やさしい現代語訳

源氏物語「宿木」(やどりぎ)第49帖

(薫 24歳、中君25歳、匂宮26歳、六君21歳の頃の物語)

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む

 
その頃、藤壺と申し上げる方は、故左大臣殿の女御(にようご)でおられました。
今上の帝がまだ春宮(とうぐう)と申し上げていた頃、誰より先に内裏にお上がりになりました。帝の睦まじく情の深いご寵愛を格別にお受けになりましたけれど、その甲斐があったと見えることもなく、年が経ちます内に、明石中宮には、宮達までも大勢ご立派になられました。けれども、藤壺には そのようなことも少なく、ただ女宮(御子)を独りお持ちでございました。

「私が大層残念なのは、明石中宮に圧倒された運命を 嘆かわしく思う代わりに、せめてこの宮こそ、何とか将来安心して心慰むようにして差し上げたい……」と、とても大切にお世話申し上げておられました。この女二宮は御器量もとても美しくいらっしゃるので、帝も 愛しい娘として大層可愛がっておられました。

 女一宮をこの世に類のない程、大切にお世話なさいますけれど、この女二宮についての世間一般の評判にも 一宮に並ぶ程ではありませんが、内々の様子では、少しも劣る所はありませんでした。父・左大臣のご威勢や厳しい名残も衰えずに、特に藤壺は心細いことなどもなくて、伺候する女房達の服装をはじめとして 調度類などもご立派で、四季折々につけての仕立て好みも華やかで、重々しいご様子でお暮らしでございました。

 女二宮が十四歳におなりの年、御裳をお着せ申そうと、藤壺の女御は春頃からご準備を初めて余念なく、何事も格別にとお思いになっておられました。昔から伝わった御宝物など「この折にこそ……」と捜し出して、大層な準備をなさいましたが、その夏頃、物の怪を患いなさって、大層儚く亡くなってしまわれました。……言う甲斐もなく残念な事と、今上の帝も大層お嘆きになりました。女御のご性格は情深く、優しい所のある方なので、殿上人たちも「この上なく 寂しくなってしまった……」と、その死を惜しみ申し上げました。大した身分でない女官達までも、お偲び申し上げない者はありませんでした。

 宮(女二宮)がまして若い御心で、心細く悲しくお思いになっているというご様子を 帝はお聞きになってご心配なさり、大層 可哀相に……と思し召されて、御四十九日が過ぎると、そのままこっそりと宮を参内させなさいました。そして毎日のように、宮の所にお渡りになり お逢いになりました。黒い喪服をお召しになった質素なお姿は むしろ大層可愛らしく 上品さが勝って見えました。ご様子も大層大人びて、母女御(藤壺)よりも、今少し落ち着いたところが勝っていらっしゃるのを、安心して拝見なさいました。誠は御母方と言っても、後見を頼みなさるはずの叔父などのような立派な人もおりません。わずかに、大蔵卿・修理の太夫等と言う人が、母女御の異母兄弟でおられますが、特に世の評判も重い訳ではありません。高貴な身分でもない人を、女二宮が後見人にしておられるので、
 「辛いことが多くあるだろう それが 何ともお気の毒……」などと、帝は御心一つで ご心配なさっておられました。

 御前の菊が、季節も移り 盛りの頃に、空の気色も悲しげに時雨れる時、今上帝は、まず女二宮の方にお渡りになり、昔の藤壺の事などをお話申しなさいますと、女二宮はおおらかなご性格から 幼げなところもなく、お返事などを申し上げなさいますので、今上は母藤壺に想いを重ねて、美しく恋しく思い出しておられました。女二宮の御様子を分かるような人が、女二宮をもてはやし申し上げるのに、何の不都合があろうかとお思いになり、昔、朱雀院の姫宮を六条院(源氏)にお譲りなさった時の定め事などを思い出し、
 「暫くの間は、皇女の降嫁はなくてもよかろう。さらに独り身でおられなさいまし……」と、朱雀帝に申し上げる者もありましたが、
「源中納言(薫)が、人とは異なる素晴らしいご様子で、万事にご貢献申し上げておられるからこそ、母宮(女三宮)も、その当時のご威勢も衰えずに、高貴なご身分のままでお過ごしでおられる。そうでなかったら、母宮には心外な事などがでてきて、自然と 人から軽んじられることもあっただろう……」などと、帝は思い続けなさいまして、
 「いずれにせよ、私の在位中に女二宮の後見人を決めよう……」とお思いになり、このままの順序によれば、この薫中納言より他に、相応しい人はいないようでございました。
 「宮達の御前に婿として並べた時に、何事も支障などはあるまい。薫にはもとより想う人(大君)がおられたとしても、聞きにくい噂などを聞くこともないようだし、又、もしあったとしても、結局はいつか結婚なさらないことはあるまい。前もって、薫中納言に それとなくご意向を聞いてみよう」などと、折々お思いになりました。

 帝は御碁などをお打ちになりました。日が暮れてゆくにつれて 時雨が心地よい頃に、夕日に映えて美しい菊の花をご覧になって、人をお呼びになり、
「ただ今、殿上に誰がいるか……」と問わせなさいますと、
「中務の親王・上野の親王と、薫中納言・源の朝臣が伺候しております」とお答え申し上げました。
「中納言の朝臣をこちらへ」と、帝は仰って、薫中納言が御前に参上いたしました。本当にこのように、特別に呼び寄せる甲斐もある程に、遠くから香る匂いをはじめとして、他の人と異なる格別なご様子をなさっておられました。
今上の帝は、
「今日の時雨は、いつもより特にのどかだが、管弦の遊びなどは喪中ゆえ 控えるべきなので、大層所在ないが、意味もなく日を送る遊びとしても、これがよいだろう……」と、碁盤を持って来させて、御碁の相手に呼び寄せなさいました。いつもこのように、身近にお呼びになるのに馴れて、「今日もそんなことだろう……」と参上しますと、
「よい賭物はあるのだけれど、軽々しく渡すことができないので……さて何を賭けようか」などと仰せになるのを、薫中納言はどう聞いたのでしょうか。大層緊張して伺候しておられました。 碁をお打ちになり、三番に一つ負けなさいました。「悔しいことだなぁ。まず今日は、この花一枝を許す……」と仰せになりましたので、中納言はお返事も申し上げずに 東庭に下りて、美しい菊一枝を手折って上がりました。

   世の常の垣根に匂ふ花ならば 心のままに折りて見ましを

     (訳)普通の垣根に咲いている花ならば、
        思いのままに手折ってみることができるものを・・・

と、申しなさいました。心遣いは浅くないと見えました。

   霜にあへず枯れにし園の菊なれど 残りの色はあせずもあるかな

   (訳)霜に堪えかねて 枯れてしまった園の菊であるけれど、
      残りの色は褪せていない……

このように、帝が時々、女二宮のことを仄めかしなさるご様子を、人伝てでなく直接承りながらも、薫中納言はいつものご性格から
「この縁談は急ぐ……」とはお思いになれませんでした。
「いや本意ではない、様々に困ったことのある中君や六君との縁談をも聞き過ごして、年が経ったのに、今更、聖の世に還った心地がする…と思うのも、また妙なことでございました。
「殊更に 心を尽くす人さえあるというのに……」と思いながらも、「女二宮が后腹でおられたならよかったのに……」と思う心中は、あまりに大それた考えといえましょう。

 このようなことを 左の大殿(夕霧)が少しお聞きになって、
「わが娘・六君を、何としても、この君(薫)にこそ縁付けたいものだ。しぶしぶであっても、私が一生懸命に頼み込めば、遂には断り抜くことはできまい……」とお考えでございました。
 兵部卿の宮(匂宮)が、わざとではないけれど、時折 御文などを 興味深い様子で書き続けておられるので、
「まぁ、いい加減な浮気心があっても、六君に御心が止まらないことがあろうか。水も漏らさぬ婿を決めたとしても、六君が普通の身分に下るのは 大層体裁が悪く、残念な気がする……」などとお思いで、更に、
「女の子が心配になる世の末に、帝でさえ婿を求めなさる時代で、まして臣下の娘が盛りを過ぎるのも、誠に困ったことだ……」と、陰口を言うように仰って、明石中宮にも真面目にお頼みになることが たび重なったので、中宮は 困ったこととお聞きになって、
「お気の毒なことですが、このように、一心に婿にと お決めになってから何年も経つので、意味なくお断りなさるのも、薄情なようでございましょう。親王たちは、ご後見によってこそ、ともかくも安泰となるものでございます」と仰いました。
 今上帝は、
「わが世も末になった……」とお思いになり、匂宮に あるべき道理をお教えなさろうと、
「臣下の者こそ、本妻がお一人に決まれば、また他の女性に心を分けることも難しいようだが、あの大臣(夕霧)が、大層真面目に、こちらの雲居雁 あちらの落葉宮にと、恨まれることなく対応なさっておられるではないか。まして、私が考えている事が叶ったなら、女性を大勢伺候させても、何の不都合もない……」などと、何時になく言い続けなさいますので、匂宮はご自身の気持ちとしては、もとから六君を嫌ではないので、どうしてお断りなど申しなさろうか。ただもし婿になれば、大臣の大層格式ばった御邸に閉じ込められて、気楽に馴れておられた生活が窮屈になり、息苦しく思える それが気に入らない……とお感じなりましたが、
「この大殿(夕霧)からあまり恨まれてしまうのも、困ったことになる」と考えると、だんだんと気弱になられたようでございました。
 けれども宮は浮気なご性格なので、あの按察大納言の紅梅の姫君をも 今なお想い続けて、花や紅葉につけて、御文など交わしておられまして、どちらの姫君をも、愛しくお想いでございました。やがて、その年は変わりました。

 女二宮の御服喪が終わりましたので、ますます何事を遠慮なさいましょうか。
帝が「もしそのように、薫中納言が申し出てくれるならば……」と、お思いになっているご様子などを 知らせて下さる人々もありますので、中納言は、
「あまり知らぬ顔をしているのも、ひねくれているようで…」などと、お思いでございました。
帝が、女二宮との結婚を仄めかし申しなさる時々がありますので、体裁も悪く、どうしてお断りすることができましょうか。帝が婚儀の日程をお決めになった……と伝え聞きますと、自分の心の内では、やはり、惜しくも亡くなった人(大君)の悲しみの忘れられる世もない……と辛く思われ、
「困ったことだ……契り深くいらした大君が、どうして他人のまま亡くなってしまわれたことか……」と、理解しがたく思い出されました。
「例え残念な身分であっても、あのご様子に少しでも似ている女が居るなら、私の心に留まることだろう。昔あったという香の煙につけてさえ、もう一度お逢いしたいものだ……」とのみ恋しく思えて、高貴な方(女二宮)には、「いずれ……」などとして、結婚を急ぐ気はありませんでした。

 左の大殿は、六の君の婚儀をお急ぎになって、「八月頃に……」と、匂君に申されました。
二条院の対の御方(中君)がこれをお聞きになり、
「そらごらん、やはりそうであったか……。私は数ならぬ身のようなので、必ず人に笑われる嫌なことが出てくるだろう…と 思いながら過ごしてきましたけれど……匂宮は浮気な御心とはずっと聞いていたが、頼り甲斐のない……と思いながらも、面と向かっては特に辛そうな様子にも見えず、愛情深い約束ばかりなさいますので……まさか急にお変わりになろうとは……どうして安心していられましょうか。宮であれば、臣下の夫婦仲のように縁が切れてしまうことはなくても、今後どんなにか辛い事が多くなるでしょう。私はやはり大層心細い身の上なので、遂には宇治の山荘に帰るべきなのでしょうか……」などとお思いになり、
「やがて姿を消すよりは……山里の人々が待っていると、女房達は笑うでしょうけれど……」などと、返す返す、故父宮の言い残した事を違えて、宇治を離れてしまった軽率さを恥じ、辛く思い知らされました。
「亡き大君が、何事も大層心細げに頼りなさそうにお考えになり、仰っていたけれど、心の底が落ち着いていることでは、この上なくいらしたことだ。中納言の君(薫)が、今も姉君を忘れることなく嘆き悲しんでおられるけれど、もしまだ生きていらして、薫君に嫁いでいたら、やはりこのようにお悩みになる事があったかもしれない……。姉君はとても強く 『どうして 嫁ぐことなどありましょう…』とお思いになって、あれやこれやと、薫君から離れ、姿も尼に変えてしまいたいとお考えになり、もしご存命ならば必ずそのようになさったに違いない。今思うと、どんなにか重々しいお考えだったのだろう。亡き父宮や姉君までもが、私をどんなにか酷い軽率者と ご覧になることでしょう……」と、恥ずかしく悲しくお思いになりました。けれど、
「でも、言っても仕方のないことだから、このように辛い様子を、匂宮には決してお見せ申すまい」と耐えて、六君との婚礼について 聞かない素振りをして 日々をお過ごしになりました。
 匂宮は、いつもよりしみじみと優しく、起きても臥せっても語らいながら、この世のみならず、長い将来のことをも お約束なさいました。

 しかし、この五月頃から、中君は普通のご体調ではなく、お苦しみになることがありました。ひどくお苦しみになるのではなく、いつもよりお食事をなさることがなく、臥せってのみおいでになりますので、匂宮はまだそのようなご様子をよくご存じでないので、ただ暑い頃だから こうしていらっしゃるのだろう…とお思いになりました。さすがに「変だ」とお思いになることもあって、
「もしやどうしたのか、そうした人(懐妊)はこのように苦しむというが……」などと仰る折もありましたが、中君は大層恥ずかしそうになさって、さりげなく振る舞っておいでになりました。差し出がましく申し上げる女房もいないので、匂宮ははっきりと知ることがお出来になりませんでした。
 
 八月になりました。中君は、匂宮と六君との婚儀は「この日に」などと、他から伝え聞きなさいました。匂宮は隠しておくつもりではないけれど、中君に言い出すことを、心苦しくおいたわしくお思いになって、そう仰いません。女君は、それさえも 辛いこととお思いになりました。
 「この婚儀は隠れたことでもなく、世の中の人が皆知っていることなのに、その日程さえお教えくださらない……」と、中君にとっては どれほど恨めしくないことがありましょうか。
 このように、宮が二条院にお渡りになった後は、特別の事が無ければ、内裏に参上なさっても 夜泊まることはなさらず、あちらこちらへの夜の泊まりなどもなさいませんでした。けれども、
「婚儀の後、中君はどんなに悲しまれるのか……」と思うと心苦しく、その気紛らわしに、この頃は時々御宿直として、内裏に参上なさいました。こうして、前もって夜離れ(独り寝)を慣らしなさるのを、中君はただ「ひどい方だ……」とのみお思いになりました。

 中納言殿(薫)も「大層お気の毒なことだ……」とお聞きになりました。
「花心(移り気)でおられる匂宮なので、中君を愛しくお想いになっても、新しい方にきっと心移してしまわれるだろう。六君も とてもしっかりした家の方なので、匂宮を放すことなく付きまといなさったら、幾月もの間 中君は夜離れにお慣れにならぬまま、待つ身の夜を 多くお過ごしになるのこそ お気の毒なことだ……」などと、お思いになるにつけても、
「私もつまらぬことをしたものよ。中君をなぜ匂宮にお譲り申したのか……。昔の人(大君)に想いを寄せてから後には、世間から思いも離れて、澄み果てていた心も 濁り初めてしまった。ただ大君の事をあれこれと想いながら、やはり大君が私に全てを許さないうちに、無理を通すことは、初めの本意に背くことだと 遠慮がちになり、ただ何とかして好意を持ってもらおう……それまでは ただ打ち解けなさらない様子を見ていよう……と考え、将来の心積もりばかり思い続けていたのに、
大君は、私と違う考えのもてなし方で、と言っても、一方では私を突き放すことはできないとお思いになる気休めからか、『同じ姉妹ですから……』と言って、望んでいない方(中宮)をお勧めになったのが、悔しく恨めしかったので、私はまず、大君の決めたことを違えよう……だから中君を匂宮に……と考えたのだ」などと、強いて 女々しく狂ったように、宇治に匂宮をお連れして、騙し申し上げたことを思い出して、「誠に 可笑しな考えだった……」と、返す返すも悔しくお思いになりました。その当時のことを思い出しなさると、
「匂宮も、そうは言っても、私の申し出を 遠慮なさるはずもなかった……」と思われ、
「さて今は、匂宮は、その折の事などを仰ることもないようだ。やはり浮気な心移りしやすい人は、女性のためのみならず、全てに頼りなく、軽々しい事もあるようだ……」などと、匂宮を悪く思い申しなさいました。自分があまりにも一人の姫(大君)を愛した心から、他人はこの上なく不愉快に見えるようでございました。
「大君が亡くなった後、帝が皇女(女二宮)をくださるとお考えのことも、少しも嬉しくもありません。この中君こそ得たならば…と思える心が、月と共に勝ってゆくのも、中君が ただ大君の御血縁と思うので、心が離れ難いのです。姉妹という間でも、限りなく思い交わしておりましたのに、ご臨終となった時にも『後に残る中君を、私と同じように想って下さい……』と仰ったことには、何も不満に思うことはありませんが、大君が思い決めたご遺志を違えてしまったことが、残念で恨めしい事として、その執念がこの世に残ることでしょう……大君の魂が天翔った今も このことを、ますます辛いとご覧になるのでしょうか……」等と、独り寝をなさる夜には、かすかな風の音にも目を覚まし、過去や未来の身の上までも 無常の世を思い巡らしなさいました。

