やさしい現代語

 源氏物語「早蕨」(さわらび)第48帖

薫25歳、中君25歳、匂宮25歳の頃の物語
登場人物の 系図     源氏物語の本で読む


 藪にも分け隔てなく照らす春の光を ご覧になるにつけても、中君は、
「どうして このように生き永らえて、日々を過ごしてきたのだろう……」と、夢のようにばかりお思いになりました。四季折々に従って、花の色や鳥の声をも、姉君と同じ気持ちで、寝起きしながら見ては、ちょっとした和歌などを詠み交わして、心細い世の悲しさも辛さも語り合ってきたからこそ、慰められることもあったけれど、姉君亡き今は、興味深いことやしみじみしたことも、聞き知る人がいないままに、全てが真っ暗で、父宮が亡くなられた悲しさよりも少し勝って、心一つを砕いて、姉君が恋しく侘びしく「どうしたらよいのか……」と、明け暮れも分からずに、心悩んでおられますが、憂き世にも寿命があり、死ぬことが出来ないのも、惨めなことでございます。

 阿闍梨のもとより、
「年が改まって、いかがお過ごしでしょうか。御祈りは滞りなくお勤めしています。今は、お一人の御事だけを、ご無事にとお祈り申し上げております。」などと申し上げて、蕨・土筆を風流な籠に入れて、
「これは童達が、供養して捧げた初穂でございます」として届きました。手紙の筆跡はとても悪く、歌はわざとらしく、放し書きにしてありました。

   君にとて あまたの春をつみしかば  常を忘れぬ初蕨なり

     (訳) 貴女にと思って、毎年春に摘みました。
               いつも例年とおり忘れぬ初蕨です

御前にてお詠み申し上げて下さい」とありました。
「大事と思って、詠んだのだろう……」とお思いになると、歌の風情も、大層しみじみとして、
「中君をいい加減に想ってはいないようだ……」と見える言葉は、素晴らしく書き尽くしなさる人(匂宮)の御文よりは、この上なく目に止まり 涙も溢れるので、女房に御返事を書かせなさいました。

   この春は 誰にか見せむ亡き人の かたみにつめる峰の早蕨

         (訳)今年の春は、誰に見せましょう。亡き人の形見として摘んだ峰の早蕨よ。

 手紙を届けた供人に、禄(褒美)をお与えになりました。

 中君は、大層女盛りで美しく、様々の御悩みに少し面痩せなさいましたが、とても上品に優美な感じが勝っていて、昔人(亡き大君)にも、とても似ていらっしゃいました。姉妹揃っておいでになった時には、各々が素晴らしく、似ているとは見えなかったのですけれど、大君のことを忘れると、「その人か」と見えるほどに似ていらっしゃいますので、女房達は、
「中納言殿が、亡骸だけでも留めて拝見できるものなら……」と、朝夕に恋しく想い申し上げておられるようですが、同じようにお見えになる中君の御宿世ではなかった…ということか」と、中君に仕えている女房たちは、残念がっておりました。

 あの薫中納言に仕える男が、山荘の女房の所に通い来る便りによれば、お互いに(薫君と中君は)、絶えずご様子を申し交わしておいでになりました。「大君亡き後、いつまでも呆然となさって、新しい年ともいえず、涙顔になっておられる……」と、中君がお聞きになりますと、
「本当に、いい加減な心の浅さではおられなかったのでしょう……」と、ますます今になって、愛情の深さを思い知らされたのでございました。
 匂宮は、宇治を訪れることが全く自由にならず、あり得ないことなので、
「中君を、京にお移し申そう……」と、決心なさっておられました。

 内裏では、内宴など騒がしい時期も過ぎましたので、中納言の君が「心に余ることを、又誰に話そうか」等とお思いになって、兵部卿の宮の御邸に参上なさいました。しめやかな夕暮れなので、匂宮は物思いに耽っておられて、端近くにお出でになりました。箏の御琴を掻き鳴らして、いつものように、御心を寄せる梅の香を愛でておられましたところ、その下枝を、中納言が押し折っておいでになりました。その匂いが、大層優美で素晴らしいので、宮は風情ある……とお思いになって、

