その頃、世間から忘れられた古宮がおられました。母方なども身分の高い家柄で、重要な地位に就くべき方と評判でしたが、時勢が移って、世の中から蔑まされる騒ぎが原因で、出世の名残りも消え、御後見人なども恨めしい思いで、それぞれに朝廷から背き去ってしまいましたので、公私に頼る所もなく孤立してしまわれたようでございました。
北の方は、昔の大臣の姫君でしたが、今はしみじみと心細く、昔 親達が期待していた様子などを思い出しますと、今は例えようもない悲しい事が多々起こります。けれど 宮との又とない深い御契りを、辛い世の中の慰めとして、お互いに深く頼り合っておられました。
年月が経ちますのに 御子ができないので、心許なくお思いになり、
「寂しく所在ない日々の慰めに、何とか可愛らしい子が欲しいものだ」と、折々話しておられましたところ、何とも珍しいことに、とても愛らしい女の御子がお生まれになりました。
この姫君を限りなく愛おしくお思いになり、大切にお育て申し上げておいでになりますと、また引き続きご懐妊の兆しがあり、「この度は、是非男の子を……」と望まれましたが、同じく女の子が、無事にお生まれになりました。
けれどもその後、北の方は酷く重く患いなさいまして、遂にはお亡くなりになりました。宮は大層驚き、途方にくれてしまわれました。
「年月を過ごすにつけても、大層暮らし辛く、耐え難いことが多い世の中ではありますけれど、見捨てることのできない 愛しい姫達のご様子やご性格に、心を引き留められて過ごしてきました。この世に独り残って、今後ますます寂しい日々になることだろう。幼い姫達を 私独りで育てるには、親王という身分からして、とても愚かしく体裁の悪いことだ……」等とお思いでございました。
出家を遂げたいとお考えでしたが、譲る人もないままで姫達を残してゆくことを、ひどく躊躇なさっておられました。
年月が経ちますと、姫君たちは、それぞれ成長なさるご様子やご器量がとても愛らしく素晴らしいので、それを明け暮れの慰めとして、いつしか年月が過ぎていきました。
お仕えする女房たちは 後にお生まれになった姫(中君(なかのきみ))のことを、
「何とも悪い時にお生まれになって……」と呟いては、心を込めてお世話申し上げようとはしませんでした。けれども、北の方がご臨終の折、何の意識もない時でありながら、
「この姫を残すのはとても辛い……」とお思いになり、
「ただこの姫をこそ、私の形見として 愛しく思ってください……」と一言だけ、宮に遺言なさいましたので、前世からの契りも辛い折だけれど、
「そうある運命だったのだろう。臨終と見えた時にまで、この姫を可哀相にお思いになって、心配なさって仰ったのか……」等と思い出しながら、特別に可愛がりなさったのでございました。姫君のご容貌は、誠に不吉なまでに美しくいらっしゃいました。
大君は、ご性格がもの静かで優雅で、見る目も態度も 気高く奥ゆかしくいらっしゃいました。中君よりは大切にしたくなる雰囲気をお持ちで、高貴な血縁は勝っておられますので、父宮はどちらの姫達をも、それぞれ大切にお育てになりましたが、心に叶わぬことも多く、年月が経つにつれて、宮邸の内部はどんどん物寂しくなってゆきました。
伺候していた人々も、何か頼りにならない心地がするので、我慢できずに 宮邸を次々に退去して 散り散りになってしまいました。姫君の御乳母(めのと)たちも、あのような騒動の時にしっかりした人を選ぶことが出来なかったので、それぞれ身分相応の心浅はかさから、幼い姫達を見捨てて 去ってしまいましたので、いた仕方なく、 宮ご自身で、姫君達をお育てになりました。
そうは言っても、昔から変わらず美しかった 広くて趣ある宮邸の池や築山などが、大層ひどく荒れていきますのを、宮は ただ所在なく眺めておられました。
しっかりした家司などもいないので、手入れする人もないまま 雑草が青々と茂り、軒の忍び草が我がもの顔に一面に青み渡っていました。北の方は、四季折々の花や紅葉の色や香りを、宮と同じ心で愛でなさいましたので、心慰められることも多かったのですが、北の方亡き後には、大層寂しくなられ、頼る人もないままに、持仏の御飾りばかりを格別に設えて、明け暮れお勤めをなさいました。
「このような足手まといに拘わるだけでも、思いの外に残念で、我がことながらも本意(出家)の叶わない宿世だ」と思われますのに、まして「どうして世間の人のように、今更 再婚など……」とお思いになりました。年月が経つにつれ、俗世を離れ、心ばかりは聖になりきってしまわれ、北の方がお亡くなりになって以降は、世間の考え(再婚)などは、戯れにも思い出しなさいませんでした。
「どうしてそんなにまで……別れる時の悲しみは、世に類なくお思いになるようだが、年月も経てば、そうばかりでいられようか……、やはり普通の人と同じようにお考えになれば、このように酷く見苦しい頼りない宮邸の中も、自然に整っていくことになるだろうに……」と、人々は非難申し上げて、何かと尤もらしく言う人も 縁故者には多かったのですけれど、宮は聞き入れようとはなさいませんでした。
御念誦の暇には、姫君たちのお遊び相手をなさり、やがて成長なさいますと琴を習わせたり、碁をうち 偏綴ぎなどのちょっとした遊び事をさせなさいました。姫君たちのご性格を拝見すると、大君は才気があり、心深く落ち着いてお見えになります。中君はおっとりと愛らしく、何事にも控え目なところがおありで、それぞれに大層可愛らしくいらっしゃいました。
春の麗らかな陽の光に、池の水鳥などが羽を交わしながら、それぞれさえずる様子などを、かつて宮は、何気ないことと、気にも留めずにおられましたが、今は番(つがい)が離れずにいるのを羨ましくご覧になりながら 姫君たちに御琴などをお教えになりました。
姫達がとても可愛らしげに、幼いお年なりに 掻き鳴らす楽器の音などが、しみじみと素晴らしく聞こえますので、涙を浮かべて、
うち捨ててつがひ去りにし水鳥の かりのこの世にたちおくれけむ
……心づくしなりや
(訳)私を見捨てて、つがいを去っていた水鳥の雁(妻)は、
はかない仮の世に子供を残していってしまった……
……心尽くしなのか…
と、目を押し拭いなさいました。宮はご容貌がとても美しくおられます。長い年月の 仏道の勤行に窶(やつ)れなさいましたけれど、それでも気高く優雅で、姫君をお世話する心遣いや、しなやかな直衣をお召しになって繕わないご様子は、見ているこちらが恥ずかしくなるほど素晴らしくございました。
大君が御硯をそっと引き寄せて、手習いのように、硯の面に書いていらっしゃるので、
「これに書きなさい。硯には書いてはいけません」と、紙を差し上げますと、大君は恥ずかしそうにお書きになりました。
いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも 憂き水鳥の契りをぞ知る
