やさしい現代語訳


源氏物語「椎本」(しいがもと)第46帖

(薫23~24歳 ・大君25~26歳・中君23~24歳 匂宮23~24 の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む 


 二月の二日の頃、兵部卿宮(匂宮)は初瀬にお参りなさいました。昔立てた御願ですけれど、その御礼参りを長いことなさらず、この年になってしまいましたが、宇治の辺りに、御中宿りをしたいというのが 大半の理由で、催すことになさったのでありましょう。
「うらめし……」と言う人もあった里の名(宇治=憂し)が総じて、慕わしく思われる理由もたわいもないことのようです。
 上達部(かんだちめ)など大層大勢が御供に伺候しておりました。殿上人などは 更に言うまでもなく、都に残る人が少なくなる程に、お仕え申し上げました。
 六条院(源氏)から伝わって、右の大殿(夕霧)が所有する御邸は、ちょうど宇治川の対岸にあり、大層広く、趣き深く造ってありますので、そこに中宿りのご準備をさせなさいました。大臣(夕霧)も匂宮の帰りがけにお迎えに参上しようとお思いになっていましたが、急に御物忌があり、重く慎みなさるようにと陰陽師が申しましたので、「出迎えに伺うことが出来ない……」とお詫びを申されました。  大臣がおいでにならないので、宮は何となく淋しいかと思われましたけれど、宰相の中将が、今日の御迎えに参上なさっていたので、かえって気楽で、八宮邸の辺りの様子も伝えられる……と、安堵しておられました。大臣には打ち解けて逢いにくく、殊更 気遣いをする方と思い申し上げておられました。
 御子の君達、右大辨、侍従の少将、権中将、頭の少将、蔵人の兵衛の佐(すけ)などが、皆、匂宮のお供として伺候なさいました。今上帝、后(明石中宮)も 特別にこの宮を可愛がりなさいますので、大方の評判もこの上なく、まして六条院の御縁者の方々は、次々 皆、匂宮を個人的な親しみのある宮として、心寄せてお仕え申し上げておいでになりました。

 御邸には、その土地柄に相応しく、御設えなどを趣き深く整えてあり、碁・雙六・弾棊(たぎ)の盤などを取り出して、思い思いに遊び暮らしなさいました。
 宮は馴れていない御ありき(外出)にお疲れになって、ここに泊まろうとのお考えも深いので、少しお寝みなさって、夕方になって、御琴を取り寄せてお遊びになりました。いつもこのように世離れした所は、水音も楽の音を引き立てて、澄み勝る心地がいたしました。
 対岸の聖の宮(八宮)には、ただ棹させば渡れる距離なので、追い風に乗ってくる響きをお聞きになりますと、昔の事が思い出され
「笛を、とても美しく吹いているなぁ……誰だろう。昔の六条院(源氏の君)の御笛の音を、大層風情があり、愛嬌づいた音をお吹きになる…」と聞きましたけれど、「これは澄み上がって、風格のある気配が添っている……致仕の大臣の御一族の笛に似ているようだ……」などと独り言を仰いました。
「悲しいことに、何とも久しくなってしまった……私はこのような管弦の遊びなどもしないで、生きているとも言えないような状態で過ごしてきてしまった。何事もなく ただ多くの年月が数えられるとは、生きる甲斐もないことよ……」などと仰る折にも、姫君たちのご様子が愛おしく思われ、
「都から離れたこのような山懐(やまふところ)に姫君たちを引き込めたまま、終わりにしたくはないものだ……」と、思い続けなさいました。
「宰相の君(薫)が、同じことなら、近い縁者として接したいのに、そのようにはお考えではないようだ。まして 今風の思慮の浅い人々とは、どうして縁続き(結婚)にすることがあろうか……」などと思い乱れ、所在なく物思いに耽る時は、短い春の夜さえも とても長く感じられ、明かし難くおいでになりました。一方、匂宮にとっては、心寄せる旅寝の宿は酔いにまかせて、とても早く明けてしまう心地がして、物足りないまま京に帰ることを、残念にお思いでございました。

 遙々と霞渡る空に、散る桜があると思えば、今咲く桜もある……など、色とりどりに見渡される景色に、川添いの柳が風に起き伏し靡いて、水面に映る影などが並みならず美しいので、
「見馴れていない者には、大層珍しく見捨てがたい……」とお思いになりました。
 宰相はこの機会を見逃さず、八宮邸に伺いたいものだとお思いになりましたけれど、沢山の人目を避けて、一人舟を漕ぎ出して対岸に渡るのも軽率なことか……と、思い躊躇っておられますと、八宮より御文がありました。

   山風に霞吹きとく声はあれど 隔てて見ゆる遠の白波

     (訳)山風に霞が吹き分ける笛の音は聞こえますが、遠の白波は隔てて見えます。

 草仮名で、大層美しくお書きになりました。

 「想っている所から……」と、匂宮はご覧になり、とても興味深くお思いになって、
「このお返事は私がしましょう……」として、

   遠近の汀に浪はへだつとも なほ吹き通へ宇治の川風

     (訳)遠近の汀に波は隔てていても、やはり吹き通ってほしい……宇治の川風よ


 薫中将は山荘にお出かけになりました。管弦の遊びに夢中になっている君達を誘って、流れに棹をさす間には、「酣酔楽(かんすいらく)」を奏でました。水辺に臨んだ廊に造ってある橋の風情など大層趣きがあり、由緒ある宮邸ですので、人々は気をつけて舟から下りなさいました。ここは都と様子が違って、山里風の網代屏風など、特に簡素に見所のある御部屋の設えなどを、一行を迎えるために気遣いして掃除をして、大層感じよく御支度なさっておられました。
 昔の楽の音など、又とない弦楽器を強いて設えたようではなく、次々と引き出しまして、一越調に変えて「桜人」(催馬楽)を奏でなさいました。

 主の八宮の御琴を、この機会に是非……と、人々は思いましたけれど、八宮は箏の琴をさりげなく時々 掻き合わせなさいました。耳慣れないため「とても趣き深く美しい……」と、若い公達たちは、思っておりました。
 土地柄に相応しい御接待を大層風流になさいました。想像していたよりは、天皇の血を引くという賤しからぬ人々が、外から大勢 参上なさいました。当時から八宮を同情申し上げていた王族で四位程度の年老いた人たちは、「このように都人に会える機会には……」と、皆、参上して、瓶子(へいじ)(酒を温める器)を取る人も汚げでなく、それはそれとして、年相応に風流におもてなしをなさいました。

 客人たちの中には、八宮の御女(むすめ)たちのお住まいになるご様子を思いやりながら、姫達に心寄せる人達もあるようでした。かの匂宮はまして 気軽に動けないご身分なので窮屈にお思いでありながら、
「せめてこのような機会にこそ…… 」と我慢出来ずに、美しい桜の枝を手折らせなさいまして、御供に伺候している上童の美しい子を遣いとして、山荘に差し向けなさいました。

