しくおられました。
月の十余日、華やかに差し出した雲間が珍しいので、大将の君が御前に参上なさいました。花橘の月影に際立つ薫りにも、その追い風にも心惹かれるので、
「亡き人の声を伝えるという時鳥(ほととぎす)の声が聞こえてほしいものだ……」と待っているうちに、何とも残念なことに、急に群雲がわき出で、大層激しく降り来る雨と共に、急に吹きだした風が、釣り燈籠を吹き揺らして、空が暗くなりました。

「窓を打つ音……」などと珍しくもない古歌を口ずさみなさるのも、折柄でしょうか。亡き妻の御庭に聞かせたいような 美しい御声でした。
「独りで住むのは、特に変わったことではないけれど、不思議と私には物寂しい事です。山深く住むにも、こうして身を慣らすならば、この上なく心が澄みきるに違いない……」などと仰って、
「女房、ここに果物などを持ってきなさい。男たちを呼ぶのも、大袈裟なことだが……」などと仰いました。大将の君にとっては、内心、ただ空を眺めておられるご様子が尽きせずお労しいので、
「このようにしてまで、紫上のことを忘れられないのは、御勤行して心澄ましなさるのも難しいのではないか……」と思っておられました。

「昨日今日と思っておりますうちに、一周忌がだんだん近くなってきました。法事はどのようにお考えでしょうか」とお尋ねなさいますと、
「どれほどの特別な事など致しましょうか。ただ、紫上が志を置かれた極楽の曼荼羅などを、今回は供養しましょう。経なども沢山有り、某の僧都が全ての事情を詳しく聞き置いたようなので、さらに、加えてすべきことなども、その僧都の言うことに従って、執り行うことにしよう」等と仰いました。
「生前、特に決め置かれた事は安心なことなのですが、『この世では、儚い御契りであった……』とお感じになるのは、形見という御契を留め申しなさる御子がおいでにならなかったためでしょう。誠に残念なことでございますが……」と申し上げますと、
「それは儚い御契りなのでなく、寿命の長い他の御夫人方にも御子は少なかった という、私自身の宿世なのだ。大将にこそ、家系の門を広げ繁栄なさることだろう……」と仰いました。
 何事につけても、堪えられない御心の弱さについては、大層気恥ずかしくお思いのようで、過ぎ去った昔のことをそれほどお口にはなさいません。その時、待っていた時鳥がほのかに鳴いたのをお聞きになって「いかに知りてか……」と古歌を呟かれ、それを聞く人は穏やかではいられません。

   なき人をしのぶる宵の村雨に 濡れてや来つる山ほととぎす

     (訳)亡き人を偲ぶ今宵の村雨に、濡れてきたのか 山ほととぎすよ

 と、ますます空を眺めなさいました。大将の君は、

   ほととぎす君につてなむ故郷の 花たちばなは今ぞさかりと

     (訳)時鳥よ、あの人に伝えたい……故郷の橘の花は、今が盛りですと……

 女房ちも、沢山歌を詠みましたけれど、ここは省略いたします(草子地)

 大将の君は、そのまま御宿直(とのい)として伺候なさいました。父君の寂しい独り寝がお労しいので、時々このようにお泊まりなさいまして、ご存命の頃には、とても遠く感じた紫上の御座の辺りが、今はあまり離れていないにつけても、思い出されることは多くありました。

 とても暑い頃、涼しい所で物思いに耽っておられました。池の蓮の花盛りをご覧になっていても、まず紫上が思い出されるので、「何と止めどなく溢れる涙よ……」と、ただ茫然として物寂しくおられるまま、日も暮れてきました。ひぐらしが華やかに鳴き、夕映えに美しい御前の撫子を独りでご覧になるのは、誠に甲斐のないことでございました。

  つれづれとわが泣き暮らす夏の日を かごとがましき虫の声かな

  (訳)所在なく泣き暮らす夏の日に、不平がましく聞こえる虫の声よ

 蛍がとても多く飛び交うのを、ご覧になりながら「夕殿に蛍飛んで……」と、いつものように古歌を口ずさみなさいました。このようなことにのみ すっかり馴れてしまわれました。