(訳)どうしてこのように巣立つまでに成長したのか……を思うと、
つらい水鳥の運命が思い知られます
歌は上手くないけれど、しみじみ心深いものでした。筆跡は、まだ上手く連綿も綴れない年頃ですが、将来が見えるようでございました。父宮が、
「中君もお書きなさい」と促しなさいますと、幼げに少し時間をかけて、お書きになりました。
泣く泣くも 羽うち着する君なくは 我ぞ巣守になるべかりける
(訳)泣きながらも羽を着せかけてくださる君(父宮)が居なければ、
私は大きくなれなかったでしょう……
御衣などもしなやかで、姫達の御前にお仕えする人もないのに、長い間所在ないまま、それぞれに大層可愛らしく成長なさいましたのをご覧になって「可哀相で心苦しい……」と、どうしてお思いにならないことがありましょうか。経本をお持ちになり読みながら、唱歌なども歌われました。大君は琵琶を、中君は箏の琴を……まだ幼いのですけれど、常に合奏しながらお習いになっているので、聞き辛いこともなく、大層素晴らしく聞こえました。
宮は、父帝(桐壺帝)にも母女御にも、早くに先立たれなさって、しっかりした御後見がとりたててありませんでしたので、学問なども深く習うことが出来ず、まして世の中に生きていく御心構えなど、どうしてご存じでありましょう。身分の高い方と申し上げる中でも、驚くほど高貴でおっとりした女性のようにおられますので、御父大臣(おおおとど)のご遺産の古い時代のお宝物が、何やかやと尽きぬほどありましたけれど、行方もなく儚く無くなっていき、今は御調度類ばかりだけ、よい物が多数残っているのでございました。
いつも参上してお見舞い申し上げるような人や、 宮に心を寄せ奉る人もありません。所在ないままに、雅楽寮(うたづかさ)の物の師達などで 勝れた者を御邸にお呼びになり、ちょっとした管弦の遊びなどに 心を入れて成長なさいましたので、その音楽の方面では、大層素晴らしく勝れておいでになりました。
この宮は、源氏の大臣の弟君にあたる方で、八宮と申し上げます。冷泉院が春宮でおられた時に、威勢の盛んな朱雀院の太后(弘徽殿)が邪悪なことを企て、この宮が帝位をお継ぎになるようにと、傅(かしず)き申した騒ぎ(ヽヽ)に巻き込まれ、遂にはそれが叶わずに、源氏方との関係からも差し放たれてしまわれました。冷泉帝の退位後、源氏方の子孫のご威勢となった世の中では、皆と交じらうこともお出来になれませんでした。またここ数年は、すっかり聖(ひじり)になってしまわれ、「もうこれまで……」と、俗世を思い捨ててしまわれたのでございました。
こうしているうちに、八宮がお住まいの宮邸が焼失してしまいました。不幸ばかりの世に 呆れるほど失望され、移り住むべき良い所もなかったので、宇治にご所有の風情ある山荘にお移りになりました。俗世を思い捨てる世ではありますものの、京を離れることを大層悲しくお思いになりました。
その山荘は、網代(梁漁の仕掛け)の気配が耳にうるさい川辺の近くで、静かな思いで過ごすには相応しいところではないけれど、どうしようもありません。花、紅葉、水の流れなど、心を癒す手立てとしても頼りなく、ますます物思いに沈むより他にありませんでした。
「このように俗世との交流を絶ち、籠もってしまった野山の果てにさえも、昔の人(亡き北の方)がおられたなら良かったのに……」と、思い出さない時もありません。
見し人も宿も煙になりにしを 何とてわが身消え残りけむ
(訳)亡き人(妻)も御邸も煙となってしまいましたのに
どうしてわが身だけが、生き残っているのだろうか……
生きている甲斐もないほどに、ただ恋い焦がれておられました。
ますます山々の重なる奥深い御住まいには、訪れる人もありません。賤しい下衆などの田舎びた山住まいの者だけが、稀に親しく参りましてお仕えしておりました。
峰の朝霞が晴れる間もないこの宇治の山に、聖めいた一人の阿闍梨(あざり)がお住まいでございました。学問は大層賢く、世の評判も軽くはないけれど、滅多に公事(朝廷)にも出仕なさらず、宇治に籠もっておられましたところ、八宮がこのように近い所にお住まいになり、寂しいご様子で尊き勤行をなさり、法典を読み習っておられますので、大層尊いこととお思いになって、常に参上なさいました。
長い年月、八宮が習得なさったことについて、その深い心理などを説き申し上げて、更にこの世が仮の世であり、無意味なものだとお教え申し上げますので、八宮は、
「心だけは蓮の上に上がり、濁りない池にも住むことを願うのだが、幼い姫達を見捨てる後ろめたさに、一途に出家することもできない……」などと、隔て心なく阿闍梨にお話なさいました。
この阿闍梨は冷泉院にも親しく伺候して、御経などお教え申し上げる僧侶でございました。
京に上ったついでに 院に参上して、いつものように教典などをご質問なさる機会がありました折に、
「実は、八宮が大層聡明で、教典の学問にも深く悟りを持っておられます。そうなるべき方として、お生まれなさったのでしょう。心深く悟り澄ましておられますご様子は、誠の聖の心構えのようにお見えになります……」と申し上げますと、
「まだ僧のお姿に変えていらっしゃらないのか。「俗聖(ぞくひじり)」と、ここの若い人々が名付けたというのは、感慨深いことでございます」と仰せになりました。
宰相中将(さいしようのちゆうじよう ・ 薫君)がちょうど冷泉院の御前におられまして、
「私こそ、世の中を荒涼たるものと思い知りながらも、仏道の勤行などを人目につく程には勤めずに、残念に日々を過ごしてきてしまいました……」と、人知れず思いながら、
「在世のまま聖になられる心構えは、どのようなものか……」と、耳を留めてお聞きになりました。
「出家の志は、もともと持っておられましたが、つまらない事に思いが滞り、今となってはお気の毒な姫君たちの身の上を思い捨てることができない……と、嘆いておられます」と申し上げました。
そうは言っても、音楽を嗜む阿闍梨なので、
「誠に……この姫君たちが、琴を弾き合わせて遊んでおいでになります。それが川波の音と競って聞こえてくるのは、大層趣き深く……極楽かと思われる程でございます」と、古風にお誉めになりますので、院は微笑みなさいまして、
「そのような聖の側でお育ちになった姫君は、この世の常識などは覚束ないだろうと想像されますが、……興味のあることです。八宮は後ろめたく、思い捨てがたくお育てなさっているようだが、もし私が 少しでも後に生き残っているようであれば、姫達の御後見役をお譲りなさらないだろうか……」等と、仰せになりました。
この院は、桐壺帝の第十の皇子でおられます。朱雀院が、故六条院(源氏)にお預けになりました入道の宮(女三宮)の例を思い出されまして、