 身近に仕え慣れていた女房たちの中には、一時の慰めとして言葉をかけたり、自然と憎からずお想いの者もいるだろうけれど、薫君がけっして心を留めることのないのこそ、誠にさわやかなことでございましょう。
 一方では、宇治の姫君程の身分に劣らない女性達も、時勢に従って衰えて、心細げな生活をする者も多く、薫中納言は、訪ねては引き取り 三條宮に置いておられますが、
「今こそ 世を捨てて出家をするという時に、この女だけはと 特別に心に留まるような障りはないまま、過ごしていこう……」と思う考えは深くあるのに、「我ながら ひねくれていたなあ……」等と思われました。

 いつもより眠らずに 夜を明かしなさった朝に、霧のかかった籬(まがき)から花々が色とりどりに美しく見え渡る中に混じって、弱々しく咲いている朝顔に、特に目に留まる思いがなさいました。「明るい間だけ咲いて……」と無常の世に似ているのが、心苦しいと感じるのでしょう。格子を上げ、少しだけ横になって夜を明かしながら、この朝顔の咲く時を、ただ独りご覧になりました。
 人をお呼びになって、
「北の院(二條院)に参るので、仰々しくない車を準備しなさい」と仰いますと、供人が、
「匂宮は昨日から内裏におられまして、夜、御車をひいて帰ってこられました」と申しました。
薫君は、
「それはそれでよい。私はあの対の御方(中君)がお苦しみなさるのをお見舞い申し上げようと思う。今日は、内裏に参上する日だから、日が高くなる前に……」と仰って、お召し替えされました。お出かけになる時、庭に下りて、花々の中に入られる御様子も、殊更 艶やかに色めいてお振る舞いなさらないけれど、不思議とただちょっと見るだけで優美で恥ずかしげで、大層気取った好色な者達とは比べられないほど、素晴らしいお姿でした。

 朝顔を引き寄せなさいますと、露が大層こぼれました。

    今朝の間の色にやめでむ おく露の消えぬにかかる花と見るみる……はかなし

     (訳)今朝の間の色を賞でようか、おりた露が消えずに
        残っている花と見える、何とはかない……

と独り言を仰って、花を手折ってお持ちになり、女郎花を見過ごして、お出かけになりました。

 明るくなるにつれて、霧が立ち込める空が美しく見えました。
「女達は寝乱れた様子で朝寝しているのだろう。格子・妻戸などを叩いて咳払いするのは 不慣れなのだが……朝まだ早いのに、もう来てしまった……」と思いながら、供人を呼んで中門の開いている所から覗わせなさいますと、
「御格子などみな 上げてあるようです。女房のいる気配が致します」とお答えしました。
 御車を降りて、霧に紛れて対の方へ美しい御姿で歩み入りなさいますと、女房たちは、
「匂宮が お忍び歩きからお帰りになったのか……」と思いましたが、薫君の露に湿っておられる香りが、いつものように大層格別に匂ってくるので、
「やはり中納言殿は、目が覚めるほど素晴らしくいらっしゃること。心を抑えておられるのこそ憎らしい……」などと、若い女房達は言い合って、特に驚いた様子でもなく、心地よい衣ずれの音をさせて、御茵(敷物)を差し出しなどする様子も、とても感じがよいものでした。
「ここに控えよ…とお許し頂いたことは、一人前のような心地がするけれど、やはりこのような御簾の前に放っておかれるのは、情けない気がいたします。私はしばしばここをお訪ねすることはできませぬ」と仰いますと、
「それならば どうしたらよろしいのか……」と女房達がお聞き申しました。
「北面のように隠れた所なら……私のような古い馴染みの者が控えるのに適当な休み処。それも又、中君の御心次第なので、私から申し上げるべきことでもないが……」と、長押(なげし)に寄りかかっておられますと、いつもの女房が「やはり あそこまで……」などと、お勧め申し上げました。
 薫中納言は、以前から、手早く男らしくはなさらない性格で、この頃はますますしっとりとお振舞いなさいますので、中君は、ご自分から語りかけることがお嫌で 避けていた思いも薄らいで、今はすっかり馴れていらっしゃるようです。中君のお辛そうな様子に、「どうしたら……」などと問いかけなさいましたけれど、はっきりとお答えなさいません。いつもより沈み込んでいるご様子を お気の毒にお思いになって、細やかに世の中のあるべきことなどを、兄妹のように、教え慰めなさいました。声なども、強いて大君に似ているとも思えないけれど、不思議なまでに、ただその方とのみ思われますので、人目が見苦しくないならば、簀垂を引き上げて 差し向かいでお話申し上げ、辛そうにしておられる御姿を拝見したいとお思いになりました。やはり、この世の中に物思いしない人はないのではないか……と、思い知りなさいました。
 「私は 人らしく華やかな者ではありませんが、心に思うことがあり、嘆きや身を悩ますことなどはなく 過ごすことの出来る世だと、自ら思っておりました。けれど、心から悲しいこと(大君死去)も、馬鹿げている程 悔しい物思いをも、それぞれに深く悩んでいることこそ、大層つまらぬことだと思います。他の人は、官(つかさ)・位(くらい)などを大事にするようだ……当然の愁いにつけて、嘆き思う人よりも、私の嘆きは今少し罪の深さが勝るだろう……」などと仰りながら、手折りなさった朝顔を扇に置いて、ご覧になりますと、枯れてだんだん赤みがかってゆくのが、かえって色合いに風情があって見えるので、簀の内に差し入れて、

    よそへてぞ見るべかりける白露の 契りか置きし朝顔の花

     (訳)貴女を自分のものと見るべきでした
            白露(大君)が約束しておいた朝顔の花ですから

 特にそうしたのではないのに、露を落とさないまま 持ってきたことよ……」と、興味深く見えるけれど、露を置きながら枯れていく様子なので

     消えぬまに枯れぬる花のはかなさに おくるる露は猶ぞまされる 何にかかれる

     (訳)露の消えない間に枯れてしまう花のはかなさよりも、
        後に残る露はもっと儚いことです。何を頼りに生きれば良いでしょうか

と、大層忍んで言葉も続けずに、慎ましく否定なさったところは、
「やはりとてもよく大君に似ておられる……」と思えるのも、悲しいことでございました。

 「秋の空は 今少し物思いだけが勝ります。所在ない気持ちを紛らわすために、先日、宇治に行って参りました。庭の籬(まがき)も酷く荒れ果てておりまして、耐え難い事も多くございました。故院(源氏)が亡くなられる前 二、三年程の間には、出家された嵯峨の院にも 六條院にも、立ち寄る人の悲しみを冷ます方法もないようでございます。私も、草木の色を見ても 涙にくれたまま、三条宮に帰ってまいりました。故院に仕えていた人々は、身分の上下に拘わらず 皆 心の深い人々で、今も嘆いております。六條院に集まっていたご婦人たちも皆、所々に別れ散り、各々、俗世を思い離れる(出家)生活をしておられるようですが、儚い身分の女房などは、まして悲しい心を鎮める方法もないまま、未熟な考えに任せて、山や林に入って、つまらない田舎人になるなど、悲惨に惑い散っていく者も多くございました。
 そして、六條院もすっかり荒れ果て、忘れ草が生えた後、この左の大臣(夕霧)が渡り住み、宮たちもおられましたので、昔の六條院に返ったようでございます。そのように、世に類のない悲しさと思われる程の事も、年月経れば 悲しみを冷ます折も出てくるものと見ておりますが、誠に悲しみも限りあるもの…と思われます。 ……このように昔話を貴女にお聞かせするのも、あの昔の父宮の死という悲しさは、まだ幼かった頃のことで、とても心に染みない程だったのでしょう。やはり大君の近いご逝去こそ、悲しみを冷ます方法もなく思われます。同じ死別という無常の世の悲しみではありますが、罪深き方(大君)の悲しみが勝っておりますことが、辛いことでございます……」とお泣きになる様子は、大層心深げでおられました。
 昔の人(大君)を愛しく思わない人でさえ、この悲しんでおられるご様子を見て、何となく心惹かれ もらい泣きをしてしまうけれど、それ以上に、中君ご自身も心細く思い乱れ、ますます大君の面影が恋しく 悲しくお思いになるので、薫君のご様子をご覧になって、更に悲しくなられて、何もお答え申し上げることができません。涙を躊躇いかねているご様子を見て、お互いに「誠に悲しいこと……」と思い交わしなさいました。
 中君は、
「世の辛さよりは…などと 昔の人は言ったけれど、私には思い比べる心も特になく、長い年月を 宇治にて過ごしてまいりました。今になって、やはり何とかして静かな所で暮らしたいと存じます。さすがに、心の思い通りにはならないようなので、辨の尼こそが羨ましく思えます。
 この二十日過ぎは亡父の三回忌なので、あの山荘に近いお寺の鐘の音も 聞きたいと思いますので、宇治に忍んで 私を連れて行って下さい……と、お願い申し上げたく思っておりました」と、仰るので、薫中納言は、
「山荘を荒らすまいとお考えになっても、どうしてそんなことができましょうか。身軽な男でさえ、とても往復が荒々しい山道なので、私も行きたいと思いながら 幾月も訪れずにおります。故宮の御忌日は、あの阿闍梨に法要など 然るべき事など全て、言い置いてまいりました。あちらの山荘はやはり、尊き方にお譲りなさいませ。時々ご覧になるにつけても、心に惑いが生じるのも困ったことですから、罪滅ぼしをたいと思いますが……貴女はどのようにお考えでしょう。ともかくも、私は 何ごとも 中君のお決めになったことに従おう と存じます。貴女の思い通りに仰いませ。何事も嫌がらずに承るのが、私の本心に叶うことでございます」などと、真面目に成すべき事などを仰いました。
「経や仏などをご供養なさるなら、私はこのような機会のついでに、宇治にそっと籠りたい……」と、中君はお思いのようなので、
「実に山籠もりなどとは あるまじき事でございます。やはり何事も心穏やかにお思いなさいませ」などとお教えなさいました。
 日が昇って、女房たちが集まりなどすれば、あまりの長居も 何か訳ありげに見えるので、退出なさろうとして「どこでも……御簾の外は馴れていないので、体裁悪い心地がいたします。いづれ又、このようにて、お伺いいたしましょう」と言い置いて、退出なさいました。

匂宮が 「なぜ、私の居ない折に来たのだろう……」と疑うような御心をお持ちなので、それも煩わしく、侍所の別当である右京の大夫(かみ)を呼んで
「昨夜、内裏を退出したと承って参りましたが、宮はまだおいででなく残念でございました。内裏に参るべきだったのか……」と仰いますと、「今日にも退出されましょう」と供人が申し上げるので、
「それでは夕方にでも……」として、中納言は退出なさいました。
 やはり中君のご様子をお聞きになる度毎に、
「どうして……昔の人(大君)がお決めになったことを違えて、中君を失うことになってしまったのだろう……」と、悔しい心だけが勝ってゆくので、「なぜ、私は 自ら求めて悩まねばならない性格なのだろうか」と思い返しなさいました。
 大君の死後そのままに まだ精進生活で、ますますただ勤行のみをなさいまして、日を明かし暮らしておられました。

 母宮(女三宮)はやはりとても若々しくおっとりして、はっきりしない御心ながらも、薫君のこのような思い沈んだご様子を、大層危うく不吉にお思いになって、
「我が命は幾世もないのだから、お逢いする時には、やはり甲斐のある様にしてお逢いなさい。
世の中をお捨てになるのも、私の如き出家の姿では、反対申し上げるべきことではないですが、この世が 生きる甲斐のない心地がするような心惑いに、私はますます罪深く思われます」と仰るのが 忝なくおいたわしいので、何事をも思い消して、母宮の御前では 悩みなどない様を装いなさいました。

 
 左の大臣殿(おおいとの)(夕霧)は、六條院の東の御殿(おとど)を磨き設え、六君のために 限りなく万事の婚儀を整えて、匂宮をお待ち申し上げなさるけれど、十六日(いざよい)の月がだんだん昇る頃まで お待ちになるのも心許ないので、
「御心の進まぬご結婚なので、どうなのだろう……」と不安になられ ご様子を探りなさいますと、
「この夕方、内裏からお出かけになって、今、二條院におられます」と、供人が申しました。匂宮には、想う人(中君)がおられるので、大臣は大層腹立たしいけれど、今宵が過ぎてしまうのも人の物笑いになるだろうから、御子息の頭中将を御使者としてお迎えに行かせなさいました。

    大空の月だにすめるわが宿に 待つ宵すぎて見えぬ君かな

     (訳)大空の月さえ澄んでいるわが邸にてお待ちしていますのに、
        宵を過ぎてもお見えにならない貴方ですね

 宮は「今日が結婚式だ…などと、中君には分からないようにしよう。可哀想だから……」とお思いになって、内裏におられましたが、中君に御文を差し上げたのに、その御返事はありません…やはり大層可哀想にお思いになって、忍んで二條院にお渡りになりました。
 匂宮は、中君の可愛らしいご様子を見捨てて 出かける気持ちにもなれず、いとおしいので、万事に契りつつ慰めて、ご一緒に月を眺めていらっしゃるところでした。中君には、日頃もいろいろ思うことが多くございましたが、何とか表情に出すまい……と我慢して、さりげなくなさいますので、特に聞き咎めぬように、おっとりと振る舞っておられる様子は、大層おいたわしいものでした。
 頭中将がお迎えに来られたとお聞きになって、匂宮は、さすがに六君にもとてもお気の毒にお思いになり、六條院にお出かけなさろうと、
「今、直ぐに戻って参ります。一人で月をご覧になってはなりません。心が上の空で大層苦しい…」と申し置きなさって、物陰を通って 寝殿へお渡りになりました。匂宮の後姿を見送りますと、あれこれ思わないけれど、ただ枕が浮くほど悲しい心地がするので「嫌なものは人の心であった……」と、我ながら思い知るのでした。
「幼い頃から心細く哀れな身の上で、世の中に執着を持たない父宮を頼りに、宇治の山里にて年月は経ったけれど、ただ何時となく所在なく寂しい生活でありながらも、このように心に染みて この世を嫌なものと思うことはなかった……。けれど続いて 父と姉の死去という思いがけないことに遭って、この世にとり残され、片時も生き続けようとは思えずに、これより恋しく悲しい事は類がない…と思ったけれど、命永らえて 今まで生きてきました。人が思っていた程よりは、人並みになったようなこの二条院の生活が 長く続くとは思わないけれど、匂宮を見る限りでは、憎めない御愛情やお扱いで、だんだん悩みが薄らいできていました。けれども、この度の身の辛さは、例え様もなく、『匂宮との御縁も これ限り……』と思われるほどでございます。この世から亡くなってしまわれた父や姉よりも……匂宮には、時々でもお逢いできるから…と慰めても、今宵このように私を見捨ててお出かけになる辛さに、過去も将来も全てに心乱れております。 こんなに心細く悲しいのに、我が心ながら慰める方法もなく、誠に辛いことでございます。命永らえばまた……」などと慰めごとを思いつつ、更に、姥捨山の月が澄んで昇り、夜が更けていくにつれて、中君は大層深く思い乱れなさいました。
 松風の吹き来る音も、宇治の荒々しかった山おろしに比べれば、ここは大層のどかで心地よく、感じのよい御住まいではあるけれど、今宵はそうとも思えず、宇治の椎の葉の音に劣った感じがしました。