   折る人の心にかよふ花なれや 色には出でず下に匂へる

       (訳)手折る人の心に通う花なのか、外見には出ないが、内に匂っている……

と仰いますと、

   見る人に かごと寄せける花の枝を 心してこそ折るべかりけれ

       (訳)見る人に文句をつけられる花の枝は、注意して折るべきでした。

迷惑なことだ……」等と、冗談を交わしなさっていますが、本当に仲の良いお二人でした。細々とした話題になって、あの山里の事を「まずは どうしているのか……」と、匂宮はお尋ねになりました。中納言も、過ぎてしまった昔の 大君の尽きせず悲しい事などを、初めから今日まで、想いの堪えないまま、折々につけて、悲しくも風情ある様子をも、泣いたり笑ったりしながらお話し申し上げますと、まして、あれほどの色っぽく涙もろいご性格の匂宮は、他人の身の上のことでさえも、袖も絞れるほどに悲しくなられました。匂宮は頼り甲斐のあるように、聞き役をなさいました。

 空の気色も また誠に悲しげに霞渡っておりました。夜になって激しく吹き出した風の様子は、まだ冬のように とても寒そうで、御殿油も消え消えになり、闇は訳もなくたどたどしいけれど、お二人は互いにお話を止めることもなさいません。尽きせぬ物語を気が晴れるまで……話しきれずに、やがて夜も大層更けてしまいました。世にお二人の仲の睦まじさは例がないほど……と言っても、
「そうとばかりではないでしょう」と、まだ話し残しがありそうにお尋ねになるのは、匂宮の理不尽なご性格のせいでありましょう。そうは言っても、物事を心得ていて、中納言の悲しい心の中を諦めるように、一方では慰め また悲しみを冷まし、さまざまに語らいなさる様子の魅力に惹かれて、誠に心に余るほど、思い結ばれたことなどをも、少しずつお話し申しなさるので、この上なく胸が晴れ晴れなさいました。

 宮もかの人(中君)を、近く京にお移し申し上げたいという事などを、ご相談なさいますと、
薫中納言は、
「大層嬉しいことでございます。不本意ながら自分の過ちと存知ておりました。諦めきれない昔の大君の名残りとして、また訪ねるべき人も今はありませんので、後見については、何事につけても、「この私がお世話申し上げるべき人」と思っておりますが、もしや不都合なこととお思いになるでしょうか……」と言って、中君に「他人とお思い下さるな」と、中君をお譲りなさった大君の御心を、少し語りなさいましたが、岩瀬の森の呼子鳥(注・本歌は不明。かつて大君を想い、中君と仮寝した夜をさす)のことについては、話さずに残しなさいました。けれども 心の中には、
「このように慰め難い形見としても、誠に……私こそが、中君を我がものにすべきであった……」と、悔しさがだんだんと増してゆきました。けれど、今となっては、言う甲斐もないので、
「常にこのようにばかり 中君を想っていては、あってはならない心も出てくるかもしれない。誰のためにも面白くないし、みっともないことだ」と諦めなさいました。
「それにしても、中君が京にお移りになるについても、誠にご後見申し上げる人は、私の他に誰がいようか……」とお思いになり、京にお移りになる準備などをおさせになりました。


 宇治でも、器量のよい若い女房や童などを集めて、女房たちは満足げな顔をして、準備をしていましたけれど、「今を境に……」と、宇治が伏見のように荒れ果ててしまうのも大層心細く、中君のお嘆きは限りがありません。そうは言っても、また、強情をはって宇治に閉じ籠もったところで、どうしようもない……宮が「心深い仲の契りも、絶え果ててしまうだろう宇治の御住まいを、貴女はどうお思いになるか」と、お恨み申しなさるのも道理なので、中君は、
「どうしたらよいのだろう……」と、思い乱れなさいました。

