匂宮は今もなお、 あの夕べ 少しだけお逢いになった姫君のことを お忘れになる時もありません。
「大層な身分ではないようだけれど、性格が素直で美しかったなぁ……」とお思いになり、浮気っぽい御心には、残念なところで終わってしまったことが、腹立たしく思われますので、中君に対しても、
「こんな女性関係の些細なことなのに、どうして私を憎くお思いになるのか。思いがけなく情けないことだ」と お恨みでございました。そのご様子に、中君は大層心苦しく、
「あの夕べの姫君は故八宮の娘だと、ありのままに申し上げようか……」と思われ、
「高貴な身分としてお扱いなさらないようだけれど、いい加減な方ではないので、薰大将が今まで 心を留めて隠しておかれた姫君を、私が意地悪いことを言うように 申し上げてしまったなら、聞き流しなさるような宮のご性格でもないようです。
お仕えする女房の中にも「ちょっと声をかけてみようか…」とお思いになるような美しい女には、宮としてあってはならないことながら、実家にまでお尋ねなさるという、体裁の悪いご性格なので、あれほど月日を経ても、強い想いがある姫君とは、必ずや見苦しいことを引き起こしなさるだろう。
いづれ匂宮が、他の人から姫君のことを 伝え聞きなさるのは、どうすることもできない。どちらの方にもお気の毒ではあっても、暴走を防ぐことの出来る匂宮の御心ではないので、他人の場合よりは聞き難いとばかり思われることだろう。どうなるにせよ、私からの過失にはするまい……」等と思い返しながら、お気の毒には思うけれど、ありのままを申し上げることができません。かといって、事実でないことをつじつま合うように
言い繕うことがおできになれないので、心一つに納めて、黙り通して嫉妬する、世間並みの女になっておられました。
あの薰大将は 例えようもなくのんびりとお考えで、
「逢えるのが待ち遠しい……と思っているだろう。可哀相に……」と思いやりながらも、自由に動き回れるご身分でもないので、然るべき機会がなくては気軽にお通いになれる道でもなく、神が禁じる以上に、難しい事だとお思いでした。けれども、
「いづれ大層よく姫君をお世話することにしよう……山里の慰めと思っていた気持ちもあるが、少し日数のかかりそうな用事などを作って、のんびりと宇治に出掛けて行って逢うことにしよう。そしてしばらくは人も知らない住処に住まわせ、だんだん姫の御心を落ち着かせて、自分にとっても世間から非難されないように……まず目立たないようにするのこそが良いだろう。『急に都に迎えて……誰なのだろう。いつ頃から……』 などと、世間に聞き咎められるのも煩わしく、当初の考えとは違ってくるようだ。また宮の御方(中君)がお聞きになって ご心配なさることも、宇治をきっぱり離れて姫君を連れ出し、昔の大君を忘れてしまったような顔でいるのも、誠に不本意なことだ……」等と、薰大将がお気持ちを鎮めなさるのも、いつもののんびり過ぎるご性格からでありましょう。姫君をお連れすべき所を考えて、実は忍んで造らせておられたのでございます。
薰大将は少し暇になられましたけれど、中君に対して なお一層 心を寄せておられることは変わりません。拝見する女房も不思議に思う程に、中君が世の中をだんだんとお分かりになり、薰大将のご様子を見聞きなさるのにつれて、
「この人こそ、本当に亡き姉君をお忘れにならない御心の名残も浅くない方のようです」と、感謝の思いも少なくありません。成人なさるにつれて、人柄も世の評判も格別になられましたので、匂宮の御心があまりにも頼りなさそうな時には、
「物思いの絶えない運命であった……姉君の考え置かれたようでなく、このように 物思いの多い匂宮の方に身を寄せることになってしまった……」と、度々お思いになりました。けれども、薰君に親しくお会いになるのは とても難しいことでした。年月が昔を隔ててゆき、内々の事情を深く知らない女房は、
「普通の身分の人なら、これほどの縁者を求めて 親交を忘れない例もあるでしょう……。」と言いました。かえって、このような高い身分では 普通と違った態度をとるのも気が引けるので、宮が(薰大将との関係を)絶えずお疑いなさるのも
ますます辛いことに思われ、気遣いなさりながら、自然と疎遠になってゆきますのに、それでも薰君の気持ちはお変わりにならないようでした。
宮の浮気心のあるご性格は、見ていられない程 辛い時も混じるけれど、若君がとても愛らしく成長なさるにつれて、宮は「他にはこのような子も生まれない……」と格別に大切にお思いになって、打ち解けた愛しい妻として、正室より勝ってお世話なさるので、昔よりは少し物思いも静まって
日々過ごしておいでになりました。
睦月の朔日が過ぎた頃、匂宮は昼頃お渡りになって、愛らしくなられた若君のお相手をして 可愛がっておいでになりますと、小さい童女が、緑色の薄様の大きな包み文が小松に結びつけてある小さな髭籠と
改まった立文(たちぶみ)を持って、無邪気に走り参り、中君に差し上げましたので「それはどこから……」とお聞きになりました。
「宇治から大輔の殿にと……。おられないので困っているのですけれど、いつものように中君が御前でご覧になるだろうと思って受け取りました」と、大層慌てて言い、
「この籠は、金属で造って色づけしたものです。松の枝はとてもよく本物に似せて造ってあります」と笑いながら言い続けますので、匂宮もお笑いになって「では私にお見せなさい」と、手にお取りになりました。中君ははらはらして、
「御文は大輔のところへやりなさい」と仰いましたが、中君のお顔が赤くなっているので、宮は、
「薰大将がさりげなくよこした御文だろうか。宇治から…と名乗ったのも、いかにもそれらしい……」と思い付いて、その手紙をお取りになりました。さすがに「もし薰大将からであったら……」とお思いになると、大層気が引けて、
「開けてみるよ、お恨みになりますか」とお尋ねになりました。
「見苦しいこと……何ということもありません。まさか女房同士の間で書き交わした 気を許した手紙をご覧になるのですか……」と仰いましたが、
宮は動じないご様子で、
「それでは見ますよ。女の手紙とはどんなものでしょうか……」と開けなさいました。とても若々しい筆跡で「ぼんやりしているうちに、年も暮れてしまいました。山里の鬱陶しさこそ、峰の霞も絶え間なくて……」とあり、端の方に「これを若君の御前に、粗末でございますが……」と書いてありました。特別に気の利いたところも見えないけれど、誰からと分からないので、匂宮は目をこらして、この立文をご覧になりますと、誠に女性の筆跡で、
「年改まりまして、いかがお過ごしでしょうか。貴女様ご自身におかれましても、どんなにか楽しくお喜び多いことでございましょう。ここ宇治は 大層素晴らしいお住まいではございますが、やはり姫君には不相応に思っております。こうしてばかりつくづくと物思いに耽る他には何もすることが無く、時には、中君方に参らせなさって、御気持ちをお慰め下さればいいのに……と存じておりますが、先日の匂宮との件を気兼ねして、大層恐ろしいと思い、嫌なこととお嘆きになっていらっしゃるようです。『若君の御前に……』と卯槌(うづち)をお贈り申し上げます。宮様がご覧にならない時にでも、若宮にお見せして下さいませ」と、細々と言忌みも出来ずに嘆いている様子が見苦しいのにつけても、匂宮は繰り返し「怪しい……」とご覧になって、
「今はもう仰って下さい。誰からの手紙ですか」とお尋ねなさいました。中君は、
「昔、宇治の山里に仕えていた女房の娘が、ある事情があって 最近宇治に居ると 私は聞きました」とお応えなさいました。
「普通にお仕えしている女とは見えない。心得た様子で文書(ふみがき)に、あの煩わしい件と書いてあるので、
「もしや、あの女か……」とお分かりになりました。卯槌が素晴らしく「所在ない人が細々と作った手仕事」と見えました。松の枝振りに山橘を作って、それを貫いた枝に、
まだふりぬものにはあれど君がため 深き心にまつとしらなむ
(訳)まだ若いものですが、若君様によせて
こころからご成長を期待申し上げております。
特に何ともない歌なので、「あの思い続けている女なのか……」とお思いになると、ますます気にかかって、
「お返事をお書きなさい。そうしないと情愛がないと思われます。隠さねばならない手紙でもなさそうなのに……ご機嫌が悪いのですか……では 帰りますか」と、席をお立ちになりました。
中君は少将(女房)などに向かって、
「あの姫君には お気の毒な事になってしまいました。幼い童が受け取ったようだけれど、他の女房はどうして受け取らなかったのでしょう……」などと小声で仰いました。少将は、
「もし私が受け取りましたならば、どうして こちらにお届けなどしましょうか。すべてこの童が考えもなく 出過ぎたことをいたしました。将来が伺えるようで……女の子はおっとりしている方が可愛いのに……」などと怒りますので、
「お静かに……幼い子に腹を立ててはなりません」と仰いました。昨年の冬、奉公させた童女で、顔がとても可愛く、匂宮もこの童をとても可愛がっていらっしゃいました。
匂宮は御自分の部屋においでになり、
「おかしなことだ。宇治に大将(薰)がお通いになることは、最近頻繁に…と聞いているが、忍んで夜、宇治にお泊まりになる時もある……と、供人が言っていた。故大君の形見である宇治に、旅寝なさるのだろうと思ったけれど、実はあのような女を隠して住まわせていたのか……」と思い知りなさいました。
「漢文」のことについて、匂宮がお使いになっている大内記(だいのないき)(中務省の官人・薰に親しい伝手のある者)を思い出しなさって、御前に呼び出しなさいました。その人が参上しました。
「韻塞(いんふた)ぎをしたいのだが、詩集等を選び出して、こちらの厨子に積むように……」などと仰るついでに、
「右大将(薰)が宇治へ行かれることは、今も絶えず続いているようだが、寺を大層立派に造られたそうだ。なんとか見たいものだが……」と仰いました。道定は、
「寺は、大層立派に荘厳に造られまして、念仏三昧の寺と大層尊く定めておられる……と聞いております。昨年の秋頃から 以前よりも度々お出かけなさるようです。下の人々が京に来て、忍んで申しましたことには、『女を隠し住まわせなさり、その女を憎からずお想いのようです。近くにご所有の荘園の人々が皆、薰大将のご命令のとおりお仕えしております。宿直を担当させなどして、京からも、大層忍んで、生活に必要な事などをお尋ねになりました。それにしても どのような幸せな人が、あんな山奥に心細くいらっしゃるのでしょう』などと、私は この十二月頃に、山荘の人が申しているのを聞きました」とお答え申しました。
匂宮は
「とても嬉しいことを聞いたものだ」とお思いになって、
「確かに、誰それとは言わなかったけれど、あちらに以前から住んでいた尼君をお見舞いなさる…と聞いていたが……」
「尼君は渡殿に住んでいるそうです。その女は、この度建てられた所に、大勢の綺麗な女房たちと結構なご様子で住んでおります」と申しました。
「面白いことですね。薰大将は何のお考えがあって、そのような女を 宇治に住まわせておられるのだろう。やはりとても聖心(ひじりごころ)がおありで、普通の人に似ていない御心なのだろうか……。左の大臣(夕霧)が、
「この人があまりに佛道に進んでいて、ともすれば山寺に 夜さえお泊まりになるそうだが、軽々しいことだ」と非難なさる…と聞いた事があるが、誠に どうして そのような佛の道を忍んで歩かれるのだろう。やはりあの故郷(宇治)に心惹かれていると聞いていたけれど、このような訳があったのか……。「人より真面目」と賢そうな顔をする人こそ、特に人が思い付かないような企り事のあるものだよ」等と仰って、大層興味深くお思いになりました。道定は、あの殿(薰)に大層親しくお仕えしている家司の婿にあたるので、その隠し事をも聞いているようでした。匂宮の御心には、
「どうにかして、この女を あの夕べ 逢った姫かどうか確かめたいものだ。薰大将がそれほどまでして、住まわせているのは、平凡な身分の女ではないだろう。この中君の身辺で どれほどの親しい人であろうか。薰大将としめし合わせて隠しなさったというのも、とても悔しい……」とお思いになりました。この頃には、ただその姫君のことが深く心に焼き付いてしまわれました。
賭弓・内宴などが過ぎ 心長閑な頃に、 皆が夢中になっている「司召」には何ともお思いにならないで、宇治へ忍んで行くことばかりを思い巡らしておられました。この供人の内記は期待するところがあって、夜も昼も 何とか匂宮の御心にとりいろうと思っている時に、いつもより親しげに 匂宮がお呼びなって
「大層難しいことだけれど、私が言うことを何とかしてくれるかね」などと仰いました。
道定は承知して控えておりました。