「その姫君たちを、所在ない折々の遊び相手としてお世話したい……」とお思いでございました。
中将の君(薫)は、
「親王が悟り澄ましておられる心構えを、直にお逢いしてお伺いしたい……」という気持ちが深くなられ、阿闍梨が宇治に帰られる時に、
「私が宇治に参りまして、教典などをお教え頂けますように、まずは内々に ご意向を承って下さい」などとお願い申しなさいました。
院の帝は、阿闍梨に言伝えて、
「お気の毒な御住まいのことを、人づてに聞きまして、残念に思います。
世を厭ふ山にかよへども 八重たつ雲を君や隔つる
(訳)世を厭う気持ちが宇治の山に通じていますが、
貴方が幾重にも雲で隔てていらっしゃるのでしょうか……
阿闍梨は冷泉院の御使者を先に立てて、宇治の八宮邸に参上なさいました。訪れるべき人の使者さえ、滅多に分け入らない山陰にある山荘で、八宮は大層お待ちになっておられました。都からの来訪は大層珍しいことなので、この土地柄に相応しいご馳走などを準備して、御使者を歓待なさいました。
跡絶えて心すむとはないけれど 世を宇治山に宿をこそかれ
(訳)人跡絶えた山奥にて、悟り澄ましている訳ではないけれど
世を辛いものと思い、宇治山に暮らしております。
聖めいた暮らしを謙遜して申しなさっているので、
「やはり 八宮はこの世に恨みが残っておられるのか……」と、お気の毒にご覧になりました。
阿闍梨は、中将の君が佛道に心深くおられますことを、八宮にお話申し上げ、
「幼い時から、教典の法文などの真意を会得したいという志に、深い思いがありながら、俗世を去ることが出来ずに、この世に生きるうちに、公私に忙しく暮らしています。強いて部屋に籠もって、法文を習い読み、大方とるに足らない身として、世の中に背き顔をして、雑事に気を紛らわして生きてきましたが、八宮のご立派な様子を承ってからは、心にかけて、師としてお頼み申し上げたい……と熱心に望んでおられます」とお伝え申し上げますと、
八宮は、
「人生を『かりそめのこと』と思い悟り、厭わしい心がつき始めたことも、わが身に悩みが残る時に、大方の世を恨めしく思い知るきっかけとなって、道心(仏道を修めようと思う心)も起こることのようですが、中将はまだ年齢も若く、世の中も思い通りになり、何事にも満足しないことはないと思われるご身分でありながら、そのように、来世にまで思い辿っておられますのが、ご立派なことでございます。
私には、そうあるべき宿世なのでしょうか。「ただ世を厭い離れなさい……」と、特別に佛などがお勧めになったような状態で、自然と静かな佛への思いが叶っていきました。けれど命も残り少ない心地がするのに、悟りは はかばかしくないまま 日々過ぎてしまいそうで、過去も未来も辿ることが出来ないと思われますので、かえって心恥ずかしく思われます。師としてでなく、法の友として居られるなら……」と仰いまして、お互いに手紙などを交わしなさいました。
薫中将は 自ら山荘にお出かけになりました。なるほど聞いていたよりもお労しく、仮の粗末な庵で暮らしておられる様子も、誠に簡素な感じが致しました。同じ山里と言っても、ある意味では 趣深く心惹かれるような、のどかな雰囲気ではありますけれど、大層荒々しい水音や波の音が絶えず響き、物思いを忘れるほど、特に夜は 心許して夢を見る間もない程に、川風が強く吹き払っておりました。
「聖のような暮らしのためには、このような環境も、気にならないことなのだろうか。……姫君たちは、どんなお気持ちで過ごしておいでになるのだろう。普通の女性のように、もの柔らかなところは少ないのではないだろうか……」と、想像される様子でした。
仏間との間に障子だけを隔てて、姫君達はおいでになるようでした。好色心のある男なら、気のある素振りを見せて、姫達の御気持を知りたい、どうしておられるのか……と、興味を惹かれる御気配がいたしました。
けれども、中将は、好色心を思い離れたいという願いで、山深くお訪ねした目的も忘れ、好色がましく いいかげんな言葉を口に出すのは、心得違いだろう…と反省して、八宮のご様子がしみじみと寂しげなのを、丁重にお見舞い申しなさいまして、度々参上なさいました。
思っていたように、優婆塞(うばそく)(在俗のまま修業する男)として、山深く籠もる深い心や法文などを、学問的にでなく とても分かり易くお教えなさいました。聖めいた人や学問ある法師などは 世に大勢いるけれど、堅苦しく人離れした修業を積んだ僧都や僧正等は 世に暇なく、物の道理を問い正すにも、ただ真面目で仰々しく思われました。
また一方、徳のない佛の弟子で、戒律を守るだけの尊さはあるけれど、雰囲気が賤しく、言葉が濁っていて 不作法で馴れ馴れしいのは、とても不愉快なものです。中将のように、昼は公事に暇なく忙しくしながら、穏やかな宵の頃に、お側近くに人を呼んで法文を語らいなさるにも、やはりただ難解な感じばかりがするけれど、この八宮は、こちらが気後れするほど大層気高く、仰る言葉も 同じ佛の御教えを、身近な例えに引き替えてお示しなさいました。この上なく深い御悟りという訳ではないけれど、心高き人は、物事の道理を悟る方法が格別でおられましたので、だんだん親しく思い申し上げる度に、いつも会いたいと思い、公務に忙しく日を過ごしている時には、恋しいとさえお思いになりました。
この君(薫中将)が、八宮をこのように尊敬申し上げなさいますので、冷泉院からも、常にお便りなどがありました。長い年月 噂にも全くお聞きになることもない程、酷く寂しげであった宮の御住処にも、だんだんと人の姿を見る様になりました。
何かの折に、院もお見舞いを盛大になさいました。中将も、まず適当な折にかこつけて、風情ある面でも 経済的な面でも、心を寄せてお世話をなさるようになり、やがて三年ほどが過ぎました。
晩秋になり、この川辺では網代に打つ波音がますます耳やかましいので、八宮は、四季毎の御念仏をなさるために、阿闍梨の住む寺の堂にお移りになり、七日ほどの勤行をなさいました。
姫君たちには大層心細く、所在なさが勝り 物思いをしておられます頃に、
中将の君は、
「久しく参らなかった……」と宇治を思い出され、まだ夜深く有明の月が差し出した頃に、京を出立なさいました。大層忍んで供人などもなく、身なりも質素に身繕いしておいでになりました。山荘は川のこちら側なので、船なども煩わさず、御馬でおいでになりましたが、山路に入るにつれて 霧が深くなってきました。道も見えないほど繁った木々を分け入りますと、大層荒々しく吹き競う風に、はらはらと落ち乱れる木の葉から露が散りかかり、中将は大層冷たく濡れてしまわれました。このような外出なども滅多になく、慣れていない心地がして 心細くはありますけれど、大層興味深くお思いになりました。
山おろしに堪えぬ木の葉の露よりも あやなくもろき わが涙かな