    山里の松の蔭にもかくばかり 身にしむ秋の風はなかりき

       (訳)山里の松の蔭でも、これほど身に耐える秋の風はなかったものを……
 
「過去の辛かった生活はお忘れでしょうか」。老女房達は、
「今は奥にお入りなさいませ、月を見るのは忌(い)むと申します。情けない……少しの御果物でさえご覧にもならないで、一体今後どのようになられるのでしょう。ああ見苦しいこと……不吉に思い出される事もありますのが、それこそ 困ったこと……」などと申しました。若い女房達も、
「何とも辛い世ですこと……」と嘆いて、
「いえ、匂宮のこと……と言っても、このように中君に対して 愚かなお扱いで終わることは、なさらないでしょう。もともと愛情深く結ばれた仲は、名残りの残るものですから……」などと言い合っているのも、中君にとっては様々に聞きつらく、
「今はもうどうなろうとも、あれこれ口にかけては言うまい。ただ匂宮を見ていましょう……」とお思いになるのは「人には口出しさせずに、私ひとりが匂宮をお恨み申そう……」というのでしょうか。
 「薫中納言殿が あれほど親身になって、御心の深さをお見せになったのに……人の御宿世とは何と不思議なことよ」などと、その当時からの女房達は言い合っておりました。

 匂宮は中君を大層お気の毒にお思いになりながらも、派手好きなご性格から、何とか立派な縁組と期待されよう……と気取って、素晴らしい香を衣に焚きしめなさったご様子は、婿として申し分ないものでした。お待ち申し上げている所の設えも、大層素晴らしくございました。
 「六君のご様子は、小柄でか弱い感じではなく、ちょうど良い程度に成人していらっしゃるので、人柄はどうだろうか……堂々として高圧的なところがあり、ご性格は柔らかいところがなく、何となく高慢な感じであろうか……」などと、匂宮は想像なさいましたが、そのようなご様子ではなく、匂宮の御心は、嫌いとはお思いになりませんでした。

 秋の夜長だけれど、宮が夜更けてから来られたからでしょうか、程なく夜が明けてしまいました。
 二條院にお帰りになっても、中君のおられる対へは お渡りになることができず、しばらくお寝みになって、起きてから、六君に御文をお書きになりました。
「宮の御様子は悪くはないようです」と、お仕えする女房たちはつつきあいました。
「対の中君こそお辛いことでしょう。どんなに広い御心であっても、自然と圧倒される事はあるでしょうから……」などと平気ではいられず、皆、中君に長く仕えてきた女房達なので、この婚儀を穏やかならず言う者もいて、総てがやはり妬ましいことでございました。

 「六君のお返事もこちらで……」と お思いになりましたが、
「夜の頃の心細さも、いつもの御無沙汰よりはいかがなものか」と心苦しいので、中君方に急いでお渡りになりました。寝起きの大層素晴らしい見所ある御姿で、御簾の内にお入りになりましたので、中君は臥せっているのも躊躇われ、少し起き上がりなさいますと、泣いて赤味がかったお顔の美しさなどが、今朝は特にいつもより愛らしさが勝って見えますので、宮は他人事ながら涙ぐまれて、しばらくの間、じっと見守っておられました。中君は恥ずかしくお思いになり、うつ伏せなさいましたが その髪のかかり具合、髪ざしなど、やはりとても見事で素晴らしうございました。匂宮も何か体裁が悪いので、細々とした婚儀の事などは、少しもお話しなさいません。照れ隠しなのでしょうか。宮は、
「どうして貴女はこんなにお辛そうなご様子なのでしょう。夏の暑さゆえ……とか仰いましたので、早く涼しくなれば……と待っていますが、やはり、今も気分が晴れないのは、困ったことです。
様々に御修法をさせても、不思議と効き目がない気がいたします。そうはいっても、御修法はまだ止めずに 延ばしてさせましょう。効験のある僧はいないだろうか。何某の僧都に夜居(よい)も仕えさせればよかった……」等と具体的な事を仰るので、中君は、このように調子のよいことを仰るのさえ気に入らない…とお思いになりましたが、むげにお返事しないのもいつもと違うので、
「昔も、不思議と人に似ぬ体質で、このような折はありましたが、自然と良くなったものです」とお応えしました。匂宮は、
「まぁ、さっぱりしたものですね」と、少しお笑いになって、
「優しく愛敬のある方としては、中君に並ぶ人はいない……」と思いながらも、やはりまた、早く逢いたい方(六君)への焦りの気持ちも加わっておられるのは、匂宮の愛情が並々ではないことでありましょう。
 けれども、中君とお逢いになる時には、中君への愛情が変わることもないのでしょう。「後の世まで……」と、尽きせずお誓いになるのを聞きますと、中君は、
「なるほど、この世は短いけれど、寿命を待つ間も辛い気持ちになるので、来世の契りも違わない事があろうか……」と思うと、やはり懲りずに又、宮を頼らずにいられない……と、大層祈るような気持ちになられました……けれども我慢が出来なかったのか、今日はお泣きになりました。
 日頃は何とかして、匂宮を恨めしく思っている……とは見られないようにと、万事に思い紛らしていますのに、様々に思い悩む事が多く、そう隠してばかりもいられなかったのか、涙が溢れだしました。すぐには止められないので、とても恥ずかしく悲しいと思って、強く横を向いていらっしゃいますと、匂宮は御自分の方に顔を引き向けなさりながら、
「申し上げるままに、辛そうな貴方の様子を見ていたのに……やはり私に隔て心があるのですね。そうでなければ、夜の間に、お考えが変わったのでしょうか……」と仰って、ご自分の御袖で、中君の涙を拭いながら、「夜の間の心変わりは予想していました」と、少し微笑みなさいました。
「本当に、貴女は幼子のような物言いをなさいます。けれど、本当のところは、心に曇りもないので、とても気楽にいられます。私がひどく言い訳を申し上げても、本心はとてもはっきりと分かってしまうものです。夫婦の仲をご存知ないのこそ、可愛らしいものの、困ったことでございます。よし、自分の身に起こったとして、想像してください。私は、自分でも意のままにならない身分です。もし私の思うようになる世になったならば、誰にも勝る程の愛情を、貴女にお知らせ申し上げます。簡単に言葉に出すべき事ではないので、寿命だけが頼りですが……」等と仰るうちに、六条院に仕える使者が大層酔い過ぎたのか、中君に遠慮すべき事も忘れて、手紙を届けに 堂々とこの対の南面に参上致しました。使者は女性の珍しい衣裳に埋もれているので「禄(褒美)らしい」と、女房達は見ておりました。
「いつの間に、宮は急いで御文をお書きになったのだろう」女房達には心安いからぬことでありましょう。宮も 強いて六君のことを隠すべきことではないけれど、不意に使者が参上するのは、やはり中君にはお気の毒なので、
「使者にも 少しの心遣いがあって欲しかった……」と、胸が痛みましたけれど、今は仕方がないので、女房に御文を受け取らせなさいました。
「同じことなら隠し事のない様に、中君をお扱いしたい」とお思いになって、その場で御文を引き開けなさいますと、継母の宮(落葉宮)の筆跡のように見えますので、今少しほっとして、手紙をお置きになりました。宣旨書(代筆)であっても、中君にとっては気に障ることでございましょう。
 落葉宮からは、
「差し出がましいのは嫌なので 急かして行かせますが、六君がとてもお辛そうにしておられるので、

   女郎花しをれぞまさる朝露の いかにおきける名残なるらむ

     (訳)女郎花がますます萎れています。
        朝露がどのように置いていった名残りなのでしょう

上品に美しくお書きになっていました。匂宮は、
「言い訳がましいのは煩わしいことだ。本当は暫くの間は気楽に過ごそうと思っていたのに、意外な事になったものだ」等と仰いましたが、
「又、妻とは二つとなくて、本妻のみあるべき」と、思い馴れているただ人(うど)の夫婦仲は、このような事の恨めしさなどを、見る人は気の毒に思うけれど、これは 匂宮にとっては大層難しいことです。宮様達と申し上げる中でも、匂宮の将来を 特に春宮になられる方として、世間は思い申し上げているので、幾人もの妻をお持ちになることも、非難されるべきことではないので、世の人もこの御方(中君)をお気の毒と思うことはないでしょう。これほど中君を大切に傅き 住まわせになさって、お気の毒と思う人々が居ることさえ「幸いでおられる」と女房達は申し上げるようだ。中君自らの御心にも、匂宮があまりにも大切にして下さっていたので、急にそっけなくなるのをお嘆きなのでしょう。
「このような夫婦の問題を、どうして女性は深刻に思うのだろう。昔物語などを見ても、他人事でも、なるほど大変なことでございます……」と、中君はわが身に置き換えて、何事も思い知りなさいました。匂宮は、いつもよりも愛情深く打ち解けた様子で お扱いなさいまして、
「全く食べ物を召し上がらないのは、とても身体に悪いことです」などと仰って、結構な果物を持って来させ、又、然るべき人を呼んで、特別に調理などさせながら お勧めになりましたけれど、全く召し上がる様子もないので「おいたわしいこと……」とお嘆きになりました。
 やがて日が暮れてきましたので、夕方、宮は寝殿へお渡りになりました。

 風は涼しく全体の空が美しい頃に、今風に派手好みでおられる匂宮の御心なので、ますます華やいだ気分になられ、一方、物思わしい人(中君)の御心の中は、何事につけても堪えがたい事のみ多くございました。

   ひぐらしの鳴く声にも、宇治の山影が恋しくて……、

      おほかたに聞かまし物をひぐらしの 声うらめしき秋の暮かな

       (訳)おそらく宇治では何気なく聞いたろうに、ひぐらしの声が恨めしい秋の暮だこと。

今宵はまだ夜が更けぬうちに、六君の所へおいでになりました。先駆の声がだんだん遠くなるにつれて、中君は涙が溢れ「我ながら醜い心だわ……」と思いながら、伏せておいでになりました。匂宮が初めから物思いをさせなさった頃のことなどを思い出すと、疎ましいまでに思われました。
「この悩ましき事(妊娠)も、どのようになるのでしょう。私はひどく命短き一族なので、このような機会に、命を落としてしまうのか……」などと思うと、命は惜しくはないけれど、悲しくもあり、またとても罪深い事である……」などと、眠れないままに、夜を明かしなさいました。

 その日は、后宮(きさいのみや)(明石中宮)がお具合が悪い…と聞いて、匂宮は急いで内裏に参上なさいました。誰も誰も、皆参り集いましたけれど「中宮は少し風邪を召されたようで、特別の事はありません」ということで、大臣(おとど)(夕霧)は、まず昼に 内裏を退出なさいました。薫中納言の君をお誘いになり、一つの御車で六条院に帰られました。今宵の儀式(三日夜の宴)には、どのような華麗な様を尽くそうか……と考えておられるようですが、限りのあることでございます。この君も大臣には気の置ける方ですけれど、親しいと思える人としては、自分の親族にそのような人もおられず、祝宴の引き立て役としては、また格別でおられる人だからでありましょう。いつもと違って、内裏より急いで参上なさって、何やかやとご一緒に六君をお世話なさるのを、大臣は人知れず「妬ましい」とお思いでございました。

 宵が少し過ぎる頃に、匂宮はおいでになりました。寝殿の南の廂(ひさし)の間の東寄りに御座所が作られました。御台八つ、いつもの御皿など美しく気品があって、又、小さい台二つに、花足の御皿など、大層今風に整えなさいまして、餅(もちい)を差し上げなさいました。
 三日夜の宴の珍しくもないことを、書き置くことこそ気に入らないことでございます。(草子地)

 大臣が宴席においでになり「夜がすっかり更けてしまった……」と、女房を介して、匂宮に祝宴に着くことを急がせ申しなさいましたけれど、大層ふざけなどなさって、すぐにも宴席においでになりません。北の方(雲居雁)の御兄弟の左衛門の督・藤宰相などばかりが伺候されました。
 宮がようやく席においでになったご様子は、誠に見る甲斐があるほど素晴らしいものでした。
 主の頭中将は匂宮に御盃を捧げて お膳をお勧めし、次々の御盃を二度、三度召し上がりました。源中納言(薫)も大層盃をお勧めなさいますので、宮は少し微笑みなさいまして、
「煩わしい所だ……」と、以前仰ったことを思い出したようですけれど、薫君は素知らぬ振りをして、大層真面目そうに伺候しておられました。

 東の対においでになって、お供の人々を歓待なさいました。世に評判の良い殿上人達もとても大勢おりました、四位の六人には女の装束に細長を添えて、五位の十人には三重重ねの唐衣、裳の腰も皆、位に応じて差があるようでした。六位の四人には綾の細長、袴など。また一方では、禄にも限りのあることを残念に思ったので、着物の色や、仕立てなどに善美を尽くしなさいました。匂宮の召次・舎人などの中には、不作法と思える程に大袈裟な者もおりました。誠に、このように賑わしく華やかな行事は、見る甲斐があり、物語などにもまず言い立てられるのでしょう。けれど詳しくは、数え上げられなかったとか……。

 薫中納言殿の御前駆の中に、あまり評判が良くなかったのか、暗闇に紛れて立ち混じっていた者が、三条宮に帰ってきて嘆くには、
「わが殿は、なぜか大人しく、この殿(夕霧)の御婿に迎えられないのだろう。味気ない独身住まいよ」と、中門の所で呟いていたのを、薫君が聞きつけなさって、可笑しくお思いになりました。
「夜が更けて眠たいのに、あの歓待されている人々は、心地よげに酔い乱れて、寄り臥してしまったようだ」と羨ましいようでした。薫君は自室に入って横になられ、
「今宵の宴は、体裁の悪いことだったなぁ。仰々しい親(夕霧)が出てきて座っていて、遠縁の仲ではないが、あちこちに火を明るく掲げて……しかしお勧め申した盃などを、匂宮はとても体裁良くお受けになったなぁ……」と、宮の振る舞いを無難であったと思い出しなさいました。
「誠に……自分でも、良いと思う女子(おんなご)を持ったなら、この匂宮をおいて、内裏に入内さえ させないだろうと思い、匂宮に差し上げたいとお考えになっている娘は、やはり源中納言(薫)にこそ……と言っているらしいことは、自分の評判が残念なものではないようだ。実は、あまり結婚に関心もなく、古風な男なのに……」など、心驕った気持ちにもなられました。
「内裏の事で、本当に今上の帝がご決意なさったことなら、私がこのように結婚を億劫に思っていたら、どのようにすべきだろう。面目がましいことではあるが……女二宮はどんな方なのだろう。故君(大君)にとてもよく似ておられたら、嬉しいのだが……」と思い寄るのは、やはりあまり結婚に関心がないという事ではないのでしょう。

 いつものように寝覚めがちで所在ない頃なので、按察(あぜち)の君(女二宮の女房)といって、他の女房よりは少し気に入っている者の部屋においでになって、その夜は明かしなさいました。夜明けを過ぎても、誰も咎める事でもないのに、急いで辛そうにお起きになったので、女は平気ではいられないようでございました。

   うち渡し世に許しなき関川を みなれそめけむ名こそ惜しけれ

     (訳)世間に許されぬ仲なのに、逢い続けているという評判こそ辛いのです

大層可愛らしいので、薫中納言は、

   深からず上は見ゆれど関川の 下のかよひは絶ゆるものかは

     (訳)深くないように見えますが、愛情の絶えることはありません。

深いと仰るのでさえ頼りないのに、これ以上の心の浅さはますます辛く思えることでしょう。
 妻戸を押し開けて
「誠に……十八夜の空をご覧なさい。どうしてこの月を知らぬ顔をして、夜を明かすことができようか。風流人を真似るのではないけれど、ますます秋の夜長を明かし難くなってゆく夜の寝覚めには、この世も後の世までも思いやられて、しみじみ感慨深いものである……」などと言い紛らわして、退出をなさいました。特に、趣きのある言葉の数を尽くす訳ではさないけれど、そのご様子が優美に見えるためか、女から「情けない……」などとは、決して思われることはなく、ちょっとした戯れ言を言いかけた女でも、「お側近くで、薫君の御姿を拝見したい……」と思うのか、強引に出家なさった母宮の御方に、縁故を尋ねて参り集まって仕えているので、身分に応じて気の毒な事が多いようでございました。

