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「源氏物語」に出てくる美しい花々や花木を集めてご紹介しましょう。

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 桐(きり)
〜ゴマノハグサ科キリ属の落葉高木。5月頃、筒状の薄紫の花が咲く。天皇家の紋章には、菊とともに桐紋が使われる。京都市の西にある愛宕山麓で多く見られ、上賀茂神社にも大きな桐の木がある。

 「桐壺」ー第1帖
源氏物語は「桐壺の巻」から始まります。
いつの御代のことか……、桐壺帝のご寵愛を一身に受ける姫君(更衣)がおりました。他の女御達の妬みの中、光るように美しい皇子(源氏の君)が産まれますが、やがて病気がちになられ、この皇子が3歳の時、亡くなってしまいます。帝の悲しみは深く…

 藤(ふじ)〜山野に自生するマメ科のつる性落葉樹。4月末頃、紫色の美しい花房が下がる。平安時代には松に絡みつく藤が情趣あるものとされた。京都御所の飛香舎(藤壷)では、毎年5月頃見事な藤が花房をつける。

 桐壺ー第1帖
最愛の更衣を亡くした桐壺帝は、更衣に似た藤壷の宮を後添いに迎えます。幼い皇子は亡き母の面影を継母藤壷に重ね、思慕の心は次第に恋心に変わってゆきます。
源氏の君は元服の夜、左大臣の皇女(葵)と結婚しますが……
桐や藤の紫色は、源氏の君にとって、優しく高貴で心惹かれる色であったに違いありません。

 花宴ー第8帖  藤裏葉ー第33帖  若菜上ー第34帖 他


. 常夏(とこなつ)〜唐撫子(なでしこ)の古名。ナデシコ科の多年草。

 帚木ー第2帖 
『山がつの垣ほ荒るとも折々に あはれはかけよ撫子の露(夕顔)』
『咲混じる色はいづれと分かねども なほ常夏にしくものぞなき(頭中将)』
撫子は幼児を、常夏は愛する人を指します。幼い子を可愛がって欲しいと詠う夕顔に応え、頭中将は貴女ほどの女性はいないと返します。この撫子と呼ばれた幼子こそ玉鬘です。
 玉鬘ー第22帖 
『撫子のとこなつかしき色を見ば もとの垣根を人はたづねむ』
源氏の君はこの玉鬘を養女として迎えますが、その美しい姿に心奪われてしまいます。



 夕顔(ゆうがお)〜ウリ科のつる性草本。長球形の果実がかんぴょうの原料となる。花は純白で、夏の夕方咲き、朝にはしおれる。

 夕顔ー第4帖

 六条御息所の御邸にお通いの途中、家の垣に這う白い花に目を留めます。源氏の君が所望しますと、その家から女童が出てきて、扇に花をのせ差し出します。その扇に書かれた和歌。
『 心あてに それかとぞ見る白露の光添へたる 夕顔の花 』 
その宿に身を隠す姫君(夕顔)と愛し合うのですが……


 紫草(むらさき)〜ムラサキ科の多年草。根が太く紫色で、6〜7月頃小さな白い花をつける。根は紫根と呼ばれ、昔から紫染めの原料として用いられた。また解熱・解毒に効果があり漢方薬でもある。

 若紫ー第5帖  
『 手に摘みて いつしかも見む紫の 根にかよひける野辺の若草 』
京都北山の寺で、藤壷によく似た愛らしい少女に出逢います。源氏の君はこの少女(若紫・藤壷の姪)を二条院に引き取り、かなわぬ藤壷への熱い想いを慰めますが、やがて少女は藤壷に見間違うほどに美しくなられ……


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 紅花(べにばな)〜末摘花とは紅花の別名。染料にするために、茎の末に咲く花を順次摘み取る事からそう呼ばれる。

 末摘花ー第6帖 
『 懐かしき 色ともなしに何にこの 末摘花を袖にふれけむ 』
源氏の君は契りを交わした常陸宮の姫君が、紅鼻をしているので、紅花とかけてこう詠みました。
しかし源氏の君は終生この姫君の後見をすることに決めます。
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 紅梅(こうばい)〜バラ科の落葉高木。早春に葉より早く若枝に花を咲かせます。花後に芳香のある果実を付けます。