(訳)山から吹き下ろす風に堪えない木の葉の露よりも、訳もなくもろい私の涙よ……
山賊(やまがつ)(山住いの賤しい人)が気づくのも面倒だと、随身に声もかけさせずに、柴の籬を分けて歩き、どことなく流れる水の流れを踏みつける馬の足音も、やはり目立たぬようにと心遣いなさいますのに、隠すことの出来ないご自身の素晴らしい御匂いが風にのって広がっていきますので、
「この香りの主は、誰だろう……」と、目を覚ます家々もありました。
山荘に近くなる頃に、「何の琴か……」と聞き分けられぬ楽の音が、大層もの寂しげに聞こえてきました。「八宮がいつもこのように弾いておいでになる……」とは聞いていましたが、その音の評判が高いのに今まで聞くことが出来ずにいましたので、「これはちょうど良い機会だ……」と思いながら、山荘に入られますと、……それは琵琶の響きでございました。黄鐘調(こうじきちよう) に調弦した 普通の掻き合わせでありながら、場所柄でしょうか……耳慣れぬ心地がして、掻き返す撥(ばち)の音も何となく美しく趣きがありました。箏の琴はしみじみと優美な音がして、絶え絶えに聞こえてきます。中将はしばらく聞いて居たいと隠れておられましたが、その気配をはっきりと聞きつけて、宿直人らしい堅苦しい男が出てきました。
「あれこれがあって、八宮は今、山寺にお籠もりでおられます。御来訪の連絡を申しましょう」と、男が申しました。
「いや、その必要はない。日数に限られた勤行の最中に、お邪魔申し上げるのは良くないこと。このように私が わざわざ露に濡れながら参りましたのに、虚しく帰るその辛さを、 姫君の御方に申し上げてください。もし『お気の毒に……』とでも仰って頂けますならば、心慰められるでしょう……」と仰いますと、男の醜い顔が微笑んで「お伝え申し上げましょう……」と言って立つのを、
「ちょっと、待ちなさい」と呼び寄せて、
「長い年月、人伝にばかり聞いていた姫君の御琴の音などを聞きたいと思っておりました。今こそ嬉しい機会かと……、しばらく少し隠れていて それを聞くことのできる物陰はないか……不意に出過ぎて近づく間に、皆が琴をお止めになっては、誠に残念であろう……」と仰いました。その御気配やご容貌が、几帳面な宿直の男にも、誠にご立派で畏れ多く見えたので、
「誰も聞かない時には、一日中このように弾いておられますけれど、下人であっても、都から参られ 出入りする人がある時には、音もさせなさいません。八宮はおそらく、このように姫君たちが山荘におられますことを隠して、「世間の人には分からせるまい……」とお考えになり、ご命じなさったようでございます」 中将は少し笑って、
「つまらない隠し事でございます。このようにお隠しになっても、人は皆、あり得ないことの例として、姫君のことをお噂申し上げているようです」と仰いまして、
「やはり案内して下さい。私は好色心などない人間です。こうして姫君たちがひっそりと住んでおられる様子が不思議で、普通のことと思われないのです……」などと、真面目に仰いました。
男は、
「さて、困った……お連れしたことが分かったら、私が物をわきまえないと、後でお叱りがありましょう」と言い、宮邸のお庭先には竹で編んだ透垣が廻らせてあり、姫君のおいでになる所は全て別の塀になっていることを説明して、中将を邸中にご案内申し上げました。供人達を西の廊に呼び止めて、この宿直人がお相手をしました。
姫君の所へ通じる透垣の戸を少し押し開けてご覧になりますと、美しい程度に霧がかかっている月を眺めながら、御簾を短く巻き上げて、女達が座っていました。室内には 一人が柱に少し隠れて座り、琵琶を前に置いて、撥(ばち)をもてあそびながら座っておりました。急に雲に隠れていた月が明るく差し出しましたので、
「扇でなく、これ(撥)でも、月を呼び寄せることができるのね……」と、月を覗いている顔が大層愛らしく美しいようです。もう一人、添い臥している姫君は、琴の上にもたれかかって、
「入る日を返す撥はありますが、あれは太陽のこと……変わった事を思いつかれる御心ですね」とお笑いになる気配が、いま少し落ち着いて優雅な感じがいたしました。
「及ばずとも、この撥も月と無縁の物ではないわ……」等と、とりとめのない事を気を許して言い合っているお二人は、今まで想像していたのとは違って、とても可愛らしく 心惹かれるほど美しうございました。
「若い女性の好む昔物語などに語り伝えられている読物を開くと、必ずこのようなことが書いてあったが……まさかそんなことはないだろうと思っていたけれど、本当に心惹かれる隠れた事が、世の中にはあるようだ」と、姫君に心奪われてしまいそうでした。
霧が深いので、そのお姿がはっきりと見えようもないので、
「再び月が明るく差し出してほしいものだ……」とお思いになっていた時に、奥の方から「人がおります」と、姫君に伝えた者がいたのだろう。急いで簾を下ろして、奥に皆、入ってしまいました。慌てた様子でもなく、穏やかに振る舞って、そっと隠れる気配などは、衣擦れの音もしない程、長く着慣れて柔らかいお召物かと お気の毒な感じがしましたが、とても上品で優雅なお振る舞いを、しみじみ愛しくご覧になりました。
中将の君は静かにその場を退出して、帰路のために御車を引いて参るように供人を走らせました。
先ほどの宿直の男に、
「折悪くお伺いしましたけれど、かえって嬉しい思いもあり、少し慰められました。私が参りましたことを、姫君にお話し申し上げてください。大層 露に濡れていたという恨み言も添えて……」
男は姫君のところに参りまして、お伝え申し上げました。
姫君は、このように見られていたなどとは予想もなさらず、
「気を許して弾いていた琴を お聞きになったのでしょうか」と、大層恥ずかしくお思いになりました。
「不思議と香しい風が吹いていたのに、思いがけない時で気がつかなかった……迂闊(うかつ)なことでした」と心乱れて、恥ずかしがっておいでになりました。
ご挨拶を伝える女房も、大層もの慣れない人のようです。中将は その時々に臨機応変に何事をしても良いと感じられましたので、躊躇わずに思い切って、まだ霧が深く辺りがよく見えない時でしたけれど、先ほどの御簾の前に歩み出て、膝をついてお座りになりました。山里めいた若女房たちは、お応えする言葉も分からずに、座布団を差し出す様子さえもおどおどしていました。
「この御簾の前では落ち着きません。突然の軽い気持ちだけで、こんな遠い所に……訪ねることができないような険しい山路とは知っておりましたが……。御簾の外というお扱いをなさるとは残念なことでございます。このように露に濡れる旅を重ねましたので、もう私の心をお分かり頂けたかと頼みに思っております」と、大層真面目に仰いました。