「大変不都合なことだけれど……あの宇治に住んでいるらしい女は、以前私がちらっと見た姫君で、行方知らずになっていたところを、薰大将に捜し出されたと 思い当たるところがある。確かめる方法はないのだが、ただ物影から覗き見などして、その当人かどうか見極めたいと思う。全く誰にも知られないような名案とかないものか……」と仰るので、「あぁ、 面倒なことだ……」とは思いましたが、
「宇治においでになるのは、大層荒々しい山道ではありますが、特に遠いわけではありません。夕方に京を出立されますと、亥子(いね)の刻には宇治にお着きになるでしょう。そして早朝には京にお帰りになれましょう。誰かに知られるとすれば、御供に仕える者だけでしょうけれど、それも深い事情は分からないでしょうから……」と申しました。
「そうだね。昔も一、二度通った道であるが、人から軽々しいと非難されるのが 気が引けるのだ」と仰って、繰り返し止めた方が良いと、宮自身の御心にも思うけれど、ここまで口に出したので、今更思い留まることができません。御供に、昔から宇治の案内に詳しい者二、三人と、この内記、さらに宮の乳母子の 蔵人から五位に出世した若い者(時方)など、親しい者だけを選んで、
「大将は今日、明日はまさか宇治にはお出でになるまい」などと、内記によく調べさせて ご出立なさるにつけても、昔(中君のもとに通ったこと)を懐かしく思い出しておられました。
「以前、不思議なまでに示し合わせて、宇治に連れていってくれた人(薰)に対して、後ろめたいことだなあ……」と、思い出されることも様々ありました。京の内でさえも、人の知らないお忍び歩きはおできになれない身分でありながら、粗末な姿に身をやつして、馬でお出かけになるのも
何となく恐ろしくて気が引けるけれど、
その女について知りたいという気持が強い方なので、山が深くなるにつれて、
「早く着きたい……どんな女だろう。確かめずに帰ることこそ、物足りなく残念なことである」とお思いになって、胸が騒ぐようでした。
法性寺の辺りまでは御車で、それより先は馬にお乗りになりました。道中急いで、宵の過ぎる頃に、宇治にお着きになりました。大内記は 様子をよく知っている薰大将の供人に問い聞いているので、宿直がいる所には立ち寄らないで、葦垣を巡らせた西面を静かに少し壊して 邸内に入りました。道定もさすがに馴れない住まいなので おぼつかないけれど、人も多くはいないようなので、寝殿の南面に灯火がほのかにほの暗く見えて、衣ずれの音のする所まで行って、戻って来て、
「まだ女房達は起きているようです。直接ここからお入りください」と、匂宮を案内してお入れ申し上げました。宮は静かに簀子に上って 格子の隙間を見つけて近寄りなさいますと、伊豫簾がさらさらと鳴るのが気が引けます。新しく美しげに造ってあるけれど、やはり荒々しく隙間のある造りで、誰かが来て覗くことはない…と気を許して、格子の穴も塞がずに、几帳の帷子を捲って隅に押しやっていました。
灯火を明るく照らして、着物を縫う女房が三、四人おりました。可愛い童女が糸を縒っています。この童の顔は、以前二条院のあの火影でご覧になった顔でした。とっさの見間違いかとお疑いになりましたが、右近と名乗った若い女房もおりました。その姫君は腕を枕にして、灯火を眺めている目元、髪の溢れかかる額つきが大層上品で美しく、西対の御方(中君)に大層よく似ておりました。この右近は着物を折り畳もうとしながら、
「こうして母君の所にお出かけになったら、すぐにお帰りになることはできませんが、『殿(薰)はこの司召の頃が過ぎて、一日頃には必ずおいでになるでしょう…』と、昨日の使者も申しておりました。貴女への御文にはどうお書きになっているのですか……」と訊ねましたが、姫君はお返事もなさいません。大層物思いに沈んでいるご様子でした。
「この折に、母上のところに隠れてしまうのは 困ったことです」と言いますと、向かいの女房は、
「それでは、姫君はお出かけになりました…と、殿にお伝えするのがよいでしょう。軽々しくお知らせしないで、身をお隠しになるのは良くないこと……物詣での後にはすぐ宇治にお帰りなさいませ。こうして宇治では心細いようですが、思い通りに安心してここのお住まいに馴れれば、かえって京に行くのは旅心地がするのではないでしょうか……」などと言いました。またある女房は
「やはりもう暫くの間、殿をお待ち申し上げるのが、穏やかで体裁もよいでしょう。京へお迎え申されて後に ゆっくり母君にもお逢いなさいませ。あの乳母が大層せっかちで、急に石山詣にでかけると母君に申しなさったそうです。昔も今も 我慢して穏やかな人こそ、幸せになるということでしょうね」などと言いました。
右近は「どうして この乳母を宇治にお止め申さずになってしまったのでしょう。年老いた人は難しい性格があるものですから……」と、乳母のような女房を悪く言うようです。
「誠に、憎き女房が姫君のお傍にいる……」と、匂宮もお思いになるものの、ただ夢のような心地がしておられました。右近達は側で聞いていられないほど、打ち解けたことを言って、
「宮の上(中君)こそ、大層めでたく幸福でいらっしゃいます。左の大殿(夕霧)があれほど素晴らしいご威勢で 仰々しく大騒ぎなさるけれど、若君がお生まれになって後には、六の君(正妻)よりも この上なくお幸せでおいでのようです。このようなお節介な者どもが 中君のお側にはいなくて、御心ものどかで賢明に振る舞っていらっしゃるようです」と言いました。
「殿(薰)さえ、姫君を大切に思うお気持が変わらなければ、中君に劣ることがありましょうか」と言うのを、姫は少し起き上がって、
「何と聞き辛いことを……他人であったら「劣るまい」と思うでしょうけれど、あの中君のことを決してそのように言ってはなりません。漏れ聞こえることでもあれば、辛いことになりましょう」等と仰いました。
匂宮は、
「この姫君と中君は どれほどの親族なのであろうか。とてもよく似ているご様子だなあ……」と思い比べると、恥ずかしいほど上品な所は中君がこの上ない。この姫君はただ愛らしく、きめ細やかな顔立ちがとても魅力的でいらっしゃる。もの足りないところを捜したにしても、あれほど逢いたいと思っていた人がこの姫君だと見つけて、そのまま逢瀬をお止めになるような御心ではなく、ましてすっかりご覧になりましたので、
「どうしたらこの姫を、我がものにできようか……」と、依然として思い悩んでおられました。
「どうやら どこかに行くようだ。何とかしてここでなく他の場所で また逢うことができようか。今宵はまた どうしたらよいだろう」と、御心もうわの空になられて、ただ姫君を見守っておいでになりました。
右近は、
「とても眠いわ。昨晩も何となく夜明かししてしまいました。早朝の頃までに、これは縫ってしまいましょう。母・北の方が急がせなさっても、お迎えの御車は日が高くなってからでしょう……」と言って、作りかけの着物を取り揃えて、几帳に打ちかけなどしながら、うたたねのように寄り臥しました。姫君も 少し奥に入って臥されました。右近は北面(きたおもて)に行って、暫くしてまたやって来て、姫君の後ろ近くに臥せました。とても眠い…と思っていたようで、早くに寝入ってしまいました。
その様子をご覧になって、匂宮は他にどうしようもないので、こっそりと格子を叩きなさいました。
右近が聞きつけて「どなたですか……」と言いますと、宮が咳払いをなさったので、
「この咳払いは高貴な方……」と気付いて、「殿(薰)がおいでになったのか……」と、急いで起きて出てきました。
「まず、この格子を開けなさい」と、宮が仰いますと、
「変ですね。思いがけない時刻ですこと。夜はすっかり更けましたものを……」
「もの詣でにお出かけになると、仲伸(薰の家来)が言っていたので、驚いて急いで来ました。山道はとても大変だった……まずは、格子を開けなさい」と仰るその声を 薰大将によく似せて ひっそりと仰るので、右近はまさか匂宮とは思いもよらず、格子を開けました。
「道中、大層恐ろしい目に遭ったので、酷い姿になってしまった……燈火を暗くなさい」と仰るので、
「あら、大変……」と慌て騒いで、燈火を暗くしました。
「私の姿を他の人に見せないように……私が来たからと女房達を起こさないように……」と、大層巧みな心遣いで、もともとかすかに似た御声で、あの方(薰)のご様子の真似をして奥にお入りになりました。
「大層恐ろしい事と仰ったけれど……どんな御姿なのだろう」と、右近はお気の毒に思って、自分も隠れて覗いてみました。大層ほっそりとして、なよなよした装束を着て、香ばしいことも薰大将に劣りません。
姫君の近くにお寄りになり、御衣などを脱ぎ、馴れた顔でお臥せになりましたので、右近は、
「いつものご座所に……」と申しましたが、その男は何も仰いません。
御衾(かけ布団)を着せ掛けて、寝ていた女房たちを起こして、皆は 少し退いてまた眠りました。お供の人などは、いつも通り ここでは構わない習慣なので、
「何と愛情深い夜のお出かけの様子ですこと……それを姫はお分かりになってない」等と、利口ぶって言う女房もいましたけれど、
「お静かに。夜の声はひそひそ囁くのが うるさいのです」などと言いながら、やがて眠ってしまいました。
「薰君とは違う人」と思うと恐ろしいことですけれど、匂宮は 声さえ出させないようになさいました。気を許せない二条院でさえ、どうしようもない宮の浮気心は、何とも困ったものでございます。姫君が初めから「薰君ではない」と知っていたなら、少しは何とでも仕様があったのでしょうけれど、夢のような気がしていて……匂宮がだんだんと 二条院でのあの時 辛かったことや、長い間想い続けていた様子についてお話しなさるので、姫はようやく「あの時の匂宮か…」とお分かりになりました。
匂宮と知ってますます恥ずかしく、あの上様(中君)のことを思うと、また心を強くすることもできないので、姫はただ限りなくお泣きになりました。宮もこの先、姫にたやすく逢うこともできない……と思うと、やはりお泣きになりました。
夜はどんどん明けていきました。供人が来て咳払いをしましたので、右近がこれを聞いて、匂宮方に参りました。宮は退出なさるお気持ちもなく、姫君を心から愛しいとお思いになりました。再び宇治にお出でになるのも難しいので、
「京で、皆が私を捜して大騒ぎをしていようとも、今日ばかりは このまま……こうしていたい。何事も生きている限りのことなのだ。今すぐに京に戻るのは、死ぬほど辛い……」とお思いになり、右近を呼び寄せて、
「本当に心ないと思うだろうけれど、今日は、京に帰ることができない。男達(供人)は、この辺りの近い所に 適当に隠れて伺候していなさい。時方は京に帰って『私は山寺に忍んでお参りに行っています』と、それらしい様子で応対しなさい」と仰いました。
右近は、この時初めて匂宮と気付いて、驚き呆れて、昨晩気付かなかった自分の過ちを思い、気も狂いそうになりましたが、気を鎮めて、
「今はもう何を慌て騒いでもどうにもなりませんし、匂宮に無礼にあたりましょう。二条院で起こったことで、宮が大層深く姫君を愛して下さったのも、今となれば 逃れられない運命なのでございましょう。神仏のお導きですから……」と心を鎮めて、
「今日は、母君から『参詣のお迎えに参ります……』とあり、皆で出掛ける予定でしたが、宮は どうなさろうというのですか。このように逃れる事ができない運命には、何とも申し上げようもございません。あいにく折が大層悪うございました。今日は一旦お帰りなさいまして、もし愛情がございましたなら、改めてごゆっくりおいで下さいませ」と申し上げました。匂宮は、
「右近は大人らしく 落ち着いた事を言うなぁ……」とお思いになって、
「私はこの姫君を長い間 慕っていたので、今は心が呆然としている。人が悪口を言うのも構わず、ただ一途に思い詰めている。私のような高貴な身分の者が
山道を越えてまで来ようなどと、果たして思い立つだろうか。母君へのお返事には『今日は物忌みで……』等と言いなさい。人に知られてはなりません。誰のためにも心遣いしなさい。他のことはどうしようもない……」と仰って、この姫君のことが大層愛しく想われるので、総ての謗(そしり)もお忘れになったに違いないご様子でした。
右近が出てきて、帰京を促す道定に、
「このように匂宮が仰いますので、やはり今お帰りになるのは体裁悪い…と申し上げて下さい。驚くほど目に余るような宮の御振る舞いは、宮がそうお思いになったとしても、この供人の考えから出たことでもありましょう。どうして軽率にもお連れ申したのか。無礼な事を宮に申し上げる山賤などがいたら、どうなりましょう……」と申しました。内記は、
「誠に、とても困ったことになるだろうなぁ」と思って立っておりました。
右近が「時方と仰るのはどなたですか。匂宮がそのように仰っていますが……」と伝えますと、