   夜を知る蛍を見てもかなしきは 時ぞともなき思ひなりけり

    (訳)夜になるのを知って光る蛍を見ても  
       悲しいのは、昼夜なく恋しい亡き人への想いである。

 七月七日も例年と変わることが多く、管弦の遊びなどもなく、所在なく物思いに耽って暮らしなさいました。星空を共に見る相手もおられません。まだ夜深い頃に、独りでお起きになって、妻戸を押し開け、前栽に降り立ちますと、霧が深い様子が、渡殿の戸から通して見渡せるので、

   七夕の逢瀬は雲のよそに見て 別れの庭に霧ぞおきそふ

    (訳)七夕の逢瀬は雲の上のよその世界のことと見て、その別れの庭に涙を添えることよ……

 朔日の頃、風の音さえ いつものようではなくなり、御法(佛法)の勤行で気が紛れるようでございます。「今まで、虚しく過ごしてきた月日よ……」とただ呆れて、暮らし明かしなさいました。

 御正日には、身分の高い人も低い人も、皆、齋(いもひ)(精進)し、あの曼荼羅なども、今日ご供養させなさいました。いつものように、宵の勤行に御手水などを差し上げる中将の君の扇に、

   君恋ふる涙はきはもなきものを 今日をば何の果てといふらん

     (訳)貴方様を恋しく想う涙は際限もなく、今日は何の果てと言うのでしょうか……

と、書き付けてあるのを、手に取ってご覧になり、和歌を書き添えなさいました。

   人恋ふるわが身も末になりゆけど 残り多かる涙なりけり

     (訳)人を恋しく想うわが寿命も短くなりましたが、残りの多い涙であることよ……

九月(ながつき)になり九日。綿被いをした菊をご覧になっても、

   もろ共におきゐし菊の朝露も ひとり袂にかかる秋かな

     (訳)一緒に起きて、菊のきせ綿におりた朝露も、今年は、私ひとりの袂を濡らす秋だなぁ……

 神無月には大方も時雨がちになる頃、院はますます物思いをなさいまして、夕暮れの空の景色も言いようもなく心細く思えるので、「いつも時雨が降っているけれど……」と独り言を仰いました。
雲居を渡っていく雁の翼をも、羨ましく見つめなさいました。

   大空を通ふまぼろし夢にだに 見えこぬ魂(たま)のゆくへ尋ね

     (訳)大空を飛び交う幻よ、夢の中でさえ逢えない亡き人(紫上)の行方を捜してください。

何事につけても悲しみは紛れることなく、月日が経つにつれ、更に紫上のことが恋しく想われました。


 五節(朝廷の行事ー舞姫の舞楽を天覧)と言って、世の中がどことなく華やかになる頃、大将のご子息たちが、童殿上なさって参上なさいました。お二人は年が同じ程で、とても可愛らしいご様子でした。小忌(をみ)衣を着て青摺の姿が清々しい感じがする 頭中将や蔵人少将などは、大将に続いて、若君たちをお世話しながら、ご一緒に参上なさいました。院には、物思いなどしない様子のこの人達をご覧になると、昔、心惹かれた五節の折を思い出されるのでしょう。

   宮人は豊の明にいそぐ今日 日影も知らで暮らしつるかな

     (訳)宮人が豊明の五節の節会に心急ぐ今日
        私は日の光も影も知らないで、暮らしてきてしまったことよ……

 今年をこのように身を隠して過ごしてきたので「今はこれまで……」と出家して、この世を去るべき時が近いと思われ、ご準備をなさるにつけても、しみじみと悲しい事が尽きません。だんだんと然るべきことを御心の内に思い続けて、お仕えする女房達にも、身分に応じて形見の物を賜りなさいました。大袈裟に「今こそ最後……」とは仰いませんが、身近に仕える女房たちは「御本意(出家)をお遂げになる様子……」と拝見するままに 年が暮れてゆくのも、心細く悲しいこと限りありません。