   山桜匂ふあたりに尋ねきて 同じかざしを折りてくるかな

     (訳)山桜の美しく咲いている辺りを訪れて、同じ桜のかざしを手折りました

姫達を親しく思いますので……」とあったのでありましょうか。
「お返事はどうしたらよいものか……」と、姫達は書き辛く思い 煩わしく思っていました。老女房は、
「このような折の返事は、わざとらしく時間をかけるのも かえってみっともないことでしょう……」と申し上げるので、中君に書かせ申しなさいました。

   かざし折る花のたよりに山賤の 垣根を過ぎめ春の旅人……野を分け来ても……

     (訳)貴方は、かざし(挿頭)の花を手折るついでに、山里の家を通り過ぎてしまう
      春の旅人なのでしょう。わざわざ来られたのではないでしょう……

 大層美しく、上手にお書きになりました。
 川風も心隔てのない様子で、優しく吹き通う楽の音を、皆で趣き深く奏でなさいました。

 京より 匂宮をお迎えに、藤大納言が帝の勅命を受けて参上なさいました。人々は大勢 参集して、もの騒がしく先を争ってお帰りになりました。若い人々は心残りで、後を振り返りながら帰っていきました。匂宮は「また何かのついでを作って……」とお思いでした。辺りは花盛りで 四方の霞を眺めやるほど見所がありますので、漢詩や和歌なども多く作られましたけれど、面倒なので省略します。                                       (草子地)

 何かと騒がしくて、思いのままにお気持ちを言い出すことができなかったので、宮は残念にお思いになって、薫中将の手引きなしで、姫達への御文を常にお書きになりました。父宮も、
「やはりお返事を申し上げなさい。強いて恋愛沙汰風に扱ってはいけません。かえって宮が心を募らせることになるに違いない。匂宮はとても好色な親王なので「このような娘がいるとお聞きになると、心からではない戯れ事をなさるでしょう」と、返事を促しなさるので、中君がお返事を書かれました。大宮には、このようなことは戯れにも、ご関心のない御心深さがありました。
 八宮は、いつとなく心細いご様子で、春の所在なさにますます過ごし難く 物思いに暮れておられました。姫達が成長されたご様子やご器量などが、ますます優れて願わしいほど美しくなられましたので、かえって心苦しく、
「これほど美しくなくいらしたら、惜しいなどの思いは少なかっただろうに……」などと、明け暮れ思い乱れておられました。姉が二十五歳、中君二十三歳におなりでございました。

 八宮は、重く身を慎むべきお年(厄年)になりました。何となく心細く、御読経を普段よりも弛みなく行いなさいました。この世に執着なさらず、来世への出立の準備のみをお考えなので、涼しい道(極楽浄土への道)にも向かわれるはずですのに、ただこの姫たちのことを、大層可哀相にお思いになられ、
「この上ない御心の強さだけれど、必ず今日を限りと見捨てる時には、御心が乱れるでしょう……」と、拝する女房たちも推し量り申し上げておりました。けれども、
「自分の望む様ではないとしても、婿として評判がよく、世間でも認められる身分の人で、姫を真摯に後見申し上げよう……等と思ってくれる人がいたら、素知らぬ顔で許すことにしよう。娘の一人一人が世に暮らしていく頼り(縁)があるならば、その人に譲っても安心もできようが、そこまで深い心で言い寄る男はいない。偶にちょっとした便りで、恋文めいたことを言う人や、また若い男の遊び心で、物詣での中宿りや、その往来の慰め事として、姫達に恋文をよこすことになっても、やはり、八宮のように落ちぶれた身の上を考えると、軽んじて扱われるのは心外なので、心無い返事さえ おさせになりませんでした。

 三宮(匂宮)は「やはり姫たちとお逢いしないでは おさまらない……」と思う御心が深くございました。宿世の約束事なのでありましょうか。

 その秋、宰相の中将(薫)は、中納言になられました。ますますご立派になられ、日常の公務に添えても 思い悩むことが多くございました。「どのようなことか……」と、ご自分の出世について、ずっと不安に思い続けてこられた年月よりも、今はかえって心苦しく、お亡くなりになった父君(柏木)の昔のご様子が思いやられるので、罪障が軽くなる程度に勤行をしたいと思われました。
 あの老女房を労しい者とお思いになって、表立ってでなく 何かと紛らわしながら、辨の君に心寄せてお手紙を出されました。

 宇治に久しくおいでになってないのを思い出して、お出かけになりました。文月になり、都ではまだはっきりしない秋の景色だけれど、音羽の山近くでは、風の音も大層冷ややかで、槇の山辺も僅かで、さらに山路を訪ね来ると、趣き深く珍しく思われました。八宮はいつもよりまして薫中納言をお待ちになりお喜びなさって、この度は心細そうなお話を大層多くなさいました。
「私が亡くなりました後、この姫君たちを、しかるべき機会にはお訪ねくださり、お忘れにならないように、人数の中に数えてください……」などと、意味ありげに申しなさるので、
「一言なりとも、八宮より承りましたならば、決して疎かにはいたしません。俗世に執着を持つまいと係累を持たずにおります身なので、何事も頼りがいのない将来性のない身ではございますが、その点でも、この世に生き永らえる限りは、私の変わらぬ気持ちを姫君たちにお目にかけて、お分かり頂きましょう……」とだけ申しなさいました。八宮は嬉しくお思いになりました。

 夜深く月が明るく差し出して、山の端が近い感じがしますので、念誦を大層しみじみと勤めて、昔話などをなさいました。八宮は、
「この頃の世の中はどうなってしまったのか……昔、宮中などでは、このような秋の月の夜、帝の御前の管弦の遊びの折には、伺候する人々の中に、楽の名人と思われる人々が、拍子などをとりどり打ち合わせ、仰々しいよりは風情がありました。世に評判の女御、更衣の御局方が、それぞれ張り合って、表面では情を交わすように見えるようでした。夜更けに、辺りがひっそり静まった頃、心悩ましく掻き調べて、かすかに流れ出た楽の音などは、聞き所のあることが多かったものだ……。 
 何事にも、女性は慰め事のきっかけになるに違いなく、何となく頼りないものの、人の心を動かす種にはなるのだから、罪深い者なのでしょうか。子を思う道の闇を思いやるにも、男の子は、それほど親の心を乱さないであろうが、女の子には限りがあって、言う甲斐がないと諦めるような時にも、やはり苦しいことになるでしょう……」などと、一般論として仰いましたが、どうしてそうお思いにならないことがありましょうか。薫君にとっても、お気の毒な八宮のご心中でございました。