 匂宮は六君のご様子を、昼に拝見なさると、ますます愛情が深くなっていきました。背丈もほどよい方で、お姿はとても気品があり美しく、髪の下がり具合や頭の形など、他より特に 素晴らしく見えなさいます。顔色も美し過ぎる程で、厳かに気品のある顔で、目元は大層恥ずかしげに愛らしく、すべてに満足のいく人と言うのに足りない所がありません。二十歳に一つ二つ過ぎておいでになり、幼い年齢ではないので、不十分に足りない所はなく、華やかな盛りの花とお見えになりました。親が限りなく大切にお世話しておられますので、不十分なところがなく、親としては、この娘を心惑わす程に大切になさるのも、当然のことでありましたが、宮は ただ柔らかに愛らしく、可愛らしい点ではあの対の御方(中君)をまず、思い出されるのでございました。何かものを仰るお返事なども、恥ずかしそうになさいますが、あまり曖昧なことはなく、すべて大層見所が多く才気があるようです。伺候する女房達も、器量のよい若人達三十人ほど・童女六人。その中にも、整っていない者はなく、装束なども いつものように格式ばっていますが、匂宮が見馴れてお思いになるためか、今はあえて考えられないほど、趣向を凝らしておられました。
 三条殿腹(雲居雁)の大君を春宮に参内させなさった時よりも、この儀式を特に思いを込めてなさったのも、宮のご評判やご様子からのようでございました。

 この頃は、匂宮は 二条院に気楽にお渡りになることもできません。宮は軽々しいご身分ではないので、昼間などでも、思うままに退出なされません。やがて、以前 同じ六条院の南の町に住んでいた頃のようにおいでになって、日が暮れれば、再び六君を避けて 二条院に渡ることはできませんので、中君にとっては、匂宮を待ち遠しい折々がありました。
 「こうなることは分かっていたけれど、さしあたっては、このまま愛情の名残さえなくなるのでしょうか……。なるほど、思慮深い人ならば、自分が者の数にも入らない身分であることも知らずに、貴人に混じる生活など すべきではなかった……」と思うと、返す返す 山路を分けて出てきたことが 現実とも思われず、悔しく悲しいので、
「やはり宇治に、何とかして忍んで帰りたい。匂宮に無理に背くのではなくとも、しばらくの間、宇治にて心を慰めたい……憎らしそうに、宮をもてなしなどすれば、私を嫌いになってしまわれるでしょうから……」等と、心ひとつに思いはあまって、内心恥ずかしいけれど、薫中納言殿に御手紙を差し上げなさいました。
「一日の御事は阿闍梨が伝えてくれたので、詳しくお聞きしました。このように御心の名残がなければ、どんなにか父宮がいとおしく思うにつけても、心から感謝申し上げております。できますことなら、直接に御礼を……」と、陸奥紙に繕わず 真面目にお書きになってますが、とても美しげでございました。
 故宮(故八宮)の御忌日に、いつもの御法事などを、大層尊くさせなさいましたのを、中君はとても喜んでいらっしゃるご様子が大袈裟ではなく、本当に君の厚意を思い知りなさったようでした。いつもは、こちらより差し上げる御返事でさえ、打ち解けずに慎ましげに思って、はっきりとはお書きにならないのに、「直接に御礼を……」と仰ったのが 珍しく嬉しいので、薫中納言は心ときめかしなさいました。
 匂宮が艶やかに六君をお好きになる頃になり、中君を疎かにとりなしなさっている事が、とてもお気の毒に推し量れるので、中君が可哀相で、風流でもない御文を手にしたまま、何度も繰り返しご覧になりました。
「承りました。先日は聖のような姿で、殊更にこっそり参りましたが、悲しくお思いになる頃でしたので、「名残り」と仰ってくださるのは、少しは私の厚意が浅くなったようにお思いかと 恨めしく存知られます。万事は今からお伺いして……あなかしこ」と、真面目に白い色紙のごわごわしたものに書いてありました。

 さて、薫中納言は、次ぎの日の夕方に 二条院にお渡りになりました。中君を人知れず想う心があるので、大層心遣いをなさって、柔らかなお召物に 大袈裟な程に香を焚きしめ、お持ちになっている丁字染めの扇の移り香などさえ、例えようもなく素晴らしくなさっておいでになりました。
 中君もあの不思議な夜の事などを思い出す折々がないではないので、薫君の誠実で情の深い御心が、誰にも似ていないのを見るにつけても、「それなら 薫君の妻であったならよかった…」とお思いになるのでしょう。けれど幼いお年ではありませんので、恨めしい方(匂宮)の愛情を 薫君と思い比べると、何事も、ますます薫君をこの上なく良い方だと思い知りなさったのでしょうか。いつも隔てが多いのも お気の毒なので、
 「私をものの道理を弁えない者と、お思いになるだろうか」などと心配になって、今日は、御簾の内側に 薫君をお入れ申し上げて、母屋の御簾に几帳を添えて、ご自分は少し奥に入ってお逢いになりました。
「特にお呼びになったと言うことではありませんが、いつもと違って、参上をお許し下さった喜びに、直ぐにも参上したく思いましたが、匂宮がお渡りになるとお聞きいたしましたので、折が悪くては……と、今日にいたしました。一方では長年の誠意もだんだん分かって頂けましたのか、隔てが少しやわらぎ……御簾の内ですね。珍しいことです」と仰いました。中君にはやはりとても恥ずかしく、言い出す言葉もない気がしましたが、
「先日の故父宮の御法要について、嬉しく聞きました心の中を、いつものように、ただ仕舞い込んだまま過ごしてしまったら残念なので、感謝の気持ちの一部さえ、何とか知ってもらえようかと……」と、大層慎ましげに仰るのが、大層奥の方に身を引いて絶え絶えに、かすかに聞こえるので、心許なく思って、
「とても遠くでございますね。真面目にお話し申し上げ、また承りたい世間話もございます」と仰ると、中君は「なるほど……」とお思いになったのか、少し身動(みじろ)ぎして 近寄る気配をお聞きになって、ふと胸の高鳴る思いがなさいましたが、さりげなく、ますます平静を装った振りをして、
「匂宮の愛情は、意外にも、中君に浅くあったのか……」と一方では批判したり、また慰めたりしながら、それぞれ落ち着いて申しなさいました。
 女君(中君)は、匂宮への恨めしさなどは 口に出して申し上げるべき事でもないので、ただ、この世は辛いものと思わせて、言葉少なに紛らわしつつ、
「宇治の山里に、どうか私をお連れ下さい」と大層心をこめて申し上げました。
 薫中納言は、
「それについては、私の心ひとつではお世話できない事でございます。やはり匂宮に素直にお話しなさって、宮のお気持に従うのこそ、良いことでございます。そうでないと、少しの思い違いがあっても「中君は軽率だ……」と宮がお思いになったら、大変なことになりましょう。そういう心配さえなければ、宇治への道中の送り迎えも、私が自らお仕えして、何の遠慮がございましょう。人に似ぬ私の性格を、宮も皆、ご存知ですので、安心して……」などと言いながら、折々に、過ぎ去った方の悔しさを忘れる折もなく、「出来ることならば、昔を取り返したい…」等と仄めかしながら、だんだん辺りが暗くなる頃まで 御簾の内におられるので、中君は大層煩わしく思えて、
「それならば、気分も辛くなりますので、また気分の佳く思える時に、何事も……」と、奥にお入りになる様子ですので とても残念に思われて、
「それでは宇治行きを、何時頃に決行するおつもりですか。大層繁っていた道の草も少し払わせましょう……」と、ご機嫌をとって申し上げると、中君はしばし入りかけて、
「今月は終わってしまうでしょうから、九月一日の頃に……と思います。ただとても忍んでこそ、行うのがよいでしょう。何か世間の許可など、仰々しくは……」と仰る声が、大層大君に似て愛らしい……と、いつもより強く 昔を思い出しなさいまして……堪え切れず、中君が寄りかかっていらした柱の元の簾の下より、そっと手を伸ばして御袖を捉えました。
「やはりそうだったのか。あぁ嫌だ……」と思うものの、何も言うことができません。物も言わずにますます奥に入られると、薫君はついてきて、とても馴れた顔をして、身体の半分は御簾の内側に入って、中君に添い臥しなさいました。
「そうではありません。貴女は宇治に忍んで行くのが良い…と仰いました事が、私にとって嬉しく思えたのは、聞き違いでしょうか。それをお訊ねしようと思いまして……私をよそよそしくすべきことではないので……情けないお扱いをなさいますね」と恨みなさいますと、中君は返事をする気にもなれずに、憎らしく思う気にさえなるので、強いて思いを鎮めて、
「思いの他の御心でございます。女房たちがどう思いましょう。呆れたことを……」と仰って、泣きそうな様子をなさるのも当然なので、お気の毒だとは思いましたけれど、
「こればかりの対面は非難されるほどのことでしょうか。昔を思いだして下さい。亡くなった人(大君)の御許しもあったものを、貴女が甚だしく劣っているとお思いになるのこそ、かえって、嫌な気持がいたします。好色がましいとか、心外な心はない……とご安心なさって下さい」と仰って、大層穏やかに振る舞っておられますけれど、幾月も「悔しい」と想い続けていた心が苦しいまでになってゆくことを、つくづくと言い続けなさって、お袖を離す様子もありません。中君は、
「どうしよう……ひどい事と言っても、これは世の常でありましょう。かえって全く知らない人よりも恥ずかしく 気に入らない……」と、泣いてしまわれました。中納言は、
「これはどうしたことか、なんとも幼げない……」と言いながらも、その様子が何とも可愛らしく、お気の毒に思う一方で、中君のお心配りが深く、こちらが恥ずかしくなるような態度などが、宇治で逢った頃よりも、すっかり大人になられているようなので、
「この中君を他人のものにしてしまって、自分はこんなに辛い思いをすることよ……」と、心から悔しく思われ、遂には泣かれました。
 中君の近くにお仕えしている女房が二人ほどおりましたが、無関係の男が入ってきたのならば、これはどうしたことかと 近寄り集まろうけれど、親しく話し合っている御仲のようなので、
「何かあるのだろう……」と、側に居づらいので知らない顔をして、そっと離れて行ったのは、お気の毒なことでございました。
 男君(薫)は、匂宮に譲った昔を後悔する心の耐え難さなども 鎮め難い事ですが、昔でさえ滅多になかったお心配りなので、やはり思いのままに 無体な振る舞いはなさらないのでした。
 (このような場面は、詳しく語り続けることはできません。)
 不本意ながら人目に悪いことをあれこれ思い返しながら、退室なさいました。
 まだ宵とは思ったけれど、夜明けも近くなってきたので、見咎める人もあろうかと煩わしく思われ、中君のためにはお気の毒なことでした。
「お身体がお辛そうだと聞いていたご気分は、ご懐妊ゆえ当然のこと。とても恥ずかしいとお思いになっている腰の証(腹帯)を見て、酷くお辛そうに思えて……やめてしまった。いつもの馬鹿らしい心だなぁ……」とは思うものの、
「情けない振る舞いは、やはり不本意なことだろう。また一時のわが心の乱れにまかせて、身勝手な考えをおこして その後 気まずくなってしまうのも、分別のないこと。忍びの逢瀬をするのも苦労が多く、女があれこれ思い乱れることになるだろう……」などと思うのに、今も恋しく想うのは困ったことでございます。中君にこれからも逢わずにいられないとお思いになるのも、返す返す思うにまかせぬ恋心でございましょう。
 昔よりも中君は少し細くなられて、上品で可愛らしかった気配は 心離れたとも思えず、かえってわが身に添った心地がして、更に他のことは 考えられなくなってしまわれました。
「宇治にとても帰りたい」とお思いなのを、「そのようにお連れ申しましょう」などと思うけれど、「どうして匂宮はお許しなさるだろうか。そうはいっても、隠れて行くのはもっと不都合であろう。どのようにしたら 人目にも見苦しくなく、思い通りにいくのだろう……」などと、ただ呆然として、物思いして臥せっておられました。

 まだ大層早い朝、中君に御文がありました。いつものように 表面はとてもはっきりとした立文(たてぶみ)で、

   いたづらにわけつる道の露しげみ 昔おごゆる秋の空かな

     (訳)無駄に分け入った道の露が深いので、昔が思い出される秋の空です・・・

貴女のご様子を思うと大層辛く 訳も分からないので、何とも申し上げようもありません……」とありました。

 お返事を書かないのも、女房が見咎めるだろうけれど 大層苦しいので、
「承りました。今はとても気分が悪く お返事も申し上げられません」とだけお書きになりました。その御文をご覧になって「あまりにも言葉が少ない……」と、薫中納言は物足りなく思って、昨夜の美しかったご様子だけを、恋しく思い出しておられました。
 少しは男女の仲をご存知になられたのか。あれほど「意外で許せない……」と、腹を立てておられましたが、ただ一途に煩わしいというのではなく、大層いき届いていて恥ずかしげな様子も加わって、やはり慕わしく言い繕う等して 退出させた御心遣いを思い出すと、匂宮が妬ましく思えて、中君のことが様々に心にかかり、寂しく思われるのでした。
「何かあって、匂宮が離れて終わったならば、中君は私を頼りになさることだろう。そうなったとしても、世間に評判になって、気安い間柄(夫婦)にはならないだろうが、忍びながらも、これ以上想う人はなく、私の心に留まる人になるだろう……」などと、ただこのことだけを思うのはけしからぬ心でございます。あれほど心深げに賢人ぶっておられるけれど、男というものは、嫌なものであることよ……亡き人(大君)の御悲しみは、言っても仕方のないことで、とても こうまで苦しくはなかった今回のことを、いろいろと思い巡らせておられました。
「今日は匂宮が中君方にお渡りになります」などと女房が言うのを聞くと、後見人の心は失せて、胸の潰れる思いで「宮がとても羨ましい……」と思われました。

 匂宮は長い御無沙汰になるのは、ご自分でも恨めしくお思いになって、急に 中君のところにお渡りになりました。中君は、
「何としても、心隔てしているようには お見せするまい。宇治の山里へ帰りたいと思い立ったのに、頼りにしている人(薫)も嫌な御心をお持ちだった……」と、世の中を大層狭く辛いとお思いになられて、
「やはり私はとても嫌な身の上なのだわ……ただ死ぬまでの間は あるがままに任せて、大らかに過ごしていよう……」と諦めて、大層愛らしく心優しい様子で振る舞っておいでになりますと、匂宮はますます可愛らしくお思いになって、御無沙汰などの言い訳を繰り返し仰いました。
 中君は御腹も少しふくよかになられたので、あの恥じらいの証の腹帯が結ばれている姿などをご覧になり、今までこのような人(妊婦)を近くでご覧になったこともなかったので、目新しくお思いになりました。匂宮は心打ち解けぬところに居続け馴れて、中君方を万事に気楽に慕わしくお思いになりますので、きちんとした将来を 尽きせずお約束なさるのを聞くにつけても、
「このように、男とは口先ばかりが上手なのではないか……と、無理を頼んだ人(薫)のご様子も思い出されて、長い年月、心情深い御気持の方だと ずっと思い続けてきたけれど、この度のことでは、薫君をも「許せない…」と思えるので、匂宮の将来の約束は「どうなのだろうか……」と、耳が留まるのでございました。
 「それにしても、薫中納言殿は 呆れる程に油断させておいて、御簾の内に入ってきたことよ。昔の人(大君)に、疎遠のまま終わってしまった事などをお話し下さったお気持は、本当に有り難かったけれど、やはり打ち解けることがあってはならないようだ……」等と、一層心遣いなさるにつけても、匂宮が久しくお渡りにならない時には、とても怖ろしいように思われるので、言葉には出さないけれど、今までよりは少し馴れ親しんだように 振る舞っていらっしゃいますので、宮は、
「ますます限りなく愛しい……」とお想いになりました。けれども中君の衣に薫中納言の移り香がとても深く染みているので……普通の香を焚きしめたのに似ず はっきりと薫君の香なので、香道に詳しい匂宮ならばこそ「不思議なことだ……」とお咎めなさいまして、一体どうしたことか……と、様子を覗いなさるので、中君には予想外の事でもないので 言いようもなく大層困って、とても辛いとお思いになりました。
「それごらん……必ずそういうこともあるだろうと思っていた。薫君も平気ではいられなかったのだろう」と、御心が騒ぎました。単衣のお召し物なども 脱ぎ換えなさいましたが、不思議と香りが、意外にも中君の身に染みついていたのでした。匂宮は、
「こればかりは……薫との間に、何もかも許したのだろう…」と、聞き難いことを 仰り続けるので、中君は大層辛く 身の置き所もありませんでした。
「貴女を格別に想い申し上げるのに、自分から先に、このように夫に背くのは、異なる人のすることです。又、御心を隔てる程の時が経ったのでしょうか。貴女は思いの他に、辛い御心をお持ちなのですね」と、全て人に伝える事が出来ない程に酷いことを仰いますので、中君はお返事をなさいません。それまでもが憎らしく、