 引越しは、二月の朔日頃ということで、日が近くなるにつれて、花木などが春めいてきて、他の花々にも心惹かれ、峰に霞立つのを見捨てて行くことも、自分の常に変わらぬ世でなく、旅寝のような気がして、どんなにか体裁悪く、人から笑われることになる……」などと、中君は万事に遠慮されて、心一つに悩みを抱えて、明かし暮らしておいでになりました。

 大君の御服喪も期限があることなので、脱ぎ捨てなさる時には、禊(みそぎ)も浅い心地がしました。母親は顔も拝見していないので、恋しいとは思えないけれど、その代わりとしての姉君のために、この度の服喪の色を深く染めようと心ではお思いになり、そう仰いましたが、やはり道理もないことなので、何か物足りなく、この上なく悲しくお思いになりました。
 薫中納言殿は、御車、御前の人々、博士など、宇治に差し向けなさいました。

   はかなしや霞の衣たちし間に 花のひもとく折も来にけり

     (訳)はかないものですね。霞の衣をつくったばかりなのに
        もう花の咲く時期がきてしまいました。

 色とりどりの大層美しい御召し物をも差し上げなさいました。引越しの時の御心づけなど、仰々しくないように心遣いして、とても沢山の物が届いたのでございました。

「何かの折にも、昔を忘れぬような中納言殿の御心遣いは有り得ないことなので、兄弟などでさえ、誠にこうまではなさらないことです」等と、女房たちはお教え申し上げました。華やかでない老女房達の心には、この点が心に染みて、特に申しました。若い女房達は、
「時々、中納言殿を拝見しなれていたのに、今日を限りと逢えなくなることは、大層物足りなく、どんなに恋しく思うことでしょう。」と話し合っておりました。

 薫中納言ご自身は、中君がお移りになるのが明日ということで、早朝に山荘においでになりました。いつもの客人のお席に居られるにつけても、
、大君のありし日のご様子を仰ったお気持ちをお思い出しながら、
「さすがに、大君はよそよそしくお扱いにならなかったのを、私の気持ちが妙に心隔てを持ってしまったようだ……」と、胸が痛く思い続けなさいました。姫達を垣間見た障子の穴も思い出され、寄って覗いてご覧になりましたが、部屋の中を締め切ってあるので、何の甲斐もありません。部屋の内にも女房達が、大君を思い出しながら、忍んでおりました。中君はまして、涙の川が溢れ、明日の引越しもお考えになれず、ただ呆然として、物思いに沈んで臥せっておいでになりますので、
「年月が経ったのも何ともないけれど、気分が晴れないとお思いになるのを、ほんの少しでもお慰め申したく存じます。いつものように体裁悪いほど、私をよそよそしく離しなさいますな……ますます実在しない世にきたような心地がいたします……」と申しなさいますと、
中君は「体裁悪い……と思われそう」とは思わないけれど、それでも、いつものようでなく、心が乱れ、ますますはっきりしない間違ったことを申し上げてはと、遠慮されますので……」と辛そうにお思いになりました。けれど「お気の毒に……」などと、女房があれこれ申しあげて、中の障子の口の所で、中納言はお逢いになりました。大層心恥ずかしげに優美で、
「まだこの度は年齢と共に、美しくなられた……」と、目も覚めるほどで、大層美しく人にも似ない心遣いなど、「何と素晴らしい方……」とのみお見えになりますので、姫宮は、面影去らぬ人(大君)のことさえ、思いだし申しなさるので、誠にしみじみと、感慨深く拝見なさっておいでになりました。
「尽きない御物語なども、今日は言忌みしましょう」などと言い差して、
「貴女がお移りになる所(二条院)の近くに、数日過ごして、私も移ることになっていますので、夜中も早朝も、相応しい人が言うように、何の折にも、私を親しくお感じになり、仰って下されば、私が生きております限りは、貴女にお話申し上げもし 承りもして、過ごしたいと思いますが、いかがお思いでしょうか。人の心は様々でございますのが世ですので、けしからんこととか、独り思い決めることもできません」と申し上げますと、
中君は、
「この邸を離れまい……」と思う心も深くございますが、近くに移るなどと仰るにつけても、万事に心乱れまして、お返事の申し上げようもなく……」と、所々消えるように仰って、
「誠に、もののあはれをお思いの気配など、大君に大層よく似ていらっしゃるのを思えば、
「中君を……他人の妻にしてしまった……」と、心からとても悔しく思っておられました。けれど、言う甲斐もないことなので、あの夜のことは何も言わずに、忘れてしまったかと見えるほどに、さわやかに、振る舞っておられました。