未熟な女房達が、なめらかにお話し申し上げるはずもなく、目も眩むほど恥ずかしそうにしている様子は、傍にいても辛いことでした。奥で寝ている老女房を起こして、出てくるまでに時間がかかるのも心苦しく思われて、
大君は、
「何事の作法なども存じません私どもで、万事に知った風に、どうしてお答え申し上げられましょう……」と、大層 優雅で気品のある声で、奥に引っ込んだまま かすかに仰いました。
中将は、
「実は、世間を知りながら、辛さを知らない振りをするのも「世の習わし」と存じておりますので、あまりにもよそよそしくなさるのこそ、残念なことでございます。 八宮があり得ない程、万事に悟り澄ませてお過ごしのお住まいに、ご一緒に暮らしておいでになります姫君たちのご心中は、何事にも心涼しいと推し量られますので、私の忍びきれない想いの深さの程をお分かり頂くのは、来た甲斐があるということでございましょう。
世の常によくある好色めいた事とは、私を切り離してお考えください。そのようなことには、例え強いて勧める人があろうとも、決して靡くことのない心の強さを持っております。自然とお聞き及びになることもありましょう。日頃から所在なくお過ごしになる時に、世間話を聞く相手として、またこのように世間から離れて物思いに耽っていらっしゃる御心の気晴らしとして、私をお気づき下さる程に、御文を交わし馴れて頂けるならば、どんなにか嬉しいことでございましょう……」などと、沢山仰いました。大君は慎ましく、お返事なさり難いご様子でしたが、その時、起こした老女房が出てきましたので、お任せになりました。
この老(おい)人は、例えようもなく出しゃばって、
「まぁ、何と畏れ多いこと。……大変失礼な御座所でございます。御簾の内にお入りくださいませ。若い女房たちは、物の分別を知らないようでございます……」など、声高に言うその声が、年寄りじみていて、姫君達は体裁悪くお思いになりました。
「本当に不思議なことに、この世の中に住んでおいでながら、今や世間が相手にもしない有様で……そうあってはならないご身分でありながら、ご訪問なさるべき縁故の人々でさえ、ご訪問なさらず、ますます落ちぶれてゆくような中で、貴方様の有り難い御志のほどを、人数にも入らないようなつまらぬ私共にまでも、驚くほどにお心遣いを頂いておりますのに、姫君は、若い未熟な心で、世間知らずのため、感謝申し上げ難くいらっしゃるのでしょう……」と、大層遠慮なく
慣れた物言いをするのも気になりますものの、老女房の気配が誠に分別があって 風情ある声なので
「誠に、頼りない心地がしておりましたが、嬉しいお計らいでございます。何事もご存知の方がおられた頼もしさは、私には この上ないことです」と、物に寄りかかって座っておられました。
几帳の側から見ますと、曙のだんだんと物の形が見えてくる中で、なるほど質素に窶しておられる狩衣姿が、大層露に濡れてはいるものの、何とも不思議な程に、この世にはあり得ない素晴らしい薫りに満ち溢れておられました。
老女房は泣き出しました。
「出過ぎた者としてお咎めもあるかと 身を隠しておりましたが、どんな機会に出て行って、貴方様にしみじみとした昔の御物語を直接お話申し上げ……せめてほんの一部でも、何とかお知らせ申そう……」と、長い年月、念誦の機会などにも、ずっと祈り続けてきた証しでしょうか。今 お逢いできて誠に嬉しい折ではございますが、早くも溢れ出る涙に、何も申し上げることができません……」と声を震わせ、酷く悲しく思っておりました。
大方 年寄りは涙もろいもの……と、中将もご存知でしたが、
「この老人が、これほど悲しく思うのはなぜだろう……」とお思いになって、
「宇治に度重なり参りますが、このように物のあわれをご存知の方がおられず、露深い道中に一人濡れておりました。嬉しい機会のようですので、どうぞ言い残す事なく、全てをお話し下さい」等と仰いました。
「このような機会は、もうありませんでしょう。またあったとしても、私のように 明日をも知れぬ命では何も頼りにできません。それならば、ただ『このような老人が世の中にいた……』とだけ、お見知り置きくださいませ。
三条宮に伺候していた小侍従が亡くなった事を、ちらっと聞きました。その昔 親しく存じておりました同年配の多くが亡くなりました世の末に、遠い田舎から京に上ってきて、この五、六年の間、宇治に、このようにお仕えしております。ご存じないことでしょうけれど……
当時、藤大納言という方の年上のご兄弟で、右衛門の督になられてお亡くなりになった方(柏木)について、何かの機会にお聞きになったでしょうけれど、伝えられていることがございます。その方が亡くなられて、年月は幾ばくも経たない心地がいたしますが、その折の悲しさも、まだ袖の乾く時もないほどに思われます。指折り数えてみますと、このように貴方様が成人されました年月の程も、夢のようでございます。
あの故権大納言の御乳母(めのと)であった人は、私の母でございました。私も朝夕にお仕え馴れておりましたところ、人数にも入らぬつまらぬ身ではございますが、衛門の督は、他人には知らせずに 御心に溢れた事を、時折 この私に打ち明け下さいました。最期と思われたご病気の末期にも、私をお呼びになり、少し言い残したことがございました。貴方様が知っておかれた方がよい件が一言ございますけれど、この程度まで申し上げましたので、もし「残りを……」とお思いになる御心がありますならば、またあらためて落ち着いた折にでも、すっかりお話し申し上げましょう。未熟な女房たちが『見苦しいほど出過ぎた老人』と、私のことを陰で話すのも、当然なことでしょうから……」と、さすがにその時は、最後まで言わずに終わりました。
「 不思議な夢物語や巫女(かむなぎ)のような者が、問わず語りにしているように珍しいことだ」と、中将はお思いになりましたけれど、長い間 ご自身がしみじみと不安に思い続けていた事を、辨が申しましたので、大層 先が知りたいことだけれど、確かに人目も多いし、唐突に昔の物語に関わって、夜を明かし果てるのも、大儀なことと思われましたので、
「はっきりと思い当たる事は無いけれど、昔のことを聞きますのも しみじみ心深いことでございます。それでは後日、必ずこの残りをお聞かせください。霧が晴れていけば、体裁の悪い窶した身なりが恥ずかしく、姫君がご覧になり お咎めなさるに違いない姿でおりますので……退出するのは残念な事でございますが……」とお立ちになりました。その時、八宮のおられる寺の鐘の音がかすかに聞こえ、辺りには霧がとても深く立ちこめておりました。
峰には幾重にも重なった雲がかかり、八宮を思いやるには隔ても多く しみじみあはれ(ヽヽヽ)に思えます。この姫君たちの御心の内を思うと、やはりお気の毒になられ、
「姫君は何を思っておいでになるのだろう。このように山奥に暮らしておられるのだから、当然のことながら……