   また人になれける袖の移り香を わが身にしみてうらみつるかな

     (訳)他の人に馴れ親しんだ袖の移り香が、わが身に染みて恨めしいことだ……

 女(中君)は意外な仰りようが続くので、申し上げようもないのですが、黙っているのもどんなものか……と思って、

   みなれぬる仲の衣と頼みしを かばかりにてやかけ離れなむ

     (訳)見馴れない衣の香りくらいで、信頼してきた夫婦仲も
        切れてしまうのでしょうか……

と、お泣きになる様子が 限りなく可哀相なのをご覧になって、
「これだからこそ……」と、ますます苛立って、ご自分も涙をぽろぽろと溢しなさいますのは、何とも色好みらしい御心でございます。本当に大変な過ちがあったとしても、一途に疎みきることができません。中君が愛らしくお労しい様子をしていらっしゃるので、恨みを晴らすこともできずに、恨み言を言い差しなさっては、一方でお慰めなさいました。

 翌日も宮はゆっくりと寝過ごしなさって、御手水・御粥などを、中君方にて召し上がりました。お部屋の丁度類なども、六君の輝くばかりの高麗・唐土の錦・綾を重ねているのを見慣れた目には、ここは世間並みの心地がして、女房達の萎えたような着物が混じる姿などを、とても静かに見回されました。
 中君は 柔らかい薄色などに撫子の細長を重ねてお召しになり、心乱れていらっしゃるご様子が、大層優美に思えて、仰々しい程に女盛りの六君の御装いが、何事にも思い比べられるけれど、中君は少しも劣るところもなく、親しみがあって美しいのも、匂宮の愛情が疎かにはならないので、六君に対し 恥じるようなことはないようです。丸く美しく肥えていらっしゃる中君が、妊娠により、少しお痩せになったのに、肌色はますます白くなられて、上品で素晴らしく見えます。あの薫君の御香りなどがはっきりしない時でさえ、愛敬があって愛らしいところが、やはり人よりはずっと勝っていると思えるので、
「兄弟でない男が、この中君と身近で話しを通わして、事に触れて 声や気配を聞いたなら、どうして平気でいられようか……必ずや、薫君の如く 想いを寄せることになるだろう……」と、宮は 自分が大層隔て心のないご性格から 思い知られるので、常に気にかけて、
「はっきりした証となるような 御文などがあるかもしれない……」と、近くの御厨子・小唐櫃などを、さりげなくお捜しになりましたが、そのようなものはありません。ただ薫君からのきっぱりした言葉少ない普通の手紙などが、わざとでもなく物に取り混ぜてあるのを見つけて、
「怪しい……。やはりこれだけではないだろう……」と疑われるので、ますます今日は不安にお思いになるのも当然なことでございました。

 あの人(薫)の様子も、心ある女性なら素晴らしいと思うに違いないので、意外な人として放っておこう。とても仲のよい二人なので、互いに想い交わるのだろう……」と、匂宮はお思いになると、寂しく腹立たしく 妬ましく思われました。やはりとても中君のことが不安なので、その日も二条院を退出なさることができません。
 六条院には御文を二度三度差し上げなさいましたが、
「いつのまに、積もる御言葉なのでしょう……」と、つぶやく老女房などもおりました。


 中納言は、匂宮がこのように中君のところにお籠もりになっておられるのを聞き、心やましくお思いになりましたが、
「仕方ない。これは我が心が馬鹿らしく愚かだったからだ。安心な後見人として決めた中君を、このように恋しく想ってよいことだろうか」と、強いて思い返しては、
「そうは言っても、匂宮は中君をお捨てにならなかったようだ……」と嬉しくもあり、伺候する女房達の様子などが 優しい程に着古した着物を着ているのを気遣いなさいまして、母宮(女三宮)の所にお出かけになりました。
「適当に仕立て上がった着物はありませんか。使いたい事があるのですが……」と申しなさいますと、母宮は、
「例の来月の法事の御布施に用意した白い物はありましょう。染めた物などは、今は特別に作り置かないので急いで作らせましょう」
「仰々しい用事ではありませんので、すでにあるもので……」と、御厘殿(みくしげどの)(内裏の御衣を管理する所)などに問い合わせなさって、女の装束などを沢山、美しい細長や白い掻練など 今あるもので
染色していない絹・綾などを取り揃えなさいました。中君自身の御召物と思われるものには、ご自分の着物になる紅の擣目(うちめ)の着物に、白い綾などを多数重ねなさいましたが、袴の具はなかったので、どうしたのか……腰紐が一本あったのを結び加えなさって、

   結びける契り異なる下紐(したひも)を ただひとすぢに悩みやはする

       (訳)契りを結んだ相手が違うので、ただ一途にどうして恨んだりしようか

太輔の君という年配の親しい女房に、お手渡しになさいました。
「とりあえず 見苦しいところを、貴女が上手にお隠しください」と仰って、中君の御着物については こっそりと箱に入れ、包みも格別になさいました。大輔の君はご覧にはならないが、以前から、このような御心遣いは常のことで馴れているので、わざとらしく返すような固辞すべきことではないので、
「どうしたものか……」とは思い煩わず、女房たちに配り分けなどしたので、女房たちは各々、縫い物などを致しました。若い女房で、中君の御前近くに仕える者などは、特別に繕うつもりなのでありましょう。下仕えの者などの中で酷く縒(よ)れた姿の者も、白い袷(あわせ)などを着て派手でないのが、なかなか心地よく見えました。

 何事につけても 薫中納言以外で、誰が中君を後見申し上げる人があるだろうか。匂宮は並々ならぬ愛情で後見しようとお決めになりましたけれど、細かにある内々の事までは、薫君のようには、どうしてお考えが及ぼうか。皇子として、限りなく人に傅かれてお育ちになり、それに馴れておられるので、世の中がうまくいかず 寂しいことがどんなものか…ご存知ないのも当然のこと、
 「風流を好み、そぞろ寒くとも 花の露を弄(もてあそ)んで 世は過ごすもの……」とお思いになる事以外、愛する人(中君)のために、折節につけ 細かくお世話するのも、有り難くも珍しい事のようでした。「どんなものか…」などと、非難がましく申し上げる御乳母などもおりました。
 童べなど 身なりの見窄らしい者が、折々 混じりなどしているのを、中君は大層恥ずかしく、
「二条院は素晴らし過ぎる住まい……」などと、人知れずお思いなることが ないわけではないのですが、ましてこの頃は
 「世に響いた六君のご様子の華やかさに比べると、一方では、匂宮に仕える女房たちの見たり思ったりすることも、まともな人間らしくない……」と、思えることに加えて、嘆かわしく思っているのを、中納言の君は 実に良くお察し申しなさるので、親しくない人なら、見苦しくごたごたするに違いない御心配りも、中君を軽蔑するというのではなく、例え「大袈裟に 着物を誂えたという得意顔でいても、やはり見咎める人もあるだろう……」とまで気遣いなさいました。
今はまた いつものように 見苦しくない物などを整えさせなさって、中君の御小袿を織らせ、綾の着物などを差し上げ等なさいました。
 この中納言も 宮に劣らず 特に大切に育てられ、不都合なまでに心驕りもし、世の中を悟り澄まして、高貴な気持ちはこの上なくお持ちだけれど、宇治の故八宮の山住まいをご覧になって以来、寂しい所のお気の毒さは格別であると 心苦しくお思いになって、全ての世のことをも思い巡らし、深い情をも習いなさいました。 大層お気の毒な 八宮の影響…と 言うべきでしょう。
 「こうして何とか、安心で信頼される後見人として 人生を終えよう……」と思うのに、心が従わず、中君への想いが心に募って胸が苦しいので、以前よりは細やかに、ともすれば、忍びきれないお気持ちを見せながら 御文など差し上げるので、
「私は大層辛いことが加わった身の上ですこと……」とお嘆きになりました。
「全く知らない人ならば、体裁悪い思いをさせて放っておくのも簡単なことだけれど、昔から、格別に信頼していた人として慣れてきて、今さら 仲が悪くなるのもかえって人目に悪いことだろう。そうは言っても、浅くはない御気持やご様子の有り難さも、私は知らない訳ではない。かといって、心交わしあっている風を装うのも、大層慎まれるし、どうしたらよいだろう……」と、中君はいろいろに思い乱れなさいました。伺候する女房達も、少し相談しがいのある若い女房は、皆 新しく、見慣れた者としては、あの山里の古女房たちがいるけれど、悩んでいることを、中君と同じ立場で 親しく相談出来る人のおりませんので、やはり亡き大君を恋しく思い出さない折はありませんでした。
「大君が生きていらしたら、この薫君が、私に愛情などお持ちにならなかっただろうに………」と大層悲しく、匂宮に辛く扱われる嘆きよりも、このことが大層苦しく思われるのでした。

 男君(薫)もむやみに思い悩んでおられまして、いつものように もの静かな夕方に、中君方においでになり、端に御敷物を差し出させなさいました。
「とても苦しい時なので、何も申し上げることができません」と、中君が女房を介して申し上げるのをお聞きになり、とても辛くて 涙が落ちそうになるのを、人目に隠しひたすら紛らわして、
「お苦しみの折には、知らぬ僧なども近くに参り寄るものです。薬師(医者)などと同じように、御簾の内には入ることはできませんが、このように、人を介してのご挨拶は、参上した甲斐もない気が致します」と仰って、大層不愉快なご様子ですのを、昨晩、二人の様子を見ていた女房達は、
「誠に……とても見苦しくいらっしゃるようです」と、母屋の御簾を下ろして、夜居の僧の座に、
薫中納言をお入れしますので、中君は本当に気分も苦しいけれど、女房がこう言うので、ひどく拒むのもまた、どんなものか…と遠慮なさいまして、嫌だけれど 少しいざり出てお逢いになりました。中君が大層かすかに 時々ものを仰る気配に、故大君がお辛そうだった頃を まず思い出されるのも、不吉で悲しいことですので、暗い気持ちになられ、直ぐには何も言うことができずに躊躇いながらお話し申しなさいました。中君がこの上なく奥の方におられるのが辛くて、簾の下より几帳を少し押し入れて、いつもの馴れ馴れしい様子で 近寄りなさいましたが、中君はとても苦しいので、
「困ったことだ…」とお思いになって、少将の君という女房を近くにお呼びになり、
「胸が痛い。暫く押さえていてほしい……」と仰いました。それを聞いて、
「胸を押さえたら、更に、とても苦しくなりますよ」と嘆いて、座り直しなさる時も、内心は穏やかではありません。
「どうして、貴女(妊婦)はこのように、いつも苦しそうになさるのかと、人に問いましたところ、『しばらくの間は気分が悪くなりますが、また良い折もあります……』などと教えてくれました。貴女はあまりにも幼げに、お振る舞いのようです」と仰いますと、中君はとても恥ずかしそうになさって、
「胸はいつともなく このようです。昔の人(大君)もそのようでした。長生きしない人の病気と、世の人も言っているようです」と仰いました。
「誠に、誰もが千年も生きる松ではない一生よ……」と思うには、中君の様子がとても苦しそうで可哀相なので、この呼び寄せた少将の君が聞くのも構わずに、側で聞かれるといけない事は 言わないように言葉を選んで、昔から中君を想い申し上げていた様子などを、中君の御耳一つに分かるように、他の女房には聞こえないように、体裁良く仰るので、
「誠に、ありがたき御心遣い……」と、少将の君は聞いているのでした。薫中納言は何事につけても、今も大君のことを尽きせず 想っておられました。
「幼かった頃から、私は世の中を捨てて 一生を終わりたいという意志だけは持っておりましたが、そのためか、疎きものながら、大君を心から真剣に想い染めておりましたために、あの本意の聖心を違えてしまったのでしょう。慰め程度に、あちらこちらと女性のもとにかかわって、女性の有様を見るにつけても、悲しみの紛れることがあろうかと 期待する折々はありましたが、全く 他の女性に気持ちが靡くことはありませんでした。万事に困り果て、強く心惹かれる方もいなかったので、好色がましいようにお思いだろう…と 恥ずかしいけれど、私に御心をかけて頂ければ、嬉しい事でございます。ただ、この程度のことで、時々 思う事を申し上げたり承りなどして、心隔てなく貴女とお話しを交わすのを、誰が咎めたりいたしましょうか。私の、世間の人と似ない心のほどは、誰からも非難されるはずはないので、やはりご安心なさってください……」などと、恨んだり泣いたりしながら 申しなさいました。
中君は、
「貴方を気がかりに思い申し上げたら、このように人が『妙だ……』と 見たり思ったりするまで、お話しを申し上げましょうか。長い年月、いろいろな事につけて、貴方の御厚情を分かってきましたので、今では御血縁のない後見人として、私の方からお願い申し上げております……」と仰れば、薫中納言は、
「そのような折があったとも覚えておりませんので、誠に賢明な事と思って 仰るのでしょうか……。この山里へのご出立の準備には、かろうじて 私を召し使わせて頂きましょう。それも、私の心をご覧になり分かって下さる方であってこそ……と、真剣に思っております」等と仰って、やはりとても恨めしそうではありますが、聞いている人(少将の君)がいるので、思うままにどうして 話し続けられましょうか。

 外の方を眺めていると だんだん暗くなってきて、虫の声ばかりが紛れなく聞こえ、庭の築山の辺りの少し暗い方は 何も見えないので、大層ひっそりと 物に寄りかかっておられるのも、煩わしい…と、内心ではお思いになりました。
「恋しく想うのも、限りがある……」など、大層忍んで口ずさんで、
「私が困っているのをお分かりください。音無の里も訪ねたいけれど、あの宇治の山里の辺りに、特に寺などなくても、昔想った人(大君)の人像(ひとがた)(人形)でも作って、絵に書き留めて勤行したい…と思うようになりました」と仰いますと、中君は、
「しみじみとした御本願に、また嫌な御手洗川に近い気がする人形を思うと 可哀相でございます。黄金を求める絵師が居たら、気がかりでございませんか……」と仰るので、
「そうですよ。その工匠(たくみ)も絵師も、どう私の心に叶う技を持っておりましょうか。最近花を降らせたという工匠もおりましたが、そのような変化(へんげ)の人でも居てくれたら……」など、あれこれと忘れる方法のない旨をお嘆きなさる様子が、とても心深げなのもお気の毒なので、中君は、今少し近くに滑り寄って、
「人形のついでに、私はとても不思議で意外な事を思い出しました」と、仰る気配が少し優しいのも嬉しく、しみじみとして、
「どんなことですか」と言いながら、几帳の下から手をお取りになるので、中君はとても煩わしくお思いになり、
「何とかして このような心を止めさせて、穏やかな交際をしたい……」と、近くにいる人(少将の君)が変に思う事も困るので、強いてさりげなく振る舞っていらっしゃいました。