 「すべて、誠に、この世に執着は捨てた故ではございませんが、自分自身のことは、どのようなことも深く分かりません。なるほど音楽は、つまらぬことですが、私の琴の音を愛する心だけは、背き難いものでございます。賢く修業をする迦葉(かせう)(釈迦の弟子の一人)もそうですから、立って舞ったのでございましょう……(法華経より)」などと申し上げて、物足りなく聞いた姫君の御琴の音を せつに聞きたがりなさいますので、八宮は、
「中納言殿によそよそしくしないように、付き合いの初めとして……」と、ご自身から別室にお入りになって、お薦め申し上げなさいました。
 大君は 箏の琴をとてもかすかに掻き鳴らして、お止めになりました。その後、人の気配も絶えて、悲しげな空の様子に、土地柄から音楽の遊びが心に染みて興味深く思われましたが、姫達はどうして打ち解けて弾き合わせなどなさいましょうか。
「自然と馴れなさるでしょうから、後のことはお任せ申し上げましょう……」と仰って、
八宮は佛の御前に入ってしまわれました。

   我なくて草の庵は荒れぬとも このひとことはかれじとぞ思ふ

     (訳)私が亡くなり、草の庵が荒れ果ててしまっても、
        この一言の約束だけは、守ってくれようと存じます。

 このようにお逢いすることも、今回が最後になるだろう」と、何となく心細いのに堪えかねて、愚かな戯言を多く申し上げてしまいました。

 客人(薫)は、

   いかならむ世には離れせむ長き世の 契り結べる草の庵りは

     (訳)どんな世になっても、離れることはありません。
        この末永く約束を結びましたこの草の庵には……

相撲など公務の忙しい頃を過ぎて、またお伺い致しましょう……」などと申しなさいました。

 こちらに あの問わず語りの古人(老女房)をお呼びになり、話し残した沢山の物語などをおさせになりました。入方の月が明るく差し込んで、透影が美しいので、姫達も奥まった部屋におられます。中納言は世間にある好色者のようではなく、心深く穏やかにお話しなさいますので、大君は然るべきお返事などをなさいました。
「三の宮(匂宮)が大層お慕いしているので……」と、心の内では思い出しながら、
「我ながら、やはり私は世間の人とは違っているようだ。あれほど八宮が心からお許しなさるのに、私には、それほど急ぐ気にはなれません。八宮と違い、結婚などあるまじき事とは、さすがに思えず、このようにして言葉を交わし、折節の花・紅葉につけても、あはれや情を交わすのに憎からず想い申し上げる姫たちなので、宿世を異にして、他の人と結婚なさる時には、やはり残念なことだろう…」と、まるで姫達を 自分のもののような心地でおられました。
 まだ夜深い頃に、お帰りになりました。
八宮が心深く、命も残り少なくお思いのご様子を思い出しながら、
「忙しい時期が過ぎてから、また宇治に参上することにしよう……」とお思いでございました。

 兵部卿宮(匂宮)も、この秋頃に、紅葉を見にお出でになりたい……と、適当な機会を思い巡らしておられました。御文は絶えず差し出しなさいました。姫君達は「本気で想っている……」とはお考えでないので、御文を煩わしいとは思わず、何気ない様子で、折々 書き交わしなさいました。

 秋が深まるにつれて、八宮は大層心細くお思いになって、
「いつもの静かな所で念仏を 心惑いなく勤めたい……」と、姫君達に申しなさいました。
「世の習いとして、最後の別れを逃れる方法はないけれど、思い慰める方法があればこそ、悲しさをも弱めるものだろう。また後見を譲る人もなく、心細げな貴女たちのご様子などを、うち捨てていくのは誠に辛いこと。けれども、そのようなことに妨げられて、長い闇の世に惑うのは、益のないことです。一方、お二人をお育てしてきた間でさえ、思い捨ててきた世を去る後のことは、知るべきことではないけれど、わが身ひとつのためではなく、軽々しい心など起こしなさるな。信頼できないご縁で男の言葉に靡き、この山里を離れてはなりません。ただ世間の人と違った運命の身とお考えになって、この宇治で一生を終えなさい……。一途に思い為せば、何事もなく過ぎる年月なのです。まして女は、世間から途絶え、庵に閉じこもって、ひどく愛おしげに振る舞い、世間の非難を負わないのがよいでしょう」などと仰いました。
 ともかく姫達は、将来の身の上のありようまでは お考えも及ばないまま、
「父宮に先立たれたら、どのようにして、この世に片時も生きていられようか……」とお思いになり、このように、父宮が心細い様子を前以て仰いますので、言いようもなくお嘆きになりました。心中でこそ 世を捨ててはおられましたが、明け暮れ、姫達をお側に馴れ親しみなさいましたので、急にお別れになるのは大層辛いことですが、誠に……姫達には恨めしいに違いない事なのでございました。

 山に入られる前日には、いつもと違って、山荘内のあちらこちらに佇み、歩き回りなさいまして、様子をご覧になりました。何となく頼りなく、仮の宿として過ごされたお住まいの有様を、
「私の亡き後に、どのようにして若い人達がここに堪え籠もって、お過ごしになるのでしょう」と、涙ぐみながら念誦なさるご様子は、じみじみと美しうございました。
 年配の女房たちをお呼びになり、
「安心してお仕えしなさい。何事も、もとから気安く世間の評判にならない身分の人々や子孫の衰えもよくあることで、目立ちもしないようだ。親王の身分になれば、世間の人は何とも思わないだろうが、流離う運命は……畏れ多くも、心苦しいことが多いことだろう。物寂しく、心細い世の中を送ることは、世の常のことです。生まれた家の格式や家のしきたりのままに 身を処するのが、世間にも、自分の気持ちとしても、誤りのないことと思われるだろう。贅沢な人並みの生活を臨んでも、その思いを叶えることができない世ならば、決して軽々しく姫達を、良くない男に取りなし申し上げるな 」などと仰いました。

 まだ夜の明けないうちに、山寺へ出立なさろうと、姫達のところにお渡りになり、
「私がいない間、心細く思いなさるな。心だけは明るく持って、管弦の遊びなどなさい。何事も、思うに適さない世を、思い詰めなさいますな……」等と仰り、振り返りながら山荘を出発なさいました。
 お二人はますます心細く物思いを続けられ、寝ても覚めても語り合いながら、
「どちらか一人がいなくなったならば、どう明かし暮らしましょう……」
「今も将来も定まらぬ世の中で、もし別れるようなことがあれば……」などと、泣いたり笑ったりしながら、戯れ事も真面目なことも、同じ心で慰め合ってお過ごしになりました。

