やさしい現代語訳

源氏物語「東屋」(あずまや)第50帖

薰26歳、中君25歳、浮舟21歳、匂宮26歳の頃の物語

登場人物の 系図     源氏物語の本で読む


 筑波山(常陸の国)に踏み分け入って、姫君(のちの浮舟)に逢ってみたいというお気持はあるのですが、そんな端山(はやま)の茂み(身分の低い女性)にまで、強いて想いを寄せるようなのも、人の噂にも軽々しく体裁悪いことなので、薫大将は大層躊躇いなさって、お手紙でさえ届けさせることはなさいません。

 あの辨の尼君から、母北の方に仰った事を仄めかした手紙を 度々よこすのですが、本気でこの娘に薫君の御心が留まるはずもない……と思えますので、北の方はただ、
「そこまでして、お尋ね下さったとは……」と興味深く思いながらも、ご身分が今の世に この上ないほど高貴であることにつけても、「人並みのご身分であったなら……」と思っておりました。

 守(かみ)(常陸介)の子供は、母が亡くなるなどした者も大勢いて、今の母腹にも大切にする娘もあり、まだ幼い子供など次々に五、六人ほどおりました。常陸介は様々に子供の世話をしながらも、この姫君についてはわが子ではない…と思い隔てる心がありますので、北の方は常に大層辛く思って、守(常陸介)を恨みながら、
「何とかして、優れていて誇らしい人に縁づけたい……」と、明け暮れお世話をしておりました。
その娘の容姿や器量が、仮に平凡で 他の娘と同じ様であったのなら、北の方はこのように、どうして苦しい程に悩んだりしましょうか……皆と同じように、受領の子と思わせてもよいのに、他の子には少しも似ないで、美しく高貴にお生まれなさったので、勿体なくもおいたわしい…と、大切に思っておりました。

 「守には娘が大勢いらっしゃる……」と聞いて、恋文を届けたり、言い寄る公達が多くおりました。先妻の腹の二、三人は、既にそれぞれに嫁いでおりましたので、母君は、
「今こそはわが姫君を 思い通りに見定めた男に、縁付けたいものだ」と、明け暮れ気遣いして、又となく大切にお世話すること限りありません。

 常陸介も賤しい人ではありません。上達部の血縁で、一門の仲も見苦しくはなく、財力なども大層ありましたので、身分相応に気位が高く、家の内も磨き上げて美しげに住んでおりました。風流を好むわりには、不思議と荒々しく、田舎者らしい心を持っておりました。若い頃よりそのような東国の遙かな世界に埋もれて 長い年月を経てきたせいか、声などひどく田舎風で、何か物を言うと少し訛りがあるようで、豪家(権力者の家)の辺りを、怖ろしく煩わしいと気兼ねしたり 恐ろしがるなど、すべてに抜け目のない人でした。風雅な琴・笛の道には縁遠く、弓だけを大層上手に引きました。 自分の低い家柄を問題にせず、 優れた若人達が勢力に惹かれて 装束や身なりを整えて集まって来ては、下手くそな歌合わせや、物語・庚申などをして、眩しいほどに見苦しく 遊び事に風流めかしておりました。 

 この娘(浮舟)に言い寄っている公達は「とても行き届いた娘であるらしい……器量もとても良いそうだ」などと言い合っておりました。心を尽くす若者たちの中に、左近少将といって、年は二十二、三程で人柄も落ち着いて、才能があるという面では、誰からも認められていたけれど、眩しいように今風であると言うのでなく、通った女も今は絶えていましたが、大層一生懸命に この娘に言い寄っておりました。
母君は、
「大勢言い寄る公達の中で、この少将は人柄も安心出来るし、考えもしっかりしていて分別があり、人品も賤しくない。これより勝る人で身分の高い人は、この辺りを尋ねては来るまい……」と思って、少将の御文を取り次いで、然るべき折々には、風雅な様子で返事を書かせなどしておりました。自分の心一つに決めて、
「例え 常陸介がこの娘を疎かに扱おうとも、私は命を譲ってでも 大切にお世話をしよう。ご様子や器量の素晴らしいのを見たならば、疎かだなどと思う人がこの世にいるはずがない……」として、「八月頃には結婚を……」と、少将に約束をして、調度品等を整えたりしていました。ちょっとした遊び道具を作らせても、この娘には格別に美しい様子に、蒔絵・螺鈿の細やかな細工が勝って見える物を誂えました。常陸介にはそれらを隠して置いて、細工など劣った物を「これは良いもの」と言って 見せますと、守はよくも分からずに、価値のない物ばかり、世間で調度品という限りを全て ただ取り集めて並べ据えましたが、さほど興味もないのか、ただ僅かに目をくれる程度でした。

 琴・琵琶の師匠として、内教坊の辺りから楽人を迎えて、娘達に習わせておりました。娘達が一曲習得すると、守は立ったり座ったりして落ち着かない様子で、師匠を拝むようにして喜び、大騒ぎをして、埋もれるほどに禄(褒美)を取らせました。リズムの早い曲などを教えて、美しい夕暮れに、師匠と娘達が弾き合わせて楽しむ時には、涙も隠さず 見苦しい程に誉め讃えました。
 このような光景を、母君は少し分別があるので「とても見苦しい……」と思うのですが、特に素知らぬ振りをして「わが娘を見下しておられる……」と、常に恨んでおりました。


 こうして日が過ぎました。あの少将は約束した八月を待たないで「同じことならば早くに……」と責めますので、北の方は自分の考え一つで決めるのも大層躊躇われ、少将の心を今ひとつ理解し難かったため、はじめにこの縁談を取り次いだ人(仲人)が来た時に、近くに呼び寄せて話を致しました。
「いろいろと娘に気兼ねすることがありまして……少将がこのように仰って間がないのに、並みの身分の方ではないので、私は忝なくお気の毒に思われ決心しましたが、この娘には父親がいないので、人目にも体裁悪いのでは…と心痛めて、少将の御目に叶うものか…と心配しております。常陸介には若い娘達が多くおりますけれど、世話をする父親がいる者は任せて安心なのですが……儚いこの世を見るにつけても、この娘の御事のみ 不安で辛く思われます。
『少将は物の道理をよく分かった人……』と聞いて、万事に遠慮を忘れてしまいそうですが、もし婚儀後に意外な御心が見えたならば、人の笑いものになって悲しい事にもなりましょう」と申しました。

 仲人は、早速 少将の君の所に参って、この事を申しますと、少将は酷く機嫌が悪くなりました。
「初めから、その姫が守の娘でないとは聞いていなかった。同じことならば、世間の噂で劣ったような気持ちのままで、婿として出入りするのも 気の進まぬことである。よくもいい加減なことを取り次いでくれたものだ……」と怒るので、仲人は困り切って、
「実は……私も詳しくは存知ませんでした。女房の知り合いの伝手で、貴方さまのお願い事を伝え始めたのですが、娘達の中に大切にされている娘とばかり聞いていましたので、守の子であると信じておりました。守が他人の子をお持ちとは知りませんでした。大層器量がよく気品があり、母君が大切にしていると聞いていました。少将殿が、『何とか、守の辺りに縁組みを取り次ぐ人がいないか……』と仰いましたので『ある伝手を知っています』とお応えしたのです。さらに、いい加減なことを言ったという罪は、私にはありません」と、腹黒い様子で言葉数多く申しますので、少将の君は大層下品な様子で、
「あのような常陸の守風情(ふぜい)の家に婿として通うのは、誰にも許されぬことではあるけれど、今風のことで咎めもないだろう。その親達が婿として大切に世話するのは、欠点を隠しているという例もあるようだが、実子と同じように内々で思っていても、世間の考えは「ただ守に追従している……」と言うであろう。源小納言や讃岐守などが威張って出入りするのに、常陸介からは少しも受け入れられずにその娘と契るのは、不真面目と思われることだろう……」と仰いました。この仲人は人に靡く 嫌な心のある人で、これを残念に思い、少将方にも常陸介方にも申し訳なく思ったので、
「守の実の娘を…とお思いならば、まだ他にも若い娘がいらっしゃるので、守にしかとお伝え申しましょう。妹に当たる姫君を 守はとても可愛がっておられますので……」と申し上げました。
少将は、
「初めからそのように頼んでいたことをさし置いて、他の娘(妹)に結婚を申し込むのも、嫌な気がするけれど、私の本心は、あの守が人柄も堂々として落ち着いた人なので、私の後見をしていただきたいと考えている所があって、思い付いた事でもあります。私には、もっぱら器量や姿の優れている女という願いもありません。品があり美しい女を願うならば、容易く得られることだろうけれど、物寂しく気の合わない 風雅を好む人の行く末は、素晴らしくもなく 世間から人とも思われない例もあります。それを見れば、多少 人から謗られようとも、富豪の婿として 穏やかに世の中を過ごしたいと願うものです。守にこのようにお話して、そのようにお認め下さるお考えがあるなら、何とかそのように……」と仰いました。

 この仲人は、妹がこの西の御方に仕えているのを頼りにして、少将の御文などを取り次ぎましたけれど、守には詳しく顔の知られていない者でした。そこで、ただ守の座っている前に行って、
「申し上げるべきことがあります……」と言わせました。
「この邸に時々出入りしていると聞くけれど、普段 私の前に呼びださない人が、何事を言うのか」と、守が少し荒々しい様子で聞きますと、
「左近少将殿からの御文でございます……」と申しましたので、守は逢うことに致しました。
仲人は言いにくそうな顔をして、近くに寄って座り、
「ここ数ヶ月、少将が内の御方(北の方)に御文をなさいまして「北の方のお許しがあって、婚儀は八月に……」とお約束なさいました。日程を計って、やはり早いうちに……と、少将がお思いの頃に、ある人が申したことには、
『実はこの娘は 北の方の御娘ではありますが、守(常陸の介)の御娘ではいらっしゃらない……』と。世間の評判では、公達がお通いになるのは、守に気に入られるように振る舞うためでありましょう。

 受領の御婿になられるような公達は、ただ主君のように、その娘の父親が大切にお世話して、手に捧げた珠のように後見される……そのような縁組みを望まれる訳ですが、(実娘でないならば)さすがに そう願うのは無理なので、守からは少しも婿と認められずに、他の婿より劣った扱いでお通いになることは、少将には誠に不都合なことだとして、今は思い煩っておられるようです。
「初めからただ守殿が、御威勢があり、後見人として頼りにするのに充分であるという評判を選んで、婿になりたいと申し出たのですが、さらに、他人の娘がいらっしゃることを存じませんでした。私の最初の考え通りに、まだ大勢おられる幼い娘をお許し下さったなら、大層嬉しく存じます。……その辺のご様子を伺ってくるように言われました」と申しました。
守は、
「全くそのような事情があることを、詳しくは存じませんでした。誠に……その姫(浮舟)を実子と同じように思うべきなのですが、私には手のかかる童女も大勢おりまして、大したことのない身の上ですが、様々に思いお世話してきましたところ、姫の母である者から「この娘を他人の子と分け隔てしている……」と 恨んで文句を言われまして……ともかく私には口出しさせない娘なのです。縁組みを進めたい……と 少将が仰せられたことは、少し聞いておりましたが、私を頼りにお思いになっている御心までは存知ませんでした。それは大層嬉しく思われることでございます。
 大層可愛いと思う女の子は他にもおりまして、大勢の中には、命に代えてもよいと思っている娘もおります。求婚なさる公達もありますが、今の世の人の心は頼りなく思いますので、かえって胸を痛めることになろうかと、今まで婿を決めることもなくおりました。何とかして実娘を穏やかに育てたい……と、明け暮れ可愛く存じておりました。
 少将殿におきましては、父の故大将殿にも、若い頃よりお仕えして参りました。家来として 少将殿をずっと拝見しておりましたが、大層人物がご立派なので、お仕え申したいとお慕いしておりました。しかし常陸という遙かな任地が続いて 過ごしていた何年もの間に、お逢いする機会もなく、躊躇われまして、少将殿に参上してお仕えなどは致しませんでした。このように、娘へのご所望があるという仰せ言のとおり、娘をさしあげるのは容易いことでございますが、ただ、今まで姫(浮舟)をお望みのところを、この私が違えたかのように母が思うことが、気がかりに存じます…」と、大層細々と答えました。「うまくいきそうだ……」と、仲人は嬉しく思い、
「何かと遠慮なさることはありません。少将のお気持ちは ただ守のお許しを願っておられて、まだ幼く年の足りない娘がおられて、真の親が 限りなく大切になさっているのこそ、本意に叶うことのように思います。まったく……継娘を所望するような振る舞いは、すべきでないと仰っています。