 末摘花ー第6帖

常陸宮の姫君に失望して、二条院に戻った源氏の君は、御前の紅梅の色づいた蕾 をご覧になり、末摘花の紅い鼻を思い出して、嘆息をつきなさいました。


 紅葉(もみじ・いろはもみじ)〜カエデ科カエデ属の落葉高木。京都の高雄山に多いことから高雄紅葉とも呼ばれす。秋の色付いた紅葉も見事です。

 紅葉賀ー第7帖
朱雀院の行幸の日、美しく色づいた紅葉の下で、源氏の君は頭中将と「清海波」を舞いました。その舞姿は誠に素晴らしく、帝をはじめ上達部や親王たちも皆、感涙を流しました。
 藤裏葉ー第33帖
『世のつねの紅葉とや見るいにしえの ためしにひける庭の錦を』
この歌は20年後、六条院の紅葉賀で、冷泉帝が昔の宴を思い出して詠んだ歌。
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 菊(きく)〜キク科キク属の多年草。日本で自生する野菊は20種ほど。

 紅葉賀ー第7帖
「清海波」を舞われた源氏の髪飾りの紅葉が散りましたので、左大臣が御前の菊を手折って差し替えなさいました。あまりの美しさに帝は「鬼神に魅入られ早死にしないか……」と心配なさり、読経などをさせなさいました。
 幻ー第41帖

『もろともにおきゐし菊の朝露も ひとり袂にかかる秋かな』
最愛の紫上を失った源氏の君が、晩年の孤独な心を、菊の花に降りた朝露に託して詠んだ歌。


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 桜(さくら)〜バラ科の落葉高木。4月頃に薄いピンクの花を咲かします。秋に葉が紅葉するのも見事です。

 花宴ー第8帖
春、紫宸殿の桜の宴が催されました。宴も果てましたので、源氏の君がほろ酔い気分で弘徽殿の辺りを歩いていると「朧月夜に似るものぞなき……」と謡って来る美しい姫君がありました。この姫君との出逢いが、源氏の君の運命を大きく変えていきます。
 野分ー第28帖 
野分の吹き荒れた後、六条院の春の町を訪れた夕霧は、初めて紫上の御姿を垣間見て、樺桜(山桜)が咲き乱れるように華やかで美しい……と心打たれます。
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葵・双葉葵(あおい・ふたばあおい)〜ウマノスズクサ科フタバアオイ属の多年草。茎は地上を這い、先にハート型の葉をつけます。3〜5月頃紫褐色の花を咲かせます。京都の賀茂神社の葵祭に、行列の人々が髪飾りに用いるので「賀茂葵」とも呼ばれます。

 葵ー第9帖

葵祭の日、葵上一行は御息所の御輿と所争いとなりました。退けられた御息所の恨みは、生霊となって取り憑いて、葵の上を苦しめます。やがて葵上は皇子(夕霧)を出産しますが、急逝なさいます
ようやく夫婦として心通い合った矢先の源氏の君は、大層悲しまれ……
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 榊(さかき・ひさかき)〜ツバキ科ヒサカキ属の常緑小高木。3月頃白い5弁花をつけます。仏壇やお墓に供える花木として用います。

 賢木ー第10帖
葵の上亡き後、源氏の君の訪れは途絶えてしまいましたので、御息所は伊勢に下る決心をしました。源氏の君は野々宮に御息所を訪ね、榊の枝を御簾の中に入れて「榊(常緑樹)のように変わらぬ我が心を……」と表しました。御息所の御心は乱れ、決心は揺らぎましたが、やがて伊勢へ下って行かれました。
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 松・五葉松(ごようまつ)〜マツ科マツ属の常緑高木。山地に生え、葉は針形で5個が束生します。古くから庭木や盆栽にされます。

 賢木ー第10帖
桐壺院がご崩御され、源氏の君は大層悲しまれました。雪の降る日、皆で桐壺帝ご在位の頃の昔話などなさいました。五葉の松が雪に萎れているのをご覧になり詠まれた歌。
『蔭広み頼みし松や枯れにけむ 下葉散り行く年の暮かな(兵部卿宮)』
 
松風ー第18帖 
明石の君は姫君と共に、大堰の邸に移りましたのに、源氏の君の訪れはなく、虚しく時は過ぎていきました。涙を抑え形見の御琴を弾きますと、松風が琴の音に合わせ悲しく鳴り響き……
『変わらじと 契りしことを頼みにて 松の響きに音を添へしかな』
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 橘(たちばな)〜ミカン科ミカン類の常緑低木。初夏に五弁の白い花を咲かせる。

 花散里ー第11帖
古今和歌集に「五月まつ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」と詠まれたことから、昔を思い出す花として登場する。
 五月、源氏の君は麗景殿の女御を訪ね、懐かしい桐壺帝の昔話をして心慰めます。その妹が花散里と呼ばれる姫君。
『橘の香を懐かしみほととぎす 花散る里をたづねてぞとふ』
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 朝顔(あさがお)〜ヒルガオ科の一年生つる性植物。5〜7月早朝ラッパ形の花を咲かせる。花色は原種は薄青色。万葉集で「朝顔」は桔梗を指すが、「源氏物語」では「朝顔の……這ひまつはれて」とあり、今の朝顔と同じか。