 中君は、
「今までは、この世に居るとも知らなかった人が、この夏頃、遠方より出てきて、私を訪ねて参りました。……疎く思う事の出来ない 縁続きのですけれど、また急に、どうして親しくできましょうか……最近、来た時には不思議なまでに 昔の人(大君)のご様子に似ていたので、しみじみと悲しく思われました。形見など…私を姉妹とお思いになるには、何事も呆れるくらい似ていない……」と、女房達は言っておりましたが、姉妹でもない人が どうして似ているのでしょう」と仰いますのを、薫中納言は、
「夢に見た話のことでも言っているのか……」とお聞きになりました。
「そのような血縁があればこそ、貴女を親しく思い申し上げるのでしょう。どうして今まで、私に少しも話して下さらなかったのでしょう」とお尋ねになりますと、
「さぁ、その理由も どのようなことであったか……分かりません。頼りなさそうな有様で……私達姉妹が世に落ちぶれ 流離うことになろうかと、父八宮が後ろめたくお思いになった事などを、亡き姉はただひとり、掻き集めて思い知ることになり、また その人のつまらぬ事を 世間が聞き伝えることになるのは、とてもお気の毒でございます」と 仰る様子を見ると、
「八宮がひそかに情をおかけになった女が、子を産んだのだろう……」と分かりました。
「大君に似ていた…」と、仰った理由に耳が留まって、
「それだけでは……同じことなら、終わりまで仰ってください」と聞きたがりなさいましたけれど、やはり何といっても、側に居て胸痛む事なので、細かく申し上げることができませんでした。
中君は、
「その人を訪ねたい…と思う御心があるならば、その辺りを申し上げますけれど、詳しくは分かりません。また、あまり言うのも期待はずれになるでしょうから……」と仰いますので、
薫中納言は、
「大君の魂の在り処を訪ねるなら、海の中までも 心の限り進んで行きましょうが、私には とてもそうまでしようとは思はないけれど、このように心慰める方法のないのよりは……と思います。
 大君の人形の御願ぐらいには、どうして其の人を、山里の本尊に対しても思ってはいけないのでしょうか。やはりはっきりと 其の人の事を仰ってください……」と、急に責め申しなさいました。
「さて、故父宮の御許しもなかった事を、こうまで漏らし申し上げるのも、とても口が軽いようですが、変化の工匠をお捜しになるのはお気の毒に思いますので、このように……」
「とても遠い所に、其の人は長い年月過ごしておりましたが、母である人が大層残念に思って、私を無理に訪ねたいと言ってきたのです。体裁も悪く お返事も出来ずにおりましたところ、其の人が逢いに参ったのです。ほんの少しの間でしたが、私が思ったほど見苦しくなく見えました。この姫君をどのようにお育て申そうか……と、母が嘆いていたようですが、出家させるのは耐えがたいことでありましょう。そこまでは どうかしら……」などと申し上げました
 「さりげなく、この中納言の煩わしい御心を、何とか止めさせる方法はないものか…と、中君が思っておられる…と見るのは辛いけれど、やはり あってはならない事と深く思うものの、あからさまに体裁の悪いように、私をもてなすことはできないのをよくご存知でいらっしゃる……」と思うと、心はときめくようでした。
 夜も大層更けていきました。御簾の内側では、人目に体裁悪いとお思いになって、隙を見て 奥に入ってしまわれましたので、男君(薫)は当然とは思うものの、やはりとても恨めしく残念なうえに、恋しい想いを鎮める方法も無いような心地がなさいました。涙が溢れるのも体裁が悪いので 万事に思い乱れ、もし浅はかな振る舞いをしたなら、自分にとってもやはり 嫌な良くないことと 思い返して、いつもより嘆きがちにご退出なさいました。
「このように中君のことを想ってばかりいては どうしたらよいのだろう。何とも苦しいことだ。どうにかして 大方の世間にもあるような様子で、非難されずに、中君への想いを叶えることができようか……」などと、今まで恋の経験のない人柄からか、自分のため 中君のために、心穏やかでないことを、むやみに悩み明かしておられました。
「似ている…と中君が仰った姫君を、どうして本当と見ることができようか。その姫君はその程度の身分なので、思いを寄せるのは難しいことではないが、私の願い通りでなかったら、遂には困ったことになるだろう」など、やはりその方には 気が向きませんでした。


 宇治の宮邸を久しく訪れない時には、ますます昔の人(故大君)が遠くなる心地がして、何となく心細くなられ、九月二十日過ぎの頃に、宇治にお出かけになりました。ますます風が 木の葉を吹き払って、心に響く荒々しい水音ばかりが 山荘を守っているようで、辺りには人影も見えません。昔を思えば、まず心が真っ暗になり、悲しいことだけが限りなく思い出されます。
 辨の尼をお呼びになりますと、障子口に青鈍色の几帳を差し出して、出て参りました。
「大層畏れ多いことですが、以前にも増して 大層年をとり醜くなりましたので、お逢いするのが躊躇われます…」と直にはでてきません。
薫中納言は、
「いかに物思いされていることだろう…と気掛かりになりましたので、私と同じ心の人もいないので、昔話を申し上げようとやって来ました。儚く積もる年月でございます……」と、目に涙を浮かべておられますので、老人(辨の君)は、ますます涙が止めどなく流れました。
「中君のことで、何の甲斐もなく 大君が物思いをされていた頃と、同じ空でございます」と思い出すと、いつとは言えぬ中でも、秋の風は身に染みて辛く思い出されました。
「誠に、大君がお嘆きになったとおり、匂宮と中君の御夫婦仲の様子を仄かに承りますと、中君が
さまざまにお気の毒でございます……」と申し上げますと、薫君は、
「あのようになった事も、命長らえば、又 直るようなこともあるので、匂宮を情けない人と 思い込んでいたのは 私の過ちのようで、やはり大君が亡くなられたことが悲しうございます。匂宮のこの頃のご様子は、どうして…それこそ世の常のことです。けれど、中君にとっては、頼りないとはお見え申さないようです。虚しく空に昇る煙だけが、人は誰も逃れる事はできない運命ながら、遅れたり先立ったりする間は、やはり何とも甲斐のない運命なのです……」と仰って、またお泣きになりました。

 阿闍梨を呼んで、例の大君の御命日のお経や佛の事などを申し置きなさいました。
「ここに 私が時々 来るにつけても、言う甲斐ない事が心に重く思い出され、何の役にも立たないので、この寝殿を壊して、阿闍梨の山寺の傍らにお堂を建てようと思います。……同じことなら早く始めたい」と仰って、お堂を幾つ、回廊などあるべき物を書き出して、申し置きなさいますので、阿闍梨は「大層、尊き功徳」とお教え申し上げました。
「昔の人(故八宮)が、風情ある御住まいとしてお造りなさった山荘を取り壊すのは、情がないようだけれど、その御心も功徳を勧めるように努めておられました。けれど、後にお残りになる姫達を思いやって、そのようにお出来にならなかったのだろう……匂兵部卿の宮の北の方こそは、この山荘をご存知なので、匂宮の御領地といっても良い。それならば、このまま寺にすることは、不都合であろう。心の思うままにすることはできない……。場所柄もあまりにも河辺の近くで 人目につくので、やはり寝殿を壊して、違う所に作り換える所存でございます」など仰ると、阿闍梨は、
「あれこれとても賢明なお考えでございます。……昔、子との別れを悲しんで、その屍(かばね)を包んで、長い年月、頸にかけていた人も、佛のお導きで、その屍の袋を捨てて、遂には佛の道に入ったと聞きます。この寝殿をご覧になるにつけても、大君に御心が動きますのは、ひとえに罪深い事でございますから、寺にするのは又、後世の善の勧めともなるべき事でございます。急いで工事にお仕え申しましょう。暦の博士が選び申した日を承って、建築に詳しい工匠二、三人賜り、細かい事などは、佛の御教えのままにお仕え申しましょう」と応えました。
 薫中納言がいろいろお決めになって、荘園の人々を呼んで、この度の事などを、阿闍梨の仰るがままに なすべきこと……など仰せになって、儚く日が暮れたので、その夜は 山荘にお泊まりになりました。

 「この度こそは、寝殿を詳しく見ておこう」とお思いになって、立ち巡りながらご覧になると、故八宮の佛などみな、阿闍梨の寺に移してあるので、尼君の勤行のお道具だけが置いてありました。辨の尼がとても頼りなさそうに住んでいるのを、しみじみと……どのように暮らしておられるのだろうと ご覧になりました。
「この寝殿は作り替えて、建て直すことになりました。完成までは、あちらの渡廊にお住まいなさい。京の宮邸(中君方)に、お移しした方が良い物などあれば、私の荘園の人を呼んで、そうすべき様に申しつけて下さい」など、細々とした事などを話しなさいました。
 この山荘の外では、辨の尼のように年をとった尼を 何かとお世話なさるはずもないので、夜も近くに寝させて、昔物語などおさせになりました。辨は、故大納言の君(柏木)のご様子について、外に聞く人がいないので安心して、大層詳しくお話し申し上げました。
「大納言の君がご臨終となられた頃に、珍しく貴方の生まれたばかりのご様子を知りたい…と思われたことなどが思い出され、このように思いがけない晩年に、貴方様にこうしてお会いできますのは、生前に親しくお仕え申した証が、自然と現れたのでしょう。嬉しくも悲しいことでございます。情けない命のほどに、このようにさまざまな事を拝見して過ごして参りましたが、長い命を大層恥ずかしく辛く思っております。宮(中君)からも『時々は、京にも参り来て お逢い下さい。宇治にぼんやりと絶え籠もっているのは、このうえなく他人のようです……』などと仰る折もありますが、私は忌まわしい身の上で、阿弥陀仏より外に、今はお逢いしたい人もなくなりました……」などと、申し上げました。
 故大君のことなども、長い年月のご様子などを尽きせず話して、「何の折には何を……」と仰り、花・紅葉の色を見ては、儚くお詠みになった歌の話などを、震え声でしたけれど しみじみと語りました。
「大君は、おっとりとして言葉少ない方でしたけれど、風雅なご性質だった……」と聞いていて、ますますそうお思いになりました。
「宮の御方(中君)は、姉君より少し今風に華やかで、心許さない男性に対しては、体裁の悪いもてなしをなさるようでしたが、私には、とても心深く情愛のないようには見えず、姉君亡き後、何とか過ごしていこう…とお思いのようでございました」など、心の中で二人を思い比べました。そして何かのついでに、辨は、あの形代(かたしろ)(人形)のことを言い出し、
「京に近頃、形代がいるとは存じません。人伝に承ったことでしょう。実は、故宮(八宮)がまだこのような山里住まいもなさらず、故北の方が亡くなられ その間近かった頃、中将の君といってお仕えしていた上臈(じようろう)がおりまして、性格なども悪くはなかったけれど、八宮が大層忍んで、儚いほどに情をおかけになり、女の子を産みました。けれど誰もそのことを知る者はおりませんでした。
 八宮は『自分の御子であろうか……』とお思いになることもありましたが、煩わしくお思いになって、二度と 中将の君とお逢いになることもありませんでした。つまらないその事に懲りて、やがて聖になられましたので、中将の君は宮仕えを辞めてしまいました。その後、陸奥守の妻になって下りましたが、先年、京に上った折、その姫君もご無事でいらっしゃる旨を、こちらに仄めかし申してきましたが、それを聞きつけなさった八宮は『更に、そのような消息は無関係である……』と無視なさったので、中将の君は育てた甲斐もないと嘆いておりました。その後、常陸守になって下りましたが、ここ長年、音沙汰ありませんでした。
 この春、その中将の君が京に上って、中君を訪ねて来た…と聞きました。その姫君のお年は二十ばかりになられたでしょうか。とても可愛らしくお育ちになったのが 大層悲しい…などと、近頃手紙にまで書き綴ってまいりました」
「それならば、中君の仰ったことは 真実のことのようだ。逢ってみたいものだ……」と、思う気持が出てこられました。
「大君の様子に少しでも似ている人ならば、知らぬ国までも 訪ねて知りたいという気持があるので、八宮が御子として数えなさらなかったけれど、考えれば その姫君は身近な人(姉妹)でもあるのだ。もし この宇治の辺りに便りを寄せる機会があったなら『中納言が逢いたいと言っていた…』とお伝えください」などと辨に言い置きました。
「姫の母君は故八宮の北の方の御姪で、私も縁続きの間柄ですが、その当時は 別の所におりまして、姫のことを詳しく存じませんでした。先頃、京の大輔の元から申してきたことは、
「この姫君が、何とか 八宮(故父宮)の御墓にお詣りしたい…と仰っているそうで、そのつもりでいなさい……」などとありましたけれど、まだここには 特に便りはないようです。今、もしそうなったら、ついでに薫中納言の仰せ言をお伝えいたしましょう……」と申し上げました。

 夜が開けたので、京にお帰りになろうとして、昨夜、遅れて持って参った絹・綿などを、法師たちや尼君の下仕えの人達の料としてお与えになりました。
山荘は心細い住まいだけれど、このような御見舞いが絶えずあるので、辨の君は身分の程には、大層体裁よく、物静かに勤行して過ごしておりました。

 木枯らしが絶えがたいほど吹き通すので、残る木末もなく、散って敷きつめた紅葉を踏み分けた跡も見えない風景を見渡して、すぐにはお帰りになれません。大層趣きある深山木に絡みついた蔦の色がまだ残っていたので、「せめてこの蔦の一枝でも……」と、折り取らせて持たせなさいました。中君へ…とお思いだったのでしょうか。

   宿り木と思ひ出でずば木のもとの 旅寝もいかに寂しからまし

     (訳)昔泊まった家と思い出さなければ、
         木の下の旅寝も、どんなに寂しかったことでしょう……

 と、独り言を仰るのを聞いて、尼君は、

   荒れ果つる朽木のもとを宿り木と 思い置きける程の悲しさ

     (訳)荒れ果てた朽木のもとを、昔泊まった家と覚えていて下さるのが悲しい……

 どこまでも古風だけれど、大層風情があり、少しの慰めに……とお思いになりました。


 中君に紅葉した蔦を届けさせなさいますと、ちょうど匂宮がおいでになる所でした。
「南の宮(薫)から……」と言って、童が何心もなく持って来たので、中君は、
「いつもの難しい事を……」と、苦しくお思いになりましたが、どうして隠すことが出来ましょうか。匂宮は「美しい蔦ですね……」と、ただならず仰って、手に取ってご覧になりました。
薫中納言からの御手紙には、
「この頃はいかがお過ごしですか。私は山里に行きまして、ますます峰の朝霧に迷いました。その物語などもお逢いした折に……あの寝殿を御堂に作り替える事を、阿闍梨に申しつけて来ました。貴女の御許しを得てから、外の場所に移すことも致しましょう。辨の尼君に、然るべき仰せ事がありましたら 仰ってください」等とありました。匂宮は、
「よくもまぁ、つれなく書かれた手紙だなぁ。私がごこに居ると知って書かれたのだろう」と仰るのも、少しは なるほどそうであったのでしょう。中君は、特別な事が書いてないのを嬉しくお思いになって、匂宮が強いてこのように仰るのを、本当に困ったことだ…と、恨んでいらっしゃるご様子は、全ての罪を許したくなるほど美しくいらっしゃいました。匂宮は、
「お返事をお書きなさい。私は見ませんから……」と、外をお向きになりました。甘えて書かないのも変なので、
「宇治の山里への外出が羨ましうございます。あちらは、そのようにするのこそ、良いことと思っておりましたが、特に山奥の巌の中に住処を求めるよりは、山荘を荒らし果ててしまいたくない…と思っておりますので、適当にご配慮下されば有り難く存知ます」とお返事なさいました。
「このように、二人は憎い様子もない交際のようだ……」とご覧になりながら、ご自分の浮気なご性分から、二人の仲はただならぬ…」ともお思いになるので、落ち着いていられないのでしょう。

 枯れ枯れになった前栽の中に、尾花が手を差し出して 招いているように見えるのが面白く、まだ穂の出かかった薄(すすき)の、露を貫き止める玉の緒が 頼りなさそうに靡いているのをご覧になって、いつもの事ながら、夕風がやはりしみじみと感じられる頃なので、

   穂に出でぬ物思ふらし篠薄(しのすすき) 招く袂(たもと)の露しげくして

     (訳)外にはださないけれど物思いしているらしいですね。
      篠薄が招くので、袂の露がいっぱいです……

 着慣れたお召し物に直衣だけを着て、琵琶をお弾きになりました。黄鐘調(こうじきちよう)の掻き合わせを大層しみじみとお弾きになるので、中君も琵琶には心得がおありなので、物恨みもなさらずに、御几帳の端から脇息に寄りかかり、少し顔を差し出して……本当にずっと見ていたいほど、愛らしくいらっしゃいました。

   秋はつる野辺の景色の篠薄 ほのめく風につけてこそしれ  
     
      (訳)秋の終わりは 野辺の景色の篠薄に吹く 仄かな風によって知られます。

自分一人の秋ではありませんが……」と涙ぐまれましたが、さすがに恥ずかしいのか、扇で隠していらっしゃるのも、心の内が愛らしく推し量れますけれど、匂宮には、
「これだからこそ、相手も諦められないのだろう……」と、二人の仲を疑って、 ただならず恨めしいようでございました。