 少将の人柄は大層ご立派で、世間の評判も心憎い程でおられる方です。若き公達が好き好きしく遊んでいても、それには参加なさらず、世の有様をとてもよく知っておられて、領有する荘園も大層多くございます。今はまだ財力もないようだけれど、自然と高貴な人になられる気配をお持ちでございます。普通の限りない富という御威勢には勝っておられます。来年の司召(つかさめし)ではおそらく四位になられるでしょう。この成人頭の任官に、帝が、
『万事に良くやってくれる朝臣が、妻を定めていないとは残念だ。然るべき人を選んで、早く後見人を設けなさい。上達部には私がいるので、今日明日にでも 出世させてあげよう』と仰せになられたそうです。何事についても、この少将こそが、帝に親しく伺候しておられます。
 少将の御心は大層厳しく重々しくおられます。「惜しむべき立派な御婿」とお聞きになるうちに、お決めになるのがよいでしょう。少将殿には、我も我も 婿に迎えたいとのお話しがありますので、
ここに渋々お決めになるような気配があれば、心躊躇われますので 他の所にお決めになるでしょう。これは……ただ、守殿のご安心できる縁組みについて お話し申しているのです」と、いかにも、とても良い縁談のように言い続けますので、大層浅ましく田舎人めいた守は、少し微笑みながら これを聞いておりました。
「最近のご収入など心細いことは仰いますな。私が生きています間は、少将を山の頂にも掲げ申しましょう。心細くても、何を不足とお思いになりましょうか。例え寿命が尽きて 少将にお仕えできなくなっても、残った財宝や荘園などについては、一つとして、私の娘の他に争う者はおりません。私には子供が多くおりますけれど、この娘は特別に可愛がっている子でございます。だが、真心をお見せ下さり、大臣の地位を求める……とお願いなさって、世にない宝物をも使い尽くそうとなさっても、私の所には尽きるものはございません。今上の帝が、このように少将をお引き立てなさるならば、私の御後見は決して心細いことはありません。この縁組みは、少将の御ためにも、私の娘のためにも、幸福ということになるのかも知れません……」と申しますので 仲人は大層嬉しく思いました。

 仲人の妹にも 「このようなことがあった」とは語らず、北の方にも寄りつかずに、守の言ったことを 誠に結構な話だと 少将に申し上げましたので、少将は少し田舎くさい……と思いながらも、憎くは思わず 微笑みながら聞いておりました。大臣になるための財宝を調達するなどとは、あまりにも大袈裟な話だと耳に留まりました。
「さて、その北の方には、このようになったことを伝えましたか。姫君の縁組を格別に思い始めたのに、実娘に乗り換えたことを 甚だしく僻んでいる…と 取り沙汰する人もいることだろう。どうだろうか……」と躊躇っているので、仲人は、
「どうしてそのようなことがありましょうか……北の方も 姫君を大層大切にお世話を申し上げております。ただ、姫君は姉妹の最年長で、お年も成人していらっしゃるのを 可哀相に思って、『この娘に縁組みを……』と申されただけです」と言いました。少将は、
「この数ヶ月、北の方は、尋常でない程に その姫君を大切にお世話していた…と言いましたけれど、
突然こう言うのも どうかと思うけれど、やはり一度は辛いと恨まれ、人からは謗られることがあろうとも、長生きして頼みになる人生こそ 良いものだ……」と 賢く決心したので、日程を変更しないで、約束した日の夕方、守の実娘のところに通い始めることになさいました。

 北の方は人知れず婚儀の準備をして、女房たちの装束や室内の設えなどを 趣きあるように整えておりました。姫君の髪を洗わせ 身繕いして見ますと、少将程度の男と結婚させるのも大変惜しく、勿体ない御様子に見えるので、
「可哀相に……父親(八宮)に認知されてお育ちになったならば、もし親が亡くなったとしても、
薰大将殿が仰るような 身分相応の御縁を、どうして思い立たないことなどありましょうか……
けれど内心ではこう思っても、他人の評判では守の子と区別せず、また真実を尋ね知った人がかえって見下すであろう事こそ、悲しいことです……」などと思い続けておりました。
「どうしたらよいのだろう……。姫君が女盛りを過ぎてしまわれるのもつまらぬこと……身分の高く 見苦しくない程度の人が、このように熱心に求婚なさるのに……」などと、心一つで決めようとすると、このような言葉巧みな仲人に、親は騙されるのだろうか。婚姻の日が、明日・明後日となり、心が落ち着かず気忙しい時、こちらも心のどかではいられず、そわそわ忙しく歩いていると、常陸介が外から入ってきて、長々と滞ることなく、北の方に言い続けるには、
「私を分け隔てして、わが娘の御婿を奪おうとなさったのが、身分不相応で浅はかなことだ。落ちぶれた故八宮の娘を妻として迎えなさる公達は、いないだろう。賤しく見苦しい私の娘に 公達は賤しくも求婚なさるようだ。貴女は、少将との婚儀を賢くも企てたようだけれど、少将には全くその気がなく、他の娘の婿に…とお思いになってしまったようなので、同じことならわが婿に…と お許し申したのです」などと、妙に心ない言葉を、相手の気持ちも考えずに言い散らしました。北の方は呆れて何も言えずに しばらく思い沈み、世の中の辛さをかき集めたように涙も落ちて、なお思い続けて そっと立ち上がりました。

 姫君の所に渡ってみますと、大層可愛らしい様子で座っていらっしゃいました。
「そうは言っても、この娘は 他人には少しも劣ってはおられぬ……」と自分の気持ちを慰めました。乳母と二人で、
「嫌なものは 人の心でございます。私は、同じようにお世話していても、この姫君が御縁(婿に)と思う人のためには、命をも譲ろう考えています。少将は『父親がいない』と馬鹿にして、この娘を差し置いて、まだ幼く成人してもいない妹に乗り換える……などと言えるものでしょうか。
 こうして狭い同じ家の中で、婚儀の準備を見るまい聞くまいと思っていたけれど、守がこれを名誉なことと思って 騒いでいるようなので、少将も守もよく似ている……と呆れ果て、
『世の人の全てのことに、口を差し挟むまい……』と決めました。どうにかして、暫くの間、ここではない所で暮らしたいものです……」と泣きながら言いました。乳母も、少将が姫を見下していることが、大層腹立たしく、
「なぁに……これもわが姫君のご幸運な事として、縁組みが違うことになったこともしれません。少将はあのように残念な方なので、他人のものにしてしまうのが惜しいほど美しい姫君のご様子をもご存知ないのでしょう。大切な姫君は思慮深く 道理の分かる方にこそ差し上げたいものです。
……先日、薫大将殿のご様子やご器量をちらっと拝見しましたが、まるで命の延びる心地が致しました。さらに有り難いことに、その薫大将殿からお世話したいとお話が参りました。姫君の御運命に任せて、そのようにお決めなさいませ……」と申しました。北の方は、
「まぁ、怖ろしいこと。人の噂によると、長い間、薫大将は 普通の女性をお世話するつもりはないと仰って、右の大殿・按察の大納言・式部卿の宮などがとても熱心に婿に迎えたいと仄めかしなさっても、それを聞き過ごして、遂には帝の大切になさった姫宮(女二宮)を得なさった……一体 どれほどの女性なら 熱心にお想いになるのでしょう。あの母宮(女三宮)のおられる御邸に宮仕えをさせて 時々でも逢いたい…とお思いなのでしょうか……それはまた誠に結構なお話ですけれど、親としては 大層胸の痛いことでございます。世間の人は、宮の上(中君)を「何という幸い人(丶丶丶)か」と言うけれど、物思いをなさるお姿を見れば、どうしてどうして、二心の無い人だけが 安心して信頼できる人なのでしょう。自分の体験と置き換えてみても よく分かります。
 故宮(八宮)のご様子はとても情愛深く、素晴らしくご立派におられましたけれど、私を人数にもお思いにならなかったので、どんなにか心が重く辛い日々でございました。この常陸の守は、大層 言う甲斐もないほど情けなく 姿や外見の悪い人ですが、ひたむきで 二心ないことを思えば、私は安心して長い年月を共に過ごしてくることができました。この折節の心遣りが 荒々しく気遣いのないことこそ憎らしいことですが、酷く嘆かわしく恨めしい事もなく、お互いに喧嘩をした時にも、心に添わないことは諦めもしました。上達部や親王達で、雅やかで気後れするほど素晴らしい人々の身近に嫁ぐというのも、こちらの身分が低くては、何の甲斐もありません。万事のことが自分自身のせいでそうなった…と思えば、また全てに悲しいものでございます。何とかして、人から笑いものにならないように、お世話申し上げたいものです……」などと話し合いました。

 守は、婚姻の準備に取りかかっていました。北の方に、
「姫君の傍に仕えている大勢の見栄えのする女房達を、この度は、わが娘(二女)の許にお移しください。帳台(寝床)等 既に新しく設えたものは、事情が差し迫ったので、そのままこちらへ渡して……とにかく改めて設えることもない」等と言いながら、西の方(姫君方)に来て、婚儀の準備に忙しく動き回りました。北の方が、感じがよく さわやかに充分に設えた屏風などを持ってきて、守は偉そうに、鬱陶しい程に並べ立て、厨子や棚をも見苦しいほどに増やして、心を込めて準備していました。北の方は 見苦しいけれども「口は出すまい」と思っていたので、ただ見ていました。
 姫君は、西の対の北面(きたおもて)におりました。

 守は、
「お前の気持はすっかり分かった。二女も同じ私の娘なのだから、こんな風に知らん顔をすることはない。それはそれで構わない……世に母の無い子はいないのだから……」と、昼から 乳母と二人で、念入りに装い立てましたので、二女は特に憎らしげなこともなく、十五、六歳位で、とても小柄でふっくらしていて、また黒髪が美しく、その丈は小袿ぐらいで、その裾は大層ふさふさしていました。これを「大層素晴らしい……」と思って 撫でておりました。
「何か、特別に婿にと思っていた人(少将)を奪ってしまったけれど、少将の人柄を見逃すのは惜しく、優れた人なので、我も我もと 婿にしたいという人も多く、他人にとられるのも残念なので……」と、あの仲人にすっかり騙されて言いますのも、愚かな話でございます。
 男君(少将)も、この守の徳(財力)が立派で、自分の思い通りになる事を考えれば、いろいろな欠点は問題にならない……」として、その夜から二女のところに通い始めました。

 母君や御方の乳母は、とても呆れたことと思っていました。何か道理に合わないので、少将をこのままお世話するのも気に添わない…と、匂宮の北の方(中君)のもとに、御文を書きました。
 「特別の御用事もありませんのに、ご無礼かと遠慮していて 思いのままにお便りを差し上げることができませんでしたが……慎むべきことがございまして、暫く娘の居所を変えさせたいと存じます。大層人目につかない所で 隠れる場所がそちらにありますならば、とても嬉しく存じます。人数にもならぬわが身ひとつでは、隠れることもできず、残念なことのみ多い世の中ですので、頼れる方はそちらしかありません。まずはお便りさせて頂きました」