「あの念仏三昧の勤行は、今日終わるでしょうと、父宮のお帰りを今か今かとお待ち申し上げる夕暮れに、使者の僧が山荘に参りまして、
「今朝から体調が悪く、帰ることができません。風邪かとあれこれ手当しているところです。それにしても、いつもよりもお逢いしたく思います。心細く……」と、父宮の言葉を申し上げました。姫君たちは胸が潰れる思いで、「どうしたのか……」とお嘆きになり、御法衣などの綿を厚くし、急いで準備させなさって、父宮にお届け申し上げなさいました。
 二、三日回復なさいません。「どのようですか……」と遣者を差し向けましたが、
「特別に酷く悪い訳ではないのですが、何となく苦しいのです……」と、言葉で申しなさいました。阿闍梨がずっと傍について、お世話申し上げておりました。
「ちょっとしたご病気に見えますけれど、最後でいらっしゃるかもしれません。姫達のことは、何の思い嘆くことがありましょう。人は、皆、御宿世という物が異なっていて、ご心配なさることはありません……」と、ますます執着を捨てるべき事を 八宮に申し知らせながら、
「今更、山寺を下山なさいますな……」とお教え申し上げました。

 八月二十日の頃でございました。大方の空の気色もますます悲しい頃、姫達は、朝も夕も霧の晴れる間もなく、父宮を思い嘆きながら、物思いに耽っておいでになりました。有明の月が大層明るく差し出して、水面もはっきりと澄んでいる様子を、蔀(しとみ)を上げさせて、お覗きになっておいでになりました。やがて鐘の音がかすかに響いて、「夜が明けたようだ……」と聞こえる頃に、使者の僧が来て、
「この夜中頃に、お亡くなりになりました」と、泣く泣く申しました。
 姫達は心配して、絶えず案じておられましたけれど、この知らせをお聞きになって、酷く驚いて、何も分からなくなってしまい……ますますこのようなことには、涙もどこにいってしまったのか、ただうつ伏して臥せってしまわれました。

 死別といっても、目の前でもはっきり分からないのが世の常ですのに、それに加えて、どのような最期だったのか……と心残りもあって、姫達のお嘆きは当然でございました。
「少しの間でも、父宮に先立たれましては、この世に生きていられない……」とお思いになって、
「どうしても、後を追いたい……」と泣き沈んでおられましたけれど、限りある運命なので、何の甲斐もありません。阿闍梨は長年、八宮とお約束なさっていたとおりに、後のご法事のこと等も万事にお世話いたしました。姫君は、
「亡き人になられた父宮の御姿やご様子だけでも、もう一度拝見したい……」と思い、お願い申しましたけれど、阿闍梨は、
「今更、どうしてそのような必要がありましょうか……日頃も、再び姫君達とお逢いになってはならないと申し知らせておりましたので……今はまして、お互いに御心を留めるべきでないという御心遣いを、習いなさるべきでございます……」とだけ申しました。
 山寺での父宮のご様子をお聞きになるにつけても、阿闍梨のあまりにも悟り澄ました聖心を、憎くて辛い……とさえ お思いになりました。
 出家の御本意は昔から深くおられましたけれど、姫達がこのように身を譲る人もなく見捨てがたいので、生きている間は、明け暮れ 離れずにお世話する事を、この世の慰めとお思いになって、この世を離れがたく過ごしておられましたけれど、限りある運命の道に先立ちなさると、後を慕いなさる御心も、思うにまかせないことでございました。

 薫中納言には、八宮のご逝去をお聞きになりまして、誠にあっけなく残念で……心穏やかにお話申し上げることが多く残った気がして、世の無常を思い続けられ、酷くお泣きになりました。
 先日、八宮が「再びお逢いすることは難しいだろうか……」と、仰ったのを思い出され、やはりいつもの御心にも、朝夕の隔ても分からぬ世の儚さを、人よりよくお分かりになっていたので……まさか昨日、今日とは思わなかったけれど……、繰り返し、諦めきれず悲しくお思いになりました。阿闍梨のもとに伺い、姫達のご弔問などを、心を込めて申しなさいました。このようなご弔問に、他に訪れる人さえないご様子なのは、世間知らずの姫達の御心にも、
「今まで、中納言殿の御心遣いが優しかったようであった……」などと、お分かりになったのでございました。

 世間一般の死別でさえ、他に類のない程 悲しいことと思われ、皆、人が悲しみ惑うようだけれど、まして姫達は、心の慰めようもない御身の上を推し量って、
「どのように悲しんでおられるのだろう……」と心配しながら、中納言は、後の御法事などあるべき事などを配慮して、お見舞いをなさいました。山寺の阿闍梨にも、この山荘の老人(辨の御許)などにも心遣いして、御誦経などの手配もなさいました。

 明けぬ夜のような暗闇の心地のまま、九月になりました。野山の景色に、まして神の時雨も誘われがちで、ともすれば、先を争って落ちる木の葉の音も、水の響きや涙の滝も、全てが一緒のように分からなくなって、傍に仕える女房たちは、
「こうしてばかりいては、どのようにして……限りある御命を、しばらくの間でさえも 永らえることができるのか……」と心細く思われ、姫達を強くお慰め申し上げながら、思い悩んでおりました。
 ここ八宮邸にも念仏の僧がお仕えしていて、八宮のおられた部屋の持仏を形見として拝み申し上げておりましたので、時々 参上し伺候した者たちで、御忌に籠もっている人々は皆、しみじみ心深く勤行して過ごしておりました。

 兵部卿の宮(匂宮)からも、度々御弔問がございました。姫君たちはお返事などをなさらないので、
「中納言にはこんな扱いではないだろう……私をやはり疎んじなさっているようだ……」と、恨めしくお思いになりました。紅葉の盛りに、詩歌などを作らせようと、宇治にお出かけになる予定でしたが、このように八宮の死後、宇治へのご逍遙は不都合な時期としてお止めになり、残念にお思いでございました。
「御忌みも終わった。悲しみも限りがあるので、涙の絶え間があるだろうか……」とお思いになって、誠に沢山のお手紙を書き続けなさいました。

 時雨がちの夕方、

   を鹿なく秋の山里いかならむ 小萩が梅雨のかかる夕暮れ

     (訳)牡鹿の鳴く秋の山里は、どうなっているのか
        小萩(姫達)の露(涙)がおくこの夕暮れどきに……

 ちょうど今頃の空の景色のように、素知らぬ顔をなさるのは、あまりにも酷いことでございます。枯れてゆく野辺も、特別にしみじみ眺められる頃ですのに……」などとありました。

 確かに、宮の気持ちを思い知らぬ様子で、お返事をしないまま、度々になりましたので、大君は、
「やはりお返事を差し上げなさい……」などと、いつものようにお勧めして、中君に手紙を書かせようとなさいました。
「今日まで命永らえて……硯などを身近に引き寄せて使うなどと思ったでしょうか。辛くも過ぎてしまった日数よ……」と、また涙にくれて、物が見えないような心地がなさいましたので、硯を押しやって、
「やはり私には書くことができません。だんだんと……ただこうして起きて居られるとは……本当に悲しみにも限りがあるのでしょうか……」と、愛らしげな様子で泣き萎れていらっしゃるのも、お労しいことでございます。
 京より、夕暮に出立した匂宮の御遣者が、宵を少し過ぎた頃に山荘に着きました。大君が、
「どのようにして、京に帰られるのでしょう。今宵はこちらで泊まって……」と申されましたが、「直ぐに引き返して、宮のもとに参上いたします……」と急ぎますので、冷静に思いを鎮めた訳ではないけれど、お気の毒にお労しくご覧になって、