朝ぼらけ家路も見えず尋ねこし 槇(まき)の尾山は霧こめてけり
(訳)夜が明けてきても、帰る家路も見えません。
訪ねてきた槇の尾山には深く霧が立ち込めています。
……心細いことでございます」と引き返して、お帰りを躊躇っておられました。そのお姿を見馴れた都の人でさえ、やはりとても格別に思い申し上げていますのに、ましてここの女房たちは、どれほど素晴らしく拝見したことでしょうか。お返事をどう伝えてよいか分からない様子でいると、大君はいつものように大層慎ましげに、
雲のゐる峰の賭けぢを秋霧の いとど隔つる頃にもあるかな
(訳)雲のかかっている峰の険しい山路(八宮のいる)を、
秋霧がますます隔てているこの頃でございます。
お嘆きのご様子が心深く 少しお気の毒に思えて、何ほども趣き深い光景は見えないのですけれど、姫君には誠にお辛いことが多くあるように思えました。
辺りが明るくなってきましたので、薫中将は、さすがに直接に顔を合わせるのは失礼な気がして、
「かえってお聞きしない方がよかった……途中までしか聞けなかった残りの多くは、もう少しお逢いし馴れてから、恨み言などを申し上げさせて頂きましょう。一方ではこのように、私を世間の人並みにお扱いなさるとは、意外にも分別のお分かりにならない方かと恨めしく思われます」と仰って、宿直人が準備した西面(おもて)においでになり、川を眺めなさいました。
「網代の辺りは、人が騒がしいようだけれど、氷魚(鮎)もまだ寄ってこないようで、寒々しい様子でございます……」と、お供の人々が見知ったように言いました。
「何ともない日常の営みとして、柴を積んで川を行き交う粗末な舟は、危うい水の上に浮かんでいますが……思えば誰もが、舟と同じく危ういもの……それが無常の世の中です。水にも浮かばずに、玉の台に落ち着いている身だと、思える世であろうか……」等と、思い続けなさいました。
硯を召して、
橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれぬる
(訳)姫君たちの心をお察しして、浅瀬にさす棹の雫(涙)に袖が濡れました。
物思いに沈んでおいでのことでしょう……」と書いて、宿直人に持たせなさいました。
宿直の男は寒そうに震える顔をして、お返事を持って参りました。紙の香などがぼんやりしたもので恥ずかしいけれど、返歌だけは素早く……とお思いになって、
さしかえる 宇治の河長朝夕の しづくや袖を朽ちたし果つらむ
(訳)流れに棹を差して、行き交う宇治川の河長(渡し守)は、
朝夕の雫に袖を濡らして朽ちさせているでしょう。
私の身さえ、涙に浮いております……」と、大層美しくお書きになりました。
「理想的に感じのよい方だ……」と、中将が心惹かれておられますところに、供人が、
「御車を引いて参りました」と騒がしく申し上げるので、あの宿直人だけをお呼びになり、
「八宮がお帰りになられる頃に、必ずまた参ります……」と仰いました。濡れた御衣などは、全部この男に脱ぎ与えて、京へ取りにやった御直衣にお召し替えなさいました。
薫中将には、老(おい)人の話した物語が心にかかって思い出されます。思っていたよりも優れていた姫君たちのおっとりと素晴らしいご様子などが面影に添って、
「やはり、思い離れがたい世の中である……」と出家が躊躇われ、心の弱さを思い知らされました。
宇治に御文をお書きになりました。特に恋文風でなく、白い厚めの色紙に、筆は特に気遣いして 墨つぎが見所あるようにお選びになりまして、
「遠慮がないようで…と、不本意ながら差し控えましたので、お伝えし残した事が多くありますのも辛い事でございます。少し申しましたように、今からは、御簾の前も気安くお許し下さるようにお願い申します。父宮の御山籠もりの終わる日を伺っておいて、気になる霧の迷いも晴らしたくございます」等と、大層真面目にお書きになりました。
右近の将監(ぞう)である人を使者として、
「あの老人を訪ねて、この御文を渡すように……」と仰いました。宿直人が寒そうに歩き回っていた姿を気の毒に思い出して、大きな檜破子(ひわりご)(檜で作られた弁当箱)の様な物を、沢山届けさせなさいました。さらに次の日、八宮がおられる御寺にも、御使者をお送り申しなさいました。「山籠もりの僧侶たちには、この頃の嵐は大層心細く辛いことだろう。八宮がおられる間に、お布施を差し上げた方が良かろう……」とお思いになって、絹や綿などの贈物を沢山差し上げなさいました。
勤行が終わり山寺を発つ朝になり、八宮は修業者たちに、綿・絹・袈裟・衣などを一組づつ、全ての大徳たちにお与えになりました。
中将が御衣を脱ぎ与えた宿直人は、艶に素晴らしい狩の御衣や、言葉にならぬ白い綾織りの しなやかで言いようもなく香っている着物を そのまま着ていました。しかし身体は高貴に変えることができないものなので、全く似つかわしくない袖の香を、出会う人ごとに咎められたり 誉められたりするので、かえって身の置き所がないようでした。宿直人は意のまま身軽に振る舞うことができず、不思議なほど人が気付く匂いを、無くしたいとは思うけれど、重々しい人(中将)の移り香なので「洗い捨てることができないのは困ったことだ……」等と思っていました。
薫中将は姫君からの御返事が大層美しく風情がある……とご覧になりました。
宮邸に戻られた八宮に、
「中将殿から、このような御文がございました」などと、女房たちがご覧にいれますと、
「何か……恋文めいてお扱い申すのも、かえって良くない。中将は今風の若い人には似ていない御性格のようだから……。私が亡くなりました後にも……などと 一言ほのめかしたので、そのように心に留められたのであろう」などと仰いました。
ご自身でも、さまざまの御見舞いの品が 山の岩屋(山寺)に溢れたことなどの、御礼の手紙をお書きになりましたので、中将は「宇治に参ろう……」とお思いになりました。
三の宮(匂宮)が「このような山の奥まった所にいる女性が美しく優れているのこそ、興味深いものだ……」などと、普段から想像を膨らませ仰っていたので、この際 宇治行きを促して、宮の御心を羨ましがらせようとお思いになって、ある穏やかな夕暮れに 匂宮邸においでになりました。
お二人はいつものように、様々なお話合いをなさいました。そのついでに、宇治の八宮の事を語り出し、姫宮のお姿を見た暁の有様などを詳しく申し上げますと、
匂宮は、
「それは、誠に……心から興味深いことだ」とお思いになりました。
その様子をご覧になって「予想通り……」と、薫中将は ますます御心が動くようにと、さらに言い続けなさいました。
宮は、
「ところで、その大君からきたお返事を どうして私にお見せ下さらなかったのですか。私だったならば……」とお恨みになりました。