 まだ色変わりしていない菊の中に、特に手入れをなさるのは遅いのに、いかなる一本なのでしょう。とても見所があって 変色しているものを、匂宮は特に折らせなさって、「花の中でも、特別に……」と口ずさみなさって、
「何某(なにがし)の御子がこの菊を賞美した夕方です。昔、天人が飛翔して、琵琶の弾き方を教えたというけれど、何事も浅くなった今の世には、天人も来ない……嫌なことだ……」と、琵琶をお置きになったのを、中君は残念にお思いになって、
「心は浅くなったのでしょうか。昔から伝えた事までは、どうしてそのようなことがありましょうか……」と、まだ良く知らない曲などを知りたいとお思いなので、
「それならば、独りで弾く琴は物足りないので、貴女もお相手をなさい」と仰って、女房を呼んで、箏の御琴を取り寄せさせて、中君にお弾かせ申し上げなさいますが、中君は、
「昔なら、教えてくれる人(父宮)もいらっしゃったけれど、今は亡く、私はちゃんと習得もしないままになってしまいましたものを……」と、遠慮深そうになさって、琴に手もお触れにならないので、
「これくらいの事で、貴女が心隔てなさるのこそ、情けない……この頃 世話をすることになった六君は、まだ大層心解ける経路でもないけれど、未熟な習い事をも、隠さずにいらっしゃいます。全て女は優しくて、心美しいのがよいのだと、あの中納言も言っているようですね。あの君には、またこのように遠慮はなさらないでしょう。この上なく良い御仲のようですから……」など、真剣に悩まれているようなので、中君は嘆いて、箏を少しお弾きになりました。弦が緩んでいたので、磐渉調(ばんしきちよう)にあわせて、合奏などの爪音が、大層美しく聞こえました。「伊勢の海」を宮がお唱いになりますと、御声が気高く美しいので、女房達は物の後ろに近づいてきて、微笑みながら聞いておりました。女房は、
「二心がおありなのは辛いけれど、それも 匂宮には当然のことなので、やはり私のご主人(中君)を幸い人(さいわいひと)とお呼びしましょう。このようなご様子で、お仕えするとは考えられなかった宇治の長年の御住まいを、また宇治に帰りたい…と お思いになって仰るのこそ、困ったことです……」などと言いますので、若い女房たちは「静かに……」と制止致しました。

 匂宮は御琴などをお教え申しなどして、三、四日、二条院に泊まっておられまして、六君には、御物忌などと言い訳なさるのを、六条院の殿におかれては 恨めしくお思いになって、内裏より退出なさって、そのまま二条院においでになりました。匂宮は、
「仰々しい様子で、何をしにこちらにおいでになったことか……」と 不快にお思いでした。
 寝殿にお渡りになって、ご対面なさいました。
「特別なことがない間は、この二条院を見ないで久しくなりましたのも、しみじみ感慨深い……」と、昔の物語など少し申し上げて、そのまま匂宮を引連れなさって、六条院へお帰りになりました。
 夕霧のご子息の方々、その他の上達部・殿上人など、大層多く引き連れておられる御威勢が格別なのを見ると、中君が六君に並びようもなく、中君にお仕えする女房達は 残念に思われました。大殿(おおいとの)を覗き拝見して、
「まぁ、美しくいらっしゃる大殿ですこと……」
「あれほど、どなたも皆 若い盛りで、美しくおられる御子息達の中で、似ている方もありませんね。何と立派なこと……」等と言う者もおりました。また、
「あれほど、高貴なご様子で、わざと匂宮をお迎えに参られることこそ憎らしい。安心できない世ですこと」などと嘆く者もありました。中君ご自身も 過去を思い出すと、
「あの華やかな六君との御仲に 立ち混じることもできず、私は何と儚い身の上なのか……」といよいよ心細くなられ「やはり心易くに宇治に籠もっているのこそ、気楽なのであろう……」などと、ますます深くお思いになりました。……やがて儚く年も暮れました。



 睦月(むつき)の晦日(つごもり)方(終わりの頃)より、中君はいつもと違った様子でお苦しみになり、匂宮にとっては ご出産は経験の無いことなので、「どうしよう……」と思い嘆いて、御修法などを あちこちの寺で多数おさせになり、更に加えて、新たに始めさせ等なさいました。中君が大層酷くお苦しみになるので、后の宮(明石中宮)からも 御見舞いがありました。
 中君が二条院に移り住んで三年になりました。匂宮は、今も並々ならぬ愛情をお持ちですが、大方の世間に対しては、妃として重々しくもてなしなさらなかったので、この折に あちらこちらでお聞きになって、驚いて、御見舞いなどを申し上げました。
 薫中納言の君は、匂宮がお騒ぎになるのに劣らず、
「一体、どうなるのか……」と嘆いて、お気の毒で気がかりにお思いになりましたが、限りある御見舞いばかりで、あまり参上することが出来ませんので、忍んで御祈祷などおさせになりました。

 一方、この頃になって、女二宮の御裳着の儀式のことで、世間では大騒ぎとなりました。万事を、帝の御心一つでご準備なさいましたので、御後見がいないものの、かえって立派に見えました。
 女御が、生前にしておかれた事などは言うまでもなく、作物所や然るべき受領たちが、それぞれにお仕えするなど、大層際限がありませんでした。
 やがて、儀式の跡に、薫中納言が女二宮方に通い始めるようにと、ご内意がありましたので、薫君も心遣いをなさるはずの時期ですが、いつものことながら、女二宮のことには心も入らず、中君の御事のみ、おいたわしく思い嘆いておられました。

 二月の朔日頃、直物(なおしもの)と言うことで、薫中納言は権大納言になられ、右大将を兼任なさいました。右の大殿(おおいとの)が左の大将でおられますが、お辞めになったためでした。薫君は任官の喜びに、 所々をご挨拶に回られ、匂宮の所にも参上されました。中君が大層お苦しみですので、二条院におられるところなので、そのまま参上なさいました。匂宮は、
「僧などが伺候していて、大層不便なところに……」と驚きなさって、鮮やかな直衣、御下襲(したがさね)など、お召し替えなさいました。下りて拝礼なさる御様子は、それぞれに素晴らしうございました。
「このまま、近衛府の人に禄を与える所に、おいでください」と、お誘い申し上げなさいましたが、お苦しみの人(中君)のために、躊躇なさいました。左の大殿がご準備なさいましたとおり、六条院にて宴が催されるのでした。
お相伴の親王たち・上達部たちは、夕霧の大饗に劣らず 騒がしいほどに参集なさいました。匂宮もお渡りになりましたが、心穏やかでは居られず、まだ宴が終わらぬうちに 急いでお帰りになりますので、大殿の御方(六君)は、
「とても物足りなく、気に入らない……」と仰いました。中君に劣るほどのご身分ではないので、只今のご威勢華やかなのに驕って、我を張っていらっしゃるようです。

 ようやく、その晩に、男の御子がお生まれになりました。匂宮は大層甲斐のあることで、嬉しくお思いでございました。薫大将も昇進の喜びに加えて、大層嬉しくお思いになりました。夕方、饗宴にお出でになった後、そのままこの喜びも合わせて申し上げようと、二条院に立ち寄られました。匂宮がこのように、二条院に籠もっておられるので、お祝いに参上しない人はありませんでした。

 御産養(うぶやしない)(祝宴)としては、三日はいつものように、ただ匂宮の私事として催されました。
 五日の夜は薫大将殿より屯食(とんじき)五十具、碁手の銭、椀飯など、世間の常として、中君の御前の衝重(つりかさね)(台のついた折敷)三十、稚児の御衣は五襲(かさね)にて、襁褓(むつき)(産着・おしめ)など、仰々しくなく 穏やかになさいましたけれど、詳しく見れば、大層格別に 珍しい心遣いが凝らしてありました。
 匂宮の御前にも浅香の折敷十二に高圷などに、粉熟(ふずく)(菓子)を差し上げなさいました。
 中君の女房の御前には、衝重をはじめとして、檜破子(ひわりご)三十など、様々に手を尽くしたご馳走が並びましたが、人目につくほどに仰々しくはなさいませんでした。
 七日の夜は、妃の宮(明石中宮)からの御産養いなので、まして匂宮方に参上なさる人が 多く、宮の大夫をはじめとして殿上人・上達部などが数知れず参上なさいました。
 内裏でも、帝がお耳になさって、
「匂宮が初めて大人になられたというので、どうして喜ばないことがあろうか……」と仰って、御児の御守りとして御佩刀(はかし)を差し上げなさいました。
 九日の祝は、大殿(夕霧)が御祝のお世話をなさいました。大殿は中君を不快にお思いなのですが、匂宮がお想いのところなので、ご子息の君達なども御祝いに参上なさいまして、二条院は全てに思い煩うこともなく、お目出度い様子なので、中君自身も、ここ数ヶ月 物思いによって、ご気分が悪く、ずっと心細く思っておいでになりましたが、このように華やかな事が多いので、少しはお慰みなさったことでしょう。
 薫大将殿は、
「このように、中君が大人になられたので、お気持ちは、ますます我が方から縁遠くなっていくだろう……また匂宮の愛情も、中君に並々ではあるまい……」と、思うのは悔しいけれど、また初めからの心づもりを考えてみると、大層嬉しくもあるのでございました。


 こうして、その月の二日過ぎの頃に、藤壺の宮(女二宮)の御裳着の儀式があって、またの日に、薫大将が女二宮方に参上なさいました。その夜のことは人目を避けてのことでありましょう……
天下に響くほど美しく見える女二宮なのに、薫大将のような臣下とご結婚なさるのは、やはり物足りなく お気の毒なことでございました。帝の御許しがあったとしても、ただ今このように、急がせなさる事でもない」と、非難がましく思い 仰る人もありましたけれど、今上帝は 思い立った事を 清々しくなさるご性格なので、過去に例がないほど立派に 同じことなら薫大将を お世話なさろうとお決めになったようです。帝の御娘を得る人は 昔も今も多いけれど、このように 帝が全盛の御代に、婿取りをお急ぎになる例は 少なかったのではないでしょうか。左の大臣(夕霧)も、
「珍しいほどの御信頼や運命をお持ちの方でおられる。故院(源氏)でさえ、朱雀院が晩年になられて 今は出家を……と姿を窶しなさった時に、あの女三宮を得なさったのだ。自分はまして、誰も許さなかった宮(落葉宮)を拾ったものだ……」と仰るので、落葉宮は「誠に……」と、恥ずかしくてお返事もお出来になれませんでした。

 三日の夜は、大蔵卿をはじめとして、あの御方(女二宮)のお世話をしていた女房たちや家司に仰せ言をなさって、御前駆・随身・車副(くるまぞい)・舎人(とねり)などまでに、ひっそりとではありますが 禄をお与えになりました。薫大将は、こうして後、女二宮方に忍び忍び通いなさいましたが、心の中には やはり忘れがたき大君のことのみが想われて、昼は自邸に起き臥しながら過ごし、日が暮れれば、気が進まないままに、急いで女二宮のところへ参上なさいますのも、慣れない心地がして 大層辛く苦しいことでございました。そこで、
「女二宮を自邸に、ご退出させ申し上げよう…」とお決めになりました。
 母宮(女三宮)は、とても嬉しくとお思いになって、お住まいの寝殿を譲って、そこに女二宮にお渡りいただきましょう」と仰いましたけれど、「それは大層 畏れ多いこと…」として、御念仏堂との間に 廊を続けて造らせ、寝殿の西面に、女三宮がお移りになるようです。東の対なども、焼失した後、新しく麗しく 理想的にお造りになり、ますます磨き上げて、女二宮のために細かに設ろわせなさいました。このような薫大将の御心遣いを、帝もお聞きになって、女二宮が打ち解ける間もなく 薫邸に移ってしまわれるのを、「どんなものか……」と寂しくお思いになりました。帝と申し上げても「子を思う心の闇」は同じでおられました。
 母宮のもとに、お遣いがありました。帝の御文には、ただ女二宮のことばかりを頼み申しなさいました。……昔、故朱雀院が、特にこの尼宮(女三宮)のことをお頼みになったので、このように出家をされているけれど、昔の心は衰えず、何事も もとのままで、奉上なさることなどは必ず聞き入れて……と、御心遣いは深くおられました。このように高貴なお二人も、お互いに限りなく大切に育てられた面目は、どのようなものでありましょうか。薫大将の心の内では、特に嬉しい事にも思えず、やはり ともすれば物思いをしながら、宇治の寺を造る事を急がせなさいました。

 匂宮の若君が五十日になられる日を数えて、その祝餅のご準備に心を尽くし、籠物や檜破子などまでご覧になりながら、「世間一般のような、普通のものではなく……」とお思いになって、沈(ぢん)・紫壇(しだん)・白銀(しろがね)・黄金(こがね)など、その道の細工師を大勢居呼び集めなさいますので、我こそ負けまい……」と、細工師たちは様々の技などを出すようでした。

 薫大将ご自身も、いつもの匂宮のおられない隙に、二条院においでになりました。気のせいか、今少し重々しく、高貴なご様子さえ加わって見えました。
「今となっては、難しかった懸想事などは、思い紛れなさっただろう……」と、中君は安心して、薫大将と対面なさいました。けれども 薫大将は以前のままのご様子で、まず涙ぐんで、
「気のすすまない女二宮との結婚は、誠に思いの外のことでございました。私には世を思い悩むことばかりが、勝ります……」と何の遠慮もなく、嘆き訴えなさいました。中君は、
「大層見苦しいこと。人が少しでも漏れ聞いたなら……」などと仰いましたけれど、
「これ程の目出度い事などにも 心が晴れず、まだ大君を忘れ難くお思いなのだろう……何と御心の深いことよ……」と、中君はしみじみお気の毒に思い申し上げなさると、並々ならぬ愛情だったのか……と思い知られなさいました。大君がもし生きておられたなら……と、残念に思い出しなさいましたが、
「それも……私のように、姉妹で恨みもなく、不運の身を恨むことになったのだろう。何事も、落ちぶれた身の上には、一人前らしい事もあり得ない……」とお思いになると、ますます大君が、薫君に打ち解けずに終わろう…と 思っておられたご遺志を、やはり重々しく思い出されるのでした。

 「若君にお逢いしたい…」と望まれるので、中君は恥ずかしいけれど、
「どうしてよそよそしくできようか。つまらない懸想事ひとつで、薫大将に恨まれるよりほかに、どうして、この人の御心に背けよう……」と、中君ご自身はともかくもお応え申しなさって、乳母を介して、若君を差し出しなさいました。どうして憎らしいところなどがありましょうか。不吉なまでに白く可愛らしく、声を上げて何か言って笑っていらっしゃるお顔を見ると、薫大将は、
「自分の御子としてみていたい……」と羨ましく思われ、この世を離れがたくなったのでありましょう。けれど、
「亡くなられた大君が 世間の常のように結婚して、このような御子をお残しくださったなら……」とばかり思えて、やがて高貴な女二宮に、いつか御子が生まれるだろう……などとは、思いも寄らぬこととは、あまりにも術のない御心のようです。このように女々しくひねくれて語り告げられるのも、お気の毒なことでございましょう。
「そのように不完全な人を、帝が特に側に近づけて、婿として親しくなさることもないだろう。誠実である方(薫)の御考えなどが、好ましくおられたのであろう…」と推察すべきでありましょう。
 誠に、このように、中君が幼い子をお見せなさるのも、薫大将にはしみじみと感慨深いことでした。いつもよりは お話などを細やかに申し上げなさるうちに、日が暮れてきましたので、気楽に夜を更かすことはできないのを辛いとお思いになり、嘆きながら 退出なさいました。女房たちは、
「素晴らしい匂いの方ですこと」「梅を折ったら……」と言うように、鶯も尋ねてくるでしょう…など、煩わしがる若い女房もおりました。

「夏になれば、三条宮邸は、内裏から塞がった方角になるだろう……」と判断して、薫大将は、四月朔日頃に、節分とかいう事がまだ先のうちに、女二宮を御自邸にお移し申し上げました。
 明日移るという日に、藤壺に帝がお渡りになり、藤の花の宴を催しなさいました。南の廂の御簾を上げて、御椅子を立ててありました。公の催し事でしので、主(あるじ)の宮が催すものではありません。上達部・殿上人の饗などは、内蔵寮(くらづかさ)よりご奉仕なさいました。左の大臣・按察の大納言・藤中納言・左兵衛の督・親王たちでは三の宮(匂宮)・常陸の宮など伺候されました。南の庭の藤の花の下に、殿上人は座りました。後涼殿の東に楽所(がくそ)の人々を呼び、暮れゆく頃には、雙調(そうじよう)に吹いて、帝の管弦の御遊びをなさいました。女二宮の御方より、御琴、笛など出させなさいましたので、大臣をはじめ皆で、今上の御前に、取り次いで差し上げなさいました。故六条院(光源氏)が自らお書きになって、入道の宮(女三宮)に差し上げなさった琴(きん)の譜(ふ)二巻、五葉の枝につけたものを、大臣(夕霧)がお取りになって、帝に奏上なさいました。次々に琴・箏の御琴・琵琶・和琴(わごん)などは朱雀院の物でございました。昔、柏木が夢に伝えた形見の笛について「又とない音色だ……」と帝がお誉めになったので、薫大将は
「この折のような素晴らしい宴は、又いつか 名誉なことがあろうか…」と、取り出しなさったようです。大臣は和琴、三の宮(匂宮)は琵琶など、帝よりそれぞれお与えになりました。大将の笛は、今日こそ 世に又とない音色の限りを吹きたてなさいました。更に殿上人の中で唱歌の得意な者達を 御前に呼び出して、大層素晴らしく合奏なさいました。
 女二宮の御方より、粉熟(ふずく)(菓子)をお出しになりました。沈の折敷四つ、紫壇の高坏・藤の村濃(むらご)の打敷(うちしき)に 藤の枝を折って縫い付けてありました。白銀の様器・瑠璃の御盃、瓶子は紺瑠璃でありました。兵衛の督が配膳役をお勤めなさいました。