 中君の御前近くの紅梅の色や香にも、昔が思われて、鶯でさえ見過ごしがたそうに、鳴いて飛ぶのを見ると、まして「春や昔の」と、心を惑わしなさるお二人の物語に、折柄しみじみ心を打つのでございました。風がさっと吹いて入ってくると、花の香りも、客人(薫君)の匂いも、橘ではないけれど、昔を思い出される端でありました。所在のない折の気紛らわしにも、嫌な世の慰めにも 心を留めて、紅梅を愛しなさったものを……」などと、心に想い溢れると、

   見る人も あらしに迷ふ山里に むかしおぼゆる花の香ぞする

     (訳)花を愛する人も 嵐に迷う山里にも、昔を思い出させる花の香がします。

言うともなく仄かに絶え絶えに聞こえるのを中納言は、懐かしそうに口ずさんで

   袖ふれし梅はかはらぬ匂ひにて 根ごめうつろふ宿や異なる

            (訳)愛された梅は今も変わらぬ匂ひですが、
             根ごと移ってしまう宿は、別々の所なのでしょうか

止まらない涙を薫中納言は、美しい仕草で拭い隠して、言葉も多くなく、
「また、やはりこのように 何年経ってもお話申し上げたいものです」などと、中君に申し上げて、退出なさいました。京への引っ越しに準備すべき事など、女房たちに申し置きなさいまして、この邸の宿守として、あの髭がちの宿直人などがお仕えしていたけれど、この編の近い荘園などにも指示なさいまして、細々した事などを決め置きなさいました。

辨御許(べんのおもと)(老女房)は、
「このようなお供にも、思いがけず長生きして大層辛く思えますけれど、他人も私を不吉に思うでしょうから、世に生きているとも人に知られまい」と出家しているのを、中納言は強いて呼び出して、「とても気の毒に……」とご覧になりました。例の昔話などをさせなさって、
「ここにはやはり時々私も参り来るつもりですが、大層頼りなく心細いので、このように山荘に辨が居てくださるのは、大層しみじみ嬉しいことでございます……」など、最後まで言えずにお泣きになりました。辨は、
「大君は、私を置いて、どうして先に逝ってしまわれたのか……」と恨めしく、全ての世を思い沈んでおりますので、罪も深いことでしょう」と、思っていることなどを訴え申し上げるのも、愚かで見苦しいことですけれど、中納言は大層よく言い慰めなさいました。辨は酷く年をとったけれど、昔美しかった名残の髪を剃ぎ捨てたので、額の辺りが変わって、少し若く見える尼姿が優美でございました。大君を想い出して、
「なぜこのような尼姿にして差し上げなかったのか……それにより寿命が延びることもあったろうに……そうして大君とどんなに心深く悟り合えることもあったでしょう……」などと、一方ならず、大君をお思いになると、この出家した辨さえも羨ましいので、辨が隠れている几帳を少し引いて、細やかに語り合いなさいました。なるほど、今はすっかり思いが呆けた様ながら、何かものを言う様子や心遣いは、決して残念なものでなく、「由緒ある人の名残り」があると見えました。
 辨は、