時方は笑って「お叱りを受けるのが恐ろしいので、ご命令がなくとも逃げて京に参りましょう。本当のところを申し上げると、宮の並々でないご様子を拝見して、誰もが皆、身を捨てて出て参りました。そろそろ宿直の人々も皆 起きてくるでしょう……」と言って、山荘を急いで出て行きました。
右近は、
「殿ではなく匂宮であることを 人に知られないようにするには、どのように言い繕ったら良いものか……」と困っていました。女房たちが起きてきたので
「殿はある事情があって、大層忍んでおられるご様子を拝見しますと、道中大変なことがあったようです。御衣なども夜になってこっそりと持ってくるよう仰せになりました」などと言いました。女房たちは「あぁ、恐ろしいこと、木幡山はとても恐ろしい山です」「いつものように、御前駆も払わせなさらず、身をやつしておいでになったとは……まあ、大変なこと」と言いますと、右近は、
「お静かに、お静かに。下衆どもが少しでも聞きつけたら 困ったことになりましょう」と言いながらも、騙す気持ちが恐ろしく、「折悪く、殿から御遣いがあったら、どのように言い繕ったらよいか……初瀬の観音様よ、今日が何事もなく暮らせますように……」と大願を立て 祈るしかありませんでした。
「今日、石山寺に詣でよう……」と、母君が姫を迎えに来ることになっていたので、この女房達も皆、精進し身を清めていましたが、
「それならば今日はお出かけになることはないようです。とても残念なこと」と、口々に言いました。
日が高くなりましたので、格子などを上げて、右近は近くにお仕えしていました。母屋(もや)の御簾はみな下ろして「物忌」等と書かせて 貼っておりました。母君がご自身でおいでになるかもしれない…と「ただ昨夜の夢見が悪かった……」等と理由をつけていました。
右近が御手水をお持ちする様子はいつも通りですけれど、宮は介添えを不満にお思いになって、
「そこに……貴女がお洗いになったら、私も洗いましょう」と仰いました。
女君はとてもご様子が素晴らしく、奥ゆかしい人(薰)を見馴れていましたので、
「ほんの少しの間も、逢わずにいたら死んでしまう……」と、恋焦がれる匂宮を、愛情深いとは このような人を言うのか……と思い知らされるにつけても
「不思議な運命だこと。皆がこのことを聞いたら どう思うのでしょう……」と、まず あの中君の御心を思い出し申し上げていました。
一方、匂宮はこの姫君の素性をご存知ないので、
「返す返すもとても情けないことです。やはりありのままに仰ってください。ひどく身分の低い方であっても、ますます愛おしく思いましょう」と、無理にお聞きになるのですが、姫君は決してお返事なさいません。他のことはとても可愛く親しげにお返事などなさいますので「誠に限りなく愛しい……」とご覧になりました。
日が高くなった頃、迎えの人が来ました。車二台と、馬に乗った供人が荒々しい様子で七、八人。男達が多く、下品に騒ぎながら入ってきたので、女房達は体裁悪く思いながら「あちらに隠れなさい」等と言いました。右近は、
「どうしよう……もし殿がおいでになっていると言った時に……京ではこれほど身分の高い人の居る 居ないは、自然と人々に知られているので、隠し果せないかもしれない」と心配して、この女房たちに特に相談しないで、母、北の方に手紙を書きました。
「昨夜から穢れなさって、とても残念だとお嘆きになっていたのですが、今夜の悪夢をご覧になり、「今日一日中は謹みなさい」と物忌みをしております。返す返すも残念で、物の怪が妨げているように拝見しております」と書きました。そして迎えの人々には 食事をとらせてやりました。尼君にも
「今日は物忌にて、石山寺にはお参りなさいません……」とお伝えしました。
いつもは暮らしづらく、霞がかった山際を眺めながら 物思いに沈んでおられますのに、今日は、
「日が暮れていくのが侘びしい……」等と仰って、恋焦がれている匂宮に すっかり心惹かれたまま、とても儚く日が暮れてしまいました。 のどかな春の日に、いくら見ても見飽きず、 特にここと思われる欠点もなく愛嬌があって 慕わしく愛らしい姫君のご様子でございました。
けれども、あの対の御方(中君)には劣っていらっしゃいます。大殿の六君の女盛りで美しい方に比べたら 劣って見えるこの姫君を「似る者のないほど愛しい方だ」とお思いの時なので、
「今までに これほど愛しい方を知らない……」とばかりご覧になっておられました。姫君はまた、大将殿(薰)を「とても美しく、このような方はおられない……」等と拝見していましたが、
「心細やかに魅力的で美しいことでは、大将殿より この上なくいらっしゃる……」と感じていました。
硯を引き寄せて 手習いなどをなさいました。とても美しく書き遊んで、絵などを見所多くお描きになりますので、姫君の素直な御心は 必ずやこの匂宮に移ることでございましょう。
「思いの外に逢えない時には、この絵をご覧なさい」と仰って、大層美しい男女が一緒に添い臥している絵をお描きになり「いつも貴女とこうありたい……」と、また涙が落ちるのでした。
ながき世をたのめても猶悲しきは ただ明日知らぬ命なりけり
(訳)末永い仲を約束しても やはり悲しいのは 明日をも知らぬこの命でございます
本当にこう思うのこそが、不吉なことでございます。思いのままに逢えず、宇治通いを思案するうちに、本当に死んでしまいそうに思われる……。今まで辛かったご様子の貴女を、どうして捜し出したりしたのだろうか……」などと仰いました。姫君は 宮が墨で濡らした筆をとって、
心をば嘆かざらまし命のみ 定めなき世を思はましかば
(訳)貴方の御心を嘆いたりしましょうか。命だけが定めない世と思うのでしたら……
と書きました。宮は「いつか心変わりするかと 恨めしく思っているのか……」とご覧になり、一層愛おしくお思いになりました。
「どんな人の心変わりを見馴れてか……」などと微笑んで、あの薰大将が姫君をこの宇治にお連れした頃のことを知りたいと、繰り返しお尋ねになりますので、姫君はとても辛く思い「お返事できないことを このようにお尋ねとは……」と、お恨みになる様子も若々しく見えました。
「それについては、いつか自然に聞きだそう……」とお思いになるのも困ったことでございます。
夜になって、京へ遣わした大夫(たいふ)が帰って来て、右近に会いました。
「明石中宮からも使者が参りまして、左の大臣殿もご不満を申されて、
『人に知らせない忍び歩きは大層軽々しく 失礼になることもあるから、すべて帝がお耳になさることは、私にとっても誠に辛いことだ』と厳しく仰いました。私は『匂宮は東山に、聖(丶)に逢いに行っておられる……』と、他人には言っておきました」等と話して、
「女というものは罪深くいらっしゃるものですね。私のようないい加減な家来でさえも 惑わしなさって、嘘までつかせなさいます」と申しますと、右近は、
「聖 と呼んで下さったとは、とても結構なこと。私の罪もその功徳で帳消しになりましょう。それにしても
本当に 宮はけしからんご性格で、どのようにして嘘を身につけていらしたのでしょう。前々からこのようでおられると聞いておりました。とても畏れ多い方ですから、うまく取り計らいましたが……誠に無分別なお忍び歩きでございます……」と困っておりました。
匂宮の御前に参って「使者がこのように申しております」と、右近が申し上げますと、
「誠に人々の心はどうなっているのか。自由のきかない身分は頼りないものだ。軽い身分の殿上人などのように、私もありたいものだ。今はどうしたらよいのだろう。このように慎むべき人目さえも、貴女を深く想うゆえに、気にしてはいられない。大将(薰)もどう思うであろうか……しかるべき間柄とは言いながら、不思議なまでに昔から親しい仲なのに、このような心の秘密を知られた時、恥ずかしく、またどんなであろうかと、世間の例を言うこともあるので、こうして貴女を待ち遠しがらせている自分の怠慢に気付かず、貴女が恨まれることこそが心配になります。全く彼に知られないようなやり方で、貴女をここではない場所に お連れ申し上げましょう……」と仰いました。
今日もこの宇治に籠もっている訳にもいかないのですが、お帰りになるにも、姫の袖の中に自分の魂を留めなさったようでした。すっかり夜が明ける前にと 供人達が咳払いしながら 帰京を促し申しましたが、妻戸まで一緒に姫を連れておいでになって……でも外に出ることがおできになりません。
世に知らず惑ふべきかな 先に立つ涙も道をかきくらしつつ
(訳)全くどうしてよいか分からない。先に立つ涙が道を真っ暗にするので……
女君も、限りなく悲しいとお思いでした。
涙をも程なき袖にせきかねて いかに別れをとどむべき身ぞ
(訳)涙も小さな袖では抑えられません。
どのように別れを止めることができるのでしょうか。
風の音は大層荒々しく、霜深い夜明けに お互いの着物が冷やかになった気がして、馬にお乗りになった時には「引き返したい」という恋しさは思いの外に深いけれど、供人が「もう冗談じゃない」と、宮を急がせて出発しましたので、心はただ虚ろなままでご退出なさいました。
この五位二人(時方、道定)が馬の手綱を取って仕えておりました。険しい山をすっかり越えてから、各々は馬に乗りました。加茂川の水際の氷を踏み鳴らす馬の足音さえ 心細く物悲しく聞こえました。昔もこの宇治への道だけは このような山歩きもなさったので「不思議な宇治の里との縁だなぁ……」とお思いになりました。
二条院にお着きになりましたが、中君が今も宇治のことを隠しているのが情けないので、気楽な自室にてお寝すみになりました。けれども眠ることができず 大層物寂しく物思いが勝るので 心弱くなられて、中君がおられる対にお渡りになりました。
中君は何があったとも知らずに、大層美しくおいでになりました。「この上なく美しい」とご覧になったあの姫君よりも「この中君は やはり他にはおられないほどのご様子をしていらっしゃる……」とご覧になりました。けれども姫君が とてもよく中君に似ているのを思い出しても、その面影が恋しく 胸が塞がる思いがするので、ひどく物思いをなさったまま、御帳台に入ってお寝すみになりました。中君も連れてお入りになって、
「気分がとても悪い……今後どうなるのだろうか…と心細く「私がどんなに深く愛しく思っていても、もし先立ってしまったら、貴女の身の上はとても早く変わって、薰大将のものになってしまうのでしょうね。人の願いは必ず叶うものですから……」等と仰いました。中君は、
「ひどい事を本気で仰る……このような聞き辛いことを薰君が漏れ聞いたら 困った事になりましょう。自分のことを どのようにご説明申し上げたのだろうか…とご心配なさるでしょう。私のように儚い身の上には、ちょっとした些細なことでも とても辛く思えます」と仰って、横をお向きになりました。
匂宮も真面目になって、
「私が、貴女を辛いと思うことがあることについて、貴女はどうお思いなのでしょう。私は貴女にとって不実な人でしょうか。滅多にないと誰もが認めるほど 貴女に尽したのに……あの方(薰)に比べて、私を限りなく見下しなさるようだ。誰も「そのような運命なのだ」と分かりますけれど、貴女が心隔てなさるお気持の強いことがとても情けない……」と仰るにつけても、
「宿世が並々でないのに、捜し出し近付いたのだ……」と思い出されると また涙ぐまれました。
匂宮の真面目なご様子に
「お気の毒に…… 薰大将と私のことを、どのようにお聞きになったのだろう……」と胸が騒ぎますけれど、何もお返事申し上げることもできません。
「ちょっとした機会に、私を見初めて下さったので、何事も軽い気持で想像なさるのでしょう。縁故もない人(薰)を頼りに、その方の厚意を受け入れたのが過ちで、軽く扱われる身の上なのだ……」と、思い続ける様子も悲しげで、ますます愛らしいご様子でございました。宮は、
「あの姫君を見つけたことは、暫くはお知らせするまい……」とお思いになりました。他の事に思わせてお恨みになりますので、中君は、
「ただ この薰大将とのことを本気でお責めになる……誰がそんな嘘を真実のように申し上げたのだろう。本当にあったことか そうでないかを聞かない間は、宮にお逢いするのも恥ずかしい……」とお思いになりました。
内裏から、大宮(明石中宮)の御文がありましたので、匂宮は驚きなさって、やはり不機嫌なご様子のまま 寝殿にお渡りになりました。御文には、
「昨日は心配致しました。お具合が悪いと伺いましたが、ご気分がよろしければ こちらへ参上なさいませ。
久しくなりましたので……」とありました。宮は騒がれるのも辛いけれど、誠に気分も普段と違うようなので、その日は内裏に参上なさいませんでした。上達部など大勢がお見舞いに参りましたが、ずっと御簾の内にてお過ごしになりました。
夕方になって、右大将(薰)がお見舞いに来られました。「こちらに……」と寛いだ様子でご対面なさいました。
「具合悪くおられると伺いまして…大宮も大層ご心配なさっておられます。どのようなお具合でしょうか」と申し上げました。薰大将にお会いするだけで 宮の御心は騒ぐので、