 涙ながらに書かれた御文を受け取り、中君は「お気の毒に……」とご覧になりましたが、
「父宮が 娘として認知なさらなかった子を、今、私独りが生き残って、お世話をするのも躊躇われ、父君が大層隠しなさった事ですが、その子が見苦しい様子で世に落ちぶれるのを、知らん顔しているのもお労しいこと……特別なこともなく、この姫と私が お互いに散り散りになるのは、亡き父君のためにも、見苦しいことでしょう……」等と 思い悩みなさいました。
 太輔(女房)のもとに、大層辛そうに手紙をお書きになりましたので、大輔は、
「何かご事情があるのでしょう。人を恨みに思って、体裁悪くお返事をなさらない方が良いでしょう。このような身分の劣る者が、姉妹の仲に混じっていらっしゃるのも、世間ではよくあることでございます。何とも 故父宮の情のないやり方でございます……」などと申し上げて、
「それならば、二条院の西の方に仕切りをして、身を隠す場所をお作りしましょう。むさ苦しいようですが、そこでお過ごしになってはどうでしょう。暫くの間でも……」と返事を遣わしました。
 北の方はとても嬉しく思って、人目を忍んで 乳母や若い女房達二、三人連れて、二条院へ向け出立致しました。姫君も、あの血縁の方(中君)と仲良くしたい……と思う心があるので、かえってこのような事ができるのを、嬉しいとお思いになりました。

 常陸介は、少将の婚儀の待遇として、どんなにか立派な事をしようと思うけれど、その立派であるべき方法も知らないので、ただ粗末な東絹の巻物を押し丸めて投げ広げました。食べ物も所狭きまでに運び出しては 大騒ぎをしておりましたので、下衆などは「とても有り難いお心遣いだ」と思っていました。あの少将も「我ながら、何と賢く守に取り入ったものだ……」と、大層理想的になった…と思っておりました。
 北の方は「この様子を 見捨てて知らぬ顔をするのも、ひねくれているようだから……」と、思い耐えて、ただ守のするままに任せて見ておりました。客人(少将)の御座敷や供人の控える部屋の準備に騒いでいるのですが、家は広いけれど、源小納言(先妻の娘婿)が東の対に住み、男の子なども多くいるので、もう場所がありません。ここに少将が住みついてしまう時に、廊などの端の辺りにこの娘(浮舟)を住まわせるのは、どんなにかお気の毒に思えて、あれこれ思い巡らすうちに、やはり匂宮のところに……と思い付くのでした。
「後見人がいないので、守が馬鹿にする……」と思えば悔しく、特に認知して下さらなかった方ではあるけれど、無理にも身を寄せることに致しました。


二条院の西の廂の北寄りの、人目につかない所に、姫君の部屋を作りました。北の方は長い年月、常陸に遠く離れていましたが、疎遠に思うべき人ではないので、訪れた時には 快くお逢いになりました。中君が理想的に格別なご様子で、若君のお世話をしていらっしゃるご様子を、羨ましく思えるのも、お気の毒なことでございます。
「八宮の亡き北の方には、私は血縁のある者ですが、お仕えする女房として 人並みに扱っていただけませんでした。残念なことに、今もこのように、守からも見下されている……」と思うと、中君に 強いて親しくしていただくのも、何となく不本意なこと。この二条院には「姫の物忌みでこちらに参りました」と言ったので、誰も訪れて来ません。二、三日程は母君も一緒に居ましたので、心のどかに ご様子を眺めて過ごしました。

 匂宮が二条院にお渡りになりました。北の方が物陰から垣間見ますと、大層美しく、桜を手折ったように華やかなご様子をなさっていました。北の方の心には、自分が頼みに思う人と思えば 恨めしいけれど、「背くまい……」と思う常陸の介よりも、御姿・容貌や御身分も、この上なく素晴らしく見えました。五位、四位の者たちが一斉に跪いて伺候して、家司(けいし)等があれこれと身辺のことなどを申しあげていました。また、若そうな五位の人達で、顔を知らない者も多くおりました。守の継子である式部の丞(三位)で蔵人である者が、内裏の御遣いとして参上しましたが、匂宮の御側近くにさえ参ることができません。この上ないご様子を
「あぁ、どういう人だ。このような宮のお側におられる中君の 何と幸運なことよ。他所で思っていた時には、素晴らしい人々と申しても、中君に辛い思いをさせなさった嫌な方……」と、疎ましく想像していたけれど、何とも浅はかな考えだった。「七夕のように、例え一年に一度の逢瀬でも、こうしてお逢いして、お通い下さるのは、大層素晴らしいこと……」と思いました。

 匂宮は若君を抱いて可愛がっておられました。女君(中君)は、短い几帳を隔てていらっしゃいますので、それを押しやって、中君に何かお話し申し上げなさいました。お二人のご器量はどても美しく とても似合っておいでになりました。
 几帳の中に宮がお入りになりましたので、若い女房や乳母などが 若君をお世話申し上げました。
 官人達が大勢参集しましたが、匂宮は「気分が悪い……」と仰って、一日中、お寝みになってお過ごしなさいました。
 御臺(食膳)をお持ち致しました。万事のことが気高く格別に見えるので、
「私などが大層素晴らしいことをし尽くしても……所詮、普通の人のすることなど物足りない……」と、北の方には分かったので、
「私の娘も、このように 親王たちと並べても見劣りはしないだろう。……父親が財力を頼りに 中宮にでもしようと思っている娘達とは、同じ娘ながら 気配が全然違うのを思うと、やはり今後は、理想だけでも高く持たなければいけない……」などと、一晩中、将来のことを思い続けていました。

 匂宮は、日が高くなって お起きになり、
「后の宮(明石中宮)がいつものように、お具合が悪くおられるので、お見舞いに参内しよう……」と仰って、御装束などお召し替えになられました。宮のことをもっと知りたいと覗いておりますと、立派に身繕いなさったお姿が 又と似る者もなく、気高く魅力的で 立ち居振る舞いが美しく……、若君を見放すことが出来ずに 遊んでおいでになりました。
 御粥や強飯などを召し上がってから、中君方よりお出かけになりました。今朝から参上して 控所で休んでいた供人達は、今こそ 匂宮の御前に参って ものなど申し上げていました。その供人の中に、めかし込んだ何の取柄もない人で、興ざめな顔をしたまま、直衣を着て太刀をつけている者がおりました。御前では目立つところもないこの男について、女房達は、
「あれこそ、常陸の守の婿の少将です。はじめは、御方(浮舟)との婚姻が決まっていたのに、守の実娘を得てこそ大切にされるだろう……と言って、この窶れた女の童を得たようだ」
「さぁ、こちらの女房たちは決してそんな噂は言わないけど、あの守の方からは良く聞く話です」などと、仲間同士で言い合っていました。聞かれているのも知らないで、女房達がこのように言うにつけても、北の方は胸がつぶれる思いがして、少将を無難な男と思っていたことさえ 口惜しく、
「誠に、大したことはない男だ……」と、ますます見下したく思いました。

 若君が這い出して、御簾の端から覗いていらっしゃるのをご覧になって、匂宮は立ち戻りなさいました。
「中宮のご気分が佳く見えましたら、内裏からすぐに退出しましょう。やはりお苦しそうならば、今宵は宿直して……今は一晩でも 若君にお逢いしないのは、気がかりで辛いことだ……」と仰って、暫く若君のご機嫌をおとりになって、お出かけなさったご様子が、何度見ても飽きることない程、華やかでお美しいので、退出なさった後の名残りが物足りなく、物思いに沈んでしまいました。

 女君(中君)の御前に出てきて、匂宮を大層お誉め申し上げると「田舎びたお考えですこと……」とお笑いになりました。北の方は、
「故母上が亡くなられました時には、貴女様はお話しにならないほど幼い頃で、「どのようにならねるのか……」と、お世話する人も故宮(八宮)も 思い嘆かれましたのに、この上ない運命の方なので、あのような宇治の山里の中に成長なさったのでございますね。残念なことに、姉君(故大君)の亡くなられたことこそ惜しまれることでございます……」などと、泣きながら申し上げました。中君もお泣きになって、
「世の中が恨めしく心細く思えた折々も、又、このように長生きしていれば 若君がお生まれになるなど 少しは心慰める折もありましょう。昔、お頼り申し上げていた方々に先立たれた時には、かえって世の常(ヽヽヽ)と思い諦めて、母の頼りも存知上げないままになってしまったので 心慰めております。やはり姉君が亡くなられたことだけは、尽きせず悲しいことでございます。薫大将の……大君以外には心が移ることなく お嘆きになる深い愛情を見るにつけても、誠に残念なことでございます……」と仰いますと、
「大将殿は、世の中に例のないほど 帝が大切になさっている方と思われますが、心驕っておられることでしょう。大君がもし生きておられたとしても、やはりこの降嫁を辞退なさらなかったでしょう」と申し上げました。
「さぁ、姉妹が同じ様な運命だと 人から笑われる気が致しますが、かえってみじめな気持ちがしたでしょう。望みを遂げられなかったことにつけても、大君とは心残りな仲であったと思いますが、あの薫大将殿はどういう訳か、不思議なまでに姉君をお忘れになられずに、父宮の亡くなられた後の追善供養さえも、思いやり深くご供養なさり奔走しておられるようです」などと、打ち解けて親しくお話しなさいました。北の方は、
「あの亡くなった大君の代わりとして、姫君を捜し出してお世話しよう……と、この人数にもならない娘のことまでも、辨の尼君に仰ったようでございます。「ではそのように……」と、おすがりしてよい話ではありませんし、同じ血縁だから……とは畏れ多いことですが、しみじみ心優しい方だと思われる御心の深さでございます……」などと言うついでに、この姫君のお世話に困っていることなどを、泣く泣くお話しました。細かくではないけれど、女房たちも聞いていると思うので、少将がこの姫君を馬鹿にした様子などを少し話して、
「私が生きている限りは、何とか朝夕の話相手として 姫の世話をして暮らせましょう。けれど先立ってしまった後に、思いがけない様子で 娘が落ちぶれてしまうのは悲しいことですので、出家でもして深い山中に住まわせて、世の中を諦めてしまおうか…などと悩んだ末に、こちらを思いついた次第です」などと申し上げました。

「誠に、姫君のお気の毒なご様子ではございますが、何ということでしょうか。人から馬鹿にされるご様子は、この私達の如くに、孤児になる人の運命なのでしょう。そうかといって深山に籠もって生きることが出来ないので、強いて父・八宮が仏の道に身を置いて考えていた私でさえ、このように、都にて心ならずも生き永らえております……まして出家などは あってはならないこと。尼姿に身を窶しなさるのも、姫君にはお気の毒なことでございます……」などと、年上らしく分別めいて仰いますのを、母君は大層嬉しく聞いておりました。北の方は老けて見えるけれど、品があり美しげで、ひどく肥えすぎていて、いかにも常陸殿(田舎の受領夫人)と見えました。
「故八宮が情けなくも 姫君をお見捨てなさったので、ますます人並みと見られずに、世間からも見下される……」と拝見していましたが、私がこう申し上げ、中君にお目にかからせていただけるにつけても、八宮の昔のお苦しみが慰められるようでございます……」など、長い年月の物語や、感慨深いことなどを申し上げました。さらに、
「これはわが身だけの辛さと思い、話し合う相手もない筑波山での暮らしをも、貴女様に打ち明けることも諦めて、いつまでもお側にお仕えしていたいと思っておりますが、常陸方では、出来の悪い卑しい子供たちが どんなにか立ち騒ぎ、私を捜していることでしょう。やはり心慌ただしく思っております。このような身分(受領の妻)に身を落として残念なことだと、自分でも思い知りましたので、この娘だけは、ただ貴女様にお任せ申し上げて、今後は決して私は口出しは致しませんので……」等と、中君にお話し申し上げるので、
「誠に……この姫君には見苦しくないように 過ごしてほしい……」とお思いになりました。