   涙のみ霧ふたがれる山里は まがきに鹿ぞもろ声になく

     (訳)涙ばかりで、霧に塞がっている山里では、
        籬に鹿(姫君達)が声を合わせて泣いております……

 薄墨色の紙に、夜のため墨継ぎもたどたどしいけれど、丁寧に筆にまかせてお書きになり、押し包んでお出しになりました。木幡の山の辺りも雨降りになり、とても恐ろしげだけれど、その御遣者は物怖じしない者を選び出したのだろうか、不気味な笹の曲がり道を、馬を引き留める間もなく走り続けて、わずかの時間に京に到着しました。

 匂宮は、御使者を御前にお呼びになりました。大層濡れて帰りましたので、禄(褒美)を賜りました。宮が今までご覧になった筆跡よりは、今少し大人びていて、味わいのある書きざまをご覧になり、
「どちらの姫がお書きになったのだろう……」と、下に置かずにご覧になりながら、すぐにはお寝すみにならないので、御前に仕える女房たちは、
「宇治からのお返事を待って、宮はずっと起きておられたのか……再びご覧になることは久しくなるのか。どれほど御心に染むお手紙だったのでしょう……」などと囁いては、お妬み申し上げておりました。眠たいからなのでしょう。宮は、まだ霧の深い朝に急いでお起きになり、また御文をお送りになりました。

   朝霧に友まどはせる鹿の音を おほかたにやはあはれとも聞く

     (訳)朝霧に友を見失った鹿の声を、
        ただ世間並みにしみじみ悲しく聞いております……

 泣く声は、姫達に劣らないほどでございます……」とありましたけれど、
「お返事があまりにも心情に訴えているのも面倒で……今まで、父宮の御影に隠れていたのを頼み所として、何事も安心して過ごしてきたけれど、思いがけず長生きして、男との過ちなどが起こったら、不安のないようにとお考えであった亡き父宮の御心にさえ、瑕(きず)をおつけ申すことになろう……」と、大君は 何事にも躊躇われて、恐ろしくてお返事もなさいませんでした。

 この宮(匂宮)のことを、軽薄な世間並みの男とは思っておられません。何気なく走り書きなさった御筆遣いや言葉遣いの風情のある様子に、多く見知った訳ではないですけれど、「これこそ素晴らしい……」とご覧になりながら、その嗜み深く風情あるご様子に、お返事申し上げるのにも相応しくない喪中の身なので、「いっそ、ただこのまま山里めいて過ごそう……」とお思いでございました。
 中納言殿への御返事だけは、宮よりも誠意ある様子にお書きになり、よそよそしくない程度に通わせなさいました。

 八宮の御忌が果てて後も、中納言は自ら山荘にお出かけになりました。母屋の東の廂の下った所に、姫達が喪服でおられますので、近くにお立ち寄りになって、老女房(辨御許(べんのおもと))をお呼びになりました。闇に閉ざされている辺りに、大層眩いばかりの美しさに満ちた姿でお入りになりましたので、姫達は傍にいて恥ずかしくなり、お答えなどでさえおできになりません。
「このようにはお扱い下さらないで、故八宮の御意向に従い申されるのこそ、私には お話を承る甲斐があるというものです。風流に気取った振る舞いには馴れておりませんので、人を介してお話し申し上げるのでは、言葉も続きません……」と申されました。大君は、
「思いの他に今まで生き永らえておりますが、思い覚ます方法もない夢に迷わされております。心よりほかに、空の光を見ますのも躊躇われて、端近くに出ることさえもできません」と申し上げますと、中納言は、
「仰る事と言えば……貴女はこの上ない御心の深さをお持ちでございます。月や日の光に御心が晴れ晴れして、端においでになるならば、それは罪にもなりましょう。けれども私を冷遇なさるのは……どうしようもなく気持ちが晴れません。お悩みの端々をも お慰めしたく思いますのに……」と申しなさいますと、女房たちは、
「本当に……姫君たちの類のないような御有様を、お慰め下さる中納言殿の気持ちも、浅くはないものでございます……」などと、姫君たちにお教え申しました。
 大君のお気持ちもようやく落ち着かれまして、万事に分別がおつきになり、こんなにも遠く遙かな野辺を分け入ってお訪ねになる程のご厚情もお分かりになったのでございましょう。
 大君は少し端近くに、いざり寄りなさいました。姫達のお嘆きのご心中や、亡き八宮がお約束なさったことなどを、大層細やかに優しくお話しなさいました。中納言は少しも粗野な態度などはなさらない方なので、感じが悪いことはないけれど、この見知らぬ人に直に声をお聞かせして、むやみに頼りに思っていた頃を思い出し続けるのも、やはり辛くて躊躇われました。ほのかに一言などお返事申し上げる様子が、とても悲しみにくれた感じなので、
「まことにおいたわしい……」と、お聞きになりました。黒い御几帳を通しての姫達の隙影が、大層痛々しく見えますので、まして悲しみの様子をかすかにご覧になった明け方のことが思い出されて、

   色変わる 浅茅をみても墨染に やつるる袖を思ひこそやれ

     (訳)色の変わった浅茅を見るにつけても、
        墨染の喪服に身を窶しておいでになるお姿を思いやっております。

 独り言のように仰いますと、

   色かはる袖をば露のやどりにて わが身ぞ更におき所なき  ほつるる絲は……

     (訳)喪服の色に変わった袖に、露がおりていますが、
       わが身は更に置き所もありません。 ほつれる糸は涙に……」と、

最後は言い消して、ひどく耐え難い様子で、奥にお入りなったようでした。引き止めてよい場面でもないので「お労しい……」とお思いになりました。
 老人(辨御許)が代わりに出てきて、昔や今の話をかき集め、悲しい物語などをお話し申し上げました。あり得ない驚くべきこと(柏木と女三宮の不義)などをも見てきた人なので、見窄らしい落ちぶれた人としてお見捨てはなさらず、大層親しげにお話しなどなさいました。
「私が幼かった頃、故院(源氏)に先立たれて、大層悲しい世の中と思い知りましたが、人として成長していく年齢と共に、官・位・世の栄華には何の執着を覚えなくなりました。ただこのような静かな御住まいが、八宮の御心に叶っておられましたのに、こうして儚く亡くなられましたことに、ますます強く無常の世を思い知らされる心も持ちました。お気の毒な境遇のまま、後に遺されなさった姫達の事を絆などと申し上げるのは、好色めいているようだけれど、命永らえても、御遺言を違えずに、ご相談申し上げ、お話などを承りたく存知ます。以前、思いがけない古物語(柏木と女三宮の不義)を聞いてから、ますますこの世の中に名跡を留めようとは、思わなくなりました……」と、泣きながら仰いました。この老女房はそれ以上に酷く泣いて、何も申し上げることができません。中納言のご様子が、ただ柏木その人かと思われますので、長い年月、忘れていた昔のことをさえ、更に重ねて思い出され、何も申し上げる術もなく、ただ涙にくれておりました。