「内心は聖めいていると言うけれど、この上なく山伏心をお持ちだなぁ。あれほど素晴らしい姫君を山奥に放置して、自分は心のどかに居て、姫君に長い月日を待ちわびさせるとは……」とお思いでした。いつもは些細なことのついでに「自分は真面目な人」と振る舞いなさるのを 悔しくお思いになって、何かと けなしなさるのですが、あのような秘密を発見した今、どのように非難しようか……と思いながらも、そのような冗談さえも仰らずに、大層苦しげに見えますので、
「お気の毒なことです。大した病気でないとはいえ、やはり日数が経つのは良くないことです。御風邪を治しなさいませ」などと、誠実にお見舞いされて退出なさいました。
「ご立派な薰大将と 私の様子を、あの姫君がどのように思い比べたのだろう……」等と、匂宮は様々なことにつけても、ただ姫君のことを一瞬の間も忘れずに思い出しておられました。
宇治では石山詣も中止になり、女房達も大層退屈にしておりました。匂宮は御手紙(後朝の文)に大層辛いことを書き集めてお遣わしになりました。それでさえもまだ気分が落ち着かず、時方と呼ぶ大夫の従者で、
よく事情を知らない者を 宇治にやりました。右近は、
「私の昔馴染みの人で、殿の御供として訪ねてきて、昔に返ってよりを戻したがる……」等と、女房仲間には言い繕いなどをして……このように右近は何かと嘘をつくことになったのでした。
二月も過ぎました。疎遠になるとは思ったけれど、やはり宇治にお出かけなさるのは無理なことでした。こうして物思いばかりしていたら 長生きも出来ない……と 心細さも加わって、匂宮は大層お嘆きになりました。
薰大将殿は少しのんびりした頃に、いつものように忍んで宇治においでになりました。寺にて御佛などを拝み、御誦経をおさせになる僧にお布施を与えなどして、夕方になってから、姫君のいる所に 人目を忍んでおいでになりました。けれども、大将は理由もなく 目立たない御姿にはなさいません。烏帽子や直衣の御姿は 大層理想的に美しく、歩んで部屋にお入りになるご様子は、こちらが恥ずかしくなる程に格別で、優雅な立ち居振る舞いでございました。
姫君は「どうしてお逢いしたらよいのでしょうか……」と心乱れて、強引な人(匂宮)のご様子が思い出されるまま この君にお逢いすることを、とても辛いとお思いになりました。
「私は長い年月逢っていた妻(中君)をも忘れ、愛情が全て貴女に移ったような心地がする……」と仰った匂宮は、その後は「気分が悪い……」として、どの方にもいつものようにお会いになりません。人々が御修法などをさせようと騒いでいるのを聞くと「薰君の来訪について、匂宮はどのようにお聞きになり、どうお思いになるのか……」と、大層苦しくお思いになりました。
薰大将はまた大層ご様子が格別で、心情深く奥ゆかしい感じで、久しく逢わなかったお詫びを仰る時にも、口数は多くなく、匂宮のように「恋しい、悲しい」とは仰らないけれど、いつも逢えない恋の苦しさを 重ねて仰るより勝って、とてもしみじみと感じられて、誰もが思うに違いないような感じを 身につけておられる人柄なのでした。愛情深い点では勿論のこと、将来末永く信頼できるご性格などは、この上なく匂宮より勝っておいでになりました。姫君は、
「思いがけない匂宮の思慕などを漏れ聞きなさった時には、必ずや大変なことになるだろう。不思議な程 心も空になって思い焦がれている匂宮を、恋しいとは思うのも、それは決してあってはならない軽率なこと。この薰大将に嫌われ、私をお忘れになる心細さの方が、胸に深く染み込んでいる……」と思い乱れる様子に、
「長い年月の間に、この上なく男女の情を知り 成長なさったものだ。退屈な住処にいる間に、物思いの限りを尽したのだろう……」と ご覧になるにつけても、長い御無沙汰がお気の毒なので、いつもより心をこめて、姫君と語らいなさいました。
「今、造らせている御寺は、だんだんと仕上がってきました。一日だけ見に行きましたが、近くに川が流れていて、ここよりは花々もご覧になれましょう。三条宮邸もほど近い所でございます。明け暮れ 今のように逢えない不安も 自然に消えましょう。この春の頃に、差し支えなければお連れ申しましょう」と仰いました。
昨日も、匂宮からの御文に「のどかな住処を思いついた……」とありましたのに、
「この薰大将も、そのことを知らずに、同じようなことをお考えになっていることよ……」と心痛みながらも、
「匂宮に心寄せるべきではない……」と分かりながらも、ありし日の御姿が面影に浮かぶので、
「私も何と嫌な 辛い身の上ですこと……」と思い続けて お泣きになりました。薰大将は、
「お気持ちがおっとりしているのこそ、穏やかで嬉しく思われます。誰かが私のことを何かお聞かせしたのですか。少しでも 並々ならぬ愛情があったからこそ、こうまでしてやって来て、あの荒々しい道中さえも……」等と仰り、一日頃の夕月夜に、端近くに臥して外を眺めながら……大君の生きておられた頃のことを思い出しておられました。姫君は、今から匂宮のために加わったわが身の辛さをお嘆きになり……お互いに物思いをなさっておいでになりました。
山の方は霞がかかっていて、寒い洲崎(すさき)に立っている笠鷺(かささぎ)の姿も、場所柄かとても興味深く見えます。宇治橋が遙かに見渡されるところに、柴を積んだ舟が行き交っているなど、他の場所では見慣れないことばかり取り集めて見える所なので、ご覧になる度毎に、やはり亡き大君のことが
ただ今のことのような気がして、さほど思いを寄せてない女と逢う時でさえ、滅多にない程二人の愛情が多い所なのでした。まして恋しい大君に この姫が似ているのも、だんだんと心情を知り
都の女らしくなっていく様子が美しいのも、一層良くなった心地がなさるのですが、姫君はあれこれ物思いするうちに涙ぐみ、ともすれば涙が溢れますのを、慰めかねなさって、
「今に、私の本心をお分かりになるでしょう……」と仰いました。
宇治橋のながき契りは朽ちせじを あやぶむ方に心さわぐな
(訳)宇治橋のように末長い契りは朽ちないから、不安に思って心乱れなさいますな
絶え間のみ 世にはあやふき宇治橋を 朽ちせぬ物となほ頼めとや
(訳)絶え間ばかりが危うい宇治橋ですのに、
朽ちないものと頼りになさい……と仰るのですか。
以前よりも見捨てがたく 暫くの間もここに留まりたいとお思いになるけれど、世間の噂が煩わしいので、
「今更に長居をすべきでない。気楽に逢えるようになってから…」とお思いになって、早朝に京へお帰りになりました。これまで以上にとても素晴らしく成長なさった…とお労しく思い出しなさいました。
如月(二月)の十日頃に、内裏で詩歌を作る会を開催するとして、匂宮も薫大将も参内なさいました。季節に合った楽器の響きに、宮のお声は大層素晴らしく「梅が枝」などをお謡いになりました。何事も人よりは大層勝っておられるご様子で、つまらぬことに熱心になられることだけが、罪深いことでございました。
雪は急に降り乱れ、風が激しくなりましたので、管弦の遊びは早くに終わりました。この宮の御宿直所に人々が参集し、匂宮はお食事など召し上がってお休みになりました。薫大将は誰かに何か仰ろうとして、端近くに出てこられましたが、雪がだんだん積っても 星の光では見えないので、闇で見えない君のお姿で、
「少さな筵(むしろ)に衣を独り敷いて、今宵も宇治の姫君は待っているだろう……」と口ずさみなさったのも、不思議としみじみした情感の加わるお人柄なので、とても奥ゆかしく感じられました。
他にも歌はあったろうに……宮は寝入っていたようですが、お心が騒ぎました。
「薫大将は宇治の姫君を疎かには思っていないようだ。姫君は独りで寂しいお袖を…」と、私だけが思いやっていると感じていたのに、薫大将も同じ気持ちでいるとは憎らしいことだ。侘びしいことでもある。姫君が元からの人(薰)をさし置いて、自分の方に一層の愛情をどうして持つことができようか……」と、匂宮は妬ましくお思いでございました。
早朝 雪が大層深く積もった日に、「詩文を献上しよう……」と、今上帝の御前に参上なさいました。匂宮の御姿は、最近 特に男盛りで美しくおられました。あの薰君も同じ位の年齢、宮より二つ三つ年上であるせいか、少し大人っぽい態度や気配りなどがあり、特に作ったようでない上品さは 男の手本のようでございます。帝に迎えられた婿として不足な点が無いと、世間にも評判でございました。学問の才能などや政治的な方面の才能も、人に劣りなくおられるようです。
詩文の披講が終わって、皆が退出なさいました。匂宮の御詩を「優れていた……」と皆 誦じて、お誉め申しましたけれど、宮は何とも無関心で、
「どのような気持ちで、今このようなことをしているのか……」とぼんやりとして、ただ姫君を思い焦がれておられました。あの薰君のご様子から、宇治の姫君に対する愛情に気づきなさったので、無理に遣り繰りして、宇治にお出かけになりました。
京には僅かばかり消え残った雪も、山深く入るにつれて、だんだん深く積もっておりました。道案内の内記は、式部の少輔を兼任していました。大内記と小輔 二人とも重々しい官職にありますので、それに相応しいご衣裳の、指貫の裾を引き上げなどして面白い姿をしていました。
宇治では「おいでになる」という知らせは受けていましたが、「まさか、このような雪では……」と女房達が気を許していたので、夜更けて右近に「到着した」と伝えますと、姫君も、
「まぁ、何とお優しい……」とお思いになりました。
右近は「この姫君は、将来どのようになられる運命なのか……」と、一方では心配だけれど、今宵は人目を憚る気持ちさえも忘れてしまいそうでした。姫はお断りする術もないので、右近と同じくらい親しい気のきかない若い女房と相談して
「大変困ったこと……以前と同じように 他の人には内密にして下さい」と言いました。二人して、匂宮を
部屋にお通し申し上げました。道中 雪で濡れた薫き物の香りが、辺り中に匂うのも困ったことなので、あたかも薰大将がおいでになった気配に似せて、誤魔化していました。
夜のうちにお帰りになるのも、匂宮には辛いことですし、ここの人目も大層憚られるので、時方に計画させなさって、「川向こうの某の家に 姫を連れて行こう……」とお考えになって、時方を先に使わせましたが、夜更ける頃に宮のもとに帰ってきて「大層よく準備してございます」と申しました。
「これは、どうなさるおつもりか……」と、右近も大層気忙しく、寝ぼけて起きてはいるけれど ぶるぶる震えておりました。まるで子供が雪遊びをしている時のように、震えが止まりません。匂宮は、
「どこへ参るのか」と訊ねる余裕さえもお与えにならずに、姫君を抱いて御邸をお出になりました。
右近はこの邸に留まって、侍従を御供につけました。
姫君が、とても頼りない…と毎日眺めていた小さい舟にお乗りになって、川を漕ぎ渡る時、遙かにある向こう岸から 遠く漕ぎ離れていくように思えて 大層心細そうに、ぴったりと抱かれている姫君に、匂宮は、
「とても愛らしい……」とお思いになりました。
有明の月が澄んで昇り 水面も曇りない所で、「これが橘の小島です……」と、舟人が小舟を止めましたので、宮がご覧になりますと、大きな岩の形をして風情ある常磐木(ときわぎ)が茂っていました。
「あれをご覧なさい。とても頼りないようですが、千年も生きるに違いない緑の深さです」と仰って、
年経ともかはらんものか橘の 小島がさきに契る心は(匂宮)
(訳)千年経っても変わりません… 橘の小島の崎でお約束する私の心は……
女君も珍しい所へ来たように思えて、
橘の小島の色はかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ (姫君)
(訳)橘の小島の色は変わらなくとも、この浮舟のような私の行く方が
心配でございます。
折から、姫君(浮舟)のご様子が大層美しいので、宮はもう何事も考えられないご様子でした。
向こう岸に漕ぎ着いて お降りになる時に、浮舟(姫君)を人に抱かせるのは辛いので、宮がお抱きになって、供人に助けられながら家にお入りになる様子が、とても見苦しいので、
「身分の低い姫なのに、何故このように宮は大騒ぎをなさるのか……」と、家主等は拝見しておりました。
そこは 時方の叔父・因幡の守である者が所領する荘園に、簡素に造った家でございました。まだとても乱雑に網代屏風など、宮が今までご覧になったことのない調度品が、風も充分に防げずに置いてありました。垣根のもとに雪がまだらに消え残り、空は今も曇っていて雪が降っていました。
やがて日が射しだして、軒の垂氷(たるひ)(つらら)が光り合っていました。匂宮もお忍びの道ほどで、身を窶した御衣をお召しでしたが、大層美しい感じがしました。女君も上着を脱ぎ滑らしなさって、ほっそりした体つきがとても魅力的でした。