 この姫君は容姿も人柄も 憎めない程に可愛らしくいらっしゃいました。恥ずかしげな素振りも大袈裟でなく、よい具合に落ち着いていて才気があり、中君の近くに仕えている女房達からも 大層よく身を隠していらっしゃいました。物などを仰るご様子も、昔の人(大君)に不思議なまでに似ていらっしゃるので、大君の人形(ひとがた)(身代わり)をお求めなさった薫大将にお逢わせ申し上げたい……」と、思い付きなさった折しも、「薫大将殿が参られました」と女房が申しましたので、中君は いつものように御几帳を整えて心遣いしておりました。
 この客人の母君は「さて、薫大将を拝見させて頂きましょう。以前ちらっと拝見した女房が、大層高貴な方だと申していたけれど、匂宮の御様子にはとても比べものにならないでしょう……」と申しますと、御前にお仕えする女房達は、
「さぁ、優劣はとても決め申し上げることはできません」等と話し合っておりました。中君は、
「薫大将と匂宮が向き合っておられますと、宮は大層情けなく見劣りしてお見えになりますが、別々に拝見すると、いづれも優劣が決められない……お姿の素晴らしい方は、回りを圧倒するところが憎いところです」と仰いました。女房達は笑って、
「けれど匂宮は、決して薫大将に圧倒されることはないでしょう。どれほどの人が 宮をお負かせ申しましょうか……」等と言っているうちに、
「今、御車からお降りになるようです」という声を聞く時、うるさい程に御前駆の声がしましたが、すぐにはお見えになりません。
 中君たちがお侍ちになっている部屋に、薫大将が歩いて入りなさる御姿を拝見しますと、誠に
「あぁ、何ともご立派で、好色めいては見えないものの、優雅で気高く美しい……」 北の方は、何となく心惹かれながらも お逢いしがたいほど遠慮されて、額髪などを引き繕いました。薫大将は 慎み深いご様子で、この上ない素晴らしいお姿でございました。内裏からおいでになったようで、御前駆を大勢率いた気配がして、
「昨夜、后の宮(明石中宮)のお具合が悪いと承って 参内致しましたが、中宮腹の宮たちがお仕えしていないので、お気の毒に思い申し上げて、匂宮の代わりに、今まで伺候しておりました。
今朝も、匂宮がとても面倒臭そうに参内なさいましたのを、何とも残念な御過ちとお察し申し上げ……」と仰いますと、中君は「誠に酷いことで、貴方の思いやり深いお心遣いを頂きまして……」とお答えになりました。
 匂宮が内裏にお泊まりになったのを見て、薫大将はおいでになったようでした。いつも通りの物語などを とても懐かしげにお話しなさいました。事にふれて、ただ大君のことを忘れがたく、世の中がだんだん辛いものになりゆくことを、はっきりとは仰らず、それとなくご心配なさいました。
「それほどまでに、どうして時を経ても 心から大君のことが離れずにおられるのか。やはり深く想いを伝えたことから、忘れられたくないのだろうか……」とお思いになりましたが、薫大将の御様子を見て、そのしみじみしたお気持ちがはっきりお分かりになりました。中君のことを恨みに想っていることも多いようなので 大層困って、そのお気持ちを休める御禊(みそぎ)を、薫大将におさせ申し上げたくお思いになったのか、あの人形(がた)(形代・身代わり)のことを仰いまして、
「実は今、とても忍んで……この人形はこの辺りにおります」と、それとなく申しなさいました。薫大将は普通の気持ではいられずに、八宮の姫君の話に興味を持たれましたが、急に心移りする気はありません。
「さて、そのご本尊が願いを満たしなさったなら、尊いことでしょうが、時々貴女に心惹かれるようでは、かえって悟りも濁ってしまいましょう」と仰いますと、最後には「困った御聖(ひじり)心ですこと」と、中君が少しお笑いになりますのも、北の方には興味深く聞こえました。
「さぁ、それならば、北の方に私のことを全部伝えて下さい。貴女のこの逃れ言葉も思い出すと不吉でございます……」と仰って、薫大将はまた涙ぐまれました。

    見し人の形代(かたしろ)ならば身に添へて 恋しき瀬々の撫で物にせむ

     (訳)亡き大君の形見ならば、いつも側において
        恋しい時の撫で物としましょう

と、いつものように戯れに仰って、気を紛らわしなさいました。

   御禊川(みそぎがわ) 瀬々にいださむ撫で物を 身に添ふかげとたれか頼まむ

     (訳)御禊川の瀬々に流し出す撫で物を 
        いつまでも側に置いておくと誰が期待しましょうか

引く手あまたとか……お気の毒に思います」と仰いますと、薫大将は、
「最後に寄る瀬は言うまでもなく、大層忌々しいような水の泡にも負けないようですね。捨てられて流された撫で物なら尚更のこと、どうして形代(かたしろ)(見代わり)で慰めることなどできましょうか……」と話しているうちに、辺りが暗くなるのも厄介なので、一時的にここに泊まっている北の方が、変だと思うのも躊躇われ、
「今宵はやはり早くお帰りなさいませ」と促しなさいました。
「それならば、その客人(北の方)に、私のこの願いを、何年も持っていたもので「急なこと」などと軽々しく考えないように……とお伝えくださって、私が体裁悪くならないように願います。恋路には大層不慣れな私には、何事にも愚かしいほど不得手で……」と申し置いて退出なさいました。
 この母君は、
「何とご立派で理想的なご様子でおられること……」と誉めて、乳母が突然思い付いたように「薫大将を婿(丶)に……」と度々言ったのを、あり得ないことと思ったけれど、このご様子を拝見してからは、天の川を渡ってでも この彦星の光をこそ待ち受けさせたいものだ……我が娘は、平凡な人と結婚させるには惜しいご様子なので、東国の田舎者をのみ見馴れてしまい、あの少将でさえ立派な者と思ってしまった事を、今は悔しいまでに思いました。薫大将が寄りかかっておられた真木柱も茵も、その名残りに匂っている移り香が、大層格別なまでに素晴らしく、時々拝見する女房でさえ、その度毎にお誉め申し上げておりました。
「お経などを読んで功徳の優れたこともあるようなのも、佛が、香の芳しいのをこの上なく素晴らしいこととして 説いて置かれたのも尤もなこと。薫大将を見れば、薬王品(法華経)などにも特別に説いておられる「牛頭(ごず)栴檀(せんだん)」(牛頭山からでる香木)とかは 名前は大袈裟だけれど、……まず あの殿(薫)が近くで身動ぎなさると、佛が本当にそう仰ったのだ……と思わされます。幼い頃より、勤行も熱心にしておられたからでしょう……」等と言う者もおりました。また、
「前世が知りたいと思うほどに素晴らしい薫大将の御様子でございます」等と、口々に誉めるのを、北の方は思わず微笑んで聞いておりました。

 中君はこっそりと 薫大将のご意向を、北の方に仰いました。
「思い付いたことには 執念深いまでに慎重になられますのを、ただ今のご様子などを思えば、厄介な気持ちがするでしょうけれど、出家をしてでも…などとお考えになるのと 同じことだとお思いになって、薫大将との縁組をお試しなさいませ」と仰いますと、北の方は、
「わが娘には辛い目に遭わずに、人から侮られまいと考えて、鳥の音も聞こえない山奥の尼寺の住まいまで考えておりました。誠に、薫大将の御様子や態度を拝見して思いますには、下仕えの身分でもよいから、このような方の身近で親しくしていただけるのは、生き甲斐のあることでございましょう。まして若い人は薫大将にきっと夢中になってしまうでしょうけれど、数にもならぬ身分で、物思いの種を、今以上に蒔かせることになるのでしょうか。身分の高い者も低い者も、女というのはこのような男女の仲で、現世と後世まで苦しい身になるものと思いますので、娘を可哀相に思っております。それもただ貴女様のお心次第でございます。ともかくも 娘をお見捨てになることなくお世話くださいますように……」と申し上げるので、中君は煩わしくなって、
「さあ、どんなものでしょうか。薫大将の過去の御心の深さに気を許しても、行く先のことは分かりません」と嘆いて、特に他には何も仰いません。夜が明けてきた頃、守からの手紙がきて、大層腹立たしげに書かれていましたので、
「畏れ多いことですが、娘のことを万事お頼み申し上げて、私は帰ります。やはりしばらくの間、お隠し頂いて、尼にするにしても、巌の中にお隠しになるにしても、どこなりとも、私が思い巡らします間は、人並みの者ではありませんが……お見捨てなく、何事も教えてやってくださいませ」等と、泣きながら申しました。
 一方、この姫君も大層心細く、初めて母と離れることを心細く思っていましたが、華やかで美しい二条院で、しばらくの間でも、中君と親しくしていただけることを思えば、そうは言っても…嬉しく思われるのでした。

 御車を引き出す時 少し明るくなった頃に、匂宮が内裏より退出なさいました。若君が気がかりにお思いになったので、御車もいつもの様ではなく 人目につかないようにしていましたが……北の方の御車と出くわしてしまいました。車を押し止めていると、匂宮は廊に御車を寄せて お降りになりました。
「誰の車か……暗い時に急いで退出するのは」と、目を止めなさいました。
「このように忍んで、女の所から帰って行くものだね……」と、宮の御心はそうお考えになるのも嫌なことでございます。「常陸殿が退出なさいました」と供人が申し上げると、匂宮の若い御前駆達は、「殿などと大袈裟な……」と笑い合っておりました。それを聞いて、北の方は、
「誠に、匂宮に比べて、私はこの上なく劣れる身分だ」と悲しく思いました。ただ、この娘のことを思うと、自分も人並みになりたい……まして娘を低い身分の男と結婚させるのは、ひどく惜しいと強く思うようになりました。
 匂宮は、中君の部屋にお入りになって、
「常陸殿という人をこちらに通わせていますか。風情ある朝ぼらけに、急いで出て行く御車の供人達が格別に見えましたが……」と、内心 やはり薫大将か……とお疑いになって仰いました。
「聞きづらいことを……回りの者がどう思いましょう」と、中君は、
「大輔(女房)などが若かった頃、友人であった人です。特に華やかにも見えなかったのに、訳ありげに仰るのですね。貴方は人聞きの悪いことばかりを いつも仰いますが、在りもしない噂を立てるばかりで困ります……」と、宮に背を向けなさるのも 可愛らしくいらっしゃいました。
 夜が明けるのも知らずにお寝みになっていると、上達部達が大勢参上なさいましたので、宮は寝殿にお渡りになりました。后の宮(明石中宮)は深刻なご病状ではなく 回復なさいましたので、左の大臣殿(夕霧)の公達などと碁を打ったり、韻塞ぎなどしてお遊びになりました。

 夕方、匂宮がこちら(中宮方)にお渡りになりますと、中君はご洗髪の時でした。女房達もそれぞれ局にて休むなどして、御前には誰もおりません。
「折悪くご洗髪の時とは……一人寂しくぼんやりしていようか……」と仰いますと、大輔が、
「誠に……匂宮様のおられない時にこそ、いつもは洗髪を済ませますのに、中君は不思議と この頃は洗髪を億劫にお思いになりまして……今日を過ぎれば 今月の吉日もありません。九月十月には、洗髪の日があろうか……と、今日行うことになりました」と、お気の毒そうに申し上げました。若君もお寝みになっていましたので、そちらに女房達 誰もが行っている様でした。