   先に立つ涙の川に身を投げば 人におくれぬ命ならまし

       (訳)先立つ涙の川に身をなげれば、その人の死に遅れなかったでしょう

と、眉をひそめて、中納言に申し上げました。

「それはとても罪深いことです。彼岸に至ることはあっても、身を投じるとはあり得ない事とて、地獄の深き底に沈み生きていくのも、不本意な事であり すべて虚しいと思い知るべき世なのです」等と仰いました。

 「身を投げる涙の川に沈んでも、恋しい折々を忘れる事はできません。その世になら少しでも、思い慰むことがあるのでしょうか」と、果てのない心地がなさいました。帰る所もなく物思いに沈んでおられますと、日も暮れてしまいましたが「訳もなく泊まるのも、人の咎めることになろう」と仕方もないので、京にお帰りになりました。

 中納言のお考えになったり、仰った様子を、中君にお話して、辨はますます慰めがたい悲しみに暮れておりました。女房たちは、満足そうな様子で、御着物を縫い準備しながら、年老いてゆがんだ姿も気にせず、準備に気忙しくしていました。辨はますます質素に、

   人はみな急きたつめる袖のうらに ひとり藻鹽(もしお)を垂るるあまから

     (訳)人は皆準備に忙しくしているが、私は独り藻鹽(もしお)を垂れ、涙にくれている尼です

と、中君に訴え申しますと、中君は、

   鹽垂れて涙に暮れる尼の衣に異なれや 浮きたる浪に濡るるわが袖

            (訳)塩垂れて涙にくれる尼の衣と異なってほしい
               浮いた浪に涙を流している私よ

「匂宮の世に住みつくことも、大層あり得ないことと、私には思われますので、宇治に帰ることもあろうか……この山荘を荒れ果てさせまいと思うけれど、そうあれば、辨とお逢いすることもできましょうけれど、貴女が暫くの間でも心細くここにお残りになるのを見ると、ますます気が進みません。このような尼の人も必ずや、一途に引き籠もる様ですので、やはり世の常を思いなして、時時にも京へ逢いに来て下さい」などと、辨にとても優しくお話なさいました。
 昔の人(大君)がお遣いになった御調度品などは、全てこの人(辨)に残し置いて、
「このように、人よりも深く大君のことを思い沈んでおられるのを見れば、『前世からも大君とは特別の契りがあったのか』と私が思うのさえ、慕わしくしみじみと思われます」よ、辨におっしゃいますと、辨は、ますます子供が親を慕って鳴くように、心を抑える方法もなく、涙に暮れていました。

 皆で家中を掃除して全てを片付け、御車などを寄せました。御前駆の人々は四位、五位の人が大勢おりました。匂宮方からも、大勢お迎えにおいでになりましたけれど、仰々しくなって、かえって体裁悪くなるので、ただ中君を内密にお扱いして、大層気遣いしておいでになりました。

 薫中納言殿からも、御前の人等 数多く差し向けなさいました。大方のことは、家から思い置かれましたが、細かな内々のお世話は、ただこの殿(薫)が、至らぬところもなくお世話なさいました。
「日が暮れてしまいます……」と内からも、外からも、出立を促し申し上げるのに、中君は心忙しく「京はどちらの方角だろう」と思うにつけても「とても頼りなく悲しい……」とのみお思いになりました。御車に乗る大輔の君という女房が、

   あり経れば嬉しきせにも逢ひけるを、身を宇治川に投げてましかば
 

          (訳)生きて解きが経ち、嬉しい事に逢いました。
             もし、この身を宇治川に投げていたなら・・・

 微笑んでいますのを、「辨の尼の気持ちと比べ、こんなにも違っている……」と、中君は不快にご覧になりました。
もうひとりの女房は、

   過ぎにしが恋いしきことも忘れねど、今日はたまづもゆく心かな

     (訳)昔亡くなった人(大君)が恋しいことも忘れてはいませんけれど、
         今日は側にいて、まづ心嬉しく思います。

どちらも年老いた女房たちで、皆あの御方(大君)を頼りにしていたようでしたが、今はこのように、思い改めて言忌みするのも、「薄情な世の中」とお思いになると、もう何も仰れなくなられました。