「身繕いすることもなく、寛いだままの様子で 眩しいほどに美しい匂宮と向かい合っている……」と思うと、とても恥ずかしいけれど、身を隠す所もありません。感じのよい白い絹を五枚襲ねて、袖口・裾の辺りまで優美で、色とりどりに沢山重ねているよりも、ずっと美しく着こなしておられました。いつもお逢いしている人(中君)でも、これほど寛いだ姿は見馴れてないので、こんな姿さえも やはり目新しくとても美しくお思いになりました。傍らに仕える侍従も見苦しくない若い女でした。
「この侍従にさえ、こんな姿をすっかり見られている……」と、女君は恥ずかしく思いました。
匂宮が、
「この人は誰ですか。他人に私の名前を漏らすことのないように……」と 口止めなさるのを、
「とても素晴らしい方だ」と思い申し上げておりました。
ここの宿守として住んでいる者が、時方を主人としてお世話しているので、宮がおられる所の遣り戸を隔てて、時方は得意顔をして座っておりました。宿守が声をひそめ 畏まって話かけているのに、返事もしません。宿守が「おかしい…」と思っているようなので、
「大層恐ろしい占いが出て 物忌(ものいみ)により、京を離れて身を慎んでおられるのだ。決して他の人を近づけるな」と言いました。
匂宮は、人目を気遣うこともなく 気楽に語り合って、一日お過ごしになりました。
「あの薫大将が山荘においでになる時にも、このようにお逢いになっているのだろうか……」と、ひどくお恨みになりました。
今上帝の女二宮を、薫大将がとても大切に 正妻としてお世話なさっている様子等も、お話しになりました。あの大将が「衣かたしき云々…」と口ずさんだことについて 何も仰らないのは憎いことでございます。
時方が御手水や御果物などを取り次いで 差し上げる様子をご覧になって、
「大層大切にお世話されている客人は、他人にお姿を見られないように……」とお戒めになりました。お仕えする侍従は、好色な若い気持から「素晴らしい……」と思い、この大夫と話などして一日過ごしておりました。
雪は降り続いていました。匂宮がご自分が住む京の方向をご覧になりますと、霞の切れ間から梢だけが見えました。山は鏡をかけたようにきらきらと夕月に輝いているので、昨夜踏み分けて来た道中の有様などについて、同情を誘うようにお話しなさいました。
嶺の雪みぎはの氷踏み分けて 君にぞ惑ふ道はまどはず……木幡の里に馬はあれど
(訳)嶺の雪や水際の氷を踏み分けて 貴女にこそ心は迷いましたが、
ここへ来る道は迷いません。木幡の里に馬はあるけれど……
見苦しい硯を取り寄せて、手習いをなさいました。
降りみだれ汀に凍る雪よりも 中空にてぞわれは消ぬべき
(訳)降り乱れて水際に凍る雪よりも、中途で儚く私は消えてしまいそうです……
と書いて、墨で消しました。宮が、この中空(丶丶)という言葉をお咎めになりましたので、
「誠に憎いことを書いてしまった……」と恥ずかしく、引き破りました。それでなくても 見る甲斐のあるほど素晴らしい宮のご様子は、ますますしみじみと 胸に染みる思いがなさいました。心を捕らえるような言葉を尽くすご様子や態度を、何とも言い表す術(すべ)もありません。物忌みを二日ほどと予定なさいましたので、心のどかなまま「お互いにとても愛しい……」とだけ思い、心深く愛情が勝っていきました。
右近はいつもの女房達をいろいろ言い紛らわして、お着物などのお世話を致しました。今日は乱れた髪を少し梳かせて、濃い紫色の着物に紅梅の織物など、頃あいよくお召し替えなさいました。侍従も見苦しい褶(裳)を着替えましたので、宮は色鮮やかな裳を手に取って、女君にもお着せになり、御手水の世話をさせなさいました。
「姉君(女一宮)のところに 女房としてこの侍従を出仕させたなら、どんなに大切になさるだろう。女房の中には高貴な身分の人も多いけれど、これほどの様子をした者はいないだろう……」等とご覧になりました。
お二人は見苦しいほど遊び戯れながら、一日中ご一緒にお過ごしになりました。
宮は、
「人目を忍んで連れ出して、どこかに隠したい……」と繰り返し仰り、
「その間にあの人(薫)に逢ったら許さない……」等と、酷い事を誓わせなさるので、浮舟は
「とても困った…」とお思いになって、お返事もなさらず ただ涙が落ちるのでした。その気配をご覧になって「私に愛情が移らないようだ…」と、胸が痛いほどにお思いになりました。恨んだり泣いたりしながら いろいろ仰って、夜深く、浮舟を連れて山荘にお帰りになりました。例のようにしっかりお抱きになり、
「貴女が深くお想いの方(薫)は、このようにはなさるまい。私の愛情をお分かりください……」と仰れば、「誠に…」と頷いて じっと座っているご様子が 大層可愛らしくいらっしゃいました。
右近は妻戸を開け放って 中にお入れ申しました。やがて 浮舟と別れて山荘を退出なさる時も、
「大層辛い…」と胸の潰れる思いがなさいました。
このような外出の帰りには、匂宮はやはり二條院に戻られました。その後大層具合が悪くなられて、お食事もなさらず、日が経つにつれて 青白く痩せてしまわれました。ご容態がわるくなり、内裏でも皆、大層お嘆きになり、大騒ぎになりました。浮舟に御手紙さえも お書きになれません。
宇治でも、あの騒がしい乳母の、子を生むために出ていた娘が帰ってきましたので、浮舟は、匂宮からの手紙さえも 気安く読むこともできません。
母君は、このような見窄らしい住処でも、あの薫大将殿がお世話下さるのを心惹かれ待つことで、心慰めておりましたが、人目を忍んで、近く京にお移しになると知って、少しずつ女房達を集め、童女の可愛い者を迎えては、宇治に寄越しなさいました。
浮舟ご自身も「それこそがあるべきこと。初めからずっと待ち続けていた……」と思いながらも、あの強引な匂宮のことを思いますと、お恨みになったご様子や仰った事などが、面影にぴったり寄り添い、 お寝みになっても 夢の中にお姿が現れますので「とても困ったこと……」と思っておりました。
雨が降りやまずに、日数が多く過ぎる頃、匂宮はますます山路を諦めて「どうしようもない……」とお思いになりました。「親が大切にする子は、窮屈なものだ」とお思いになるのも、畏れ多いことでございます。尽きない想いをお書きになって、
ながめやるそなたの雲も見えぬまで 空さへ暮るる頃のわびしさ
(訳)眺めやる宇治の方の雲さえも見えないほど、
空が暮れてゆく頃の侘しさで胸がいっぱいです……
筆に任せて書き乱れなさいましたが、見所があって大層美しくございました。特に身分の低い若い浮舟には、このような宮に心惹かれるけれど、殿(薰大将)が初めからお約束なさったご様子が、さすがに思慮深く人柄が素晴らしく思えるのも、男女の仲を分かり始めたからでしょうか。
「殿が、匂宮との嫌な話をお聞きになって、私を疎みなさったら、どうしていられましょうか。いつの日か殿に迎えられる…と願っている母親も、気に入らないとお困りになることでしょう。
思い焦がれる匂宮は、浮気な御心のご性格と聞いていましたのに、これほど愛情深く、 私を京に隠し住まわせなさって、末永く一人前に扱って下さると仰ることにつけては、あの中君がどのようにお思いになるのでしょうか……世間とは、何も隠し事のできない世の中。不思議なあの夕暮れの出会いだけで、宮は私を捜し出しなさいました。それならば、まして私の有様について、殿がお聞きにならないことがありましょうか……」などと、思い悩んでおられました。
「自分の心に隠し事があって、かの人(薰)に疎まれ申すのも、やはり辛いことでしょう……」等と、思い乱れている折しも、殿から御文がありました。あれこれと見るのも辛い気がして、やはり匂宮のことが強く恋しく思われるので 臥っておいでになりますと、侍従と右近が目を見合わせて、
「やはり匂宮に心が移ってしまわれたようだ……」などと、合図していました。侍従は、
「無理もないことでございます。殿のご器量を、他にはない…と見ていましたけれど、この匂宮のご様子はより素晴らしくございます。寛いでおいでになる時の愛敬あるお姿はまた格別で……私ならばこれほどの愛情を見ますと、このようではいられません。后の宮(明石中宮)にお仕えして、匂宮を常に拝見していたいものです」と言いました。右近は、
「何と後ろめたい考えですこと。殿のご様子に勝る方が 誰か他におられるでしょうか。ご器量などは知りませんが、御心遣いやお人柄などが素晴らしく……やはりこのお二人(宮と浮舟)のことは大層見苦しいことでございます。どのようにおなりになるというのでしょうか……」と話していました。
薫大将からの御手紙には
「貴女を想いながら日数が過ぎました。時々はそちらから手紙をお書きになるなどして、私を驚かしなさるのこそ、嬉しいことでございます。貴女のことを疎かになど思っておりません」等とあり、その端書きに、
水まさるをちの里人いかならん 晴れぬながめに かきくらす頃
(訳)川の水量が増える宇治の里人(貴女)はどのようにお過ごしでしょう。
晴れない長雨に物思いに耽って暮らすこの頃よ…
いつもより貴女を想うことが多く……」と、白い色紙に立文(儀礼的な形体)で書かれていました。筆跡も細々と美しげではないけれど、書き方は教養ありげに見えました。匂宮の手紙は言葉数がとても多く、小さく結んでいるので、それぞれに趣深いものでした。女房が、
「まず、匂宮へお返事をなさいませ。人の見ていない間に……」と申しましたが、
「今日はお返事することができません」と恥ずかしそうに言って、手習いに、
里の名をわが身に知れば山城の 宇治のわたりぞいとど住み憂き
(訳)里の名をわが身と思えば山城の宇治のあたりは大層住みづらいことよ……
宮がお描きになった絵を時々見ては、お泣きになりました。
「匂宮との契りは長く続くものではない……」と、あれこれ考えるのですが、一方 宮との関係を絶って止めてしまうのは、とても悲しく思われるのでしょう。
かきくらし 晴れぬ嶺の雨雲に 浮きて世をふる身をもなさばや
(訳)真っ暗で晴れない嶺の雨雲のように、
空に浮いて世を過ごす身になってしまいたい。雲に混じって……
とお返事申し上げますと、匂宮は声を上げてお泣きになりました。
「それでも私を恋しいと思っていてくれるようだ……」と思いやると、物思いに沈んでいる様子が面影に見え、一層悲しくなられました。
一方、真面目な人(薫)は、浮舟からの返事をのんびりとご覧になって
「可哀想に…どんなにか沈んでいることだろう……」と、大層恋しくお思いになりました。
つれづれと身を知る雨のをやまねば 袖さへいとどみかさまさりて
(訳)つくづく物思いに耽りわが身を知らされる雨が小止みもなく降り続くので、
わが袖までが涙で濡れて大層重くなり……
とありますのを、下にも置かずにご覧になりました。
女宮(正室・女二宮)にお話など申し上げたついでに、薫大将は、
「無礼なこととお思いになるかと 気が引けますが、そうは言っても 私には、長い付き合いになる女がおります。貧しい所に放置しておりまして、ひどく物思いに沈んでいるのが大層気の毒なので、近く京に呼び寄せたいと考えています。昔から私は、人と異なった考えのある身で、世の中すべてに 普通の人のようでなく過ごしたい…と思っておりました。今はこのように結婚申して、一途に世を捨て難いので、そんな女が居ることを、人には知らせなかったのですが、身分の低い女ですので、気の毒で罪深い心地がいたしまして……」と申されますと、女二宮は、
「どのようなことに心を置こうと、私は存じません……」とお答えなさいました。
「帝などに、悪くお耳に入れる人がいるでしょう。世の人の噂とは、誠に味気なくうるさいものでございます。けれども、その女は、気になさるほどの者ではありません」など申しなさいました。
「新築した住処に、浮舟をお移ししよう……」と思い立ちましたが、
「このような女のための住処だったのか…と、華やかに言いふらす人もあるだろう」と思うと辛いので、大層忍んでおられました。けれど、障子を貼ることなどを、人もあろうに あの大内記の知人の親である大蔵の大輔という者に、親しげに気安くご命じなさいました。それを聞き次いで 大内記は、匂宮にも総てをお話し申し上げました。
「絵師達なども、御随身達の中にいる親しい家人などを選んで、格別に整えさせておられます」と申しますと、匂宮は大層胸騒ぎがして、
「自分の乳母で 遠方の受領の妻となって下る者の家で 下京にある住処に、大層忍んだ女(浮舟)を、しばらく隠しておきたいのだが……」とご相談なさいました。大内記は「どのような女だろう……」とは思いましたけれど、宮が「大事な事」とお思いなのが畏れ多いので、「それならばどうぞ……」とお答え申しました。
この家を準備なさったことで、宮は少し御心を鎮めなさいました。この月の末日頃に、この受領が任地へ下ることになっていたので、「すぐにその日に、浮舟をお移ししよう……」とお決めになりました。