「そうです。貴方も、様々な女性からの御文をご覧になるような時に、私にはその一部さえもお見せくださらない。あの宇治の辺りは、大層埋もれた身(私)が、独占してよい女性とも思えませんので、いつかご覧に入れたいと思っておりますが、遠い宇治までは、どうしてお訪ねなさることができましょう。身軽な身分の者こそ、好きになりたければ、いくらでも好きになる事の出来る世にございます。人目に隠れた所に、見所ある女性が物思いしてひっそり隠れて住んでいる家が、山里めいた隈などにも、自然とあるようでございます。この宇治の辺りならば、大層世間離れした 聖風で、堅苦しい女だろうと、長い間、私も思い込み 見下しておりまして、耳に留めることさえもありませんでした。
ところが仄かな月光の下で見た姫君の見劣りしない御姿は、誠に素晴らしくございました。その気配やご様子は、あの位の身分の方としては、理想的な程と思うべきでしょう」と申しなさいました。
宮は、遂には大層妬ましくなられ、普通の女性には 心移しそうな薫中将ではないけれど、これほどまでに深く想っているのは、いい加減なことではないだろう……」と、姫達のことを限りなく知りたいと思うようになられました。
「更にまた、もっとよく姫達のご様子を探って下さい」等とお勧めになって、制約のあるご身分の高さを疎ましい程に、じれったくお思いになりますので、中将は面白くなって、
「いや、つまらない事でございます。暫くの間も、世の中に執着を持つまい と思っているような身で、いい加減な考えは遠慮されますので、もし自分から抑えられない心でも起こったならば、以前からの考えに違う様なことも起こりましょう……」と申しなさると、
「いや、何と大袈裟なこと。いつもの物々しい修行者のような言葉を最後まで見届けたいものだ」とお笑いになりました。ただ中将の心の中では、あの老女房が話したことに大層驚かされて、何となく物思いになりがちなので、今、心をときめかす事も、感じが良いと伺える女性の事も、どれほども心に留まることはありませんでした。
十月(かんなづき)になって、五、六日頃に、宇治へお出かけになりました。
「この時期は、網代を是非ご覧なさいませ」と、申し上げる人々がありましたけれど、
「どうして、ひを虫と、その儚さを争うようなこの心で、網代に立ち寄れるものか……」とお思いになりました。網代車にお乗りになり、固織の直衣・指貫を仕立てさせて
強いてお召しでございました。
八宮は大層お待ちになり お喜びになって、土地柄に相応しい接待(お食事)などを趣き深くさせなさいました。阿闍梨にも下山してもらい、日が暮れれば、大殿油(おおとなぶら)(灯火)を身近くに引き寄せて、以前に読みかけた教文の深い意味などを質問して過ごされました。
川風が大層荒々しい上に、木の葉の散り交う音や 水の響きなどは、しみじみと趣きのある風情を過ぎて、何となく恐ろしく心細く感じられる 周辺の景色でした。少しもうとうとなさらずに、明け方近くと思われる頃、先日の夜明けの様子を思い出された中将は、琴の音を聞く機会を何とか作りたいとお思いになって、
「以前、霧に迷わされた夜明けに、とても素晴らしい楽の音を かすかに聞かせて頂きましたが、その続きを聞きたく、とても物足りなく思われます」などと申し上げなさいました。
八宮は、
「美しい色も香も捨ててしまった今は、昔聞いた琴なども皆 忘れてしまいました」などと仰いましたが、人をお呼びになり、琴を持って来させて、
「誠に……私に琴は似合わなくなってしまいました。導いてくれる楽の音に合わせてなら、思い出すことができるかもしれません」と、琵琶を客人にお勧めなさいました。中将はそれを手に取り、音調を合わせなさいました。
「ほんの少し聞きましたあの琴とは思われません。御琴の響きからと思われますが……」と、気を許してお弾きになりませんので、
「何とまぁ、口の悪いこと……御耳に留まるほどの弾き方などは、どこからこの宇治まで、伝わることがありましょう。あるはずもない……」と、宮が琴をかき鳴らしなさいますと、峰の松風が一層引き立てるためでしょうか。大層しみじみと物寂しく響きました。大層たどたどしく 不確かな様子で、趣きのある曲を一つだけ弾いて、お止めになりました。
「この辺りに、思いがけなく、時々かすかに響く箏の琴の音こそ、心得がある……と、聞く折もあるけれど、琴を教えたりもしないで久しくなりました。心のままに娘達が掻き鳴らしているようですが、川波だけが調子を合わせているのでしょう。勿論きちんとした拍子なども身についていないと、思えますが……」と仰って、奥に向かって「琴をお弾きなさい……」と申されました。けれど姫君達は、以前、思いもよらず 独り琴を聞かれたことさえ恥ずかしいと思うのに、今、あらためて弾くのはもっと体裁が悪い……」と、奥に引き込んで 承知をなさいません。八宮が度々促しなさいましたけれど、何とか辞退なさって 終わってしまったようなので、とても残念に思われました。
この機会にも、八宮は、中将からの世間離れしたほど篤い思いやりを受ける娘達の暮らし振りが、思いの外であることなどを、恥ずかしいとお思いでした。
「誰にも知らせるまい……と今まで育ててきましたが、今日明日とも知らぬ残り少ないわが命に、やはり将来の長い娘達が落ちぶれて流離うであろうこと……これだけが、この世を離れる際の妨げでございます……」とお話しなさいますので、中将はお気の毒に拝見して、
「特別の御後見というはっきりした形ではなくとも、私を疎ましくお思いにならぬようにと願っております。暫く命永らえます間は、口に出してお引き受けした事を 一言でも違えることはございません」等と申しなさいますと、
「誠に嬉しいこと……」とお思いになり、そう仰いました。
暁方になり、八宮が勤行をなさる間に、薫中将はあの老(おい)人をお呼びになり お逢いになりました。
姫君の御後見(うしろみ)として伺候させなさった「辨の君」という、歳は六十(むそじ)に少し足りない程であるけれど、雅やかで教養ある感じのする人で、しばらくお話などなさいました。
故権大納言の君(柏木)が、日が経つにつれ 物思いに沈み、やがてご病気がちになられ、遂にはお亡くなりになった様子について申し上げながら、限りなく泣きました。
「誠に、他人の身の上を聞くのさえ悲しい昔話を、まして長い年月 知りたいと思っていた事で、どんなことが始まりだったのか…と気がかりで、佛にも『このことをはっきりと教えて下さい……』と、念じてきた験(しるし)があったためか、このように夢のように 思いがけない機会に聞くことができたのか」とお思いになると、中将も涙を止めることが、お出来になりませんでした。
「それにしても、このように当時の事情を知った人が、まだ生き残っておられるとは……。驚きもし恥ずかしくも思われる話について、秘かに伝え知る人が、やはり他にもいるのだろうか。長い年月、少しも聞くことがなかったが……」と仰いますと、