 匂宮が 所在なくただぶらぶら歩きなさいますと、西の方に いつも見たことのない童女が見えたので、
「最近、参った童か……」とお覗きになりました。中程にある襖障子が細めに開いている所からご覧になりますと、障子の向こうに一尺ほど離れて屏風が立っていて、その端に几帳が御簾に添えて立ててあり、帷子の一枚を横木にかけて、紫苑色の華やかな袿に、女郎花の織物に見える着物を重ねた袖口が見えていました。屏風の一枚が畳まれていた所から、意外にも女の姿が見えるようです。
「最近参上した女房で、かなりの身分のようだが……」と、この廂に通じている襖を、大層そっと押し開けなさいまして、そっと女に歩み寄りなさいました。けれども誰も気付きません。こちらの渡廊の中の壺前裁が大層美しく 色とりどりに咲き乱れる中に、遣水の石が高くなった所が特に美しいので、女は端近くに添い臥して、眺めておりました。
 匂宮は開いた障子をいま少し押し開けて、屏風の端から覗きなさいますと、女は匂宮とは思いもかけず、いつものこちらに来なれた女房だろう…と思って 身体を起こした姿は、大層美しく見えました。匂宮のいつもの好色な御心はこれを見過ごせずに 女の着物の裾をとらえて、こちら側の障子は引き締めなさって、屏風の間にお座りになりました。
「変だ……」と思って、扇で顔を隠して振り返る様子が とても愛らしくいらっしゃいました。扇を持った手をとらえて、匂宮は
「どなたですか、お名前を知りたい……」と仰いますと、女は怖い(丶丶)とお思いになりました。匂宮はその物陰で 顔を外に向けて隠して、大層お忍びになっているので、
「あの、とても想いを寄せて下さっているという薫大将だろうか。香ばしい様子もそれらしい……」と思われ、とても恥ずかしく、どうしてよいか分かりません。
 その時、乳母が 人の気配がいつもの様子ではないので「怪しい……」と、あちら側にある屏風を押し開け入ってきました。
「これは一体どういうことですか。おかしなことですね」と申し上げましたが、匂宮にとっては、遠慮すべきことでもないので、このような突然の御戯れですけれど、饒舌なご性格なので、何やかやと仰るうちに、やがてすっかり暮れてしまいました。
「お名前を聞かないうちは この手を離しません」と、馴れ馴れしく横に臥せなさいましたので、
「これは匂宮であったか……」と思い当たりました。乳母は もう言葉もなくただ呆れておりました。
大殿油は燈籠に入れて、
「すぐに中君がお戻りになりましょう」と、女房たちは言い合っているようです。御前以外の所の御格子なども下ろしてありますが、姫は やや離れたところを使っていて、高い棚厨子を一具立てて、袋に入れた屏風を所々に寄せかけて、何やかやと雑然とした様子にとり散らかしてありました。
「このような所に、人がいらっしゃる……」と、母屋へ通う道の障子を一間ほど開けてあるので、右近(大輔の娘)という中君に仕えている者が来て、御格子を下ろして こちらに近寄ってきました。
「まぁ暗いこと。まだ大殿油もお持ちしていない……私 暗闇に迷ってしまいます」と言って、御格子を急いで下ろして引き上るので、匂宮も「困ったことだ……」とお聞きになりました。乳母は 誠に困ったことだと思い、この人は隠しごとをしない せっかちで気の強い人なので、
「申し上げます。こちらにとても怪しいことがございまして……私が見つけて困り果て 身動きも取れずにおります」
「何事ですか」と右近が探りますと、とても香ばしい香りの袿姿の男が、姫君に添い臥しておられるので、「いつもの匂宮のけしからぬ御たわむれ(ヽヽヽヽ)」と思い当たりました。
「いや、姫君が承知なさるはずがない……」と、右近には推察されますので、
「誠に見苦しいことでございます。何とも私には申し上げられませんが、早速、中君の御前に参りまして、忍んでお話し申し上げましょう」と退出するので、女房たちは誰もが、呆れかえってとても体裁の悪いこと…と思いましたけれど、匂宮はまったくひるみません。
「驚くほど気品があって美しい人だなぁ。やはり誰なのだろう。右近が言う様子からみて、とても普通の新参者ではないようだが……」と納得がいかず、いろいろ言っては 姫君をお恨みなさいました。姫は好意的な素振りですが、決してお相手は致しません。ただ酷く死ぬほど辛そうなご様子なので お気の毒に思われ、宮は心情深くお慰めなさいました。
 右近は、中君の御前に参って、
「これこれしかじかでございました。姫君がどんなに困っていらっしゃるか……」と申し上げますと、中君は、
「いつもの匂宮の情けない御戯れですこと。あの母君も、どんなにか軽薄で許し難いこととお思いになるでしょう。繰り返し、後々安心して暮らせるようにと、言い置いていかれたのに……」と気の毒にお思いになりました。更に「匂宮にはどう申し上げよう……仕候する女房達にも、少し若くて美しい女は見捨てることのないご性格の方。でも、どのようにして 姫君にお気づきになったのだろう……」と呆れ果て、結局、何も仰ることができませんでした。
 上達部が大勢参上なさる日。いつもこのような時には 大いに遊び戯れなさって、 中君方には遅くなってからお渡りになるので、女房達は皆、気を緩めて休んでいるようです。
「それにしても、どうしたら良いでしょう……あの乳母は気が強いから、しっかり姫君に寄り添ってお守りして、匂宮を引き離しかねない…」と、大層悩んでいる時に、内裏から使者が参上しました。
「大宮(明石中宮)が この夕暮れから胸をお苦しみなさいまして、ただ今、酷く重くなられました」と申しましたので、右近は、
「折悪しく……けれど ご病状を すぐ匂宮に申し上げましょう」と退出致しました。少将は、
「さあ、今は言っても無駄でしょう。馬鹿らしいことで、あまり匂宮を脅かしなさいますな……」と言いますと、「いやまだそこまではいってないでしょう……」等と、こそこそ忍んでささやき交わすので、中君は、
「ひどく聞きづらいご性格の方ですね。少し分別ある人なら、私のことさえ疎ましく思うでしょう」とお思いになりました。
 匂宮のところに参って、御遣者が申すより もう少し急ぎの件のように申し上げますと、匂宮は動きそうもない御様子のまま、
「誰が参ったのか……いつものように大袈裟に私を驚かすようだ……」と仰いましたので、
「中君に仕える平重経(たいらのしげつね)と名乗りました」とお答え申しました。
宮には、退出なさることが大層心残りで残念なご様子なので、人目も構わずに、右近が外に出て、この遣者を西面に連れてきて訊ねました。取り次いだ女房も近寄って来て、
「中務(なかつかさ)の宮が、内裏に駆けつけ参上なさいました。中宮の大夫(だいふ)が、ただ今参ります途中で、御車を引き出しているのを拝見しました」と申し上げるので、
「なるほど……時々急にお苦しみになる折々もあるが……」と深刻に受けとめ、遅く参上すると 人が体裁悪く思うだろう……と、姫君を恨んだり、再会のお約束などなさったりして、ようやく退出なさいました。

 姫君は恐ろしい夢が覚めた心地がして、ぐっしょり汗をかいて臥っておいでになりました。乳母は扇で仰いだりなどしながら、
「このような住居は 万事につけて遠慮され 不都合でございました。匂宮がこのようにおいでになったからには、今後は 良いことはありますまい……ああ恐ろしいこと。高貴な方と申しても、安心出来ない御振る舞いは 大層困ったことです。外の縁故のない人なら、良いとも悪いとも思って頂きましょうけれど、これは外聞にも悪いこと。私が降魔(がま)の相(不動明王の表情)をして、じっと宮を睨みつけましたところ、大層気持ち悪く 下衆な女とお思いになってか、手を強くおつねりになったのは、普通の人の恋愛沙汰のようで、大層可笑しく思われました。

 一方、常陸邸では、今日も守と北の方の酷い諍(いさか)いがございました。守が、
『貴女は、ただ一人の娘のお世話をすると言って、他のわが子を放り出しています。客人(少将)がおられる時の外泊は 何とも見苦しい……』と、荒々しく 北の方を非難なさいました。下人達さえ これを聞いて、北の方をお気の毒に思っています。すべて、この少将の君こそが愛敬ない人と思われなさいます。この事(少将と二女の結婚)さえなければ、内々で安心できず難しいことが時々あろうとも、長い年月 穏やかに過ごしなさっておられましたのに……」等と、乳母は泣きながら申しました。

 姫君は ただ今は 何も考えることが出来ずに、ひどく体裁が悪く、経験したことのない目に遭った上に、「どのように 中君はお思いになるでしょうか……」と思うと辛いので、うつ臥してお泣きになりました。乳母は「とてもお気の毒に……」と拝見しながらも、
「どうしてそのように嘆かれます。母のない人こそ頼りなく悲しいものです。世間では 父のない人はとても残念だと言われますけれど、父があっても意地悪な継母に憎まれるよりは、ずっと楽でしょう。ともかくも、何とかして差し上げましょう。くよくよなさいますな。……そうは言っても、初瀬の観音がおられますので、『お労しいこと……』と 思い申し上げなさるでしょう。旅慣れない身の上で、度々参詣なさることは、人がこの姫君を侮りがちに思っていても「実は こうであったのだ」と思う程の幸運がありますように…と念じております。わが姫君は、人の物笑いになって終わることにはならないでしょう……」と、世を軽く見ているようでした。

 匂宮は急いで内裏においでになりました。内裏に近い方からでしょうか、こちらの御門からお出になります時に、宮が何か仰る声が聞こえました。大層限りなく上品に聞こえて、風情ある故事(ふるごと)などを口ずさみなさって通り過ぎるのを、姫君は何となく煩わしく思っておりました。予備の馬などを引き出し、宿直に伺候する人を十余人ほど連れて参内なさいました。
「何とお気の毒なこと。姫君は嫌だとお思いでしょう……」と、中君はご心配なさって、知らぬ素振りをして
「大宮(明石中宮)がご病気なので、匂宮は参内されましたので、今宵はお戻りにならないでしょう。洗髪の名残りでしょうか。私も気分が悪く起きておりますので、こちらにおいでなさいませ。貴女も退屈にお思いでしょうから……」と申しなさいました。姫は、
「心乱れて、とても苦しくおりますので、躊躇われます……」と、乳母を介してお答えしました。「どのようなご気分でしょうか」と、折り返しお見舞いなさいますので、
「特に気分が悪いというのではありませんが、ただとても苦しくおります……」と申し上げますと、少将と右近が目配せをして「きっと体裁悪くお思いなのでしょう……」と言いますのも、姫君にはお気の毒なことでございました。中君は、
「とても残念で 心苦しいことでございます。薫大将がこの姫君に心を寄せておられると仰ったようですが、どんなにか軽々しいと見下しなさることでしょう。匂宮のように、女に乱れがましく好色でおられる方は、聞き辛く 事実でない事をもひねり出して言い、また誠に不都合な事があっても 大目に見る方のようです。でもこの薫大将は、口で言わなくとも 心に思うことには、こちらが恥ずかしいほどに 心深くおられますが……貴女は不本意にも 心配事が加わった身の上のようでございます。
 長い間、見ず知らずの方でしたれど、気立てやご器量を見ると、放っておくことができずに、愛おしくお気の毒に思います。世の中は何とも生きづらいものでございます。わが身の有様は物足りないことが多い気がするけれど、人並みに扱われるはずのない身の上なのに、それほど落ちぶれなかったのは、誠に結構なことでございましょう。今はただ、憎き懸想心のある人(薰)が穏やかに心離れていったのなら、全く何も心配することはないでしょうに……」とお思いになりました。