「このように考えています。決して人に知られないように……」と、浮舟方に伝えなさいましたが、ご自身で宇治に出掛けることはとても難しいことでした。一方、こちら宇治でも、
「乳母がとてもうるさいので、やはり難しいこと……」とお返事申し上げました。
薰大将殿は「卯月の十日に姫をお移ししよう……」とお決めになりました。浮舟は、
「誘って下さる方があれば、どこへでも……」とは決して思わずに、内心 大層不安に思って、
「この身は、どうしたら良いのか……」と、空に浮いたような気持がするので、
「暫くの間、母君の所へ隠れていれば、考える時間があるだろうか……」とお考えになりましたが、あいにく 少将の妻が子を産む時期が近くなったとして、修法や読経など 暇なくさせて騒いでいますので、石山寺に出かけることさえできずにおられました。
そんな折、母君が宇治にお渡りになりました。乳母が出てきて、
「殿(薰)から、女房達の装束など細々と心遣い頂きました。引越しの折には 何事もきちんと進めたいと思いますが、私一人では 不充分な事しか出来ないでしょう……」等と騒いでおりました。
けれども機嫌はよさそうなので、浮舟は、
「何か見苦しいことが我が身に起こって 物笑いになったならば、誰もが私をどう思うのでしょう。折悪しく 私に想いを寄せる人(匂宮)からの手紙で『幾重にも雲が閉ざしている山深い所に隠れても、必ず捜し出して、……私も姫も死んでしまおう……。やはり薰大将から隠れることをお考えなさい……』と、今日も手紙で仰っていますのに、どうしたらよいのでしょう」と思うと 気分も悪くなり臥ってしまわれました。
母君は「どうして このように、ひどく青く痩せてしまわれて……」と驚きなさいました。乳母が、
「この頃 とても具合がお悪く……ほんの少しの物も口になさらず、苦しそうになさっています」
「不思議なことですね。物の怪によるものでしょうか。どんなお具合でしょう……石山詣もおやめになさったそうで……」と申しました。浮舟には大層聞き辛いことと 目を伏せてしまわれました。
日が暮れて月がとても明るく見えました。浮舟は有明の空(橘の小島に渡った夜)を思い出して、涙が止められないのを「何とも けしからぬわが心よ……」と思っておりました。
母君はあちらの尼君を呼び出して、故八宮の話などをしていました。尼君は、
「故大君のご様子がとても心情深くおられて、然るべきこと(宮と中君の将来)をご心配になっている間に、みるみる亡くなってしまわれた……」等と、昔の様子を語りました。
「大君がご存命であったなら、中君は浮舟と親しく心を交わ合い、浮舟が心細いご様子であっても、この上なくお幸せになられたでしょうに……」と言うにつけても、
「わが娘は(故八宮の娘)他人ではありません。思い通りの運命でありましたならば、中君にも劣らなかったでしょうに……」などと思い続けて、
「これまでずっと、この娘には全てに思い悩んでまいりましたが、苦しい様子が少し落ち着いてきて、このように京に渡られるようならば、今後宇治に来ることを 思い立つこともないでしょう。このような対面の折々に、昔を心のどかにお話し申し上げ 承りたく存じます」などと申しました。
尼君は、
「尼は忌まわしい身だとばかり思い込んでおりましたので、お逢いして細々とお話し申し上げるのもどうかと、遠慮して過ごしてまいりましたが、私を宇治に見捨てて 姫君が京にお移りになったら、大層心細くございます。けれどこの宇治の御住処は、姫君には心許なく拝見しておりましたので 京へ移られるのは嬉しいことでございます。『世に比べもののないほど慎重でおられる殿(薰)が、このように姫をお尋ね下さったのも、姫への愛情が並大抵でない……』と、かねがね私がお伝え申し上げたことがありましたが、いい加減なことでしたでしょうか……」などと申しました。
母君は、
「これから後のことは存じませんが、ただ今は、薰大将が娘をお見捨てにならない…と仰るにつけても、ただ尼君の御導きによるものと 思い申し上げております。宮の上(中君)が、有り難いことに 娘を引き取り 可哀想だとお思い下さいましたのに、匂宮との気掛かりなことがございましたので、今は 身の置き所のない身の上だと嘆いておりまして……」と申しますと、
尼君は少し笑って、
「匂宮が、世間を騒がす程に好色でおられますので、心遣いのできる若い女房は、お側にお仕えし難くおりました。大方には 宮はとても素晴らしいご様子なのですが、『その方面のことで、無礼な女(宮の手のついた女)と、中君に思われるのが 困ったことでございます……』と大輔の娘が話しておりました」と言うのを聞きながら、浮舟は「やはりそうか。まして私は……」と、悲しく臥っておいでになりました。母君は、
「あぁ、呆れたこと……帝の御娘(女二宮)を正妻にお持ちの薰大将ですが、女二宮と浮舟は他人同士なので、良くも悪くもお咎めはなかろう……と、畏れ多く存知ております。もし娘が、匂宮と良からぬ事を引き起こしたなら、わが身には悲しく大変なこととは思っても、また再び娘をお世話することはないでしょう」等と、尼君に話している内容に、ますます胸も潰れる思いがなさいました。
「やはりわが命を 失ってしまいたい……いずれ最後には、聞き辛いことも出てくるに違いない」と思い続けると、宇治川の水音が、大層恐ろしげに響いてきました。
母君は、
「これほど恐ろしくない流れもありますのに、又とない荒々しい所に、長い年月 お過ごしになるのを、薰大将が可哀想とお思いになるのも 当然のこと……」等と、得意顔で言いました。「昔から この川は流れが速く 恐ろしい……」「先頃も、渡し守の孫の童が 棹を差し損ねて、川に落ちてしまったとか……何とも 命を落とす人が多い流れでございます……」などと、女房たちも言い合っていました。浮舟は、
「それにしても……もしわが身が入水して行方も分からなくなれば、暫くは、誰もが どうしようもなく悲しいと思うでしょう。けれども、私がこのまま命永らえて
人の笑いものになり、辛い思いをするとしたなら、何時その物思いが絶えるというのでしょう……」等と、「死」を思いつくのに 何の障りもなく、「その方が
むしろすっきりするでしょうに……」などとお考えになりました。とは言え思い返すと、とても悲しいことでございます。親がいろいろ話す様子を、浮舟は寝た振りをして聞いていて、つくづくと思い乱れなさいました。悩ましげにお痩せになった姿に、
母君は、
「然るべき御祈祷等をおさせなさい。祭やお祓いなどもするように……」と、乳母に申しました。
「御手洗川で御禊をしたい…」とお考えなのに、母君はそうとも知らずに、いろいろ言い騒いでおりました。
「京に引っ越すには、女房達の人数が少ないようだから、よく適当な辺りを尋ねて、新参者はここにお残しなさい。高貴な方々とのお付き合いについては、本人は何事もおおらかにお考えのようですけれど、よくない仲になってしまいそうな人には、煩わしいこともあるでしょう。控えめにして、お気遣いなさいませ」など、思い至らぬことも無いほど言い置いて、
「常陸方で病んでいる人があり、心配でございますのでこれで……」と帰ろうしますので、浮舟はとても物思いして、総てに心細くなり、
「再び母君に会わずに、私は死んでしまうのか……気分が悪くて、母君とお逢いできないのが とても心細く思えますので、もう暫くの間は おいで頂きたく存じます」と、母君を慕って申しました。
「そのように私も思いますけれど、常陸宮方もとても物騒がしくございます。ちょっとしたこと等もできない狭い所ですので、武生(たけふ)の国府に移っても、私はこっそりとこちらにお伺い致します。私のような普通の身分では、このような御方のためには何もできずに、大層お気の毒に思います……」と泣きながら仰いました。
殿(薰)からの御文は 今日もありました。気分が悪いと申し上げていたので「いかがですか…」とお見舞いくださいました。
「自らお伺いしたいと思っておりますが、今日は止むを得ない支障が多くあり、この頃の暮らし辛さが かえって心苦しく思われます」等とありました。
匂宮からは、昨日の御返事がなかったので、
「どのようにお思いになっているのか……貴女が風(薰)に靡いてしまうのかと気掛かりです。ますます呆然として 物思いに耽っております」等と、言葉数多くお書きになっていました。
雨が降った日、薰大将と匂宮の遣者が 今日も参上しました。殿の随身は あの少輔の家で時々見る男なので、
「貴方は何をしに、度々ここに来るのですか……」と問いました。使者は、
「私用で、お仕えする人の元に来たのです」と答えました。
「私用の相手に恋文を届けるとは、不思議なことですね。物隠しはなぜですか」と尋ねますと、匂宮の使者は、
「本当は、守の君(時方)が、手紙を女房に差し上げなさるのです」と言いました。
返事が度々変わるので 妙(ヽ)だと思いましたが、ここではっきりさせるのも変なので、各々 参上致しました。この随身は賢い者で、使者が連れている童に、
「この男に気付かれないようにして、左衛門(さえもん)の大夫の家に入るかどうか、後をつけなさい」言い、付けさせましたところ、童は、
「匂宮邸に行って、式部の少輔に御文を渡しました」と答えました。そこまで調べるものとは、身分の劣る下衆は思わず、事情を深く知らなかったので、随身に行く先を知られるとは 残念なことでした。
殿に参上して、今、薰大将がお出かけなさろうとする時に、手紙をお手渡しました。直衣姿で、六条院に后宮(明石中宮)が里下がりなさる頃なので 参上なさいました。仰仰しい御前駆なども大勢はおりません。御文を取次ぐ人に、
「不思議な事がありましたので、はっきり見定めようと 今までお仕えしておりました……」と言うのを、薰大将はちらっとお聞きになって、歩きながら、
「どのようなことですか」とお尋ねになりましたが、傍らで この取次ぎの者が聞くのも躊躇われるので、遠慮しておりました。殿もお察しになって そのまま六条院へお出かけになりました。
「后宮(明石中宮)がいつものようでなく、大層お苦しそう……」ということで、親王達も皆六条院に参上されました。上達部たちも大勢参集して騒がしいけれど、特にいつもと違うご様子でもありませんでした。
あの内記(道定)は政官の役人なので、少し遅れて参上致しました。浮舟からの御文を 匂宮にお取り次ぎする時、匂宮は臺盤所におられまして、戸口の所に道定をお呼びになって、御文をお受け取りになりました。薰大将は御前から下がられる時に、その様子を横目でご覧になって、
「一途にお想いになっている方からの御文のようだ……」と、興味深く立ち止まりなさいました。
宮が開いてご覧になっている御文は、紅の薄様に細々と書かれているように見えました。御文に夢中になって、すぐにはこちらを振り向きなさいません。大臣(夕霧)も御前から退いて外におられるので、大将は襖障子からお出になる時に、「大臣がご退出なさいます」と咳払いをして、匂宮に気付かせ申しました。宮が急いで御文を引き隠しなさいましたところに、大臣が顔を出されました。宮は驚いた様子で、襟元の紐をお差しにになりました。殿も膝まずきなさって、
「退出致しましょう。后宮に御邪気(物の怪)が久しく起こりませんでしたが、恐ろしいことですね。山の座主を早速呼びに、使者を出しましょう」と 忙しそうにお立ちになりました。
夜が更けて、皆、六条院を退出なさいました。大臣は 匂宮を先にお立てになって、大勢の御子息の上達部や君達を引き連れてお渡りになりました。この殿は遅れて六条院をお出になりました。随身が何か意味ありげなので、御前駆達が庭に下りて松明を灯す頃になって、その随身をお呼びになりました。
「先程申したことは、何事か……」とお尋ねになりますと、その随身は、
「今朝、あの宇治に、出雲の権の守・時方朝臣のもとに仕えている男が、紫の薄様で 桜に付けた手紙を、西の妻戸に近寄って 女房に取らせたのを見ましたので、私がいろいろと問いかけますと、事実と違って、嘘の様な返事を申しました。どうしてそう申したのか…と、童を使って、後をつけさせましたところ、
「匂兵部卿宮の邸に参りまして、式部の少輔 道定の朝臣にその返事を手渡した」と申しました。薰君は「変だ」とお思いになって、「その返事はどのようにして出したのか」と仰いますと、
「それは拝見できませんでした。違う方から出しになったのでしょう。下人が申したことでは、
「赤い色紙で、とても美しいモノ……」とだけ申しました。薰大将が思い合わせる事と、違うところはありません。その様子を、随身が見届けさせたことを「賢い…」とお思いになりましたが、供人達が近くにいるので、詳しくは仰いませんでした。
帰りの道すがら、
「やはり 実に油断のならない匂宮でおられる。どのような機会に、宇治に姫(浮舟)が居ることをお聞きになったのだろう。しかも、どのように言い寄りなさったのだろう……。田舎めいた山奥だから、このような男女の過ちは決して起こるまい…と思っていたのだが、浅はかな考えだった。それにしても、私が全く知らぬ女ならば ともかくも、昔からとても親しくして、不可解なまでに 中君に手引きまでして、宇治にお連れ申したこの私(ヽヽヽ)に、後ろめたくお思いになるべきではないか……」と、大層不愉快に思われました。