 出家後に残って、見苦しいに違いない女性からの御文なども、破るには惜しいと少しずつ残しておられましたが、何かの折にご覧になって、みな破らせなさいました。けれどもあの須磨の頃、あちらこちらから交わされた御文の中に、紫上のお書きになったものだけは、別に結んでありました。ご自身でなさったことですけれど「遠い昔のことになってしまった……」とお思いになり、たった今書いたような墨の具合などは、誠に「千年の形見」にもできそうで、出家をすれば見ることもなくなってしまうだろう……」と思うと、残す甲斐もないので、親しい女房たち二、三人ほどに、御前で破らせなさいました。
 誠に、このようなことでなくてさえも、亡くなった人の筆跡を見るのは悲しいことなのに、まして紫上を想うと、ますます涙が溢れ、どれと見分けられないほど流れる涙が、文字の上に落ちるので、女房も「あまりにも御心が弱い……」と拝見しておりました。側で見ていられないほど体裁が悪いので、その手紙を押しやりなさいまして、

   死出の山越えにし人を慕ふとて 跡を見つつもなほ惑ふかな

     (訳)死出の山を越えてしまった人を恋慕うとして、
        筆跡を見ながらも、 悲しみにくれています……

 伺候する女房たちも、その御文をまともに広げることはできませんけれど、かすかに紫上のものと分かると、悲しみを止めることができません。
 この世にありながら、そう遠くはなかった須磨の別れの時に、酷く悲しいとお思いのままお書きになった言葉は、誠にその折よりも堪えがたく悲しいものでございました。誠に辛いことに、今一層の御悲しみも、女々しく体裁悪くなってしまいそうなので、よく御文をご覧にならずに、細やかに書かれた側に歌を書き添えて、みな焼かせなさいました。

  かきつめて見るもかひなきもしほ草 おなじ雲井の煙とをなれ

     (訳)かき集めて見る甲斐もないこの手紙も、亡き人と同じ雲居の煙となりなさい……


 御佛名(ぶつみょう)も「今年限り……」とお思いになったのでしょうか。いつもよりも格別に、錫杖(さくじょう)の声などをしみじみとお聞きになりました。「行く末長き将来を……」と仏に願うのも、仏がどうお聞きになるのかと思いますと、体裁悪く思われました。

 雪が大層降って、本格的に積もりました。退出する導師を御前にお呼びになって、盃など、通常の作法よりも格別になさって、特に禄(褒美)などを下賜なさいました。長い年月、六条院に久しく参上し、朝廷にもお仕えして顔馴染みの導師が、今は頭が白髪に変わって伺候する様子を、しみじみと感慨深くお感じになりました。いつもの宮達、上達部なども、大勢が六条院に参上なさいました。

 梅の花がわずかに咲き始めて、雪に引き立てられているのが美しいので、管弦の遊びなどがあるはずもないけれど、やはり今年までは、楽の音もむせび泣きする心地がなさいますので、時節の和歌を誦じる程度にさせなさいました。導師に御盃を賜る折に、

   春までの命も知らず雪のうちに 色づく梅を今日かざしてむ

     (訳)春までの命とも知らずに雪の中に色付いた梅を、今日の插頭(かざし)にしよう

返歌として、導師から、

   千代の春みるべき花を祈りおきて わが身ぞ雪とともにふりぬる

     (訳)千代の春を見るようにと、長寿をお祈りしましたが、
        わが身は 降る雪とともに年をとりました。

人々は多く和歌を詠みましたけれど、省略します(草子地)

 院(源氏)は、その日、人前にお出になりました。その御容姿、昔の御威光も一層増して、素晴らしくお見えになるのを、この高齢の僧たちは感慨無量で、涙を止めることができません。
 「年が暮れてしまった……」とお思いになりとても心細くなられました。
若宮(匂宮)が、
「追儺(ついな)(鬼払い)をやるのに、高い音をたてるには何をさせたらよいのでしょう……」などと、走り回っていらっしゃるので、
「出家をすれば、この可愛いご様子を見ることできないのか……」と、堪えがたくご覧になりました。

   物思ふを過ぐる月日も知らぬまに 年もわが世も今日や尽きぬる

     (訳)物思いしながら過ぎた月日も知らぬ間に、今年も、わが命も 今日で尽きてしまいました……

 正月朔日のことについて、「例年よりも格別に……」と言い置きなさいました。親王達や大臣の御引き出物や禄の品々なども、この上なくご準備をさせなさいまして……。



                                  ( 終 ) 

源氏物語ー幻(第41帖)
平成24年如月 WAKOGENJI(文・絵)

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