 道の途中、遙か遠く、険しい山道の有様をご覧になって、
「匂宮の御通いを辛いとのみ思ったけれど、当然の途絶えであったか」と思い知りなさいました。

 二月七日の月の鮮やかに差し出した光が、美しく霞むのをご覧になって、中君は大層遠い道のりに馴れず、辛いので、物思いに沈んで、

   眺めれば 山よりいでて行く月も 世にすみ侘びして、山にこそ入れ

     (訳)眺めていると、山の端より出て行く月も、
        この世が住みにくく、また山に入っていく……

「姿を変えて、遂には、私はどうなるのでしょう」と仰り、大層不安で、将来のことが気にかかり、
「長い年月、何を思ってきたのでしょう……」と、昔を取り返したい気持がなさいました。

 

宵過ぎて、二条院にお着きになりました。今まで、見たこともない景色に、目も輝くほど美しい殿作りで、三棟、四棟、並んだ中に御車を引き入れました。匂宮は「今か今か」とお待ちになっていたので、御車の元にご自分からお寄りになって、中君を降ろしなさいました。

 部屋の調度品なども全て整えられて、女房達の局(つぼね)(部屋)まで、匂宮が御心遣いなさいました程が、はっきりと見えて、とても理想的でございました。
「どれ程熱い愛情なのか……」と見えなさいます中君のご様子、今日にこのように妻として迎えることが決まりましたので、匂宮のはっきりとした愛情なのだろう」と、世間の人々も、中君を心憎い程素晴らしいと驚いておりました。

 薫中納言は、新築中の三条の宮に、この二十日頃にお移りになろうとして、この頃は、三条宮に居られて工事をご覧になり、二条院はこの院の近くなので、中君のご様子なども伺おう……と、夜更けるまでおいでになりました。宇治に差し向けていた御前の人々が、今日帰ってきて、引っ越しの様子など、ご報告申し上げました。匂宮がひどく御気に召してお世話なさっていることをお聞きになると、中君のためには嬉しいことですが、やはり自分のことながら馬鹿げていて、胸が潰れる思いで、「取り返したい……」と繰り返し独り言を仰って、

       しなてるやの水海に漕ぐ舟の まほならねども逢い見し物を

          (訳)しなてる琵琶湖に漕ぐ舟のように、
                まともではないが 一夜あったこもを……

と、けちをつけたくもなるようです。

 左の大殿(夕霧)は、娘の六の君を匂宮に差し上げるのを、この二月とお決めになりましたが、匂宮がこのように、意外な人(中君)をそれより先に、と言わんばかりに、二条院に大切にお迎えなさり、婚儀から離れてしまわれましたので、大層不快にお思いでした。匂宮はそうお聞きになるのも、お気の毒なので、六の君に御文だけは時々 差し上げておられました。

 御裳着のことは、世の評判になる程にご準備なさったので、延期するのも物笑いになるに違いないと、二十日過ぎに、済ませなさいました。
「私と同じ一族で珍しくもないけれど、あの薫中納言を他人に譲るのが残念で……それなら婿にしようか……長年人知れず想っていた人(大君)を亡くして、心細く物思いをしておられるようだから…等とお考えになって、然るべき人を介して、ご意向を伺わせなさいましたけれど、薫君は、
「世の無常を目(ま)の辺りに見て、大層心憂く、この身さえも不吉に思えるので、気が進みません……」と、お断りなさいました。何としても気乗りがしない旨を、大殿(夕霧)がお聞きになって、
「どうして……この薫中納言までが、私の真剣な申し出を、気が乗らないとあしらってよいものか」と、恨みなさいましたけれど、親しい仲ながらも、薫君は人柄の大層心恥ずかしげに居られる方なので、強いて説得し、心を動かしはなさいませんでした。