 大層多い御髪なので、すぐには乾かすことが出来ずに、起きたままでいるのも辛いことで、白い御衣を一襲だけお召しになっていて、とてもほっそりと美しくおいでになりました。この姫君は本当に気分が悪くなっていましたけれど、乳母が、
「御前に行かないのは、とても体裁が悪いことです。中君は何かがあったようにお思いになりましょう。ただ穏やかにお逢いなさいませ。右近の君には 事の有様を初めからお話しておきますので……」と、姫君を無理に促しました。中君のおられる障子のところで、
「右近の君にお話し申し上げたいことがありまして……」と申しました。右近が立って出てきましたので、乳母は、
「とても不可解なことのせいで、姫君は身体も熱くなられて、本当に苦しげにお見えになりますので、中君の御前にて慰めて戴きたいと思いまして……過ちも犯していない身で、とてもきまり悪く、匂宮の来訪を困った事と思っているのも、少しでも男女の仲を知る者ならともかく「どうして平気でいられようか……」と無理もないので、お気の毒なことと拝見しております」と、姫君を引き起こして、中君のところへお連れ申し上げました。
 正体もなく、皆が想像することも恥ずかしいけれど、大層素直でおっとり過ぎる姫君なので、御前に押し出されても ただ座っていらっしゃいました。額髪などが大層濡れているのをちょっと隠して、灯火の方に背を向けた この上なく美しい中君の姿に 劣るとも見えず、上品に美しくいらっしゃいました。
「この姫君に、匂宮が想いを寄せたなら、不愉快なことが起こることになるだろう……それほど美しくない人でさえ、珍しい女には 愛しくお思いになる宮のお心ですから……」と、二人の女房は、御前で恥ずかしがっている姫君を見ていました。
 中君はとても優しく物語などなさって、
「慣れない 遠慮されるべき所などとお思いにならないように。故姫君(大君)の亡くなられた後、大君を忘れる時もなく、ひどく悲しくて身も恨めしく、例のない気持ちで過ごしてきましたが、とてもよく大君に似ていらっしゃる御様子を見れば 慰められる心地がして、しみじみ感慨深くございます。私を大切に思ってくれる人もない身なので、大君のお心ざしのようにお思い下されば、私は大変嬉しいことです……」などとお話しなさいましたが、姫君は大層遠慮なさって、また田舎びた心で お応え申し上げることもなくて、
「長い年月、とても遙か遠くにばかり思い申し上げていましたので、このようにお逢い出来ますのは 何事も心慰められる心地がいたします……」とだけ、大層若々しい声で仰いました。
 絵などを取り出させて、右近に詞書を読ませて 絵をご覧になりますと、中君と向かい合って恥ずかしがっていることもできず、熱心に絵をご覧になっている灯火のお姿が、全く何の欠点もなく、繊細で美しくいらっしゃいました。額つき、目元が薫るように美しい気がして、大層おっとりした雰囲気は、ただ大君か…と思い出されるので、特に絵には目も留めずに、
「とても感慨深いお姿ですこと。どうしてこんなにも大君に似ておられるのか……、故父宮にもとてもよく似ていらっしゃるようで『故大君は父宮に、私は母上に似ている…』と老女房たちに言っていたそうです。誠によく似た人というのはとても愛おしいものですね」と、浮舟と大君をお比べになって、涙ぐんでご覧になりました。
「大君はこの上なく上品で高貴な感じがして、優しく柔らかく、度が過ぎるほどになよなよとなさっておいでになりました。
 この姫君もまた、身のこなしが初々しく、万事のことを遠慮がちにお思いなので、見栄えする優雅さについては 大君に劣っているけれど、風情のある気配でも身につけたなら、薫大将がお世話なさるにも 少しも体裁の悪いことはありません」などと、中君は、年上気分で思い扱いなさいました。物語などなさいまして、夜明け方になってお寝すみになりました。姫君を傍らに臥せさせて、故父宮のことなど、長い年月 宇治に住んでいた様子などを、それとなくお話しなさいました。「故父宮のことを大層知りたいと思い、認知しないで逢って下さらなかったことをとても残念で悲しい……」と聞いておりました。
 前夜の事情を知っている女房たちは、
「匂宮とはどうだったのだろう。姫君の愛らしい御様子を、中君がとても大切にお思いなので、その甲斐はあったのだろうか。可哀相に……」と言えば、右近は
「そんなことはありません。あの乳母が私を前にして、何となく心配事を語った様子では、
「二人は離れていた」と申しました。匂宮も「逢っていても逢わないような気持ち……」という古歌を 口ずさんでおられました。さぁ、わざと何もなかったような態度をなさったのか……そこまでは知りませんが……」 昨夜、灯火のもとで大層落ち着いていらっしゃった御様子を考えると、匂宮と何かあったようにはお見えになりませんでした……」などとひそひそ言い合って、姫君を気の毒がっていました。

 乳母は御車を頼んで、常陸邸へ行きました。匂宮の件を「これこれの事がありました」と報告しますと、北の方は大層驚き騒いで、
「女房たちが怪しんであれこれ言うことだろう……本人もどのようにお思いなのだろうか。身分の高い人からの嫉妬心は、高貴な人も変わりないもの……」と、自分の経験から考えて、大変なことになった…と思って、夕方、二条院に参上しました。匂宮はおられなかったので安心して、
「どうしたわけか、年齢の割に幼げな姫を御側に置いていただいて、私は安心して頼りにしておりましたが、鼬(いたち)がお側にいるようで、心配で落ち着きません。家では良からぬ者達に憎まれたり恨まれたりしています」と申し上げました。中君は、
「そう仰るほどの幼さではありませんので、貴女のお気遣いを見ますと、私には煩わしくさえ思われます」と、こちらが恥ずかしくなるほど美しい御目元でお笑いになりました。中君はどのように匂宮のことを思っていらっしゃるのだろう…と思うと、もうそれ以上強く申し上げることができませんでした。
「こうして、娘をお側に置いて戴けることは、長い年月の願いが叶う心地がして、他人が漏れ聞きましても感じよく誇らしく思われますが、やはり遠慮すべき事でございました。深い山に出家する本意は変わらないものでございます……」と泣きますので、とても気の毒に思えて、
「ここの何事が 不安にお思いなのでしょうか。どうなるにせよ、よそよそしく 姫君を見放すことは、決してありません。ただけしからぬ気を起こして悪いことをする人(匂宮)が時々いらっしゃるのですが、匂宮のご性質を皆が分かっているようなので、心遣いなどをして、不都合なお扱いはしないと思うのですが……貴女はどのようにご心配なさっているのでしょう」と仰いました。
「まったくお心隔てがあるとは思っておりません。残念ながら八宮が認知をなさらなかったことは、今更どうして不満など申し上げましょうか。そのことでなくても、私達親子を見捨てたご縁がございますのを、よりどころとして、お頼り申しております」と、中君に申し上げて、
「明日、明後日は重大な物忌みがあるので、厳重な場所で過ごして、後日またお伺いさせましょう」と申し上げて、一旦 娘を連れ帰りました。
「お気の毒に……不本意なことです」と、中君はお思いになりましたが、止めることもお出来になりません。北の方は見苦しく不都合な程に驚き騒いだので、大したご挨拶も申し上げずに退出してしまいました。
 このような時の方違(かたたが)えの所にと考えて、小さな家を準備していました。三条の辺りに 洒落た感じですが、まだ造りかけで、きちんとした設備もしていない家でした。北の方は、
「可哀相に……この娘独りのことをいろいろと悩み申し上げているのに……思い通り叶わぬ世の中は 生きがたいものです。自分ばかりは ただ一途に 平凡で卑しい受領の妻として、這い隠れて過ごすことも出来ましょう。この八宮の御血縁を辛いと思っている娘を 親しくお育てして、不都合なことでも出てくれば、大層なもの笑いとなるでしょう……つまらないことです。この家は風変わりだけれど、人には知らせずに 暫く隠れていなさい。私が何としても巧くしてあげましょう」と言い置いて、自らは帰ろうとしました。姫君は泣いて、
「この世に生きていることも、何と肩身の狭い身の上なのでしょう……」と萎れていらっしゃる様子が、大層可哀相に見えました。親として 大層惜しく心残りなので、
「何の支障もなく思い通りに、この娘をお世話しよう……」と思っていたのに、あの匂宮との恥ずかしい件につけても、他人から軽々しく思われ、あれこれ言われるのが心配なことでした。 北の方は分別ない人ではなく ただ腹を立てやすく、自分の思うままに振る舞うところが少しある人でした。
 常陸介の家に 姫を隠しておけば そのまま住まわせておけそうだったけれど、娘を可哀相に思って、このように扱ったことから、この結果になりました。長い年月 一緒に暮らしていたので、お互いに別れて暮らすことは「心細く堪えがたい……」と思っておりました。
「ここはまだ粗末で不用心な所のようです。ご用心なさいませ。あちこちの部屋にある道具類を持ち出して、お使いなさい。宿直(とのい)のことなど言いつけてあるので とても心配だけれども……守が腹を立て 恨まれるのが辛いので……」と泣きながら、母君は帰っていきました。

 常陸介は、少将との結婚を 限りなく名誉なことと思って 準備をしていました。
「貴女は不様にも、心合わせて世話をしてくれない……」と、恨みに思っていました。北の方は、
「この少将のせいで、娘にあのような困った事が起こった……」と、とても腹立たしく、大切にしている娘のことが辛く情けないので、少将のことは見もしません。少将があの匂宮の御前で大層貧相に見えて以来 見下してしまったので「娘の婿にお世話したい……」と思った気持ちは なくなってしまいました。
「ここ守の邸では、少将がどんな風に見えるのか。まだ寛いだ様子を見ていないが……」と、少将がのどかに座っている昼頃に、そちらに渡って 物陰から覗いて見ました。白い綾の柔らかい感じの着物に今様色(紅)の打ち目の美しい袿を着て、端の方で前裁を見ようと座っている姿は、「どこが劣るというのか……」とても美しく見えました。守の二女は大層まだ幼げで 無邪気な様子で添い臥していました。宮ノ上(中君)が匂宮と並んでおられたご様子を思い出しますと「何とも残念なお二人だ」と思えました。前にいる女房達に 冗談などを仰って 寛いでいる様は、見た程に美しくもなく 感じ悪くも見えないので、以前 匂宮の御前にいたあの時の少将とは別人か…と思った時に、少将が言うことには、
「兵部卿の宮邸(匂宮)の萩が格別に風情があった。どのようにしてあのような品種が出来たのだろう。同じ枝の様子が実に優雅であった……先日参上した折、匂宮がお出かけになる時だったので、手折ることができなかった。『色が褪せるのが惜しいことだ……』と、宮が口ずさみなさったのを、若い女房建にも見せたらよかったのに……」と言って、自分でも歌を詠みました。北の方は、
「どうかしら……守の二女に乗り換えたご性格を思えば 普通の人とも思えず、匂宮の前では見劣りしていた人が、何事を詠むのか」と呟きたくなりますが、分別の無い様には見えないので、試みに詠みかけると、