 この辨御許は、あの大納言(柏木)の御乳母子(めのとご)で、父はこの姫君たちの母・北の方の叔父・左中辨で亡くなられた人の 子でありました。長い年月、遠い国に離れていて、姫達の母君がお亡くなりになって後には、あの殿(柏木邸)には疎遠になりましたので、八宮はこの宮邸で引き取って、お仕えさせなさいました。辨は人柄も格別ということでもなく、宮仕えに馴れてはいましたけれど、気の利かない者ではないとお思いになって、姫君たちの御後見役のようにお仕えさせなさったのでした。
 昔の事(柏木と女三宮の不義)については、長い年月このように朝夕に拝し馴れて、心隔てることなく思う姫達にさえも、一言も申し上げたこともなく、ひたすら隠しておりました。中納言の君は、
「老人の問わず語りは、皆、普通のことなので、一般に軽はずみに言い広げなくとも、姫達の恥ずかしげな御心は、ご存知であるだろう……」と推し量られ、忌わしくもお気の毒にも思えることなので、「決して疎遠にしてはおけない……」と、想いを寄せるきっかけにもなるようでした。

 今は、山荘での旅寝も落ち着かない心地がして、京にお帰りになりましたが、八宮が「これが最後になるのか……」などと仰いました事を思い出し、
「どうしてそのようなことがあろうか……再び逢いに来ることがなくなってしまったなら、秋は変わるのだろうか……」と悲しくお思いでした
 八宮が亡くなって、多くの日数も経っていないのに、どこにおられたのかも分からず、人生はあっけないものだ。生前、山荘には、特に普通の人のような御設えもなく、大層簡略になさっていたようだけれど、誠に清らかに手入れがしてありました。周囲が趣き深く設えられた御すまいも、大徳(だいとこ)達が出入りして、あちら側こちら側と隔ててありました。御念誦の道具等も 存命中と変わらぬ様だけれど、
「仏像は皆、あの寺にお移し申そう……」と、大徳達が話すのをお聞きになり、このような人影さえ見えなくなってしまった後に、残された姫達の悲しみなどを想像なさいまして、大層胸が痛く思い続けなさいました。
「もうすっかり、日が暮れてしまいました」と供人が申しましたので、思いを中断してお立ちになりますと、雁が鳴いて渡っていきました。

   秋霧の晴れぬ雲井にいとどしく この世をかりといひ知らすらむ

     (訳)秋霧の晴れない雲井に、さらにこの世を仮の世…と、
        雁が鳴いて知らせているのだろう……


 中納言が兵部卿宮(匂宮)にお逢いになる時には、まずこの姫達のことを話題になさいました。今は気兼ねもいるまい……と思って、匂宮は御文を熱心にお書きになりましたが、姫君たちはちょっとした御返事も申し上げ難く、気後れする方だとお思いでした。世間では とても風流でおられるという評判が広がって、好ましく優美な方とお思いのようでしたが、
「山奥の大層埋もれた葎(むぐら)の下からお返事を差し上げるのは、どんなにか場違いな気がして、……何か古めかしいでしょうか……」などと、思い沈んでおいでになりました。
「それにしても 呆れるほど早く過ぎてゆく 月日でございます。このように父君の御命を、昨日今日の儚いものとも思わずに……ただ大方の無常な儚さばかりを、明け暮れ 聞かされてきましたが……、私も父君も、後に残されたり先立ったりする月日に、どれほどの差があるのだろうか……などと思っておりました」
「過去のことを思い出し続けても、どれほどの頼もしげな世ではなかったけれど、ただ死別をいつと知らずに、のんびりと過ごして、恐ろしいとか躊躇われる事もなく過ごして来ました。今は風の音も荒々しく、いつもは見えない人達が連れ立って声をかけてくるので、まず胸が騒いで、何となく恐ろしく 侘びしく思われることが加わったのが、とても耐え難いこと……」等と、お二人で語り合いながら、涙の乾く間もなく過ごしていらっしゃるうちに、年も暮れてしまいました。

 雪・霰降りしく頃には、どこもこのような風の音ではありますけれど、姫達には今初めて決心して入ったような山住み生活の心地がなさいました。女房たちの中には、
「悲しいことに、年は変わろうとしています。心細く悲しい……。年が改まった春を待ちましょう」と気を落とさずに言う者もありました。
「それはとても難しいことです……」と、姫達はお聞きになりました。
 向かいの山にも、父宮は時々御念仏に籠もりなさいましたので、人々も行き来しておりましたが、阿闍梨も「いかがですか……」と偶にお見舞い申し上げはしても、八宮亡き今では、何かの用事でちょっとでも立ち寄ることなどがありましょうか……。ますます人目も絶え果ててしまいましたのも、「よくあるようなこと……」と思いながら、姫達は大層悲しくおられました。日頃は、何とも思えなかった山賤も、八宮亡き後、山荘をたまに覗きに参る者さえ珍しく、この季節になったのて、薪や木の実を拾って参る山人等もおりました。阿闍梨の庵から、炭などのような物を献上して、
「長年、馴れておりました宮仕えが、今を最後に絶えてしまうのが、心細く……」と申しました。
八宮が、必ず、冬籠もりの山風を防ぐための綿・絹などを、阿闍梨に遣わしていたのを思い出して、今年もなさいました。法師たちの童などが、雪の深い山を登って行くのが見え隠れするのを、泣く泣く端に立ち出でて、お見送りなさいました。
「父宮も御髪など下ろしなさったけれど、そのようなお姿でも生きていらしたなら、このように山荘に通い来る人々も自然に多くありましたでしょうに……」
「どんなに悲しく心細くとも、父宮にお逢いすることが絶えることはなかったでしょうに……」と、語り合いなさいました。

   君なくて岩のかけ道絶えにしより 松の雪をも何かは見る (大君)

     (訳)父宮が亡くなって、岩の通い道も絶えてしまった今、
        松の雪を何とご覧になるのでしょう

   奥山の松葉につもる雪とだに 消えにし人を思はましかば (中君))