「対の御方(中君)の事を、とても愛しく想いながらも、何年もの間 何事もなく過ごしてきたのは、わが心の慎重さが格別であったからだ……。また一方、中君への愛情は、今始まった体裁悪いことではなく、昔からの経緯もあったのだが、ただ心の内に暗い部分があっては、自分のためにも 苦しい事になると思ったからこそ 遠慮していたのだが、愚かな事であった……。
最近、后宮がこのように体調を崩しておられ、いつもより見舞いの人々の多い中に紛れて、宮はどのようにして、遙々と宇治に手紙をお書きになったのだろう……宇治とはとても遠い恋の道だ。そう言えば……、
宮の所在が分からなくて尋ねられる日もあると聞いたものだ。宮は そのような事に思い乱れて、訳もなく悩んでおられたようだ。昔を思い出しても、中君のもとにお出でになれなかった時の嘆きは
とてもお気の毒であった……」等とつくづく思うと、浮舟が悩んでいた様子とを思い合わせても、事情の一端がお分かりになり、万事にとても辛いことでございました。
「難しいのは 人の心だなぁ……愛らしくおっとりしているように見えながら、色恋の道に長けている姫君であったようだ。この匂宮のお相手としては、とても似合いの間柄のようだ……」
薰大将は「譲りたい、身を退きたい……」とお思いになりましたが、
「正妻として想い始めた女ならばともかく、やはり隠れて通う女として、このまま置いておくことにしよう。これを限りに逢わなくなるのは、必ず恋しくなる……」等と、体裁の悪いことを いろいろ心の中でお思いになりました。
「自分が嫌気がさしたといって、浮舟を見捨てたなら、きっと匂宮が呼び寄せてお迎えになるだろう。浮舟にとって、将来がお気の毒なことになろうとも、宮は特にお考えになることはないだろう……。匂宮が寵愛して後に心変わりした女が、一品の宮(女一宮)の御方の所に二、三人、女房として伺候しているようだ。そのように出仕するのを、見たり聞いたりするのも、お気の毒なことだ……」等と、薰君はやはり見捨て難く、浮舟の様子を知りたくて、御文をお書きになりました。いつもの御随身を御自分で人の居ない所に呼び寄せて、
「道定の朝臣は、やはり仲信の家に通っているのか」と尋ねると、「そのようでございます」と申しました。
「宇治へはいつもあの先日の男を使いにやるのか。ひっそり暮らしている女なので、道定も想いをかけているのか……」と、溜息をおつきになって、
『人に見られないように 宇治に行きなさい。愚かしいことだから……」と仰いました。
随身は畏まって、少輔が常にこの殿のことを探り、宇治の事を尋ねたことも思い合わせたけれど、馴れ馴れしく申し出ることもできません。薰君も、
「下衆には詳しくは知らせまい……」とお思いになったので、お尋ねにもなりませんでした。
宇治では、薰大将からの御使者がいつもより頻繁に来るのにつけても、浮舟の物思いは様々でございました。殿からの御文には、ただこのようにありました。
浪越ゆる頃とも知らず末の松 まつらんとのみ思ひけるかな
(訳)心変わりする頃とも知らずに、いつまでも待ち続けるものとのみ思っていました。
世間の笑いものになさらないでください……」とありますので、浮舟は胸が塞がる思いが致しました。
事情を分かったような振りで お返事申し上げるのも気が引けるので「見当違いかも……」と装って、この御文をもとのように畳んで、
「届け先が違うように見えましたので、お返し申します。妙に気分が悪いので、何も申し上げられません……」と書き添えてお返しになりました。
薰君はそれをご覧になって、
「よくも上手く言い逃れたな……。全然思いもしなかった機転だなぁ」と微笑まれて、「憎い……」とは思い切る事ができないようでした。
正面切ってではないけれど、匂宮のことをほのめかしなさった様子に、浮舟はますます物思いが募りました。
「遂にわが身は、悪者になってしまったのか……」と思っている所に、右近が来て、
「殿からの御文をどうしてお返しになるのですか。不吉で縁起が悪いことですのに…」と言いますので、
「間違いごとがあるように見えたので、届け先が違うのかと……」と答えました。右近は どうもおかしいと、お返しする途中で、御文を開けてみました。何ともけしからん右近のやり方でございます。
右近は「御文を見た……」とは言わないで、
「まぁ、お気の毒に……困ったことでございます。殿は、匂宮とのことをお察しなさったのでしょう……」と申しました。浮舟はお顔がさっと赤くなって、何も仰いません。右近が御文を見たとは思わないので、
「別のことで、殿のご様子を見た人が 何か話したのではないか……」と思うけれど、「誰がそう言ったのか」などとは、問いかけなさいませんでした。
「この女房たちが、見たり思ったりすることも、とても恥ずかしいこと。匂宮とのことは、私の考えから始まったことではないけれど、誠に嫌な運命です……」と横に伏せっていらっしゃいますと、傍で 右近と侍従が二人してひそひそ話をしていました。
「右近の姉が、常陸で二人の男と逢っていました。身分の違う世間では、ただよくある話でございます。
男二人はそれぞれに劣らない愛情を持って、思い悩んでおりました時に、女は新しい男に、いま少し気持ちが移ったようでした。前の男はそれを妬んで、遂にはその新しい男を殺してしまいました。そうして自分自身も、女の所に通って来なくなりました。
常陸の国にとっても、立派な惜しい若者を一人失ってしまいました。また過ちを犯した男も 良い家来でしたが、このように過ちを犯した者を、国府がどうして使う事が出来ようかと、国内から追放されてしまいました。「すべて女の不始末……」と言って、館の内にも置いて下さらなくなったので、東国の人となって邸を出て行きました。乳母がこの姉を 今も恋慕い泣いているのは、罪深いものと見えました。
不吉な話のついでのようですが、身分の上下に関わらず このようなことで思い乱れるのは、とても悪いことです。御命までには関わらなくとも、それぞれの身分につけて辛いことでしょう。しかも「死」に勝る「恥」という事も、身分の高い方には お咎めがあるようでございます。
……どちらか お一人にお決めなさいませ。匂宮も愛情が勝って、せめて真面目に求婚なさるならば、そちらに従いなさって、酷くお嘆きになってはいけません。痩せ衰えなさるのも、本当に無駄なことでございます。あれほど母君が大切にお世話なさっているのに、乳母が上京のご準備に熱心になって心惑っていることを考えても、匂宮が「薰君より先に、こちらに……」と申されることこそ、とても辛く お気の毒な事でございます」と言いますと、もう一人が、
「まぁ、恐ろしいことを申しなさいますな……何事も運命でございます。ただ御心の内に、少しでもお気持ちの靡く方を、そうなる運命とお思いなさいませ。それにしても、畏れ多くも
匂宮にはとても愛情深いご様子だったので、殿が上京をご準備なさっていても その気にならずに、暫くはどこかに隠れていて、お気持ちの強く想う方に 身を寄せるのがよいと思います……」と、この女房には宮をお誉め申し上げる気持があるので、ただ一途に
「匂宮を選ぶように……」と申しました。
右近は、
「さぁ、どちらにしても、何事もなくお過ごしください」と、初瀬石山などに願を立てておりました。この大将殿(薰)の御荘園の人々は、立派な武勇の者どもの一族で、この里に大勢おります。大方、この山城国・大和に、殿のご所有の土地の人は、皆、この内舎人(うどねり)の血縁の人々でございます。その婿の右近の大夫という者を領主として、宇治の総ての事を、殿が決めてご命令されるそうです。高貴な方々の間柄では、思慮のない事をしでかすとはお思いにならなくとも、物事のよく分からぬ田舎者達が、宿直人として交替で伺候していますが、「自分の番に当たった時には、ちょっとした過ちなども起こさせまい…」としても、過ちは起こりましょう。
匂宮の先夜の外出は、私にはとても嫌なことと存じられました。宮は何とか人目を避けようと 御供人も連れて行かれず、お忍びの姿に身を窶しておられますのを、そのような田舎者が見つけ申した時に、大層酷いことになりましょう」と言い続けるのを、浮舟は、
「やはり私が 匂宮に心寄せている…と思って、右近や侍従が話している……とても恥ずかしいこと。私は内心では、宮も薰君も どちらをも想っているのではないのに……匂宮が酷く熱愛されているのを「どうしてこんなにまで……」とばかり思い、ただ夢の様に途方に暮れていて、長い年月頼みにしていた人(薰)を、今になって裏切ろうとは思わないからこそ、このようにひどく思い乱れているのです。もし良くないことでも起こったなら どうなるのでしょうか……」と、つくづく思っていました。更に、
「 私、何とか死んでしまいたい……世間並みに生きられない 辛い身の上なのです。このような辛い例は、下衆の中では多くあることながら……」とうつ伏しなさいました。
右近は、
「そのように思い詰めなさいますな。心安らかにお思いなさいませ……。お悩みになる時にも、何気ない表情で のんびりとお見えになるのに、匂宮との逢瀬の後は、酷くイライラしておいでなので、私もとても不思議だと拝見しておりました」と、その事情を知っている者は、皆、心配しているのに、乳母は自分ひとり満足そうに染め物などをしていました。新しく参った感じのよい女童などを呼び、「この方をご覧なさい。むやみにお伏せになっていると、物の怪などが邪魔をしようとするのでしょう……」と嘆いていました。
殿からは、あの返事さえ何も仰らないままで、幾日も過ぎました。以前に右近を恐がらせた内舎人(うどねり)という者が来ました。本当にとても荒々しく不格好な様子をした老人で、声もかれて 何とも風情ある者ですが、「女房に話をしたい」と言いますので、右近が会いました。
「殿に呼ばれて、今朝京に参りまして、只今宇治に帰って参りました。雑事などを仰せになるついでに、
『こうして姫君が居られます間は、夜中も早朝も、誰かが伺候していると思って、宿直人を特に京より差し向けなさる事もなかったけれど、最近、殿がお聞きになったことには、女房のもとに素性の知れない男達が通っている…』と。不都合なことであります。宿直に仕える者どもは、その事情を聞いていよう。知らないではどうしていられよう……」とお尋ねになりましたが、私は全然知らない事なので、
「私は病気が重く、宿直をお仕えすることは幾月も致しておりませんので、事情を知り得ませんでした。しかるべき者達は、怠ることなくお仕えしておりますので、そのような伺候中の非常な出来事を、どうして知らずにおられましょうか…と申し上げました。気をつけて宿直をお仕えなさい。不都合なことがあったら、厳重に処罰するようにと仰せがありました。どのようなお考えかと恐ろしく思っております」と言うのを聞いて、
右近は梟(ふくろう)が鳴くよりも恐ろしい……と返事も申しません。
「そうですか……私が申し上げたことに違わぬことをお聞きなさい。事の真相を、殿はお察しになったようです。御手紙もございません……」と嘆きました。
乳母はそれをちらっと聞いて、
「殿は大層嬉しいことを仰いました。盗人の多いこの辺りで、宿直人も最初の頃のようではありません。皆、代理(だいり)だと言っては、不審な下衆ばかりを差し向けていたので、夜回りさえもしなかった……これで安心できます」と喜びました。
浮舟は、
「本当に今はとても悪くなってしまった我が身の上のようだ……」とお思いになっていると、匂宮からは、「いかがですか、いかがですか」と、苔が乱れるほどの無理を仰いますので、大層煩わしく思われました。
「どちらにしても、それぞれの方につけて嫌なことが出てくるでしょう。わが身ひとつが亡くなることこそが、見苦しくないことのようだ。昔は、懸想する男の様子がどちらと決められないことに思い煩って、女が身を投げた例もあるようだ。命ながらえば、必ず辛い目に遭ってしまう身の上なので、死ぬのに何を惜しいことがありましょうか……。親も暫くはお嘆きになるだろうけれど、大勢の子供のお世話に自然に忘れてしまうだろう。生き長らえて身を誤って、他人から笑われる様子で流離うのは、死にも勝る物思いになることでしょう……」等と思うようになりました。
子供っぽくおっとりと たおやかに見えるけれど、気高い貴族社会の様子を知ることもなく育ったので、入水という 少し乱暴なことを思いついたのでありましょう。
浮舟は厄介な 役に立たない手紙などを破って、一度には始末しないで、燈台の火で焼いたり、水に投げ入れなどして、だんだんと失っていきました。事情を知らない人達は、