 花の盛りの頃、薫中将は二条院の桜をご覧になり、「主なき宿の……」と、まず宇治を思い出し、さらに「気安く散るのだろうか……」などと独り言を仰いまして、匂宮のもとに参上なさいました。
 
 匂宮はここ二条院ばかりにおられて、大層住み馴れていらっしゃるので、「安心なことだ」と拝見しているのですが、例によって、好色な気持ちが出てくるのは、不思議なことでございます。本当のお気持ちでは、 今も大層愛おしく中君を思い申し上げておられました。何やかやと御物語などを申し交わして、夕方には匂宮が内裏に参上なさるとして、御車の設えをさせ、お供の人々が大勢集まりなどしましたので、薫君はここで退出して、対の御方(中君)の所へ参られました。

 山里の様子とは違って、中君は御簾の中に、心憎いほど優雅にお暮らしでございました。可愛らしい童女の透影がちらりと見えましたので、童を介して、ご挨拶をなさいますと、御茵(しとね)を差し出しながら、昔、宇治で見馴れた女房が出てきて、中君の御返事をお伝え申し上げました。
 中納言は、
「朝夕の隔てもなく、いつでもお訪ねできそうに思えるほどの近さに居りながら、特に用事もなくお伺いするのは、かえって馴れ馴れしいとお咎めを受けようかと、遠慮していましたところ、世の中がすっかり変わってしまった気がします。御前の梢も雲を隔てて見えますので、悲しいことも多くございます。」と申し上げて、物思いに耽って居られる様子が心苦しげなので、
「仰るとおり、大君が生きていらっしゃったら、気兼ねもなく行き来して、お互いに、花の色や鳥の声をも、折々につけて、もう少し心を寄せて、過ごすことが出来ましたのに……」など、思い出しなさるにつけても、一途に、宇治に絶え籠もっていらした心細さよりも、今日、今はひたすら悲しく、残念な事が酷く勝るようでした。
 女房たちも、
「世間一般の人のように、薫中納言殿をよそよそしく扱いしなさいますな。限りない御心の程を、今こそ 拝見し良く分かりましたと、お伝え申し上げる時です」等と申しましたが、人を介してしてではなく、直にお話申し上げることは、やはり、中君にはとても躊躇われます。
 そこへ匂宮がお出かけなさろうとして、中君にご挨拶にお渡りになりました。

 大層美しく身繕いや化粧をなさいまして、見る甲斐あるご様子でした。
「中納言はこちら(西対)におられるのか…」と、ご覧になって、
「どうして、中納言を酷く遠ざけ、御簾の外に出して座らせなさるのか。貴女にはあまりにも不思議……と思われるほどに、行き届いたお世話を頂いた方ではないか……。私には愚かしいこともあろうかと心配されますが、そうは言っても、無下に遠ざけて心隔てが多いのも、罰が当たりましょう。近い所で、昔話などお話なさい……」などと申されますものの
「そうは言っても、あまり心許すのも、またどんなものか。疑わしき下心があるかもしれない……」と、言い改めなさいました。
 
 中君は煩わしいけれど、自分の気持ちにも、しみじみ情の深く思われた方の御心を、今更、よそよそしくすべきではないとお思いになり、薫中納言の仰るように、故大君の身代わりとして、
このようなご厚意を 今思い知りましたことを、いつかお伝えする機会があるかとお考えございました。けれど匂宮が、心安からぬ事を申しなさるので、内心辛く思っていらっしゃるのでございました。




                                                        ( 終 )


源氏物語「早蕨」(第48帖)
平成二四年盛夏 WAKOGENJI(訳・絵) 

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