「小侍従と辨を除いて、この件を知る人はおりません。また一言でも他人に伝えてはおりません。このように頼りなく 取るに足らない身分ではございますが、夜も昼も 権大納言のお側にお付き申し上げておりましたので、自然と事の経緯を拝見しておりました。御心より溢れて、女三宮に想いを寄せておられた時々に、ただお二人の間で、たまにお手紙のやり取りがございました。お側にいても辛いことですので、詳しくは申し上げられません。ご臨終になられて、少し言い置かれた事がありましたが、私のような身には処置のしようがなく、気がかりに思い続けながら、どのようにして、中将様にお伝え申し上げたらよいのか……と、心許ない念誦のついでにも 祈っておりました。今『佛はこの世におられる……』と思われます。
ご覧に入れたい物がございます。今までは、どうしたものか……焼き捨ててしまおうか。朝夕の露のように、何時消えるかも分からない身で、放っておけば世間に広がってしまうか……と、大変心配に存じておりました。時折、この八宮邸の辺りにお姿を見せなさるようなので、機会をお待ち申し上げ、お逢いできる機会もありましょうか……と、少し頼もしく思われ、そう願っておりましたが、効が出てまいりました。これはこの世の事とは思えません……」と泣く泣く、薫中将がお生まれになった頃のこと等も思い出しながら、細やかにお話し申し上げました。
「大納言(柏木)が亡くなられた騒ぎで、母でありました者はすぐに病床について、時を経ず亡くなりましたので、ますます思い沈んで、藤衣(ふじごろも)(喪服)を重ね、悲しく思っておりました頃に、長年、大して身分の高くもない男が、この私に心を寄せ、騙して、西の海(九州)の果てまで連れて行ってしまいました。その後は、京のことも分からなくなってしまい……その男もその地で死んでしまいました後、十年余り経って、まるであらぬ世の心地がして、京に上って参りました。
この八宮は、私の父方の縁で、子供の頃から出入りしておりましたので、今は宮家にお仕えする身分ではございませんが……冷泉院の弘徽殿の女御様の御邸などには、昔から良く伺い馴れておりまして、参上すべきとは思いながらも気が進みませんで、身を寄せることが出来ませんでした。……今はこうして、深山の奥深くの朽ち木のようになってしまいました。
小侍従は何時亡くなったのでしょうか。その当時、若い盛りと見えました人は、数少なくなってしまいました。年老いて、多くの人に先立たれた命を悲しく存じながら、やはりこの世に生き永らえております……」等と申し上げるうちに、いつものように すっかり夜が明けてしまいました。
「よし それでは……この昔物語は尽きることもないだろう。いづれまた、誰も聞いていない安心出来る場所で聞くことにしよう。小侍従という人は、私が僅かに覚えているのは、五、六歳ほどになった頃に、急に胸を病んで亡くなった……とだけ聞いた。今日、もしこのような対面がなかったなら、私は罪重き身(実父を知らぬまま供養してない)として終わるところであった……」と仰いました。
辨は、小さく押し巻いた カビ臭い反故(古い手紙など)を縫い込んだ袋を取り出して お手渡しいたしました。
「貴方様の手元でこれを処分なさいませ。
大納言(柏木)が
『私はこれ以上生きて行けそうもなくなった……』と仰せになって、この御文を取り集めて、私に下さいましたので、小侍従に再び逢った折に、女三宮にしっかりお返し申そうと思っていましたが、やがて小侍従とも別れましたので……私事ながら、悲しく思われます……」と申し上げました。
さりげなく中将はこれを手元にお隠しなさいました。
「このような老人は、誰にも聞かれず自分から、これを珍しい話として口に出すだろう。辛いことだ」とお思いになりましたが、くり返し くり返し、辨の君が他言しないと誓いましたので、
「そんなこともあるだろうか……」と、また思い乱れなさいました。
御粥、強飯などを召し上がりました。
「昨日は暇日でありましたが、今日は内裏の御物忌も明けたようなので、院の女一宮の病気のお見舞いに、伺わなければなりません。私はいろいろ忙しくおりますが、この時期を過ごして、山の紅葉が散る前に、また参ります」と申し上げなさいました。八宮は、
「このように、度々お立ち寄りくださるお陰様で、宇治の山陰も、少し明るくなって行く気がしております」等と、お礼を申しなさいました。
京にお帰りになって、中将が まずこの袋をご覧になりますと、唐の浮線綾(うせんりよう)で縫ってあり、「上」という文字が表に書いてありました。細い組紐で袋の口を固く結んであり、御名の封がついておりました。袋を開けるのも何か恐ろしく思われました。
色とりどりの紙で、稀に宮(女三宮)と通わした御文の返事が五、六通 入っておりました。それはあの方(柏木)の筆跡でありましょう。
『病は重くなり、臨終になってしまったので、再び短い御文を書くことも難しくなってしまいましたが、逢いたいという気持ちは増しています。出家をなさり 尼姿に変わってしまわれたのが、さまざま悲しいことでございます……』と、陸奥紙五、六枚に、細々と奇妙な鳥の足跡のようにたどたどしく書かれ、
目の前にこの世をそむく君よりも よそに別るゝ魂(たま)ぞ悲しき
(訳)目の前に この世に背いている貴女よりも
この世を別れてゆく 私の心こそ悲しいのです。
また、この御文の端に、
「愛すべきこと(御子の誕生)を伺いました。二葉のことを心配に思うことはないけれど、もし命あらば、我が子と見たいものです。人知れず岩根に残した松(わが子)の成長を……」と書いたようで、大層乱れた様子で、「侍従の君に」と、上に書き付けてありました。
紙魚(しみ)という虫の住処になっていて、古く黴(かび)臭いけれど、墨跡は消えず、たった今書いたようにも違わない言葉が、細々とはっきり読めるのをご覧になって、
「誠に、もし他人の手に落ちて噂が広がったら、大変な事になる……」と、心配に思われました。
何とも、お労しいことでございました。
「このようなことは、この世に他にあるだろうか……」と、ご自身の心ひとつに、ますます物思いが増すばかりで、「内裏に参ろう……」と思ってもお立ちになれません。
ようやく母宮(女三宮)の御前においでになりますと、宮は大層無心に 若々しいご様子で、お経をお読みになっていて、薫の訪れに 恥ずかしがって身をお隠しになりました。
薫中将は、
「どのようにして、この秘事を知ってしまったことを、母君にお知らせ申そうか……」と、あれこれ思い巡らせておいでになりました。
( 終 )
源氏物語ー橋姫(第45帖)
平成25年水無月 WAKOGENJI(文・挿絵)
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