   しめゆひし 小萩がうへも迷はぬに いかなる露にうつる下葉ぞ

    (訳)約束したのに小萩(浮舟)の身分も乱れていないのに、
       どんな露で心変わりした貴方(少将)なのでしょうか

少将は気の毒に思って、

   宮城野の小萩がもとと知らませば 露も心を分かずぞあらまし

    (訳)八宮の姫君と知っていたならば、少しも心を移さなかっただろうに……

何とかして自分で申し開きしたいものです」と申しました。
「故八宮の御子であることを、少将が聞いたらしい…と思うと、ますます何とかして この姫に人並みの結婚をさせたい……」と思いました。薫大将殿のご様子やご器量が恋しく面影に見えました。
「宮も薰大将も同じように素晴らしい方々と拝見しましたが、今になると、匂宮は、娘に想いを寄せるのでなく、心にも留めてはおられない。ただ見下したように、娘の部室に押し入りなさったのを思うと、むしろ腹立たしい。けれど この君(薫)は、さすがに娘を尋ね想うお気持ちがありながら、急には言葉をかけなさらず、素知らぬふりをなさるのも素晴らしい……」などと、何事につけても薫大将のことが思い出されるので、若い娘は私以上に 想い申し上げるのでしょう。「わが婿にしようと 少将のような憎い男を思ったのこそ、見苦しい事であった」などと、娘のことが心にかかって、物思いばかりがされて、あれこれと万事のことにつけても、娘の佳き将来のことを思い続けましたが、願いが叶うのはとても難しいことでございました。
「薫大将は高貴なご身分でお振る舞いのご立派な方。結婚をされた女二宮は、更に優れた方ですから、娘がどれ程ならば 心を留めて下さるのだろうか……世間の人の有様を見聞くと、優劣や身分の高低や品格によって、その器量も心も決まるものである。自分の子供を見ると、この娘に似るはずの者がいようか。この家の内では 少将を素晴らしい方と思っているが、匂宮に見比べ申したら、全く比べものにならない身分と推察される。今上の帝の大切な娘(女二宮)と結婚なさった人(薫)の目から見れば、娘はとてもとても恥ずかしく、気が引けるものでしょう……」と思うと、心がぼんやりして何も考えることができませんでした。

 旅の宿り(この隠れ家)は、所在なく 庭の草も鬱陶しい心地がしました。卑しい東国の声をした者たちばかりが出入りして、心慰めに見るための前栽の花々もありません。家はまだ未完成ですので、気分も晴れ晴れしないままで日々暮らすので、姫君の若い心には、宮の上(中君)のご様子を思い出して、とても恋しく思われました。思いがけないことをなさった匂宮のご様子も 今は思い出され、
「何と仰ったのだろう。とても沢山優しげに仰った……」と、立ち去った名残の素晴らしかった匂宮の移り香が まだ残っているような気がして、少し恐ろしかったことをも思い出されました。

「母親らしく振る舞おう……」と、北の方はしみじみとした手紙をお送りになりました。
「どんなに所在なく、見馴れぬ心地がなさっているでしょう。暫くは隠れてお過ごしなさいませ」とありました。姫は、
「疎かではなく、暖かい心遣いで私をお世話下さるのに、その甲斐もなくご苦労をおかけする……」と少しお泣きになって、その返事として、
「所在ないのは 少しも苦しいことではありません。安心しております。もしここが 世の中の別の世界と思ったならば、本当に嬉しいことでございます」と、幼げに詠んだのを見るにつけても、北の方はほろほろと泣いて「このように、ただ一人で暮らさせて、見捨てたようになってしまった……」と悲しかったので、

   憂き世にはあらぬ所を求めても 君が盛りを見るよしもがな

     (訳)憂き世ではない所を尋ねてでも 盛りの貴女に逢いたいものです

と、思ったままのことを言い交わして、心を落ち着かせておりました。

 あの薫大将殿は、例年秋深くなる頃、宇治に行くことが習慣になっているので、夜の寝覚めのたびに 忘れずに大君をしみじみ恋しくお思いになり、宇治の御堂が完成した事をお聞きになって、御自分からお出かけになりました。久しく訪れなかったので、山の紅葉も目新しくお思いになりました。寝殿を取り壊し、この度は大層素晴らしく造り変えなさいました。昔、八宮が大層簡略にして、聖らしくなさったお住まいを思い出し、八宮をも恋しくお思いになって、何か華やかに様子が変わったことが残念に思える程に、しみじみと眺めておられました。もと寝殿にあった御調度類は、とても尊げに設え、もう一方を姫君の住居らしく細やかに整えて、網代屏風や何かの粗末なお道具などは、御堂の僧坊の道具として 特別にお移しになりました。山里風の道具などは寝殿用に格別にご用意なさって、ひどく簡略にはせず、とても美しく風情ありげに整えられました。
 遣水のほとりにある岩に、薫大将はお座りになって、すぐにはお立ちになりません。

   絶えはてぬ清水になどか亡き人の 面影をだにとどめざりけむ

    (訳)涸れてしまわないこの清水にどうして亡き人の
       面影だけでも 留めておかなかったのだろう……

 涙を拭いながら、辨の尼君のところにお立ち寄りなさいますと、辨はとても悲しく拝見して、ただお泣きになりました。薫大将は長押に何気なくお座りになり、御簾の端を引き上げて、お話しなどなさいました。
「あの姫君が、最近、匂宮邸に行ったと聞きましたが、さすがに躊躇われて訪れてはおりません。私の考えの全てを、尼君からお伝え下さい」と仰いますと、辨は
「先日、その母君から御文がありました。忌み違い(方角が悪い)としてあちこちに離れ暮らしているようです。最近は 三条の粗末な小家に隠れていらっしゃるそうで、『とても気の毒なので、宇治の少し近い所に姫をお移しすれば安心ですのに……荒々しい山道を思うと、宇治行きを簡単に決心することができません』と書いてありました」と申しました。
「人々の言うように 恐ろしい山道に、私は、大君とのことを過去とすることができずに、今も分け入って来るのです。どれほど強い前世からの契りだったのか……と思うと悲しくなる」と仰って、いつものように涙ぐみなさいました。さらに、
「それならば、その心安まる隠れ家に連絡をとってください。尼君ご自身であちらにおいでくださいませんか」と仰いますので、
「仰せ言をお伝えするのは簡単なことですが……今さら京を見ることは私には辛くて、官邸にさえ立ち寄りませんのに……」と申し上げました。
「どうして……とかく 尼君が京に出ると 人が伝え聞こうものなら、悪い噂となりましょう。愛宕の聖でさえ、時によっては京に出ないことがありましょうか。深い誓いを破ってでも、人の願いを満たしなさることこそ 尊いことでございましょう……」と仰いますと、
「彼岸へ人を渡すことも私にはありませんのに、京に出れば聞き難い評判も出てきましょう……」と言って、辛いことだと思っておりました。
「やはり、佳い機会のようなので……」と、大将はいつもと違って 無理に強いるように、
「明後日頃に 御車を差し向けましょう。その姫君が泊まっている家を調べておいてください。決して愚かしく 間違えたことにはなりません」と微笑んで仰るので、煩わしく思って、
「どのように薫大将はお考えなのだろう……」と思うけれど「この方は、心深く軽々しくないご性格なので、自然とご自身のためにも、人の噂になることはお慎みになるでしょう」と思い、
「それならば承知致しました。その隠れ家は御邸に近い辺りですから……御文などをおやりなさいませ。さもないと、利口ぶった私の心遣いのように思われますのも、今更に、伊賀専女(仲立ちの老女)のようで躊躇われます」と申し上げました。
「手紙を書くのは簡単だけれど、人の噂がとても嫌なのです。『右大将(薫)が常陸の守の娘に求婚する』などと噂するでしょうから……。しかしその守の殿は大層荒々しい人のようだね」と仰いますので、辨の尼は少し笑って「お気の毒なことですが……」と思いました。

 暗くなったので、薫大将は宇治からご出立なさいました。下草の美しい花々や、紅葉などを手折らせなさって持ち帰り、女二宮(妻)にご覧に入れました。降嫁された甲斐もないような姫宮ですけれど、畏まってお世話をなさりながらも、それ程親しくもなさらないようでございました。帝が、普通の親のように、入道の宮(薰の母君)にも女二宮のことをお頼み申しなさっているので、大層大切にするという点では、薫大将もこの上なく思い申し上げておられました。ご自身も、女三宮から大切にされる宮仕えに加えて、この姫君への難しい執心が加わったのが 辛いことでございました。

 お約束なさった日のまだ早朝に、薫大将は、親しく仕えている家来の一人で 世間に顔を知られていない牛飼いを、宇治に遣わせました。
「荘園の男達で 田舎者じみた者を召し出して、警護として加えよ」と仰いました。
「京に必ず出てくるように……」と仰っていたので、辨の尼はとても躊躇われ 辛いけれど、ちょっと化粧をし身繕いをして 迎えの車に乗りました。野山の景色を見るにつけても、昔からの古い事などが思い出されて、物思いに耽りながら、夕方 隠れ家に着きました。そこはとても寂しい所で、人の出入りもない所なので、安心して車を引き入れて、案内の男を介して
「こんな風にして参りました……」と言わせますと、初瀬詣の時にお供をしていた若い女房が出てきて、尼君を御車から降ろしました。この粗末な家で、姫君は物思いしながら明かし暮らしていましたので、昔話の出来る人が来た……と嬉しく思って、中に呼び入れなさいました。父親と申し上げる故八宮の身近に仕えていた人だと思うと、慕わしく思われるのでしょう。
 辨の尼は、
「お逢いしまして後は 人知れず懐かしく思い出しておりましたけれど、世の中をこのように思い捨てた身なので、中君の宮邸にさえ参りませんでした。最近になって、薫大将殿が、不思議なほどに貴女に逢いたいとお頼みになるので、思い起こして参りました」と申しました。
 姫君も乳母も、素晴らしいと拝見していた方(薫)のご様子なので、「姫を忘れない……」と仰るのもしみじみと嬉しいことですけれど、急にこのように企てなさるとは思いもよらぬことでした。

 宵も少し過ぎた頃に「宇治より参りました」と、門をそっと打ち叩く男がありました。
辨が門を開けさせますと、車を引き入れました。「何ごとだろう……」と思っていますと、
「尼君にお目にかかりたい……」と、男がこの近くの荘園の支配人の名を名乗りましたので、尼君は戸口にいざり出ました。雨が少し降り注いで、風は大層冷たく吹き込んできて、何とも言えない香りが流れてくるので「そうであったのか……」と、誰もが心ときめかすに違いない薫大将の気配が素晴らしかったので、何の準備もない見窄らしい所に、思いがけない人の来訪と 心が騒いで「どうしたことなのだろう」と、女房達は言い合っておりました。薫大将は、
「心休まる所で、長い間の想いをお話し申し上げようと参りました」と、辨を介して言わせなさいました。
「どのように返答を申し上げてよいものか……」と、姫君は辛く思って、ただ座っていらっしゃいましたので、乳母が見苦しく思って、
「このように薫大将殿がおいでになったのに、そのままお帰しなどできましょうか。母君にこそ そっとお伝え申しましょう。近い所ですから……」と言いました。辨の尼は、
「それは子供っぽいこと……どうして親に知らせることなどありましょうか。若い者同士がお話しをなさるのに、すぐにも心奪われるものでもありませんから……不思議なまでに心穏やかな 分別のある方ですから、まず相手の許しなく 気をお許しなさらないでしょう」等と言ううちに、次第に雨が降ってきて、空はとても暗くなりました。宿直人でひどい声をした者が夜巡りをして、
「家の東南の隅の崩れ方がとても危険だ。こちらの客人の御車を入れるなら、引き入れて御門を閉めなさい。この客人の供人は気がきかない……」等と言うのも、何か気味が悪く耳慣れない心地がなさいました。
「佐野の辺りに家もないのに……」(万葉集)などと口ずさんで、田舎風の簀の子の端に座っておいでになりました。