 朝顔ー第20帖  
『 見しをりの つゆ忘られぬ朝顔の 花の盛りは過ぎやしぬらむ 』
父君を亡くされ頼る人もない朝顔の姫君は、寂しくお過ごしでした。若い頃からこの姫に好意を持ちながら、拒まれ続けていた源氏の君は、今一層愛しくお思いになりましたが……。
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 蓮(はす)〜ハス科ハス属の水生多年草。7月頃池や沼に白や薄紅色の花を咲かせます。経典に神が最初に蓮を咲かせたとあり、仏像は蓮の台座に在す。

 朝顔ー第20帖

亡き藤壷の苦しむ姿を夢に見た源氏の君は、あの唯一の過失(源氏との密通)のため、世の罪障が消えなかったのか……と分かり、「同じ蓮の上に……」と心深く祈りなさいました。
 若菜下ー第35帖
『契りおかむ この世ならでも蓮葉に 玉いる露の心へだつな』
儚い命を悲しむ紫上に、源氏の君は蓮葉に置く露のように、あの世でも一緒だと詠う。
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 山吹(やまぶき)バラ科ヤマブキ属の落葉低木。高さは2mほどで、4〜5月頃、鮮やかな黄色い花をさかせます。

 真木柱ー第31帖 
『 おもはずに井出のなか道へだつとも いはでぞ恋ふる 山吹の花 』
亡き夕顔の忘れ形見の玉鬘は、六条院に引き取られますが、その美しさゆえ、多くの公達の心を捕らえます。源氏の君もすっかり心奪われますが、結局、黒鬚の大将と結婚します。美しい玉鬘を諦めきれない源氏の君は、山吹の花にその想いを込めて謡う。
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 梅(うめ)〜バラ科サクラ属の落葉小高木。中国原産で奈良時代に日本に伝わったと言われる。1〜3月頃、前年枝の葉腋に香しい花をさかせます。

 梅枝ー第32帖
六条院では、明石の姫君の裳着の準備に忙しく、源氏の君が薫物合わせをしていました。その時、前斎宮から、梅の枝に結ばれた手紙と瑠璃の香壺が届きました。薫物合わせの後、管弦の遊びで弁少将が謡う「梅が枝」は素晴らしく……
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 萩(はぎ)〜マメ科ハギ属の落葉低木。秋の七草のひとつ。7〜10月頃白や赤紫色の花を咲かせます。

 御法ー第40帖
紫上は病気がちになられ出家を願いますが、源氏の君はお許しになりません。夏の暑さにますます衰弱なさいました紫上は、儚い命を、前庭に咲く萩に降りた露にたとえて、歌を詠み交わし、遂に息をひきとります。
『おくと見る程ぞ儚きともすれば 風に乱るる萩の上露(紫上)』
『ややもせば消えを争ふ露の世に 遅れ先立つ程へずもがな(源氏)』
最愛の人を失った源氏の君の悲しみは深く……
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「源氏物語」に登場する植物は、草本類が62,木竹類が61で合計123といわれています。

春の花木として梅、桜、藤、山吹、柳など。夏の花木は、橘、サツキ、楓(若葉)柏、朝顔、夕顔、せきちく、撫子、菖蒲、蓮など。秋の花木は、萩、楓、紅葉、菊、藤袴、女郎花、桔梗、竜胆、吾亦紅、ススキなど。冬の花木として、木楢、松など。

それぞれの花が、四季を背景に、物語の演出に大きな効果をもたらしています。
 その花の持つ特徴などから、女性に例えられることも多くみられます。「野分ー28帖」では、紫上は樺桜のように華やかに美しい姿と表され、玉鬘は八重山吹に霞がかかり、夕焼けの残照に映えるようだと表現されています。また「夕顔ー第4帖」や「末摘花ー第6帖」などは、その巻名にまでなっています。
 花でその女性の「縁」を表すこともあります。ムラサキ(紫草)の根から紫色の染料が得られることから、北山で見つけた少女を藤壷の「縁続き=姪」として、若紫と呼び、源氏の君は引き取ることになります。また玉鬘はユウガオの鬘ですから、夕顔の姫君の娘として登場します。
 六条院に秋、御方々は引っ越しますが、秋好む中宮は、春の町に住む紫上に、秋の草花や紅葉を取り混ぜて贈り、秋の美しさを主張します。紫上は、春になり華やかな花の宴でこれに応えます。古来から引き継がれてきた春秋の優劣の争いがここに語られています。

このように、品種改良や外来種などが普及していない当時の、花木の種類を知ることができる事を考えても、「源氏物語」は、日本の花の歴史を知る重要な文献のひとつでもあるのです。
 

参考資料:四季花めぐり11(小学館)/ 他
写真提供: shibe / 他

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