 今上の帝からお盃をお受けになる時に、大臣(夕霧)は、あまり頻繁では不都合であろう……宮たちの中には、またそのような方もおられないので、薫大将にお譲り申しなさるのを、大将は辞退なさいましたけれど、帝のご意向もどうあったのか、お盃を掲げて、「おし」と仰る声や所作までが、いつもの公事でありましたが、他人と違って見えるのも、今日は、ますます帝の婿とみなしたのさえ加わっているのでしょう。差し返した盃を戴いて、庭に下りて、ひとさし舞われたお姿は、又となく目出度く見えました。
 上﨟の親王達や大臣などが盃を戴くのでさえ 目出度い事なのに、薫大将は、まして今上の御婿として、もてはやされておられるその信頼が、並々でないことも珍しい事だけれど、身分に限りがあるので、下の席にお帰りになるところは、大層お気の毒に見えました。

 按察の大納言は「自分こそ、このような目に遭いたいと思っていたのに、何とも妬ましいことだ……」と思いながら座っておられました。女二宮の御母女御(藤壺)に、昔、心寄せておられて、入内なさいました後も、やはり諦められない様子で、御文を交わしなどして、果てには、女二宮を得たいとのお考えがあったので、御後見を望む意志を、藤壺女御に漏らしましたけれど、聞き入れさえなさらず、今上にお伝えなさらなかったので、この女二宮のご結婚を「大層、悔しい……」と思い、
「薫大将のお人柄は誠に、大層運命が格別のようだけれど、どうして、時の帝がこのように、仰々しいまでに 婿を大切になさるのだろう。おそらく外に例はないだろう。九重(宮中)の内で、帝のおられる殿の近い所に、ただ人(薫)が打ち解けて伺候して 果てには 宴や何やかやと もて騒がれることよ……」などと、酷く悪口を呟きなさったのですが、やはり藤の宴が見たかったので、参上して、心中では、腹を立てておられたのでございます。

 紙燭を灯して、和歌を献上する文台の元に歩み寄り、歌を置く時の様子は、各々 得意顔だけれど、例の通り「どんなにか珍しく 古めかしかったろう」と想像できるので、歌については全部を捜してはここには書きません。身分が高いからと言って 上等の部の歌の詠み振りには、格別な事は見えないようですが、この宴のしるしにと思って、一つ二つ聞いておきましたので……。この歌は、大将の君(薫)が庭に下りて、帝の冠に挿す藤の花を折って 参上なさる時のものとか……

   すべらぎの挿頭(かざし)に折ると藤の花 及ばぬ枝に袖かけてけり    (薫大将)

     (訳)帝の挿頭に折ろうとして藤の花の、私の手の届かない枝に
        袖をかけてしまいました。

 我がもの顔が憎らしいことだ。

   よろづ世をかけて匂はむ花なれば 今日をもわかぬ色をこそ見れ (今上の帝)

      (訳)万世をかけて匂う花だから、今日もあきない美しさを見ます

又、誰にか、

   君がため折れるかざしは紫の 雲に劣らぬ花のけしきか

      (訳)貴方のために手折った翳しの花は、紫の雲にも劣らない美しい花の様子です。


   世の常の色ともみえず雲居まで たちのぼりたる藤波の花      (按察大納言)

      (訳)世間の普通の花とも見えません。宮中まで立ち上がった藤の花は・・・

 これは、あの腹をたてている大納言の歌のようです。
片方は、心得違いの歌であったようですが、このように格別に素晴らしい歌もなかったようです。

 夜が更けるにつれ、管弦の遊びは 大層風情のあるものになりました。
大将の君(薫)が「安名尊(あなとうと)」をお唱いになる御声も、この上なく大層素晴らしいものでした。按察大納言は、昔 優れておられた御声の名残りで、今日は大層堂々と合唱なさいました。左の大殿の七郎君が 童(わらわ)ながら、笙の笛を吹きました。大変可愛らしいので、今上より御衣を賜りました。大臣(夕霧)は庭に下りて拝舞なさいました。帝は 明け方近くになってお帰りになりました。禄など、上達部・御子達に今上より賜り、殿上人・楽所の人々は、女二宮の御方より品々を戴きました。

 その夜、女二宮は内裏を去り、三条宮(薫邸)にお移りになりました。その儀式は大層格別でございました。帝づきの女房達を、そのまま女二宮にお仕えさせなさいました。姫宮は廂(ひさし)の御車に乗られ、廂のない毛糸車三台・檳榔(びろう)毛の黄金造りの御車六台、普通の檳榔(びろう)毛の御車二十台、網代車二台、女房三十人、童女・下仕え八人づつを伺候させ、また薫大将より迎えの出車(いだしくるま)十二台に本邸の女房たちを乗せておりました。御見送りの上達部・殿上人・六位など、言う限りなく、善美を尽くしなさいました。

 こうして安心して打ち解けて拝見なさいますと、女二宮は大層美しくいらっしゃいました。
小柄で上品で、ここが不足と見える所もないので、薫大将は、
「私の運命は悪くはなかった……」と心驕りせずにはいられないので、過ぎし日の亡き大君が忘れられればよいのだが……やはり心の紛れる折もなく、そればかりが恋しく想われるので、
「この世にでは、慰めきれないことのようだ。仏門に入ってこそ、不思議と辛かった大君との契りを、何かの報いかと諦めれば、この想いも離れるのだろう……」と思いながら、御寺のご準備にのみ 心を入れなさいました。



 賀茂の祭りなど騒がしい時期を過ごして、四月の二十日過ぎに、薫大将は いつもの宇治にお出かけになりました。造らせていた御堂をご覧になって、やるべき事などを指示なさった後、いつもの朽木(辨の尼君)のもとを見過ごしなさるのは やはり気の毒に思えて、そちらの方においでになりますと、女車が一台、 仰々しい様子ではなく、荒々しい東男で 腰に太刀をつけた者を大勢従えて、下人も数多く頼もしそうな様子で、橋から今 渡って来るのが見えました。
「田舎者だなぁ……」とご覧になりながら、薫大将は まず山荘にお入りになって、供人達がまだ立ち騒いでいる頃に、その御車もこの山荘を目指して来るように見えました。随身達ががやがや言うのを制止なさって、「何処の人か……」と問わせなさいますと、声のかすれた者が、
「常陸の前司殿の姫君が、初瀬のお寺に参詣して お帰りになるところです。往きも、ここにお泊まりになりました……」と答えますので、
「おや、その姫のことは……以前聞いたことのある人だ」と思い出して、供人達を別の所にお隠しになって、「早く御車を入れなさい。ここに外の人が泊まっているが、北面(きたおもて)におられます」と言わせました。
 君の供人は、皆、狩衣姿(かりぎぬすがた)で仰々しくはないけれど、やはり高貴な気配がはっきり見えるのでしょう。一行は煩わしく思って、皆、馬などを引き下げて控えておりました。姫君の御車を内に入れて、廊の西の端に寄せました。この寝殿は簾もかけずに、まだあらわで 格子を下ろし込めた中の二間を、仕切っている襖障子の穴から様子を覗いておられましたが、御衣の擦れる音がするので、脱ぎ置いて、直衣に指貫だけをお召しでございました。
 姫君は、すぐには御車から降りずに、尼君にご挨拶して、このように高貴な方が泊まっておられるのを「どなたが……」と尋ねているのでしょう。薫大将はこの車を其の人とお聞きになってから、
「決して、 私が居ることを仰らないように…」と、人々にまず口止めをなさいましたので、皆そう心得て「早くお降りなさいませ。客人がおられますが、別の所におられます」と申しました。
若い女房がまず下りて、御簾を上げるようです。この女房は、他の供人よりは慣れて見苦しくありません。他の大人びた女房が もう一人降りてきて「はやく…」と申しますと「ひどく丸見えのような気がします」と仰る声が、微かだけれど とても上品に聞こえます。
「いつものことでございます。こちらは以前も 格子を下ろして閉めてありましたので、どこが丸見えなのでしょう」と申しました。
 姫君が慎ましげに降りるのをご覧になりますと、まず頭つき・身体つきが細く上品な感じで……薫大将は 亡き大君を思い出しなさいました。扇で顔をしっかり隠しているので、顔はよく見えないけれど、心許なく、胸が潰れる思いがなさいました。御車は高く、降りるところが低くなっているので、女房たちは楽々と降りましたが、姫君はとても辛そうに困り切って、長くかかって降りて、中にお入りになりました。濃い袿に 撫子と思われる細長、若苗色の小袿をお召しでございました。

「とてもお辛そうにいらっしゃいますね。泉川の舟渡りも、今日は本当に怖ろしかった……」
「この二月(きさらぎ)には 水の少ない時期でよかったのですが……いゃ、出歩くのは……東路を思えば、この大和路は どこが怖ろしいことがありましょう……」など、二人の女房は少しも辛いと思わずに言っているので、姫君は音もたてずに、ただ臥せっていらっしゃいました。差し出した腕が、まるまると愛らしく、常陸殿の御娘とは見えず、誠に気品がありました。

 四尺の屏風がこの襖障子に添えて立ててあり、上から見える穴から覗いているので、残す所なく 姫君のご様子が見えました。こちらを不安そうに思ってか、あちら側を向いて臥しなさいました。
 薫大将は腰が痛くなるほどまで、じっと立ったままでおられましたが、人の気配がしないようにと、さらに動かずに覗いておられますと、若い女房が、
「あら、良い香りがする……大層な香の薫りがいたします。辨の尼が焚いているのかしら」と申しました。もう一人の女房が、
「本当に素晴らしい香ですこと。京の人(辨尼)は、やはりとても風雅で華やかでおられる……」
「北の方は『世の中で一番素晴らしい香』とお思いでしたけれど、東国では このような薫物の香は、合わせることが出来ません。この尼君は 住まいはこのように質素だけれど、装束が素晴らしく、鈍色・青色といっても、大層美しいものをお召しです」などと誉めておりました。

 あちらの簀の子から、童が来て「御薬湯などお召し上がり下さい」と言って、いくつもの折敷を続いて差し入れました。果物を取り寄せなどして「これを召し上がれ」と姫君を起しましたが、お起きになりません。傍らで女房二人が、栗のような物をほろほろと食べる様子も、薫大将には 見た事もない光景なので、思わずそこにいられなくなって、障子から退きなさいましたけれど、また見たくなって、やはり障子の所に立ち寄り ご覧になりました。
 この姫君より勝る身分の人々で、妃の宮をはじめとして 器量もよく上品な女性を、今までに飽きるほど ご覧になりましたけれど、少しも目も心も留めずに過ごしてこられました。人に非難されるほど真面目なお気持ちには、どれほども優れて見えることもない姫君ですのに、このように 今立ち去り難く 強いて見ていたい…と思うのも、大層 不思議な御心でございます。

 尼君は、この殿の御方(薫)にご挨拶申し上げました。
「気分が悪いと、今は休んでおられます」と、供人が心遣いして言いましたけれども、以前、薫大将がこの姫君を尋ねたいと仰っていたので、この機会にこそ話しかけたいのでは……と思いました。今、まさか覗いておられるとは ご存知ありませんでした。
 いつものように、荘園の管理人達が参上しておりました。破籠や何やかやと、こちらに差し入れているのを、東国の人々にも食べさせなどなさいました。いろいろ済ませて、辨の尼は身繕いして、客人(姫君)の方に参りました。女房が誉めた装束は 本当に大層こざっぱりとして、見た目にもやはり上品で美しうございました。辨の尼が、
「昨日、宇治にお着きになるとお待ち申しておりましたが、どうして今日、こんなに日が高くなってから……」と申しますと、老女房は、
「とても不思議と 苦しそうにばかりなさっているので、昨日はこの泉川の辺りに泊まりました。今朝もずっと気分が悪そうでしたから……」などと答えて、姫君をお起こししますと、今ようやく起きて座られました。尼君に恥ずかしがって 横を向かれた姿は、こちらからとても良く見えます。本当に大層気品のある目元や 髪の生え際の辺りが、亡き大君の……詳しくは見なかった御顔ですけれど、この姫君を見るにつけても、「ただ大君、其の人」と思い出されるので、いつもの通りまた涙が落ちるのでした。
 尼君へ返事などをなさるお声や気配は 仄かですけれど、宮の御方(中君)にも、とてもよく似ているように聞こえました。
「何と懐かしい人だろう……。このような人を 今まで尋ねもしないで過ごして来たとは……」この姫君が、残念な身分の大君に ご縁のある方ならば、これほど似ている人を見ては 愚かに思えない気持ちがしました。まして この姫君は故八宮に認められなかったけれども、誠に八宮の御子(ヽヽヽヽヽ)である とみなして、限りなくしみじみと嬉しくお思いになりました。
 「ただ今にでも、姫の側に這い寄って、『この世にいらしたのですね……』と言い、大君を慰めたい。蓬莱まで楊貴妃を訪ねて、釵(かざし)だけを持ち帰った玄宗皇帝は、やはり大層気が晴れなかったろう……この姫君は、大君とは違うけれど、慰め所はあるようだ。この姫君とは前世からの縁があったのだろう……」とお思いになりました。
 尼君は少し話をして、すぐに奥に入りました。人が気付くこの香りを「近くで薫大将が覗いておられるようだ……」と気付いたので、打ち解けた話なども語らずになったのでしょう。

 日も暮れてゆくので、薫大将もそっと部屋を出て、御衣などをお召し替えになって、いつもの障子口に、辨の君をお呼びになり、姫君のご様子などをお尋ねになりました。
「この機会を嬉しく……よくぞ逢えたものだ。どうでしたか。あの申し置いた事については……」とお尋ねになりますと、辨の君は、
「はっきりと仰せ言を伺った時は、そのような機会があったら……と待っておりまして、去年は過ぎてしまいました。この二月になって、初瀬詣での折に、姫君と対面いたしました折、母君に、薫大将の仰った事を少し申しましたら、『大層畏れ多い事でございます……』と申しておりましたけれど、その頃は、ご結婚でゆったりとお過ごしの時ではないと承りました。その後は機会もなく、遠慮しておりまして 何も申し上げませんでしたが、また今月になって 初瀬に参拝して、今日お帰りになるようです。初瀬の行き返りの中宿りに、私を頼りに思ってくれますのも、ただ亡き八宮の跡を尋ねたいという理由からでしょう。その母君は支障があって、この度は、姫君お一人でお詣りなさるようなので……『こちらに薫大将殿がおられます』と申しましたが、姫は、
『特に何を申し上げましょうか……』とお答えになるだけでございました」 薫大将は、
「田舎人達に、私の忍び窶(やつ)した外出を見られまい……と口止めしたけれど、どうであろうか。下衆の人々には、隠すことはできないだろう。さてどうしたらよいものか……。姫君が独り身でおられるのこそ、かえって気は楽だが……。『前世からの契りが深く、やはり巡り逢えた……』と、姫君にお伝えください」と仰いました。辨の尼は
「急に、いつの間にできた契りでしょうか……」と微笑んで、
「それならば、そうお伝え申しましょう」と、奥に入り 姫君にお話しになりました。

   貎鳥(かおどり)の声も聞きしに通ふやと 繁みをわけて今日ぞたづぬ

     (訳)かお鳥の声も 昔聞いた声に似ているかしらと、
        草の繁みを踏み分けて 今日こそたずねて参りました

 ただ口ずさむように仰いました。

     ( 終 )

  源氏物語「宿木」(第四九帖)
  平成二十七年盛夏 WAKOGENJI(訳・絵)



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