   さしとむる葎(むぐら)やしげき東屋の
      あまり程ふる雨そゝぎかな


     (訳)戸口を閉ざすほど葎が茂っている東屋で
        あまりにも長く待たされて、雨にぬれている……

と、袖の雫を払いなさる時の追い風が、異常と思われるほど素晴らしい香りなので、東国の里人も驚くに違いないと思われました。
 あれこれと 薫大将の申し出を逃れる術もないので、南の廂にお席を造り お入れ申し上げました。
姫は気楽にお逢いにならない様子なので、乳母や女房達がお勧めしますと、錠を差したままで 遣り戸を少しだけ開けました。薫大将は、
「飛騨の大工までもが恨めしい……この仕切りですね。このような遣り戸の外に 今まで座ったことがありません……」とお嘆きになり、どのようになさったのか、漸く中にお入りになりました。あの人形(ひとがた)の願いについては仰らずに、ただ、
「思いがけず、物の間から御姿を覗き見して以来、むやみに貴女のことが恋しく想われ、そのような運命だったのかと……我ながら不思議に思われるほどお慕い申し上げております……」とお話しなさるのでしょう。
 姫君の大層愛らしくおっとりしたご様子は、大君に比べて見劣りもせず「大変愛らしい……」とお思いになりました。まもなく夜が明ける気がするのに、鶏などは鳴かず、大路に近い所で 行商人のだらけた 聞いたことのない声で、お互いの名を呼んで 連れだって行く様子が窺えます。
「こんな朝ぼらけには、頭に物を載せている姿は、鬼のように見える……」と言う声を、蓬ぶきの
粗末な宿で仮寝をしたご経験のない薫大将は、興味深く聞いておられました。

 宿直人が門を開け 出ていく音がしました。各々が宿舎の中に入って、横になる音をお聞きになって、供人をお呼びになり、御車を妻戸に寄せさせなさいました。そして……姫君を抱き上げて御車にお乗せになりました。乳母達は誰もが「不安で……どうしようもない」と騒いで「九月ですのに困ったことです。一体どうなさるおつもりなのでしょう」と心配致しますと、尼君も、とてもお気の毒に思って、誠に意外なことですけれど、
「薫大将には何かお考えがあるのでしょう。不安にお思いになってはいけません。九月には……明日こそは冬の節分と聞いています」と、皆を慰めました。今日はまだ十三日でございました。尼君は、
「この度は、私は同行いたしません。宮の上(中君)がお聞きになることもあるでしょうから……こっそりと京に行ったり帰ったりするのは 都合が悪いことですから……」と申し上げました。薰大将は、早々に このことを中君にお伝え申し上げるのを 気恥ずかしく思われなさって、
「それは……後でお詫びをしても済みましょう。宇治で案内する者がいないと、頼りない所ですからおいで下さい……」と責めて、「誰かもう一人お供に来なさい」と仰いました。姫に仕えている侍従(女房)と、辨の尼が御車に乗り込みました。乳母や尼君のお供であった童女などは後に残して、皆、ただ訳の分からない心地がしておりました。近い所に……と 辨の尼達は思いましたが、どうやら宇治へおいでになるようです。牛なども取り替えるようにご準備なさいました。

 鴨川の河原を過ぎ、法性寺(ほうそうじ)の辺りにおいでになる頃、夜はすっかり明けてしまいました。若い侍従は、薫大将をかすかに拝見して お誉め申し上げ、むやみに恋い慕い申し上げるので、世間の慎むべき事は何とも思いません。姫君は大層驚いて、何も考えることも出来ずに、ただうつ臥していらっしゃいますので、薫大将は、
「大きな石のゴロゴロした道中は、苦しいことだろう……」と、姫を優しく抱いておられました。
 うす物の細長を御車の中に引いて仕切っておりました。華やかに差し出した朝日の中、尼君にはとてもはしたなく思えるので、
「故姫君(大君)のお供をして、このように拝見したかった……生き永らえると思いがけないことに遇うもので……」と悲しく思えて、涙を隠そうとするけれど、堪えきれずに泣きますので、
侍従はとても憎らしく思って「御結婚の初めに尼姿が一緒に乗っているのでさえ 不吉に思えるのに、何でこのように涙ぐんでいるのか……」と憎らしく「年老いた人は、何となく涙もろいものだ……」と見ておりました。
 薫大将も、これからお世話するこの姫君を憎くはないけれど、宇治の空を眺めるにつけても、過去の人(大君)への恋しさが募って、山深く入るにつれて、心にも霧が立ち込めてくるような心地がなさいました。物思いに耽って、物に寄りかかって座っておられました。重なりながら 長々と外に出ている御袖が川霧に濡れて、紅色の御直衣の花が酷く色移りしているのを、道の急坂の所で見つけて、中に引き入れなさいました。

   形見ぞと見るにつけては朝露の ところせきまで濡るる袖かな

     (訳) 大君の形見として見るにつけても、朝露(涙)に濡れる袖だなあ……

 と、心にもなく独り言を仰るのを聞いて、尼君の袖もますます絞るほどに涙で濡れていました。
侍従は「何とも見苦しいこと……」と、嬉しいはずの道中に、大層難しいことが加わる心地が致しました。辨の尼の抑えきれない鼻水をすする音をお聞きになって、ご自分もこっそりと鼻をかんで、
「姫君はどう思っているのだろう……」と、いとおしく思われ、
「長年、この道を行き交う度に、ただ訳もなく感慨無量な気がします。少し起き上がって、山の景色をご覧なさい。とても塞ぎ込んでいらっしゃいませんか……」と、姫君を強いて起こしなさいますと、顔を美しい様子に扇で隠して、外を慎ましく見詰めなさっている目元が とても美しく、大君を思い出しなさいましたけれど、穏やかで 姫があまりにもおっとりし過ぎているのが 心許なく思われました。
 「大君は大層子供のようでいらしたけれど、お心遣いは深くおられた……」と、やはり行く先のない悲しみは、虚しい空にも満ちてしまいそうでした。

 やがて宇治にお着きになりますと「あぁ、亡き大君の魂が宿って、今、私をご覧なのだろうか。誰によって私は、このようにあてもなく彷徨い歩くというのか……」と思い続けなさって、御車を降りて、少し心遣いをして 姫君から離れなさいました。姫君は、母君のことなどが大層気がかりだけれど、薫大将が 優雅な態度で心深くしみじみとお話しなさるので、大層心慰められて、御車をお降りになりました。
 尼君は、特にこちらで降りて、廊に車を寄せるのを「わざと心遣いすべきご住居でもないのに、心遣いが過ぎる……」とご覧になりました。荘園からいつものように人々が騒がしい程に参集しました。 姫君の御食事は、尼君方より差し上げました。道中は草が生い茂っていましたけれど、この御邸の様子は大層晴れ晴れとしておりました。川の景色も山の色も、互いに引き立て合った御邸の造りを見て、日頃の隠家での鬱陶しさを慰める心地がしましたけれど、姫君は、
「私をどのように扱いなさるおつもりか……」と、不安で心細く思っておいでになりました。

 殿(薰)は京に御文をお書きになりました。
「まだ完成していない仏像の御飾りなどを、拝見しておりました。今日が都合が良かったので 急いで参りましたところ、少し気分が悪くなり、物忌みだったことを思い出し、今日、明日はここ宇治で慎まねばなりません」などと、母宮にも姫宮(女二宮)にも申し上げなさいました。

 薰大将の慕わしい御姿がとても美しく、お部屋にお入りになりますと、姫君は恥ずかしいけれど、身を隠しようもなく 座っていらっしゃいました。そのご装束などは「色どり良く、見栄えがするように……」と、母君が思って着重ねていましたけれど、少し田舎めいた所も混じっているので、亡き大君の大層着慣れた御姿で 上品で優雅だったことばかりが思い出されました。黒髪の裾などは美しく 揃っていて上品に見えました。
「姫宮(女二宮)の御髪の大層素晴らしいのにも劣らないようだ……」とご覧になりました。
 一方では「この姫をどのように扱ったら良いだろう……今すぐ 物々しく三条院にお迎えするのも、世間の噂には不都合なことだろう。そうかと言って、三条院にいる女房達の中に、普通に混じって暮らさせるのは、本意ではない。暫くの間、ここ宇治に隠しておこうか……」とお思いになりましたが、逢えなければ寂しいことだろう……と 可哀相にお思いになって、心尽くして語らいながらお過ごしなさいました。

 故宮(八宮)のこともお話しなさって、昔話を興味深く、細やかに気軽に仰いましたけれど、姫はただとても慎ましげに、ひたすら恥ずかしがっていらっしゃるので、物足りなくお思いになりました。
「間違っても、こうも心許ないのは、それはそれで良い。いろいろ教えながらお世話申し上げよう。けれども、田舎びた心を持ち、宮の姫というには相応しくなく、軽々しかったならば、大君の形代(身代わり)としては不要だろう」等と、思い直しなさいました。
 ここにある琴・箏の琴を取り寄せなさって、
「このようなことは、まだこの姫はできないだろう……」と残念に思うので、独りで調弦してみて、
「八宮が亡くなられて後、ここでとても長い間、琴に手を触れていなかった……」とご自分でも思われて、大層心惹かれて弄(もてあそ)びながら物思いに耽っておられますと、月が出てきました。
「故八宮の琴の音は大袈裟でなくて、とても美しく情感に溢れてお弾きになったなぁ……」と思い出されて、
「昔、父宮も大君もおられた頃に、貴女もここでお育ちになったならば、今少し、感慨深かったことでしょう……八宮のご様子は、私のような他人にさえ、しみじみと恋しく思い出されます。どうして長い間、貴女はあのような遠い常陸に過ごしていらしたのでしょう……」と仰いますと、姫は大層恥ずかしくお思いになり、白い扇をまさぐりながら、添い臥していらっしゃいました。その横顔は大層隅々まで色白で、優美な額髪の間などは、とてもよく大君を思い出させて、感慨深いご様子でございました。
「まして、このような楽器なども 心尽くしてお教えしたい……」とお思いになって、
「これは少しお弾きになったことがありますか。『あぁ、わが妻』(吾妻琴=大和琴)という琴は、手に触れたことがおありでしょうか……」などとお尋ねになりました。
「その大和言葉でさえ、似つかわしくなく育ちましたのに、まして琴は弾けません……」とお応えになりました。見苦しく気が利かない人とはとても見えません。この姫君をここに置いて、思い通りに逢うことが出来ない…と思うだけで 今から苦しいのは 並大抵の想いとは思えない……」と、琴を押しやって、「楚王(そおう)の臺(だい)の上の夜の琴の声……」(和漢朗詠集: 班女が閨の中の秋の扇の色 楚王(そおう)の臺(だい)の上の夜の琴の声……)と口ずさみなさるのを、あの弓ばかり引く東国辺りに住み馴れた侍従たちは「大層素晴らしい……」と聞いておりました。
 一方では、扇の色も心遣いすべき閨(ねや)の故事(=白い扇を持った班女が、秋になって捨てられた)を知らないので、侍従たちが一途にお誉め申し上げているのは、教養のないことでございます。
薰大将は「こともあろうに、変な詩を言ってしまった……」とお思いになりました。

 尼君の方から果物を差し上げました。箱の蓋(ふた)に 紅葉・蔦などを手折って敷き詰め、風流に取り混ぜて敷いた紙に、風情もなく書いた歌を、明るく照らす月光の下でふと見ますと、果物の支度にまで心遣いをして、

   やどり木は色かはりぬる秋なれど 昔おぼえて澄める月かな

     (訳)宿り木は色変わりしてしまった秋ですが、昔を覚えているかのように
        澄んでいる月です……

と、古めかしく書いてあるのを、恥ずかしくも しみじみとお思いになって、

   里の名も 昔ながらに見し人の 面がはりせる閨の月影

     (訳)里の名(憂し=宇治)も昔のままながら、昔逢った人(大君)が
        顔が変わった(浮舟)のかと思われる閨の月影であります……

特に返事(かえりごと)でなく、独り言を仰いました。それを侍従が尼君にお伝えしましたとか……。


       ( 終 )



  源氏物語「東屋」(第50帖)
 平成28年初秋 WAKOGENJI(訳・絵)



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