     (訳)奥山の松葉に積もる雪とでさえも、亡くなった父君を
        思うことができればいいのに……

……羨ましいことに、雪はまた降り積もることよ……


中納言の君(薫)は、新年になれば、少しも宇治を訪れることはできなかろう……とお思いになって、年末にお訪ねになりました。雪も大層深いので、普通の身分の人でさえ来なくなってしまったのに、並々ならぬご様子でおいでになったお気持が 浅からず思い知らされて、いつもよりは心を込めて、御座所などを設えさせなさいました。
 墨染めではない御火鉢を部屋の奥より取り出して、塵を掻き払いなどするにつけても、故宮がご訪問を待ち喜び申し上げていたご様子などを、女房達も、中納言にお話申し上げました。
 姫達が直にお逢いするのは躊躇われることとお思いでしたけれど、わざわざおいで頂いた厚情を無にするように思えるので「どうしましょう……」と、大君は申しなさいました。打ち解ける様子はないですけれど、以前よりは少し言葉を続けて仰る様子が、とても感じがよく、心恥ずかしげでした。
中納言は、
「このようなままでは、過ごし続けられない……誠に遠慮のない心だが……やはり恋心に変わってゆくのが、男女の仲なのだろう」と、お思いになりながら座っておられました。
「匂宮が、不思議と……私をお恨みになることがあります。故宮のしみじみとしたご遺言を承りましたことを、何かのついでに申し上げたためだろうか。大層気のつく御心の方で、推察なさったのでしょうか。……ともかくも、姫達に言伝てくれるようにと頼んだのに、姫達のつれないご様子は、仲を取り持ち損なうからだ……と、度々お恨みになるのです。心外な事と思いますが、山里への案内役は、お断りすることが出来ませんので、どうかそのように冷たく持てなし下さいますな……。
 匂宮を好色でおられるように 世間はお噂申し上げるようだけれど、心の底は、不思議なほど深くおられる方です。冗談事などを交わす女たちで、軽々しく靡きやすい人などを、珍しくない女として、軽蔑なさるのだろうか……と聞くこともあります。
 何事も女性は、成すがままに我を張ることもなく、穏やかな人こそが、ただ世間の習わしに従って、どんなことも適当に我慢し、少し思いと違ったことにあっても、『どうしたものか、これが運命というもの……』などと思い為すようなので、かえって末長く添い遂げるような例もあります。
 夫婦仲が崩れはじめては、龍田川が濁る名をも汚し、言う甲斐もなく名残りもなくなることもあるようです。心の深い宮のご性格にかない、特に宮の御心に背く事が多くはない女には、更に軽々しく、初めと終わりが違うような態度をお見せにならないご性格です。他人の存知上げないことを、私はとてもよく見聞きしましたので、もし相応しいご縁を……と、姫達がお考えになるならば、私がその取り成しを、心の限りを尽くしてお仕え申しましょう。京と宇治との間を奔走して、足をも痛めましょう……」等と、大層真面目に言い続けなさいますので、大君は、ご自分のことはお考えにもならず、「中君の親代わりとしてお返事申そう……」等と 思い巡らしなさいましたが、やはり言うべき言葉がない心地がして、
「どうお答えしたらよいでしょうか……いかにも気があるかのように仰るので、かえって どう返事申し上げてよいか分かりません……」と、微笑みなさる様子がおっとりしていて、大層美しくいらっしゃいました。

「匂宮の話は、必ずしも大君ご自身の事としてお考えになることもありません。それは雪を踏み分けて参り来た私の気持ちを、お分かり下さる姉君として、お考えになって下さい。
 匂宮のご関心は姉君でなくて、別の方(妹君)にあるようでございます。わずかに匂宮が御文をなさることもございましたが、姉君が妹君かは判断申し上げ難いことでございました。匂宮へのお返事などは、どちらの方がなさるのですか……」とお尋ねなさいますと、大君は、
「よくぞ……戯れにお返事は申しませんでした。何ということはないけれど、中納言殿がこう仰るにつけても……お返事すれば、どんなにか恥ずかしく胸潰れる思いがしたことでしょう……」とお思いになり、お答えなさいませんでした。

   雪深き山の懸け橋君ならで またふみ通ふ跡をみぬかな

     (訳)雪深い山の懸け橋は、貴方の他に誰も踏み分けて通い来る人はありません……

と書いて、差し出しなさいますと、
「言い訳をなさるので、かえって疑いの気持ちが起こります」と仰って、

   つらら閉ぢ 駒ふみしだく山川を しるべしがてらまづや渡らむ

     (訳)つららに閉ざされて 馬が踏み砕いて歩む山川を、
        宮の案内がてらに まず私が渡りましょう

そうなれば、私が訪れた効もあるというものでしょう」と申しなさいますと、もっと逢いたそうに仰ったので思わず嫌な気がして、大君は特にはお答えになりません。はっきりと大層よそよそしい様子には見えないのですが、今風の若者のように優美にも振る舞わず、大層好ましくのどかなご性格なのだろう……と、想像される大君のご性格でした。こうあってこそ理想的なのだ……と、薫君の想像に違わぬ気がなさいました。事にふれて、恋心を態度にお出しになるのですが、大君は素知らぬ顔をしてお相手をなさいますので、何か気恥ずかしく思われて、昔物語などを真面目そうに申し上げなさいました。

 日が暮れてしまうと、雪がますます酷くなり 空まで塞がってしまいそうです」と、お供の人々が促しますので、中納言はお帰りになろうとして、
「お気の毒に見廻される御住まいのご様子です。ただ山里のように大層静かな所では、人の行き来もなく寂しく耐えがたいとして、京に移りたいとお思いになるなら、どんなにか嬉しいことでございましょう……」などと仰いますと、
「京に住むのは、とてもおめでたいことですわ……」と、小耳にはさんで微笑む女房もありました。
中の君は、
「何と見苦しいこと……どうしてそのようにできましょうか……」とお思いでございました。
 御果物を美しく盛って、御供の人々にも肴など体裁良く添えて、御盃をお勧めなさいました。
 あの薫君の移り香で騒がれた宿直人は、蔓髭(かづらひげ)とかいう顔つきが気に入らないけれど、頼りない家来だが……とご覧になって、お呼びになりまして、
「どうしているか……。八宮の亡くなった後は、心細いことだろう……」とお尋ねになりました。その家来は、少し隠れて心弱げに泣きました。
「世の中に頼りとする身よりもありませんので、八宮おひとりの御蔭に隠れて、三十余年過ごして参りましたが、まして今は野山にさすらって、どのような木の下を頼りにしたらよいのでしょう……」と、ますますみっともない様子で泣きました。

 亡き八宮のおられました部屋を開けさせなさいますと、塵がひどく積もっていて、仏像だけが、花の飾りが衰えずにありますので、姫達が勤行をなさったことが窺えました。御床を取り外して片付けてありました。「本意を遂げた時には……」と、宮とお約束申し上げたことを思い出して、

   たちよらむ蔭を頼みし椎が本 むなしき床になりにけるかな

     (訳)立ち寄るべき蔭として頼りに思っていた椎の本は、
        虚しい床になってしまいました……

と、柱に寄りかかっておられますのを、若い女房たちは覗いてお誉め申し上げました。

 日が暮れてしまったので、近くの御荘園などに仕えている人々に、御秣(みまぐさ)(馬の飼料)を取りにやったことを、薫君も知らなかったのですが、田舎びた人々を大勢 引き連れて戻りましたので、
「不思議と体裁悪いことだな……」とご覧になり、老人(辨御許)に逢いに来たように言い紛らしなさいました。いつものように姫達にお仕えするように命じおいて、中納言は京にお帰りになりました。