「京へお渡りになるので、退屈な月日を経て、虚しくお集めになった手習いなどを、破り捨てなさるようです」と思っていました。侍従が見つけた時には、
「どうしてそのような事をなさいますのか。愛しく想う間柄で、御心を留めて書き交わした手紙は、他人にこそお見せにならなくとも、物の箱底にお仕舞いになってご覧になるのが、身分相応にしみじみ感慨深いものです。匂宮のあれほど素晴らしい紙使い、畏れ多い御言葉を尽くしなさったお手紙を、このように破らせなさるとは、情けない事でございます……」と申しました。浮舟は、
「何か残すのは難しく……私も命長くはない身の上のようです。死後に手紙などが残ったなら、宮のためにも、悲しいことでございましょう。『利口ぶって、姫が手紙を取り置いた……』などと漏れ聞きなさるのこそ、恥ずかしいことでございましょう」などと仰いました。心細いことを思い続けてゆくと、入水の決心も出来なくなるようでした。「親を残して先立つ人は、大層罪深いことでしょう……」などと、やはりかすかに聞いたことを思っていました。
二十日過ぎにもなりました。あの家の主は二十八日に任地へ下るようです。匂宮は、
「その夜、きっと貴女をお迎え申します。下人などに気配を見られぬように心遣いなさい。こちらからは、夢にも申し違えはありません。お疑いなさいますな……」などと仰いました。
「もし匂宮が無理に宇治においでになったとしても、今一度、私はものも申し上げずに、お逢いすることなく お返し申し上げよう。またつかの間でも、どうしてここに宮を近づけ申し上げることができましょうか。仕方なく私を恨んでお帰りになる様子を想像すると、いつもの匂宮の面影が頭から離れず 堪えず悲しくて、この御手紙を顔に押し当てて、暫くは涙を我慢なさいましたが、やがて大層ひどくお泣きになりました。
右近は、
「姫君の御様子に、遂には周囲の人も気付きましょう。だんだん「怪しい」と思う女房も出てくるでしょう。このようにお悩みにならず、適当にお返事なさいませ。右近がお仕えする限り、大それたこともうまく処理致しますので……これほど小さい姫君の御身ひとつなら、空からでもお連れ申し上げましょう」と申しました。浮舟は、暫く躊躇って、
「そのように仰ることこそ、私には辛いのです。そうあるべきと思っているならともかく、あるまじきことと分かっているのに、強いて このように匂宮を頼りにするように仰るので、
「どのようなことを、宮はなさるのか……と思うに付けても、とても辛いことでございます」と、宮にお返事さえも申し上げなさいません。匂宮は、
「やはり姫が承知する気配もなく、お返事さえ絶え絶えになるのは、あの人(薰)が都合よく言い含めて、少し安心な方に心が定まったことのようだ。当然ながら……」とお思いになりましたが、大層口惜しく 妬ましく思われ、
「それにしても、私のことを愛しいと慕っていたものを……逢瀬の途絶えた間に、女房達が言い聞かせた方に考えが傾いたようだ……」などと物思いなさると、その恋しさはどうしようもなく、虚しさが空に満ちる心地がなさいましたので、いつものように強く決心して、宇治にお出かけなさいました。
葦垣(あしかき)の方を見ると、いつもと違って「あれは誰だ」と言う声が目聡げでした。一旦立ち退いて、事情を知る男を邸内に入れると、宿直人はその男さえも尋問しました。
今までの気配とは全く違っていて 煩わしくなって「京より急ぎの御文がございます」と答えました。右近が従者の名を呼び、会いましたが、とても煩わしく酷く不愉快に思いました。
「更に、今宵は無理です。お逢いになれません。大層畏れ多くも……」と従者に言いました。
匂宮は「どうしてこのように 私を近づけないのか……」と思いましたが、堪らなくなって、
「まず時方が邸内に入って侍従に会い、然るべく取り計らいなさい」と、時方を遣わしました。
時方は才覚のある人で、いろいろと言い繕って、侍従を捜して会いました。
「どんなことでしょうか。あの殿のご命令だと言って 宿直の者達が賢そうに振る舞っているので、とても困っているところです。
御前(浮舟)でも、深く物思いして嘆いておいでになるのは、このような御訪問の有り難さを 悩んでいらっしゃるのだと、お気の毒に拝見しております。更に、今宵は、宿直が大勢で見張っているので、誰かが様子に気付きましたならば、かえって悪いことになりましょう。 匂宮が御心遣い(会いたいと希望する)をなさっている夜には、こちらも人知れず準備致しまして、宮にお伝え申しましょう」 更に、乳母が目聡いことなども話しました。大夫・時方は、
「山荘においでになる道中が大変であっても、匂宮が是非にと強いお気持でおられるので、私が『今日はお逢いできない』と申し上げることは具合が悪い。それならば貴女もおいでなさい。一緒に詳しく宮に申し上げましょう」と、侍従を誘いました。
「それはとても無理なこと……」等と言い争ううちに、夜も大層更けてゆきました。
匂宮は馬で、邸より少し遠くにお立ちになっていました。里めいた声をした犬どもが出てきて 吠え騒ぐのも恐ろしく、「供人が少ない不審な御忍び歩きなので、予期しない者が走り出てきたら、どうしよう……」と、お仕えしている者は皆、心配をしていました。
「やはり早く 匂宮の御前に参りましょう」と言い騒いで、時方は侍従を連れて参りました。
髪を脇から前に出して、様體(ようだい)(姿)はとても美しい人でした。馬に乗せようとしましたが、どうしても聞かないので、着物の裾を持って歩いてついて来ました。時方は侍従に自分の沓(くつ)を履かせて、自分は供人の粗末な者を履きました。
参上して「このようでございます……」と、匂宮に申し上げましたが、相談するには適した場所ではないので、山賊の家の垣根の茂った葎の影に障泥(あふり)という物を敷いて、宮を馬から降ろし申し上げました。
匂宮は、
「我ながら 変な格好だなぁ、このような道に阻まれて、将来頼みに出来ない身の上のようだ」と思い続け、
限りなくお泣きになりました。
心弱い女は、それ以上に「とても悲しい……」と拝見していました。大変な敵を鬼にしたとしても、疎かに見捨てることのできないご様子の宮でございます。躊躇いなさって、
「ただの一言でも、浮舟にお話し申し上げることも出来ないのか……どうして今更に、こうなったのか……やはり女房達が説得申し上げたのだろうか」と仰るので、侍従は事情を詳しく宮にお話し申し上げて、
「いずれ引っ越しとお考えになった日を、事前に情報の漏れないように計らいなさいませ。このように畏れ多いご様子を拝見しておりますと、わが身を捨ててでも お取り計らい致しましょう」と申し上げました。
匂宮も人目をひどく気になさって、一方的に 浮舟を恨むこともなさいませんでした。
夜は大層更けて、この辺りを怪しんで吠える犬の声が絶えず聞こえました。供人が犬を追い払うために、弓を引き鳴らし、怪しい男達の声で「火の用心」などと言うのも気忙しく、お帰りになる時の気持ちは、言葉には尽くすことができません。
いづくにか見をば捨てんと白雲の かからぬ山も泣く泣くぞ行く さらば、はや
(訳)どこに身を捨てようか。白雲がかからない山もない山道を泣きながら帰って行くよ……
「それでは早く……」と、侍従をお帰しになりました。匂宮のご様子はしみじみと魅力的で、露の深い夜に、その湿った香の匂いは、何とも例えようもありません。侍従は泣きながら帰ってきました。
右近が、匂宮の訪れをきっぱり断った旨をお話ししますと、浮舟はますます思い乱れることが多くなり、臥してしまわれました。そこに侍従が入って来て、宮との様子をお話ししましたが、浮舟はお返事もなさらないまま、枕もだんだんと涙で濡れてきました。一方で、
「右近達はどのように見るのだろう……」と気が引けて、翌朝のみっともない目元を思い、いつまでも臥せっていらっしゃいました。
頼りなさそうに、かけ帯などをしてお経を読み、「親に先立つ罪を無くしてください……」と祈っておられました。
匂宮が描かれた絵などを取り出して、お描きになった時の手つきや、お顔の美しさなどが、向き合っているように思い出されるので、昨夜 一言でさえ申し上げずになってしまったことで、やはり、今一層勝って、恋しく思えるのでした。
「あの京でのどかな様子で、末永い将来を約束なさった人(薰)も、どうお思いになるだろう……」と、お気の毒に思われました。嫌なことだと、入水を噂する人もあるだろう……と 思いやれば恥ずかしいけれど、生き長らえて 浅はかでけしからん女だと、人に笑われるのを、殿に聞かれるよりは……」等と思い続けて、
嘆きわび身をば捨つとも亡き影に 憂き名流さむことをこそ思へ
(訳)嘆き悲しんでわが身を捨てた後に、嫌な噂を流されることが気掛かりです……
親もとても恋しく、いつもは特に思い出さない兄弟の醜ささえも恋しく思われました。宮の上(中君)をも思い出し申し上げると、すべて、今一度お逢いしたい人が多くございました。女房たちは皆、引っ越しの準備として、各々の着物の染めを急いでおりました。なにやかやと言っているけれど、浮舟の耳には入りません。夜になり、人目につかずに出て行く方法を考えながら、眠れないままに、大層気分も悪くなり 正気でなくなりました。夜が明けると、川の方を眺めながら、羊の歩みよりも死に近い感じがしました。
匂宮は、酷い恨み言などを仰いました。今更に誰が見ようかと思うと、そのご返事でさえ 思うままにお書きになれません。
からをだに憂き世の仲にとどめずは いづこをはかと君も恨みん
(訳)亡骸だけでも この世に残していかなければ、どこを目当てに、
貴方はお恨みになるのでしょう
とだけ書いてお出しになりました。
「あの殿にも、私の最期の思いをお知らせ申したいけれど、それぞれお二人に書き置いては、親しい御仲なので、いづれは聞き合わせなさるだろう……と思ると、大層困ることになるでしょう。
すべて、どうなったのか……を、誰にも分からないようにして死のう……」と、思い返していらっしゃいました。
京の母君からの御文を 使者が持ってきました。
「昨晩の夢に、とても落ち着きない貴女がお見えになったので、所々の寺で誦経をさせました。やがて、その夢の後 寝られなかったせいか、たった今、昼寝して見た夢にも「不吉だとすること」が見えましたので、心配して、この御文を差し上げました。十分にお慎みなさいませ。人里離れたお住まいで、時々立ち寄りなさる人(薰)の御縁(正室・女二宮)の妬みはとても恐ろしく、先日から辛そうに貴女が臥しておられる時にも、夢がこのようなのを、私はあれこれ心配しております。宇治に参上したいけれど、少将の方(妻)がとても心細く病みついて苦しんでいるので、「片時も立ち去ることはならない」と常陸介に強く言われております。そちらの近くのお寺でも、御誦経をさせなさい」と、そのお布施や手紙などを添えて持ってきました。「今を限り……」と思う我が命のことも知らないで、母君がこのように言い続けなさるのも「とても悲しいこと……」と思いました。
寺へ人を向かわせた間に、返事を書きました。言いたいことは多いけれど気が引けて、ただ、
後に又あひ見むことを思はなん この世の夢に心まどはで
(訳)後の世でまた逢えることを思って欲しい……この世の夢に心惑わされずに……
誦経の鐘が風に乗って聞こえてくるのを、浮舟は感慨深く聞き臥していらっしゃいました。
鐘の音の絶ゆる響きに音そへて わが世尽きぬと君に伝えよ
(訳)鐘の音が絶えてゆく響きに添えて、私の命も終わった……と、母君に伝えて下さい……
持ってきた巻数(かんじゆ)に書き加えました。「今宵は京へ帰ることはできない」と使者が言うので、浮舟はものの枝に結びつけておきました。乳母が、
「不思議と胸騒ぎがする。夢見が悪い…と母君も仰いました。宿直人はよくお勤めをしなさい」と言うのを聞いて、「本当に困ったこと……」と、聞き臥していらっしゃいました。
「物を何も召し上がらないのはとても良くないこと。御湯漬けを持ってくるように……」などあれこれ乳母が言うのを聞いて、「とても気遣いをするけれど、いづれ見づらく老いていき、私が亡くなれば、どうするのだろう……」と思いやりなさるのも、お労しいことでございます。
「この世には、生きていけそうもない……と、乳母にほのめかして言っておこうか」などと思うけれど、何よりも胸が騒いで 涙が先に溢れるのを隠しなさって……何も仰れません。右近は浮舟のお側近くに横になろうとしながら、
「これほど貴女が物思いをなさると、物思う人の魂は身体から離れるものなので、母君の夢見も悪いのでしょう。匂宮か薰君のいづれの方にお決めになって、どのようにでもなさって欲しい……」と嘆いておりました。
着慣れた絹を顔に押し当てて、浮舟は泣きながら臥していた……と言うことでございます。
( 終 )
源氏物語「浮舟」(第51帖)
平成二十九年初夏 WAKOGENJI(訳・絵)
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