 年が変わりましたので、空の様子が麗らかになり、汀の氷も一面に解けているのをご覧になり、
「ここまで命永らえて、有り難いことか……」と、姫達は物思いをしておいでになりました。
 聖の僧坊より「雪が消えましたので、摘んだものでございます」として、澤の芹、蕨などが山荘に届けられました。精進のお膳にして姫達に差し上げましたが、女房たちは、
「土地柄、このような草木の様子に従って、過ぎゆく月日の証を知るのは、興味深いものです」などと言いますのを、姫達は「何の興味深いものか……」とお聞きになりました。

   君がをる峰の蕨と見ましかば 知られやせまし春のしるしも   (大君)

     (訳)父宮が摘んで下さった峰の蕨を見たなら、これが春のしるしと知れましょうに……

   雪ふかき汀の小芹たがために 摘みかはやさむ親なしにして (中君)

     (訳)雪の深い汀の小芹も誰のために摘みましょうか。
        親のない私たちですので……

など、とりとめのないことなどを話し合いながら、日々お過ごしになりました。

 中納言からも、匂宮からも、折々を逃さずにお見舞いの御文がございました。何ともない事が多く書かれているようなので、例のようにここに書き漏らします(草子地)

 花の盛りの頃、匂宮は「かざし」の和歌を思い出され、又、その時 山荘を見聞きなさった君達も、
「大層趣きのあった親王の御住まいを、再び見られないことになった……」等と、大方の無常を口々に申し上げるので、匂宮は大層懐かしくお思いになりました。

   つてに見し宿の櫻をこの春は 霞へだてず折りてかざさむ
  
     (訳)以前 ついでに見た山荘の櫻を、この春は
        霞をへだてずに手折ってかざしたいものです……

と、思いやって仰いました。姫達は「ありえないこと……」とお読みになりながら、大層退屈な頃に、見所のある御文のうわべだけでも無にしないように……」と、

   いづことか尋ねておらむ墨染に 霞こめたる宿の櫻を

     (訳)どこを尋ねて櫻を手折るのでしょう。墨染めに霞こめた山荘の櫻を……

やはり、このように宮を突き放した冷たい態度ばかりが見えますので「本当に恨めしい……」とお思いでございました。

 匂宮は御心を抑えきれなくなられ、ただ中納言をあれこれ責め恨みなさいますので、面白いと思いながら、大層得意げな後見役の顔をして、お返事申し上げておりました。匂宮の好色めいたご性格が表れる時には、
「どうして…このような御心に引き合わすものか……」とお咎めなさるので、宮も御心遣いをなさるのでしょう。宮は「気に入った女性を見つけるまでの間のことです」等と仰いました。

 大殿(夕霧)は、匂宮が六の君(娘)をお好きになられないことを、少し恨めしくお思いでした。けれど「興味もない間柄の仲で、大臣が大袈裟で煩わしく、何事(浮気など)を紛らわすのも見咎められそうなのが面倒で……」と、下の者に仰って、縁組みを躊躇っておられました。

 その年、三条宮が焼失し、お住まいだった入道の宮(女三宮)も、六条院に移っておいでになり、薫中納言は 何かと気忙しさに紛れて、宇治の辺りを久しく訪れなさいませんでした。真面目なご性格は、また人と異なっていて、大層のんびりと「大君は我がもの……」と期待しながらも、大君の心が解けない限りは、不謹慎な振る舞いはするまい……。ただ、昔の八宮の御心を忘れていないことを、大君に深く知って頂きたい……」とお思いでございました。

 その年、例年よりも暑いと人々が口にするので「宇治の川辺なら涼しいだろう……」と思い出して、急に訪れなさいました。朝の涼しい頃に京を出立なさいましたので、昼頃、差し込む日の光も眩しい中、故宮のおられた西の廂に宿直人をお呼びになって 控えておられました。
 そちらの母屋(もや)の仏像の前に、姫達がいらっしゃいましたが、近すぎないようにと、ご自分のお部屋に戻られる気配が忍んで聞こえてきました。薫中納言は、自然と身動ぎなさる音が身近くに聞こえたので、やはりじっとしてはいられず、こちらに通じる障子の端の掛け金がしてある所に、穴が少し開いているのを見知っておられたので、外に立てかけてある屏風を引き、覗いてご覧になりました。ここには几帳が添えて立ててあり、「あぁ、残念な……」と思って引き返す時に、風が簾を大層高く吹き上げるようなので、
「丸見えになったら大変です。その御几帳を押し出して……」と、女房が申しました。愚かなことですが、薫君が嬉しくなりご覧になりますと、背の高い几帳も低い几帳も、二間の簾の方に寄せてあり、この障子に向かって開いている所から、姫達があちらに行こうとお通りになるところでした。

 まず、ひとりは立ち出でて几帳から外を覗いて、御供の人々があちこち行き交い、涼んでいるのをご覧になりました。濃い鈍色の単衣に萱草(かんぞう)の袴が引き立って、かえって華やかに見えますのは、着ている方のせいなのでしょう。帯は緩くかけて、数珠を隠して持っておいでになりました。大層すらりとお姿の美しい方で、髪が袿に少し足りない程に見えて、末まで一筋の乱れもなく、艶々と多くて可愛らしげでした。横顔など誠に可愛いらしく見えて美しく、柔らかにおっとりした感じは、
「女一宮もこのようにいらっしゃるだろう……」と、以前、ちらっと拝見した人と思い比べて、中納言はため息をつかれました。
 また、もう一人(大君)いざり出て来て「あの障子は丸見えではないかしら……」と、こちらをご覧になっている心遣いは、打ち解けない様子ですが 嗜みがあるように思えました。頭の格好や黒髪の様子は、いま少し前の人(中君)より上品で、優美さが勝っておりました。若い女房には、
「あちら側にも屏風が添えて立ててございます。まさか急いでお覗きにならないでしょうけど……」と、何気なく言う者もありました。
「大変なことですから……」と不安そうに、奥にいざってお入りになる姿は、気高く奥ゆかしい気配が加わって見えました。黒い袷(あわせ)と重ねて、同じような色合いを着ておいでになりますが、こちらは慕わしく優美で、しみじみとお労しく思われました。髪はさっぱりした程度に抜け落ちているのでしょう。末が少し細くなって麗色(ヽヽ)とかいうのか、翡翠のように大層美しく、糸によりをかけたようでした。紫の紙に書かれたお経を片手にお持ちになったその手つきが、中君よりも細く 痩せすぎておいでのようです。立っていた姫君も障子口に座って……どうしたのでしょう。こちらを見て微笑んで、とても可愛らしくいらっしゃいました。


                             ( 終 )


                                  
源氏物語「椎本」(第46帖)
平成25年文月 WAKOGENJI(文・絵)


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